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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第二章 難民の王国
26/129

青の子

【作中の表記につきまして】


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくおねがいします。


 サナの家……厳密にはキッタ三兄妹の実家である長屋はキャンプの北東端に近い場所に在り、ラロカの説明による地域分けによれば北地域に含まれる。


彼らは当初南地域の家族向けの部屋に死別した父を含めて一家五人で住んでいたのだが、長男キッタ、次男ロダルが次々に家を出たのでサナと母の二人暮らしとなり、北地域の二人向けの部屋に移された。


兄妹の父はサナの誕生直後に肺の病で亡くなり、恐らくそれに感染した母の病も進行していたが、当時はまだ転居出来る体力があったようだ。


 キャンプはエルダの荘園の南西方向から北東方向に向かって拡張されて行っており、サナ母娘の移り住んだ家も比較的後になって建てられた物である。


北側には貯水池があり、キャンプの中では水の確保が楽な地域でもある。貯水池の東側には《赤の民》の秘密訓練場があり、責任者である《監督》ことドロスが今日も諜報員の訓練を指揮し、既に帰還したり待機中であった暗殺員も配置転換訓練に入っている。


 サナの兄二人は今日から始まったイモールの戸籍作成の準備作業を手伝っており、元々は事務員である兄キッタはその右腕として本領を発揮しているが、弟ロダルは元暗殺員である為に不慣れな仕事で苦労しているようだ。よって母の介護は末妹のサナが専従している。


 サナの「おっかあ」は昨晩のルゥテウスの治療によって病状は劇的に回復していた。彼の言った通り朝の起床から咳と発熱があり、更に真っ黒い痰が頻繁に出るので本人は相当に不安がっているようだが、サナはルゥテウスの言った通りになっているのと、不安がっている母の様子が明らかに昨日までの憔悴ぶりとは違っているので安心している。


そこへノンを連れてルゥテウスがやって来た。部屋の扉をノックしながら


「サナは居るか?」


とルゥテウスの声が聞こえてきたのでサナは急いで扉を開け


「る、ルゥテウス様!来て頂けたんですか!」


と驚いている。


「入ってもいいかね?」


「ど、どうぞどうぞ!」


ルゥテウスとノンはサナの部屋に入った。


「おっかあ。この方がおっかあの病を治してくれたルゥテウス様だよ」


「いやいや。まだおっかあは完治しとらんだろ」


ルゥテウスは笑った。


「こ……これは……ありがとうございます……」


おっかあ……アイサは目の前の幼児を見て


(まさかこんな子供が自分の病を……)


と最初は疑ったが、娘もそう言っているし、自分も朝から咳と熱が出て真っ黒い痰も出ているわりに、以前と比べて頗る体が楽になっているのが実感出来ているので、信用せざるを得なくなっている。


「ちょっと、おっかあの様子を診ていいかな?」


「は、はい。お願いします」


 ルゥテウスは昨夜とは違いベッドの横に椅子を置いて貰い、上に昇ってアイサの上体を起こし、胸と背中にそれぞれ数秒手を置いた。彼女の発熱を取ってやったのだ。

それだけで更に体が楽になりアイサは驚いた。この幼児が自分を治療しているのだという事が明らかだと分かったので


「ほ、本当に……ありがたい事です……」


と再び寝かせられた体の上で手を合わせて拝んだ。


「おっかあよ。俺は神じゃない。拝むのはご遠慮頂きたい」


シニョルにすら声を荒げたのに、相手は病人だからか穏やかに諭すように言うルゥテウスを見てノンが後ろで吹き出している。


拝むのをやめたアイサに


「よし。ではお土産をやろう」


と、右手を振ると部屋の中にあった小さな机に皿が四枚並んだ。ノンが見るとそれは元々酒場にあった物で、今は自分も寄宿しているあの部屋に置かれている物だったので驚いた。サナも驚いている。


ルゥテウスがもう一度右手を振ると、全ての皿に何か果物のような物が皮を剥かれた上に一口サイズで切り分けられて載せられた。これまで嗅いだ事の無い甘い芳しい匂いがする。


「なっ!?」


「何ですかこれ?」


ノンもサナもそれを見て驚くと


「これは『メナ』という果物だ」


 この果実はダイレムのある公爵領南西地域でマグダラ山脈の麓に自生している果物だ。自生している場所が結構な秘境なので、手に入れるのが困難なのだが冬の季節に丁度成熟するかなり糖度の高い物で、その希少性から領都や王都で珍重されて高値で売られる。


どうやら特殊な気候でないと糖度が出ないので栽培は非常に難しく、数百年前から何度も栽培試験が繰り返されているが結局量産には至っていないという『幻の果実』だ。

この季節になると王都や領都、更にダイレムの冒険者ギルドに、この果実の「採集依頼」が結構な数出るのも風物詩になっている。


 ルゥテウスは鉱石を採集しに行く際にこの果実が自生している地帯を飛行したので一度下りてマークしてきたのである。一度マークしてしまえばこの果実も酒場の皿も同じように『転送』出来るのだ。


「冷えているから美味いぞ。おっかあにも食わせてやれ。誤飲に気を付けてな」


「はっ、はい」


 サナは再びアイサの上体を起こして、最近食欲が落ちていたと言うアイサの口に切り分けられたメナを持って行き、口に含ませた。


「なっ……こっ……この果物……初めて食べるけど……」


食べながら絶句しているアイサを見て、ノンとサナも自分の皿を取ってメナを口に入れた。


「えっ!」


「嘘!?」


 二人は夢中になって食べ始めた。ルゥテウスは苦笑しながら、アイサに次のメナを渡すとアイサも自分の手で食べ始めた。食べながら咳が出ないように見守りながら、自分も一口食べて


「あぁ。こんな味だったか。流石に味まではな……」


と、血脈の記憶には味覚が含まれ無い事に気付きまたしても苦笑した。


「おい。お前らもっと落ち着いて食え」


 そもそも難民は果物を食べる機会が少ない。年に一度か二度、配給で出てくれば良い方だ。そんな連中に王都や領都で冒険者ギルドに依頼が出るくらいに貴重で、しかも外気温で冷えつつも完熟した『もぎたて』のメナを食べさせれば理性も吹き飛ぶというものだ。


 ルゥテウスは行儀良く、またアイサにも与えながらメナを食べ終えた。ノンとサナはとっくに食べ終わっており、放心状態になっている。それを見てルゥテウスが大声で笑い出した。


「お前ら凄いな。わはははははは」


幼児が目の前で腹を抱えて笑う姿とその声で二人とも我に返り


「あっ、す、済みません……」


「いやっ、あのっ、ど、どうも済みません……」


と赤くなって俯いた。


「おっかあ、ちょっと腹に物が入ったからしばらく体は起こしておいたほうがいいぞ」


「あ、ありがとうございます。こんなに美味しい物を食べたのは生まれて初めてです……」


「分かったから。拝むな。な?」


とまたしても拝もうとするアイサを諭したルゥテウスを見て


「あの、私もこんな美味しい物は初めてで……」


「あ、あたいもです……つ、冷たくて……」


「何でお前ら涙ぐんでいるんだよ……」


ルゥテウスは呆れながら


「まぁ、今の季節なら王都で1個金貨30枚くらいするからな。そんな物を食べるのもいい経験になるだろ。話のタネにもなるしな」


と呟くと、それを聞いた三人は仰天した。


「いっ、いっこ、一個で金貨さ、30枚ですか!?」


「まぁ、平民はそんなに食えないな。主に王族に献上されたり貴族が見栄で買ったりするんだけどな」


「おっかあ、食欲はどうだ?メナは『季節もの』だし、栄養価が非常に高い。但し、少しだけ体温を上げる効果を持っているから、一日一個にしとけよ」


そう言うと、ルゥテウスは右手を振って皮の剥かれていない真っ赤に熟したメナの実を5個出して


「毎日一個食わせてやれ。それと完熟してるから乱暴に扱うと傷むからな。気を付けろ。そこの入口の扉の横辺りなら温度が低くて保存が多少は利くだろう。

完熟してるから皮は手で剥けるが、実は皮のすぐ下に栄養が詰まっているから皮ごと食べるのが一番いいぞ」


と机の上に並べた。もう一度右手を振ると四枚の空になった皿は消えた。茫然としているサナに


「ちょっと、昨日の『石』を見せてくれないか?」


とルゥテウスは頼んだ。サナは我に返り


「はっ、はい!」


とスカートの隠しから水色の石を出してルゥテウスに渡した。


 石を受け取ったルゥテウスは手のひらの上に石を載せてまたしても観察し始めた。ノンとサナはその様子を見守る。

アイサもこの神様のような幼児が真剣な表情で娘の出した石ころを眺めている様子に只事では無い何かを感じて黙ってそれを見ている。


 不意にルゥテウスが石を握り込んで両目を閉じた。いつに無く真剣な表情で、ノンはルゥテウスのこの表情が大好きになっている。


石を握り込んだまま二分くらい瞑想するように両目を閉じていたルゥテウスが漸く両目を開き


「なるほど……」


と、呟いた。


サナは不安な表情で


「あ、あの……ルゥテウス様、この石は何か悪い物なのでしょうか……?」


と聞くと


「いやいや。そんな物では無い。良いか悪いかで言うとまぁ……『良い』だな。特にお前にとっては」


「え!?」


サナは思わず声が上げてしまった。


「そう大声を出すな。病人が居るだろ」


「すっ……済みません」


「これはな、《魔石》という物だ」


「ま……ませき……?」


「そうだ。魔石だ。魔力に反応する石だ」


「ど、どう言う物なのです?」


「俺自身も魔石が組成される原理はハッキリとは分からない。しかし魔石という存在は知っている。この石はな。『普通の人』には何の価値も無いんだ」


「えっ……?あ、あの……と言う事は価値がある人も居るのですか?」


「そうだ。魔法が使える者にとっては価値が有るな。恐らくこれは魔法ギルドでも殆ど解明されていないだろう」


「そ、そうなのですか?」


「うむ。今のお前に説明してもちょっと理解出来無いと思う。昨日も言ったな。お前には魔法の素質が有ると」


「は……はい」


「え……?」


 ルゥテウスの話を聞いて寝耳に水なのは母アイサである。彼の口から「魔法」という言葉を聞いて、彼女はどうやらこの幼児は「魔法を使う人」で自分を魔法で治してくれたと気が付いた。

そして今度は自分の娘に魔法の素養があると聞いて話が飲み込めて無いが、大変な事なのではないかと本能的に感じた。


「おっかあ、落ち着け。まぁ、いずれ解るだろうがサナには魔法の素質が有る。俺は多分錬金術師の方だと思うがな」


「そっ、そ、そんな……うちのサナにですか?」


「そうだ。但しこれは内緒だ。サナはこのキャンプで勉強したいと言っている。俺の薬屋でな」


「はい。あたいはルゥテウス様の下で勉強したいです。王都には行きたく無いです」


石の事で動揺していたサナだが、これだけはハッキリと言った。


「おっかあ。あたいはルゥテウス様とソンマ店長の所で働きながら勉強するよ。おっかあの病気も治るしね。安心してよ」


ルゥテウスは石をサナに返し


「おっかあよ。お前の娘は将来きっとこのキャンプの同胞の役に立つぞ。だから安心して娘を応援してやれ。難しい事を考えてもどうせ解るまい?」


ルゥテウスは笑った。


「そっ、そうですか……サナが……ねぇ……みんなのお役に……」


暫くその言葉を咀嚼していたアイサが


「よかったわね。サナ。ルゥテウス先生の言う事を良く聞いてしっかり勉強するんだよ」


「うん。解ってる。頑張るよ」


「まぁ、先生とか言われても、俺自身は錬金術を教えるのは難しい。錬金術を習うならソンマの役目だ」


「えっ?そうなんですか」


「そうだな。まぁ、これも実際にお前が勉強してみれば理解出来るのだが、俺は錬金術師じゃ無いのだ。

錬金術を教えられるのは、錬金術師として修行した経験のあるソンマじゃないと難しい。ちょっと話がややこしいんだけどな」


「ど、どう言う事なのでしょう」


「うーん。説明が難しいな」


ルゥテウスは苦笑しながら


「『錬金術が使えるか』と言う問いなら答えは『はい』だ。しかし俺が使う『錬金術のようなモノ』と言うのはソンマやお前のように『勉強して、修行して』使えるものでは無いんだ。

だから『どうやって勉強するのか』が分からない。勉強しなくても出来てしまうからだ」


「だから俺の場合、『勉強しても効果が無い』という事になるから仮にお前に勉強を教えても、お前がそれを聞いて成長出来るのかも判らない。意味が解るか?」


「あの……それはルゥテウス様が『魔導師様』だからでしょうか?」


ノンが一昨日ソンマが言っていた事を思い出して尋ねた。


「そうだ。ノンは賢いな。よくそれが理解出来たな。まさしくその通りだ」


ルゥテウスに褒められたノンは顔を赤くしてモジモジしながら俯いた。


「俺は魔導師なんだ。錬金術師じゃない。だから錬金術は教えられない」


「まぁ、これを理解するのはさっきも言ったが今のサナには難しい。逆に言うと勉強する事で今の俺の話が理解出来るようになる。そしてその石の『凄さ』が解るようになる」


「こ、この石……こんな石ころがですか?す、凄いんですか?」


サナが驚いた。


「石ころじゃない。魔石だ。但しそれが魔石である事は内緒にした方がいいな。魔法ギルドに狙われる可能性がある。それくらいに魔法を使う者にとっては貴重な物だ」


「ルゥテウス様にとってもですか?それならば今までのお礼にルゥテウス様に差し上げたいのですが」


サナが言うと


「いや、その気持ちはありがたいが、俺にとってはそれ程貴重ではない。それも勉強すれば解る……としか言い様が無いな」


 ルゥテウスは苦笑した。この魔石という物質はその起源は不明なのだが、魔素やマナなどに対して非常に高い親和性を持っており、魔法を使う際の制御を補ってくれる効果を持つ。


この効果についてはリューンが生きていた頃に研究対象としており、彼女は魔石を


「この星に魔素をもたらした天体由来物質(隕石)の破片ではないか」


という仮説を立てていた。この物質の成分が魔素を引き寄せるという実証は彼女の生存中、ついに果たせずに終わった。


例えば、杖の先端に埋め込む事で魔素やマナを制御する段階でそれを効率よく絡め取ることで、誘導しやすくなり結果として制御が容易になる。


つまり制御の難度が高い上級魔法の成功率を高めるという効果がある。なのでそもそも「制御が出来無い」普通の人には全く無意味な物であるし、逆に血脈の発現者くらいに無詠唱でゴリゴリと魔導が扱える者にも不要な物となる。ルゥテウスには「不要」で将来のサナには「輔けになる」と言うのはそういう意味なのだ。


「ふむ。こうなるとその石は肌身離さず身に着けておいた方がいいな。魔術か錬金術かどちらの道に行くのかは判らんが、その修養にも役立つはずだ。やはりそれを加工して念話付与品にするのは悪く無いと俺は思うぞ」


「そうなのですか……では、この石を使って下さい。お願いします」


サナは頭を下げた。


「そうか。いいだろう。しぶ……あぁ、ここには支部長も親方も居ないのか」


ルゥテウスは小さく笑い、少し考えて


「ノンの髪飾りを借りるか。後は……」


「先程の紙ならまだ余っています」


と、ノンが髪飾りを外して、ポケットからカード製作で余った白紙の紙片を出した。


「お。ノンは気が利くな。流石は俺の姉だ」


ルゥテウスが大笑いするとノンはまた真っ赤になりながら俯いた。


「よし。その机を借りよう」


先程のメナをサナに片付けさせて、机の上に髪飾りと石を置いた。


「うーん。このままだとアレだな……」


とルゥテウスが右手を払うと机の上に縦3センチ、横5センチ、厚さ1センチ程の銀色に輝く金属の延べ棒が現われて、見ていた三人は驚いた。


「こ、これは銀ですか?」


ノンが尋ねると


「いや、これは《ミスリル銀》ってやつだ。お前の髪飾りのほら。このクリップにも使われているぞ」


確かに延べ棒の輝き方とノンの髪飾りのクリップの輝き方は似ている。


「みすりる……と言うのは?」


「ミスリル銀というのは、この魔石と似た性質を持つ金属で、本来ならば魔法を使う時に金属を身に着けているとそいつが魔法を妨害してしまうのだが、このミスリル銀だけは別なんだ。

サナは将来、何かしら魔法に関わる事になるから、この石を止める台座はミスリル銀で造る方がいい。ノンのクリップみたいに念話の通りも助けてくれる」


 昨日、ノンのリボンに付与した際には祖父の研究室の薬材棚になぜか少量入っていた物を流用したのだが、先程マグダラ山脈の鉱石からもミスリル銀が抽出出来たのでサナの付与に使おうと思ったのだ。


 机の周りに居た二人を下がらせてルゥテウスは紙片を顔の前に掲げた。紙片に紋様が浮かび上がる。この儀式を初めて見るアイサは息を飲んだ。

机の上に置かれたノンの髪飾りとサナの魔石、そしてその横に並べたミスリル銀の延べ棒の上で魔導符を右手で丸め込む。


そして念じると机の上から、いつもの眩い金色の光が溢れた。

光が収まるとそこには形状を加工された魔石が嵌った幅が約3センチでミスリル銀の輝きを持つチョーカーが、これまたいつもの淡く青い光を放ちながら置かれていた。


「うわぁ……こ、これは何なのですか?」


「首に着ける装身具だったかな。首に巻くんだ」


「首に……巻くんですか?」


サナは端部を広げて首に嵌めるようにチョーカーを装着した。


「うん。悪くは無いじゃないか」


「可愛いですね」


「そ、そうですか……」


「あぁ、良く似合っているよ。サナ」


アイサにまで褒めて貰い、サナは顔を赤くしながらも嬉しそうに笑った。


「個別念話には練習が必要だ。どうやら俺が昨日考えた方法でみんな個別に出来るようになっているようだからな。

お前もカードでも造って練習しろ。同じ年頃の娘同士で先輩のノンから教わればいい。俺にはちょっとコツとか教えられないからな」


「サナちゃん、紙はある?」


「いえ……ここには……」


「じゃ、一度うちの事務所にいらっしゃい。一緒にカードを造りましょう」


「おっかあを見てないと……」


「俺が一度お前らを届けてすぐ戻っておっかあを見ててやる」


 そう言ってルゥテウスは二人の腕を取って事務所に瞬間移動し、すぐに自分だけサナの家に戻った。アイサから見ると三人が一瞬居なくなり、すぐにルゥテウスだけがその場に残ったように見えた。


『カードが出来たら呼んでくれ。迎えに行ってやる』


『ありがとうございます』


少し間を置いてノンが応えてきた。きっとルゥテウスのカードを見ながら念話を飛ばしたので返事に時間が掛かったのだろう。


「い、今のは……消えましたけど……」


「あぁ、二人を事務所に送ってきたんだ。気にする事は無い」


「あ……貴方様は一体……どう言う御方なのでしょうか……?」


「うん?俺か?俺はルゥテウス。お前の三人の子供が働く事になった薬屋の居候だ。まぁ、その薬屋は目下建設中なんだけどな。ははは」


ベッドに横になりながらもあっけに取られるアイサに


「おっかあよ。さっきも話したが、サナはきっと同胞の為に役立つ。お前はこうして病に打ち勝ちつつあるが、他にも苦しんでいる者が居るはずだ。

お前の娘はそういう人々を救う為に魔法を学ぶのだ。応援してやってくれ」


「はい。私は貴方を信じます。貴方はきっと娘を導いてくれる。娘だけじゃ無く……私達を……」


ルゥテウスはいつもの面々の前では滅多に見せない優しい笑顔で


「もう眠れ。まだ治療から一日しか経っていない。無理をせずにな……」


そう言って右手をアイサの顔にかざすと彼女は眠りについた。


『あ……あの、ルゥテウス様……聞こえますでしょうか。サナです』


『あぁ。聞こえてるぞ』


サナから念話が来た。


『ノン様にカードを造って頂きました』


『そうか。ならば迎えに行こう』


 ルゥテウスが突然、事務所に現われるとサナが驚いて椅子から転がり落ちそうになっていた。

ノンはもう、この毎度お馴染みの光景に慣れたのだろう。一瞬身構えただけで、すぐに平静に戻った。


「終わったか」


「はいっ」


「ならば家まで送ってやる。おっかあは今、丁度眠らせた。20時くらいになったら一度目が覚めるだろうから、夜飯を食わせてまた寝かせてやれ。

それと体をちゃんと濡らして固く絞った布で拭いてやれ。肺の病と言うのはな、清潔にしていないと罹りやすくなるし、感染りやすくなるのだ」


「そうなのですか?」


「うむ。そのうち長屋に風呂が造られるから、毎日入浴するようにおっかあにも言っておけ」


「分かりました」


「それとメナの実は一日一個だぞ。おっかあが欲しがっても一個以上食わすな。なるべく午前中に食わせてやれ。お前らが食いたいならこっちでいくらでも食わせてやる」


ルゥテウスが笑いながら言うと女子二人は目を輝かせながら頷いている。


「じゃ、俺はサナを送ったらまた親方のところに戻るから、夜の配給まで念話の練習でもしていろ。女同士、シニョルも仲間に入れてやれよ。慣れたら三人だけで念話出来るようにやってみろ。全員に流すのでは無く三人だけでやれるようにな」


「はいっ!」


ノンが元気良く返事をした。ルゥテウスは笑いながら


「よしサナ。行くぞ」


そう言い残してサナの手を取り消えた。


****


 ルゥテウスがサナを送ってから再び藍玉堂の建設現場に戻ってくると、既に床面に柱が1本立てられていた。


このキャンプの長屋の建築様式はエスター大陸北部のものらしく、初めに敷地全体を5センチ程度掘り下げて、下土を突き固めて先に防腐処理を施した5センチ角の角材のような棒状にした木材を敷き詰める。そして床面を整えてから柱の位置に穴を穿って上から柱を打ち込むという方法のようだ。


つまり床材自体が基礎になる。本場ではこれを石材で敷き詰めるらしいのだが、それだと時間と費用が掛かるのでこのキャンプでは木材で代用しているようだ。


「もう柱が立つんだな」


ルゥテウスがラロカの横に立つと


「左様ですな。本場では石の床に穴を穿つので大変らしいのですが、木材なので連中もそれ程苦労はしていないようです。

それにルゥテウス様に図面を転写して頂きましたから位置を割り出す手間が省けていますからな」


ラロカは笑った。


「但し、周りをご覧頂ければお分かりかと思いますが、このキャンプの建物は全て平屋造りです。この中の者でも二階建て以上の建築経験者が三人しかおりませんので、一階部分が終わったら一度打ち合わせをしなければならないかと」


「一階を天井まで造ったら、俺がまた二階の床板までやって図面を転写してやるから、『一階の上に一階を造る』ような感じでやってくれればいいぞ。

どうせ内装と間仕切りは全部俺がやるから、外見だけここの長屋と馴染んだような二階建てに見えればいい」


「なるほど」


「最初は年内でいいと思ったんだがな。井戸掘りを集会所だけじゃなく長屋単位に変更したから、ここは早く切り上げて井戸掘りを始めたい。そしてそれと並行して排水溝を掘って欲しい。俺はその為の資材を加工してくる。どこか資材を置ける場所は無いかな?」


「ならばドロスに言って、訓練場の一部を提供させましょうか?あそこなら外から人目につかないようになってますし、このキャンプの北東端から意外と近いですし」


ラロカの提案にルゥテウスも頷いて


「そうだな。監督に頼んでみるか」


「して、排水溝はどのように掘りますか?」


「本当なら俺がさっさとやっちまえばいいんだが、この際だから住民にも技術を学んで欲しいし、賃金の出る仕事もやりたい。

なので今夜暗くなったら、俺がこのキャンプ全体の精確な測量をして全体図を作ってくる。その図を見ながら検討しよう」


「暗くなってから……?ルゥテウス様お一人で?」


「あぁ、空から測量するからな。明るいと人目に付くだろ?」


笑いながら言うルゥテウスに驚きながらラロカは


「空から……そのような話は聞いた事がありませんが……」


と信じられない様子だ


「まぁ、任せておけ。一階の柱と壁と天井はいつ頃までにやれそうだ?」


「左様ですな。この調子なら明後日までには」


「よし。頼んだ。俺は支部長に、キャンプの施設建設の全権をお前に任すように伝えておく。奴は戸籍の事でこっちにまで手を出せないだろ。働き過ぎて死んじまうぞ」


ルゥテウスが言うとラロカが大笑いして


「あの方は昔から休むと言う事を知らんのです。私が何度も諫言して、その度に休もうとされるのですが半日もしないうちに気が付くとまた働いているのです」


「面倒臭い奴だな……とにかくもう戸籍の事だけに専念させて他の仕事はお前と監督で分担してやれ。

監督も案外忙しいだろうから俺とお前で回すしか無いな。俺は資材の調達と加工をやるから、建築はお前が全部仕切れ」


「は、はい」


「よし。では明後日まではお前もここに専念してくれ。頼む」


「承知しました」


「しかし資材の管理と土木普請を采配する人材が欲しいな……」


 ルゥテウスは突然全体念話で


『みんな聞こえるか?仕事中の奴はそのまま手を動かしながら俺の話を聞いてくれ』


『ルゥテウス様、何かありましたでしょうか?』


『どうかされましたか?』


シニョルとイモールが応答してきた。


『いや、みんな忙しそうだから集まらずにここで伝えておく。そのまま聞いてくれ』


『支部長についてだが……もうこの状況で彼を《支部長》と呼ぶのはおかしいだろ。なので今後は《市長》と呼ぶぞ。いいな?』


『な……私が市長……ですか?』


『そうですわね。もう《赤の民》も無くなるのですし、支部でも無いわけですから支部長はおかしいですものね。市長で宜しいのではないかしら』


シニョルも賛成した。


『じゃ、イモール・セデスは本日これより《市長》だ。みんないいな』


ルゥテウスが確認すると


『はい』


『了解です』


『市長、改めまして宜しくお願い致します』


『市長の方がしっくりしますね』


などと、特に反対も無かったのでイモールの呼称はあっさりと《市長》に変更された。


『早速だが、市長は恐らく今、戸籍作りで死ぬ程忙しいだろう。なので当面の間はキャンプ内の建築については親方に一任させていいだろうか?』


『そうして頂けると……こちらも助かりますね』


イモールが思わず本音を吐いたのでルゥテウスは笑いながら


『では建築は俺と親方で進めておく。市長は安心して戸籍整備に専念してくれ』


『かしこまりました』


『監督は聞こえているか?』


『はい。聞こえております』


ドロスが返事をした。


『今は訓練場か?』


『左様でございます。各地から到着して待機に入った暗殺員に配置転換について説明をしているところでございます』


『そうか。ご苦労だな。それで相談があるんだが』


『はい。何でございましょう』


『訓練場の広さはどれくらいあるのだ?』


『はい。キャンプの北東側の森の中に南地域の半分くらい……と言えば解りますでしょうか?それと同程度の広さを確保しております』


『うーん。長屋で言うと30棟くらいか?』


『あぁ、左様でございますね。それくらいで考えて頂くと解り易いかと』


『ではそのうちの10棟分くらいの土地を資材置き場で借りていいか?排水溝の資材をそこに置かせて欲しい』


『承知しました。それでは建物が無い東側部分をお使い下さい。訓練生の目に留まっても大丈夫なのでしょうか?』


『あぁ、それは問題無い。囲いは設けるつもりだ』


『承知しました。あ、それとルゥテウス様』


『何だ?』


『我々の新組織の名称です。いつまでも《赤の民》では宜しくないでしょうから新しい名称をお考え下さい』


『え?俺がか?』


『はい。我らは貴方様によって暗殺を生業とする《赤の民》を解体されました。そして貴方様によって再生されました。なのでその名称も貴方様に命名して頂きたいのです』


ドロスの申し出にルゥテウスは困惑した。薬屋の屋号は実家に準えて命名出来たが、暗殺組織……いや諜報組織など自分の経験と記憶の中で関わった事すら無いのだ。


『いや、命名は任せるよ。誰か良い名前が思い付いたら遠慮無く言って貰えないか?監督の参考になればいいし』


シニョルがここで突然


『青の子』


とポツリと言ってきた。


『青の子?』


『はい。ルゥテウス様の事です。私はルゥテウス様に青を重ね見ております。貴方様を見ていると何か……いつも青い空気が周りを包んでいるような……』


ルゥテウスに「青」という色を感じているのはシニョルだけでは無かった。

ルゥテウスの魔力に影響された物は青く発色する。ソンマの飾り紐もそうだし、全員に付与された念話の品も同様である。

シニョルの念話を聞いていた者達は等しくそれを思い、自然と口に出ていた。


『青の子……素敵ですね』


『そうですね。青の子……良いのではないでしょうか』


『今の我ら……これからの我らにピッタリの名前じゃないですかね』


『私には異論がありません』


『それでは我らの総意として新組織の名称を《青の子》とさせて頂きます。我ら同胞の再生の為、力を尽くす所存でございます。どうか改めて宜しくお願いします』


最後はドロスが宣言して、ルゥテウスが反駁する間も無く諜報専門の新組織名称は《青の子》に決まった。


『うーん。何も俺に因んで命名しなくてもいいんだけどな……お前らがそれで良いと言うなら別に構わんけどさ……』


ルゥテウスは少し照れながら言った。《赤の民》領都支部という組織を自分が解散に追い込んだ。

しかし彼らは自分の諭言を受け入れ、暗殺稼業を放棄してくれた。そして新組織に自分の姿を冠してくれる……ルゥテウスは彼らの気持ちを想い、嬉しく思ったのである。


『それでは早速ではございますが、青の子の訓練施設の東側三分の一を資材置き場として提供致します。訓練生には近寄らないように申し伝えますのでご自由にお使い下さい』


『分かった。ありがとう。今夜辺りからどんどん置いて行くが気にしないでやってくれ』


『承知しました』


『それと市長。ロダルを貸してくれないか?忙しいのに申し訳無いのだが』


『ロダルですか?』


『うん。ロダルに建築資材と作業員の管理を頼みたい』


『ロダル、聞こえているか?ルゥテウス様がお前を御所望だ』


『ロダルです。聞こえております。俺なんかで大丈夫でしょうか』


『あぁ。お前は戸籍作りで頭を使うよりも、こっちの仕事の方が得意そうだ』


『いやぁ……それを言われますと……確かに頭が煮えそうです……』


ロダルの本音が漏れて、聞いてた皆は笑いそうになった。


『承知しました。それではロダルは親方の下に付けます』


『済まんな。ではロダルは今の仕事を引き継ぎしたら長屋の仮事務所に来てくれ』


「承知しました」


『俺からの連絡は以上だ。みんな忙しいのに悪かったな』


ルゥテウスは念話を終わらせて


「親方。と言うわけで、ロダルが使えるようになった。ところで、そっちの余っている土地も使わせて貰っていいのかな?」


藍玉堂建設予定地の右隣、西側の方角にある土地について尋ねた。


「えぇ。問題無いと思います。元々はこの辺り一帯を使ってお屋敷が建つ計画でした。その為に何もせぬまま20年以上も空地だったのです。ご自由にお使いになられても問題無いと思いますよ」


「それじゃ、右隣に運営事務所と言うか役場を建てよう。それを地下で繋ぐ」


「え?地下で繋ぐのですか?」


「そうだ。《藍玉堂》の地下にある転送部屋に地下を通って行き来出来るようにするんだ」


「あぁ、なるほど」


「なのでこっちの建物の目途が付いたら、そこの隣の土地も同様に囲ってくれ。地下は全部俺がまたやるから」


「かしこまりました」


「この藍玉堂の後が役場、その後が鍛冶施設。この順番で頼む」


「はい。鍛冶施設はキャンプの東側が宜しいのでしたね?」


「そうだな。大きな施設になるのと稼働が始まると騒音や煙が出るようになる。出来れば住宅地とは離して造りたいのと、排水を東に向かって流して最終的に住宅街の東端に設ける処理施設からレレア川に逃がすので、その辺りに建てたい。なので将来的にはレレア川に逃がす為の排水路が住宅街と工場地域の境界線になるんじゃないかな」


「なるほど。了解です」


「それと、何か欲しい資材はあるか?可能な限り調達してくるぞ。資材置き場も確保したからな」


ルゥテウスは笑って言った。


「これは提案なのですが……」


「何だ?遠慮無く言ってくれ」


「排水溝を造られるのですよね?ならばいっその事、通りを《道路》として舗装してはいかがでしょうか。石敷きにするなど」


「なるほどな。土木普請の経験を積ませるなら、そういう単純作業が多くあった方がいいな。

ではキャンプの全体図が出来上がったら本格的に一度区画整理を考えてみるか。その方が風呂場の設置なんかも本格的にやれそうだ」


「承知しました。ルゥテウス様のご判断でお進め下さい」


「人員の確保はロダルにお申し付け下されば私の名前で手配させます」


「よし。頼む。俺はこれから資材の調達を始める」


そう言うとルゥテウスは長屋の仮設事務所に向かって歩き出した。


長屋に到着するとノンが掃除をしていた。


「お帰りなさいませ」


「いや、またすぐ出掛けるけどな」


ルゥテウスが笑って応じた。


「お一人で?」


「うん。ちょっと山奥だからな」


「え?山……?」


「うん。夜の配給までには戻るよ」


「あの……ルゥテウス様……」


「何だ?」


「私も何かお役に立てないでしょうか……ここで待つだけなのは心苦しくて……」


ノンはもうルゥテウスの行動には慣れたのか、当初のようにオドオドしなくなってきた。元々は酒場で組織の支部事務員だったのだ。イモールが住み込みを許すくらいだから有能だったのだろう。


「うーん……そうだ!ロダルが抜ける分、お前が市長の戸籍事業を手伝ってみるか?」


「はい。頑張って務めさせて頂きます」


ノンは嬉しそうに答えた。ノンの申し出をすぐにイモールに伝えたところ、イモールも


『そういえばノンの存在を忘れておりました。危うく有能な事務員を遊ばせておくところでした……』


と慌てたように応えてきたのでルゥテウスとノンは大笑いしてしまった。


『ではこの長屋の仮設事務所で作業させよう。酒場にあった備品は全部こちらに運び込んであるんだ』


『そうでしたか。それでは私も明日からそちらに詰めるようにします。ノンを助手としてお借りします』


『わかった。頼む』


「よし。市長との話もついた。お前はここに住み込みながら当面は市長を手伝え」


「お仕事を下さりありがとうございます」


ノンは笑顔で礼を述べた。


暫く長屋で待っているとロダルがやってきた。


「お待たせしました」


「よし。早速だが、ちょっと一緒に来てくれ」


ルゥテウスは右手を払って酒場の時計を取り寄せ、酒場から持ってきた備品棚の上辺りの壁面に時計を取り付けると


「ノン、17時30分になったら念話をくれ。それまでちょっとロダルと出掛けてくる」


「はい。行ってらっしゃいませ」


「あぁ、行ってくる」


ルゥテウスはロダルの腕を左手掴んで右手を振り、結界を張って消えた。


 ルゥテウスが飛んだ先は、あのマグダラ山脈の中腹にある鉱石採掘を行った場所だ。目の前には午前中に採掘した鉱石から抽出した20トンもの高純度の鉄が置かれている。


 ルゥテウスは今後の使用資材について考えていた。彼が先程、藍玉堂の地下部分に使用したコンクリートは、この時代に使われている建築素材では無い。

超古代文明時代の物を血脈の記憶として得た知識であり、現代には「伝わっていない」技術であった。


大戦争によって地表に残る古代文明の足跡がほぼ消失し、長い暗黒時代を経て復興した現代文明の建築では建材同士の隙間を埋めたりするのに漆喰が使われる程度のレベルである。


 そんな数少ない超古代文明時代の主な遺跡としては当時の戦争に備えて各地に造られた地下シェルターが代表的なものだが、その築造に使われたコンクリートに関しては「精巧に加工された石材」と言う程度の認識がされていた。


エスター大陸を中心に第二紀に魔物の襲来で悩まされた人類は生活拠点として地下シェルター跡に村などの集落を形成して対抗していたのだが、その魔物の襲来すら跳ね返す地下シェルターの構造等の知識は数千年に渡る「生き抜くのがやっと」と言う厳しい環境で過去の遺物として失伝していったのである。


 第三紀に入り、各地に散っていたショテル系魔術師が集まってレインズ王国の王都レイドスに建国直後からいち早く魔法ギルドが創設されたが、その象徴たる「灰色の塔」の築造にも超古代文明の知恵は使用されなかった。


 魔法ギルドを構成した代々の魔導師や魔術師の中で建築を研究対象とした者は少なく、その内容も材料研究では無く工法研究へ偏った為に漆喰のような原始的な接着剤の「再発明」に留まった。


第三紀以降に現われた賢者の知を持つ発現者、すなわち「黒い公爵さま」も国内の政治的問題や、魔法ギルドにおいては衰退した人員的問題の解決を主な活動に据えたので、超古代文明の知識をその行動に生かす機会が少なかった。


 皮肉な事に建国3000年後に現われた完全発現者のルゥテウスは、そのようなレインズ王国の大貴族としての不完全発現者とは一線を画す思想を以って生まれ育った為に、王国の綱紀粛正などには微塵も興味を示さず行動する発想の自由を得ていた。

また彼には潜在的に第三紀以降の「黒い公爵さま」と賢者の血脈全体に対してある種の反感があった事は否めない。


(俺の役割は超古代文明時代の兵器に繋がるような「危ない技術」では無く、人々の生活の向上に資するような汎用技術を気付かれ無いように「じわじわ」と浸透させて行く事だ。

少し出しては連中にやらせる……を繰り返す事で難民の連中を先端技術集団として他国に認めさせるようにしていこう)


 ルゥテウスに腕を掴まれ、突然景色の良い山の中と思われる場所に連れて来られたロダルは驚いて


「ここは……どこですか?」


と落ち着かない様子で尋ねた。ルゥテウスは地面にしゃがみ込んで簡単な地図を描き


「今はこの辺だな。解るか?ここが領都でさっきまではこの辺に居た。今はこう……ここだ」


現在地がとんでもない場所だと分かり尚も落ち着かないロダルは辺りを見回し、自分の後ろに巨大な鉄の塊があるのを見てギョっとした。


「こ、これは……何ですか?」


「鉄だ。鉄の塊。今は錆が入らないように魔導で保持しているが純粋な鉄だ」


「こ、これが鉄ですか……?あの、ナイフや剣を造る?」


ロダルは20トンもの鉄の塊を見て圧倒されている。


「まぁ聞け。これからまずお前が覚えるのは二つ。『コンクリートの造り方』と『ポンプの造り方』だ。キャンプに水を通すのにこの二つが必要だ」


「こ、こんくりーと……って何ですか?」


「漆喰は解るか?」


 このような会話でルゥテウスは日が暮れるまでロダルに建材について説明した。彼には早いうちに人を使って排水溝のコンクリート施工を始めて貰わないといけない。


『ルゥテウス様、約束のお時間です』


ノンからの念話連絡に


『お、そうか。ありがとう。これから帰る』


ルゥテウスは笑って


「流石にこの山中までは救世主教の鐘も聞こえないからな。ひとまず帰ろう」


そう言うとロダルの手を取って仮事務所の長屋へと飛んだ。


「お帰りなさいませ」


「うん。ただいま」


「ではルゥテウス様、先程のコンクリートと言う物で排水溝を固めるのですね?」


「そうだ。まずは計画図に沿って皆さんに溝を掘って貰う。その溝に予め別の場所で型枠を使って造っておいたコンクリートの管を繋げて、最後は埋めて行くんだ。

コンクリートを使いこなせば、石を削るよりもはるかに簡単に思い通りの形の建材を造れると言うわけだ」


そういう話をしているとラロカが部屋に入ってきた。


「おぉ。親方。丁度良いところに来た。配給を貰いに行こう」


「はい。私もそう思って切り上げて参りました」


ラロカは笑って応じた。


ノンも含めて四人で集会所に向かう。


「ロダルには材料の管理と排水溝の敷設をやらせる事にした」


「では私は施設の建築に専念出来ますな」


「そうしてくれ。おかげでどんどん前倒しが出来る」


「承知しました」


「これで何とか水については見当が付いたな。

恐らくロダルの排水溝がモノになるのと、親方が鍛冶施設を造り終えてポンプの部品の生産が始まるのが同じくらいだと思う。

順番としてはまず水を捨てる事からやらないと駄目だからな」


「なるほど。確かにそうですな」


一同は集会所に到着し、列に並んで配給を受け取り四人掛けの机に座りながら食事を始めた。


「さっき親方に見せた藍玉堂の地下に魔法陣を今日中に設置する」


「え……あのソンマ店長が驚いていたやつですか?」


「そうだ。まずはシニョルの部屋と繋ぐ」


「え!?だ、大丈夫なのですか?」


「うむ。今後は俺自身でシニョルの送り迎えはしたくない。あそこは公爵に感知される危険がある」


「なるほど……」


「だから、シニョルが自分で行き来出来るように最初にあそこと繋いでしまうんだ」


「但し、あいつはキャンプの中は不案内だし、あんな恰好と見た目で昼間からキャンプの中を歩かれたら確実に住民に不審がられる。本人だと知れたら大騒ぎだ」


 ルゥテウスが苦笑すると他の三人も笑いを堪えた。我らが統領様は意外と好奇心が強い。

30年もの間、公爵夫人に仕えて屋敷の中で働き、時折正体を隠して緊張しながら夜の土竜酒場を往復するような気が詰まった生活をしてきたのだ。


念話が使えるようになり、あのように嬉しそうな様子を見せているくらいだから、お忍びでキャンプの中を歩き回るのは目に見えている。


「別にキャンプの中を徘徊するのは彼女の自由だ。何しろここはあいつが作ったんだからな。

しかし迷子になられても困るんで、皆が忙しい今の時期は控えて貰うように釘を刺しておこう」


「そ、そうですな……」


ラロカもパンを齧りながら目を白黒させている。


「それとさっきの資材置き場だ。ロダルは行った事があるんだろ?」


「勿論です。訓練はあそこでやってますから」


「東側だとここから一番離れているよな?距離はどれくらいある?長屋の事務所からでいい」


「そうですね……30分くらいでしょうか」


「ちょっと遠いな。やはり資材置き場にも転送陣を置こう」


「ど、どうやって置くのです?」


「適当に小屋を建てて結界で隠す。俺と親方とお前だけが出入り出来るようにしよう。さっきの排水溝の建材も資材置き場に加工場を造るか?」


「ルゥテウス様。加工場と鍛冶場は近くに建てた方がいいのではないでしょうか?」


ラロカが提案してきた。


「なるほどな。いっそ鍛冶場を訓練所寄りに建てるか。そうすればあの鉄も資材置き場から供給出来る」


「なるほど……しかしあれだけの鉄……どうやって運びますか?」


「まぁ、延べ棒にするさ。5キロの延べ棒で4000個だ。1個5キロなら持ち運べるだろ?」


「よ……4000個……」


 キャンプの難民にとって鉄は非常に貴重な資源だ。いや、キャンプで無くても鉄は貴重で、今までキャンプの拡張で集会所を含む長屋を10棟建てるだけで相当な予算の負担を強いていた。

それが俄かに20トンも提供されるとは。イモールが聞いたら腰を抜かしそうだ。


「安心しろ。無くなったらまた持ってくる」


「いやいや……」


 ラロカは苦笑いした。自分は今までキャンプの建設には携わって来ていなかったが、今回藍玉堂の建設を任された時からイモールや実際に建設に関わる職人と釘や工具の話をしながら鉄の重要さと入手の難しさを耳にタコが出来る程聞かされてきたのだ。

目の前の美しい幼児から笑顔で無尽蔵の供給を申し出てこられても困惑するだけだ。


「あと、親方が言っていた石敷きの舗装はどうする?そういうのに詳しい同胞の人は居るのか?」


「支部長……いや、市長の手元にこのキャンプに入所する際に聞き取りをした記録があるはずです。それを見れば以前にどういう仕事をしていたのか解ると思います」


「あぁ、そう言えばそんな事を言っていたな。よしノン。お前は市長の戸籍を手伝いながらその資料の管理もやれ。必要な時に必要な人材をすぐに探せるようにしたい」


「は、はい」


「では石敷きの話はそれに関係する職人の有無が判明してからにしよう」


「承知しました」


「しかしアレだな。これだけキャンプの整備が忙しくなると藍玉堂の経営は当分は店長一人になるな。奴はこっちの仕事を手伝う能力は無いしな。薬を造らせるくらいしか頼めない」


ルゥテウスが笑うと他の三人も釣られて笑った。


「しかし母の病が治ったらサナが手伝えます。あいつは店長に弟子入りするんですよね?」


「そうだな。但し製薬の基礎を覚えるまではいくら魔法の素質があっても店長に頼るしか無いんだぞ」


「そういえば今日は店長から連絡がありませんね」


「奴は多分、レレア川の向う側にある森まで行っているはずだ。今頃はキンクスパイダーの巣を巡って持ち主と争っているのだろう。あの蜘蛛はそこそこ大きいからな。これくらいあった記憶がある」


と言ってルゥテウスは両手を使って大きさを示した。50センチはある。ノンの顔色が変わった。


「だっ、だ、大丈夫なんでしょうか」


「さぁ……?危ないと思ったら助けを呼ぶんじゃないかな。念話で。連絡が無いなら無事なんだろう」


結局、ルゥテウスの助言に従ったソンマは黙々と蜘蛛の巣を集め、これまで取り扱った事の無い高貴薬の素材を大量に手にするのであった。


食事を終えて長屋へ戻る帰り道でラロカと別れ、資材置き場を確認してくると言うロダルとも別れて、ノンとルゥテウスは長屋に戻った。


「よし。外も暗くなったし、俺はまずキャンプの全体図を作ってくる」


「こっ、これからですか?」


不審に思ったノンが尋ねる。


「そうだ。空から測量するからな。こんな幼児が空を飛んでるのがバレたら大騒ぎになるだろ」


「な、なるほど……」


ルゥテウスが備品棚から何枚か紙を取り出すと


「お前も明日から忙しいからな。ゆっくり寝ろ。夜中に何度か俺が出入りするかもしれないが気にするな。いいな」


「はい。行ってらっしゃいませ」


 ルゥテウスは畳んだ紙を抱えて外へ出て行った。


ノンは今日張った自分の結界でちゃんと眠れるのか心配になりながらも、ランプの灯りを消して「自分の領域」に入っていくのであった。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド

主人公。5歳。史上10人目となる賢者の血脈の完全なる発現者。難民キャンプの魔改造に取り掛かる。


シニョル・トーン

51歳。エルダ専属の女執事。戦時難民第三世代。エルダの実家から婚姻に同行して以来の腹心。エルダの闇と秘密を守る名目で同胞の保護を始める。同胞からは《統領様》と呼ばれている。念話がすっかりお気に入りに。


イモール・セデス

49歳。戦時難民第一世代で暗殺組織《赤の民》の領都支部をオーデルに創設し、《支部長》として束ねる男。性格は穏やかで理知的。


ラロカ

52歳。戦時難民第二世代で《赤の民》領都支部創設に向けて本場の組織より暗殺技術を学んで持ち帰った男。《親方》と呼ばれる。


ソンマ・リジ

25歳。戦時難民出身で初めて魔法ギルドに入門し、錬金術を修めた初級錬金術師。《赤の民》へ術符を提供してしまった為にギルドから追われる身となる。難民キャンプで薬屋を経営することを決意する。


ドロス

44歳。戦時難民出身でかつてラロカと共に《赤の民》の本場に渡り、諜報術を学んで持ち帰った男。真面目一辺倒な男で《監督》と呼ばれる。


ノン

17歳。《赤の民》領都支部建物にて職員を務める女性。美人だが気が小さい。幼児である主人公の姉役を偽装する担当になる。


キッタ

32歳。《赤の民》領都支部建物にて職員を務める男性。眼鏡が特徴の実直な男。


ロダル

28歳。キッタの弟。《赤の民》領都支部の新米暗殺員。暗殺員としての失業に伴いソンマの薬屋へ兄妹と共に転職する。


サナ

14歳。キッタの妹。術師の素養を持った女の子。


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