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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第三章 王立士官学校
53/129

新たなる開花

久し振りの魔法説明パート。同じ設定ノートから参照しているのに上手く説明できていない……。


【作中の表記につきまして】


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム(メートル)法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


作中世界で出回っている貨幣は三種類で

・主要通貨は銀貨

・補助貨幣として金貨と銅貨が存在

・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚


平均的な物価の指標としては

・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。

・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。

 《赤の民》が送り込んで来た双子の子供は翌朝、階下から聞こえる三人娘のギャアギャアとやかましい声で目が覚めた。


三人は毎朝5時に起きて隣の役場から弁当を貰い、キャンプを含む公爵夫人エルダの荘園内に点在する薬材採取地点へと向かう。

彼女らの場合は採取中もギャアギャア騒がしいらしく、採取地の近隣でまだトーンズへ移住せずに残っている住民……例えば酪農家や《青の子》訓練所の訓練生、更には北サラドスや南サラドスで保護された新参の難民者達……は、この三人娘の声を聞くと


「あぁ……今朝はここに来ているのか……」


とそのやかましさに困惑するが、彼女達はこのキャンプの住民から大きな尊敬を受けている女薬剤師であるノンの弟子であるので、酪農をやっている老夫婦は彼女達が家畜の解体で出た内臓などを引き取り来た時は新鮮な牛乳を飲ませてくれたりしている。


また、薬草採取をしている時に、野生の果実や木の実、キノコを見付けて拾い食いをした挙句に腹を下したりして、師に怒られる事もあった。

キノコに至っては一度本当に死にそうになって以来、薬材として習った物以外には手を出さなくなった。


 そして藍玉堂に帰って来ると、採って来た薬材の一次処理をこれまたギャアギャア騒ぎながら行うのだ。

この間、師であるノンはルゥテウスと共に役場で朝食を摂っているので騒いでいてもそれを咎める者は居ない。

特に今日は家畜の臓物の洗浄処理をしていたので「臭いっ!」「いやあぁぁぁ!」「汚いっ!」等と騒ぎ放題だ。


そしてこの時間更に騒がしくなる原因が裏の病院から入院患者の処方箋を持って来る医師見習いの少年達の存在だ。

キャンプの病院には現在五人の見習いが居り、その中でも処方箋を持って来るのはもっぱら一番歳が下の方である12歳と13歳の少年だ。


彼らが来ると、藍玉堂一階の作業場の騒ぎは収拾がつかなくなる。そして結局は朝食から戻って来たノンに大目玉を食らって男子達は病院に戻るのである。

何しろ、病院を交代で管理しているオルト医師の最初の弟子達ですら藍玉堂の女店長には頭が上がらないのである。


 今朝も薬材となる臓物を洗ってから磨り潰していると、二階から赤い肌をした顔がそっくりの子供二人がその様子を窺っている事に気付いた最年長のパテルは


「なっ!?赤いっ!可愛いっ!」


と奇声を上げて作業を中断して階段下まで走り寄ると


「何してんの?降りていらっしゃい。ほらっ!早くっ!早くっ!」


と臓物を扱って生臭くなっている両腕をブンブン振り回して双子……チラとアトに階段を降りて来るように促した。


二人が恐る恐ると言った感じで階段を降りてくると、三人娘の残り二人……エヌとモニも


「あっ!昨夜来ていた子?」


「本当だっ!赤いっ!」


などと騒ぎながら階段の下に集まり


「ちょっと!パテルっ!手を洗ってよっ!臭いっ!」


今度は双子そっちのけで喧嘩が始まった。


 三人娘の年齢は最年長のパテルが14歳。後の二人は13歳なので双子とは少し歳が離れている。

この三人をそれぞれ12歳の時に「弟子」として選定したノンの基準もこれまた結構いい加減なもので


「頭の回転が早く、虫や家畜の臓物を怖がらずに触れる者」


という基準で選び、ルゥテウスを呆れさせていたが


「この子達は私が責任を持って育てます」


と言い張る彼女の迫力に押されて、今や無人となった藍玉堂の一階への住み込みを許可したのだ。


 階段を降りて来た双子を囲み、ワイワイ騒いでいると怖い先生が店主様と戻って来て


「あまり騒いで怖がらせてはいけません」


と早速怒られた。


「お前達、腹が減ってるだろう?これを食え」


と店主が食堂で作って貰ったハムサンドを渡した。


『山』から連れて来られて、今までに見た事が無いような物を食べている双子は、最早未知の食べ物に対する度胸も付いて来ていて


「いただきます」


と意外な礼儀正しさを見せて二人揃って店主からハムサンドを受け取り、作業場の机に座って食べ始めた。

しかしその横でパテルが相変わらず内臓を磨り潰す作業を続けているので臭いが微妙で、味がよく解らないようだ。


「サナが来たら地下で最初の修行を始めよう」


と今日は「6の日」である9月12日であるので士官学校が休みであるルゥテウスは、双子への修行開始を告げた。


 ノンはエヌが預かっていた裏の病院の処方箋を受け取り、何やらブツブツ言いながら薬材棚をあちこち開けたり閉めたりして薬材を取り揃え、手慣れた手付きで製薬を始めた。


ルゥテウスもそれを手伝うことにして、ノンの隣に座りながらこれまた恐ろしい早さで手を動かして処方箋通りに薬を調合して行く。

製薬作業の手際だけならば、ノンは既にルゥテウスとあまり変わらない速さになっており、複数の処方箋に記された同じ薬効の物はまとめて薬研を使って潰したりして二人でどんどん量産して行く。


三人娘と双子はその作業を黙って見つめており、先程まで店の外にまで聞こえる程に騒がしかった店内はルゥテウスとノンが作業をしている音だけが聞こえる状況になった。


 二人の息はピッタリで、お互い何も言葉を交わしていないのに、お互いの目の前にある薬材を交換しあったり融通しあったりして作業が進んでいる。

サクロの藍玉堂本店から回されて来ていた物も含めて200人分弱の処方薬がものの30分程度で完成してしまった。


「あなたたち、下処理が全く終わってないじゃない……」


 結局、三人娘は作業の手を止めて師匠と店主の製薬に見入ってしまっていたので自分達の作業が止まったままであった。


「すみませんっ!」

「お二人の手際が余りにも良くて……」


ノンは呆れながら


「当たり前でしょう……もう何年もやっているのですから……」


と言いながらルゥテウスを見た。


「まぁ……お前達の先生はもう世界でも敵う奴は居ないさ」


と苦笑いを浮かべる。

ノンはそんな店主の言葉に少し照れながら


「もう、いいからこれをソンマ店長の所に持って行ってあげて」


と木箱に分けたサクロ側の分の処方薬に、それぞれ処方箋を貼り付けて詰めた物を作業台の上に置いた。


下処理で一番手の空いているモニが


「それでは僭越ながら私、モニが行って参りますっ!」


と箱を抱えて地下に降りて行った。転送陣で本店に飛ぶつもりである。


「あの子はどこであんな言葉を覚えて来るのかしら……」


ノンが困惑した顔で話しながら


「ほら。あなた達はさっさとそれを終わらせなさい」


と作業机の上に残っている臓物のペーストを指差した。このペーストに脱水の為の石灰を混ぜて乾燥させた物が解毒薬の主要材料となるのだ。

洗浄から磨り潰しを担当してすっかり両手が生臭くなっているパテルをエヌが手伝って漉し器でペーストを漉し始めた。双子がその様子を興味深そうに眺めている。


「いきなりここも賑やかになりましたねぇ」


ノンが目を細めて言うと


「いやいや……お前があの三人娘を引き取ってから、ここは毎日(かしま)しいよ……」


ルゥテウスが苦笑いしながら応える。


「そ、そうですか?」


「もう、お前も麻痺してるんだよ……」


「そんなことは……」


「まぁ……あいつらもそのうち大人になれば少しは落ち着くだろう」


「えぇ……そうだと良いのですが……」


 二人でしんみり話していると、地下からモニが駆け上がって来た。

その後に続いてソンマとサナ、そして最後にアイサも何やら大きな包みを持って上がって来る。


「不肖このモニっ!ただいま帰りましたっ!」


「だからどこで覚えてくるのよ……」


「多分……近所で布染め屋をやっているロダートさんのお爺さんね……。

あの人昔は何とかって国の『強制徴募隊』とかってやつに捕まって偵察隊にさせられてた時の怖い記憶で少し変になってしまってるんです」


「そうなのか」


サナの説明にルゥテウスが苦笑いする。本店の近隣で染物屋を営むロダートは祖父と二人暮らしで、少しボケてしまった染物名人の祖父が店に処方薬を貰いに来る時に、その挨拶をすると言う。


「店長も来たのか?」


「はい。一応最初なのでサナがどのような教え方をするのか観に来ました」


ソンマにとってアトは「孫弟子」となるので、それなりに心配なのだろう。


「ルゥテウス様。私も見させて頂いて宜しいでしょうか?」


珍しくノンが希望を口にしてきたので


「あぁ。構わんぞ。今日は病院も休みだしな。外来で処方箋は出ないだろう」


「ありがとうございます」


ノンは三人娘に課業を言い渡して一同と共に地下に降りて来た。


アイサは残って、持参して来た材料を持って二階に上がって行った。後で菓子を作ってくれるのだろう。

三人娘は自分達も地下に着いて行きたかったが、ノンから課業を言い付けられているのと、アイサがお菓子を作ってくれるので地下への興味は一気に薄れたようだ。


 地下の錬金部屋は四年前にソンマとサナがサクロに転居した後は、時折ルゥテウスが何かの作業に使うだけで、他はずっと使われていなかったが……ルゥテウスが管理しているせいか、掃除もしっかり行き届いており、驚くべき事に素材棚はどれも一杯に入っていた。


まずはルゥテウスが双子に


「お前達は何故『山』から連れて来られたか自分で理解しているか?」


姉のチラが


「ちょーろー様が、お前たちには……い……いもーる?の言ってた『力』があるって」


 どうやら、イモール首相はレンデリ師を始めとする《赤の民》の長老方に自分達が暗殺稼業から足を洗わざるを得なかった理由を語った際に魔法についての話題となり、その際に「素養のある子供の条件」のような話もしたらしい。


そして最近になってオロンから「以前に話してくれたような特徴を持つ子供が居る」と聞いたイモールは「街にそれを見極める事の出来る人物が居る」としてソンマを紹介したので、この双子が連れて来られたとの事であった。


 事実、双子には二人共魔法の素養が眠っている事に気付いたソンマは驚いて、更にその翌日の夜にルゥテウスの前へ連れて来たという事であった。


「そうだな。お前達には確かに『力』があるようだ。しかし二人共同じ力と言うわけでは無い。

チラは『魔術』という力が使えるかもしれない。そしてアトの方は『錬金術』だ。この二つは似ているようで全く似ていない」


「まじゅつ……?」

「れ、れん……?」


二人は何となく自分達には「力」があるようだが、それが何なのか理解できていないようだ。


「ふむ。だから今は急いで覚える必要は無い。最初にお前達が覚えるのは『魔術と錬金術』の違いについてだ」


そう言うと、ルゥテウスは机の上にロウソクを一本立てた。


「いいか?チラが使えそうな『魔術』と言うのは……こうして、離れた場所から……」


ルゥテウスは魔導でロウソクに火を点けた。双子は驚いて


「え?」

「なんで?どうやったのですか?」


と口々にロウソクの火に手をかざしたりしている。アトは山で暮らしていた時に友達と火を起こす競争で遊んでいた事があり、掌をマメだらけにして


「火は棒を板に擦りつけて起こす大変な作業」


という経験を持っていた。このようにいきなり何も無い所からロウソクに火が点くのを見て、自分が知っている火とは違うという風に感じたようだ。


「今のは魔法……まぁ俺の場合は魔導だが、チラは頑張って勉強すればこのように離れた場所にある物に対して色んな事が出来るようになる」


「ぼくは……?出来無いんですか?」


寂しそうな顔で言うアトに


「アトはもっと違う『力』を使う事が出来るようになる……かもしれない。勉強すればな」


「ちがう?」


「そうだ。そして俺が教えられるのはチラだけ。お前はこのサナから力の使い方を教えて貰え」


「しかし、二人共一緒に覚えないといけない事がある。これは二人一緒になって勉強しろ」


「え?」


「それは『触媒』という物だ。お前達の力……二人共全く違ったものだが、共通しているのは力を使うには『触媒』が必要になると言う事だ」


「しょく……ばい?」


「そうだ。例えばさっき俺がロウソクに火を点けたな?あのように『決めた場所に火を点ける』程度の魔術であれば「ヒタンタケ」と一般に呼ばれるキノコが必要だ」


「きのこ……?火をつけるのにきのこが?」


チラが驚く。


「そうね。これがヒタンタケよ」


サナが壁の棚から乾燥したヒタンタケを採り出す。傘が朱色をしたいかにも毒がありそうなキノコだ。


「さっきのような小さな火なら触媒の消耗はそれ程起きない。しかしそれは本人の素養次第で、今の大きさの火を点けるのに必要なマナを上手く制御して用意できれば、それを触媒を通して投影する際に触媒のロスはほぼ無くなる」


「逆にしっかりとマナの集積と制御が出来ず、形質が整わないうちに投影を行うと触媒に負担が掛かって『消費』が起きる」


ルゥテウスの言ってる事は双子にとってはチンプンカンプンだ。


「俺が何を言っているのか解らないだろう?」


「はい……」

「うん……」


「まだ解らなくていい。そのうち覚えて行くことになる。しかしお前達が『力』を使う為には色々と準備が必要だと言う事だけは覚えておいてくれ」


「はいっ」


「よし。では最初の訓練を始める。これも最初だけ。二人一緒に出来る訓練だ」


「はい」

「はいっ」


「目を閉じろ。今から、俺がお前達の目の前の空間にちょっと細工をする。

俺が『いいぞ』と言ったら目を開けて目の前に何が見えるか、「なんとなく」でいいから見ろ。いいか?よし。目を閉じろ」


ルゥテウスの合図で二人は目を閉じた。どういうわけかルゥテウスの後ろに居たノンも目を閉じてみる。

ノンの様子を見てサナが「クスっ」と笑った。


 ルゥテウスは双子の目の前の空間にマナと魔素を不作為に集めてみる。空中に球状の「入れ物」を定義して、その中に集まったマナはソンマとサナには見える。

つまりこの「視覚によって魔素やマナの存在を捉える事が出来る」というのが「素養がある」と呼ばれる第一歩なのだ。


素養の無い「普通の人」にはこれが見えない。まずマナの存在を視覚情報として感じ、次にその空中に漂うマナを自分がこれから起こしたい超自然現象を頭の中で想像しながらそれに適した「形状」に整える。これが「マナの制御」だ。


投影させる形状は術者によってまちまちで、「これ」という定形は無い。これはロウソクの火の色を表現する為に、その色を「赤色」と思う人も居れば「オレンジ色」と思う人も居る。または「赤8に黄色2くらい」などという考え方をする人も居るというのに似ている。


この形状を上手い事マナを制御しながら纏め上げて、最終的にそれを「現実化」させるために、魔術師であれば「対象となる場所」、錬金術師であれば「対象となる物体」に『投影』させる。

この投影が上手く出来れば、成形したマナが触媒に反応して「具象化」される。後はその現実化させた超自然現象を目標に向かって「投射」するだけだ。


 ここでややこしいのは「投影する場所」と「投射する場所」は魔術師の場合、必ずしも一致しないと言う事だ。

投影する場所は理論的には自分が認識マークしているこの世界のあらゆる空間に対して可能である。

例としてはルゥテウスがよく行う「転送」を使った「お取り寄せ」だ。


ルゥテウスは以前に自分が訪れた事のある場所の「空間」を脳内で「マーク」しておき、その記憶している空間に対して他者には不可視である「ゲート」を投影した上で取り寄せたい物品を「転送先に投射」しているのである。


投射さえ成功すれば、物品は投影されたゲートを通って彼が転送先(投射先)として指定した別の空間に物品が転送されて出現する。


「瞬間移動」の場合は、転送先に自分の肉体を含めた自分が触れている他人の肉体を「投射」することで空間から空間の跳躍を実現している。


 通常、魔術師は投射する物体をできるだけ自分に近い場所に投影する。その方が投射をする際に自身の位置を基準に投射先を設定しやすいからだ。

つまり失敗確率を可能な限り下げる為に「余計な事は考えたくない」のである。


シンプルに「自分の目の前、胸元辺りに火の玉を作って(投影して具象化)、それを自分の位置を基にして指定した場所に飛ばす(投射)」のが最も失敗しない魔術の使い方であろう。


この考え方を少しずつ複雑にしても失敗しないようにするというのが魔術における修養の肝となる。


 錬金術の場合はもう少しシンプルで、「投影先」の時点でマナを込める対象物を指定してしまえば良い。

何故かと言うと錬金術師は「投射力が無い」からである。

錬金術にとって「投射」は寧ろ邪魔なものであり、中途半端に投射力を持った者が錬金術を行うと、せっかく「投影」されたものが余計に「投射」されてしまう。

この「余計な投射」が起きる際に形成されて触媒によって変質していたマナのリソースが消費されてしまい、効果の高い術式付与品とならない。


これがソンマのように投射力が限りなくゼロの者であれば自分で投影して触媒によって変質したマナがそのまま、余計な投射が起きる事無く対象物に付与される。


「投射力は極端に多いか、少ない方が力の強い術師となる」


と言うのは、こういう事なのである。


「よし。目を開けてみろ」


ルゥテウスが言うと双子は一斉に目を開く。そしてノンも目を開く。


「わぁ……」

「すごい……」


双子はそれぞれ感嘆の声を上げる。どうやら「何か」が見えているようだ。


 不意にルゥテウスの後ろから


「これは……いつもより濃く見えますね……」


という声が上がって、彼は驚いて後ろを振り向くとノンが「何か」を見つめている様子でボーっとしている。


「ん?ノン……?」


「はい」


「お前……何か見えているのか?」


不審に思ったルゥテウスが尋ねると


「えぇ……いつも何となく見える緑色の『ゆらゆら』が……いつもよりハッキリと……こんな感じの形だったのですね……」


「何っ!?緑色だと!?」


ルゥテウスの驚いた声を聞いてノンは我に返り、視線を「ゆらゆら」からルゥテウスに移した。


「ど、どうされたのですか?私……何か悪い事でも申し上げましたでしょうか……?」


ノンは少し怯えた様子だ。彼女を見るルゥテウスの表情が怖いのだ。

彼女にとって、自分に対してルゥテウスがこれほどの表情で彼女を凝視するのは初めての体験だ。


「あたしには……黄色いゆらゆらが」

「ぼくにも黄色のが……」


ノンが見ている物と双子の見ている物は同じ「ゆらゆら」なのだが、その「色」が違った。

そもそも「普通の人」であるノンにはその「ゆらゆら」自体が見えないはずなのであるが……。


「緑色……?」


ソンマも首を捻った。彼が見えているのは勿論「黄色いゆらゆら」で、これはルゥテウスによって球状の空間の中に濃度の高いマナが集められて、このようにハッキリと見えている。普段であればマナを目視する為にはソンマのような卓越した錬金術師でもそれなりに集中が必要である。


これはサナにとっても同じだ。彼女の視覚に入って来ている情報も「黄色いゆらゆら」だ。


ノンだけが「緑のゆらゆら」を見ているのである。


「ノン……お前……!」


 ルゥテウスは呆気に取られたままだ。このような彼を見るのはこの場に居る者は皆初めてで、嘗てサナの魔石を分析した時ですら、このような茫然としたルゥテウスは見られなかった。


「あ、あの……ルゥテウス様……す、済みません……私……」


ノンはルゥテウスの表情から恐怖を感じ、怯えながら後ずさりした。


「お前……ノン……見えるのか……?緑色……」


辛うじて言葉を搾り出したルゥテウスの言葉に


「え……?はい……その、大きな丸い玉のような形で……ゆらゆらと……」


「確かに……確かに緑なのか?間違い無いか?」


「はい……これは……緑だと思います。少し薄いですが森の……夏の森の色……」


「そうか……お前には見えるのか……」


そう言うと、ルゥテウスは突然ノンの右腕の手首を掴んだ。暫く左手で掴んでいたが、そのうち右手も出して両手でノンの右腕を掴んで目を閉じている。ルゥテウスの手は僅かに震えており、ノンは驚いた。


この光景を、他の者達……双子も含めて静かに見守っている。ソンマとサナ夫妻も驚きを抱えたままこの「知識と知恵の神」が初めて見せた大きな驚愕の後からのノンの右手を震える両手で包み込むように掴んでいる様子を……見守っていた。


「判らん……俺には判らん……」


ルゥテウスは掴んでいた腕を離すと、そのままノンの瞳を覗き込んだ。ルゥテウスがこのような表情で、しかも瞳を覗き込まれる事はノンにとって初めての経験で、彼女の鼓動は嫌が上にも高まってきた。


 やがて、困惑の表情を浮かべてルゥテウスは机に向かって振り向き、僅かに首を左右に振りながら静かに語った。


「ノンは……ノンには……どうやら『魔素』が見えているようだ」


ルゥテウスの言葉を聞いて暫くその意味を咀嚼したソンマが


「ええっ!?何ですって!?」


と驚愕の声を上げたので、隣に居たサナやルゥテウスを見上げていた双子、そしてルゥテウスの後ろで何か怯えた様子であったノンも驚いて体をビクリとさせた。

昨晩も双子の持つ素養について、この天才錬金術師は驚く声を上げたが、今回はそれよりも更に上回る声だ。


昨晩はその声を聞いて彼をからかうように笑った妻であったが、今聞いた声はそのようなもので無く、夫は心底驚いている様子とルゥテウスが初めて見せる困惑した態度に、笑いの感情など起きるわけもなかった。


「何故だ……何故魔素が見える……今調べたが素養は見受けられない……何故だ……」


「あ……あの……『それ』が見えると何か悪い事が……」


「い、いえ……違います。わ、悪いこ、事では無いと……お、思います」


ソンマは言葉を吐き出すのが精一杯のようで、ルゥテウスに至ってはまだ怖い顔をしたままだ。


「悪い事では無いのです……?」


「わ、私には魔素は見えないです。恐らくはサナ……お前もだろう?」


「え……?まそ……?それって何です……?」


「今ノンさんが言った『緑』だよ……黄色では無くて緑……緑色の……マナのような物だよ」


「いえ……私には黄色に見えます。緑には見えません」


「あの……私にはそういう素質が無いから緑に見えるのですか……?」


「ち……違う……」


ルゥテウスが呻くように言った。


「そうだ。違うのだ……お前は……お前は素養が……判らん」


「しかし店主様……私が読んだ文献では……」


「分かっているっ!分かっているさっ!」


ソンマの言葉に被せるように、ルゥテウスが突然怒鳴り声を上げた。このように感情的な声を出す彼を見るのはノンにとっても初めての事で、勿論自分の言葉を掻き消されてしまったソンマにとっても初めての事であった。


「ノン……。お前には魔素が見えると言う。魔素とは魔法の源流みたいなものだ。そして魔素が見える者を……『魔導師』と言う」


先程とは打って変わってルゥテウスは静かに告げた。


 嘗て「漆黒の魔女」ショテルは地上の大気を撹拌する目的で、大戦争による高熱高圧で変質してしまった魔素を使って「月」を撃った。


その狙いは現在のエスター大陸とロッカ大陸を分かつ事になった古代の超兵器使用による魔素の変質……魔物を産む事にもなったこの物質の相対濃度を下げる「切っ掛け」を作る事であった。

魔物の発生を抑える……魔導への活用条件を緩和させる……様々な目論見があって


「大気を星の規模で掻き混ぜて、爆心地で変質した魔素を薄めてしまえ」


という考えの下に「月撃ち」は実行された。結果として月の軌道が僅かにズレて、その影響で月の引力とラーの重力のバランスが変動し、惑星ラーは数ヵ月間あらゆる天変地異が起きて「掻き混ぜ」は完了した。


結局、裂け目に海水が流れ込んで三つの海峡から構成される「死の海」となった爆心地周辺を含めたこの星の魔素濃度は、月面に照射した分も含めてそれなりに減少したが魔物の発生数にはそれ程影響は与えられなかったようだ。


しかしこの時、月面に照射した魔素が謎の再変質を起こして惑星ラーに戻された時、それは「マナ」というショテルによって命名された新物質となって今まで魔素が「見えていなかった普通の人」の中に「マナが見える人」が誕生した。


 魔術の登場である。


以後、この「マナが見える人」がそれを制御した上で、それを投影・変質させるという手順を「触媒」と呼ばれる反応物質によって自動化させる方法がショテルによって発見された事で「超自然現象」を意図的に発生させる技術を使用できるようになった人々が増え始めた。


しかしその過程において、触媒と反応した後の造り出した超自然現象を作成者自身が指定した場所に「動かせる者」と「動かせない者」が居るという事実が判明した。


ショテルの研究によって更にその「動かせない者」の特徴を追及した結果、「動かせない者」は、自身の手が届く範囲にある別の物質上にその「超常現象を直接投影出来る事」を突き止め、その現象の効果が「投影した物質上に留まる」という特性を発見した。


 これが錬金術誕生の経緯だ。この特性を発見したショテル自身も、「なぜそうなるのか」という事までは解らなかったようだ。


以後漆黒の魔女は、これら「新しい技術と特性を持つ人々」を育てながら、反応物質である触媒の「反応条件の特定」に生涯を捧げる事になる。


触媒の反応条件の特定は魔術師や錬金術師の手に負えるものでは無く、先天的な才能で直感に基いて超常現象を投射してしまう魔導師にも難しい作業で、これは「賢者の知」を持つ血脈の発現者だけが実施できる作業であった。


 ショテルは最初に魔術と錬金術を「発明」し、その後の人生において千を超える触媒の特定を行い、それを書物に遺した。

その後8000年近くに渡って賢者の知を持つ発現者が現われなかったので、魔術と錬金術は遣い手自体は徐々に増えて行ったが、その「技術」そのものの発展は停滞した事になる。


ショテルが何故これ程までに魔法世界で崇拝されているのかと言うと、彼女の「月を撃つ」という行為を思い立ち、それを本当に実行した挙句に結果として「マナ」という物質を創り出した事。

そしてその新物質を運用して魔導以外に超常現象を起こす手段である魔術と錬金術を発明した事に加えて、後世の人々の為にその触媒を数多く特定してくれた事に対してその恩恵を享受している全ての者達が彼女に感謝と崇敬を捧げるのだ。


 第二期の終わりになってヴェサリオが出現した時、世界中から魔術師が結集したのは、ヴェサリオの出現によって「新たな触媒」が特定されて、魔術と錬金術の「新たなる発展」が起こるのでは無いかという魔法世界全体からの期待があったからだ。


しかし周知の通り、ヴェサリオは北サラドス大陸の統一と魔物掃討を行った後に姿を消して以降は魔法という力を行使する事は無かった。

彼によって創られた魔法ギルドは、その技術の発展を享受する事が出来なかったのだ。


****


 ルゥテウスの言葉は藍玉堂地下室に居た全ての者の耳に届き、人々はその言葉の意味を頭の中で咀嚼していた。


魔導師とは魔素が見える者。


魔素が見える者を魔導師と呼ぶ。


大導師リューンが33000年前に魔導を発明した時に唱えた定義である。以後33000年に渡って、この定義に疑義が挟まれることは無かった。

魔素が見える者は、それを操る事が出来たし、それを操れる者は魔導を使う事ができた。


魔導師となる「資質を持つ者」が、魔導を操れるようになる切っ掛けというのはこの「魔素」という物質が大気中に含まれている事を「認識」する、つまり気付く事から始まるのだ。


 ヴェムハ子爵家の長男アンディオは、8歳の時に自分の周りに「ゆらゆらと薄っすら見える緑色の何か」に気付き、その存在を周囲に聞いたが父を始めとして誰もそれが「見えない」と言った。


そのせいか彼は一時期「頭がアレな子供」として腫物のような扱いを受けたが、12歳の時にその噂を聞きつけた当時の魔法ギルド総帥であったヤン・デヴィッド魔導師によって、それが「魔素」である事を教えられ、魔素の使い方の手ほどきを受けた直後からその素養によって魔導を操れるようになった。


逆にラルは幼少期より見えていたはずの魔素の存在を特別な物として感じる事が出来ずに貧しい少年期を送り、その「緑色のゆらゆらしている物」の存在を知ったのは盗みを働いて追われている時に、追手に「見付かりたくない」という強い意志が、たまたま逃げ疲れて路地裏の暗闇で息を整えながら隠れている時に、子供の頃から目の前を漂っていた「緑のゆらゆら」へと伝わり、気が付くと自分の姿が他人から見えなくなっていたという体験によって自ら魔導に目覚めた。


 このラルの話で分かるのは、大導師リューンによる「魔導の発明」というのは、何も彼女の力によって魔導が「誕生」したのでは無く、彼女が世界に現われる前から存在する魔素という物質が起こす「超常現象」を彼女が初めて「発見」して理論化し、その使用を確信的に起こせる(すべ)を「発明」したと言う事に他ならない。


ラルが貧困な自身の境遇を脱する為に時折起こしていた「奇跡」を魔法ギルドに探知されて、結局は彼もヤン導師によって魔導師になる切っ掛けを与えられた。


アンディオもラルも「魔素が見えた」という体験は物心がついた頃から持っており、後はそれを自らが持つ「素養」によって操る事で魔導師となれたのである。


 それに比べるとノンの場合は随分と違う状況で、ルゥテウスから見ると「魔素を視覚で認識している」というのは本当のようだが、それを操る為の「素養」の部分が全く感じられないという前例の無い存在なのだ。


「ま……まっ、魔導師……ですか……」


ノンは自分がその存在に該当する条件を持っているという意味を理解できずに茫然としている。


「そんな……ノン様が魔導師……」


サナも上手く言葉が出て来ない。ノンという人物と付き合って来た長さで言えば、彼女はルゥテウスに次ぐ人物で、キャンプ時代も「店長と店番」という関係で関わって来た夫ソンマとは違い「同年代の親友にして薬学の師」として濃密な時を過ごしている。念話の稽古もずっと一緒に行って来た仲なのだ。


その彼女を以ってしてもノンに「魔導師としての素質がある」などと言う事は全く考慮の外であった。

そもそも偽装とは言え「姉弟」として十年の時を共にして来たルゥテウスが全く気付いていなかったのである。


「ノン……。その『緑色のゆらゆら』……魔素は子供の頃から見えていたのか?」


ルゥテウスが漸く平静に戻ってノンに尋ねた。


「ま……魔素……緑のですか……?」


「そうだ。お前はさっきの口ぶりだと『いつもより濃く見える』と言う事は裏返せば『濃くは無いがいつも見えていた』というわけだろう?」


「えぇ……はい。薬を作っていて集中している時とか……ルゥテウス様とご飯を食べている時や……夜眠る時など……」


「ん?俺と出会う前はどうだ?あの酒場の奥で暮らしていた時なんかは?」


「あぁ……どうでしょう。あの頃は……わかりません。見えていなかったかもしれません」


「何だと?つまり俺と出会ってから『緑のゆらゆらが見える』と認識したって事か?」


ルゥテウスの質問の内容がよく理解できず、ノンは眉間に皺を寄せて考え込む顔をした。


「ご質問の意味がよく……多分ですが、『それ』が見えるようになったのはずっと最近だと思います。

その……ルゥテウス様の背が伸び始めて、私を追い越されて……その……大人になり始めた頃から……」


ノンは顔を赤らめて俯いた。まだ少女だった頃によく見られた彼女の仕草だ。


「何だと……?随分最近の話じゃねぇか……」


ルゥテウスは困惑しながらも、双子の前に出現させていた高密度の魔素とマナを詰めた球形の空間を引っ込めて


「どうだ?今もまだ見えるか?緑色の「アレ」が」


「はい……見えるというか……その辺に薄く……」


「うーん……これは本格的に見えてるな……」


そう考え込むルゥテウスに先程のような驚愕したり感情的になっている様子は無い。

今はむしろ彼にすら知らない「未知の事象」について興味津々な表情で、この状況に対して「知恵と知識の神」が脳をフル回転していると言った印象だ。


 ソンマとサナはこの様子を見て発言を控えた。どうやら目の前で起きている事は自分達の想像を遥かに超えたものらしく、口を挟める状況では無い。

何しろ、ルゥテウスの口から「魔導師」という単語が出て来たのだ。自分達に見えない魔素や、別次元の存在である魔導師について自分の考えを口に出せるという立場では無いというのが本能的に理解出来たからである。


「よし、ノン。あの机の上にあるロウソクを見てみろ」


「はい……」


「あのロウソクに『火が点け』と考えながら、「緑のゆらゆら」……つまり魔素を動かすようにイメージしてみろ」


「え……?」


「うーん……そうだな。お前はいつもランプに灯を入れる時にどうやっている?」


「どうって……そこにあるようなボタンを……」


「ん……?あ、そうか……お前はもうずっとこの藍玉堂で暮らしているから……そんな面倒臭い事はしてないのか……」


ルゥテウスは笑い出してしまった。ノンがもう十年も住み暮らす藍玉堂には「ランプ」という前時代的な照明器具は無い。

地下の動力から供給されたエネルギーによって、ボタン一つで点灯する「謎の装置」と関係者が敢えて話題にするのを避ける器具によって建物内の照明が保たれているのだ。

なので……ノンにとっての照明とは、「ボタンを押すと点く」という代物なのである。


「クソっ……これは盲点だった」


ルゥテウスは珍しく照れ笑いしながら


「さっきのあれだ。酒場の奥のあの窓も無い部屋で暮らしていた時はどうしていた?」


「はい……えっと……部屋に帰って眠る時は、厨房の竈から『付け木』に火を貰ってそれを消さないようにそうっと部屋に持ち帰って……」


「そんな面倒臭い事をしてたのか。で、その付け木の火を部屋にあったあのちっこいランプに移していたと?」


「はい。そうですね」


ルゥテウスは昔、ノンが暮らしていた「土竜酒場」の奥にあったベッドがやっと収まるくらいの小さな部屋の様子を思い出して、おかしくなった。


「お前……よくあんな部屋で暮らしてたよな……鏡なんて破片を使ってたよな……」


どういうわけか、当時の事が思い出されておかしくもあり……


「そうだ……お前はあの頃からずっと俺と一緒に居たんだ。俺の姉として……誰よりもだ……。

俺には封印されていた頃のうっすらした霧の中で祖父と一緒に暮らしていた事も憶えているが……お前とはもう十年だ」


先程は未だ嘗て見せた事の無い程の怖い顔をしていたルゥテウスが、今は優しい顔でノンを見つめている。

ノンはそんなルゥテウスに見つめられながら、どういうわけか涙が溢れてきた。


「はい……もう十年ご一緒させて頂きました。家族を亡くして……一人になってあの小さな部屋で暮らしながら……そんな私を姉として扱って下さいました……」


ルゥテウスはそんなノンを優しく抱きしめた。


この光景を周りで見ていたソンマとサナは突然のこの光景に戸惑いながらも、十年見て来た二人を想って、何とも言えない不思議な感動が自分達の中に起きている事に気付き、目頭が熱くなった。


自分達は夫婦となり、今は祖先の故郷であったエスター大陸に移り住んで自らの研鑽を続けているが、ノンはそんな祖先の地に還る事無く一人残ってずっとルゥテウスに寄り添って世話を続けているのだ。


姉として、そして学問の弟子として……。


ルゥテウスに抱きしめられたノンは頭が真っ白になりそうだったが、辛うじて踏み留まり、大好きなその相手の背に手を回した。


「今……漸く判った。お前はもう……恐らくは俺の『半身』なんだ。

封印によって誕生直後から記憶と思考を奪われた俺が……その力を取り戻した直後からずっとそばに居る者として……俺の力が……お前に少しだけだが移っているんだ」


ルゥテウスは漸く抱擁から身を離して


「お前は今言ったように、俺の力をほんの僅かだがその身に纏っている。そんなお前に何が出来るのか……これから少しずつ考えて行こう」


相変わらず優しく話す主に対して、ノンはその言葉の意味の半分も理解出来なかったが


「はい……あなた様がそう望むのであれば……」


と涙で頬を濡らしながら答えていた。朝、モニがサクロからソンマ夫妻とアイサを連れて来て、これから双子の術について修養を始めると聞いた時、素養を持たない自分には得られる物が無いと判っていたのに、「何か」を感じて見学を申し出たのであった。


自分からそのような事を店主に頼むことはこれまで一度だけ……薬について学びたいと深夜に念話を送った時だけであった。しかし今朝は何故か「お願いしてみよう」と思ったのだ。

あの「人々を救いたい」と考えた夜のように運命的な何かを感じていたのかもしれない……。


「俺は今、お前に魔素が見えると言われてから、お前と共に居た月日を思って本質が理解出来た。

お前の力は恐らく俺の資質が移った物。俺が無意識にお前に与えていた物の蓄積と言える」


「そうなのですか……」


「恐らく、お前は今までの『素養の無い者という資質』が存在する為に、今までに無いタイプの魔法使用者になっている可能性がある」


ソンマが漸くここで言葉を発した。


「つまりノンさんは魔導師なのですか?」


このソンマが放った「核心的な質問」だったが、ルゥテウスは首を振って


「いや、魔導師では無いと思う。しかし魔素は扱える可能性が高い」


「ど、どういう事なのでしょうか?」


「ノンには投射力が無いんだ。そもそも魔導師には投射力という『概念』が存在しないのだが、決して「持っていない」というわけでは無い」


「魔導師も、制御した魔素を投影させるというやり方は魔術師や錬金術師と共通なんだ。ただお前達はその「制御」と「投影からの変換」を同時に行えないだろう?」


「行えない……というか、そんな事は想像も出来ませんね……」


「そうだ。それが普通だ。お前達はマナという物質の制御までは鍛錬によって行えているのだが、その制御という行為と並行して投影からの物質の具現化を同時には行う事が出来ない。いや、恐らくは『そんな過程が存在するのか』と言う事自体理解していない」


 ソンマとサナはルゥテウスに指摘され、一様に首を傾げたが確かに言われる通りである。

彼ら錬金術師……いやこれは魔術師も含めて……からしてみると、マナを制御しながら「やりたい事」のイメージを投影させる事で「精一杯」なのだ。

しかし、ショテルの作り出したこの魔術(錬金術)という技術は、そんな精一杯になっている術師の「その先」を「触媒によって投影反応を自動化」させたものなのである。


つまり制御に成功すれば、後はそれに反応する触媒によって「やりたい事」が具象化されるので、それを「飛ばすか」か「そこら辺の物に込めるか」の違いなのだ。


 一方、魔導師の場合は生まれ持ったセンスによって制御した魔素やマナを自力で変質させて、それを飛ばすわけだ。なので触媒を必要としない。

厄介なのは通常の魔導師は魔素の変質から投射までを無意識でやってしまう為に、「飛ばす」だけで「込める」という一種の「加減」が効かない。


魔導師が「付与を苦手」とするのはこれが原因である。そして彼らには「修養」で自身の投射力を調整するという事が逆に理解しにくい。

何しろ魔素やマナを制御した物を無意識で飛ば(投射)しているので、「飛ばさない」という発想が出来ない。


錬金術師とは逆に、「具現した現象」が無意識に飛んで行ってしまうからだ。


 つまり魔導師は「Aという場所に火の玉を飛ばす」という考え方の下で魔素やマナ(ショテル時代以降の魔導師は変質してしまった魔素よりも、制御しやすい新しく誕生したマナを無意識に使いたがる)の制御を始めて、それを既に制御の中で具象化から投射までを一気に行ってしまう。


なので、火の玉を飛ばそうとする彼らの胸元には投射前の火の玉が現われて留まるような事は無い。突然現れた火の玉がAに向かって飛んで行くだけだ。


それに対して魔術師は「火の玉を作ってAという場所に飛ばす」という考え方をする。マナを制御しつつ「火の玉を作る」というイメージでマナを「上手い事」成形する事に成功し、その瞬間の制御範囲の中に対応する触媒が存在していれば、勝手に変質反応が起きて、一旦投影地点で具象化が起きる。

その具象化を確認したら、それをAに向かって投射する。


この「マナ投影からの具象化」というシークエンスが存在する事が魔導と魔術の力の差だ。

この手順を経なければならず、そのせいで具象化した超自然現象のパワーがどうしても低くなってしまう。


 そしてノンである。

ノンの場合は、ルゥテウスが指摘した通り魔素の制御に成功してそれを直接具象化出来ても、それを飛ばす力が無い。何しろ元は「素養の無い者」であるからだ。


しかしルゥテウスは逆にその「素養が無かった」点に注目した。


「お前はつまり……結論から言うと俺の導符のように触媒を使わずに物質に付与が行える可能性がある。

いや……俺も自分以外にそんな奴が存在するとは思ってもみなかったが……」


ルゥテウスはノンを見ながら苦笑した。


「えっ!?触媒を必要としないって……た、確かに導師様は触媒をお使いになりませんが……」


「これが何を意味するかと言うと……錬金術でも不可能な付与が可能になる。何しろ『対応する触媒が無いから不可能』という悩みとは無縁だからな」


「あ、あの……昔聞かせて頂いた統領様の腕輪みたいな事ですか……?」


ノンが恐る恐る聞くと


「そうだな……よく憶えていたじゃないか。まぁ、シニョルの腕輪もそうだし……ほら。お前の髪飾りのリボンみたいにルビーとミスリルを混ぜたりな」


「ええっ!?や、やっぱり……」


忘れるわけが無い十年来の疑問に対する解答を放り込まれてノンは驚愕した。

この尋常では無い輝きを見せる謎の装飾部分の正体はノンにとって「主に聞けない」質問の上位を常に占めていた。


「ルビーにミスリルって……そんな事が可能なのですか?」


その方面に最早魔法ギルドの誰よりも精通していると思われるソンマですら思わず聞かずには居られない物体の正体である。


「貴金属と宝石の「強制融合」は錬金術では難しいな。「強制融合」を行う為の触媒が存在しない」


 嘗て、ルゥテウスがソンマやサナに見せた「不銹鋼(ステンレス)」作成の際に実演した「融合(フュージョン)」は錬金術として存在する。

そして「形質変化」の一分野としてその「錬金術によって物質を分子レベルで混ぜる」という発想も存在しているが、肝心の「強制融合(ブレス)』を具現化させるための触媒が発見されていないのである。


しかしソンマのような自然科学と錬金術を平行して研鑽する者からは


「物理的現象として存在するのであれば触媒も必ず存在する」


という考察がなされている。恐らくは「強制融合」を可能とする触媒はこの物質世界のどこかに存在するのだろう。


「よし。ノンは明日からこの双子と共に魔素の制御について勉強しろ。お前の場合は年齢も行ってしまっているから少し不利だが、夜は俺が直接教えてやる」


ルゥテウスが笑いながらノンに言い渡すと


「はい……よく解りませんが……私にも皆さんのような『素養』があるのですか?」


「いや、素養は無い。しかしお前には俺の力が宿っている。恐らくは普通の魔導師や錬金術師とは違った形で魔素を扱えるようになるはずだ」


「ノンさんの薬学知識に魔導師由来の付与術が組み合わさると……これはもう店主様以外に敵う者は居なくなりますね……」


ソンマが苦笑しながら言う。


「ど、どういう事ですか……?」


「もしノンさんがその力を製薬に向けるならば、一滴(ひとしずく)で疲れが吹き飛ぶ回復薬とか……いや、むしろ薬品以外に本領を発揮しそうですが……」


「まぁ、そうだな。薬屋以外にも応用は効くだろう。サナの燃料研究にも力を発揮出来そうだぞ。何しろ触媒という『縛り』が無いからな」


「はい。これまでの世の常識では錬金術とは常にその触媒による限界との戦いでしたが、その制限が存在しないのです」


「私が思うに……ノンさんが魔素の制御を究めれば……転送陣の設置も可能になるのではないでしょうか?」


「その可能性は高いな」


ルゥテウスとソンマが笑い出すと


「えっ!?私がですか!?」


「はい。理論的にはそうなります。転送陣と言うのは今では我々もお気軽にホイホイ使ってますが、このキャンプとトーンズ国の外では『実在したかも怪しい伝説の存在』です。何しろこの国の貴族筆頭である我らが公爵様ですら王都と領都を馬車で移動しているのですよ?」


ルゥテウスの影響で公爵に対する尊敬がまるで無いソンマは腹を抱えて笑い出した。


「我々錬金術師が転送陣を置けない最大の理由はその維持に対して膨大な量の触媒が必要となるからです。

事象の具現化までどれほど上手くやっても、基本的にマナしか取り扱えない私達にとっては瞬間移動や転送等の空間術を駆使するにはパワーが足りないのです」


「なので、仮に数十年の研鑽を経た大魔術師がマナの制御を究めた上で瞬間移動を使用して、それが成功しても恐らくは具現化のパワーが足りずに一度の使用で触媒……図鑑によると「イッカクトカゲの爪」でしたっけ……を消失させてしまうでしょうね。あんな貴重な触媒……使い捨てにしてまで常用できるものでは無いでしょう」


「転送も同様です。転送術も「長老コウモリの皮膜」というかなり貴重な触媒を必要としますので、陣を維持する為にそんなに貴重な触媒をジャブジャブ使うのは現実的ではありません。

魔法ギルドでは、灰色の塔の六層目にある『儀式の間』で五人くらいの上級魔術師が集まり、『儀式陣』を使用して行ってますね」


「その点、術を行使するのに触媒を必要としない導師様であれば効果の高い魔素を使って陣を構築する事で、事実上その効果は永続するはずです。

というか、店主様が我らの為にあちこち置いて下さっている転送陣がまさにそれですから……」


「そんなこと……」


店主と店長の話を聞いても尚不安な表情を浮かべるノンに


「とにかく、今日からお前も双子と一緒に学んでみろ。大丈夫。お前ならやれるさ。お前は聡い。俺は多分、そんなお前の才能を十年も前に気付いて……母のノートを託していたのだな……」


ルゥテウスはノンの向こう側に、「あの時」に見た亡き母の面影を思い浮かべていた。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド(マルクス・ヘンリッシュ)

主人公。15歳。黒き賢者の血脈を完全発現させた賢者。

戦時難民の国「トーンズ」の発展に力を尽くすことになる。

難民幹部からは《店主》と呼ばれ、シニョルには《青の子》とも呼ばれる。

王立士官学校入学に際し変名を使う。一年一組所属で入試順位首席。


ノン

25歳。キャンプに残った《藍玉堂》の女主人を務める。

主人公の偽装上の姉となる美貌の女性。

主人公から薬学を学び、現在では自分の弟子にその技術を教える。


ソンマ・リジ

35歳。サクロの《藍玉堂本店》の店長で上級錬金術師。

最近はもっぱら軽量元素について研究を重ねている。


サナ・リジ

25歳。ソンマの弟子で妻でもある。上級錬金術師。

錬金術の修養と絡めてエネルギー工学を研究している。

最近はノンに薬学を学んでいる。


チラ

9歳。《赤の民》の子でアトとは一卵性双生児で彼女が姉とされる。

不思議な力を感じた最長老の相談を受けてサクロに連れて来られる。

魔術の素養を見い出され、主人公の下で修行を始めることとなる。


アト

9歳。《赤の民》の子でチラとは一卵性双生児。彼は弟として育つ。

姉同様に術師の素養を持ち、主人公から錬金術の素養を見い出される。

キャンプに通って来るサナの下で修行を始める。


パテル、エヌ、モニ

キャンプ藍玉堂に住み込んでいるノンの弟子。

いつも騒がしい。

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