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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第二章 難民の王国
41/129

夜明け

【作中の表記につきまして】


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム(メートル)法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


作中世界で出回っている貨幣は三種類で

・主要通貨は銀貨

・補助貨幣として金貨と銅貨が存在

・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚


平均的な物価の指標としては

・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。

・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。

 ルゥテウスとシニョルから目標とその手法を授かったドロスによって王国の情報機関と魔法ギルドの「小競り合い」が始まってから三ヵ月が過ぎ、3040年も春から初夏に季節は移っていった。


暗闘の舞台は王都の中に移り、ドロスの命を受けた《青の子》の諜報員によって内務機関側は二つに割れていた。

しかし割れている一方の側は「内務省が二つに割れている」という事実に気付いていない。


 初めは私領調査部監察室の主任監察官であるナトス・シアロンとその配下の新人監察官であるクリル・シガンの二人が始めた「内部監察」は、今やその協力者の根をじわじわと省内の横方向に伸ばしており、その疑惑の目が向けられた渉外室は全方向から……それも当の渉外室員には知られずに監視を受けていた。


ナトスとクリルは、王立官僚学校出身という「繋がり」を最大限に利用し、同じ内務省内は勿論の事、他の省庁の官僚職員にまで手を広げ、魔法ギルドへの監視も強化して行った。


 一時は彼ら二人の「ボス」でもある監察室長にさえ疑念が及んだが、宰相府直轄の監査庁に努めるナトスの同期からの情報で、室長はナトスの提案に沿って尋常に監査庁へ渉外室の内偵を依頼していることが判明した。


これによって彼ら二人が「そう思い込んでいる」1月10日に監察室長の部屋で行われた(であろう)ナトスへの何らかの工作には加わっていないだろうとの結論に至った。


 しかし、監察室長はナトスに対して渉外室へ接触を禁じていることから、今回の「内部監察」の実施は伝えていない。


そもそもナトス個人から見たこの上司は、上の顔色を窺う典型的な「小役人タイプ」であり、今回の標的の中に内務省トップの娘が含まれている時点で腰が引けていつ裏切るか判らないという懸念があった。


 この騒動を図らずも「陰で操る」事になってしまったドロスはシニョルからの助言により、これら一連の内務機関側の動きを魔法ギルド側に察知させるように動き出した。


内務省側……厳密にはナトスの意を受けたもので内務省自体が正式に動いているわけでは無いのだが……が行っている魔法ギルドへの監視を一部ギルド側へリークしたのだ。


リークの方法は非常に原始的なもので、ルゥテウスから支給された「魔術遮断」の付与がされた指輪を装着した青の子の諜報員によるお得意の「投書」だ。

文書の内容は陳腐なもので良く、「内務省がお前達を監視しているぞ」という事実さえ伝われば問題無い。


受け取った側の魔法ギルドは、とりあえず内容の確認をするだろうし、彼らがその気になって灰色の塔周辺を探索すれば監視員の一人や二人は簡単に見つかる。


シニョル直伝の謀略の手口はここからが本番で、文書の内容が「悪戯では無く本当の事」であると認識した魔法ギルド側が次に考えるのは


「この文書はどこから……誰が送り付けて来たのか」


というものに変わる。もちろん魔法遮断の影響で「送り主」の正体は把握できないので、ギルドは「下らない事」とは思いながらも自分達が監視されている事に対して逆に内務省への調査を始める事になる。


そうなると、彼らの高い捜査能力によって


「内務省内の一部の勢力が自分達へ何らかの疑念を持ち始めている」


という事実を知るに至る。


痛くも無い腹を探られるのはただ不快なだけだが、その実……背中には「痛み」を持っている魔法ギルド側は、この内務省の一部勢力の行動を阻害する動きを見せる。


すると今度は「その動きがある」と読んでいるドロスの指示で青の子の諜報員が


「魔法ギルドがお前達の行動を妨害する為に動き始めたぞ」


とまたもや原始的な投書などによって通報するわけだ。


 先程から出ている魔法ギルドが持つ「背中の痛み」とは、言うまでもなくギルド出身の初級錬金術師ソンマ・リジが作製した術符が使用された「マイル商会殺人事件」の一件である。


ギルド側はこの一件において捜査の過程で内務省からの現場鑑定を依頼されていたが、この件にギルド出身の錬金術師が関わっている事を知って驚愕し、鑑定結果を偽って内務省に伝えたという経緯がある。


もしこの件が明るみになり、内務省側にこの事実が知られた場合……ギルド側としては二つの汚点を残す。


「魔法ギルドで学び、独立させた錬金術師がその力を使って殺人事件に加担した」


「魔法ギルドは内務省の捜査依頼に対して偽りの報告を上げて本件に対する隠蔽を謀った」


特に後者は重大で


「これまでに鑑定や捜査の協力を依頼した内容にも虚偽の報告が存在した可能性があり、実はもっと多くの魔法犯罪が人知れず行われてギルドぐるみで隠蔽されていた恐れがある」


という「更なる疑念」を内務省……いや、王国政府に持たれる恐れがある。

魔法ギルドは厄介な事に、自分達も気付かないうちにかなり深い墓穴を自ら掘っていたのだ。


恐らく事態がここまで進むと、最悪の場合ギルド本部は内部で二つに割れかねない。


「なぜ魔法ギルドが二つに割れるのですか?」


と疑問を口にするドロスに対し


「もしも『隠蔽』を指示したのがクリースだとすると……奴への批判は必ず出る」


「しかし……お言葉ですがクリースは魔導師なのですよね?結局は批判したい気持ちはあっても実際にはその力に刃向かう事は出来無いのでは?」


一緒に聞いていたイモールも自分の考えを口にすると


「お前らは肝心な事を忘れているぞ。クリースは魔法ギルドの最高実力者では無い。あそこにはもう一人魔導師が居るんだ。総帥がな」


シニョルの代りに説明するルゥテウスの言葉を聞いて、ドロスもイモールも同時に「あっ」と声を上げた。


「つまり、我らが統領様の策は魔法ギルド、内務省の両者にそれぞれ内部対立を生み出させるんだ。お互いを敵視するのと同時に内輪揉めも起きる。

とてもじゃねぇが、ここ(キャンプ)に構ってる暇なんか無くなるだろ」


ルゥテウスが悪そうな顔で言うと、その場に居たイモールやドロス、ついでにオヤツを食べていたノンやソンマ、サナとアイサまでもが手が止まったまま動かなくなった。


先程15時の四点鐘が鳴り終えた、藍玉堂の二階にはルゥテウスの横でシニョルがサクサクとサブレを齧る音だけが聞こえていた。


「あ……あの……。統領様は……やはりそこまでお見通しになられた上で……その……監督に助言を与えられたのですか……?」


今回の件で、図らずも事件の当事者の末席に加えられる形になったソンマが恐る恐る尋ねた。


「ええ。勿論ですわ。やるなら徹底的にやりませんと。それと……もう一つ狙いがありましてよ」


シニョルはソンマの問いに対してあっさりと認めた上で


「今回、私が目指す真の目的は魔法ギルドの発言力と信用力を失墜させる事です。

このまま魔法ギルドが内務省……いえ王国政府と対立を深めた場合、『御館様の不始末』に対する魔法ギルドの告発がその効力を弱める可能性が期待できますわね」


それを聞いたルゥテウスですら


「うおっ……お前はそこまで考えてんのか……」


と驚くというよりも呆れ気味に声を出した。


「はい。最終的に御館様……いえ、奥様の所業は明るみに出るでしょう。

何しろ店主様のお話ですと、魔法ギルドは奥様の『お相手』も特定しつつあるとの事でしたから。

私も、その時になるまでは奥様への義理としてその名を出すことは差し控えますが……その方が牽き出されたら恐らく言い逃れは難しいでしょうね。

しかし、それまでは私達にとって時間稼ぎにはなるでしょう」


そう語るシニョルの顔は悲し気だ。彼女は今でも「御館様」こと公爵夫人エルダに恩義を感じており、その約束された未来の「破滅」に対して同情的な感情を未だに持っている。


 ルゥテウス自身はエルダに対して同情の余地は一片も無く、寧ろ可能な限り恥ずかしく、そして肉体的にも精神的にも磨り潰された末に苦痛を伴ってこの世から退場することを願っているが、シニョルのエルダに対する義理と忠誠心を責める気は全く無い。


彼女のそう言った人格者としての面が今この場で机を囲む者達からも崇拝を受け続ける一つの要素となっているのを知っているからだ。


「まぁ……あれだな……。我らが統領様の知謀は相変わらず凄まじいわな。監督は今後も頑張って我々の時間を稼いでくれ」


ルゥテウスが苦笑交じりに言うと


「は……はい。不肖このドロス……。勿体無くも統領様から授かりましたこの策で同胞の帰郷が叶うよう陰ながら支えさせて頂きます……」


ドロスが顔の汗を拭きながら応える。このような監督を見るのは極めて珍しく、イモールやノンなど、これまで普段のドロスを見て来た者はその恐縮している態度を通して、統領様の鬼謀に震えが止まらない。


「さて……シニョル、そろそろ行くか?」


気を取り直したルゥテウスが声を掛けると


「あっ。はい!」


と、シニョルが嬉しそうに応える。今日のシニョルは公爵屋敷の仕事を早めに切り上げて、現在も整備が進んでいるエスター大陸に創られた「トーンズ国」の首都である「サクロ」へその様子の確認と作業員を激励しに初の訪問を予定しているのだ。


この訪問には、やはり初めてとなるイモールとノンも同行する事になっており、彼らは揃って現地時間で20時を過ぎたサクロに建てられた「市庁舎」で現地の臨時市長に就任しているラロカと彼に率いられた建築部隊、そして自警団の支隊を集めて簡単な慰労会を開く事にした。


一行は藍玉堂の地下に降り転送陣を使用して、あっさりとサクロ市庁舎の地下に設置された転送陣へと移動した。

シニョルはわくわくした様子で市庁舎の外に出てみると、まだ五月の初めだというのに亜寒帯に位置するキャンプに対して赤道に近い緯度にあるサクロは夜にもかかわらず汗ばむ程の温かさであった。


「こっ……これが……これが……私達の故郷……」


先程まで、その恐るべき鬼謀を開陳して藍玉堂の一同を沈黙させていたシニョルは一転して言葉を詰まらせながら市庁舎の外にある公園の風景を眺めていた。


市庁舎は地上五階、地下二階で横幅は集会所の倍もあるような巨大な鉄筋コンクリート造りの白い石張りになっている建物で、その正面にはこれまた巨大な噴水が設置された公園になっていた。

もう少し厳密に言うと、市街の中心と思わしきこの場所に広大な公園が作られており、その中にこの噴水広場と市庁舎が建てられている……という形になっていた。


そしてその広場の一角には墓地があり、先年の山賊襲撃で命を落とした「先住」のサクロ村民が改葬されて綺麗に整備されていた。

シニョルはルゥテウスから、その墓地の由来を聞くと墓の前の芝生の地面に膝を着いて両手を合わせ


「村民の皆様……我ら同胞はあなた方が住まうこの地に新天地を築かせて頂きます。

これからもまだまだお騒がせするかもしれません……。

どうかお休みを妨げてしまうことをお許し下さい……そして我ら同胞を見守って下さい……」


と声に出して語りかけた。後ろに控えていたイモールやノンもシニョルに倣って同じように膝を着いて祈りを捧げていた。


一行が噴水を眺めていると、ラロカがやってきた。


「統領様。ようこそサクロへ。お越し頂き嬉しい限りでございます」


と一礼すると、シニョルは


「親方さん……よくここまで進めてくれました。感謝致しますわ」


とラロカを労う。


「親方……お前にばっかり任せて済まないな。しかし……素晴らしいではないか。

私が昔暮らしていた町……そこよりも……素晴らしいな……」


イモールもラロカを労いながら街並みの素晴らしさを繰り返し称えている。

その目には涙が浮かんでいるようだ。


「統領様……そして市長。とんでもないですよ。私は楽しくて仕方無いのです。我々の故郷に……このような街を造る事が出来て……それをお任せ頂ける私は幸せ者ですよ」


ラロカは涙で頬を濡らすシニョルとイモールに笑いかけた。日焼けした顔に白い歯が街灯に照らされていた。


「それではご案内します。どうぞこちらへ」


ラロカが踵を返して歩き出すと、一行はそれに続いた。市庁舎から噴水に続くその道はキャンプの街路にも使われている玄武岩の石畳が整然と並べられており、その他の部分は青々とした芝生が植えられていた。


通路も含めて公園内には無数の街灯が設置されており、その煌々とした光が……ここでは外部に遠慮などする事無く辺りを照らしていた。


「この公園も含めて街の地下には既に上下水道が張り巡らされております。

あそこの小さな『蓋』のような物が見えますでしょうか?

一日三回、朝の鐘と昼の鐘、夜の鐘が鳴る時に自動で蓋が開いて噴水のように周囲の芝に水を与えるのですよ」


ラロカが笑いながら説明すると


「なんと……そんな仕掛けがあるのか?」


イモールが驚く。


「はい。この街は至る所に店主様が設計された不思議な仕掛けが組み込まれておりまして……ご覧ください。あの市庁舎の天辺に据え付けられた大時計も、店主様曰く『水の力』で動いておりまして……ちゃんと時の鐘を鳴らしてくれるのですよ」


「まぁ、この街には救世主教は居ないから、ああいう鐘は自前で置かないとな」


ルゥテウスが笑いながら言う。


「さぁ、あの広場に皆を集めておきましたぞ」


噴水を挟んで市庁舎とは反対側にある大きな石敷きの広場に、作業員と思わしき工事部隊と、制服を着た自警団員が集まっていた。


一行が歩いて来る手前側には臨時で指揮台が置かれており、ラロカは台に上がって


「みんな、今日も作業ご苦労だった。今夜は我々の仕事を見に頭領様がいらっしゃったぞ」


ラロカの言葉を聞いて、整列していた一同から「おおっ?」とか「ええっ!?」などという声が聞こえる。

どうやら彼女の来訪は事前に知らされていなかったようだ。

ザワつく会場の中でまずはイモールが指揮台に上がった。


「皆ご苦労。まさかこの短期間でこれだけの整備がされているとは、正直とても驚いた。

キャンプでもそうだったが、皆の大きな熱意を改めて感じている。これからは希望者をどんどんこちらに帰還させるつもりだ。

同胞の帰還は君達の働きにかかっていると言っても過言ではない。頑張ってくれっ!」


イモールの話が終わると会場中には併せて500人近い人々が「おおーっ!」と気炎を上げる声が響き渡った。


「若い世代はやはり士気が高まってるようだな……」


ルゥテウスが言うと


「そうですな。特に自警団の者達の意気は盛んです。店主様に先日制作して頂いた弓の鍛錬にも力が入っておりますな」


「ほぅ……そうか。あれは普通の弓とは違って『引く』訓練さえすればそれなりに使えるからな」


「はい……私はあのような形状の弓を初めて見ました」


「南サラドスでは一部で使われている形状だけどな。俺のは更に引く力を増す為に構造に工夫をしているんだ」


「そうなのですか……。いずれにしろ訓練で使用した際の威力は凄まじいものでした」


ルゥテウスとラロカが自警団の新兵器について話している間に、シニョルが指揮台に上がっていた。


建築部隊や自警団の若者達は今まで実際に頭領様を見た者がおらず、初めて見る我らが頭領様に会場は一気に緊張が走った。


「皆さん。今夜はお疲れのところ集まって頂いてありがとうございます」


 シニョルは優しげな表情で語り始めた。最前から述べているが、彼女は決して容姿が優れているわけでは無い。

本人が自虐して話したように、若い頃は寧ろ顔の醜さゆえに体を売ろうとしても売れ残るという有様であった。

しかし、公爵夫人に拾われてからはその知謀で彼女を支え、空いた手で同胞数万人を救って尚も清貧を貫く彼女からは知性の光が溢れており、見る者に圧倒的な存在感を示した。


「私は三世代目の難民です。祖父は祖国の戦乱によって命からがらこの大陸から逃げ出したそうです。そして最期は流行り病で亡くなりました。

私はこの祖父や両親、そして弟の死を見送って参りましたが……皆一様に最期は『この地を見てみたかった』と言っておりました……。

そして今日……私は生まれて初めてこの地に足を踏み入れました。私は……あの日……最後の家族であった母を亡くしたあの日から……先に旅立って行った……家族の言葉を胸に刻み……込んで……それを……夢見ながら……うぅぅ……」


指揮台の上でシニョルは口元を押さえて涙をポロポロ流しながら言葉を失ったように無言で震えていた。

そんな頭領様の姿を見て、キャンプに保護される前の塗炭の苦しみを知る者達も嗚咽を漏らしながら泣いている。

キャンプが出来る前の時代を知らなかったり、覚えていない世代の若者も往時の先人が苦労を重ねた時代を想って俯いている。


「何だか労を労いに来たのにやたらと湿っぽくなったな……」


ルゥテウスが呟くと、横に居たノンが


「ここにいらっしゃる事が頭領様の悲願だったのだと思いますから……」


彼女も目元を手巾で押えている。シニョルの気持ちが痛い程解るのだろう。


「まぁ、建国はまだまだこれからなんだけどな。俺としてはこんなので満足されては困る」


ルゥテウスは苦笑した。


暫く無言のまま涙を流していたシニョルは気を取り直すように顔を上げ


「皆さんの中にも私と同じように故郷の大陸……この地に立つ事を夢見ていらした方も居たのではないでしょうか。

皆さん自身でなくとも、お父様、お母様、お祖父様、お婆様……もっと前のご先祖様がそうだったのかもしれません。

そして西の海の先には、『逃げ出さなければならなかった人々』が無念の気持ちを抑えて、帰郷の機会を待っております。

先程、市長が仰ってましたが、それらの方々の夢を実現させるのは皆さんです。

街造り……そして国創りは大変です。しかし皆さんはそれに負けないで下さい。

この地に帰ることも出来ず……貧しさの中で何も食べる物も無くこの世を去った人達の無念を……その敵討ちを果たしましょう!」


涙を拭う事もせずに最後は力強く声を上げたシニョルに一同は拳を突き上げながら「頭領っ!頭領っ!」と声援を送る。

イモールも台の下でこの様子を、やはり涙を流しながら見つめている。


 その後はキャンプから運んだ酒や菓子を配ったが、難民……特に若い世代の者はこれまでの人生で嗜好品としての酒を飲む余裕が無かったせいか、酒を欲しがる者は少なかった。

代わりに菓子は好評で、工場で特別に造らせた様々な種類の合計1000個もの菓子はすぐに無くなってしまった。


ちなみに、酒を飲まないのは難民首脳の者達も同様で、錬金術師という職にあってアルコール摂取を普段から忌避しているソンマはともかく、シニョルやイモール、ラロカ、ドロス等の年長組にも酒を嗜む者は居ない。


ドロスは諜報員という職業柄、活動の過程で酒を飲む必要がある為にその時は仕方なく口を着けるが、普段は全く飲まないようだ。

これはラロカも同様で、暗殺者として普段から冷静な判断力を保ちたい彼は、嘗て偽装とは言え酒場を経営管理する立場だったにもかかわらず酒は一滴も飲まなかった。


「《青の子》達は現在、南北の二手に分かれて各々『販路を開拓している商隊』という触れ込みで近隣集落への探りを行っております」


ラロカがシニョルとイモールに報告した。


「まぁ……近隣って……大丈夫なのかしら?危険は無いの?」


シニョルが不安を口にする。実際、一般人が抱くエスター大陸のイメージとはこういうものであることが多く、3000年もの間ひたすら大陸中の人間同士で争っているという印象が持たれている。

特にシニョルのような祖父がその戦乱から逃げて来たという話を幼少期に聞かされていた者にとって、その危惧はより一層大きい。


「はい。南側にある集落とは元々あったサクロ村とも物々交換という形で交流があった場所であるので、住民も概して穏やかだということです」


 南側の集落はサクロ村の壊滅を知らなかった。青の子の偽装商隊の者達は「サクロの西から来た」と説明し、キャンプから送られて来た酒やタバコなどの嗜好品や、塩、砂糖等を持ち込んだ。

そしてそのまま情報を集めながら逗留していると言う。彼らはその集落で元から周辺を巡回していると思われる「本物の隊商」を待っているのだ。


彼らとの接触が叶えば、更にその周辺の地勢や人文に関する情報を得られると踏んでいる。

サクロに居るラロカとは調査班のリーダーが身に付けている耳飾りを通して、念話で随時連絡が取れるようになっている。


彼らの報告によるとこの南側にある集落は「テト村」という場所らしい。

どうやらこの村も特定の国家や集団に属しているわけでは無いらしく、接触に成功した村長らしき男性の話では従来の隊商は半年に一度……概ね毎年5月と11月にやって来るそうだ。

なのでこのまま数旬程留まっていれば彼らに接触できるという見込みである。

それまでこの集落で商売をしようと、後続隊を用意して村人の要望を聞いて在庫を差し入れたりしていた。


しかしこの集落もサクロを滅ぼした山賊によって「次の標的」にされていたわけで、ルゥテウスやロダルによって山賊が潰されていなければ、当時訪れていた隊商ごと襲撃の被害に遭い、今頃はサクロのような廃墟になっていただろう。


しかしそのような山賊共の企みがあった事も知らないルゥテウスは自分がこの村の危機を救っていた事など気付いていない。

青の子隊商のリーダーが近隣に山賊が巣を造って居座っていた事実を伝えると


「そ、それはもしや……モロヤの残党なのでは……」


「モロヤ?」


「うむ…この村よりも遥か西に……お前達がやって来たと言う西の方角にあった国らしいのだが……知らんのか?

ワシも詳しくは解らんがここから馬でも一月以上はかかるという場所にあったそうだが……戦で滅ぼされた……いや、ワシも商人から聞いた話だからな。直接見たわけじゃない」


「そうなのか……済まない。俺達は知らなかったよ」


 実はエスター大陸では「戦争で国が滅ぼされる」という出来事は意外に少ない。

この戦乱が収まる気配の無い大陸では、国と国……と言うよりも部族間の対立はあちこちで存在するが、それが軍隊同士の武力衝突に発展する事は滅多に無い。


その理由としては当事国同士の国力があまりにも小さ過ぎて大規模な軍隊を組織出来ない上に、その軍事行動を支える兵站も確保出来ないからだ。

よって国家レベルでの対立は大方の場合、「国の境界(縄張り)線を挟んだ睨み合い」と言う程度のものが多い。


その曖昧に定義された国や部族同士の境目を毎日のように押したり引いたりしているような争いが大陸中で続いている……正にルゥテウスがロダルに説明したような「知性を持たない魔物や獣の行動」に似ていた。


 しかしこの大陸の小国同士の争いで厄介なのは「略奪」だ。

国家から兵士へ碌な報酬が支払われないので、兵士はそれを敵国の民衆に対する略奪によって埋めようとする。

更にタチが悪いのは、敵国への略奪が難しい場合に自国の民衆を略奪の対象とする者まで居ることである。


民衆は敵国のみならず、本来ならばそれらから自分達を守護するはずである自国の軍隊にも脅えながら暮らさなければならないのだ。


これが海に近い地方の住民であるならば、思い切って西の海へ……そして西の大陸へ逃れようという発想に至るかもしれない。

実際、西の海に逃れて戦時難民化するのは大陸の海岸線から200キロ以内に暮らす人々が圧倒的に多い。


しかし、サクロやその周辺地域のような内陸にある国の住民にとっては逃げると言っても、その先は無限とも思えるエスターの戦乱の荒野で、本当の地獄に感じるのも無理は無い。


 テト村の村長が昨年の秋に来た隊商の長に聞いた話では、昨年の春にテトから南西の方角にある「モロヤ」という国が度重なる自国の民に対する暴力的な収奪によって、遂に大規模な民衆反乱が発生して族長が殺害されるという事件が発生したそうで、モロヤ……恐らくは「モロヤ族」が治めていた国は無政府状態になったところを更に南にあった大国に併呑されたとの事だ。


国同士の衝突ではお互いの国力の問題で容易に滅びなくても、内側から民衆に叛かれると一気に国力のバランスが崩れて隣国に征服を許すことになる。


そしてそのモロヤの支配層で生き残っていた者が配下の者を連れて北に逃れたというのが村長の聞いた全てであった。

「北に逃れた」という話であったが、実際は北東方向に逃走した挙句にあの石油が貯えられた丘陵の洞穴に辿り着いたのかもしれない。


となると、ロダルによって棒の一突きで眉間を打ち抜かれたあの頭目がそのモロヤ族の残党を引き連れた「族長一族」の者だったのかもしれない。


ラロカはその報告を聞いて半年前の出来事を思い出し


「民に叛かれる……そこの民は西の海へ逃げるという選択肢を持つ事も出来ず……捨て鉢になって支配者を倒すしか生き残る道は無かったのだな……。

そしてまた……新しい支配者によって酷使され続けるのか……」


と、不運な星の下に生まれた人々……嘗ての自分も似たようなものであったのだが……を思って嘆息した。

しかし彼は既に難民となっていた両親から生まれて、王国内で偏見や差別に晒されながら残飯を漁るような生活だったが、襲撃や略奪には遭わずに済んだ。


「私はですね……こういう話を聞くにつけ、同じような境遇で西の海に決死の覚悟で逃れた両親の苦労を思うと同時に…西の大陸に辿り着けても苦労し続けて私達兄弟を産んでくれたこと……そしてそんな我ら一家を救って下さった頭領様に感謝するのですよ」


 数日前に受けた報告を基に、ルゥテウスとイモールに染み染みと語るこの元暗殺者は相変わらずの強面ではあるが、その表情は穏やかだ。


「そうだな……私も実際に自分がここから逃げ出した身ではあるが、あの時は本当に毎日……生きた心地がしなかった」


イモールが溜息交じりに話すと


「あぁ、そうか。市長も第一世代だったな」


と視線を彼に移した。


「はい。今となっては自分の暮らしていた町……確かに私が暮らしていたのは村というよりも町でした。

『ピッツ王国』という大きいのか小さいのかも解らないような国の……まぁ、外れの場所ですかね」


「市長が暮らしていた町は海から近かったのか?」


「どうでしょう……私もあの頃は逃げるのに必死でした。その後は食べ物を求めてとにかく日が沈む方角へずっと歩いて……一月以上彷徨って西の海……アデンの海へ辿り着いたのです」


「うーん。話を聞くと百キロ単位で移動した可能性があるな。市長はその町で暮らしている頃は『海』という存在を認識していたのか?」


「私はその町で、その……お恥ずかしいですが子供相手に教師をしていたのですが……」


イモールが照れながら話すと


「何だと!?市長は教師をしていたのか!?」


とルゥテウスが珍しく仰天し、ラロカやノンも驚愕している。

彼らとは少し離れた場所で菓子の山を物色していたシニョルも驚いた様子で


「し、市長が教師を!?は、初めて聞きましたが……」


と、25年以上の付き合いのある者の知られざる過去に声を上げた。


イモールは頭領様にも驚かれた事に却って恐縮してしまい、何か咎められたような表情になった。


「いや……それは……もう30年近くも前のことで……私もその頃はまだ二十歳(はたち)の若造でしたから……」


「なるほど……キャンプの集会所に初等教育の学校を併設しようと話していた時に真っ先に賛成していたのは、そういう経歴があったからなのか」


ルゥテウスがニヤニヤしながら言うと


「まぁ……あの頃の事はもう思い出したくも無いですが……」


「そうか。無理に話す必要は無い。しかし故郷の場所について手掛かりがあるなら探してやるぞ?

それにあれだけの人数、難民が居るんだ。同じ第一世代の中に、お前と同郷の者が居るかもしれないな」


「なるほど。そうかもしれませんな……」


イモールは苦笑を浮かべた。その目は何か悲哀を含んだものにノンには見えた。


「私が『海』という場所に対してそれまで聞いていたのは『塩は海から造られる』という事だけでした。それがあのような大陸を隔てる程の水がある場所だとは知りませんでしたな……」


「あぁ、なるほどな。そういえばエスター大陸では総じて塩の生産は海水を原料とするものだったな」


「塩を売りに来る商人が西から来るのは知っておりました。逃げる時に西を目指したのは……東には魔物が棲む魔境があると子供の頃に聞かされていたからですね」


「そうか。『死の海』に対する認識は持っていたんだな」


「はい……。当時の私の国は北から敵国の侵略を受けていました。結果的に私は家族も友人も……将来の約束を交わした女性も……あの蛮人共に殺されました。

私は彼らを助ける事も出来ず……一人だけ西に向かって逃げたのです……」


イモールは目を閉じて過去に体験した地獄を思い出したようで、小刻みに震えていた。

彼にとって生まれ故郷の思い出は辛く悲しいものなのだろう。


「市長……お前は独り逃げ延びて海を渡り、その地で結果的に多くの同胞を救ったのだ。そう自分を責めるなよ」


間も無く7歳になる少年に慰められたイモールは


「は……はい……はい。済みません……実は今でもあの頃の……彼女の夢を見ることがあるものですから……」


「いや、忘れる事なんて無理だろう。だから忘れようとするな。

お前はその過去の悲しい体験を、その喪った人々への贖罪の気持ちを、同胞を救う原動力にしているんだと思う」


「そ、そうかもしれませんね……なるほど。きっと店主様の仰る通りなのでしょう。私はもうあの時のような悲惨な体験は二度と御免です」


イモールは力強く言い放った。


「そうですね。市長、これからも宜しくお願いしますよ」


シニョルが微笑みながら語り掛ける。難民キャンプを創る事を企図したのは彼女だが、実際にそれを行動によって実現させたのはイモールで、二人のうちどちらが欠けていても同胞の救済は実現しなかった。

これはキャンプに住まう全ての難民が知っている事実であった。


「今後は基本的に西に向かって街……いや、国の領域を広げて行く予定だ。可能であれば途中に町や村をいくつか作って海まで繋げたい」


「海までですか?」


「そうだ。海まで領域が広がれば塩も自前で採れるし、場合によっては海に出ることもできる。逆に海に出ようとしている難民を救う活動にとっても都合が良いだろう?」


「あぁ、なるほど」


感心するイモールに


「街と街は鉄道で繋ぐ。今のキャンプでも資材置き場から各工房へ材料を運搬するのに使っているアレだ。車両を牽く手段も今までに無いものを考えている」


「今までに無いもの……?」


今度はラロカが疑問を口にした。


「まぁ、今はまだ説明はできないが鉄道の上を『自力』で走る車両を造る予定だ」


「え……?自力……自分で?」


「まずは鉄道が敷けるように国を拡げるのが先だ。鉄道については、計画だけはしておいて用地を確保しておこう」


ルゥテウスの頭の中には超古代文明時代の知識が血脈の記憶として詰まっている。

その当時の知識を使って自走車両を実現しようと思っていた。


魔法に依存しない動力源と、それを動かす燃料の確保が今後の課題となるのだが、彼にはその目途も付いているようだ。


難民による先端技術国家を築く。そして……自分の魔力に因らない力でエスター大陸の戦乱に終止符を打って欲しい。


それが「賢者の血脈が断絶した後の世界」の姿になって欲しい。


ルゥテウスが本気で考える未来の世界の形であった。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド

主人公。6歳。黒き賢者の血脈を完全発現させた賢者。

戦時難民のキャンプの魔改造と難民の帰還事業に乗り出す。

難民幹部からは《店主》と呼ばれ、シニョルには《青の子》とも呼ばれる。


シニョル・トーン

52歳。エルダの独身時代からの腹心で現在は公爵夫人専属の女執事。

難民同胞を救うためにキャンプの創設を企図し、難民からは《統領》と呼ばれ崇拝される。

普段は極めて冷静沈着で高い知性を持つが、甘い物に目が無い。


イモール・セデス

50歳。シニョルの提案で難民キャンプを創設した男。

現在もキャンプの責任者を務め《市長》と呼ばれる。

理知的で穏やかな性格だが、最近は涙脆い。


ラロカ

53歳。エスター大陸から暗殺術を持ち帰った元凄腕の暗殺者で《親方》と呼ばれる。

主人公の難民帰還事業を補佐するために新国家の建設を担う。


ドロス

45歳。難民キャンプで諜報組織《青の子》を統括する真面目な男。

難民関係者からは《監督》と呼ばれている。

シニョルに対する畏怖が強い。


ノン

16歳。《藍玉堂》の受付担当。美人で有能だが気が小さい。

主人公の秘書を務め、姉を偽装する役目も負っている。

主人公から薬学を学び、現在では処方薬の製薬も担当している。

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