表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第二章 難民の王国
22/129

難民キャンプ

お陰様で第二章の開始です。


※2020.06.11 お詫びと訂正

本文中の「キャンプ」の領域説明で、公爵夫人の荘園総面積を「8平方キロ」と表記されておりましたが誤りで、正しくは一桁多い「80平方キロ」(東京ドーム1700個分!)です。お詫びして訂正させていただきます。



【作中の表記につきまして】


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくおねがいします。


 エスター大陸から戦禍を逃れてこのレインズ王国に流れ着いた難民は、まず生きる為に近くの集落を流れ歩き、最終的には王国各地の都市部に居付くようになる。とは言っても所詮は人の足で移動出来る範囲なので、その場所も北サラドス大陸東部沿岸もしくはそれに近い内陸の都市が大半となる。


それ以外の土地に流れて「行ける」のはそもそも自立して生活が送れるような者達なのだ。


 レインズ王国の東側、アデン海に近い場所にある大都市は概ね4つで、首都レイドスもその中に含まれる。尤も、レイドス自体は内陸に位置していて海からは400キロ程離れているが、首都圏を構成する大運河と大街道で結ばれた世界最大でもある港湾都市チュークスとは巨大なインフラによって接続されているので難民も目指しやすい。


チュークスは人口75万人。140万人を誇り世界有数の大都市である王都レイドス、90万人を擁する王国のほぼ中央に位置する交通の要衝ドレフェスに次ぐ国内第三位の大都市である。


そして北部にある750キロ内陸のヴァルフェリウス公爵領の領都オーデルは人口45万人で国内第八位、中部沿岸の港湾都市ドンは人口34万人で国内第10位の都市だ。


ちなみにルゥテウスが自ら「田舎」と評している公爵領の南西にある大陸西側のバルク海に面した港町ダイレムは人口5万人で公爵領内で第四位と、王国内では小都市の部類に入るが公爵領の中では比較的大きな町で領内南西部の中心都市だ。


 何はともあれ、アデン海を命からがら渡ってきた戦時難民は王都レイドス、最大の港湾都市チュークス、中部の沿岸都市ドン、そして北方のヴァルフェリウス公爵領オーデルにその大半が流れ着いて大消費社会に寄生しながら細々と暮らすようになる。

これがこの3000年続いた難民の生活実態の分布であった。


 シニョルはこの四都市に監視員を配置し、新たに流れ着いた難民と思わしき者に接触し、オーデル市街地の北東の外れに公爵夫人の私的な肝入りで設けられた領域にある「難民キャンプ」を案内する。このシステムによって現在レインズ王国に流れ着いた難民の9割以上を保護する事に成功している。


尚、レインズ王国の北方に位置するニケ帝国沿岸にはアデン海の海流の影響で難民船が流れ着く事は非常に珍しく、漂着しても帝国では上陸した難民は直ちに国外退去させる処分を出している為、海に追い返されるか南方のレインズ王国方面に放逐される。彼らには流れ着いた難民を食わす程、国内生産力に余剰が無いのだ。


キャンプに辿り着いた新米難民はキャンプの入口で簡単な聞き取り調査をされる。エスター大陸のどこの出身だとか、今まで居た都市など。

このキャンプは完全にシニョルとイモールによって手配された者で管理されており、ヴァルフェリウス公爵領の領兵等は一切関わっていない。


 この領域は公爵夫人のエルダが夫ジヨームに采配を完全に認めさせた言わばエルダ個人の荘園みたいなものであり、エルダ……正確にはその経営を任されたシニョルの息が掛かっていない者は立ち入る事もままならない完全な治外法権の場で、領民も含むレインズの一般国民も難民だけが住むこの場所に自ら近寄ろうとはしない。


 公爵家に対して遠慮のある教会や魔法ギルドもこれまでこの地域に敢えて関わってこようとはしなかった。


つまりこの難民キャンプを含むエルダの荘園一帯が巨大なダイレムの下町に似た独特の連帯感で支配されており、外部から逃げ込んで来た犯罪者等もすぐに住民によって取り押さえられて外部に引き渡される。そうやって外部とは積極的排他感を以って付き合っている特殊な場所であった。


 王国歴3038年12月12日の午後、ルゥテウスはイモール・セデスに案内されてこのキャンプにやって来た。イモールはこのキャンプにおける事実上の責任者で、キャンプの住人ならば誰もが知っている人物である。


一応キャンプの領域にはそれを示すように柵で囲われており、エルダの私的荘園の総面積約80平方キロの半分程の面積を占めていた。


キャンプの入口ゲートを通ると平屋建ての長屋のような木造の建物が、そこそこ規則正しく並んでおり、住む場所についてはそれ程悪い環境では無さそうだ。長屋の造りもしっかりしており、この季節の冷たい風もちゃんと防いでいるらしく、住民は以前の都市の片隅で生死を賭けて這い回っていた頃と比べるまでもない。


 キャンプ内はいくつかのエリアに分かれており、エリア毎に「集会所」と呼ばれる大きな建物が建てられていて、一日三食の配給もここで調理されて振る舞われる。


また、住民の中で狩猟やちょっとした菜園を営む者がおり、そこで収穫された物をお互いに持ち寄って配給以外に料理を作る場所にもなっており、エリア内住民の触れ合いの場になっている。


イモールは毎月一回はこの集会所を巡回していてエリアの纏め役の者から報告を受けたり、《赤の民》の構成員の資質がありそうな者を面談等で選抜したりしていた。


「キャンプの中で薬屋を経営されるのでしたら、この辺りなどはどうでしょう」


「この辺りは……キャンプの中心に近いよな?何でこんな条件の良い場所が空いているんだ?」


「はい。実はこの場所はキャンプが設置された頃に、御館様と統領様が御滞在される際の御屋敷を建設する用地として確保されている場所なのですが……統領様が『御館様は多忙故にこのキャンプに来る事は無いでしょう』と建設を凍結されていた場所なのです」


「なるほど。まぁ、あのエルダがこんな難民のキャンプなんかに来るわけ無いよな」


「まぁ……今となってはそのご意見に異議は挟みません……。統領様は我らに気を遣われてあのような言い様をされていたのですね」


「そうだな。はははは」


 ルゥテウスが良く気の回るシニョルの性格がおかしくて笑い出した。彼女は普段、あれだけ冷徹な雰囲気を出している割に、根は優しく温和な人柄であると一同はこの一日で思い知っている。


「そうだな。それではこの場所に薬屋の店舗とその関連施設を建てて貰おう。イメージはこんな感じだな」


と、ルゥテウスはしゃがみこんで地面に建物の見取り図を描き始めた。幼児が描いているとは思えない精巧な図面で、一緒に覗き込んでいるラロカやソンマも目を丸くしている。


 ルゥテウスが描いた図は地下一階、地上二階の木造建築物で広さは20メートル四方の正方形、周囲が長屋である事もあるが、この辺りでは見掛けない……更に言うと王国や、彼らの故郷であるエスター大陸でも見掛けないような形の建物であった。


一階の四分の一を店舗部分にし、その奥を製薬の作業場とソンマの住居、二階を会議や食事に使う大部屋とその隅にルゥテウスの居室。地下の半分を錬金施設にして、別に二部屋を設けてある。


 ルゥテウスの提案で店舗運営と製薬の補助に四人の従業員を雇う事にし、その四人の居住区も一階に狭いながらも個室で設ける事になった。


実はこの建物の造りはルゥテウスの血脈の記憶にある超古代文明時代の建物の様式を現代風に木造としてアレンジをしたもので、地下に動力を設置して建物内の設備を稼働させると言う、このような難民キャンプどころか、現代の世界にとっては逆に未知の先端技術の塊になりそうなものにする予定をルゥテウスの頭の中だけで立てている。


「……随分と変わった造りをしておりますね。このような建物は見た事がありませんね」


「地下は基本的に非公開だ。ソンマが錬金術を使用する場合も想定して完全に結界で切り離す。そうしないと、こいつが何か作業をするたびに魔法ギルドにバレる恐れがあるからな。地下の半分は俺の魔導結界で固めて関係者以外は存在すら気付かないようにする予定だ」


「な……なるほど。そうして頂くとありがたいです」


「親方。紙をくれ」


「は、はい」


ラロカはお馴染みのメモ帳の白紙を千切ってルゥテウスに渡した。

ルゥテウスはその紙片を自分が地面の上に書いた図面の上にかざして小さく振ると、地面に描かれた図面は小さな紙片に小さな図となって転写された。これを見た一同は驚きの声を上げた。


「よし。場所と建物のイメージは掴めたな。材料の選定は任せる。その辺の長屋と同じ木材でいいぞ。外観はそこまで目立つようなものにしたくないからな。内装は後で俺が細工するから外面(みてくれ)だけを可能であれば年内に頼む」


「は……はい。承知致しました」


「支部長。この御役目は私が引き受けましょう。任務が無くなるので私は時間が余りますしな」


ラロカが建築を請け負った。


「そうか。そうしてくれるか」


「親方。建ててる間に解らない事があったら念話で聞いてくれ。遠慮するなよ」


「はい。お心遣いありがとうございます」


「よし。それでは一旦酒場に戻るか。ここが完成するまでは、まだまだあそこが拠点になるしな。支部長、どこかこの辺に人目につかない場所や部屋はあるか?」


「ではこちらにどうぞ。確かあの部屋は無人です」


イモールは近くにある長屋の一室に一行を案内した。


「よし。ちょっと集まれ。なるべく一ヵ所に固まれ」


 部屋に入るとルゥテウスはイモールとラロカ、ソンマと同行していた女性職員を一ヵ所に固まらせた。そして自分も一緒にそこに入って右手を振った。一行を囲むように直径3メートル程の結界が張られた次の瞬間……。


「うわっ!」

「なっ!?」

「きゃっ!」


一行は酒場に戻っていた。ルゥテウスは結界を酒場一杯にまで広げていつもの椅子に腰を下ろした。


「お、おかえりなさいませ……」


厨房を掃除していた留守番の男性職員が驚いて声を上げる。


「い……今のが瞬間移動ですか……」


 ラロカが漸く口を開いた。ラロカやイモール、女性職員のノンにとっては生まれて初めての体験であった。尤も、一生のうちに瞬間移動を体験出来るような人間はそうそうに居ないのだが。


「まぁ、座れ。ちょっとこれからの事を話そう」


 ルゥテウスに促されて一同は席に着いた。ノンはお茶を取りに厨房へ向かう。


「ひとまず住居と店舗の場所は決まった。親方、もうちょい大きい紙は無いか?さっきの図面の複製を作成して渡しておこう」


「はい。少々お待ち下さい」


ラロカも厨房の方に歩いて行った。


「先にシニョルへ連絡をしておこう」


ルゥテウスはシニョルに念話で呼び掛けた。


『シニョル。俺だ。手が空いて周りに人が居なくなったらでいいから返事をしてくれ。別に急がなくていい』


「今夜もシニョルをここに呼んでキャンプ全体の話をするが、薬屋の事はこれから少し詰めてしまおう」


ルゥテウスがイモールらに話を始めようとすると


『シニョルです。御返事が遅れて申し訳ございません。何か御用でしょうか?』


とシニョルから念話で応答があった。彼女の念話は他の者の頭の中にも入ってきたので、いきなりのシニョルの声にイモールは驚いた。

今、大きな紙を探しに行っているラロカも驚いているかもしれない。


『あぁ、今夜も出来ればキャンプの事で話がしたいのだ。何時頃になったら一人になれるんだ?』


『はい。私でしたら今夜は特にエルダ様との面談もございませんので21時頃には自室に戻る予定でございます』


『なるほど。ならば部屋に戻ったら連絡をくれ。迎えに行く』


『承知しました』


「ルゥテウス様、いつの間に統領様へご連絡されていたのですか?」


「うん?何だって?」


「いや、統領様の声が突然聞こえたので驚いたのでございます。ルゥテウス様が連絡をされたご様子が見られませんでしたので……」


イモールは不思議そうな顔で尋ねた。


「そりゃ、シニョルにだけ聞こえるように念話を飛ばしたからに決まってるじゃねぇか。お前らと違って俺はちゃんと個別に念話が飛ばせるんだ。一緒にすんじゃねぇ」


ルゥテウスが呆れるように答えると


「な、なるほど……そう言う事でしたか」


「お前らちゃんと練習して、他人の頭の中を騒がせないようにしろよ?俺みたいにな」


「はっ……はい……精進します」


「くくくっ……ルゥテウス様、普通の者は念話などという存在など知らずに育ってきてますので難しいのは当然なのです。私ですら上手くやる見当もついてないのですから……」


ソンマが笑いながら集団念話の難しさを口にした。ソンマのような魔術に触れたものですら、この集団念話は規格外のものなのである。


「よし。個別送信に自信が無い者は0時以降の念話の使用は緊急時を除いて禁止にする。睡眠を妨げられたくないからな」


 ルゥテウスが早速ルールを一つ作った。イモールもソンマも黙って頷いた。そこへラロカが大きな白い紙を持って戻ってきた。


この時代、これだけの植物由来の紙はかなり貴重品で、この紙は《赤の民》の任務においても図面を作成する為に使われる木材の皮から造られる上質の紙であった。


「お待たせしました。こちらでよろしいでしょうか」


「よし。なかなか良い紙じゃないか」


そう言ってルゥテウスはラロカの持ってきた紙を机の上に広げた。そして先程薬屋の建設予定地で地面から図面を写し取った紙片を紙の上にかざして小さく振ると、次の瞬間その図面が今度は大きな紙一杯のスケールで転写された。真っ白な大きな紙面に突然精密に描かれた建築図面が浮かび上がって一同は仰け反る程に驚き、茶を配っていたノンは驚きのあまり持っていたカップを落としそうになった。


「こ……これは……先程は地面に描かれていたせいか……この方が鮮明に見えますな……」


元凄腕の暗殺員で図面作製に造詣の深いラロカは思わず声を上げた。


「まぁ、そんなに驚くな。ここの部分を店舗として、原則として外部の者はここの動線以外は立ち入れないようにする」


ルゥテウスは図面を指で示しながら説明した。


「この店舗部分のすぐ奥を製薬作業場とする。ここの部分は店舗から見えていても問題なかろう。こことここの壁面代わりに薬材を貯蔵する棚で他の部分を自然に目隠しするように置く。これでこの辺りの視線を切れるはずだ」


「なるほど」


「店舗で接客を専任する一人と製薬を手伝う三人の従業員を置く。支部長。そういう信用出来そうな人材を確保してくれ」


「それでは、このノンとキッタはどうでしょう。もう昨日からずっと我々の話を一緒に聞いてますから事情も弁えていますし、《赤の民》も無くなるので彼らも仕事が失くなります」


イモールが苦笑いして二人を紹介する。ルゥテウスは二人に視線を移して


「そうだな。じゃ、二人は決まりだ。ノンか。お前は接客と俺の保護者としての偽装も担当だ」


「はい。……えぇっ!?ほ、保護者!?」


「そうだ。見て解るだろうが俺は5歳児だ。俺が一人でキャンプ内とは言えウロチョロしてたら不審に思われるだろ。しかも余所者だ。難民出身で顔馴染みのお前が、俺の姉か母親を装って一緒に歩けば怪しまれる事は無いだろう。キャンプの中に居る時だけだ。それ程負担を掛けるつもりは無い。宜しくな」


「でっ、でも私……まだ15歳ですよ……そっ、その……まっ……まだ……相手も居ないですし……」


ノンが恥ずかしそうな顔で抵抗の意思を示すと


「うーん。流石に15で5歳の子供が居るのは無理があるな。じゃ姉でいい。お前は今から俺の姉代わりだ。分かったな?ノン」


「えっ……あっ、はい……宜しくお願い致します……」


 ノンは上手く話が飲み込めないうちにルゥテウスに決め付けられて顔を真っ赤にしてお辞儀をした。


ノンは貧しげな恰好をしているが顔立ちは綺麗で化粧でも覚えればまだまだ成長が見込めそうなので、アリシア譲りの美貌を持つルゥテウスの姉と言われても多少の無理は通せそうだ。


いきなり無理難題を押し付けられたノンを見てソンマは吹き出してしまった。イモールとラロカも揃って苦笑いを浮かべた。


「それとキッタか。お前も実直そうだから他の従業員の纏め役をしろ。お前の身内で見どころのありそうな若者は居るか?性別は問わん」


ノンの様子を見て他人事のように笑っていたキッタはいきなりルゥテウスに話し掛けられ、ビックリした表情でしどろもどろに答えた。


「えっ……あっ……俺……いや私の弟が新米の暗殺員で……もう仕事が失くなりますので……それと年が明けると妹が15になります……」


「よし。ちょっとベタベタな縁故採用だが、その二人で良いな。お前ら三人兄妹で製薬をやれ。店長のソンマの言う事をよく聞くんだぞ。俺もたまに新しい薬の作り方を教えてやる」


「はっ、はい!ありがとうございますっ!」


キッタは32歳といういい歳をして涙を浮かべながらルゥテウスに深々と頭を下げて礼を述べた。


「よし。これで従業員問題は片が付いた。いいな?ソンマ」


「はい。問題ございません」


ソンマも異論は無さそうだ。


「では一階の余っている空間はお前ら五人で相談して間取りを決めろ。一応、建物の構造強度を得る為に、俺はこのように間仕切りをした。

ここと……ここの柱が確保されているなら間取りは自由にしていい。但し、階段はここから動かすなよ。

この階段も建物の強度を支える一部になっているからな。それから、この部分は空けておくように。建物全体の設備を繋ぐ部分になる」


「承知しました」


「二階はこうだ。俺はこれくらいのスペースさえ貰えればいい。寝泊りするくらいだからな。何か他にここで用を足す時は大抵この部屋に居るようにする」


と、二階の自室以外を占める広いスペースを指差して


「ここは普段は食堂にして、この辺りに台所を設置しろ。さっき一階で説明した設備空間の真上だ。

そしてこの部屋は食堂の他に今俺達が居るこの酒場のような要人の集合場所にする。何か話し合いをする時もここを使うようにするつもりだ。

つまりこの建物が完成したら、この酒場は引き払うんだ。ここは俺が今は結界で維持しているが、恐らく魔法ギルドに目を付けられている」


「ローワン師ですか……」


ソンマが懸念を口にした。


「そうだ。俺が王都で取っ捕まえて催眠尋問した魔術師だ。奴らは多分、初動捜査でオーデル方面からの動きを掴んでいる可能性が高い。

ここも特定まではされていないが、スラム街は恐らく捜査対象に含まれている」


「何と……そうなのですか……」


 イモールの顔色が変わった。直接の管理者であるラロカも不安を隠せない表情だ。どうやら自分達は気付かないうちに、結構追い詰められていたようだ。

よもやルゥテウスに襲撃を受けて死者も出してしまったが、代わりにもっと大きな危難を脱したと思うと皮肉だが背筋が寒くなる話だ。


「あとは地下だ。半分はさっき言ったように錬金術の作業場とする。どうせここの中はソンマと俺以外は入っても何も解らんだろうから特に説明はしない。

錬金術の為の機材や収納はソンマ。お前が必要な物を紙に纏めておけ。俺が後で調達してきてやる。それと建築の際はこの敷地をこう……」


 ルゥテウスは地下部分を築造する際の注意点と基礎部分の説明をした。図面の片隅に断面図を新たに書いて、この時代の建築技術でも実現可能範囲で基礎の打ち方と地下の水抜きの方法を説明する。


聞いていた一同は建築については皆専門外なのでルゥテウスの話す内容が飲み込めて無いのだが、ラロカだけは担当者だけに真剣な表情で手帳にメモを取りながら聞いていた。後で実際の施工担当者に説明する気らしい。


「つまり、空白部分の真下だけは基礎に当たらないようにするのですね?」


「そうだ。ここの部分は更に俺が掘って地下水を汲み上げられるようにしておく。先程下見をした時に地下水脈がかなり豊富にある事は確認済みだ。

そのうちキャンプの中でもこれを活用出来るようにしよう」


「本当ですか!?地下水脈が?あ、ありがとうございます」


イモールがその部分だけに反応して喜びの声を上げた。


「うむ。これは夜にシニョルも交えた時に話すがこの先、キャンプにとって水は結構重要な存在となる」


「なるほど」


「よし。これで地下の半分はいいな。残りの部分だ」


ルゥテウスは図面の地下部分の残り半分の二部屋を指して


「階段がこの位置に下りて来る。この……こちら側の部屋は風呂場とする。なのでこの部屋を更にこう……脱衣所を設けて……」


「風呂まで造るのですか?」


「そうだ。俺は風呂好きだからな。風呂は毎日入らないと落ち着かない」


「そ、そうなのですか……なるほど……」


イモールが曖昧に応じた。ノンは自分の住む場所に風呂が造られると聞いて少しワクワクしている。


「それとここ。この部屋だ。ちょっと狭いように見えるが……」


ルゥテウスはちょっと間を置いて


「この部屋も俺が結界でガチガチに固める。但しここの結界は錬金部屋とは分けて施す」


「何の部屋なのですか?」


「ここに『転送陣』を設置して他の場所と空間を繋げる予定だ」


ルゥテウスの言葉にソンマが驚いた表情で声を上げる。


「てってっ……『転送陣』ですって!?それは……本当ですか?」


 ソンマの驚き様は、昨日この場所へルゥテウスに引っ張ってこられてから一番のものだ。自分の身柄が安全になった時よりも大きく驚いているその様子を見てイモールは不審混じりに尋ねた。


「て……てんそう……?とは何なのですか?」


ルゥテウスが面倒臭そうな顔をしているので、代わりに慌ててソンマが説明した。


「転送陣です。ルゥテウス様が設置されるので正式には『転送魔導の魔法陣』ですね……」


「うん……?だからそれは何なのだ?」


 イモールの眉根を寄せた疑問顔は魔法に馴染みの薄い普通の人が採る当然の反応だ。彼らにとっては「転送」と言う言葉すら日常では使われない。


「えっと……つまりですね。ある場所と、もう一ヵ所別の場所に『転送陣』と呼ばれる魔術や魔導で造られた魔法陣を設置するのです。

魔法陣を設置して維持する為には莫大な制御術を必要とするもので、錬金術としては最高峰の技術に属します。

錬金術で転送陣を設置するにはこれまた貴重な触媒が膨大に必要となるので、理論的には可能ですが事実上不可能とされています。

朝方お話した魔導符と同様に触媒を必要としない魔導師様だけが『出来る可能性がある』と本で説明されていた技術になります。

転送陣同士は魔法の力によって繋げられていまして……つまり魔法陣の上から相手の魔法陣へ瞬間移動が出来るようになるのです。それも……魔法が使えない人でも!」


「……えっ!?だっ誰でも!?私のような魔法が使えない者もかっ!?」


一拍間を置いて説明の意味を飲み込めたイモールが驚愕の声を上げた。


「そうです。魔法陣そのものに魔法が掛かってますから、その上に立って念じると術符を使う時のように魔法の効果が得られるのです」


「ソンマの長い説明の通りだ。店の地下と他の場所……まずはシニョルの部屋辺りから始めるか。

あいつをいちいち迎えに行くのは面倒臭いし、俺自身はあまり公爵屋敷に近寄りたくない。公爵に感知される危険があるからな。あの感知は結界では遮断出来無いのだ」


「なるほど……それにしてもルゥテウス様。転送陣というのは本当に可能なのですか?伝説では魔法ギルド本部(灰色の塔)の最上階に建国の昔に一度設置されたらしいのですが……ヴェサリオ様が去られて暫くの後、陣が消えてしまってそのままだとか。

歴代の導師様の中で何人かの方が研究をされていたようですが復活出来なかったと私が学んだ時に読んだ本に書かれておりました」


「魔法ギルドの連中には回復陣くらいは使える奴が居るんだろ?布陣の構築原理は同じなんだから可能だろ。まぁ、元の魔法の難度が違うけどな」


 その効果の多寡は違えど、範囲回復魔法として回復陣を使用出来る魔術師はそこそこ存在するし、教会の治療師の中でも回復陣は比較的ポピュラーな回復手段として用いられる。


なので魔法陣を構築する事自体はそれ程珍しいものでは無い。

但し、その元になる瞬間移動の低廉版である「行先固定の瞬間移動」ですら習得の壁は厚いとされる。


魔法陣系の魔法は唯一、錬金術師でも使用出来るとされる魔法に分類されており、錬金術師の場合は自分を含めた足元に布陣するというのが一般的だ。

しかしそれでも難易度は非常に高く、転送陣ともなると距離にもよるがこれまでの歴史で編み出されてきた錬金術の中でも最高峰の難易度を誇る術式付与だとされる。


少なくともソンマはそのように学んできた。

ソンマ自身は作製を試みた事すら無い……と言うか作製を考える事を想像した事すら無い。


「まぁ、転送陣の事は気にするな」


 あっさりと話を流されて、ソンマはそれでも納得し切れないという表情だ。もちろんそれは自分の中の知識との兼ね合いで納得出来無いという意味だが。


「それと今話した転送陣の部屋と錬金術部屋の間の……ここな。さっき話した一階の空けておけと言っていた真下だ。

ここにこの建物の動力を賄う機器を設置して、やはり結界で包んで動作音を遮断する。ここは結界の上から更に壁で塞ぐからお前達は一切気にしなくていい」


「き……ききとは?」


 先程から聞き慣れない言葉の連続で頭が湯立ちそうなイモールは再び疑問を口にした。


「機器だ。まぁ呼び名はどうでもいい。この機器によって錬金術部屋の作業道具や一階の製薬道具を自動化させる。

そして風呂場や二階の台所への水の汲み上げ、それと常に湯を作り出して蛇口から流せるようにする。風呂を沸かす度にわざわざ釜で火を起こしてたら風呂に入る為だけに汗みどろになるだろ?

風呂は常に沸いて湯を浴びれる状態にしたいし、浴槽の湯は常に綺麗なものにしておきたい。更にここが一番重要だが、薬屋という商売は、結構排水が多いんだ」


道具が自動化されるとか、風呂の湯が常に綺麗に保たれるなど考えた事も無いおとぎ話のような事を言われて茫然としている一同に


「こんなキャンプのど真ん中に近い場所に薬屋を建てるんだ。今の所、このキャンプには上下水道が通っていないから、汚れた水をそのまま垂れ流すのは宜しくない。

難民の皆さんの健康を考えて可能な限り浄化して、この辺りに池でも掘って流す。その後キャンプの中に水路を整備して外に流せるようにしよう。それまでの繋ぎだ」


 周辺の健康被害にも配慮したルゥテウスの考えにソンマは感心した。この人は難民の同胞を疎かに見て居ない。この薬屋にしたって同胞の健康に資する事を目的の一つにしてくれている。


ソンマは自分なりに魔術や錬金術を学んで同胞の役に立ちたいと《赤の民》の秘密の後援で王都の魔法ギルドの門を叩いた。しかし一人の錬金術師の自分の腕では同胞の力になれる事など微々たるもので、個人工房を三年間経営してみてその現実を味わっていた。


(この方は本気で三万人を救うつもりだし、その力もある。この人に出会えて私は……)


 急に子供時代からの感慨がこみ上げて来てソンマは少し涙ぐんだ。


「何だソンマ。そんな泣く程珍しいもんでも無いだろ?」


ルゥテウスに言われて慌てて涙を拭き


「いえいえ、ルゥテウス様の発想と知識には魔法ギルドで聞く事すら無かったものばかり含まれていて感激しているんですよ。はははは」


と誤魔化した。周りの一同も同感とばかりに笑う。


「よし。薬屋の話はここまでにしとくか。ちょっと腹が減ってきたな。シニョルが部屋に戻るまでにまだ時間もありそうだし、キャンプで夕飯が配られるのは何時頃なんだ?」


「はい。夜の鐘の頃です」


カウンター奥の時計を見ると時刻は17時30分になっていた。


「じゃ、今夜は俺達もキャンプで飯を分けてもらうか。大丈夫かな?」


「宜しいのですか?配給を受ける分には全く問題ありませんが……」


「いやいや。貰えるならばそれでいいよ。そんじゃ行くか。ここは結界を解くからキッタも行くぞ。お前はついでに妹を呼んで来い。暗殺員の弟はもうこっちに帰ってきているのか?」


「さぁ……?」


キッタがラロカの顔を見た。ラロカは懐から手帳を出して中を確認している。


「ロダルは待機中ですね。多分自宅に居るのでは?」


「じゃ、その弟も連れてこい。店長に新しい仕事について説明させる」


「支部長。他にキャンプの運営上で重要な人物とか居るのか?」


「支部長、ドロスにも話をしておいた方がいいです」


ラロカがすかさず意見を具申した。


「あっ、そうか。ドロスの事をすっかり忘れていた。親方すまん」


イモールが苦笑いを浮かべてラロカに礼を述べた。


「ドロス?誰だそれは」


「はい。ドロスは《赤の民》の諜報技術をエスター大陸から持ち帰って我々にもたらしてくれた幹部です。

今は人材育成の為にキャンプの外れにある我々の訓練施設……これは20日の解散告知で集まる場所なんですが……そこで新米の諜報員候補を訓練しております。

非常に真面目な男です」


「そうか。諜報は今後も難民の大きな看板稼業だからな。その事実上のトップもちゃんと運営に加えないとな。そいつはすぐ呼べるか?」


「それでは私が弟と妹を呼びに行くついでにひとっ走りして『監督』も呼んできますよ」


キッタが提案した。


「そうか。そういえばお前の家はそっちの方だったな。では頼む」


ラロカが言った。


「よし。それじゃ一旦さっきの長屋の部屋に飛ぶから全員俺の周りに集まれ。結界を収縮する」


 ルゥテウスが言うと、一同は彼の周りを囲むように集まった。ルゥテウスは全員が半径3メートル以内に収まったと確認して結界を収縮し……


「うわぁ!」

「きゃっ!」


先程の薬屋建設予定地の近くにある長屋の部屋に飛んだ。部屋はすっかり暗くなっており、初めて瞬間移動を体験したキッタと、二度目なのに再び声を上げたノンの声が室内に響き渡った。


一同が部屋を出ると外はもう日が暮れていた。まだ月も上がって無いので辺りは暗い。


「キッタ、ここがどの辺か解るか?自宅への方向はどうだ?」


「あっ……はい。あ……ここはお屋敷を建てる予定だった所ですよね?」


「そうらしい」


「大丈夫だと思います」


「よし。お前のその眼鏡を貸せ」


「えっ?この眼鏡ですか?」


「そうだ。そして親方。いつものアレを」


「あっ、かしこまりました」


「一旦長屋に戻るぞ」


キッタはルゥテウスに眼鏡を渡し、ラロカはいつものメモ帳の白紙部分を切り取ってルゥテウスに渡した。彼に続いてもう一度長屋の中に入った一同を確認して


「支部長。時計を出して右手に乗せろ。そして左手にこれを持て」


「えっ……?はい……まさか……」


「床に置くわけにもいくまい。大丈夫だ。余計な力を入れずにいろ」


ルゥテウスは右手をかざした。すると半径5メートル程の半球状に結界が張られ、かつて《海鳥亭》の裏庭で刺客が彼を襲った時のように空が薄い緑色の光で昼のように明るくなった。


「こ、これは……結界……こんな結界があるのか……」


ソンマが驚いている。


「支部長。動くなよ」


 ルゥテウスに言われてイモールは両手を下げたまま手首だけを起こしてそれぞれの手に懐中時計と眼鏡を載せたまま緊張して直立不動になった。

ルゥテウスはいつものように紙片を顔の前に掲げて目を閉じる。真剣な表情を見せるルゥテウスを明るい結界の光の下で見たノンは


(こんなに可愛いお顔をされているのに……)


とボンヤリと思った。


 ルゥテウスが紙片を右手に丸めて握り込んでイモールの両手の上にかざすと結界の中に金色の眩い光が溢れて、それが収まった後に時計と……眼鏡が仄かな青い光を放っていた。


「よし。これでお前も薬屋の従業員を束ねる者として念話の仲間入りだ。これを掛けていけ。何かあったら念話で教えろ。道中多少練習する事は許可してやろう」


結界を解いて笑いを堪えながら眼鏡をキッタに渡したルゥテウスが促すと彼は恐る恐る眼鏡を掛け直した。すると暗い夜道に彼の眼鏡が放つ眼鏡の形をした青い光を見て、一同がゲラゲラと笑い出した。


「安心しろ。他の奴には見えないから。俺達はどこか知らんが飯を貰って食ってるからな」


「はっ、はいっ!」


キッタはそう言い残すと北東の方向に向かって走り去った。


「ノンも後で何か出せよ。お前は俺の姉なんだからな。もちろんお前も念話の仲間入りだ。おめでとう」


「ひっ!」


ノンは目に軽く怯えた様子を見せて首を竦めた。どうも彼女は実務能力は高いようだがあまり度胸は良くないようで、恐らくその辺が諜報員や暗殺員では無く支部職員として採用された理由なのだろう。


「で、どこで飯は貰えるのかな」


「はい。この近くだと一番近い集会所はこちらですね」


ラロカが先頭になって歩き始めた。他の者はそれに付いて行く。


 ルゥテウスは歩きながらキャンプの暗い通りから見える様々な光景を眺めて、後でシニョルも交えた場で話す内容を考えた。


「そういえば、雑貨屋があると言ってなかったか?」


「はい。キャンプの入口ゲートの近くです。昼間にご案内した際にはゲートを入って反対側に進んでしまいました。ご案内しておけば良かったですね。申し訳ございません」


「いや、別にいいよ。考えてみると俺は金を全く持って無い。店に行っても何も買う物が無いしな」


「まぁ……雑貨屋と言ってもルゥテウス様がお買い上げになる物は左程扱っていないと思います。

何しろ日用的な物……笊とか桶とか縄とか……そういう物を申し訳程度に扱っているだけですから……店の経営というか運営も別に商売人である同胞がやってるわけじゃなくて、あくまでも我々がその役目に就けているだけなので、ご案内するまでも無いと思っておりました」


イモールがルゥテウスの疑問に答えるように雑貨店の説明をした。


「なるほど。その程度なのか。ならばそっちの事も考えないとな」


「左様でございますか。何しろ現状のキャンプでは貨幣がそれ程使われておりません。現金収入を得ている者がほぼ居ませんから……」


「この文明国家の中で珍しい場所だよな。考えてみると」


 暫く歩くと、周りの長屋に比べて一際大きな建物が見えてきた。

平屋造りではあるがルゥテウスが建設を予定している薬屋の敷地を幅も奥行きも広げたような広さで入口が二ヵ所、両開きの扉で造られており中から人の並ぶ列がずっと表まで続いている。


並んでいるのは老若男女特に区別は無く、右側の入口から中に入り左側の出口から出て来る。列は二列で中で分れているのか。


ルゥテウスは列の一番後ろに並んだ。その自然な流れにイモールが


「る、ルゥテウス様……並ばれるのですか?」


ルゥテウスは訝し気に振り向いてイモールの顔を見上げて


「うん?並ばないと飯が貰えないだろ?」


 周りの人は入口脇で配給が始まった事を知らせる為に焚かれる篝火に照らされたイモールの存在に気付き一斉に頭を下げている。


イモールはシニョルやエルダ程で無いにしてもこのキャンプでは運営の責任を負っている人物で、自分達を養ってくれている事を知っている住民からは大きな尊敬を受けている。


人々はイモールが列の最後尾に並んだ事を知り、慌てて場所を空けようとしていた。


「いやいや。列にはちゃんと並ぶさ。俺はそこらのクソ貴族なんかとは違うんだから」


ルゥテウスが当たり前だろうと言う顔で苦笑いまで浮かべているのを見て


「みんな。場所を空けるには及ばん。寒い夜なんだからしっかり飯を貰って帰り道にひっくり返さないようにしろよな」


と笑いながら声を掛けている。並んでいる難民達はそれを聞いて笑いながら礼を述べて列は元の形に戻る。


「本当に宜しいのですか?」


ラロカも聞いてきた。


「何故そんな事を聞く。列に並んで飯を貰う。ここではそれが決まりだ。その決まりの前では身分がどうだの力がどうだのは関係無い。

そうした『決まり』をしっかりと皆が守る事こそが文明人として最低限の常識だ」


 この幼児の説教臭い話し方は毎度お馴染みになってきた。聞いていた一同はその言葉を聞きながらも軽い感動を覚えていた。


(そうか……この幼い見た目の……この方の……この気高い考え方……『文明人たれ』と言う言葉を大切にする考え方に我らは……圧倒されるのだ。

この方の言葉は決して『力』に頼ったものでは無い……身分も関係無い。この人の気高さに我らは心を動かされるのか……)


イモールはルゥテウスの幼児の見た目から醸し出される、常に圧倒され続けてきた自分の「怯み」の正体を忽然と悟り、俯きながら声を詰まらせて答えた。


「そ、その通りでございました……。人の上に立つ身でありながら私は大切な事を忘れかけておりました。謹んで謝罪申し上げます」


「そんな大袈裟に言うなよ。思い出せたんならそれでいいじゃねぇか。世の中には思い出すようなネタも元々無いくらいに性根が腐って育った奴は一杯居るさ」


 ルゥテウスは笑いながら言った。彼の言っているのは恐らく今まで一同が「御館様」として崇拝していた「あの女性」だろう。

彼女は自分の秘密を守る為という理由、それも王国の藩屏として規範たる大貴族の正夫人でありながらそれを蔑ろにし、それを糊塗する為だけに我ら難民を利用し、あまつさえ人を殺める事さえ平気で命じてきた。


自分達はそれに踊らされ、25年もの間彼女の尻拭いの為に何も知らされず罪も無い人々の命を奪ってきたのだ。そして今この目の前に居る幼児の命さえ狙い、返り討ちに遭った。


彼は我らが「38回も自分の母と自分を襲った」と両目を半目に据えて語ってきたが、実際は50回以上だ。イモールですらその回数を覚えていない程の襲撃を彼の母親一人に加えてきたのだ。


そんな我々をこの幼児は許してくれたばかりか、その罪悪を説いてくれた。自分達は今この回生の機会を逃してしまえば故郷に帰る事も無く、再び3000年に渡る民族の苦難の日々へ戻ってしまうだろう。


イモールはそのような事を考えながら自分の前で列にきちんと並ぶ幼児の後ろ姿を畏敬の念を持って見つめた。


 食事の配膳は一年360日、毎日三回行われているだけあって渡す方も渡される方も手際が良い。

列はどんどんと進み、並び始めて5分程でルゥテウスの番まで回ってきた。盆を受け取り見上げる彼に老婦人の難民が


「はい。坊や。寒いからね。ちょっと堅いけどよく噛むんだよ」


と笑顔でパンを盆に置いてきた。ルゥテウスはニッコリと笑い「ありがとう」と礼を述べた。

老婦人はルゥテウスの次に来たのがイモールである事を知って仰天しながら


「こりゃイモール様……今日は配給をお召し上がりで?」


「うむ。今日は朝飯が遅かったんでな。昼飯を抜いてたから腹が減ったよ」


とイモールも笑顔で応じた。


「そうでしたか……堅いパンですみませんね」


「気にするな。頂けるだけ感謝しなければ。ありがとう」


「いえいえ」と返す老婦人はその次にラロカも来たので「ありゃまっ!」と驚いていた。老婦人の声を聞いて先の配膳の人々はザワついた。


「気にしないでくれ。我々も同じ物を頂くのだ。感謝の気持ちを持って礼を言おう」


 ルゥテウスはイモールの前でシチューを貰い、切ったチーズをパンに乗せて貰い礼を言いながら集会室に併設されている机まで持って行き、椅子に座って後の者を待った。


配給された物はここで食べてもいいし、自宅まで持ち帰っても良い。体が不自由な家族の為に二人前を貰う人も居て、そういう人はこの机で一度自分の分を食べて家族の分を改めて持って行く人も居た。食器は次の配給の時に返却場所にまとめて返す事になっているようだ。


最後に配給を受け取ってきたノンがルゥテウスの向かい側に座り、一同は夕飯を食べ始めた。


「なかなか美味いじゃないか。素材はともかくちゃんと調理してある。これは素晴らしいな」


ルゥテウスはパンをシチューに浸して食べながら味を褒めた。


「そうですな。調理はこの集会室のあちら……あそこで行っていますので実は集会室毎に違う物が出て来る事があります」


「そうなのか?」


「はい。献立は決められておらず、その地区の調理担当が与えられた一旬分の素材で独自の献立を組んで貰っています」


「へぇ、しっかりしてるじゃないか。考えてみたら人々の生活が懸かっているんだ。当たり前か」


 ルゥテウスは感心しきりである。その間にも食べる手は休めず、老婦人に言われた通り堅パンを良く噛んで飲み下しながら配給を完食した。


食器を戻して集会所の外に出ると、先程の長屋の空き部屋に向かって歩き出す。一同もそれに続いた。その途中で


『る……ルゥテウス様、キッタです、き、聞こえますでしょうか』


とキッタから念話が来たのだが、当然ながら全員に丸聞こえなので念話が使えないノン以外の者が全員ビックリした。ルゥテウスはその様子を見て


『俺には聞こえているが、みんなにも聞こえてるぞ』


と応じて笑い出した。まだ念話を込める品を出していないノン以外の者も軽く笑う。


『す、すみません、弟も家に居ましたので、連れて行きたいのですが、どこへ伺えば宜しいでしょうか?』


「あいつ、言葉遣いは丁寧な割に片言だな」


とルゥテウスが感想を声で漏らすとソンマがゲラゲラ笑い始めた。


『さっき飛んできた長屋の部屋を憶えているか?そこで待ってるぞ。お前、飯は食ったのか?ちゃんと食ってから来いよ?』


『は、はい。それと、監督にも話をしまして一緒に居ます』


「ルゥテウス様。監督とは先程話したドロスの事でございます」


ラロカが声を出して説明した。


『よし。では監督も一緒に連れて来い。もう一度言うが飯はちゃんと食えよ?』


『はい、分かりました』


「あいつ、最後まで片言だったぞ」


ルゥテウスが苦笑いするとイモールも笑い出した。ノンだけが意味がわからずキョトンとした顔をしている。


その様子を見たルゥテウスが


「ノンはもう出す物を決めたのか?それとも今は持って無いのか?」


「えっ?あっ……いや……あの……」


ノンは突然ルゥテウスから話を振られて


「あのっ……私……そんなに物持ちでは無くて……」


と言った。通りが暗いので見えないがどうやら困った顔をしているようだ。


「ふむ。とりあえず長屋に着いてから考えよう」


「は、はい」


それから少し歩いて長屋の部屋に戻った。


 ルゥテウスが右手を払うと空っぽの部屋に見覚えのある机2組と椅子が8脚並べられた上に天井からランプも吊り下げられた挙句に明かりまで灯されて一同は驚いた。


「酒場から引っ張ってきた」


「そ、そんな事が出来るのですか!?」


イモールが信じられないといった表情で口を開いた。ルゥテウスのやる事には悉く驚かされる。


「まぁ、いいから全員座れ」


ルゥテウスに促されて一同は椅子に座った。


「ノン、その髪を結んでいる紐は大切な物なのか?」


 ノンはくすんだ金髪をしており、肩甲骨辺りまでの長さの髪を赤い細いリボンで結んでいた。


「こ、これでしょうか?」


ノンはリボンを解いてルゥテウスに見せた。リボンは古くなって少し擦り切れている。


「いや、なかなかの年代物みたいだから何か大切な思い出とかあって使い続けているのかと、さっきお前の向かい側で飯を食ってて思ったんだ」


「い、いえ……私の家は貧しいので……私は子供の頃から髪が伸びたら切って売っていたのですが、最近また伸びてきたので昔から使っているこのリボンをまた使い始めたのです……」


「そうか……この紐……リボンを使っていいか?」


「えっ……でも多分これではすぐに切れてしまうのでは無いかと……」


「このままだと脆いけどな。シニョルの革の腕輪みたいに材質を変化させる必要があるな」


ノンは昨日の夜に見たシニョルの古びた革の腕輪が磁器のような腕輪に変化した事を思い出して


「あの……統領様のような……?」


「お前さえ良ければだけどな。このリボンに何か思い出とかあるのか?」


「いえ……そのようなものは……私にはこんな物しか無いので」


「よし。ではこれを使おう。支部長、時計だ。それと親方はアレをな」


「はい」


「承知しました」


イモールが懐から懐中時計を出し、ラロカはメモ帳の白紙ページを破り取って渡した。ラロカは明日新しいメモ帳を用意しておこうと決意した。


 ルゥテウスはノンの少し黒ずんで擦り切れたリボンを形の良い蝶結びに整え、イモールの時計と一緒に机の上に並べた。

そして何度か見せたお馴染みの魔導符を造る動作で紋様を浮かび上がらせ、いつものように右手に握り込んで二つの品物の上で目を閉じた。


一同が離れて見守る中、いつものように二つの品が金色に輝き……光が収まるとそこには時計と、鮮やかに赤く金の縁取りがされた、蝶結びのリボンの飾りが付いた銀色なのに青い光を放つヘアクリップが置かれていた。


ルゥテウスが想像する髪飾りはどうやらリューンの視点を借りて見ていたアリシアが使っていたヘアクリップのようで、クリップの形状は彼女が使っていた物とそっくりであった。


「うむ。こんな感じになったな」


鮮やかな赤い蝶結びリボン型の飾りと銀色のクリップなのだが、ルゥテウスの魔力の色である青い光を放っている不思議な色合いの髪飾りを見てノンは驚いた顔が貼り付いてしまっていて声も出せない。


「ほら。着けてみろ……と言うか使い方は解るよな?」


ルゥテウスは笑いながら髪飾りをノンに渡した。


「支部長、俺も懐中時計が欲しいのだがお前のこれはどこで造った物だ?」


ノンの髪飾りを見てあっけにとられていたイモールは慌てて


「あ、あぁ……これは統領様に頂いた物なのです」


「何だ。シニョルがくれた物なのか。という事はヴァルフェリウス公爵家御用達の工房とかあるのかな?俺は知らんが」


と、イモールとルゥテウスが雑談をし始めた横でノンは髪飾りを手に取って


「こ……こんな高そうな物……」


とまだ驚き続けている。


「君は店の看板娘になるんだから、それくらいの飾りは着けていたほうがいいよ」


とソンマが軽口を叩いて横に居るラロカを笑わせていた。


「ノン。さっきも言ったが特定の相手に念話を送れるようになるまでは0時以降の使用は禁止だぞ。シニョルにも言っておかないとな。

あいつは念話で話すのが楽しくて仕方無さそうだしな。今頃は他の使用人に説教をしながら我慢しているかもしれんぞ」


ルゥテウスの冗談に一同は笑いを堪え切れずに吹き出していた。


「笑い事じゃないからな?夜中にエルダへの愚痴とか念話で聞かされたりしてみろ。眠れなくて発狂する奴が出て来るかもしれん」


ソンマがついに大声で笑い出した。他の者も釣られて笑い出す。


「いやいや……統領様はそんな愚痴など申される方ではございませんよ」


最初に大笑いしたソンマが慌ててシニョルのフォローに回ったが後の祭りだった。


「バカ、ノン。早くそれを髪に着けておけ。手に持ったまま笑ってたら、お前の頭の中も笑ってるだろうから笑い声がシニョルに届いちまうぞ」


ノンは慌ててヘアクリップで髪を束ねて挟み閉じた。その様子を見てソンマが笑い死にそうになっていた。


「いいか。年内までは練習期間として0時前なら練習で全員に念話が出てしまっても許す。とにかく暇を見つけて練習しておけよ。但し親方は薬屋の建築手配で忙しいから、彼の仕事を邪魔しない程度にな」


「承知しました……」


 一同はキッタが戻って来るまでの間「◯◯です。これは練習です」等と言いながら練習に入り、この場に居ないシニョルやキッタを悩ませるのである。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド

主人公。5歳。史上10人目となる賢者の血脈の完全なる発現者。


シニョル・トーン

51歳。エルダ専属の女執事。戦時難民第三世代。エルダの実家から婚姻に同行して以来の腹心。エルダの闇と秘密を守る名目で同胞の保護を始める。同胞からは《統領様》と呼ばれている。


イモール・セデス

49歳。戦時難民第一世代で暗殺組織《赤の民》の領都支部をオーデルに創設し、《支部長》として束ねる男。性格は穏やかで理知的。


ラロカ

52歳。戦時難民第二世代で《赤の民》領都支部創設に向けて本場の組織より暗殺技術を学んで持ち帰った男。《親方》と呼ばれる。


ソンマ・リジ

25歳。戦時難民出身で初めて魔法ギルドに入門し、錬金術を修めた初級錬金術師。《赤の民》へ術符を提供してしまった為にギルドから追われる身となる。


ノン

15歳。《赤の民》領都支部建物にて職員を務める女性。


キッタ

32歳。《赤の民》領都支部建物にて職員を務める男性。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ