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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第二章 難民の王国
25/129

偽装姉弟

【作中の表記につきまして】


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくおねがいします。


 12月13日の朝。12月の3旬目の初日で、このレインズ王国のような文明国家においては「休日明けの日」と言う事になる。

しかし、領都オーデルの東側の外れにある難民キャンプでは、あまり休日などは関係が無い。なぜなら、このキャンプには「職」が無いからだ。


住民に課されるものと言えば毎日三食実施される配給の配膳当番と通りなどの共用部分の清掃当番や水汲みくらいで後はイモールが個別にお願いしたりする程度だ。

そして12歳になった子供は《赤の民》の組織員として選抜が行われる。そういう事情もあって、このキャンプの中には決められた休日などは無い。


『親方おはよう。俺はこれから配給を貰いに行くから、それを食ってから《藍玉堂》の建設予定地に行くからな』


ルゥテウスからの念話を受けて親方ことラロカが応える。


『おはようございます。ルゥテウス様。承知致しました。お一人で集会所へ?』


『いや、ノンに付き合って貰う。あいつは姉役だからな』


これを聞いてラロカは苦笑しながら


『承知致しました。私も朝食を済ませたら囲いを造る者の資材運搬を監督しつつ現場に向かいますので宜しくどうぞ』


『分かった。宜しくな』


ラロカとの念話を終わらせて


『ノン。聞こえるか?おはよう。昨日の集会所に朝の配給を貰いに行きたい。一緒に行って欲しいから、昨夜の長屋の部屋に来て貰っていいか?』


ノンに念話を送る。


『お、おはようございます。ルゥテウス様。親方様とのお話は大丈夫なのですか?』


ノンがおどおどした感じで応答してきた。


『うん?親方?あぁ、藍玉堂の建設現場で待ち合わせているが……奴の念話はまた全員に筒抜けなのか?』


『は、はい……。聞こえておりました……』


『まったく……。まぁいい。お前の念話もどうせ全部筒抜けだろうが、とにかくあの部屋に来て貰えないか?』


『あ……私はもう、お部屋に居ます』


『あ、そうなのか?じゃ、俺も行くからな』


そう念話を終えるとルゥテウスは藍玉堂建設現場近くに空いていた長屋の部屋へと瞬間移動した。


「わっ!おっ、おはようございます」


突然現れたルゥテウスに驚いたノンがそれでも挨拶をしてきた。


「あぁおはよう。こんな朝早くからもう来ていたのか」


「あ、いえ。私は昨夜ここで寝ましたので」


「え?どうしてだ?家には帰らなかったのか?」


「私はあの酒場の奥で住み込みでしたから……今はもう帰る場所が……」


「何でだ?このキャンプの中に自宅とか実家は無いのか?」


「私はもう父も母も亡くしてますので……家はここにありません」


ノンは困惑した表情を浮かべた。ルゥテウスは驚いて


「何だ。お前も家族が居ないのか。俺も血の繋がった家族は居ないけどな……なるほど」


ルゥテウスは、血縁上の父親の存在をあえて無視した。


「そうか……って、お前ここに泊まったのか?寝る場所なんて無いじゃないか」


「はい……皆さんが御帰りになった後にそこの……椅子を並べてその上で寝ました。少し寒かったですが……」


そう言うノンは少し具合が悪そうな様子も窺える。


「バカだなお前は。なぜ俺に言わない。何の為の念話だ」


ルゥテウスはノンを椅子に座らせ、額に手を当ててみた。少し熱があるかもしれない。


「うーん。やはりちょっと体調を崩しているな。しょうがない。後ろを向け」


ノンは言われた通りに後ろを向いて座った。ルゥテウスはノンの背中に両手を当てて目を閉じた。昨夜、キッタ三兄妹の母の病を治療した時と同じような恰好だ。


ルゥテウスに両手を背中に当てられたノンは体の中の倦怠感が一気に引いていくのを感じて驚いた。


「よし。もういいだろう」


「あ……体が……楽になりました。ルゥテウス様、ありがとうございます」


「いや、礼には及ばん。お前は俺の姉代わりなんだからな。住む場所が無くなったなら、後でここに酒場のお前の部屋から寝具や他の家具も運び込もう。

どうせ支部長には許可を貰ってるんだろう?」


ルゥテウスが聞くと、「姉代わり」と言われたノンは顔を真っ赤に染めながらもじもじと


「は……はい。支部長様からはここで寝泊まりしていいとお許しが」


「そうか。まぁ藍玉堂が完成するまで、ここは会合場所にもなるが我慢してくれ」


「いえ。とんでもございません。お心遣いありがとうございます」


ノンは再びルゥテウスに頭を下げた。そこで朝の鐘、6時の鐘が聞こえてきた。

 領都内には東西南北で教会が四ヵ所建てられており、その四ヵ所で正確に定時の鐘を鳴らす。東の教会で鳴らされる鐘の音がこのキャンプにも聞こえてくるのだ。


「おっと。配給の時間だろ?行くぞ。俺のような5歳児が一人で行くと変な目で見られるからな。お前は可能な限り今後は俺の配給に同行しろ。姉弟と言う恰好だ」


「は、はい」


 二人は長屋を出た。昨日の夜と違ってキャンプの通りは朝の光で明るく、人目にもつきやすくなる。

ルゥテウスはノンの手を取り、二人は姉弟が一緒に配給を貰いに行くという態で集会所に向かった。ルゥテウスと手を繋ぎながらノンは俯きながら顔を赤くして歩いていた。


「酒場には個室を貰っていたのか?」


「は、はい。住み込みは私だけでしたので」


「何だ。そうなのか。俺が初めて乗り込んで行った時、厨房の中にも結構人数が居たよな?」


ノンは二日前の朝の出来事を思い出しながら


「そ、そうですね。あの時は確か……私を入れて三人居たと思います……私は……あの……途中までしか覚えていませんけど……」


「そうなのか?ふむ。と言う事はお前以外の他の二人は外からの通いだったって事か」


「はい。皆さんここから通ってますね。あの時は私の他に男性一人と女性一人の職員が居ました」


「なるほど。で、その二人はここに家があるんだな?」


「そうです。男性は奥様も居ますし、女性の方もご家族とお住まいですので」


「何だ。職員も家庭や家族が居るんだな。居ないのはお前だけなのか?」


「はい。私は15歳になって事務員として酒場の配膳係もしていたのですが、すぐに一緒に暮らしていた母が亡くなって一人になってしまったので、支部長様のお執り成しで酒場の中にお部屋を頂戴して住まわせて貰っていました。一人で夜道を帰るのも危ないだろうって」


「なるほどな。支部長もなかなか気が利くじゃねぇか」


 ルゥテウスが笑うと母の事を思い出して悲しそうな顔になっていたノンも笑った。

この幼児と出会ってから驚くばかりだが、おかげで天涯孤独になった寂しさも忘れられる。そして今は自分を偽装とはいえ姉代わりとして扱ってくれている。


(こんなに凄い……綺麗な顔をした子なのに……)


ノンは自分と手を繋いで歩いている幼児に時折目を向けながら幸せな気持ちになっていた。


「なるほど。明るい時間に見ると一層大きく見えるな。そして行列も長い。出遅れたかな」


集会所が見えてきて、昨夜よりも長い列が出来ていたのでルゥテウスはゲンナリした感じで声を出した。


「そうですね。朝の配給は早い人ですと鐘が鳴るかなり前から並んでいますから」


「なるほどな。考えてみたら昨日の夜飯から12時間経っているからな。起きたらそりゃ腹も減るさ」


 二人は笑いながら列に並んだ。イモールや他の要人と一緒でなければ二人は綺麗な姉が可愛くて幼い弟を連れて配給に来た姉弟にしか見えず、周りも特に不審に思わない。

特に姉の少しくすんだ金色の髪に鮮やかな赤い結びリボンの飾りのついたヘアクリップは朝の光を反射して輝いていた。


「今日はこの後、俺は親方と工事に立ち会って、囲いが出来てからは中で作業するから、お前は特にやる事が無いので部屋で念話の練習でもしていろ。昼になったらまた一緒に配給に行こう」


「は、はい。練習を頑張ります」


「しかしアレだな。お前の場合、他の奴等が歳が離れすぎているから練習相手が居ないな。ああ見えて他の奴等も忙しそうだしな」


「そ、そうですね……」


「サナにも付与品が渡っていればな……同年代で練習相手にもなるんだが……」


「はい……」


「うーん……。やっぱり練習するなら男よりも女相手の方がやりやすいだろうしな」


「そ、そうですね……」


「よし。シニョルに頼もう」


「……?……えっ!?」


「シニョルに練習相手を頼めよ。女同士だから他の連中よりも話し易いだろ。あいつも念話大好きっぽいし」


「とっ、と、統領様とですか!?」


 思わず声が大きくなり「統領」と言う単語を含んでいたので周りで列に並んでいた他の難民が一斉にノンの方を見た。ノンは真っ赤になって首を竦めた。


「声が大きいぞ」


「すっ、すみません……」


「あいつだって、暇な時くらいあるだろ。お前が言い出せないなら俺が頼んでやる」


そう言ってルゥテウスはシニョルに念話を送った。


『シニョル。おはよう。起きているか。俺は今朝の配給に並んでいる』


『あ、おはようございます。ルゥテウス様。ルゥテウス様が朝の配給に並んでいらっしゃるのですか?』


 シニョルは朝食を摂っている時にいきなりルゥテウスから念話が入ってパンを咽喉に詰まらせそうになったが、辛うじて飲み込んだ。


『お前、仕事の合間は暇だろ?だったら、ノンの個別念話の練習相手になって貰えないか?ノンは女が相手じゃないと気が弱いから練習にならんのだ』


『そう言う事でしたらお安い御用でございます。ノンさん、宜しくお願いしますね』


ノンは慌てて髪飾りに触れながら


『はっ、はい。宜しくお願い致します』


と緊張で多少片言になりながら返した。ノンにはルゥテウスの声が聞こえていなかったので、突然シニョルから自分の名前を呼ばれたように聞こえたのだ。


ちなみに、シニョルの全員丸聞こえの念話によってルゥテウスが朝の配給に並んでいる事と、我らの統領様がノンと何かを約束した事が念話仲間全員に知れ渡った。


『おはようございます。イモールでございます。ルゥテウス様は今朝も配給ですか?』


ルゥテウスは苦笑いしながら全員念話に切り替えて


『そうだ。昨夜よりも長蛇の列だぞ』


『まさか、お一人で?』


『5歳児が一人で並んでたら目立つだろ?姉と一緒に並んでいる』


『姉?姉上様がいらしたのですか?』


『バカ野郎。ノンに決まってるだろ。こいつは俺の偽装姉担当だ』


『あ、そのような事を仰ってましたな。失礼致しました』


『なるほど。それで先程、統領様とノンが念話を交わしていらしたのですね』


『そうだ。女同士で個別念話の練習相手になってはどうかと提案したのだ』


『なるほど。そう言う事でしたか。私も相手を探すとしましょう』


『そうだな。集まって顔を突き合わせている時にやるよりも、こうして皆バラバラの時に本当の遠距離でやった方が練習に効果的だとは思わんか?』


『確かにそうですね。うん。効果的だ。おはようございます』


ソンマが念話に割り込んで来た。


『店長は何をしているんだ?』


『私は早朝から採集に出ております。キャンプ周辺で拾える触媒は結構ありますから』


『なるほど。レレア川の先にある森を知っているか?あそこにキンクスパイダーと言う蜘蛛が棲息しているが、そいつが巣を張る時に出す糸が高級治療薬の触媒になるぞ。生息地が限られているから結構貴重品だ。王都でも高値で取引されているはずだ』


ルゥテウスが血脈の記憶からの情報を提供した。


『え!?キンク蜘蛛ってそんな場所に棲んでいるのですか!?な、何でルゥテウス様はそんな事を御存知なのですか?』


『そんな事はどうでもいい。おっと。俺の配給の番が来た。念話を切るぞ』


ルゥテウスは念話を強制的に中断して、係の男性から盆を受け取って朝の挨拶をした。普段の彼の見た目は元気で利発そうな礼儀正しい5歳児だ。

ルゥテウスの後にノンも盆を受け取って挨拶を交わす。


二人は配膳を受け取って、集会所の飲食スペースへと向かった。机に盆を置いてノンが二人分の水を貰いに行った。


二人で向かい合わせに座って朝食を食べながら


「何でパンってこんなに堅いのかな」


「え?パンは堅い物ですから……」


「いやいや。俺の知っているパンはもっと柔らかいよ。それこそフワフワのやつだってあるぞ」


「ふわふわ……?どう言う意味ですか?」


「うん……?お前、フワフワが分からないか?」


「え、ええ。ちょっと想像が」


「うーん。そうだな……」


 ルゥテウスは周囲を見渡した。ここには「フワフワした物」が無い。彼女は恐らく人生でそういう感触を持つ物を見た事が無いのかもしれない。


この時代と言うかこの北サラドス大陸では羊毛はそれなりに価格が高く、ルゥテウスが覚醒した後に見た羊毛製品は、実家や海鳥亭の寝具やユーキが休日に外食に行く時に着ていたセーターくらいだった。枕も中に籾殻を詰めた硬い物が多く、とても柔らかさを表現出来る例えには使えなかった。


「おお。そうだ。耳朶(みみたぶ)だ。耳朶を触ってみろ。そんな柔らかさだ」


ノンは自分の耳朶を摘みながら


「こんなに柔らかいのですか?」


「まぁ、厳密には違うが柔らかさを例えるとそれくらいだ」


「こんなに柔らかい……本当でしょうか?」


「いやいや。お前の人生において体験出来そうな『ふわふわ』を考えた場合に出た例えだよ」


ルゥテウスが大笑いするが、ノンは「フワフワ」の感触がまだよく分からずモヤモヤした気分になった。


「しかし、お前のおかげで良いヒントが得られた。羊毛だ。このキャンプと言うか難民の特産品を羊毛にしよう。肉も取れるしな。これは儲かるぞ……くくく」


ルゥテウスが悪そうな顔をしたのでノンはおかしくて吹き出した。


「さっそく後で支部長と相談だな。どっかで羊を飼ってる所に行って(つがい)で買ってこよう。俺の記憶ではお前らの故郷であるエスター大陸の中部で放牧をやっていたな。そういや、元祖《赤の民》の皆さんは元々は羊を飼っていた遊牧民族だ」


ルゥテウスの話を聞いたノンは驚いた。


「えっ?あちらの赤の民の皆さんを御存知なのですか?」


「いや、別に知り合いは居ないがどういう連中かは知っている。そうだな……おっ。肌の色がこれに似ている」


と、ルゥテウスはノンがパンを浸して食べている椀に入ったトマトスープを指差した。ノンはパンに付いた赤褐色のスープを見て顔を顰めた。


「こ、こんな色の肌の人が居るのですか?」


「居るのですか……って、お前らの居た大陸にお住まいだぞ。そしてお前らの組織……元組織か……の先達だぞ」


ルゥテウスは笑った。ノンと話していると面白くて飽きない。彼女と二人きりでこれだけ話をする機会の無かったルゥテウスは心が和むのを感じた。


食べ終わった食器を戻して集会所を出た二人は長屋の部屋へと手を繋いで歩き出した。


「じゃ、部屋に戻ったら酒場でお前が暮らしていた部屋に行こう。ベッドの他に何か家具があるのか?」


「はい……小さな箪笥を使わせて貰っていました。それだけです」


「じゃ、ベッドと箪笥だな。後は何か思い付くか?昨夜運んだ厨房の道具で運び忘れた物とかあるなら教えてくれ」


ノンは少し考えて


「厨房では無いですが、倉庫に掃除用具がありました」


「そうか。じゃそれも回収だな。ちょっと大きめの転送陣で繋ぐか」


「あの……あの丸くて青い円盤は……店長様も仰っていたように難しい物なのですか?」


「そうだなぁ……生憎だが、念話もそうなんだけど俺とお前らでは感覚がちょっと違うんだよ。俺にとっては瞬間移動も転送陣も、もっと言うと個別念話だって別に難しい事では無い。

しかし俺がそう思っていてもお前らにとっては大変に難しかったりする。その感覚の差と言うのはこれからの俺にとって思わぬ失敗の原因となるかもしれない。

だから俺はお前のような者を近くに置いてその感覚を知っておかなければならないのかもな」


「わ、私のような凡人でお役に立てますかどうか……」


「いやいや。お前は十分に面白いよ。お前と居ると俺も楽しくて仕方が無い。あははは」


ルゥテウスは大声で笑った。傍から見ると仲の良い姉弟が楽しそうに歩いているようにしか見えない。


「そっ、そう仰って頂けるなら……私も嬉しいです」


「だろ?お互いが楽しければそれでいいじゃないか。俺は自分が封印されて何も解らないうちに家族が次々と死んでいた。

いや、お前らからの襲撃じゃ無くて色々とな。呪いみたいなもんだ。

だから残された俺は、母さんやおじぃ……祖父の分まで楽しく生きようと思っているんだ」


 ルゥテウスは急に決意を込めた目になって自分に言い聞かせるように呟いた。そんな彼を見てノンも家族を亡くして独りになってしまった悲しさを乗り越えなくてはいけないと思った。


 二人はやがて長屋の部屋に戻ると、改めて奥の机の上の厨房備品を確認した。昨夜のコンロにはまだ赤々と燻った炭が入っており、不思議な力で火が維持されていた。

コンロのつまみを調節するとしっかりと湯が沸かせる。ノンは昨夜の残り湯を沸かし直し、ルゥテウスと自分に茶を淹れた。


「今机の上を見ましたが、一応必要な物は持って来ているようです。ここでは調理は致しませんし」


「そうか。ならばお前の家具と掃除用具だな」


茶を飲み終えてルゥテウスは椅子から下りた。


「では行くか」


そう言ってノンの手を取って酒場に飛んだ。


 酒場の奥の厨房には更に扉が二つあり、一つは裏口で薄汚れたスラムの悪臭のする裏路地に続いていた。二つの扉がある反対側の奥に地下への脱出口に繋がる床板が巧妙に隠されている。


裏口とは別の扉を開けると廊下になっており、廊下の左右に扉が二つずつあった。ノンの部屋は右側の奥の扉の部屋であった。


部屋の広さは藍滴堂の二階にあったルゥテウスの部屋よりも狭く扉を開くと幅も奥行きも2メートル程の本当に「寝泊りするだけの」広さしか無く、扉の正面に小さな箪笥、その左側にベッドだけがあり、窓は無く箪笥の上に割れた大き目の鏡の破片が置いてあって、それを姿見代わりにしていたのか。

以前の難民の生活よりはマシであるが、それでも質素極まりない暮らしだったようだ。


ノンが恥ずかしそうにしながら


「こ、ここが私の部屋です……。その……狭くて済みません」


「何でお前が謝るんだ」


ルゥテウスはそのようなものには構わず、粗末だがきちんと畳まれた寝具を見て感心した。


「よし。先にこいつらを飛ばしてしまおう。ちょっと部屋の外に出ろ」


「は、はい」


二人は再び廊下に出た。備え付けのランプに灯が入っていない廊下は暗く、ノンが持つランプの灯りだけが頼りだった。


 ルゥテウスはおもむろに右手を振った。すると彼特有の空が薄い緑色をした昼間のように明るい結界が張られた。ノンはいきなり周囲が明るくなったのでびっくりしてランプを落としそうになった。

更にルゥテウスが右手を払う。すると部屋の中にあったベッドと箪笥は上に鏡の破片を載せたまま消えてしまった。この光景にはノンも予め知らされていたのでそれ程驚かない。


「よし。あとは掃除用具だったな」


「はい。こちらです」


 ノンはルゥテウスを右隣の部屋を案内し、扉を開けた。中は倉庫になっており、昨日親方が出してきた図面の転写に使った上質な紙などが入った棚も奥にある。そして手前に細長い掃除用具入れがあった。


「よし。面倒だ。この部屋の中身も全部飛ばす」


ルゥテウスはそう言うと右手を払ってこの部屋も空っぽにした。全ての備品が消えると部屋は意外に広かった。


「この反対側の扉は何なんだ?」


「仮眠室になっています。酒場に待機する人が滞在する場所です」


 扉を開けると中はノンの部屋や倉庫と同じような2メートル四方で部屋の片側の壁に二段ベッドが設置されており、隣も同じ造りだとすると合計で四名が利用出来る事になる。


「なるほどな。これは持って行かなくてもいいな。入れる場所が無い」


「そうですね」


 二人は厨房に戻った。ノンから抜け道の事を聞いたルゥテウスは床板を開けてノンから受け取ったランプで中を照らしてみた。


「この抜け穴は潰しておくか。手放した後にこんなものが残っていると変に怪しまれる」


「な、なるほど」


 ルゥテウスは床板を閉めて、その板に一瞥を与えた。これで通路は凍結されて反対側の路地の突き当りにあった出口も開かないようになった。


「よし。帰ろう。掴まれ」


「あ、はい」


ノンがルゥテウスの肩にしがみつくと二人は長屋の部屋に戻って来た。先程飛ばしてきたノンの家具や倉庫の備品が纏めて青い魔法陣の上に載っていた。

 長屋の部屋は幅5メートル、奥行き8メートル程の広さでイモールはこれを「単身者か二人暮らし用」と言っていた。

単身で住むならそこそこ広いくらいだと思った。何しろ台所やトイレや浴室が無く、完全に居室だけなのだから。


「よし。この半分から奥は今からお前の縄張りとしよう」


ルゥテウスが笑いながら言った。奥の半分だけでも酒場で暮らしていた部屋の三倍くらいの広さがある。ノンは驚いた。


「あの……そんな広すぎます」


「お前、あの部屋で暮らす前はここの長屋に住んでいたんだろ?だったら同じじゃないか。それにこの手前側は藍玉堂が完成するまで仮設事務所になるんだぞ。奥の半分くらいは主張しても罰は当たらないだろ?」


ルゥテウスの笑いは止まらない。


「年頃の女の子が、こんな仮設事務所と同居するのは落ち着かないだろう」


と、ルゥテウスは倉庫から飛ばしてきた棚から紙を一枚取り出した。それを小さく裂いて紙片にし、顔の前に掲げて目を閉じる。紙片に紋様が浮かんだ。


ルゥテウスとノンは奥に置かれていた厨房用品とコンロの載った机を部屋の手前側に移動し、空いた奥半分のスペースの中心にノンを立たせて先程造った魔導符を渡した。


「ここに立って、まずは部屋の半分の『範囲』を想像しろ。想像出来るようになったら、この紙を右手で丸め込んでその範囲を想像しながら念じるんだ」


「えっ……はい……」


 ノンは目を閉じた。どうやら必死になって範囲を想像しているらしい。やがて渡された魔導符を右手で丸めこんで眉根を寄せながら更に念じている。

すると部屋の奥半分に薄いピンク色の光で明るくなった結界が張られた。目を開けたノンは仰天して


「えっ、あっ、なっ、何なのですかこれは!?」


パニックに陥っているノンを宥めてルゥテウスが説明した。


「ここはお前の張った結界の中だ。どうやら上手い具合に部屋の半分だけ指定出来たな。中がこんな色をしているのは、多分お前の頭の中がこんな感じだからだな。あはははは」


ルゥテウスは大笑いした。ノンはパニックからは復帰出来たが、それでも混乱気味だ。


「そう怖がるな。ここはもうお前だけの空間だ。俺は別として他の奴等からは、ここにお前の空間がある事すら認識出来無い。中の音も漏れないし外から中を見る事も出来無い。ほら。試しにこっちへ来てみろ」


 そう言うと混乱したノンの手を引いてルゥテウスは結界の外に出た。部屋の明るさは元にもどり、空気も結界の中とは違う。

振り向くと奥の部分はちゃんと見える。奇妙極まりない。


「大丈夫か?もう一度説明する。お前……と俺以外はそこの半分から奥は見えない……と言うよりも『存在に気付かない』状態になっている。

しかしお前はあの結界の持ち主なのでお前からは普通に奥が見えるし出入りも出来る。しかしそこから先は『お前の結界』なので入るとさっきの面白い光に包まれる」


ルゥテウスはまたあのピンクの明るい空間を思い出して大笑いした。よっぽど面白いらしい。


「つまりあそこは『お前だけの空間』なのだ。まぁ、俺も出入りは出来るが今後はお前の許可無く入るつもりは無い。だからあそこの中にベッドと箪笥を入れてしまおう」


ノンはまだルゥテウスの説明が飲み込めていないが、そう言われて


「は……はい」


と辛うじて返事をした。


 ルゥテウスは身体強化の魔導を掛けて「入るぞ?」と一応断りを入れてノンのベッドを軽々と持ち上げて結界に入った。

ノンはそんなルゥテウスを見てまたしても仰天しながら彼の後に続いて結界に戻った。


「あ、あの……ここはいつもこんなに……明るいのですか?」


ルゥテウスは奥の壁に沿ってベッドを置きながら


「まぁ、そうだな。これはお前の頭の中の色だからな」


と、この光の話題になる度に笑いを堪えられなくなるようだ。


「眠る時も明るいが、この空間はお前の結界だからお前の波長に合うようになっているはずだ。明るさも気になら無くなって、多分グッスリと眠れるはずだ」


「そ、そうなんですか」


「まぁ、それは今夜試してみてくれよ」


 ルゥテウスは箪笥も持ってきて入口から向かって右側の奥の壁際に置いた。そして箪笥の上にあった鏡の破片を手に取って目を閉じると、鏡は青く淡い光を放つ直径15センチ程の銀色の手鏡に変わった。


「えっ?」


「あんな破片だと手を切るかもしれんからな」


ルゥテウスは手鏡を箪笥の上に戻す。いつのまにか出現していた同じく青い光を放つ鏡立てに立て掛けた。


「よし。あとは手前側に備品を置き直そう」


「は……はい……」


手鏡を手に取ってボーっと見ていたノンはルゥテウスに言われて慌てて結界から出た。


「あの結界の中は温度が一定に保たれているからな。暖房はいらないぞ」


「そ、そうなのですか」


「毎朝、お前に会う度に具合が悪くなっていたら面倒臭いだろうが」


「あっ……はい……済みません」


 ルゥテウスは笑いながら厨房備品の載った机と倉庫にあった備品棚を並べた。これでこの長屋の部屋の手前半分は酒場の備品と机と椅子が置かれ、奥の半分はノンの個人領域になった。


「じゃ、俺は親方の所に行くからな。昼までは適当にシニョルと念話でお話でもしてろ。配給の時間になったらまた戻る」


「は、はい。行ってらっしゃいませ」


 ノンはまだ頭が半分混乱したまま、ルゥテウスを送り出すのであった。


****


「おぉ。結構手伝ってくれる人は居るんだな」


ルゥテウスがちょっと驚いた様子で現場の囲いの施工を見ている親方の横に立った。


「おはようございます。ええ。この連中は普段は営繕をやっている者達でして」


「へぇ。そんな連中が居るのか」


「はい。一応はこの長屋なんかも我ら自身で建てるわけでして。当然ながら経年劣化も起こりますから修理や補修も必要になります」


「なるほどな。だから手慣れているのか」


「はい。これだけの長屋の数を建ててきた連中ですから。それにそもそも難民として故郷の大陸に居た頃は色々とやってた者達が居ますので、ある程度の物は自分達で造る事が可能なのです」


「あぁ。そうか。第一世代の連中は元々、手に職を持った奴も混じっているのか!」


「左様でございます。かく言う私の父もこの国に逃れてくる前は鍛冶屋をやっていたそうです。まぁ……その腕をこちらの国で振るう機会無くして病死しましたが……」


「なるほど……親父さんはキャンプに来る前に亡くなったのか?」


「はい……しかし母はこのキャンプに入れてほんの数年でしたが幸せに暮らせました」


「そうか。しかしお前の話を聞いて、俺はちょっと嬉しくなったぞ」


「え?何がです?」


「だって、手に職を持った、技術を持っている奴が相当数居るわけだろ?ならばお前の親父さんのように鍛冶をやれる奴だって居るんだろ?」


「ええ。そうですね。そういう連中は集会所の配給調理で使う備品とかを造っているはずですし、この工事でも使う釘なんかを造らせようと思っています」


「へぇ。じゃ、その連中は既にこのキャンプのどこかで鍛冶屋を開いてると?俺は一度住民の数を数えるのにキャンプ全体を回った事があったがそんな場所は見当たらなかったけどな」


「いえ……腕を振るって貰うにも……材料が無いのです。このキャンプには鉄もその鉱石すらも無いのです。

なので備品を造らせる時は外から材料をその時だけ買ってくるわけです。鍛冶設備は一応ここから北東にある地域の集会所に併設されてます」


「そうだったのか。ならば鉄……と言うか、鉱石があれば鍛冶はやれると?」


「はい。勿論です。何しろ『元職人』は居ますから」


「よし。鉄鉱石は俺に任せろ。あの長屋10軒分くらいなら、すぐにどっかの山から引っ張り出してやる」


「ええっ!?」


 ラロカが仰天して大声を出したので作業員達は自分が何かミスをしたのかと思い、振り向いて不安そうな顔を向けてきた。

見ると、いつもは怖い親方が横にいる子供相手に驚いた顔を見せているではないか。


「大声を出すな。作業員の皆さんが驚いてこっちを見ているぞ」


「は……はい」


「な、何でもないぞ。作業を続けてくれ」


ラロカは慌てて作業員に作業の続行を命じた。


「なるほどな……これで鍛冶はやれるのか……」


 独りでブツブツと呟くルゥテウスを見て、ラロカは不安になった。この人に任せると自分達がこれまで想像した事も無い事態になるから心臓に悪いのだ。


「あぁ、それとな。水路を造ったら牧場も造りたいんだ。肉も欲しいし牛の乳も自給したい。あと羊毛だ。羊を飼って羊毛製品でボロ儲けだ」


「え……羊毛と言うのは……あの」


「お前は難民なのに羊毛を知らんのか?エスター大陸では羊の放牧が盛んだったはずだが」


「はい。羊は存じております。私が若い頃にあちらの大陸で暗殺術を学んでいた頃は羊の飼育も教わりました。赤の民は羊を育てて利用してましたから」


「そうか!親方は本物の赤の民で修行してたんだったな。じゃ羊の飼育に詳しいのか?」


「詳しいと言うよりも……羊を自分で育てないと生きて行けないのです。羊毛を使って服も造りますし、肉も採りますし。私だけじゃ無くドロスも同じです」


「お前達はそんなに羊に依存した半生を送っていたのに、こっちの大陸では羊毛は貴重だって事を知らなかったのか?」


「いえ、我々もこちらの国で羊毛を使った物が少ないのは知っておりましたが、そもそも羊が居ないので仕方無いと思っていただけです。おいそこ!もっと幕は高く張れっ!」


どうも、この連中は色々な可能性を無駄にしてきている……ルゥテウスは苦笑いしながら


「じゃ、もしも俺がエスター大陸から羊を持って来たら、そこのキャンプの外れ辺りで飼育出来るか?」


「え!?羊をですか?あちらから持ってくる?そんな事が可能なのですか?」


「だから、声が大きいんだよ。お前が大声で驚くと作業員の皆さんが不安になるだろ。しかもこんなガキ相手に」


「す、済みません。羊なんてもう15年近く見ていないものですから……」


そう言いながらラロカは空を見上げて目を細めるように遠くを眺めた。昔苦労した修行時代を思い出したのか。


「よし……では羊の飼育は決定だな。監督も詳しいのか?」


「詳しいと言うか……先程も申し上げましたが、羊が飼えないと生きて行けない環境でしたので……」


ラロカは苦笑した。


「なるほど……」


「羊は少し気温が低い場所ではないと育たないのです。なのでエスター大陸の温暖な平地では無く高い場所の涼しい中央山地で無ければ羊の飼育は行われていないと思います」


「なるほど……確かに俺の知っている羊の放牧は赤の民のような山の中で暮らしている遊牧系民族しかやっていなかったようだな。この辺の気候はどうだろうか」


「この辺りでしたら条件は良好なのではないでしょうか。ここは平地で飼料となる草も多く生育していますから……むしろ条件はこちらの方が上かもしれませんな。いやぁ、ルゥテウス様に言われるまで気が付きませんでした。

何しろこちらの大陸には羊が居ませんし、私自身はむしろ羊の飼育から解放されて仕事も忙しくなってましたし」


ラロカがやや言い訳めいた口調で話すのでルゥテウスも苦笑いした。


「じゃ、牧場は決まりだな」


「承知致しました。支部長と検討を重ねて場所の選定をしておきます」


ラロカは今の内容を手帳に書き込んだ。その手に持つのは念話の付与がされた彼愛用の真鍮製のペンで、ルゥテウスに付与されてからはインクが中で切れる事無く自動で出て来るという不思議な物に変わってしまい、長年の持ち主を少し怯えさせた。


 それから暫く、ルゥテウスとラロカは囲いの施工を見守り、作業は10時前には終わった。


「よし。作業員の皆さんには昼飯を食ってからまた来てくれと伝えてくれ。囲いの中を覗かれないようにな。何かあったら念話で話せ」


「承知しました」


そう言い残してルゥテウスは一人で囲いの中に入った。そして周りを見てから右手を振ると囲い一杯に結界が張られ、それはいつもと違って彼が本気の時に出る青い光を放つ強力なものであった。


 ルゥテウスが、また右手を振ると敷地内の地面の土が一気に上に持ち上がり、そのまま結界内のどこかに空いた穴へ吸い込まれるように消えていった。あっと言う間に彼の目の前には建物の面積である20メートル四方よりも更に広い、まるで地面から25メートル四方で高さ10メートルの巨大な箱がすっぽりと抜けたように美しく掘り抜かれた。


 あっと言う間に基礎部分を掘り抜いた彼は現場を一旦そのままにして、ダイレムへ瞬間移動した。飛んだ先はダイレムの南墓場である。覚醒後の彼が訪れた事があるダイレムの南端はこの場所になるのでここを指定したのだ。


この場所から移動結界を張ってから白昼堂々、南東方向に飛んだ。彼にとっては低速飛行だが時速は200キロを超えており、また上空1000メートル程の高さを飛行していたので地上に痕跡を残す事も無く30分後にはダイレム……と言うよりも公爵領と王国領の境界となっているマグダラ山脈の中腹までやってきた。


 ダイレムを含む公爵領南西地方はこのバルク海へ張り出すように南西方向から大陸中心部である北東に向かって長さ3000キロ、幅300キロにも及んで連なるマグダラ山脈のせいでダイレムの南が行き止まりの袋小路のようになっており、これが陸の孤島となってダイレムを「田舎」にしている原因なのだが、山脈を構成する地層には衝突隆起の際に生まれた高エネルギーの影響で金属類を多く産出する場所が多い。


中にはヴェサリオの記憶を持つ血脈の発現者しか知らない場所も特に高標高帯に多く、そこは貴金属や宝石、貴石も豊富に含まれているので代々の発現者はこの場所の存在を一切公表していなかった。

ルゥテウスが親方に「鉱石はまかせろ」と言ったのはここを知っているからである。


 ルゥテウスは目指す場所に降り立った。この辺り一帯は鉄を多く含む地層で構成されており、彼は山中の平らな場所を選んで転送陣を展開した。

そして山肌を魔導で崩しながら次々と鉱物を含む岩石を転送陣に放り込んで行った。重量にしておよそ50トン程放り込むと、この場所がマークされた事を確認してから、瞬間移動で大穴の空いた建設現場に戻った。


 建設現場では大穴の中に転送された岩石がそのまま積み重なっており、穴はその岩石で埋め尽くされている状態であった。彼はこの岩山の上に移動し、目を閉じて念じると突然岩山が


―――ゴトンッ


と音を発てて小さくなった。少し赤みが掛っていた岩から赤みが抜けて全体的に黒っぽい色になっている。

更に念じ続けるとまたしても音を建てて岩石が小さく砕かれるように細かくなり、今度は穴の壁面が淡く青い光を放ち始めた。


 ルゥテウスは最初の魔導で岩石から鉄分を取り出し、別の場所に転送してから残った岩石の中にあるガラス成分を抜き出して穴の壁面に水止めとしてガラスコーティングを施した。青い光を放っているのはガラスを魔導で維持しているからである。


 更に残った岩石から幾つかの成分を抽出すると最初は穴を埋める程あった岩石は小さな砕石となって穴の底面に敷き詰められた。

また目を閉じて念じると穴の側面と床面は白い壁と床に変わった。彼は残りの砕石を使ってコンクリートを造り出し、穴の側面と底面にそれぞれ厚さ2メートルの壁面と床面に仕上げたのである。


 そして一か所だけ基礎を入れなかった東側の壁面近くにある50センチ四方の穴の前に立ち、またしても目を閉じて念じた。すると穴の中から水が湧きだしてきた。それを一旦止めて穴から出て来た。


 彼はこのようにして昼前には地下室部分を完全に造り出してから周囲に積んであった木材を魔導で細長い板状にして並べ、完全に覆い被せてしまった。


こうして結界と解くと、現場はただ敷地面積一杯に美しく表面加工がされた木材が敷き詰められた状態にしか見えなくなった。


 ルゥテウスは囲いから出て来ると先程と同じ場所でラロカが手帳を見ながら立っていた。ラロカはルゥテウスが出て来たのを見て


「如何なさいましたか?」


「いや、とりあえず地下は終わった」


「え?終わったとは?」


「うん。全部終わった。あとは地上だな。頼んだぞ」


「中を拝見しても宜しいですか?」


「おお。いいぞ」


「では失礼して……なんと!」


 ラロカは囲いの幕を捲って中に入って驚いていた。地面だったところが板張りになっている。しかもどういう仕上げをしたのかピカピカに磨かれており、そろそろ正午になる太陽の光に反射して眩いくらいに輝いていた。


「こ、これはどうなっているのですか?」


「あぁ、こっちだ。もう階段も造ってある」


 ルゥテウスはそのまま板張りの一階床部分を横切って反対側に向かって歩き出した。ラロカも続くが、こんなに綺麗に仕上げられている床を土足で踏んでいいのか迷いながら歩く。


板が敷かれた一階部分の反対側まで来て、ルゥテウスは床にしゃがみ込んだ。そこだけ開口に小さい板が蓋のように被せてあり、その板を取り除くと地下に下りる階段が現われた。

階段はやはり化粧板のように磨かれた木材が張り付けられており、非常に美しい外観になっていた。


「ちょっと暗いな」


ルゥテウスが右手を振ると、地下部分の天井に埋め込まれているランプでもない謎の光源に灯りが入り、中を照らす。その内容を見てラロカは驚愕した。


 二人が降りたのは地下一階部分。図面では地下一階、地上二階とされていたが、ルゥテウスは思い立って地下二階部分も造った。

しかし地下二階は今の所は非公開にする予定で、あくまでもこの建物は地下一階までしか無い事になっている。


 地下室は全体的に壁が全て階段と同じ化粧材張りになっており、床面、壁面、天面と周りを厚さ5センチのガラスで囲い、更に2メートルのコンクリートで固めて余剰水分を完全に放出させて強固にされていた。


しかし表面を化粧材が張ってあるので、一見するとそのように強固な造りになっているとは思えない。既に部屋割りも終わっており、図面通りに錬金作業室、風呂場、転送陣部屋が確保されていた。

そして階段と風呂場の間に管が出ていて、先端に栓がしてあった。


「もう水脈までの掘削も終わってほら、その管に水が来てるぞ」


「ほ、本当ですか……?」


「うん。飲んでみるか?」


そう言うと、ルゥテウスは栓を少し緩めた。すると管と栓の隙間から細く水が出て来たので、ラロカは慌てて手で掬って飲んでみた。


「こっ……これは……酒場の近くの井戸やここの貯水池の水よりも……冷たくて美味い」


「だろ?」


「ほ、本当にこんな美味い水がこの地面の下を流れているのですか?」


ラロカは納得出来無い顔で言った。


「まぁ、地下200メートルくらいだけどな。多分普通の技術では掘る以前に探り当てるのも大変だろうけどな」


ルゥテウスは簡単に言うが内容はまるで逆だ。


「ルゥテウス様は……こんな水をこのキャンプのあちこちで汲み上げるおつもりで……?」


「うん。今実際にここを掘ってみて更に判ったが水量は俺の想像していた何倍もあるな。これなら長屋ごとに井戸を掘ってもいいぞ。集会所から引く埋設水路を造る手間も省けるだろ?」


「ほ、本当に可能なのですか……?」


ラロカが信じられないと言う顔で聞くのと同時に頭上から昼の鐘の音が聞こえてきた。


「おい。昼飯だ。行くぞ」


「あ……はい」


「続きは飯を食いながら話そう」


「そ、そうですね」


「じゃ、長屋に寄ってノンを連れて行こう」


「承知しました」


二人は階段を上がって蓋板を被せ、囲いから出て長屋に向かった。


「あ、そうそう。親方。さっきの鍛冶屋の話な」


「え?あ、はい」


「あの地下室を造る過程で鉄が出てさ。塊にしておいたぞ。20トンくらい」


「え……?」


「今、別の場所に保管してるんだが、どっかに鍛冶を専門にやる場所を造れないかな?」


「て、鉄があるのですか?」


「うん。20トンくらい出たな」


「に、20トンとは……鉱石がですか?」


「いやいや。鉄だ。鉄の塊。現物だ」


「そ、そんなバカな……」


「いやいや。本当だ。だから早急に消費する方法を考えてくれ。お前、鍛冶屋の息子だろ?」


ルゥテウスがニヤニヤしながら言うと


「いえ……父はこのキャンプに来る前に亡くなってますから……それに私が生まれる前にこの国に逃れて来てからは鍛冶などもう出来ませんでしたしね」


「なるほど。そうだったな……じゃ、後で鍛冶とか鋳物とかの技術のある奴を集めて紹介してくれよ」


「承知しました」


ラロカはいつも通り手帳にメモをしていた。


長屋に着きそうになったので念話で


『ノン、居るか?昼の配給を頂きに行くぞ。居たら出て来い』


『あ……はい』


と返事がありノンが部屋から出て来たのでラロカが


「お。偶然だな」


と言うと


「ん?何が偶然だ?」


とルゥテウスが聞き返す。


「え?いや、今我々が到着したのが解っていたかのようにノンが出て来ましたので」


「いやいや。俺が今念話で呼んだんだよ」


とルゥテウスは笑った。


「そうだったのですか。私には何も聞こえませんでしたから……」


「ノンが返事をしただろ?」


「え?私には何も……」


「そうなのか?」


「ノン。お前は今の返事を俺だけに返したのか?」


「はい……ずっと練習をしていたものですから、上手く行くかなと……」


ノンは先程ルゥテウスが魔導符を造った時に余った紙で念話メンバーの名が記されたカードを造り、ルゥテウスが地下室を造っている間にずっとシニョルを相手に練習していたのだ。


三人で歩いていると、強面(こわづら)の父親が美しい姉弟を連れて配給を貰いに行く恰好に見えるが、ラロカは難民の間では有名なので、道々ですれ違う人に挨拶をされる。


「じゃ、ノンは個別念話を会得したのか?凄いじゃないか」


ルゥテウスに褒められてノンは顔を赤くしながら俯いた。


「しかし、ずっと練習って……シニョルは大丈夫だったのか?そういえばシニョルの声も聞こえてこなかったな。あいつも個別念話を会得したのか……」


「はい。統領様が、自分は仕事をしながら念話を送る事で練習の難度を上げたいと仰いまして……」


「あいつ凄ぇな……そんなに上昇志向なのかよ……」


ルゥテウスもシニョルの念話に対する情熱に驚きを隠し切れない。


「実は私も、ルゥテウス様が作業をされていた間に支部長と監督と練習を」


そう言ってラロカは手帳を見せてきた。ページ毎に念話メンバーの名前が一人一人書かれている。


「そうなのか?あ、そういえば俺が囲いから出て来た時に手帳を見てたな。あれはずっと練習をしていたのか?」


「はい」


「他の奴等も声も聞こえなかったと言う事は、奴等も使えるようになったのか。やるな。あはははは」


ルゥテウスは大笑いした。


「いえ、私はまだこの手帳を見ながらでは無いと……」


「私も、この造ったカードを見ながらでしか出来無いです……」


「いや、それでも大した進歩じゃないか。このやり方を考案した身としては嬉しいよ」


「ルゥテウス様のおかげです。ありがとうございます」


ノンが礼を言うと


「いやいや。お前らの努力の成果だ。俺は面白がって考えただけだしな」


「しかしルゥテウス様。この念話は使えば使う程にその素晴らしさと便利さが身に沁みますな」


ラロカがしみじみと言った。


「そうですね……遠くに居る人と普通に会話出来るんです。凄いです」


ノンの鼻息も荒い。


「まぁ……お前らはこれまでの人生で魔法にあまり触れる機会が無かっただろうからな。魔法使いって言うのは昔からこういうものばかり考えている人種なんだ。つまり面倒臭がりなんだよ」


ルゥテウスが笑いながら言った。


「先程ルゥテウス様から言い遣った牧場の件は既に支部長様にお伝えし、了承を得ました。私は建築で手が離せないのでドロスと三人で話し合った結果、ドロスが場所を選んでおくとの事でした。また羊購入の代金も用意しておくと」


「へぇ。そうなのか。じゃ牧場はわりと早めに始められそうだな」


「左様でございます。羊を飼育した経験のある者も探しておくそうです」


「そうか。そりゃありがたいな」


 そうこう話しているうちに集会所に到着したので三人とも列に並んだ。


「昼は結構すいてるのかな?」


「そうですな。意外に昼飯を食べない者も居るようですし、狩猟に出ている者も居ます。現金収入の仕事が無くても、何らかの行動を採ってる者が多いのです」


「なるほどね」


 5分程で順番が回ってきた。配膳の人は毎度違う。どうやら調理する人はある程度固定されているようだが、配膳係は当番がこまめに変わるようだ。


席に着いて飯を食い始めてから


「親方。実はさっきの鉄なんだけどな」


「あぁ、はい」


「まずは地下水汲み上げのポンプの部品を造って欲しいんだよ」


「ポンプ……ですか?」


「そうそう。あの酒場にも付いてた手押しハンドルのやつだよ」


「あぁ。あの上下に動かすやつですか?」


「そうそう。あれの部品だよ。ここのキャンプには俺が数えたら152棟の長屋があったんだ」


ルゥテウスは一昨日に調べた内容を話した。


「そんなにありましたか……」


ラロカは把握していなかったらしく、その数字に驚いていた。


「俺は数えた時に、地域分けなんて知らなかったから長屋の数しか数えてないんだけどな」


「地域はまず大地域として東西南北で4つに分かれておりまして、それが更に5つの小地域に分れており、小地域は長屋の8から10棟で構成されております。これまでこの集会所は小地域に1棟建てるといった拡張方法を取って参りました」


「なるほど。つまり8棟から10棟に集会所が1棟あるって事は集会場は20棟前後あるって事か」


「そう言う計算になりますね」


「ならば152棟分のポンプだな。それと集会所の分に加えて将来の増加と修理の際の予備部品も考えてひとまず180台分だな」


「後で俺がまた設計図を描くから、それを元に鋳物でやれないかな」


「なるほど。では鋳物の経験がある者を手配しましょう」


「ありがとう。あとは炉だな。鉄は20トンの現物があるからそれを溶かす物でいい。今は固まりで保管してるが、ちゃんと小さく延べ棒にしておくよ。

それとポンプの現物を1個造っておく。俺がやるのはそこまでだ。技術の育成の為にも、そこから先は住民の皆さんで試行錯誤して欲しい」


「将来を想定しての事ですね。分かりました。そこまでやって頂くだけで十分です。しかも鉄を20トン……もご用意頂くとは……」


話しているうちに三人とも食べ終わったので長屋に戻る。


「お。そうだノン。このまま一度現場に寄ってからサナの家に行くぞ。あいつ、おっかあの世話をしているだろうからな。ちょっと様子を見に行こう」


「はい」


 三人で現場に戻ると、既に作業員が昼食を終えて戻ってきており、囲いの前で待っていた。


「親方。あの図面を見せてくれ。さっきの板張りの床に一階の図面を転写してやる。その方が作業がしやすいだろ?」


「そ、そんな事が出来るのですか?」


 ラロカは懐から折り畳んだ藍玉堂の見取り図を出した。ルゥテウスはそれを受け取り、囲いの中に入る。親方は作業員にそのまま待つように指示してルゥテウスに続いて囲いに入る。ノンはその場で待っていた。


ルゥテウスは囲いの中の床面の縁の部分に立って図面を左手に広げて持ち、空いている右手を払うと床面に見取り図と全く同じように線が引かれ、横に居た親方は仰天した。


「こっ、こんな事が……」


「これなら分かりやすいか?」


「分かりやすいも何も……これでしたら素人でも……」


ラロカは苦笑した。


「では頼むな。地下室は連中に見られるなよ」


「承知しました」


 ルゥテウスは囲いの外に出て、親方もそれに続き、囲いの一部を取り外して材料を運び込むように作業員へ指示を出す。

中の床面を見た作業員が口々に何か言っているのを後目に、ルゥテウスはノンとサナの家に向かって歩き始めた。


「そういえば、もうあの現場で水脈まで穴を掘ったから水が出ているぞ。親方も味見をして美味いと言っていた」


「ほ、本当ですか?」


「うん。サナの家の帰りにポンプを造って設置するから、もう集会所まで水を貰いに行かなくてもいいぞ」


「ありがとうございます」


サナの家は少し離れており、ルゥテウスはノンと手を繋いで20分程歩いた。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド

主人公。5歳。史上10人目となる賢者の血脈の完全なる発現者。難民キャンプの魔改造に取り掛かる。


シニョル・トーン

51歳。公爵家奥館の女執事。公爵夫人が婚姻する前からの腹心。同胞を救うためにキャンプへの援助を行う。


イモール・セデス

49歳。元《赤の民》領都支部長。キャンプを作った男で今はキャンプの運営責任者。温厚で理知的な人物。


ラロカ

52歳。暗殺技術を《赤の民》領都支部に持ち帰った男。現在はキャンプの普請責任者。主人公に魔導符の材料を提供する男。メモ魔。


ソンマ・リジ

25歳。難民史上初めての錬金術師だが魔法ギルドから追われる身に。キャンプの中で薬屋《藍玉堂》を開くことに。


ドロス

44歳。《赤の民》領都支部に諜報技術を持ち帰った男。後継組織《青の子》を統括。羊の飼育に詳しい。


ノン

15歳。《藍玉堂》で接客を担当。美人で有能だが小心者。主人公の姉を偽装する役目も負い、実質的な秘書。


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