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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第二章 難民の王国
24/129

問題提起

【作中の表記につきまして】


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくおねがいします。


「俺は今日、このキャンプの中を色々歩いてみたりして思ったのだが……」


ルゥテウスは一旦ここで言葉を切り


「お前らはこのキャンプを運営するに当たって何か将来的な計画は立てていたのか?もしあるならそれを先に聞かせて欲しいのだが」


 このキャンプはスポンサーである公爵夫人で「御館様」のエルダから、「統領様」であるシニョルが運営資金を引き出す事を前提として「支部長」であるイモールが実際の運営者としてシニョルに予算を要求する形で初めに設置された。


25年前、シニョルはまずエルダに「秘密を守る為の駒」を作り出す事を進言し、説得する事で了承を得た。

ヴァルフェリウス公爵家のような広大な私領を持つ大貴族ともなると、領内の利権も巨大となり既得権益者とその牙城を崩す新興勢力との暗闘になる。

そういった者達にとって「公子に他家から嫁が入る」というのはかなり大きなイベントであった。


つまり現当主の下で固まっていた利権体制が代が変わる事でその勢力図にも隙が生じる可能性が出てくるのだ。

これは新興勢力にとっては数十年に一度の機会で、彼らは必死になって公爵家に新たに加わる者に対してコネを作る努力をする。代が変わってからでは遅く、こういうものは先行投資の勝負なのだ。


 かくして、次代の当主の正夫人という立場で公爵家に入ったエルダの下には領内、そして遠くは王都の様々な新興の商会などから膨大な「付け届け」が贈られてくる。全てエルダ個人にだ。


これを一元的に管理していたのが、当時既に次代の公爵夫人の側近となっていたシニョルだった。この時の一部資金をシニョルは「キャンプ創設」に使用するようにエルダへ進言した。


領都の東側は前述したレレア川の水質が悪い為に他の方向に比べて発展が遅く、北東領地の放棄に伴う領都圏の人口増加の際にも領都拡張開発から取り残された。


シニョルはここに目を付け、まずはこの領域を夫に対して荘園として「保護」する事を要求するように進言したのである。

この頃には既に婚前からの功績によってシニョルはエルダより絶大な信頼を受けており、婚家に入って味方の居なかったエルダにとってシニョルの知謀は自身の力を保持する大切な動力源だったのだ。


 こうして、領都東部の荘園保有を新公爵である夫に認めさせたエルダはシニョルを使って既得権益勢力と新興勢力を競い合わせる事で莫大な利益を享受する事になり、シニョルからその一部を使って「秘密を守る道具」を作る事を献言された際にそれをあっさりと許可した。


「私は《赤の民》の組織化と並行する形で統領様からの御依頼でこのキャンプの拡張と新規難民の保護を第一目的として動いてきました。

但し、収容される同胞の数が増えた事で運営資金も大幅に増加していきましたので、《赤の民》の稼働を急ぐと共に、少しでも統領様からの資金提供を減らせるように取り組んで参りました。

確かに今ルゥテウス様がお考えになられているような同胞の生活環境の更なる向上については考えが後回しになっていた事は認めざるを得ません。お詫び申し上げます」


イモールは頭を下げた。


「いや、お前のやり方はそれ程間違っていない。その証拠にさっきの飯を貰いに行った時の様子では、お前は住民から尊敬を受けているじゃないか。

それにこの連中の態度もそうだが、ここに居る連中ですらシニョルを崇拝している。シニョルとお前の25年に渡る難民同胞の救済は基本的には間違って無かったのさ。

もっと自信を持て。俺はお前らが積み重ねたものを倒さないようにちょこっと補強を入れてやるだけだ」


 ルゥテウスは笑って言った。この天才幼児に認められて、イモールは俯きながら泣きそうになった。


「しかし話を聞くと、お前らが目指したのはあくまでも『救済と維持』だ。そこからの発展が足りない。

つまり俺が言ったような『国』を目指すのであれば『展望(ビジョン)』が足りないんだ。

これを考えるのであれば、このキャンプに何が足りていて何が足りないのかを見極めないといけない」


シニョルとイモールだけでは無く、他の者も一様にこの5歳児に目を注いでいる。


「このキャンプを将来の建国を目指して発展させるには大きく三つの事を意識する必要がある。優先順位で言うと《統治》と《経済》と《防衛》だな」


「統治と経済と防衛……」


「まずは統治環境を整えてから経済、つまりカネを増やし、それを使って防衛力を持つという順番だ。

本来ならば経済を先にすべきなんだが、現状でお前がエルダから金を引っ張ってきてくれているので多少は後回しにしても大丈夫だろう。

今回は『先立つ物』が多少は用意されているので何も無いところから始めるよりは楽だという事だ。これはお前達二人の功績だ」


「そ、そう仰って頂けるだけで……」


「なので先にまずやる事は『水』だ。水を確保し、更にその処理の手段を講じる。具体的にはさっきも言ったが地下水脈の活用だ。

この領地……厳密にはこの領地を治めているヴァルフェリウス公爵家の連中は代々地上を流れるレレア川の水量が豊富であった為にこの領都の発展に地下水脈を利用する事を考慮して来なかった。

それが近年になって河水の汚染が問題になっているにもかかわらず代々の当主が無能続きだから抜本的な対策が打てないままに時間が経ってしまっているんだろう。恐らく地下水の利用なんて全く考えていないはずだ」


 ルゥテウスの推測は正しいのだが、彼の推測には大きな『穴』があった。確かに彼の記憶で得られる領都の水資源利用は彼の前発現者であるレアン公時代のもので700年も前の話なのだ。


彼の時代と現代の間には北東領地放棄による人口増加という一大画期が挟まれている。領都の水資源の汚染が深刻化し始めたのは大北東地方からの大量移民によって領都の人口が三割以上も増加した450年前を境にしたもので、この450年という期間にもう少し有能な当主が現われていればルゥテウスも地下資源に目が向く事は無かっただろう。


しかしそれを差っ引いても、これまで手付かずであった地下水脈という豊富な資源を利用出来るというのはこの時代の難民キャンプにとって幸運な事である。


「まず、キャンプ内の幾つかの場所で地下水脈に向けて井戸を掘る。そうだな……集会所の周辺でもいいし、もう少し細分化してもいい。

予算と労力の兼ね合いで考えると集会所の敷地内で汲み上げて、埋設水路等を使って各長屋へ。長屋単位で一旦貯留して各部屋へというのが理想かな」


「各部屋へ……各戸に水を供給するのですか?」


「そうだな。今も見ただろう?」


ルゥテウスはノンが淹れてくれた茶の入ったカップを掲げて


「茶を飲むのに集会所へわざわざ水を貰いに行くのか?この寒い夜に?そりゃ面倒臭いだろう。自分で水を汲みに行った経験があるなら、少なからず不便を感じているはずだ。なぁ?」


 ルゥテウスはノンやサナを見た。二人はそれを肯定したいがイモールらの手前、はっきり言えずに俯いた。イモールはそれを見て自分の考え違いを悟った。


「まぁ、各戸というのは極端だが各長屋までは水を引きたいわな。更に水を引くなら水を逃がす機構も必要だ。

せっかく地下水を汲み上げたのに、それを使い終わった汚れた水を考えも無く捨てていたら地面に染み込んだ汚水で地下水脈が汚染されてしまう。なので排水……下水処理も同時に行う」


「下水処理……領都の市街部では下水道が完備されてますわね」


「そうだな。しかしその下水は全てレレア川に垂れ流してるな。さっきの話では乾季にはその川の下流の水を汲んで来ているんだろう?」


「あぁ……そういえば……」


 シニョルが呻いた。彼女は今まで公爵屋敷を始めとして市街地で出される汚水がどのように処理されているかなど考えた事もなかった。排水口に流れて行く汚れた水。そこで考えとしては終わっていたのだ。


その後の汚れた水はどこに行くのか。市街地で排出される汚水は膨大なはずだ。その辺の地面に撒いて無くなるわけがない。という事は結局は水源であるレレア川の下流に捨てる事になる。つい数十年前ならそれでよかったのかも知れない。川はそのままアデン海に注ぎ込まれるからである。


 しかし今は違う。その下流に流された水を我ら同胞が利用しているのだ。その事に今まで考えが及ばなかったシニョルは「素晴らしい知性」と評された自分が恥ずかしくなり、逆にその事を初めから考えている目の前の5歳児の知性に畏怖を覚えた。


「しかし、水源の問題で市街地の奴等みたいに、汚水を垂れ流せないキャンプでは『垂れ流す』という処理の前にもう一つ工程を挟む必要がある。つまり浄化だ」


「汚れた水の……浄化……ですか?」


「そうだ。キャンプの中で出した汚水は一旦、一つの場所に集める。そこで可能な限り浄化処理をした上で排出する。今度造る薬屋はそれを店舗の建物の中だけでやろうとしていた。

前にも言ったが、製薬というのは大量の水を必要とし、大量の水を排出するのだ。煎じた薬剤の煮汁とか、薬材や道具を洗浄した水、作業場を清潔に保つ為に洗い流す水、いくらでも必要でそれが終わった水が全て汚水となって排出される。当たり前だが、それをそのまま外に捨てるわけにはいかないだろう?」


「そ、それはそうですわね……」


「なので、ひとまず考えているのは一旦裏に池と言うか汚水槽を掘ってそこに排水を貯めてそこで浄化させる。浄化させた水を排水溝に流す。排水溝は最終的にキャンプ全体の事業としてレレア川まで引く感じだな。

つまりレレア川に向かってキャンプから人工河川が伸びるという形になると思う。川には『捨てるだけ』だ。貰うのは地下からだ」


「なるほど」


「そうしてキャンプ全体で長屋単位まで水が確保出来れば次に行うのは『公衆浴場』の設置だ」


「公衆浴場……お風呂ですか?」


「そうだ。俺はこのキャンプの中を歩いていて気になったのは『臭い』だ。難民の皆さんは風呂に入っていないだろう?体を拭く程度か?それでも水の確保が大変だよな?しかし長屋まで水が引けるなら、長屋単位で風呂も設置出来るはずだ。

風呂当番を長屋の住民で交代制にすれば毎日でも風呂に入れる。こういった『公衆衛生』を充実させる事によって、余計な病気への感染を大幅に防ぐ事が出来る」


「病気……なるほど」


「さっきの排水の話に戻るが、排水を川に向かって流す過程で農業にも利用出来るぞ。キャンプの外側で少し規模を大きくして農作物を自前で育てるんだ。

今でも一部の農民出身の難民の人がささやかな作物栽培をやっているよな?あんな近所のお裾分けで終わるようなものじゃなくて、もっと大々的にやる。

それにキャンプから出た処理済みの排水を利用する。排水利用なら水田も作れる。水田ならば連作障害も起きにくい」


「すいでん……?れんさく?」


「まぁ、農業の経験が無いんじゃ分からなくてもしょうがない。とにかくキャンプ全体で作物を得られれば、それだけここの維持費の大半を占める食費が大幅に軽減される。外から野菜や麦を買う必要が無くなるからな」


「あっ!そうか!」


「と言うか、無くなるどころかもっと腹いっぱい食えるぞ」


「暇な奴は大勢居るんだ。何も町で仕事が貰えなくても難民同士で力を併せて食い物を作ったりすればいいんだ。

ここに来る前は自分の畑も無い都市の隅っこで残飯を漁るような生活だったんだろ?だったら今は食い物を自分達で作ればいい。

そしてこの作物栽培の経験を故郷のエスター大陸に戻った時に生かせばいいのさ。将来への練習にもなって一石二鳥だ」


「な……なるほど」


「だからまず『水』なんだ。ただ水を持ってくるだけじゃなくて水を捨てる手段も同時に考えるべきなんだ。本当はその前にそれをやる為に『先立つモノ』が必要なんだが、お前らは『それ』をある程度用意出来る。そこが他で『一から』作らないといけない場合と違うんだよ」


「水ですね。分かりました。まずはそれをやりましょう」


イモールが言った。ラロカは横でメモを取っている。彼は案外几帳面だ。


「しかし、結構な工事になりますよね。普請の為の人材整理も必要です」


「支部長はまず人材確保に全力を注いでくれ。初期の工事の事は気にするな」


「え……?どう言う事ですか?」


「初期の本当に大変な施工……大深度の地下水脈までの掘削は俺が夜中に人知れず、ちゃっちゃとやる」


「えぇっ!?」


「だから支部長はまず人員整理。普請をやる奴。これをまぁ千人程度。男で体が強い奴がいいな。大切なのは、こいつらにちゃんと『賃金を払う』という事だ」


「え?」


「労働の対価はちゃんと払う。お前らは街じゃ現金収入が得られ無いんだろ?だったらキャンプの中に仕事を作ってやればいい。

そいつらにはちゃんと賃金を払う。そうすれば喜んで普請に参加する奴も増えるよ。作物を作った奴にも賃金を払う。これが文明だ」


「ところで、これはシニョルに聞いた方がいいのかな。このキャンプを維持するのに年間どれくらいの金が掛かっているんだ?」


「あ、それなら私が」


イモールが申し出た。


「細かい金額まではあれですが、全体で年間ですと金貨13000枚程度です。キャンプ設立当初の25年前は金貨6500枚程でした。

これを全て御館様……公爵夫人に出して頂いておりました。その後保護する同胞も増えて行きまして、一時は公爵夫人の負担額が金貨10000枚程度まで増えましたが、その直後に監督のおかげで《赤の民》の諜報部門が動き始めまして。

初期の頃は《赤の民》が年間にして金貨3500枚から4000枚を稼げるようになったので公爵夫人の負担を減らせるようになりました。

しかしそこからは暗殺も始めた《赤の民》の収益の増加とキャンプの人口の増加が拮抗するようになりまして、最終的に現在は公爵夫人からの援助は年間で金貨4000枚程度になっております」


「はい。支部長のお話で概ね間違い無いと思います」


シニョルが支部長の説明を認証した。


「なるほど。金貨4000枚というのは実際エルダにとってはどれくらいの負担なんだ?」


「実際はそれ程目立った負担にはなっていないと思います。流石に金貨10000枚に達した際には色々と『仕事』をして貰って目に見えた成果を出して貰っておりましたが、現在は奥様の年間収入が金貨25000枚程度ありますのでキャンプの援助は負担にはなっていないでしょう。

しかも奥様ご自身はご自分の資産収支にそれ程関心をお持ちでは無いようです」


「え?そんなにいい加減なのか。あのババァの金勘定は。それにしても金貨25000枚の収入は凄いな。領地を持たない公爵の年金が多分金貨2000枚くらいだろ?」


「ルゥテウス様、『年金』とは何でしょうか?」


イモールが尋ねてきた。


「そうか。お前らは年金制度を知らんのか。シニョルは知っているんじゃないのか?」


「はい。但し私も制度の内容を知っているだけで具体的な金額は分かりません。

私が知っているのは、このレインズ王国の貴族の8割程度は領地を持たない『年金貴族』と呼ばれる方々で領地からの収入はありませんが、王国政府から爵位に応じて毎年一定額を支給されていらっしゃると聞いております。

奥様の御実家であるノルト家も年金貴族である伯爵家で、毎年金貨1000枚を支給されていたようです。

更にノルト家は三代に渡って財務卿を輩出しておりまして、ここ100年で財務閥と呼ばれる貴族と官僚を含めた一大派閥を形成されておりましたので副収入が他にあり、むしろそちらの方が何倍にもなったと伺っております」


「まぁそうだろうな。年金に加えて財務卿時代の俸給や引退後も影響力を持ち続ければ人事で口利きなんかをしながら年収にして金貨数千枚くらいは行くだろう」


「そ、そんなにですか……」


「他にも年金というのは一定以上の地位に昇った軍人にも退役後に支給される。なので年金貴族が軍に入営して将官になったりすると年金の額も大きく跳ね上がる。汚い利権に頼らなくても一生遊んで暮らす程度は可能だ」


「しかし、やはり領地持ちの貴族の収入は桁違いだ。何しろ領内の徴税権もあるし特定の商人へ便宜を図るとか、領内の許認可で莫大な副収入があるはずだ。

まぁそれでもエルダの金貨25000枚ってのは頭三つくらい抜けているだろうけどな」


ルゥテウスは笑った。


「ならばシニョルはそのまま金貨4000枚程度の金を引っ張り続けて貰えばいい。その間にこちらは支出を減らしつつ収入を増やす事を地道にやろう。これが『経済』だな。

収入を稼ぐ手段は今の所は二つ。既に提案済の諜報活動と薬品売買。諜報に関してはもう監督が全部仕切れ。支部長はキャンプの経営だけに専念しろ。親方は支部長の補佐。それと将来的にはエスター大陸の視察の責任者も任せたい。大丈夫か?」


「承知しました。では私はキャンプ運営に専念する事にします。どこかやはり薬屋の近くに事務所を設けましょう」


イモールは言った。ルゥテウスの話を聞いていると、今後は片手間でキャンプの運営は難しくなる。暗殺部門も無くなるわけだし、ここは専念すべきだと判断した。


同じく元暗殺員のラロカも諜報は門外漢なのでキャンプ運営に専念すべきと思うようになった。これからはルゥテウスの提案に従って特に土木普請が多くなる。

自分はもっとそちらの分野の経験を積んで、将来は故郷の大陸に帰る為の礎として生きていきたいと思った。


「それでは不肖ながら諜報部門の統括を務めて参ります。まずは酒場の代りの本拠地をどこかに設置したいと思います。どうしましょうか」


ドロスが尋ねると


「そうだな。別にキャンプの中で無くてもいいぞ。むしろ外部から仕事を取るのだから市街地の中にあった方がいいのではないか?

その際はこちらの薬屋の支店を構えて貰って、表の顔として販売をしながらそこに諜報の本部を設けるのはどうだ?それなら薬屋の利益にもなるし、どうせ転送陣で繋ぐのだから行き来も楽だぞ?」


「なるほど。ではそう致します。どこか居抜きで使える建物を探しておきます」


ドロスが請け合うと


「その建物は公爵夫人名義で買い上げましょう。その方が相手も安心するでしょう」


シニョルが援助を申し出た。


「統領様。ありがとうございます。助かります」


あっという間に薬屋の販売所の話まで纏まった。


「ルゥテウス様、そうなると我々の薬屋も屋号が必要になりますね。税制上の問題で」


ソンマが進言してきた。


「そうだな。実は屋号に関してちょっと腹案があるんだよな。《藍玉堂》っていうんだ」


ルゥテウスは実家の《藍滴堂》に掛けて、新しい薬屋の屋号を提案した。


「らんぎょくどう……」


「まぁ、俺の実家の薬屋が《藍滴堂》っていうんだ。どうやら母方の先祖が店を開く時に目立つように薬袋を藍色にしたらしい」


「ほぅ。なるほど。私には依存がありません」


「綺麗な名前ですね。ローレン・ランド氏のお店にはそんな由来があったのね」


シニョルも賛意を示した。


「では統領様にもご異存が無さそうなので《藍玉堂》で登記しますね」


こうして、キャンプに建つ薬屋の名前は《藍玉堂》に決まった。


「監督は市街地で良い物件が見つかったら念話を下さい。こちらで手配しますので」


「ありがとうございます。統領様」


「監督は今後別の都市にも根城を作るんだろ?」


「そうですね……もし可能であるなら」


「ならば、まずは王都に作ってみたらどうだろう。どうせ転送陣で繋ぐから行き来は一瞬だぞ。それと本部と支部は全部念話網で結ぶつもりだぞ」


「えっ……そんな事が可能なのですか」


「当たり前だろ。『情報は鮮度が命』とか聞いた事があるぞ。王都と領都でわざわざ10日も掛けてやり取りするのか?そりゃ諜報組織としてどうよ?」


「な……なるほど」


「我らが諜報部隊は素早い伝達速度で王国の情報社会を牛耳るんだよ。わはは」


 まるで悪の組織の親玉のような笑い声を上げる幼児を見てノンやサナまで吹き出す。

確かにルゥテウスの言う通り、王都と領都、他の都市もそのようにして一瞬で情報や人員が行き来出来るようになれば、支部レベルだけでなく本部レベルでの判断も迅速に行えるし、何より管理者であるドロス自身の動きが軽くなる。

これを上手く活用する事で短期間のうちに新諜報組織は裏社会の情報利権を奪取出来る可能性が高くなる。


「よし。では監督の目標は市街地への本部設置。その後は王都に支部設置。いいか?あとはちゃんと人材の育成な。暗殺員の再訓練もだぞ。まぁ、基礎は出来てるだろうから短期間で転換出来そうだけどな」


「了解しました。暗殺員の再訓練でお力をお借り出来ますでしょうか?親方」


「うむ。いいぞ。その代わり俺は年内は藍玉堂の建設で忙しいからな。年明けから相談に乗ろう」


ラロカが笑いながら答えた。


「お前ら、実際明日から一番忙しいのは親方なんだからな。念話の練習とかで邪魔するなよ?」


 ルゥテウスが言うと、皆笑い出した。確かに彼は明日から図面とにらめっこになる。そこに失敗した念話送信がひっきりなしに流れたら混乱して図面を見間違えそうだ。


「ルゥテウス様。そういえば先程念話の練習に効果的な手段を考え付いたと仰っていませんでしたっけ?」


ソンマが思い出したようにルゥテウスに尋ねた。


「お。そうだ。シニョルが来たらちょっと紹介しようと思っていたんだ」


「えっ?そんな良い方法があるのですか?是非教えて下さい!」


シニョルが鼻息荒く食い付いてきた。


「いや、効果的と言うかな……そもそも俺には分からない感覚だから、あくまでも客観的にお前らの失敗を見てきて思い付いただけだからな?親方、紙を二枚くれ」


「承知しました」


ラロカがメモ帳から白紙を二枚切り破いてルゥテウスに渡した。


「よし。そしてこの紙に名前を書く」


二枚の紙にそれぞれ、シニョルとイモールの名前を書いた。


「よし。ノン。これを持て。あと髪飾りを外して持つんだ」


「はっ、はい!」


 ノンはいきなりルゥテウスにシニョルの名前が書かれている紙を渡され、驚きながらルゥテウスが念話を付与してくれた髪飾りを外して左手に持った。


「よし。そしたらそっちの奥の方で壁を向きながら、そのシニョルの名前が書かれた紙をじっと見て、その紙に語り掛けるようにシニョルに念話を送ってみろ」


「はい……」


 ノンは先程置かれた食器類が置かれた机の方に歩いて行き、奥の壁の前に立ち何やら壁に向かいながらうなだれている。


しばらくして急にシニョルが


『あっ、聞こえていますよ。ノンさん』


と皆の頭に聞こえるように念話で話したのでルゥテウスとノンを除く一同は驚いた。


「どうやら成功じゃねぇか?ノンの念話は俺には聞こえなかったぞ?」


ルゥテウスが言うと


「私にもノンの声は聞こえませんでした」


「ほ、本当ですか?」


「うむ。聞こえなかったな」


「私にも聞こえていません」


「私にはノンさんの声で『統領様、聞こえますか』と聞こえましたわよ」


 どうやらノンの念話はシニョルだけに届いたようだ。ルゥテウスの提示した方法は成功したのである。


「でも、その後のシニョルの声は聞こえたな」


ルゥテウスが笑うと


「そうですな。統領様の声が急に聞こえたので驚きました」


とソンマも笑った。


「わっ、私にも統領様の御返事が聞こえました」


とノンが言ったが


「いや、全員聞こえてるんだからお前にも聞こえていて当たり前だろ」


とルゥテウスがすかさず指摘したのでノンは真っ赤になった。


「あぁ……そういう事になるんですね……難しいです」


「まぁ、ノンの理解度はともかくどうやらその方法は有効だな。試しに支部長とシニョルでお互いの名前の紙を持ち合ってやってみろ」


「はい。やってみます!」


 シニョルはノンの成功を見て更にやる気が増したようだ。机の上に置いてあったイモールの名が記された紙片を持って早速ノンが居た場所で壁に向かって立った。

イモールは苦笑いしながらノンからシニョルの名が書いてある紙片を受け取り、入口側に移動した。そして扉の前でそのままこちらに背を向ける形で立った。


「よし。二人とも位置に着いたぞ。始めてみろ」


 ルゥテウスの声を合図に二人は壁と扉を向いた状態で何やら紙片を見ながら黙ってうなだれている。


「何も聞こえませんね……」


とノンが言うと


「聞こえないね」


とソンマが返す。


「聞こえねぇな。どうやら上手くやれているんじゃないか?」


ルゥテウスが二人に一旦中断するように言うと


部屋の対角線上に離れていた二人は席に戻り


「統領様と普通に念話を交わせました」


と妙に嬉しそうに報告してきた。


「私達の会話は皆さんには聞こえておりましたか?」


とシニョルが聞くので


「いや、俺は聞こえなかった」


「自分も聞こえませんでした」


「そうですな。聞こえておりません」


とルゥテウスとロダル、ドロスが三者三様に答えた。


「そ、それでは上手くいったんですね!嬉しいです!」


とまたもやシニョルが非常に嬉しそうにはしゃぐ姿に、一同はどう言えばいいのか反応に困った。


「と、とにかくアレだ……。これはどうやら有効らしいな。こんな単純な方法で上手く行くとは正直思っていなかったが……」


ルゥテウスが苦笑いしながら話すと


「いやいや。流石はルゥテウス様。よくぞこんな単純かつ効果的な方法を思い付いてくれました。感謝しますよ。私は」


 ソンマも苦笑いしながら応じた。錬金術師として精神の集中を必要とする彼をして、この方法には思い至らなかった。


この方法は一種の呪文詠唱みたいなものであり、詠唱は口に出す事でその内容を耳からも入れて脳内の制御反応の塗り潰すというような方法である。

今回はそれを耳ではなく目から情報を入れる事で同様の効果を実現させたのだろう。正に発想の転換で秀逸な手段である。


「まぁ……とりあえず自信が無いうちはこの方法で念話を飛ばす事だな。多分使っているうちに体が覚えてきて、付与品を手に持っていても念話送信の可否を制御出来るようになるさ」


 ルゥテウスの言葉を聞いて一同は希望を持った。これならば後日の付与で遅れて念話を使い始める事になるサナもすぐに上達するだろう。

そもそも彼女は魔法の素養があるのだ。普通の者よりも適正があるかもしれない。


「よし。念話の件はこれでいいな。後でカードのような物にそれぞれ名前を書いて持ち歩いておけ。多分、一枚の紙に複数人の名前を書く方法は逆効果になると思うが、むしろ一枚の紙に指定した二人の名前を書く事でその二人だけに送れるようになったりするかもしれん。色々試してみてくれ」


ルゥテウスとしてはこれで祖父のノートを読んでる時に念話の暴発で妨害されずに済みそうだと安心するのだった。


念話問題が解決したところでルゥテウスは話を進めた。


「よし。今の話の内容が順調に進むとそう遠くない将来にこのキャンプにも貨幣経済が導入される。

つまり諜報や製薬、エルダの補助金という『外貨』がキャンプ内に入り、それを資本に普請や農業に対して労働対価を支払う事で住民に現金収入がもたらされる。

ここまでは理解出来るな?」


「はい……まさか同胞が現金を得られるようになるとは思っておりませんでしたが……」


イモールも自分で言っていてまだ驚いている。


「そうなると、今度はその得たお金を使って貰う事を考えないといけない。外貨を得た我らからの労働対価で現金を得た労働者がそれをキャンプの中で使って、更にキャンプ内に金が回るのが理想だ」


「なるほど」


「まず考えられるのが、支部長がしょっぱい自虐的評価をしていた雑貨店。まぁ商店だな。まずは今まで通り生活必需品を売る。そのうち嗜好品も売る。まぁ、酒とかだな。その後は飲食店。酒場でもいいし食堂でもいい。但し配給は続ける」


「配給は続けるのですか?」


「勿論だ。この金の流れの恩恵を受けられない住民だって居るからだ。それとある程度の質が維持された配給が存在するならば、飲食店はそれに勝たないと商売にならんだろ?つまりそれが『差別化への企業努力』に繋がるわけだ。

金を払うなら配給よりも美味い食い物を出さないわけにはいかないだろ?」


「な、なるほど」


「酒もそうだ。嗜好品が手に入ったり、酒場で楽しめるようになると明日への活力になるからな。働いて対価が得られれば美味い飯を食えて美味い酒が飲める。

これは文明人としてごく自然な生活思考だと思わないか?」


「そうですわね。そういったものが未来への希望に繋がるのかもしれませんわ」


幼児の口から「酒は明日への活力」等という言葉が出る不自然さには誰も突っ込みを入れる度胸が無い。


「あと、大切なのは集会所の配給の時に配膳してくれている人達が居るだろ?あの人達にも報酬を出す。

そして当番制じゃなくて公募制にしてみろ。多分配給ももっと美味くなるぞ。飲食店をやる奴はその配給に勝たなければいけなくなるわけだ。益々努力する必要があるだろ?そうやって名店が生まれる。

もしかするとそういう住民が経営する店がキャンプの外に支店を出す事になるかもしれんぞ?」


ルゥテウスは笑った。


「そ、そんな事が起こり得ますかね……」


「戸籍を持たない難民がやる店だからな。出店とかで苦労はあるだろう。そこのところはシニョルが便宜を図ってくれるとありがたいな」


「なるほど。請けますわ。藍玉堂の支店もそうですが、奥様の名前を使っても問題が無いようにする事は可能です。

つまりその店が評判になれば奥様の評価が上がるわけですから。庇護者として」


シニョルの策士としての本領発揮である。


「そうだな。エルダ自身が表向き『自分は難民の庇護者』を自認しているならば矛盾はしてねぇよな。

奴としても出資してる分、見返りに自分の名声が上がれば満足するだろうし。この際だからどんどん利用してやれ」


またしてもルゥテウスの悪辣な発言にイモールも苦笑するしか無い。


「よし。とりあえず『経済』についても納得してくれたかな?」


「はい。今お聞かせ頂いたものを一つずつ実現を目指す方向で進めて参ります」


イモールが言った。シニョルも協力を約束した。


「よし。そして最後の『防衛』だが……」


ルゥテウスはまたここで言葉を切って


「キャンプの防衛について考える前に『統治』の問題で一番重要な事をする必要がある。そしてそれが防衛の大前提なんだ」


「それは……一体何でしょうか」


「それは……《戸籍》だ」


「えっ!?」


「そっ、それは……」


 ルゥテウスの言葉にイモールとシニョルが同時に声を上げた。彼ら戦時難民はその《戸籍》が無くて3000年もの間苦労してきたのだ。彼らにとって、その単語はまさに「悪夢の象徴」なのである。


「慌てるな。俺が言っているのは『キャンプの中での戸籍』だ。レインズ王国のものでは無い」


「なっ……」


「今後、早急にキャンプの中の住民一人一人をしっかり調べて戸籍登録しろ。このキャンプ内だけの戸籍だ。これは統治の基本であり、防衛の大前提だ」


「支部長が明日からまず取り組むのはこれだ。これを最優先にしろ。その為にお前はキャンプ運営に専念するのだ。

当然ながら全国からここを目指してくる新しい同胞は毎日のように増えているだろう。そいつらもちゃんと登録させるんだ。

子供が生まれたらすぐに登録させる。逆に住民が死んだらちゃんと戸籍から抜く。住民同士が結婚したらちゃんと戸籍変更させる。これを明日から支部長は最優先で人を使って精密にやれ」


ルゥテウスからの要求にイモールは雷にでも撃たれたようになり


「このキャンプの中で戸籍……そんな事が……なるほど……どうして今まで気付かなかったのだろう……私は……何で……」


「いや、支部長。それは仕方が無いんだよ。さっきも言っただろ。お前らは難民の同胞を助けるだけで精一杯だったんだ。

彼らをちゃんと食わせて、寝る所を用意して。それだけで大変だったはずだ。そのおかげで今は同胞の人々も、ここに居る限り安心して暮らせる。子供も作れる。

ここに居る奴等全員がお前の奔走とシニョルの知謀で生き延びる事が出来ているんだ。自分を責めるんじゃない。

俺はたまたま外から見て気付いているだけなんだ。気付いてくれたなら明日から頑張ればいいじゃないか」


ルゥテウスの言葉にシニョルとイモールを除く一同が口々に感謝の言葉を述べた。


「そうです!統領様とセデス様が頑張って下さったおかげで私は生まれる事が出来ました。私の母は身重の体でこのキャンプに連れて来て頂いて私を産む事が出来たのだそうです。私は毎日それを統領様とセデス様に感謝していますよ」


難民出身者で史上初めて魔法ギルドに入った男、ソンマは涙を浮かべてイモールに言った。

彼はこの「恩」を返す為に自らの破滅を顧みず《赤の民》に術符を渡したのだろう。


「私もそうです。私と幼い弟は父母に連れられて命からがらこのキャンプにやってきました。母はその後、妹まで産みました。

私が領都の町の片隅で弟に食わせる残飯を漁っていた頃、まさかこんな暮らしが出来るなんて思ってませんでした。感謝しております」


三兄妹の長兄、キッタもイモールに感謝の言葉を述べた。難民が三人も子を産んで誰も死なせる事無く育て切る。

数十年前までは考えられないような話だ。何しろ子を産み育てて次代に継なぐ事すら困難だったのだ。毎日のように命からがら海からやってきては大半が子を遺せずに死んで行く。それが戦時難民という「民族」の悲劇だった。


「ほらな。分かっているか?ここに居る奴等はお前ら二人のお陰でここに居れるんだ。だから自分を卑下するな。お前らがそんなでは、お前らに救われたこいつらがもっと可哀相じゃねぇか」


「はい……はい……済みません……ありがとう……皆さん」


シニョルは俯いて涙を零した。殺人組織なんてものを作ってしまった自分を彼女はこの二日間ずっと責めていた。

しかしこうして感謝してくれている人も居る。信じられない事だが皆感謝してくれている。シニョルはそれが嬉しかった。

彼女は確かに難民を救ったかもしれないが、彼女も救われていたのだ。


「よし。じゃ支部長は明日から戸籍作りを頑張れ。手が空いてる他の職員とか居るんだろ?そいつらを総動員しろ。

どうせ運営事務所を造るなら新規に職員を増やしてもいいな。そこは自分で考えてやってくれ。但し、しつこいようだが職員にも報酬を払えよ?」


ルゥテウスが笑いながら言葉を締めたのでイモールも漸く笑顔を取り戻し


「承知致しました。25年を取り戻すつもりで気合いを込めてやります」


と決意を新たに力強く宣言した。シニョルもそれを見て涙を拭いて微笑んだ。


(この方のお言葉には本当に不思議な力がある。私にはこの方の正体がまだ分からない。一体どんな方なのでしょうか。

もしかして……本当に神様なのではないのかしら。苦しみ続ける私達の為に神様が降りて来て下されたのかしら……)


ボーっと考えていたシニョルは、ルゥテウスが拝まれるのを嫌っている事を思い出し、一人で思い出し笑いをしてしまった。

今まで酒場で勤めながらも支部職員として、時折シニョルの怜悧で知性溢れる姿を見て来たノンはそんなシニョルを見て


(統領様は本当に素敵になられた。お優しくて……)


と、嬉しくなった。


「戸籍が出来たら、それを監督も共有してキャンプの防諜にも気を遣うようにしてくれ。これが『防衛』の第一歩だ」


「防諜……ですか?」


ドロスが応じてきた。


「そうだ。この先、お前が率いる諜報部隊が稼働を始めると、それなりに敵が増える。奴らはそのうちここに諜報員を送ってくる。それを防ぐのもお前達の役目だ。そしてもう一つ。このキャンプに貨幣経済が導入されると……実は弊害が起きる」


「弊害とは?」


「犯罪の増加だ。今のところは住民はすっからかんだからな。盗む物が無い。しかしこれから現金収入が増えると、それを狙った窃盗や強盗、殺人などが発生するようになる。外部からも来るぞ。

そう言った者に対する治安維持も重要となる。なので支部長は戸籍に決着が見えたら法律を導入しろ。犯罪には処罰が必要だ。


今まで散々人を殺してきたお前らだが、今後は殺人やその他の犯罪を許さないようにしなければならない。しかし諜報部隊でやれるのはせいぜい犯罪者を割出す事くらいだろう。

防諜にしてもそうだ。相手の諜報員を見つけてもそこまでだ。だからそういう連中の排除を実行する組織を創設する必要がある。暗殺組織じゃないぞ?武力組織だ。これが『防衛』の本筋だ」


「つまり……軍隊を持てと?」


「軍隊では無い。治安維持組織だ。軍隊は持てない。今このキャンプで軍隊を持ったらそれは『民兵』となる。民兵の保有は国法で禁じられている。

領主貴族家なら『私兵』の保有が認められるし、むしろそれが「諸侯軍」という国防力の一部分として義務化されているが、それ以外の者が軍事力を保有する事は国法に触れてしまうんだ。

せいぜい商人などが隊商等で傭兵を冒険者ギルドで雇う程度しか許されていない。隊商を組む商人が直接傭兵を雇って過去に民兵に認定されて処罰された事すらある」


「そっ……そうなのですか……」


「名目上は『自警団』とする。但しさっきも言った敵性勢力の諜報員の排除や犯罪者を鎮圧するくらいの実力は無くてはならない。だから訓練もちゃんとやるし、余剰資金で武装も整える。

そしてこの連中が将来、お前らがエスター大陸で建国する際の武力となる」


「なるほど……それに繋がるのですね」


「だな。いくら何でも丸裸で建国は出来ん。しっかりとした実力に裏付けられたものでないと、あっちの難民を救う事も出来無いぞ」


「そ、そうですね……」


「この治安維持組織には諜報部隊もある程度人員を出向させて対等な立場で力を合わせる。ここまでやれれば、本当に建国も見えてくるな」


「建国……故郷に帰る……何か本当にやれそうな気がしてきましたね……」


シニョルが夢を見ているような目で呟いた。


「そうだな。お前が生きているうちに実現するといいな。逆に言うと、お前はそれまでは死ねない。3000年の苦難から同胞を救ったお前だからこそ皆が付いて行くんだ。それを忘れないでくれ」


ルゥテウスはシニョルの目を真っ直ぐに見て言った。その美しい顔を見つめ返してシニョルは


「そうですわね……せっかくですもの。私だって夢が叶うところを見てみたい。あの頃……王都の片隅で……夢を見る事だけが私に許された自由でした……その夢……祖父が生きられなかった、逃げるしかなかった故郷に……」


「安心しろ。とりあえず俺が暫くの間は力を貸してやる。俺もお前らが故郷に帰るのを見てみたい」


そう言いながらルゥテウスは忽然と悟った。


(母を苦しめたこの連中を俺が許し、そして肩入れまでするのは恐らく……これまでの血脈の発現者達が、この連中に対して「見て見ぬ振り」をしてきたからなんだ。

『黒い公爵さま』だとか偉そうにしてても、この連中が建国以来3000年も放置され、差別され、都会の片隅でゴミのようになって生きていたのを救わなかったクズ野郎……それが『黒い公爵さま』の正体じゃねぇか。

これならまだ動機はどうあれエルダの方が……あのババァの方が百倍マシじゃねぇか……何が賢者の血脈だ……賢者様はこういう人々を救う事はしねぇのか……血脈の継承が第一だと……ふざけんじゃねぇ!)


ルゥテウスはわざと明るく言った。


「よし。そんじゃ俺の話は理解してくれたかな?良ければこれで今日はお開きにしようぜ。シニョルも今夜はしっかりと睡眠を摂らないとな!」


「そうですわね……」


「よし。明日は暇な時にさっきの方法を参考に名前入りのカードでも造って試してみろよな」


「はい。そう致します」


「よし。じゃ解散だ。俺はシニョルを送ってからまた別の場所に行く。明朝またここに来るから、親方は建設予定地の囲いを頼むな」


「承知致しました。お待ちしております」


ラロカが請け合った。


「よし。シニョル。帰るぞ。また公爵にバレないように一瞬で帰るからな」


「はい。宜しくお願いします」


「よし。みんなもちゃんと寝ろよ。それと0時以降は念話の練習は禁止だからな!」


急に明るく話し出したルゥテウスに一同は少し不思議に思いながらも


「おやすみなさいませ」


「お疲れさまでした」


など挨拶を交わした。


「私も予めご挨拶しておきますね。ルゥテウス様。おやすみなさいませ」


「あぁ。おやすみシニョル」


ルゥテウスはシニョルに挨拶を返すと、彼女の手を取り消えた。そして彼女の部屋に着くとすぐ様今度は《藍滴堂》の祖父の研究室へと飛んだ。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド

主人公。5歳。史上10人目となる賢者の血脈の完全なる発現者。難民キャンプの魔改造に取り掛かる。


シニョル・トーン

51歳。エルダ専属の女執事。戦時難民第三世代。エルダの実家から婚姻に同行して以来の腹心。エルダの闇と秘密を守る名目で同胞の保護を始める。同胞からは《統領様》と呼ばれている。念話がすっかりお気に入りに。


イモール・セデス

49歳。戦時難民第一世代で暗殺組織《赤の民》の領都支部をオーデルに創設し、《支部長》として束ねる男。性格は穏やかで理知的。


ラロカ

52歳。戦時難民第二世代で《赤の民》領都支部創設に向けて本場の組織より暗殺技術を学んで持ち帰った男。《親方》と呼ばれる。メモ魔。


ソンマ・リジ

25歳。戦時難民出身で初めて魔法ギルドに入門し、錬金術を修めた初級錬金術師。《赤の民》へ術符を提供してしまった為にギルドから追われる身となる。難民キャンプで薬屋を経営することを決意する。


ドロス

44歳。戦時難民出身でかつてラロカと共に《赤の民》の本場に渡り、諜報術を学んで持ち帰った男。真面目一辺倒な男で《監督》と呼ばれる。


ノン

15歳。《赤の民》領都支部建物にて職員を務める女性。美人だが気が小さい。幼児である主人公の姉役を偽装する担当になる。


キッタ

32歳。《赤の民》領都支部建物にて職員を務める男性。眼鏡が特徴の実直な男。


ロダル

28歳。キッタの弟。《赤の民》領都支部の新米暗殺員。暗殺員としての失業に伴いソンマの薬屋へ兄妹と共に転職する。


サナ

14歳。キッタの妹。術師の素養を持った女の子。


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