表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第二章 難民の王国
23/129

初めの一歩

【作中の表記につきまして】


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。また、特に言及の無い限り文中の時刻は24時間表記です。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくおねがいします。


 《監督》ことドロスという壮年の男と自身の弟妹を連れてキッタが空き長屋の部屋に戻ってきたのはイモールの時計で19時を少し回った頃であった。


『る、ルゥテウス様、キッタです、今どちらに、いらっしゃるのでしょうか』


『キッタか。どうした。お前らこそどこに居るんだ』


相変わらずの片言念話でキッタが念話を飛ばしてきた。今度はノンにも聞こえており、「これが片言念話か」と笑いを堪えている。


『いえ、多分近くまで、来ていると思うのですが……』


ルゥテウスは気付いて


『あぁ、そうか済まん。結界を張っていたんだったな。今解除するから部屋を見つけて入って来い』


 ルゥテウスが右手を振ると直後に部屋の入口が開いてキッタが恐る恐る入って来た。

彼は先程まで空っぽだった部屋の中に机と椅子が並べられた上にランプに灯りまで灯っており、結界が解けて急に部屋から灯りが漏れてきたので自分が記憶していた長屋の部屋は本当にここかと怪しみつつ扉を開けてきたのだ。


「つ、机と椅子と……灯りまで……」


驚いた顔で入って来たキッタの後に続いて来たのは精悍な顔立ちの壮年で、日焼けした浅黒い顔に鋭い目つきが印象的な、全身黒い装束をごく自然に着こなしていた、まさに筋金入りの密偵といった風情だ。

その後に入ってきたのはやはり顔立ちが鋭い青年で20代後半だろうか。

そして最後にビクビクしながら入ってきたのは背の低い女の子だった。前の二人が鋭い印象なのでそのギャップが凄かった。


「ドロス、済まんな。忙しいのに呼び出して」


イモールが精悍な壮年に話し掛けると


「いえ。遅くなって申し訳ございません。支部長様からの申し送りは受け取っており、既に繋ぎに仕上がり掛かっていた訓練中の者を各地に走らせました」


「そうか。手間を取らせたな」


「とんでもございません。支部長様と親方の多忙さに比べれば……自分は教えているだけですから」


 このドロスという男はかなり真面目な性格なのだろう。イモールとラロカを目の前にして直立不動のまま姿勢を崩していない。

そしてその物腰には全く隙が見られない。その威容に当てられてノンが立ち上がっていた。


「支部長様、親方様、ご苦労様でございます」


もう一人の青年もやはり直立したままドロスの後に続いて挨拶をした。


「ロダルもこんな時間に済まなかったな」


ラロカが労った。そして……


「あ、あの……こ、こんばんは……」


最後に入ってきた小さい女の子はオドオドして青年の後ろに半分隠れている。


「キッタの妹だな。名前は何と言うんだ?」


イモールが優しく声を掛けると


「サナです。セデス様」


「そうか。緊張しなくてもいいぞ。三人共、改めてこんな時間に済まなかったな。どうしても話しておきたい事があってな」


イモールは言葉を継いで


「先にこちらの方を紹介しておく。ルゥテウス様だ。今後我らの指導者になられる」


 イモールに言われて三人は驚いた。彼に紹介されたのは何の変哲も無い平民の子供の服を着た幼児だ。恐らく5、6歳。

しかし顔は美しいし、妙な雰囲気を感じる。三人は困惑しつつも順に挨拶をした。


「初めて御目に掛かります。私はドロスと申します。以後お見知りおき下さい」


ドロスは深く頭を下げる。


「私はロダルと申します。このキッタの弟です。宜しくお願い申し上げます」


ロダルも言葉丁寧に頭を下げる。


「さ、サナです。宜しくお願いします」


サナも慌てて頭を下げた。


「俺はルゥテウス。話せば長くなるがこの連中とは昨日からの付き合いで成り行きでこうしてお前らと話をする事になった。宜しく頼む」


 三人は目の前で紹介された幼児が、それとは思えない言葉遣いで挨拶を返してきたので驚いた。特にサナは目を瞠っている。どうやら只者では無さそうだ。

ドロスは任務でよく見る貴族という連中の子息かと思ったが、そういう者とはとにかく雰囲気が違う。一度目にしたらもう忘れられないという印象を受けた。


「よし。余ってる椅子に座ってくれ……うん?椅子が一脚足りないか?」


「あ、あの。あたいは立ってますので……」


「いや。ちょっと待て」


そう言うとルゥテウスは右手を振って部屋にもう一度結界を張り直した。そしてもう一度右手を軽く振ると、一番扉に近い机の短辺側に同じ椅子が一つ現われた。


「なっ!?」


「えっ?」


「急に椅子が……」


三人はいきなり目の前に現れた新しい椅子を見て絶句したまま動かなくなった。


「どうした。これで数は合うだろう?早く座れ」


「あ……はい」


流石に謹厳実直なドロスもこの様子とルゥテウスの平然とした言葉に気圧されるように近くの空いた椅子に腰を下ろした。他の三人も従った。


「キッタの眼鏡も随分見慣れただろう?」


「いやいや……今は灯りの下ですが暗い夜道で見たら怖い……と言うか笑っちゃいますね」


と、ソンマが思い出したように笑い出したのでイモールやラロカ、ノンまで一緒に笑い始めた。初対面の緊張した場面は妙な笑い声で一気に和やかになった。


 新入りの三人にはキッタの眼鏡の変化に全く気付かない。これはルゥテウスの作った同じ紐付けされた品を持たないと青い光が見えないのだ。


「それでは私がこれまでの経緯を説明します。ドロスもその方が納得出来るでしょう」


「そうだな。シニョルを連れて来るまでに終わらせてくれ」


「え?統領様もこちらにいらっしゃるのですか?」


「そうだな。もう酒場は危ないから引き払う時以外は近寄らない方がいいかもな」


ルゥテウスが言うと、イモールがそれを引き取って


「その辺の所も私が説明しよう」


と、これまでの経緯を簡単に説明し始めた。三人はイモールの話が進んで行くごとに顔が青醒めていき、時折ルゥテウスに視線を移しながら黙って聞き入っていた。

最後にここの近所にある場所に薬屋を建てる話まで終わったところで、イモールが


「ロダルよ。お前は去年漸く訓練が終わって今年から任務に入って貰っていたのにこんな事になって済まん。お前の15年を無駄にする事になってしまった」


と頭を下げた。ラロカもそれに倣う。ロダルは12歳で暗殺員の素質を見込まれてから実に15年もの間、厳しい鍛錬を続けて今年漸く一人の暗殺員として任務に就くようになれたのだ。

それをいきなり「暗殺は廃業だ」と言われて納得出来るかという気持ちがイモールにもラロカにも痛い程解るのだ。


「そんな……頭をお上げ下さい。確かに15年もの間、俺は人殺しの為の訓練を受けてきました。今の人生の半分以上の年月です。

しかし俺は元々人殺しなんてしたく無かったのです。たまたま体が動かせて、肝が座ってると言われて選ばれただけの者なのです。

今のお話では今後は兄貴やサナと同じ場所で働けるんですよね?だったらそっちの方がいいに決まってるじゃないですか」


意外にもあっさりと自分の15年を否定したのでルゥテウスも興味が湧いて


「本当にいいのか?まぁ良くないと俺も困るんだけどな。それにしても支部長。彼の話っぷりを聞くとむしろ『本人の気持ちを考慮せずに採用したのか』と疑いたくなるんだが」


 ルゥテウスの指摘を受けてイモールが焦りながら


「い、いや……あの頃はまだ暗殺部門の稼働が始まったばかりでして……組織の拡大を焦っていたのかもしれません。本当に申し訳無い……」


「いえ、ルゥテウス様。俺も同胞を助けたいと言う気持ちがあったのです。それでこの道に入ったので選ばれた事自体には後悔はしていないのです」


「そうか。お前はいい奴だな」


 ロダルの毅然とした言い方にルゥテウスはソンマがやはり同胞を助けたいと言う思いでイモールに術符を渡したという覚悟を決めた姿を思い出した。


「ソンマ店長と同じく腹の中は熱い男なんだな。店長、しっかりと仕込んでやれよ」


とルゥテウスはソンマに言うと


「いやいや。私の方が年下ですから。皆で力を併せて頑張りましょう」


と殊勝にも店長らしい言葉で締めた。


「ドロス……監督だっけ?お前は今後もこの難民キャンプの稼ぎ頭として大いに後進を鍛えてくれ。今後は諜報一本だからな。まずはこの公爵領の各都市に『支部』を置くか」


「はい。ではそのような方向で進めて参ります」


「それと……サナか。俺もまだ5歳だが、お前も大概にちっこいな。年が明けて15歳だっけ?頑張ってくれよな」


「あっ……あの……」


サナが口籠っている。どうやら薬屋店員の他に何か考えがあるようだ。


「何だ?どうした?他に何かやりたい事があるのか?」


「あの……あたいは……15になったら……」


サナは勇気を振り絞って訴えた。


「あたいは町に出て体を売ってお金を一杯稼がないといけないんです」


この発言にルゥテウスは驚き


「な……何だって?体を売る……?」


と唖然としながら辛うじて言葉を繋いだ。他の一同も、二人の兄も驚いている。


「兄ちゃんも殺しをやらなくなるから、お金が貰えなくなるし……」


「お前はそんなに金が欲しいのか?何か買いたいのか?」


ルゥテウスは漸く落ち着いて問い質した。


「そ、そうじゃ無くて……お金が無いとおっかあの病気の薬が買えないんです」


「さ、サナ!お前……」


「お前がそんな心配をするんじゃ無い!」


二人の兄は一斉に妹を窘めた。それでもサナは思い詰めた顔をしている。


「兄ちゃん達はあまり家に居なくなったから分からないんだよ。おっかあ……段々と病気が重くなってきてて……薬が無いと……ううぅ……」


サナは泣き出した。どうやら三兄妹の母は重い病気に罹っているらしく、それもかなり長期間の闘病で段々と弱ってきているらしい。


二人の兄も母の病状を改めて知って茫然としている。


「そ……し……しかしそれでも……お前が体を売るなんて……」


キッタも涙を流し始めた。ロダルは唇を噛みしめて俯いている。


ルゥテウスはイモールに


「支部長はこの事を知っていたのか?知った上でキッタとロダルを使っていたのか?」


ルゥテウスの少し棘の生えた言葉を聞いてイモールは


「いえ……母が病気だという話は聞いてましたが、まさかそんなに予断を許さなくなっているとは……」


ルゥテウスは突然声を荒げた。


「バカ野郎っ!何でもっと早く言わないんだっ!お前はうちの従業員になるんだろうがっ!そう言う事はちゃんと店主に相談しろっ!」


 かつてイモールやラロカ、ノンやキッタ自身もルゥテウスの怒りの一声で体ごと吹っ飛ばされた経験がある。

今回はそのような空気の壁はぶつかって来なかったが、それでも幼児である彼の剣幕の凄まじさに一同は震え上がった。


「よしっ!こんなところでグズグズしてられん。今からお前の家に行くぞ」


ルゥテウスはいきなり宣言した。


「えっ!?ウチにですか?どうして……」


「決まってるだろう。バカ野郎。お前の『おっかあ』を治すんだろ?治らないと年明けから体を売らなきゃいけないんだろ?」


「いや……でもおっかあの病はもう10年以上も……」


「バカ野郎!何度も俺に言わせるな。サナが売るのは薬であって体じゃねぇんだよ。ほら、行くぞ。サナ、こっちに来て右腕を出せ」


サナはルゥテウスの勢いに押されて椅子から飛び上がると、おずおずと歩いてきてルゥテウスの前に右手を差し出した。


「あ、あの……何を……」


明らかにその目は不安で一杯だ。


「ここから自分の家に帰るのを想像しろ。家に辿り着くまでの道のりをだ。そして家に入れ」


 ルゥテウスが妙な事を言い出しながらサナの右手に触れたので、一同は何が起こるのかと不安を隠し切れない顔で成り行きを見守った。


「よし。お前らはここで待ってろ。サナだけ連れて行く」


ルゥテウスはそう言うとサナの右手を掴んだまま消えた。


「なっ……消えた……」


ドロスが驚いた。流石に目の前で人が、それも二人も消えたら普段冷静な彼もそうで無くなる。


「あれがルゥテウス様と言う方なのです。あんなので驚いていてはこの先心臓が止まってしまいますよ……」


呆れたようにソンマが言った。イモールやラロカも苦笑いだ。


 周りは真っ暗だった。ルゥテウスが再び右手を振ると、例の「薄緑色に明るい」結界が張られた。驚いたサナが周りを見回すと見覚えのある場所だ。というよりも自分はつい先程までこの部屋に居たのだ。


「おっ、おっかあ!」


サナは突然の出来事に我を忘れてベッドで眠ったままの母に呼び掛けた。


「ちょっとどいてろ。『おっかあ』を診る」


 ルゥテウスがサナを押しのけて彼女の母が眠るベッドの横に立った。ルゥテウスはじっと観察した。二分程経ってから


「ふむ。肺の病か」


と声を漏らした。


「はい……おっかあはもう10年も前から咳が止まらなくなる事があって、そういう時は決まって最後は血を吐きます。熱も全く下がらなくなり……もう殆どご飯を食べて無いです……」


サナが涙をポロポロ流しながら訴えた。


「これはもう薬は効かないな」


ルゥテウスはあっさりと認めた。


「そ、そんな……おっかあ……あたいがもっと早く大人になって体を売ってたら……」


ルゥテウスは振り返ってサナに


「バカ野郎。何度言わすんだ。お前は体じゃなくて薬を売るんだ。下らない考えは捨てろ」


と叱責を浴びせた。そして……


「薬ではもう手遅れだけどな。『治らない』とは言って無いぞ。俺は」


ルゥテウスの言葉を聞いてサナは、俄かにその言葉の意味を飲み込めず少しの間沈黙した後


「えっ……いっ、今……何て……」


辛うじて口を開いた。


「だから薬では難しいが、他の手段を使えばちょっと時間が掛かるが治る」


ルゥテウスは平然と言った。


「そ、そんな……どうやって」


「まぁいい。そこで見てろ。ちょっと結界を厚くする。魔素が濃くなるから我慢出来なければ床にでも座ってろ」


 そう言うと彼はいつものように右手を振った。すると今まで薄緑色だった部屋の明るさが青く変わり始めた。これはソンマの指輪を破壊した時と同じ感覚だ。


 ルゥテウスはベッドで眠るサナの母の胸に手を当てて目を閉じた。そして今度はその体を抱きかかえて起こし、背中に手を当てて再び目を閉じた。胸と背中をそれぞれ十秒くらい手を当てただろうか。そして元の仰向けに戻して寝具を掛けてやった。


 ルゥテウスがもう一度右手を振ると部屋の光は薄緑色に戻り、サナに与えていた重圧感も解放された。少しふらつきながら立ち上がるサナに対して


「よし。終わりだ。帰るぞ」


「え……おっかあはどうなったのです?」


サナが焦った口調で尋ねた。


「静かにしろ。とにかく帰ってから説明する。おっかあの眠りを妨げるな」


再びルゥテウスは右手を振った。薄緑色の明るい部屋から……


「いっ!」


二人は一瞬にして元の薬屋建設予定地近くの長屋の部屋に戻ってきた。


「ルゥテウス様!母はどうなったんでしょうか?」


急き込んで聞いて来るキッタに


「うん。治した」


と短くあっさりとルゥテウスは答えた。


「え……えっ?」


サナが上手く言葉を出せないのを次兄が引き取って


「母は?治ったとは?どう言う事なのでしょうか?」


「お前らの『おっかあ』の病の原因は全て取り去った」


ルゥテウスは一旦言葉を切って


「しかし、肺という部位は強引に扱うと呼吸が出来無くなる恐れがある。なので病巣を取り剥がすだけにして、後は自分で排出してもらうしかない」


「サナはどうせ薬屋が建つまでやる事が無いから、今日帰ったらこれまで通りおっかあの世話をしろ」


「は……はい」


「但し今までとは違って、おっかあは明日起きた辺りから咳がひどくなる。そして熱も多少上がる。

これは咳込む事で肺とその周辺の部位が激しく動くからだ。病気で熱が出るわけじゃないから安心しろ」


「はっ、はい」


「それで咳が出るごとに血じゃなくて真っ黒い痰が出るようになる。最初は真っ黒い痰だ」


「しかし咳が出るごとに段々それが薄くなっていくはずだ」


「そしてそうだな……1旬くらいかな。最後は痰が透明になるだろうし、その頃にはおっかあも普通に起きれるようになっているはずだ」


「そっ、そうなんですか?」


「うむ。お前はその痰をちゃんと痰壺でも何でもいいから受けてやれ。そして気を付けるのは、食事だ。

食事を摂ってる時に咳が出ると誤飲が起きて食い物が気管に入って窒息する可能性があるから、お前がしっかりと見てやりながら飯を食わせろ。さっきも言ったが1旬もすれば咳も止まって痰も透明になる。そうしたら完治だ。

おっかあは長年寝た切りだっただろうから足腰が弱っている。部屋の中でいいから少しずつ歩かせてやれ」


「とりあえず今夜は俺の睡眠魔導が入っているから目を覚まさんはずだ。明日からちゃんと面倒見てやれよ」


ルゥテウスが言い終わると三兄妹は顔をクシャクシャにしながら


「あっ、ありがとうございました!母の……母の命の恩人様……」


と、特に次男のロダルがルゥテウスに向かって拝み始めた。


「おい。やめろ。俺を拝むんじゃねぇ。俺は神が大嫌いなんだよ!」


「おい。ロダルやめろ……。ルゥテウス様は拝まれるのが大嫌いなんだ。統領様も怒られていたぞ!」


と弟がルゥテウスに手を合わせるのをキッタが制止した。イモールとラロカはそれを見て「またか……」と呟きながら苦笑していた。


「支部長、今は何時だ?」


「はい……20時20分です」


「よし。まだシニョルは仕事中だな。次の話をしよう」


「どうかされましたか?」


イモールが訝しんだ。


「うむ。ちょっとな」


ルゥテウスはソンマに


「ソンマ、サナの右手を掴んでみろ」


と言い渡した。ソンマは不審に思いながらも、母の病が消えて歓喜の後に茫然としているサナの右手を取って


「なっ!?これは……」


と驚きの声を上げた。


「やはりお前にも分かるか」


「はい……まさかとは思いますが……」


「いや、その『まさか』だろうな」


「そうですか……しかしよりによって」


ソンマは皮肉っぽく笑いながら言った。


「何だソンマ。サナがどうかしたのか?病が感染っているとか?」


イモールの言葉に兄二人が驚いて


「なっ!サナが!?」


と騒ぎ始めたのでルゥテウスが


「お前ら、この狭い部屋で騒ぐな。とりあえず皆座って落ち着け」


といつもの一声で皆を座らせてから


「サナには魔法の素質がある。いや、魔術なのか錬金術なのかは確たる事は言えないが、俺の感触では錬金術だと思う」


「ルゥテウス様は投射力まで解るのですか?」


とソンマが驚きの声を上げた。


「サナには魔法の素質がある」と言う言葉にサナ本人はキョトンとしているが、他の連中が騒ぎ始めた。


「静かにしろ。ここは狭いんだって言ってるだろうが」


ルゥテウスは騒ぐ一同をまた一喝した。


「うーん。もうちょい早く気付いてやるべきだったな。5年くらい早くな。しかしその頃は俺も産まれたばかりだしな」


と冗談ともつかない発言をして一同は返答に窮した。


「あ、あの……それで……サナはどうするんですか?魔法ギルドに入れるんですか?」


 キッタが一家の長として妹の将来の不安を口にした。今の一同にとって魔法ギルドは、どちらかと言うと敵に近い。

何しろ店長のソンマが彼らに追及を受けつつある。その店の店員候補であるサナを送るなどとは以ての外だ。


「バカ野郎。サナは大事な我らの薬屋の製薬担当だぞ。何で王都にやらないといけないんだ。……まぁ、サナはどうしたいんだ?魔法ギルドで学びたいのか?」


 サナは先程から自分の事でここの連中が話し合いを始めている事は理解しているが、ルゥテウスの言ってる意味が分からない。

自分はつい一時間前までは年が明けたら『おっかあ』の薬代の為に体を売りに行こうと思っていたのだ。

それが突然母の病が消え失せ、喜び疲れていたら「お前には素質がある」などと言われても14歳の少女に話が飲み込めるわけが無い。


「えっと……あの……あたいはどうすれば……」


明らかに困惑した表情で言葉を漏らすサナにルゥテウスが


「そうだな。ここで薬屋の仕事をしながら俺かソンマ店長から勉強を教わるか、王都の魔法ギルドに行って勉強をするか。

まぁ金ならシニョルに言ってエルダから上手い事引っ張らせよう」


と、最後に軽く悪辣な事を言った。


「ここでも……勉強出来るんですか?」


サナが聞くと


「そうだな。少し様子を見ないと分からんが、投射力が強ければ俺が魔術師として鍛えてやれる。弱ければ店長の錬金術を手伝いながら実地で勉強出来るな。

別に無理をして王都に行く事は無いけどな。それでもどうしてもって言うなら話は別だが」


ルゥテウスも別に強制はしない。やはり素質があるなら魔法ギルドで学ぶのが普通だからだ。魔法ギルドは才能ある者には安定してそれを伸ばす長年のノウハウを持っている。

金は多少掛かるが、「魔法ギルドで勉強した」と言う肩書だけでも相当な金看板にはなるのだ。


「あの……あたいは、もしここでもいいと言うならルゥテウス様のお側で働きながら勉強がしたいです」


サナにとってルゥテウスは最早、統領と並んで神に近い存在だ。本人を拝むと怒られるが彼のお陰で母の病は消え失せ、自分は体を売らずに済んだ。ならば彼の近くで働きたい。そして学びたい。彼女の反応は極自然な感情であった。


「そ、そうですね。サナにはここで俺達と一緒に働いて欲しいです。ここなら家から通えますから母も安心ですし」


キッタもサナの考えに賛成した。


「サナが欠けるとその代わりを探す必要がありますからな」


とイモールもどうやら賛成のようだ。結局、本人の気持ちを尊重してサナは王都に行かず、この薬屋で製薬の手伝いをしながら勉強する事になった。


「よし。それじゃこの話は終わりだ。次はあれだな。監督とロダルとサナはいつも身に着けている物を出してくれ。何でもいい」


ルゥテウスの言葉を聞いてイモールが懐から懐中時計を出し


「私はこの時計を出した。お前達も何かいつも持ち歩いている愛用品が有ったら出してくれ」


 三人は疑問に思いながらもイモールの指示に従って何やら色々と自分の体を探り始めた。


「では……私はこれを……」


そう言ってドロスは直径5センチ程の丸い円盤のような物を出した。イモールの懐中時計に似た外観だ。


「何だこれは?」


ルゥテウスが聞くと、ドロスは厚さ1センチ弱の円盤の蓋を開いた。中を見るとコンパスだ。諜報の仕事では方向感覚が大切なのだろう。

蓋を閉じた外見は銀色の円盤で使い込まれて鈍い光を放っている。


「俺はこれでいいですか?」


 ロダルは長さ15センチ程度、そのうちの刃渡り8センチ程度の柄の先端に親指が入るくらいに大きな穴の開いたナイフを出してきた。

刃は全長の割に4センチ程度のがっしりとした広刃で革の鞘に入っている。


「おぉ。これは。お前、まだ持ってたのか?」


「当然ですよ」


ラロカの言葉にロダルは笑った。話によるとロダルが修行入りした際にラロカが贈った物だそうだ。

柄の穴に指を引っ掛けて投げて使うらしい。暗殺者ならではの物騒な暗器だ。


「あの……すみません。あたいは何も持って無くて……」


 サナが困り果てた顔をしている。ノンと同じパターンだ。やはり難民は皆等しく貧しい。特に女性などは一般の者とは違い身の回りの小物すら持てず、ノンですら擦り切れ掛けて汚れたリボンを何年も大事に使っていた。


「サナ、何でもいいぞ。お前が普段何か身に着けている愛着のある物は無いか?」


ルゥテウスがそう促すと、サナは何か決心したようにスカートの隠しから小さな石を出してきた。直径3センチ、厚さ1センチ弱くらいだろうか。宝石では無いが水色の綺麗な石だ。


「あの……これ……子供の頃に拾った物でして……」


「とても綺麗に見えたからずっと持ってるんです。でも人に見せるのは恥ずかしかったから……」


サナは顔を赤らめて俯いた。


「でも、これを見ると……凄く落ち着くんです……」


「よし。分かった。それでいい。しかしその形だと何かの時にポケットから落ちそうだけどな。ちょっと加工してもいいか?」


「か、加工って……どうするんですか?」


「いや、石はほぼそのままにお前が身に着けられる物にするのさ」


「石が残るならあたいはそれで……」


「ひとまず、その石を見てみよう。触ってもいいか?」


「はい。どうぞ」


 サナはルゥテウスに石を渡した。石を受け取ったルゥテウスは拇指(おやゆび)食指(ひとさしゆび)で石を摘んで形状や表面を観察したりランプの灯りに透かしてみたりしていた。

幼児が眉間に皺を寄せて石を眺め回すその姿に、一同は不安になってきた。これまで魔法を使うにも長くて数秒しか掛けないルゥテウスがこうもじっくりと『石ころ』と思わしき物質を観察しているのである。


ルゥテウスの石ころ観察は数分に及んだ。やがて『石』を机の上に置きそれを見降ろして沈思している。


「あ、あの……ルゥテウス様……その石が何か……?」


サナが不安に耐え切れなくなり、たまらず聞いた。


「うぅむ……。おかしい……」


 サナの言葉には答えず、ルゥテウスは呟いた。このような態度を示す彼を見たのは他の者達も初めてである……と、言っても直接彼と関わりを持ったのは一番長い者でもラロカとノンで昨日の未明という短さだ。


それでもこれまで見たルゥテウスというこの幼児は圧倒的な力と膨大な知識量を持ち、それをコントロールするバランス感も持ち合わせている。イモールをして「5歳にして人格が完成している」と言わしめる恐るべき存在だった。


その、魔法ギルドですら鼻で笑うような彼がサナという少女が幼い頃に拾ったと言う石ころを眺めて唸っている。これは只事では無いと思った。


「済まん。これはちょっと無暗に判断出来ん。もうちょっと環境が整った場所で観察しないと何とも言えん。悪いがこれは保留にさせてくれ」


と石をサナに返した。


「とりあえず大事に持っておけ。お前が望むならその石に付与をしてもいい。まぁ、俺がこれだけ立て続けにお前らの品に付与を入れているのは、全員がまだ未熟なうちに一斉に念話の練習をして欲しいと思っていただけだからな」


「ね、んわ……ですか?」


 サナがルゥテウスに聞いた。この場に居る者達の中で次兄とドロスはまだ念話を知らない。「遠く離れた人間と頭の中で会話を交わす」などという行為は魔法に係わる人間がそれを学ぶ過程になって漸く「そんな事をやる」という発想を教わるものであって、そういう世界とは縁が無い人々にとっては日常において「あぁ、この人の考えてる事が解ればいいな」と妄想する程度である。


 『会話』とは耳と目を使って、相手の言葉、仕草、表情などの情報を受け取ってそれを自分の脳で分析する事で初めて相手との疎通が完遂出来るものだという固定観念によって一般の人々は生きている。

そのような人々に口頭で念話の概念を説明するのは難しいだろう。


「お前達を一番上の兄貴がここに連れてくる時に、眼鏡に手を当てて黙って考え込んでいるような仕草をしていなかったか?」


「え……?あ……そういえば手を当てるというか両手で押えて……」


「うむ。まぁそんな風にしなくても指でちょっと触れればいいんだけどな」


「えぇっ?そうだったんですか?」


キッタが急に声を上げたので隣に居たロダルがビックリしている。


「まぁ、それがお前のスタイルであるなら俺は別に何も言わんよ」


ルゥテウスが笑いながら説明を続ける。


「その考え込んでるように見えた時、お前の兄貴は俺……正確にはここで待ってる全員と頭の中で会話していたんだ。まぁ、未熟だから全員に聞こえていたんだがな」


それを聞いてソンマが笑い出した。しかし彼もまだ相手を絞った念話が出来るわけじゃ無い。


「まぁ、お前の石への付与は保留だがな。他の二人のやつは今やるぞ。支部長、時計を。そして親方は……」


「心得ております」


 イモールは机に先程見せた時計を置き、ラロカは懐から出したメモ帳の白紙ページを破ってルゥテウスに渡した。


イモールの懐中時計の横にドロスのコンパスとロダルのナイフを並べて置く。ルゥテウスは今までと同じように紙片に紋様を浮かび上がらせて右手の中に丸めて握り込み、念じた。

他の者にとってはお馴染みの光景になりつつある金色の光が部屋を包み込み、それが収まるとそこには淡く青い光を放つコンパスとナイフが置かれていた。


初めてこの儀式を見る三人は改めて驚愕し、特に先程三兄妹の母の治療に同行していないドロスとロダルの肝を冷やすには十分な光景であった。


(これは……なるほど。支部長様がお認めになるのも無理は無い……)


 ドロスは儀式の後は平然として自分にコンパスを手に取るよう指示してきたルゥテウスをじっと見つめながらそれを手にした。


『解るか?これが念話だ。そのコンパスを触りながら返事を返してみよ』


頭の中に突如聞こえたルゥテウスの声にドロスは飛び上がりそうになりながら


『こ、これで、よろしいの、でしょうか』


と念話を返してみた。


「ドロス。お前も片言だな……」


といきなりラロカに言われ、周りの者も笑い始めたので


「ど、どう言う事でしょうか?」


とドロスが混乱気味に言葉を返すと


「いや、お前が今念じた言葉はここで同じようにルゥテウス様から付与を受けた物を持っている全員に伝わっているのだ。恐らくは統領様にも届いていたはず……」


「なっ、何ですと!?統領様にも?」


ドロスがこれだけ慌てるのは非常に珍しい光景だ。ここに居るメンバーでこれまでのドロスを知らないのはルゥテウスとソンマ、そしてサナだけだ。この『監督』がこれ程までに狼狽えるとは……とキッタやノンですら驚いていた。


「とにかく練習しろよ。改めて言うが、深夜に無暗やたらと使うと寝てる者に迷惑がかかるからな」


ルゥテウスが呆れ気味に改めて言い渡すと


『ルゥテウス様。シニョルでございます。今……監督の声が聞こえたのですが……気のせいでしょうか。私は今、自室に戻りましたので宜しくお願いします』


と、これまた個別送信が出来無いシニョルからの声を受けてドロスが更に慌てている。


『こっ、これは統領様!お騒がせして申し訳ございません。私、只今ルゥテウス様より魔法の品を授かったばかりでございまして……』


『あら監督。やはり貴方でしたか。いえいえ構いませんよ。私だってまだ上手く話せないのですから……ふふふ』


とドロスが今まで聞いた事の無いような優しい声でシニョルが返してきた。ロダルはこの会話が自分の頭の中で行われているのを聞いて


「これは……迂闊に話せないじゃないか……」


と机に置かれたナイフを見つめながら呟いた。


「そのナイフを手に取って念じなければいいのだ。どうせ普段は鞘に納めて仕舞っているのだろう?」


イモールが少し先輩風を吹かせて言うが、彼もまだ個別念話は出来無い。


「安心しろ。扱いに慣れてくると手に取っていても相手に対して念話をコントロール出来るようになる。何事も慣れだ。そして練習だ。俺は今、お前らのやり取りを聞いていて、ちょっとした練習方法を思い付いた。シニョルを連れて来てから教えてやろう」


ルゥテウスが笑いながら言うと、ラロカが


「本当でございますか!」


と期待を込めて強面(こわづら)を輝かしながら答える。


「いや……効果的かは人それぞれだが、今のように闇雲に念話を飛ばしているよりはマシだろう」


と少し引き気味に答え


『ではシニョル。そちらに迎えに行きたいが、部屋に直接飛んで間髪置かずに戻りたい。公爵に感知される可能性があるからな。

なので準備が出来たら昨日俺がお前を部屋の中で下した位置を憶えているか?そこの近くに立っていてくれ』


と、こちらは個別念話で返した。


『かしこまりました。既にその位置にてお待ちしております。いつでも構いません』


と言うシニョルからの返事が戻ってきた。


「ではすぐに戻る」


とルゥテウスは言ってその場で消えたと思ったら次の瞬間にはシニョルの手を引いて同じ場所に現われた。

一同から見るとルゥテウスが一瞬消えてシニョルが突然現れた格好だ。これは流石に彼の瞬間移動を見慣れた者達も声を出して驚いた。


「済まんな。公爵と俺に掛かっている『呪い』は魔法では防げないんだ」


「あら……?ここは……酒場では無いのですか?」


「ここはキャンプの中です。統領様。例の御屋敷を建てるつもりで確保していた土地の近くでして」


イモールが説明する。実はシニョル自身、キャンプに来るのは初めてなのである。


「ここが……キャンプ?ではこの部屋は?」


「キャンプの中で同胞が暮らす為に建てられている長屋の一室です。この部屋ですと単身か二人用ですね。家族が多いと、これの倍の区画の部屋が与えられます」


「そうなのですか……私が王都の片隅で暮らしていた所よりも清潔そうですね……よかった」


シニョルはノルト伯爵家に仕える前の頃を思い出しているようだ。部屋の中を眺めまわしながらしんみりとしている。


「また椅子が足りなくなったな」


とルゥテウスが言い、右手を払った。するとシニョルの足元に酒場から取り寄せた椅子が現われ、ルゥテウスは椅子に座るように促した。これで二組の机をぐるりと囲むように十人の者が座る事になった。


「あの……ここにはお茶を入れる道具が無くて……お水でも頂いてきましょうか?」


とノンが言うので、ルゥテウスが


「あぁ、ではちょっと酒場に行って道具を取ってこよう。少し待っててくれ。ノンは俺と来い。俺はあの厨房に入った事が無いからな」


そう言うと椅子から下りてノンの所に行き、その手に触れて二人とも消えた。一寸の間の出来事に残された一同はあっけにとられていたが、やがてシニョルが


「随分とお仲間が増えましたわね。監督と合流出来てよかったわ」


と微笑みながら言葉を掛けた。


「はい。遅くなりまして申し訳ございませんでした。事情は全て支部長様から承っております。

今後も同胞の為に力を尽くして参りたいと思いますのでどうぞ宜しくお願いいたします」


とドロスは立ち上がって深々と頭を下げた。


「あっ、あの……私はロダルと申しまして……」


ロダルが立ち上がってシニョルに慌てながら上手く言葉が出ないのを


「そこのキッタの弟でございます。そしてそちらの少女が妹です。三兄妹で我らに協力してくれる事になりました」


「そうですか。ロダルさん、宜しくお願いしますね。妹さんのお名前は?」


「あっ……あの……あ、あたいは……その……」


「妹の名はサナでございます。なんと術師の素質があるのだとか。きっと我らの大きな力になってくれるでしょう」


「まぁ!サナさんと言うのね。術師の素質とは?」


統領の前で緊張する兄妹のフォローをしていたイモールに代わり、今度はソンマが


「サナは、魔術師か錬金術師になる素養があります。私にはまだどちらか分からないのですが、ルゥテウス様は錬金術師じゃないかと仰られておりました」


「そ、それは本当ですか!?」


シニョルは「術師の素質」だけではよく理解出来なかったが、ソンマの説明を聞いて声を上げて驚いた。


「はい。ひとまずルゥテウス様はサナの素養については観察した上で魔術師であればご自分が、錬金術師であるなら私の助手として育成をするとの事です」


「私達の同胞から二人も……そうですか……難民だと蔑まれてきた私達にもそのような力を持った方々が……」


シニョルは少し涙ぐんだ。


「ひとまず、サナは魔法ギルドには、それとは知られずに育てるおつもりのようです。私はサナという可能性と出会い、今後は他にも『素質ある者』をこのキャンプの中で探してみようと思いました」


 ソンマとイモールはルゥテウスがノンと酒場の厨房を漁っている間に、今日の出来事と薬屋の件を話した。

ラロカは懐に畳んで仕舞っていたルゥテウスが描いた図面を机に広げて建設は明日から開始する旨を報告した。

シニョルはそれを聞き、資金面で困ったらすぐに念話で依頼してくれと言い、エルダの資産を使って予算を確保しておく事を約束した。


 残った一同が薬屋の件で話し合っていると、部屋の奥側の誰も居ない場所の床に突然、直径1メートル程の青く輝いた魔法陣が浮かび上がり、位置的にすぐに視界に入ったラロカが「うわっ!」と声を上げて椅子から飛び退いた。

それを見て他の者も振り向いたりして魔法陣を確認し、同様に距離を取るように飛び退く。室内はちょっとしたパニックになった。すると暫く間を置いて魔法陣の上に……


―――ガチャ


と、音を立ててコップや鍋などの調理器具や食器が現われたのである。一同が仰天している間に、魔法陣の隣にノンの手を取ったルゥテウスが現われ


「とりあえず、これだけあれば色々出来るか?」


「はい。大丈夫だと思います。早速お水を汲んできます」


「では結界使用者として指定してやろう」


などと話しながらノンの体が一瞬青く光った。


「これでお前はこの結界の存在を感知出来るし、出入りも自由だ」


「ありがとうございます。それでは行って参ります」


とノンは他の面々に頭を下げながら扉から外に出て行った。


「あの……これは一体……」


とシニョルが聞くので


「あぁ、ちょっと持ち切れなくてな。簡易で転送陣を張ったのだ」


「転送陣!今のが!なるほど!」


と突然ソンマが興奮気味に叫んだので一同はそちらに驚いた。


「やはり本当なんですね!」


彼の興奮は収まらない。


「落ち着け店長。他の者が驚いてるぞ」


「あっ……こ、これは失礼……」


「お前の工房にコンロはあるか?」


「はい。燃料式ですが」


「よし。ちょっと一緒に行って持ってこよう。ここでは湯が沸かせない」


「あ、そうですね。ではお願いします」


ルゥテウスは右手を払って酒場から机をもう一つ引っ張り出すと


「そこの隅にこの机を置いて、今持ってきた調理器具なんかを置いてくれないか?俺はソンマと工房に行ってコンロを持ってくるついでに、こいつの痕跡を消してくる」


「はい。承知しました」


とイモールが返事をするのが早いか、ソンマの腕を掴んでルゥテウスはまた消えてしまった。


「もう酒場には戻らないおつもりでしょうかね」


ラロカが言うと


「そうかもしれんな。実際、ここが空いてるなら薬屋が建つまでの仮設事務所にすればいいんだし、飯も配給で貰えるしな」


イモールが苦笑しながら応じた。


「では我々が」


そう言いながらキッタと兄妹が机を奥の壁際に寄せて転送陣で持ってきた調理器具と食器を並べている。


するとルゥテウスとソンマが戻ってきた。ソンマは50センチ四方で厚さ20センチくらいの箱状の物を抱えている。


「戻ったぞ」


「あ、お帰りなさいませ」


「ノンはまだか?」


「はい。まだのようですね」


「あいつ、鍋を両手で持ってるから念話を送っても返事が出来無いな」


「なるほど。両手が塞がっていると念話が使えませんね。これは我々にも言える事です。今後留意しておきませんと」


「そうですね」


ルゥテウスの言葉を聞いて、イモールとシニョルが念話使用の注意点を話し合う。すると扉からコンコンという音が聞こえた為、ルゥテウスが


「あいつ、両手が塞がっているから扉が開けられないんだ。開けてやれ」


ドロスが扉を開けると、ノンが恐縮したように両手に水の入った鍋を持って入って来た。


「そういえば、水は現状どうしているんだ?」


「はい。一応、地域で水汲みの当番が決まっておりまして、恐らくですが毎日一定の量の水を、このキャンプ北側にある貯水池まで汲みに行っているはずです。

但し、春の乾季には池の水も涸れそうなりますから更に北のレレア川まで汲みに行く時もあるようです」


 レレア川とは領都オーデルの北寄りを東西に流れる川で西から市街地の中を横切り、東の外れにある公爵夫人の荘園の北端辺りを通ってそのまま東に進み最後はアデン海に注ぐ。

水量は豊富なのだが、オーデル市内で消費された汚水が排出されており、キャンプの北側を流れる部分は水質が悪い。ルゥテウスは血脈の記憶からその事を知っており


「なるほど。レレア川に水源を求めるのは好ましくないな。早急に地下水脈の利用を考えよう」


と自分の考えを述べた。ソンマが持ってきたのは箱型のコンロで、本来はそこに炭を入れて使う。

炭は通常の炭では無く錬金術で品質を引き上げられた物で、煙も出ずに火力も高く、またコンロの機能によって熱量を自在に絞れるので重宝されるのだが、いかんせん総合的な熱量は竈には勝てないので調理に使われる事は無い。

あくまでもビーカーや小鍋の中で加熱に使う程度だ。


 ルゥテウスは奥の机の上に置かれたコンロの上に水の入った鍋を置くようにノンに指示し、鍋が置かれると鍋を支えている五徳の下に魔法陣を出した。やはり色は青色で 直径はコンロに合わせて30センチ程だ。

魔法陣が出現するとものの数十秒で鍋の中の水が沸騰したのでノンは驚いた。ルゥテウスはキッタ達兄妹が机の下に置いていた麻袋の口を開き、中から炭を取り出した。

これはノンと厨房を漁っている時に竈の中に残っていた物で、炭と言うよりも木の燃えカスだ。


「ノン。この炭に火を維持させるから、このツマミで火力を調整しろ。この炭は暫くは燃え尽きないようにしておいたから、ツマミの調整だけで常に加熱が出来るはずだ」


と、コンロについた熱量調整のツマミの使い方をノンに教えた。ノンは驚いて


「こんな便利な物が……」


すると横からソンマが


「いやいや。それはルゥテウス様が炭を加工されたからだよ」


と笑いながら説明した。とにかくこれで、暫くは火に心配する事は無い。


ルゥテウスとソンマが席に戻ると


「只今、シニョル様に薬屋建設の件をご説明しておきました」


とイモールが報告した。


「そうか。それは助かる。では薬屋の件はいいとして他にこのキャンプで優先してやって行く事を話し合うとしよう……とその前に」


ルゥテウスはラロカに


「親方。明日は最初に予定地の周りに囲いを作って中が見えないようにして貰えないか?ちょっと作業をあまり外から見られたくない」


「承知致しました。外からの視線を完全に切るのですね?」


「そうだな。明日の午前中に一気に敷地を掘り下げる。その様子を外から見られると、多分大騒ぎになる。

だから囲いだけしたら、その作業員も適当に休ませてやって昼飯を食べたらまた戻って来るようと伝えてくれ」


「ご、午前中だけで掘られるんですか?この図面通りで?」


ラロカは地下と基礎部分までの掘り下げを突貫工事で5日程度と予定していた。それをルゥテウス一人で明日の午前中に全て掘ると言うのだ。


「うむ。下まで掘り下げて、ついでに地下水脈まで掘る。なので明日の昼頃からはあの敷地から綺麗な水が出るはずだ」


「な……なんと……」


頭の中で年末までに外面までの建築予定を組んでいたラロカは絶句した。


「俺が年内に手伝えるのは、多分そこまでだからな。後はソンマの錬金部屋の道具や器具の調達に忙しくなる。

まぁどうしても時間が掛かりそうな部分が出てきたらそこは手伝うけどな」


ルゥテウスは平然と言い


「よし、それじゃ話に戻ろう」


と他の一同の方へ向き直った。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド

主人公。5歳。史上10人目となる賢者の血脈の完全なる発現者。難民キャンプの魔改造に取り掛かる。


シニョル・トーン

51歳。エルダ専属の女執事。戦時難民第三世代。エルダの実家から婚姻に同行して以来の腹心。エルダの闇と秘密を守る名目で同胞の保護を始める。同胞からは《統領様》と呼ばれている。


イモール・セデス

49歳。戦時難民第一世代で暗殺組織《赤の民》の領都支部をオーデルに創設し、《支部長》として束ねる男。性格は穏やかで理知的。


ラロカ

52歳。戦時難民第二世代で《赤の民》領都支部創設に向けて本場の組織より暗殺技術を学んで持ち帰った男。《親方》と呼ばれる。


ソンマ・リジ

25歳。戦時難民出身で初めて魔法ギルドに入門し、錬金術を修めた初級錬金術師。《赤の民》へ術符を提供してしまった為にギルドから追われる身となる。難民キャンプで薬屋を経営することを決意する。


ドロス

44歳。戦時難民出身でかつてラロカと共に《赤の民》の本場に渡り、諜報術を学んで持ち帰った男。真面目一辺倒な男で《監督》と呼ばれる。


ノン

15歳。《赤の民》領都支部建物にて職員を務める女性。美人だが気が小さい。幼児である主人公の姉役を偽装する担当になる。


キッタ

32歳。《赤の民》領都支部建物にて職員を務める男性。眼鏡が特徴の実直な男。


ロダル

28歳。キッタの弟。《赤の民》領都支部の新米暗殺員。暗殺員としての失業に伴いソンマの薬屋へ兄妹と共に転職する。


サナ

14歳。キッタの妹。術師の素養を持った女の子。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ