(第一章エピローグ)帰るために
ようやく第一章もこれで終わりとなります。
【作中の表記につきまして】
物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。
・距離や長さの表現はメートル法
・重量はキログラム法
また、時間の長さも現実世界のものとしております。
・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日
但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。
・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年
・4年に1回、閏年として12月31日を導入
以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくおねがいします。
ルゥテウスはシニョルを抱いたまま彼女の部屋の窓の真上にある屋根に下り立ち、結界を張った。窓の高さまで宙を浮いたまま下りると、どうやったのか鍵の掛かった窓が開いた。
そのまま部屋に入ってシニョルを下ろした。下ろされたシニョルは瞬間移動の後に宙を浮いて窓から入ったのでドキドキしていた。
「ルゥテウス様。今夜はありがとうございました」
「うん?」
「私の人生で遅まきながら貴方様と出会えて、長年の重荷を下ろせそうな希望が湧いてきました。私はこれまで、『失敗を出来無い人生』を送る事だけに夢中になるあまり、同胞の皆さんを救えた事で満足して、それが結果として皆さんを危険に晒してしまいました。
これからは貴方様の示して下さった道を皆さんと一緒に歩いて行くように致します。改めて御礼申し上げます」
シニョルは頭を下げた。その顔はルゥテウスがこの部屋を初めて覗いた時の怜悧な……部屋に一人で居るのに緊張したままのものとは違い、柔和な……そして優し気な表情に変わっていた。
彼女はいわゆる外見の美貌においては「不美人」と呼ばれてしまうような、しかも老境に入った顔の造りであったが、恐らくは彼女の持つ知性なのだろう。不思議な魅力を持った女性であった。
「気にするな。俺は元々、凄く横柄な人間なんだ。だから初めは面倒なんで襲撃を繰り返してくる奴等を元から全て抹殺しようと思っていた。
ところが奴等の話を聞いているうちに、奴等も公爵夫人の被害者なのかという事に気付いたんだよ。この事に本人達が気付くと気付かないでは迷惑を蒙る人数が二、三桁は変わってくるからな」
「お前はこれまで通り、エルダに仕えていろ。但し徐々に距離を広げていく事を忘れるな。お前がどう足掻こうと奴は破滅する。奴はそのように自分を甘やかし、追い込むような人生を送ってきてしまっているのだ。お前と言う有能な腹心に甘えて、周囲に害悪を撒き散らしながらもう戻れない所まで来ている。
お前はその時が来たら奴に巻き込まれないように逃げ出せ。誰もお前を責めるような事は無いと思う。なので今後は奴の動きに注意して何かあったら連絡しろ。その腕輪は普通の奴には見えないようになっているから、そのまま身に着けていても問題は無いぞ」
そう言うと、ルゥテウスの体はまた浮き上がり窓の外に出た。
「それではな」
そう言うとその場から消えてしまった。シニョルは窓を閉めてから息を大きく吐き、
「こんなにもまだ心臓がドキドキしているのに今夜はぐっすりと眠れそう……寝坊しないように気を付けなくては」
と呟きながら、左手を月明りが入る窓にかざし、青く柔らかな光を放つ磁器のような手触りの腕輪をうっとりと眺め、少なくなってしまった睡眠時間を取り戻す為に眠る用意をするのであった。
****
ルゥテウスが次に向かったのはなんと《藍滴堂》三階の祖父の研究室であった。
この時間、既に彼が《海鳥亭》に残していった3冊の母のノートと2冊の祖父のノートは戻されており、彼も本棚を見てそれに気付いていた。
(ユーキさんがノートを戻してくれたんだな)
あの覚醒から丁度丸一日が経っていた。まだ一日しか経っていない。その間に彼は襲撃してきた八人の赤の民の刺客を返り討ちにし、その本拠地に乗り込み……その黒幕は母や家族を結果的に死に追いやった公爵家の者であった。
そして面倒臭がりのはずである自分は成り行きで難民三万人の面倒を見る事になってしまった。
自分はこの町では、そうそう自由には行動出来ない。それならば逆にこの町から出て自由に行動がしやすい場所に本拠を移す事で社会からの目を欺こうかと思い、「どうせなら」と言う事で難民キャンプの中に居を構える事にした。
今後は人目に付かないように新居とこの部屋を行き来しつつ祖父のノート全てに目を通し、取り組めそうな研究を引き継ぎつつ製薬を学んで行く計画だ。
彼の記憶には九人の完全発現者と22人の不完全発現者の記憶があるが、いずれも薬学を専門に研究していた者はおらず、また超古代文明時代とは違い、大掛かりな工業化もされておらず、地表の植生や生物相が変化してしまった現代では文明時代の薬学知識があまりアテにならないと言う事に、彼は覚醒後気付いた。
彼の偉大な先祖の中で、彼の「やりたい事」に対して最も有益な知識を提供してくれそうなのは、やはり生涯を放浪に費やしたヴェサリオで、彼の世界を股に掛けた放浪によって世界の地理とある程度の植生を知識として受け継ぐ事が出来ていた。
後はこれに祖父と母の研究成果を照らし合わせて実証出来るものから取り組もうとルゥテウスは思っていた。
ルゥテウスは本棚の中から祖父のノートを一冊取り出して開いた。以前よりも読解力が格段に伸びて書かれている事がそのまま理解出来る。彼は寝るのも忘れてその場で祖父のノートをいくつか読み進めてみた。
祖父ローレンは「薬剤師」と言うよりも「薬学者」と呼んだ方が適切だったと思われる。その研究内容はこの時代の「医学」の発達を圧倒しており、発現者でも無い一介の下町の薬屋の域を大きく逸脱していた。彼もまた一種の「異能」だったのである。
但しあくまでも彼自身の行動範囲はダイレムとその周辺に留まっており、研究の考察内容において、恐らくは材料調達に苦労したのだろう。実証が少な過ぎて確たる結論まで届いていないものが多かった。
世界を自由に移動する力を持つ自分は祖父に代わってこの部分を補強し、その成果を以って難民が自分達の「国」を創る為の準備を後援するのが、今後数年の彼の生活の中心となるだろう。
(ここにあるノートは俺から見ても非常に貴重な物だ)
ルゥテウスはこの部屋の入口に封印の魔導を掛けた。この部屋は窓も無く、出入りが可能なのは廊下に続く扉一枚だけあった。その扉に対して封印と結界を重ね掛けし、「この部屋の存在を人々の意識から隔離する」ようにした。
元々この建物の相続人は自分であるので本来ならばこのような措置を取る必要は無いのだが、第三者から隔離する事で中の機材や書物を保全すると共に今後彼がこの部屋で外からの干渉を気にする事無く活動出来るようにしたのである。
****
土竜酒場に残された三人は今後の活動について話し合っていた。
「ソンマは今の工房をすぐに引き払うつもりなのか?」
イモールはソンマに尋ねた。
「そうですね。私自身の身柄の安全はルゥテウス様が対処してくれましたが、工房は魔法ギルドに登録されてますから、もう使わない方がいいですね。セデス様、出来ればキャンプの周辺で新しく工房を構えたいのですが良い場所がありますかね?」
「そういえばルゥテウス様もキャンプの中にお住まいになると言われていたな。ご相談してみてはどうかな。キャンプの中に場所が欲しいと言うなら手配させるぞ」
「そうですね……ではそうしますか。しかし……私もルゥテウス様に念話が交わせる付術品を造って貰えばよかったです」
「先程我々に下された物か?」
「そうですね。先程の儀式で最初に造られた魔導符には念話の紋が描かれてました」
「魔導符?術符ではないのか?」
「あれは魔導符ですね。魔導師が造るのが魔導符。錬金術師が造るのが術符です」
「私には同じ物に見えたがやはり違うのか?」
「そうですねぇ……実は私も詳しくは解らないのです」
「ほぅ?そうなのか?」
「私は何しろ魔導師では無いので実際のところ理解が浅いのですが、私がギルドで魔導という存在について学んだ限りでは『魔導師は術式付与が苦手』と言う定説で教わってました」
「錬金術というのは元々が、魔術という技術が誕生した際の『副産物』みたいなものなのです。
それは逆に言うと魔導だけしか存在しなかった頃には無かったもので、その時代には術符や先程のセデス様の時計やラロカ様のペンに付与されたような付術品という物は存在しておりませんでした」
「そうなのか?」
「はい。私はそう教わりました。魔導符という存在はあくまでも『理論的には作成出来るはず』だが、実際に作成された記録が無い……と言う代物でした」
「えっ?ではルゥテウス様の術符……ではなかった魔導符……か。あれは何なのだ?」
「何なのか……と聞かれましても、魔導師様であるルゥテウス様が造られた物なので魔導符で間違い無いでしょう。触媒を消費している様子も無かったですし。あくまでも理論的には……ですが」
イモールも、横で聞いていたラロカも頭がおかしくなりそうだ。
「もし、魔導符という物が本当に魔導師によって造られるのであれば、その効果や価値は計り知れ無いと……本には書かれてましたね……」
「では私がルゥテウス様を呼び出した時に使った物もそうだったんだな……」
「え!?セデス様は魔導符をお使いになられたのですか?」
「ああ。ルゥテウス様が最初にこの酒場に現われた時……まぁその時はこちらに報復にいらしたそうなのだが……私は不在だったのでな。一度引き上げられる際にこのラロカの目の前で術符……いや魔導符か……を造られて託されたそうなのだ」
「その後に私がこちらに到着した時にラロカから受け取って使ったのだ」
「では……魔導符も術符と同様に他人に譲渡出来るのか……なるほど……」
ソンマの興味はそちらの方らしい。
「確かその時はルゥテウス様にしょうかん……『召喚』の術を込めたと教わったぞ」
「なるほど。召喚ですか。あれも難度の高い魔法だ」
「そうなのか?しかし術符というのは、あんなに簡単に造れるのだな」
ルゥテウスはラロカから受け取った紙片を顔の前に掲げて目を閉じ、ものの数秒で魔導符を造り出していた。イモールはそれを見て術符は簡単に造れる物だと思ったらしい。
「とっ、とんでもない!あのような事が出来るのはルゥテウス様だけですよ!」
ソンマが慌てて否定した。
「そ、そうなのか?」
「私がセデス様にお渡しした『結界』の術符は製作するのに半日かかってますよ……」
「何だと!?」
「私のような錬金術師が造るのは術符ですが……準備も案外と手間が掛かるのです。今回の場合は込める結界術としては比較的難しい内部隔離型でしたので付与の成功率を高める為に触媒を精製したり、高品質の術札を用意するのに数時間を要します。ここまでやってまだ『準備』なのです。
そして私程度のマナ制御能力ですと、その材料へ実際に結界術を込めるのに1時間近い詠唱を伴う作業を行う必要がございました。
結局あれを造った時は朝の鐘のすぐ後から準備に取り掛かり、完成して品物の出来を確かめている時に気が付くと夜の鐘が鳴っていましたよ……」
「そ……そんなに大変なのか……」
「それをあんな……ラロカ様の手帳を破った紙切れであっさりと……」
「しかし、私は今回の事で魔導師様という存在を初めてこれ程身近に見れて最高ですよ!もう今日は興奮してしまって眠れないですね!」
そう言ったソンマは確かにラロカから見ても、まだ興奮して上気しているように見える。ソンマのような漸く独立をした錬金術師からすると魔導師というのは雲の上の存在であって、魔法ギルドに入った際に「入塔の儀式」でギルド総帥であるヴェムハ子爵に頭を触れて貰った程度しか接触の機会は無かった。
その魔導師、しかも現代の世界で存在が確認されている四人の魔導師よりも力が強いと思われる存在と邂逅出来た事は彼の錬金術師としての人生における大きな財産と言えよう。
「まぁ……とにかく、お前は工房に帰るのは危険なんだな?ならば今日はこのままここの仮眠室に泊まって行け。昼になったら改めて俺からルゥテウス様に連絡を取ってみる。……上手くその……『念話』と言うのが出来るかは解らんがな……」
イモールは苦笑いして、自分も別の仮眠室に向かうのだった。
****
『おはようございます、ルゥテウス様、イモール・セデスでございます、聞こえますでしょうか』
十分に睡眠を摂った後、再び酒場のホールに集合したイモール、ラロカ、ソンマの三人は職員二人が作った遅い朝食を摂りながらルゥテウスに術式付与をしてもらった懐中時計を握りしめて、頭の中で会話を浮かべてみた。
「あの……私の頭の中に支部長の声が……」
『あら……この声……支部長?』
何とシニョルの声が返ってきた。どうやら向かいの席で固いパンをスープに浸していたラロカにも聞こえたらしい。彼も動きを止めて驚いていた。
『な……統領様でしょうか?なぜ私の念話が統領様に……』
慣れない念話で思いもよらない相手から返事を貰い、お互いが初体験の念話で混乱してしまっている。
『うるせぇぞ。お前ら。俺は今読書中だったのに頭の中で騒ぎやがって』
ルゥテウスの不機嫌そうな声が頭の中に響き渡ってイモールは慌てた。
『も、申し訳ございません。何故か統領様の声が聞こえたものですから……』
『わ、私も取り乱してしまい失礼致しました。一人で部屋を掃除していましたら突然支部長の声が聞こえたものですから……』
『うん?あれ?そうなのか?』
ルゥテウスは少し考えて……
『あぁ……これはアレだな。お前らの持ち物に付与をした時に面倒臭ぇから三つ一緒に付与を掛けたら紐付いてしまったみたいだな』
『ど……どう言う事でしょう?』
『つまり、一枚の導符を使って同時に三つの品に念話を付与したから、その三つの品は紐で結ばれたようにお互いの間で念話が繋がるようになってしまったんだ。だからあたかも俺も含めて四人集まって会話しているような状態になってしまっているんだ。勿論話す時は自分の品を握るなり手を添えるなりする必要があるんだけどな』
「何と……」
ラロカが驚いて、思わず普通に声を出したので隣で固いパンを根気強く咀嚼していたソンマが今度は驚いてしまった。
「ラロカ様、どうかしましたか?」
「いや……どうも俺達が頂いた頭の中で話をする道具の効果が全部繋がってしまっていて、支部長がルゥテウス様に送っている会話が俺や統領様にも伝わってくるようなのだ。そして統領様の返事も聞こえて来たんだよ」
「何ですって!?念話というのは通常は一対一で行われるものなのですが……」
『うーん。そうなっちまったものはしょうがねぇな。多分だが、念話を送る相手をちゃんと思い浮かべながら話せば、その相手にだけ伝わるはずだ。各自もっと練習しろ。無暗やたらと念話を送ると相手では無い他の奴が迷惑するからな』
『つ、つまり私達はこの頂いた道具を通してどれだけ離れていても、いつでもお話が出来るようになったと言う事ですか?それも人知れず頭の中だけで?』
シニョルの声が妙に興奮した様子だ。
『シニョルは念話を使うのが上手いじゃないか。お前の言う通りだが、あまり人前で使うと表情に出て怪しまれるからな』
ルゥテウスが指摘すると、シニョルは慌てて
『は、はい。申し訳ございません。気を付けます。しかしこうして離れていても皆さんとお話出来るのが何となく楽しくて』
今までの知的で怜悧だったシニョルが年甲斐も無くはしゃぐ様子にイモールもラロカもお互い顔を見合わせて苦笑いだ。
『とにかくだ。もう少し練習しろ。少しの間ならこのやかましい状況に我慢してやる。……で、支部長は俺に何か用か?』
『あっ、はい。本日はこちら……酒場においでになりますか?ルゥテウス様とソンマの今後のお住まいについて話し合いたいのですが』
イモールはそもそもの用事を思い出して慌てて話した。念話は少しコツを掴むと結構簡単に会話が出来るようだ。
『そうか。分かった。すぐ行くが、何か食い物は無いか?何も食って無いんだ』
『あぁ、それでしたら我々は丁度朝食を摂っていますのでルゥテウス様の分もすぐに用意させます』
「ノン、すまんがルゥテウス様の分の食事も用意してくれ」
ラロカが女性職員に指示を出した。
「はい。かしこまりました」
三人と一緒に食事を摂っていた女性職員が立ち上がって厨房に消えた。
『す、すぐに、用意させます』
ラロカが初めて念話を送ってみるとやはり最初は難しいようだ。
『よし。それではもう少ししたら、そっちに向かおう』
『いいか。とりあえずお前らは特定の相手にだけ念話が送れるように練習だぞ?……まぁ本来は念話って言うのはこんな面倒臭いもんじゃ無いんだがな』
『支部長、私の声が聞こえてますか?』
どうやら早速シニョルが練習を始めたらしい。彼女は今、自分の部屋を一人で掃除している最中なので、周囲に人が居ない状況で案外暇らしい。
『いや、シニョル。俺らにも聞こえてるぞ。失敗だな』
『え?あっ?すみません!』
これは暫く頭の中が騒がしいなと、ルゥテウスは苦笑いしながら祖父の研究室の机に広げていたノートを片付け始めた。
****
ルゥテウスは研究室で何冊も広げていたノートを本棚に戻した後、領都の酒場に瞬間移動した。ルゥテウスが突然姿を現すのはもうお馴染みになってしまったので、一同もそれ程驚かない。彼が到着するとほぼ同時に女性職員が厨房から温め直したスープと固いパンやチーズの乗った盆を持って来た。
「おぉ。すまんな。頂くぞ」
「申し訳ございません。こんな粗末な物しかご用意出来ず……」
「いやいや。気にするな。俺にこう言う遠慮は無用だ。これからはお前らと同じ物を食うようにするから問題無い」
「は、はい。ありがとうございます」
女性職員は顔を赤らめてお辞儀をした。昨日から目の前で散々に彼の凄まじい力を見せつけられ、更にソンマから魔導師としての彼の力量を説明され、どうやらとてつもない御方だと思っていた相手から突然気遣われて動揺しているようだ。
「リジは今の工房はどうするんだ。機材や素材や触媒の備蓄だってあるだろう?」
ルゥテウスはソンマに尋ねた。
「ソンマで結構でございます、ルゥテウス様。はい、そうですね。その取扱いもどうしたらいいのかとルゥテウス様にご相談したかったのです」
「と、言うと?」
「ルゥテウス様もご存じかと思いますが、私の工房はギルドに知られてますから、下手に備品を動かしてしまうと余計な目を向けられるのではないかと……」
「あぁ、そう言う事か。そうだな……今後のお前の状況によるな」
「どう言う事でしょう?」
「連中からすると、今のお前は『行方不明』の状態になっているはずだ。だから、お前はこのまま行方を晦ます方向で行くか、死を偽装するかして連中の追求に対して一応の方向を決めないといけないな」
「死を偽装するなんて……彼らを欺けますかね……」
「そうだな。その場合は死体を用意するのが面倒だな。死体さえあれば俺が細工してやるが」
ルゥテウスが食事をしながら怖くて気色悪い話を始めたのでスープを飲んでいた男性職員の手が止まった。
「死んだという事にすれば、工房を処分出来るな。道具も素材も丸ごと再利用可能だ。しかし行方不明だとそれが容易に出来るか」
「私は特にあの工房の備品で惜しいと思っている物は無いのですが、私物の中には回収したい物がいくつかあります」
「では、行方不明の線で行くんだな?それじゃ、急がなくても大丈夫なら今年中はそのまま様子を見て年明けに回収するか」
「分かりました」
「あと、お前が今身に着けている物で魔法ギルドから持ち込んでいる物や、それ以前から所持している物はあるか?あるなら処分した方がいいぞ」
「実は……この指輪が……」
そう言うとソンマは右手の中指に嵌めている指輪を指して
「これはギルドを出る時に頂いた物でして……。私の力では外せないのです」
「何だと?……どれ……」
ルゥテウスはその指輪には触れずにじっと見つめている。
「うん。術が入ってるな」
ルゥテウスの言葉を聞いて一同は驚いた。
「やはり入っていますか……。私には何が掛かっているのか解らないのですが……」
「うむ。『状態探知』が掛けられているな。相当に高位の付与だ。ギルドでもかなり地位の高い錬金術師の術式封入品だろう」
「そうなのですか……どうしたらいいでしょう」
「壊そう」
「え……出来るのですか?」
「まぁ、壊すなら簡単だ。とにかく飯を済ませてしまおう。少々気分が悪くなるかもしれん。お前らもな」
そう言ってルゥテウスは食事を続けた。他の者達は殆ど食事は終わっているので、そのまま彼を待つ事になった。
ルゥテウスも食事を摂り終わったので食器を片付けさせてから、机の上にソンマの右手を置かせた。
「よし。これからこの酒場にかなり強めの結界を張る。ここで何をやってるのかバレないように完全に遮断する為だ。魔素に慣れていないと少し気分が悪くなるから、ちょっと我慢してくれ」
そう言うと、ルゥテウスは彼がよくやる右手を軽く振る動作をした。すると酒場のホール一帯が青っぽい空気に変わった気がした。室内の照明の光も青っぽい色に変わり、その場に居た一同は突然自分の体が体感出来る程に重くなるのを感じた。
どうやら魔素の密度が上がっているようだ。
「よし。やるぞ」
そう言うと、ルゥテウスは左手の人差し指でソンマの額に触れ、右手の人差し指でソンマの右手中指に嵌っている指輪に触れた。そして目を閉じると……。
―――ヴゥゥゥゥゥゥゥン
という低い音が鳴り、指輪が割れてソンマの指から外れた。ルゥテウスはソンマの額から指を離してから右手を振り、結界を解いた。酒場は元の空気の色に戻り、体が重くなる不快感も抜けた。結界がいつものレベルに戻ったようだ。
一同はホッとして力が脱けたように椅子に座り込んだ。
「これでまぁ、大丈夫だろう。他に何か無いか?俺も昨夜お前の体に掛かっている魔力を一通り調べてはいるが、どんな偽装をされているか解らんからな。現にこの指輪には気付けなかった」
「はい。私が知っている限りは他には何も身に付けていないと思います。しかし彼らが私に気付かれないように何か着けさせているなら話は別ですが……」
「まぁ、大丈夫だろう。基本的には今の指輪の効力も昨夜お前にやった紐に入れた追跡防御で相殺しているしな。その紐だけ離さなければ、俺の魔力を越えない限り、追跡系の魔導や魔術は遮断出来るはずだ」
昨日からの体験からして、そんな者がこの世に居るのかと……その場に居る一同が感じた。
「それと、昨日の念話を入れた品は俺が特に操作しない限りは俺の張った結界も突き抜けるからな」
「そ、そうなのですか?」
「うむ。その辺は特に気にしなくていい。と言うか、俺の結界では無くても俺の魔力を越えない結界ならば問題無く突き抜けるはずだ」
どうやら自分達の私物はとんでもない付与を施されたとイモールやラロカは思うのであった。
「あぁ、ルゥテウス様。もし宜しければ私の私物にも念話を付与して頂けませんでしょうか」
「あぁそうだな。お前とも念話は要るな。じゃ、何か出せ。それと支部長の時計も出せ。ついでにソンマの物もお前らの紐付けに入れる」
「そ、そんな事が出来るのですか!?後付けで!?」
自分の体を探って私物をを選んでいたソンマが驚きの声を上げた。
「そもそも複数人で念話が出来る事自体、私は聞いた事も無かったのですが……」
それを聞いてイモールとラロカも驚く。
「そうなのか?」
「はい。念話とは先程も少し言いましたが本来は特定の人物と一対一の会話、つまりは『内緒話』をする為の術なのです。こんな多人数が繋がって遠隔会話をするようなものじゃないのです」
「何と……」
「考えてもみて下さい。こんな代物が軍隊で使われたら伝令も必要無くなるじゃないですか……」
「な、なるほど……確かに……」
イモールは息を飲んだ。考えてみればこのような品物を《赤の民》として使えていれば任務遂行の労力はとてつもなく少なくなる。
なるほど。これが恐らくルゥテウスが自分達に警告した「魔法の力」なのかと今更ながらに背筋が寒くなった。
「こんなので大丈夫でしょうか」
ソンマは結局、昨夜の飾り紐とは別に首から掛けていたペンダントを外してルゥテウスに渡した。左手に嵌めていた指輪と迷ったが、指輪は拳を握り込んでしまうと念話が誤作動する恐れがあるので最終的に候補から外した。
「よし。机に置け。支部長はその横に時計を置け。そして親方。アレを頼む」
「は、はい」
ラロカは毎度のようにメモ帳を取り出して白紙のページを破り取ってルゥテウスに渡した。どうやら彼はラロカのメモ帳の紙片が気に入ったようで、その後も魔導符を使う時にラロカが居る場合は彼に紙を要求するようになった。
ルゥテウスは昨夜と同じく紙片を顔の前に掲げて目を閉じ、念話の魔導符を造り、それを机に置かれた時計とペンダントの上で右手に丸めて握り込み、再び目を閉じた。付与の際に金色の眩い光を放つのは前回と同じだ。
ソンマは錬金術師としての視点から、この金色の光が念話術の集団化という今までに聞いた事も無い効果をもたらしているのでないかと推測した。光が収まると時計と同じようにペンダントも青い光を放つようになっていた。
「よし終わったぞ」
「ありがとうございました」
「ではルゥテウス様。早速ですが本題のキャンプでのお住まいについてですが」
「そうだな。実は薬屋を始めようと思っている」
「え?薬屋ですか?」
「そうだ。お前らも知っている通り、俺の実家は薬屋だ。製薬の知識も多少だが付いてきた。ひとまずキャンプの中で難民相手に小売りで薬屋を始める。ソンマも一緒にやらないか?」
「私もですか?」
「お前は錬金術師として製薬の知識もあるんだろう?」
「えぇ。お恥ずかしながら基礎的なものに留まりますが……」
「支部長。キャンプの中の医療体制というのはどうなっているんだ?俺が昨日の昼に彼らの人数を数えながら見回ったが、病院のような施設が見当たらなかったが……産婆は何人か見たけどな」
「はい……キャンプには現在病院がありません……。薬屋……と言うか店も一軒だけ。雑貨屋のような小さなものだけです。キャンプに住む我々の同胞は御館様の援助と《赤の民》の収益によって主に配給で賄われているのです……」
「難民達自身には生産性が無いのか?」
「我ら同胞にはまともな賃金が支払われるような雇用が無いのです……」
「なるほど。そう言う事か」
「我ら同胞にも一応は勤労意欲はあります。自ら率先して町の外に狩りに出掛けて獲物を近所で分配している者も居ますし」
「なるほど。文字通り肩を寄せ合っているわけだな。今後は色々と仕組みを変えないとな。最終的に『国』として故郷のエスター大陸で独立しなければならないわけだし」
「そうですね。我ら同胞で国を創ると言うのはルゥテウス様に示して頂いた我らへの新しい啓示です。この夢の実現の為に我々はいかなる労苦も厭わない所存です」
「まぁ今からそう大袈裟に気張らなくても、暫くはシニョルがエルダのババァから上手く金を引っ張り続けてくれるだろう。とにかくその間に彼らの生活水準を上げて、資金も蓄える必要がある。《赤の民》の解散はどうなっている?」
「はい。既に全ての構成員に繋ぎを取るように手配済みです。12月20日の夜にこことは別の場所に密かに集合する事になっております。もちろん殺しの任務は全て中止するように通達済みです」
「そうか。ではこれからキャンプに行って新居の場所を決めるとしよう」
「それではご案内致します」
こうしてルゥテウスは当初はあわよくば皆殺しにしようと思っていた戦時難民達との生活を始めるべくキャンプに向かった。彼はこの地で15歳の成人を迎えるまで過ごす事になる。彼の滞在によって戦時難民、そして彼らの故郷であるエスター大陸の運命も大きく変わっていく事になった。
(第一章 完)
【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ
ルゥテウス・ランド
主人公。5歳。史上10人目の完全なる賢者の血脈の発現者。色々面倒臭がるわりに色々なものに興味を抱く幼児。
シニョル・トーン
公爵夫人の女執事。ノルト伯爵家からエルダの婚姻に同行して以来の腹心。戦時難民第三世代。同胞を救うために組織化を図る。難民出身者からは「統領」と呼ばれ崇拝されている。
イモール・セデス
暗殺組織《赤の民領都支部》を束ねる支部長。エスター大陸出身の戦時難民第一世代。穏やかで理知的な性格。シニョルを崇拝している。
ラロカ
暗殺組織《赤の民領都支部》の支部建物を管理する男。かつて支部創設時に本場で習得した暗殺技術を持ち帰ったことから「親方」と呼ばれている。
ソンマ・リジ
領都オーデルにて錬金術師として個人工房を営む。戦時難民出身。《赤の民》に術式封入品を提供したことで魔法ギルドから容疑者にされかけている。