一年一組
やっと入学できました……。
【作中の表記につきまして】
物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。
・距離や長さの表現はメートル法
・重量はキログラム(メートル)法
また、時間の長さも現実世界のものとしております。
・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日
但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。
・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年
・4年に1回、閏年として12月31日を導入
作中世界で出回っている貨幣は三種類で
・主要通貨は銀貨
・補助貨幣として金貨と銅貨が存在
・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚
平均的な物価の指標としては
・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。
・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。
以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。
3048年9月10日。この年の王立士官学校及び王立官僚学校の入学式が挙行される日がやってきた。
王都レイドスの王城区画を囲む環状一号道路は王城を挟んで南北で大きな賑わいを見せていた。
この日に限っては王城広場に屋台を出店することが特別に許可される為、入学式に臨む本人や家族……には当て込めないだろうが、それを見に来る大勢の見物客を相手に様々な「安っぽい食い物」の屋台が並ぶ。
また、王都市内各地の飲食店の店頭にも同様にワゴンなどの出店を置く店も現われる。両校の開校以来3000年。毎年のこの日に王都が独特の雰囲気で盛り上がるのは秋口の風物詩となっている。
そしてこの年の士官学校入学式ではちょっとした騒ぎがあった。何と入学式において「一方の主役」とも言える首席合格者が欠席したのだ。
(彼……本当に欠席しちゃったわ……)
新入生が座っている列の最前列の左側……「首席入学生」の席がポッカリ空いており、これは教職員も含めた多くの参列者にとって全く記憶に無い事態であった。
そして……その光景を眺めながらイント・ティアロンは内心で戦慄していた。
入学式には在校生の出席義務は無いが、「自治会役員」は全員出席が義務付けられている。
この式の後にクラス割が発表され、新入生が各教室に移動した後に自治会役員は分担して各クラスで自治会の活動や協力について説明をする必要があるのだ。
自治会の一番の存在理由は「生徒間の自律」を維持することにある。
この校内においては、意外と多くの……そして些細な理由で生徒同士の対立や衝突が起きる。
例えばそれが成績によるものだったり、生徒間の出自であったり。
特に後者はかなり重要で、貴族階級出身者が「世間知らず」にも傲慢な行動や発言で平民階級出身者の逆鱗に触れる事が多々ある。
厳しい受験戦争に勝ち抜いて来たとは言え、彼らの大半はまだ「大人になったばかりの」半分子供なのである。
恐ろしい事に彼ら貴族は些細な事が原因で彼らが憧れて已まない「古風な騎士道」に則った「決闘」を始めてしまい、過去には死傷者すら出した。
そのような生徒間の紛争を未然に防ぐのが「自治会」という組織だ。彼らは常に校則に基いて校内の規律を維持し、紛争の兆しが見られればその予防に努める。
平素より平民の神経を逆撫でするような言動や行動をとる者へ個別に警告を与えたり、派閥による対立が生じた際には双方に割って入って派閥の解散を要請したりする。
当然ながらそのような使命を担っている彼らは校内でもトップクラスの席次保有者で、その活動自体に「内申点」が加えられる。
卒業後の任官先を考課される際に「自治会役員として活動していた」という点は相当大きな加点となる。
それはまさに同じ「短刀組」においても自治会役員経験者であれば着任後の「先任少尉」としての扱いにも差が生じる程だ。
結局、伝統ある入学式のクライマックスである「新入生代表挨拶」には従前から自治会長に指名を受けていた入試順位二位のジョアン・マルコスという者がその任に当たる事となった。
ジョアンは入試結果の合否発表の掲示板で自分の成績が「二位」であった事に一旦は落胆したが、その後に本契約を終えた下宿先まで自治会長と数人の役員がやって来て
「入学式で挨拶をやって貰うわ。内容は2000字程度で。そうね……10分くらいを目安にお願いするわ」
と一方的に言い渡された。
「えっ……でも俺は順位が二番目でしたよ……?」
と戸惑うジョアンに対して自治会長のフォウラ・ネルは
「いいのよ。首席の奴がね。思った以上に変人で挨拶を拒絶したのよ」
「ええっ!?何故です!?」
「知らないわ。多分捻くれ者なんでしょう。あんな奴に無理矢理にでも挨拶をさせたら却って神聖なる入学式に汚点を残すわ」
自治会長は肉食獣のような口の形をさせて無理矢理にでも笑おうとしているように見える。
「いいでしょ。とにかく……入学式の新入生挨拶は全新入生の憧れよ。しっかりやって頂戴」
「はっ、はい!未熟ではありますが務めさせて頂きますっ!」
大陸中東部のそれほど大きくない街出身のジョアンは緊張した面持ちでこの「名誉ある」役目を引き受けた。
そして彼は例年では「首席入学者挨拶」と呼ばれて来た式のメインイベントをその「主役」に代わって、自分で考えてきた原稿を何度か引っ掛かりつつも震える声で読み切った。
(でも……この後はどうなるのかしら……)
ジョアンの「新入生挨拶」が終わって殊更大きな拍手を浴びせている自治会長の斜め後ろの席でイントは不安によって眩暈を感じていた。
****
「店主様。本日は例の士官学校の入学式ではないのですか?」
キャンプにある藍玉堂の二階でドロスがルゥテウスに尋ねた。
「そのようだな」
当のルゥテウスはどうやらあまり関心が無いようだ。
「えっ?店主様は入学されたのですよね?」
「そうだな。試験には合格したし入学書類も昨日の内に学校長に直接渡してきたな」
ルゥテウスは笑いながら答える。
「えっ?学校長というのは学校の責任者ですよね?」
「そうなるな」
「そのような者に書類を?店主様のお知り合いなのですか?」
「いや、昨日初めて会った」
「な……何故にそのような者に……?」
「ふむ。今日の入学式を欠席する旨を直接学校長に捻じ込んで来た。奴が『了承』しているならば後日咎めを受ける事はあるまい」
「よ、よくそのような要請が聞き入れられましたね……」
「普通に言って聞き入れられるわけ無いだろ」
ルゥテウスはニヤニヤしながら言った。
「で、では……いつものように……」
「おいおい。『いつものように』とは何だ。俺が何時も面倒な時に『暗示』を使っているように聞こえるじゃねぇか」
ルゥテウスが苦笑しながら抗議すると、横で彼の為に蒸かした栗の皮を剥いていたノンが吹き出していた。
ルゥテウスはその栗をノンから受け取って口の中に放り込みながら
「別に今日は授業なんか無いから行かなくても大丈夫さ。せいぜいクラス割と席決めがあって担任が挨拶するくらいだろ」
「なるほど。そういうものなのですね……」
学校になど行った事の無いドロスはあっさりと納得してしまった。
「それに俺はあの入学式の日の王都の賑わいが好きじゃ無いんだよ」
「私は今朝の王都の様子を見て来ましたが……国王生誕日や建国記念日と同じくらい賑やかでしたな。広場に屋台も出ておりました」
「まぁ……お祭りみたいですね……」
とノンが羨ましそうに口を挟んできた。
「なんだ。ノンはお祭りに行きたいのか?」
ルゥテウスがニヤニヤしながら尋ねると
「い、いえ……」
と顔を赤くして俯くので
「だったらサナや下に居る三人を誘って行ってくればいいじゃないか。どうせ転送陣で一瞬なんだし。服ならほら。いくらでも用意してやるぞ」
今やこの北サラドス大陸に残っている「幹部」はルゥテウス、ノンとこのドロスだけである。
シニョルもこの藍玉堂から直線距離で二キロ程離れた公爵屋敷の奥館に居るが、彼女はトーンズ国大統領として週に何度か「あちら」に行っているのでその人数には含まれない。
三人は時折こうして藍玉堂の二階に午後のひと時集まって、未だキャンプに残っている菓子工場から届けられる菓子を摘みながら《青の子》の報告を受けたり、指示を出したりすることが多い。
しかし今後はこの時間帯にルゥテウスの学生生活が入るので、集まる時間帯は集会所で夕食を貰いながらになるだろう。ノンにとってはルゥテウスの側に居る時間が少なくなってしまうが、三年間の我慢である。
「いえ……私もあまり人混みは好きではありませんので……」
ノンはルゥテウスの勧めをやんわりと辞退した。
「まぁ……あんな騒ぎに自ら乗り込んで行く事も無いわな。関係者以外は別に構内に入れるわけでも無いし」
「では、私は任務に戻らせて頂きます。本日はアッタスの街の中を回ってきます」
ドロスが椅子から立ち上がると
「そうか。いよいよイノルタスに拠点を設けるのか?」
「はい。既に二年かけて、かの「帝都」には人員を潜伏させております。既に帝都中心部にめぼしい物件も見付けておりますので近日中に物件の確保を行いたいと思っております」
「そうか。ではその時は連絡をくれ。お前を帝都に運ぶついでに、その物件所在地をマークする」
「いつもながらお手数をおかけします」
「なんのなんの。気にするなよ」
「では失礼致します」
そう挨拶をするとドロスは階段で下に降りて行った。
「やはりニケという国は危ない所なのでしょうか」
ノンが不安そうに話す。
「うーん……。どうなんだろうな。北方の民というのは確かに昔から気が荒い印象はあるな。何というか文明的な意思疎通が難しいと言うか……」
ルゥテウスも思案顔である。
「これは俺の記憶からの推測なんだけどな。その昔……この王国が建国される過程で南にあったレイドスから北に向かって統一事業は開始されたわけだが」
「はい」
「その統一事業とは、あくまでもレインズ族が南から魔物を駆逐しながら、更に他の部族の拠点を攻略して従属させて行くという行為の繰り返しだった」
「なるほど……」
「その過程で他部族を従えて版図はどんどん大きくなって行ったが……同時に魔物をどんどん北に追いやるような状況になって行ったわけだ」
「そ、そうなりますね……」
ノンは頭の中で彼女の想像力を限界まで動員して当時の状況を考えているようだ。
「で、でも……そうなると……北に追いやられた魔物が……その先に住んでる人間を襲ったりしませんか……?魔物達も追い立てられてかなり怒っていそうですし……」
「お前の言う通りだ。よくそこに気付いたな」
ルゥテウスが笑うと、ノンは珍しく苦笑いを浮かべている。
「お前の言う通り、北に追っ払われた魔物は凶暴化して北の人間部族を襲い始めたんだ。しかも追っ払った側のレインズ族はドレフェス周辺を征圧した後に、その地で建国宣言なんかしてたから一時的に征圧速度が停滞したしな」
「そんな……北の人達はどうなったのです?」
「北部の手前側……このオーデル周辺の地域の部族は、逆にドレフェスで建国宣言をしたレインズ族……いや、もう建国後だから王国だな。
その王国の武威を頼って次々と恭順してきた。つまりこの地方の部族は平和裏に王国の支配傘下に入ったんだ」
「なるほど……そうだったのですね」
「しかし悲惨だったのはここから更に北の地方。まさに現代で言うところの大北東地方……ニケのある辺りだな。このオーデル地方を地元部族の恭順によって難なく制した王国は、この地を起点として一旦西に転進して北西方面を征服しに行ったわけだ」
「たしか……トリグの街でしたっけ?」
「そうだな。公爵領最北の都市と言われるトリグ……あの辺りを先に潰しに行ったわけだ」
トリグという街は公爵領内第八位の都市で人口19000人……トーンズ建国前のキャンプよりも小さな街であったが、この星の北極部分を占める「アゾス海」に面した世界最北の街とされる。
トリグの沖は西のバルク海から流れ込んでくる暖流の影響で魚類の棲息が豊富であり、また東側の水温が低い海域には低温を嫌う水棲の魔物は棲息していない。
よって漁業の一大拠点として陸上の寒さは厳しいが多くの人が暮らしている。オーデル辺りで食べられている海産物の干物はこのトリグを産地とした物が多い。
「ヴェサリオに率いられた建国間も無い王国軍は消耗を避ける為に、敢えて魔物の棲息密度の増した北東地域を残して先に北西部に回り込んだとも言える」
「まぁ……それではニケの人達は……」
「いや……当時はニケじゃないけどな」
ルゥテウスは苦笑しながら
「北西部を制した王国軍は最後にして漸く北東部を西側と南側から包囲挟撃する形で掃討して行った。
魔物の抵抗も激しかったからな。どうしてもヴェサリオを始めとする王国軍側の攻勢も苛烈になった。現地の部族民にもかなり犠牲者が出たようだな。
しかし、それによって魔物は全てアデン海に突き落とすか、その北にあったリルセット島に放逐できた」
「リルセット島?」
「嘗て北サラドス大陸の北東にあった島だ。大きさは……そうだな……このキャンプのあるエルダの荘園を三つくらい併せた大きさかな」
「け、結構広いですね……」
「まぁ、今でもエスター大陸のずっと北側にあるジッパ島よりは小さかったけどな。当時は人が住んでいなかった事はヴェサリオの調べで判っていた」
「そしてヴェサリオは最後にそこに魔物を集めて《天の拳》で一気に島ごと消し飛ばしたわけだ」
「て……天の……?消し飛ばした……って……」
ルゥテウスの話を聞いていたノンの顔色が変わり、驚きで言葉も上手く出てこない。
「この星の周りにはな、その昔……超古代文明の時代に極めて多数の『機械の星』を打ち上げていたんだ」
「えっ?」
ルゥテウスの回想はソンマが聞いたら大喜びしそうな話である。
「前文明時代の人々はな、自分達で『星』を作った上でそれをこの星の周りにバラ撒いたのさ」
「な、何の為にですか……?」
「色々ある。一番よく知られていたのはこの星全体の様子を観察することで例えば来旬の天気を予想したりな」
「えっ!?お天気をですか!?」
ノンは驚きの声を上げた。
「そうだ。この星全体の雲の流れや『空気の厚さ』なんかを観測して、そこから未来の天候を予測できたんだ。当たる確率は……まぁ七割くらいだったな」
「そんな……凄い……」
「明日の天気くらいなら九割くらいの確率で当ててたぞ。しかも一時間毎の天気とかな」
「そ……そうなのですか」
「それと他には通信だ。今、俺やお前達が使えている念話を、魔装具や魔法無しで世界中で交信が出来たんだ」
「魔法を使わずにですか?」
「そうだ。前文明時代では……十歳の子供でも小さな交信機を持ち歩いて、いつでも好きな時に家族や友達と離れた場所から交信出来ていたんだ」
「そんな……」
「とにかく、そう言った用途で多数の人工的な星を打ち上げていたんだがな。その後起きた『大戦争』で全てが使い物にならなくなって、ただのゴミとしてこの星の周囲を漂っているんだ。
あれからもう一万年経つ。全ての燃料を喪って光すら発して居ない。それでも元在ったうちの大半はこの星の重力に引かれて大気圏で燃え尽きたが、まだまだかなりの数の『星』がこの空の彼方を漂っている」
「そうなのですね……」
「ヴェサリオは、その中の一つを故意にリルセット島に落としたんだ」
「そ、そんな事が……?」
「ヴェサリオによって加速された『星』の落下による衝突エネルギーによってリルセット島は残った魔物と共に消え去った。その光景を見た人々には『天からまるで拳が落ちて来て島を叩き壊した』ように見えたそうだ。だから『天の拳』と言われている。
魔法ギルドの連中も……この世界の片隅に暮らす他の魔導師すら真似の出来ない史上最強の攻撃魔法だ」
言葉を失って唖然としているノンに、ルゥテウスは
「まだまだ『星』は1000個以上は存在している」
とニヤニヤしながら話すと
「る……ルゥテウス様もその『星』を落とすことが出来るのですか……?」
と、漸く言葉を取り戻したノンが恐る恐るといった感じで聞くと
「どうかな。まぁ、やれるとしてもその後が面倒だからな」
この「ものぐさ店主」らしい言い方にノンはホッとしながら
「もう……危ないことはやめて下さいね……」
とルゥテウスの腕にしがみついてきた。
「ははは……わかったわかった。まぁ、そういう経緯もあって最後まで魔物に苦しめられた北東地域の住民は『王国のやり方』にその後も恨みを残していると言われていたな。俺の記憶していた頃は」
ノンはルゥテウスから身を離して
「そういう事があったのですか……だから北の人達はこの国に逆らい続けたんですね」
「まぁ、それも理由の一つだな。他には大き過ぎる『地域格差』というものがある」
「それはどういう事です?」
「前にも話した事があるかもしれんが、北東部と他の地域では食糧生産量が違い過ぎるのだ。
北東部は気候的にも寒冷さが厳しいのと、アデン海側は水棲の魔物も居て海産物資源も利用しにくい。作物の生育も悪いしな」
「なるほど……」
「だから、建国後も人口がなかなか増えなかった地域なんだ。王国は建国以来ずっとあの地域に投資をしながら他の地域からの植民を進めていたのだがな……しょっちゅう起きる先住民の反乱の為にその都度植民投資計画が頓挫してしまう」
「先住民の人達は何が不満なのでしょうか」
「全てだろう。食い物も乏しいし、王国からの援助が無いと生きていけない。そして建国時には大陸統一の『踏み台』のような扱いを受けたしな」
「そんな……」
「恐らくだが……『王国に救われた』という意識は殆ど持っていないと思うぞ。まぁ、そこが蛮族と言われてしまう所以なのだが」
ルゥテウスは苦笑した。
「王国が彼の地を切り離したがっていた気持ちも解る。何しろ国土の一部として少しでも住民の生活を向上させようと手を尽くしてやったのに、それを反乱によって無下にされるわけだからな。
それでも王国とは陸地で接している。放置しておくと周辺地域へ略奪に行きかねん……現に『反乱』と言われるものの中にはその周辺地域への略奪行為がかなり含まれているからな」
「結局、王国は450年前か……あの土地を見捨てたわけだ。見方によっては、よくもまぁ2500年も面倒見てきたもんだと思う奴も大勢居ただろう。当時はな」
「俺も後で文献を読んで知ったのだが、その時に大北東地方を放棄する決断をしたのが107代の国王、今も士官学校のある王城裏門と王都北門を結ぶ通りの名前にもなっているケイノクス王で、その結果として北方に使っていた膨大な金とインフラを国内に還元したおかげで王国が一気に近代化したとされているから、『王国中興の祖』とか言われているらしい」
「そうなのですね。通りの名前になっているなんて……凄い人だったのですね」
「俺としてはどっちとも言えんな。確かに北東地方を切り離したことで、他の地域の国民の生活が豊かになった事は認めるが……領土を放棄したのは、やはり愚かだったと言わざるを得ない。
俺だったら、お前らのキャンプのように先端技術を使う事で彼の地をもっと豊かに出来ただろうと思う」
「それはルゥテウス様だからですよ……」
ノンはこの青年によって同胞が救われた事をしみじみ思い出して言った。
この青年はキャンプに現われてたったの二年弱でこの場所を王国でも屈指の先進地域に変えた。
そしてそのまま戦乱が続くエスター大陸にトーンズ国という先進国家を築いたのだ。
「俺の先祖には時折優秀な奴も居たのだがな。この国……もっと言うと更に古い偉大な祖先のやり方を『祖法』として踏襲する事に拘ってしまった結果として北東地方を救えなかったのだろう」
「ケイノクス王だって、本当ならばこの国特有の『祖法絶対主義』によってそれまで通り北へジャブジャブと資本をばら撒き続けるはずだったのが、それを断ち切って領土放棄を決断したんだから、まぁ……ある意味で『英断』だったとは思うよ」
「しかしそれでも駄目なのは、その時の記録をしっかりと残して領土放棄の経緯や結果としての王国の再躍進をしっかりと現代に伝えないと。この国の奴らはその偉業すら忘れてしまってやがる。
お前達難民出身者が、その事について無知だったのは仕方無いとして、王国民にはしっかりと初等教育の段階でそれを理解させないと。
驚く事に公爵屋敷の書庫にも、それについての記録が殆ど残って無かった」
ルゥテウスは士官学校の入学考査で受けた筆記試験の内容と、それに対する他の受験者のレベルを通して、この国の初中等教育の質の低下に呆れていた。
それでもこの国の教育は世界最高水準だと目されている事が不思議でならない。
合格発表時の案内係の女子在校生によると、首席である自分の入試成績はダントツだったと言う。
解答が不変であるはずの数理科と明文化された諸法科についてはともかく、ルゥテウスが生い立ちの問題でハンデを抱えていた歴史科と一般教養においても他の受験者の平均正答率が振るわなかったのだろう。
タレンと面接した際に彼からの話を耳にしたが、それによると例年の入試筆記試験においては歴史と一般教養の平均正答率は合格設定水準である八割ギリギリなのだそうだ。
合否を分けるのは二日目の二科目の結果によるものだそうで、だから正答率の低い二科目を初日と最終日に置いて、重要科目を二日目に固めていると言う。
今年の二日目の二科目における入試問題平均正答率が例年よりも相当に下がっていた為に、他の二科目も含めてルゥテウスの入試結果がダントツになったのだろう。
ルゥテウスは入学前から、この「名門」と言われ続ける王立高等教育機関のレベルの低さを思いやって苦笑するのであった。
****
ルゥテウスが夕方に冒険者ギルドの私書箱を確認しに行くと、士官学校の制服や教材が届いていた。ギルドの受付係員の話では9月5日に届いていたと言う。
受付職員に礼を言って制服を引き取ったルゥテウスは、キャンプに戻って藍玉堂の二階のテーブルに引き取って来た制服を広げて、ノンが見ている前でさっさと制服のサイズを右手の一振りで直してしまった。
試しに着てみたが、まるでオーダーで誂えたかのようにピッタリである。
支給された士官学校の制服は二通りあり、普段の校内で着る濃い緑色の上衣と二本のズボン。そして冬季の屋外で着用する茶色のコートという組み合わせと、礼装とされる紺色の上下に同じく紺色のコートで、礼服は全校生徒共通だが一般制服についてはコート以外の物は一回生専用だ。
一回生においては学年全体で同じ一般教養の授業を受ける。なので学年共通なのだが、二回生になると選択によって「陸軍科」と「海軍科」に分れる。陸軍科の制服は黒の上下となり、海軍科は白の上下となる。上衣は全て詰襟で男子はズボン、女子は膝下の長さがあるスカートとなる。
シャツは全ての制服において共通の白いもので、年間で長袖の物を三枚、夏季に着用が許される「夏服」用の半袖開襟の物が三枚支給される。
尚、夏服においては上半身がシャツとなるので、半袖シャツは生地の若干厚い丈夫な物になっている。他に制服の色と同色の制帽も支給される。
学生達はこの制服に、必要に応じて様々な徽章を付ける。級章の他に短刀の形をした徽章は自治会役員の証で、自治会長以外は銀、会長は金の徽章となる。
他にも各委員の物や当番の物など。徽章の着用については校則で厳格に定められている。
また、二ヵ月毎に実施される席次考査によって、一回生は上位十名、二回生は軍科毎に上位五名、三回生は上位三名が席次上位の証である星が付いた徽章を着用することが許される。
あくまでも「許される」だけであるので、着用義務は無いのだが大半の席次上位生は自らの実力を誇示するかのように着用している。
「随分といっぱいあるんですね」
机の上に広げられた制服を見てノンが感想を述べた。
「そうだな。バカバカしい事だが、学生は通学時もこの制服を着用することになるから王都の街中でもこの恰好で歩く事になる」
そう言って、ルゥテウスが右手を払うと机の上から制服が消えた。
「俺は必要な時にしか着るつもりは無いが、どうやら他の奴らはこの制服を着ることに誇りを感じているらしくてな。王都を歩いていると通学時間でもないのにちょくちょくこの恰好をした奴らを見かけるはずだ」
「え。学校が終わっても着ているのですか?」
ノンが驚いたように尋ねると
「どうやらそうらしいな。『自分達は士官学校生だ』という事を市民に知らしめたいのだろうか」
ルゥテウスは苦笑する。
「入学式の日がお祭りになるくらいだからな。士官学校生や官僚学校生というのは平民や、場合によっては貴族の子弟にとって憧れの存在らしい。
俺からすれば『私はまだ未熟者です』と言いながら歩いているようにしか見えないんだがな」
ノンは吹き出して
「た、確かにそう言われればそう見えますよね」
と面白くて仕方が無いとでも言うかのように笑いながら言った。
「ルゥテウス様にはあまり相応しく無い気がします」
「だから俺は必要な時にだけ着るようにするんだ」
事実、この後……キャンプで暮らすノンにはルゥテウスの制服姿を見る機会はついぞ訪れる事が無かった。
****
9月11日。いよいよ「噂の入学試験首席合格者」が士官学校に登校してきた。
ルゥテウスは首席なのでクラスが一年一組になる事は既に伝えられていた。
クラス編成は可能な限り各クラスの学力水準が均一になるように入試成績の1位から順に一組、二組……と振り分けられる。
つまり一組には100人の合格者……厳密には入学辞退者も居るので入学手続完了者の成績順に1位、6位、11位、16位……が振り分けられて行く。
こうなると前述した「席次上位徽章」を着用できるのは各クラス二人だけになる。しかし年間を通して席次は変動して行くので、そのうちクラス毎に徽章着用者の数が増えたり減ったりして行くのもクラス同士の競争心を煽る一因になる。
そして、年度始めにそのクラスで最も席次が上位の者が「級長」に就任するのが慣例である。
制服を着たルゥテウスが校門をくぐると、「いつもの場所」には来旬一杯……つまり10月17日まで自治会が「新入生案内受付」という机を出しており、自治会の生徒が二人座っていた。
士官学校の登校時間は通常だと8時から8時30分だが、8時よりも前に校門をくぐっても特に門を守る警衛当番に咎められる事は無い。
ルゥテウスが校門をくぐったのは丁度計ったように8時ぴったりであった。
既に案内所が設置されており、自治会の生徒も座っていたので彼は確認の為に尋ねてみることにした。
「マルクス・ヘンリッシュだが、俺のクラスは一組で間違い無いか聞いてもいいかね」
「ちょっと待ってくれな」
ルゥテウスに尋ねられた男子生徒は入学者名簿を取り出して彼のクラスを照会しようとしたが、やがてその手を止めて
「あっ!ヘンリッシュ!首席合格のっ!」
と顔を上げていきなり声を上げた。
彼の上げた声を聞いた周りの登校生徒までもがルゥテウスに視線を送る。
「おい……あれが噂の……」
「昨日の入学式をすっぽかしたんだろ……?」
「でかいな……でも細いけど……」
たちまち案内受付の周囲にちょっとした人だかりの輪が出来た。
声を上げた主の隣に座っていた別の自治会生徒であった女性はルゥテウスの長身を見上げて呆けている。
「済まんが、俺の問い合わせに応えられるのであれば早目に願えるかな」
ルゥテウスにしては丁寧な言葉で案内係の男子生徒に対応を促すと、その言葉を聞いて弾けるように男子生徒は入学者名簿を開く。
首席合格者のマルクス・ヘンリッシュは名簿の筆頭にその名が記されていた。
「へ、ヘンリッシュ君のクラスは……一組……一組で間違い無いです。きゅ、級章はた、多分……た、た、担任の教官から貰えると……お、思います……です」
どういうわけか、男子生徒は舌を縺れさせながら少し上ずった声でルゥテウスに応えた。
「そうか。ありがとう。助かった」
ルゥテウスは少し微笑を浮かべながら案内係に礼を述べると、それこそ「フッ」というような残像でも残したかのような足取りで案内受付から離れ、あっと言う間に見物人の輪の外側に出て一回生の教室がある本校舎の玄関に向かって歩いていた。
その足取りも恐ろしく速く、歩く動作は非常にゆったりと見えるのに、人々が気付くと既に彼の姿は本校舎の中に消えていた。
残された見物人の輪に居た生徒達は、何時の間にか見物対象が消えていた事に気付いて
「え……何……?」
「ウソでしょ……」
「今どうなった?」
等と口々に自分達の目の前で起こった出来事についてお互いに尋ね合っていた。
案内係の男子生徒も、隣の席の女子生徒に向き直って
「な……何だ……あれ……。今、俺はちゃんと案内してたよね……?ね?ね!?」
とおかしな質問をしたが、当の女子生徒は
「ちょ……何あれ……カッコ良過ぎでしょ……」
と呟きながら呆けたままであった。
「あ……あれが今年の首席合格者……ヘンリッシュか……あれが……」
と、男子生徒も今一度本校舎の方へ向き直って呟いた。
ルゥテウスは本校舎に入り、一階の一番西側にある部屋……一組の教室を目指した。
彼は新入生ではあるが、この学校の校舎の配置、そして教室の配置も何となく把握している。
この構内にある建物は、長い歴史の間に何度か建て直されているようだが、彼の見たところ、建物の建築様式の進化によって形状がいくらか記憶とは異なっているが、その校舎の配置や演習場、寮舎や図書館の位置までもが全く同じであったので、一年一組の教室も本校舎内の記憶にある場所にあるだろうと見当を付けたのである。
実際、一組の教室は彼の予想通り、本校舎一階の一番西側に配置されていた。
本校舎は構内の配置から「南校舎」と通称で呼ばれている、この学校の主核建築物だ。
建物の規模も他の校舎より大きく、地上四階建てで、幅が200メートル強ある。
ルゥテウスの記憶では創立当時は二階建てであった。その後どんどん規模が大きくなって現代よりも一つ前の代の建物を改築する時に四階建てとなった。
一般的に、王都市中から臨む「士官学校校舎」とは、この校門の正面に建つ本校舎の事を指し、四階建ての高層建築は周囲の軍関係の施設の中でも最大である。
正門前を通る環状一号道路を挟んだ向かい側にある王城と、その両側に建つ大聖堂の大鐘楼部分や反対側にある灰色の塔よりは低いが、王都北門……ユミナ門側から南方向を眺めると、王城の手前にこの士官学校本校舎が見える程だ。
一階には西端である一年一組の教室から二組、三組……と五組までの教室が並び、五組の東側には正面玄関と昇降階段、総合受付が設けられている。
そして受付の隣に軍医が当番制で常駐する救護室があり、その隣が警衛本部で、ここにも当番制で現役の憲兵士官が常駐している。
警衛本部は、内部に留置施設を持つのでやや広く、その隣で校舎東端となるのが校内最大席数がある第一食堂だ。
二階は主に学校運営を司るフロアで、昇降階段の西側部分は当直の教職員の宿直室や夜間訓練や演習等に参加する教官の仮眠所になっている。
昇降階段の東側には入学考査の面接試験にも使われた面談室が十室あり、二階部分の東端、つまり大食堂の真上は総合職員室となっている。この二階部分だけがフロア南側にある一般廊下とは別に教職員専用の北側廊下が設けられているという話は以前に述べた。
北側廊下部分は第一面談室までとなっている。西側の教職員用宿舎部分には存在しないという事だ。
三階は各委員の部屋があり、自治会本部もこの本校舎三階の昇降階段西隣に居を構える。
この三階部分はルゥテウスの記憶だと王国歴707年に実施された最初の改築で増設されたフロアで、それまでの委員会室は現在の寮棟がある東校舎と北校舎の接続部分……渡り廊下の二階に設置されていた。
そして最上階となる四階だが、このフロアは下層よりも両端が短い。
下層に比べて東西両端が各30メートルずつ短かく造られている。
そしてその役割は……フロア全体が中庭方向に向かって展望できるようになっている。
つまり、四階は広大な中庭で行われる様々な行事……年に一度の観覧式や運動大会等で学生の家族や来賓が使用する為のフロアで、王国歴2200年代初頭の王城改築の際に北側に面する士官学校本校舎の改築も同時に行われる事が決定し(この士官学校校舎も有事には王城防御施設の一部となる)、時の86代アガタイト王の提案で「特別観覧室」として増設することになったものである。
現在の構内の建物群は王国歴2900年代初頭から順次改築されたもので、本校舎は今年で築80年程度と比較的新しい。しかし士官学校の象徴となる大講堂は王国歴1933年に建て替えられて以来そのままの姿を遺している。
ルゥテウスは一階の廊下を歩いている間も、廊下に居た他の一回生から注目を浴び続け、内心で舌打ちをしながらも表情を変える事無く一年一組の教室前に辿り着いた。
教室の引き戸を開けると、室内には既に三人程席に着いており、まだ入学して二日目だからか、同級生同士で会話を交わす事もなく自分の席に座ってボンヤリと教卓とその背後にある黒板の辺りを見つめていた。
ルゥテウスが戸を開けて中に入ると、三人は一斉に彼に視線を移し、そして一斉に驚愕の表情を浮かべていた。
ルゥテウスが室内を視線で一撫ですると前方の黒板の隅に、席順のような升目が書かれた紙が貼られていたので、その前に移動して内容を確認する。
何を基準に決められたのかは不明だが、一学級20人……は縦五列、横四列に机が並べられ、席順表の内容によるとマルクス・ヘンリッシュの席は丁度真ん中の列の一番後ろになっていた。つまり教卓正面の列の一番後方だ。
(何を以って俺はこの席になっているのだろうか)
席次順としても名前順としても不自然な気がする。
自分ものと思わしき席に着席して、この席になった理由を考え始めたところ、その彼の思考に応えるかのように、同じ列の前から二番目……つまりルゥテウスの席の一つ挟んだ前の席に座っていた男子生徒が振り向いて彼に告げてきた。
「その……昨日の入学式の後にあの……クラスで自己紹介をした後に早速席替えをしたんです……。担任の……ヨーグ先生の提案で……。
で……本当は席次の高い人から席を選べたんだけど……ヘンリッシュ君は欠席してたから……先生が、その席が良かろうと決めてしまいまして……」
「そうか。そういうことだったのか。ありがとう」
その男子のおかげで自分の席について得心したルゥテウスは礼を述べた。
「いっ、いや……そんな……礼を言われるなんて……」
何故かその男子生徒はアタフタしながら黒板の方向に向き直った。
他の二人……窓際の前から二番目の席に座っている女子生徒や廊下側の席の三番目に座っている女子生徒も何故かルゥテウスの方をチラチラと窺うように見ている。
(何なのだ。この連中は……)
ルゥテウスがそのまま「いつものように」姿勢を正して目を瞑って瞑想に入ろうとすると、時間が時間だけに引き戸が開いて教室内にはゾロゾロと一組の生徒らしき者達が入って来た。
皆一様に教室に入り、ルゥテウスの姿を認めると目を瞠る者、その場で仰け反る者、立ち止まって見続ける者と、不審な態度を取って来る。
ルゥテウスは面倒臭くなって目を閉じた。もうそのまま教官が来るまで過ごすつもりだ。
やがて彼の体内時計で8時30分に差し掛かろうとする頃だろうか。
「おはようっ!」
と一際大きな声が聞こえたのでルゥテウスが目を開けると、教卓にはルゥテウスよりやや背が低いが横幅はかなりガッチリとした体形の20代後半くらいに見える若い男性が笑顔で立っていた。
「よっし!号令だっ!」
不必要に大きな声で朝の挨拶の為に起立の号令を求めるが、号令が掛かる気配が無い。
そのうち、教室内が若干ザワつき始めて同級生が皆ルゥテウスの方をチラチラ見始めた。まるで先程の二人の女性徒のような「怖いもの見たさ」を感じるような視線だ。
「おいっ!号令……あぁ、そうだったな……」
恐らくこの男性が先程二つ前の席の男子生徒の説明に出ていたヨーグという教官なのだろう。
ヨーグ教官は号令を命じておいて、自分で何かを思い出したかのように声を上げた。
相変わらず大きな声である。
「えーっと……ヘンリッシュか。君は首席だから勿論このクラスでも最上位だ。だから君が級長として号令を担当してくれ」
と、いきなりルゥテウスに命じて来たが、命じられたルゥテウスは
「席次が最上位だからと言って無条件で級長にされるのは納得できかねますな」
と応えた。途端に教室内が本格的にザワつく。
「何故だ?級長はクラスを率いる名誉ある役職ではないか。君のように言う者は初めて見たぞ」
「教官殿の経験談はこの際問題ではありません。『席次最上位の者がそれ以外の理由も無く級長に任じられる』という事を了承しかねるというだけの話です」
ルゥテウスは淡々と言葉を返す。
「しかし俺が学生の頃も、こうして教官になってからも学年開始時点での席次最上級者が級長に任じられているぞ?そういう慣例なのではないか?」
「『慣例』が根拠であると言うならば尚更承服致しかねます。そのような法令か校則等で明文化されたもので無いと根拠として認められません」
「しかしだな……」
ヨーグ教官は困惑している。本来、彼のようなタイプの教官は「黙って俺の言う事に従えっ!」などと恫喝に近い言い様によって強制しそうなものだが、ルゥテウスの視線をまともに受けて若干狼狽している気配だ。
「とにかく、級長への就任は辞退させて頂きます。他に希望者が居るのならばその者にお命じ下さい」
今や朝っぱらからこの二人のやり取りに遭遇している同級生一同のザワつき具合は最高潮に達している。席次最上級者……それも首席という学年最高位の者が「名誉ある」級長就任を拒否しており、それを命じるコワモテ風の担任教官に対して淡々とした態度を執り続けているのだ。
ヨーグ教官は教室内に拡がる動揺を不快に思ったのか
「静かにしろっ!」
と一喝した。三組にまで届きそうな程の声量であった。ザワついていた生徒達は雷にでも打たれたように前方に向き直って姿勢を正した。
「よしっ!ヘンリッシュがそこまで言うならば他の者を任命する。えーっと……君の次の席次は……6番だな。うーんっと……」
ヨーグは手元の名簿に目を通し始め、すぐに入学席次6番目の生徒の名を告げた。
「リイナ・ロイツェル!君に級長を頼みたいが引き受けてくれるかね?」
担任から名を告げられて立ち上がったのはルゥテウスの座っていた列の左隣、窓側から二列目の一番前の席に座っていた女子生徒だ。
髪は黒く、後ろで束ねられており背はこの学校の生徒の中では平均よりもやや低めか。後ろ姿なので顔までは確認できないが、うなじから首筋にかけての様子から肌はかなり白いようだ。
「はっ!」
彼女は一般の女性らしからぬ返事と共に立ち上がり
「光栄にございます。僭越ながら級長への任命、お引き受け致します」
と落ち着いた声音でヨーグの要請を受諾した。そのままくるりと後方に向きを変えて全ての同級生に聞かすように
「只今、教官から級長の職を承りましたロイツェルです。以後宜しくお願い致します」
と軽く会釈をし、そのまま元の前方に向き直り
「それでは号令を実施致します。起立っ!」
とはっきりとした声で同級生に起立を命じた。同級生一同は慌てて起立する。
ルゥテウスもゆっくりと立ち上がる。
「教官に礼っ!」
号令した自分自身も含めて一同教官に頭を下げる。ヨーグは一同を見渡す。ルゥテウスも当然頭を下げており、ヨーグが見たところでは号令を掛けた級長のリイナよりもメリハリのついた見事な室内礼だ。
ヨーグはそれを見て軽く驚きながらもそれを表に出す事無く一同を教壇から見下ろし続ける。
「直れっ!着席っ!」
級長の号令で一同は再び着席した。
(ふむ……こいつは恐らく入学前から号令の稽古をしてきていたな……よっぽど自分の試験結果に自信があったようだが……ギリギリで零れたのだな。しかし肝心の首席が捻くれ者で良かったじゃないか)
リイナの様子を見たヨーグは心中で苦笑した。勿論それを表情には出さない。
(しかしあのヘンリッシュという男……昨日も入学式をすっぽかして首席挨拶を回避してたな……。
校長閣下が「届け出を受理したから不問にする」と言っていたので俺もとやかく言わないが……今のあの態度も気に食わんな)
一方のルゥテウスも
(あの娘……どこかで見たと思ったら、面接試験の時に俺の前を通り過ぎた奴か。あの態度はやはり貴族出身か)
「それでは……昨日欠席してたマルクス・ヘンリッシュに改めて自己紹介をして貰おう。他の者は昨日のうちに済ませている。残っているのは君だけだ。まさか……自己紹介も辞退するか?」
多少皮肉を込めた口調でヨーグが言うと、同級生の中からも小さく吹き出すような笑い声が聞こえた。
「承知しました」
ルゥテウスが再度立ち上がると、同級生一同はここぞとばかりに一斉に彼に視線を集めた。この驚くべき首席入学生が何を言い出すのかと期待する気持ちがその視線に込められている気がした。
「マルクス・ヘンリッシュ。3033年生まれ。出身地はダイレム。以上」
ルゥテウスは淡々と……そして自分の名前を言い間違えないようにする事だけを考えて短く言って着席した。
「ん……?それだけか?」
何か大きく肩透かしを食らったような口調でヨーグが尋ねると
「はい。以上です」
と再びルゥテウスが応える。
「何か将来の目標とか……希望する兵科とか……そういうのは無いのか?」
ヨーグが尚も食い下がると
「将来の目標は特に持っておりません。私は任官を希望しておりません」
と首席入学者の言葉に同級生一同は驚愕の声を上げた。ヨーグも言葉を失っている。
あの落ち着いた態度を崩さなかったリイナですら目を見開いている。
「き、君は……この成績で任官を希望しないのか……こ、この成績で……」
ヨーグの驚く声に今度は一同の視線がこの男性教官に集まった。どうやら彼の手元には昨日欠席していたマルクス・ヘンリッシュに対する入試内容の資料があるらしい。
「君は……こんな……こんな成績……ん?面接の際には海軍科を希望しているようだが?」
ヨーグは漸くにして突破口を捜し当てたかのように顔を上げて再度ルゥテウスに話し掛けてきた。同級生一同の視線は当然ルゥテウスに戻る。
「はい。面接試験ではそのように回答させて頂きました。しかし二回生からの軍科選択においては周知の通り、選択権は席次順が優先されます。そのような制度下では確たる事を申し上げる事は出来ません」
(お前の成績で海軍科を選択し損ねる事など天地がひっくり返っても無いだろう……)
と……ヨーグを含むこの部屋に居る誰もが思った事だろう。
「ひとまず、私から申し述べる事は以上です」
この美しい首席入学者はそのまま貝のように口を噤んでしまった。
やや茫然としていたヨーグは我に返り、慌てて
「そ、そうか。ではヘンリッシュの自己紹介は以上とする。全員前を向けっ。これで朝礼を終わらせる。号令っ!」
演習等で特に指定が無い限り、登校時間の8時30分までに自分の席に着席し、その後に通常は8時50分まで各クラスで朝礼が行われる。その後、担任の担当教科で無い場合は9時までに教官が交代して一限目が開始されるのだ。
一年一組の生徒一同は再びリイナの号令によってヨーグに室内礼を行い、ヨーグは首を小さく傾げながら一年一組の教室を後にした。
(これは……何かとんでもない奴が入ってきたな……俺では手に負えないかもしれない……)
ヨーグは今年で28歳。士官学校には一度入試に失敗し、二度目の受験で入学した。陸軍科から陸軍歩兵科を更に選択して3039年に卒業。席次は陸軍歩兵科で7位であり、当然「短刀組」では無い。
少尉任官から6年目に当たる3044年にこの士官学校教官に「栄転」となった。教官に指名された切っ掛けは白兵戦技、特に剣術に優れていた為で、担当教科は当然「白兵戦技」である。
学生時代も白兵戦技の成績では陸軍歩兵科の中でもトップだった。
(まぁいい……俺の授業でこってりとしごいてやるさ)
入学考査に実戦戦技という科目は無い。つまりあの「主席合格者様」は体力に関して全く試される事無く「頭の良さだけで」この「狭き門」を突破したのだ……。
そう考えたヨーグは心の中でほくそ笑んだ。
廊下を歩きながらヨーグは突然「忘れ事」をしていた事を思い出して、慌てて一組の教室に戻った。
引き戸を急いで開けてさっきまで心中で嘲弄していた相手の席に向かい、「彼」の前に立つと
「そうだそうだ。これを渡し忘れていたよ。済まんな」
と首席入学生の机に徽章を二つ置いた。そしてそのまま今度はリイナの席に向かい
「君にもこれを渡しておく」
と徽章を一つ机に置き
「それじゃあな!おっと!開始に遅れそうだっ」
と小走りに教室を再び後にした。
リイナが机に置かれた徽章を手に取り、それに視線を落とすと……それは「級長」を表す赤い級章だった。
彼女は心中喜びで一杯だったが、それを決して表情に出さないようにしながら、自分の襟に付いていた白地に金色の文字で書かれた級章を外して、赤地に金色の文字で「1-1」と書かれた級長章に着け変えた。
一方、ルゥテウスの机の上にはリイナが外した物と同じ……白地に金字の級章と……席次上位者、それも首席を表す金色の星が付いた徽章が置かれていた。
彼の机に置かれた二つの徽章を見た周囲の席……流石に前の席の者はあからさまに振り向く事はできず左右の者だけだったが……の同級生は
(うわっ!?「首席章」じゃないかっ!)
と驚愕の表情でその徽章に見入っていた。このクラスで席次上位者の徽章を配布されたのは上位十位以内……つまりルゥテウスとリイナだけで、リイナの物は既に身に着けられているが「銀の星」の物であった。
「首席」を表す「金の星」は学年で彼一人……全校でも二回生の「陸軍科」と「海軍科」にそれぞれ一人、三回生の「陸軍歩兵科」、「陸軍騎兵科」、「軍務科」、「海軍航海科」、「海軍戦闘科」にそれぞれ一人、計8人しか存在しない。
そしてこの上位席次者が学校から徽章を配布されるのは年度始めの時だけで、その後は毎回の席次考査が終わった時点で首席から転落した者は銀の星を自身で一階の受付で購入して着け変えないといけない。これは既定の席次順位から転落した者も同様で、転落した者は復帰するまでこの徽章を着用することは禁じられている。
そして新たに上位者の中に食い込めた者は受付で購入して着用するという仕組みだ。
しかし、この学校から配布される物と自分で購入する物には差異があり、学校配布品は徽章の枠が金色になっている。そして学年総合で首席の生徒にのみ配布される「学年首席章」は赤い枠になっているのだ。
これはかなり細かい話なのだが、この「違い」は「短刀組」を目指す意識の高い者達にとっては大きな事で、この年度始めの「配布品」を……特に赤枠の首席章を彼らは必死に目指しているわけだ。
ルゥテウスも自分の机に置かれた二つの徽章に目を落とし、級章だけを校則で定められた左襟に着けた。
そして左右の同級生が何とは無しに注目していた首席章はそのまま上衣の脇ポケットに突っ込んでしまった。
そのまま机の中から「いつ入れたのか判らない」一限目の数学の教科書とノート、青い筆箱を取り出して机の上に並べた。
それを見た右隣の女子生徒が恐る恐るという感じで
「へ、ヘンリッシュ君……その……首席章は着けないの……?」
と本人は「コッソリ」と思っている程の声で話し掛けてきた。
その本人が思って居たよりも大きかった声を聞いて周囲の……彼よりも前方に座っていた生徒達が一斉に振り向く。
ルゥテウスは特に何も気にするようでも無く
「着ける気は無いが……お前はこれが欲しいのか?」
と、再度脇ポケットから「それ」を取り出して、その女子生徒に差し出した。
女子生徒は驚いて
「ちっ、ち、ちが、違う違う違う」
と両手を振りながら
「なっ、な、何か……何かポケットに入れちゃったから……き、聞いてみただけ……よ……」
慌てて否定した。
「そうか。俺はこういう物には全く興味が無い。むしろ何故このような物を殊更着用する必要があるのか理解出来ない」
平然と言い放つ首席入学生に
「でっ、でも……席次が上の人は……み、みんな着けてるよ……」
と女子生徒が応える。
「校則に『これ』の着用を義務付けるような条項は存在しない。俺はこんな物を自主的に身に着けるような精神構造をしていない」
ルゥテウスはポケットから取り出して右手で弄んでいた首席章を拇指と食指で弾いて飛ばした。
「カンッ」という音が、その徽章を見事に飲み込んだ彼の真後ろに設置されていたゴミ箱から聞こえ、周囲の者は仰天した。
「ちょ、ちょ、ちょっとっ!ヘンリッシュ君っ!そっ、それは……それはマズいよっ!」
最初に話掛けてきた右隣の女子生徒の前の席に座っていた別の女子生徒が咄嗟に声を上げる。他の生徒も口々に「おいおいっ!」「いやまてっ!」等と声を上げた。
当の首席入学生は特に何か心が動いた様子も無く
「欲しければやるぞ。勝手に拾ってくれ」
と静かに言葉を放った次の瞬間に教室の引き戸が開けられて、一限目の数学を担当する女性教官が入って来た。
離れた席から、一連の出来事を見ていたもう一方の「上位席次章」を「これ見よがし」に着けていたリイナは
(なっ!何やってんのっ!アイツっ!)
と、心中仰天しながらも辛うじて冷静な態度で号令を出した。
号令が終わって着席した後も、教室の後ろに座っている「アイツ」を睨み付けたい心を必死で抑えながら
(何なのよっ!アイツはっ!一体何を考え……何者なのよっ!)
と動揺と混乱と憤激が一気に押し寄せた気分で初授業を迎える事になった。
【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ
ルゥテウス・ランド(マルクス・ヘンリッシュ)
主人公。15歳。黒き賢者の血脈を完全発現させた賢者。
戦時難民の国「トーンズ」の発展に力を尽くすことになる。
難民幹部からは《店主》と呼ばれ、シニョルには《青の子》とも呼ばれる。
王立士官学校入学に際し変名を使う。
ノン
25歳。キャンプに残った《藍玉堂》の女主人を務める。
主人公の偽装上の姉となる美貌の女性。
主人公から薬学を学び、現在では自分の弟子にその技術を教える。
ドロス
54歳。難民キャンプで諜報組織《青の子》を統括する真面目な男。
難民関係者からは《監督》と呼ばれている。
シニョルに対する畏怖が強い。
フォウラ・ネル
18歳。王立士官学校三回生。次期学生自治会長。
二回生修了時点で陸軍科席次一位。学生の間では「自治会の女傑」として恐れられる。
主人公に入学式の首席合格者挨拶を依頼してにべも無く断られる。
リイナ・ロイツェル
15歳。王立士官学校一年一組の生徒で主人公の同級生。入学考査順位6位。
《賢者の黒》程ではないが黒髪を持つ女性。身長はやや低め。瞳の色は紫。
貴族の出身かと思われる外見に冷静沈着な性格。主人公が辞退した一年一組の級長を拝命する。
ドライト・ヨーグ
28歳。王立士官学校教官。担当科目は白兵戦技。一年一組担任。
若き熱血系教官。階級は中尉。新学期二日目から主人公の態度に辟易する。
ジョアン・マルコス
15歳。王立士官学校一年二組。入学考査順位2位。
入学試験の成績が2位だったが、主人公が入学式を欠席したので代わりに新入生挨拶を務める。




