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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第一章 賢者の血脈
20/129

新たなる道

【作中の表記につきまして】


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。また、特に言及の無い限り文中の時刻は24時間表記です。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくおねがいします。


「よし。まぁ、お前達に少しぐらい助言するのは構わんが……」


 ルゥテウスは隣に座るイモールを一瞥し


「こっちが聞くのが先だ。俺からの最後の質問。お前らに術符を渡したのは誰だ?」


ルゥテウスは鋭く言った。


「そっ……その事ですか……」


イモールは口籠りながら答えた。


「ルゥテウス様……彼の名前を明かすのは、ここまで来れば吝かではございません。しかし予めご理解頂きたいのは、彼は我々から強要によって術符を提供せざるを得なかった、と言う事です」


「支部長……術符とは何なのです?」


シニョルが口を挟むようにイモールに尋ねた。


「はい……今回、ルゥテウス様とその御親族様を襲撃するに当たり、事前の打ち合わせの際に『錬金術師』との取引について御裁可を頂いた件を憶えていらっしゃるでしょうか」


「えぇ……何か毒以外の方法で……とかおっしゃってましたね」


「はい。まさにその事です。私はこの件であえて統領様を巻き込ませたくはありませんでしたので詳細をご説明するのを憚ったのですが……」


「まぁ……そうでしたの……して、結局その錬金術師から『術符』なる物を調達したのね?」


「左様でございます。先程、私がルゥテウス様をお呼び出しした際に使用した物とは違う物でしたが……」


ここで再びルゥテウスが割り込ん出来た。


「話は済んだか?とにかくその錬金術師の名を明かせ。これはお前らの将来にとっても重大な事だ」


「えっ……?」


「いいからさっさと明かせ。説明は後だ」


「はい。その者の名は……リジ。ソンマ・リジという者で我らと同じ難民出身の者です」


「何ですって!?難民出の者で錬金術を使える者が居ると言うのですか!?」


シニョルが驚いて声を上げた。


「統領……いや、シニョル。今はそんな事はいい。そう言う話は後でしてくれ」


「あっ、申し訳ございません。難民出身でそんな錬金術などを使える者が居るなど夢にも思ってませんでしたから……つい」


シニョルは度重なる差し出口を謝罪した。


「で、そのリジ……だったか。そいつはどこに居る?王都か?」


「いえ……彼はここオーデルにて錬金術の工房を開いております」


「そうか。それでは念の為に聞いておいてやろう。お前らがそいつに術符製作を強要したと言ってたな。どう言う事だ」


「はい……元々はリジ……ソンマと言う男は我々が『キャンプ』で将来の組織員の素質を持った子供を探している時に出会いました。今から……そうですね……12、3年くらい前だと思います」


「12、3年前に少年と言う事は今は20代前半くらいか?」


「はい。まだそれくらいだと思います」


「ソンマは諜報員としても暗殺員としても素質が……体力が足りませんでした。体を上手く動かすのが苦手だったようです」


イモールは話を続けた。


「しかし……彼は頭の回転が早く、穏やかな性格でして。そこで我ら赤の民が金を出して王都の魔法ギルドに送り出してみたところ、錬金術の才能があると」


「なるほど……投射力が弱かったのか。それで、魔導ギルドに送ったのだな?」


「は……はい。あ、あの……とう……とは?」


「あぁ、《投射力》か。まぁ、詳しい事を説明してもお前らでは理解出来んだろ。つまりその力が強いと魔術師向きで、弱いと錬金術師向きと言う事だ。弱いからと言って決して悪いわけでは無い。むしろ商売としてなら錬金術の方が儲かるからな。但し、魔法ギルドの奴等からするとギルドの人材としては魔術師の方が使いでがあるんだろうがな」


ルゥテウスはニヤニヤしながら説明した。


「そうなのですか……やはりルゥテウス様は魔法に詳しい……」


「そんな事はどうでもいい。とにかくそのリジと言う奴は魔法ギルドで訓練を受けて錬金術を身に付けたんだな?」


「はい。そして……三年前程でしょうか。領都に戻って参りまして、個人で工房を開いたのでございます。この時も我ら赤の民から資金を援助しております……つまりその資金は統領様を通して御館様が御出資された事になるのですが……」


「まぁ……そうでしたの……知りませんでした……」


「はい……申し訳ございません。我ら赤の民の中で会計は処理したものですから……」


イモールはソンマの工房設立に関しての報告を行わなかった事に対して謝罪した。


「で、そのリジと言う錬金術師だが」


「はい」


「お前達はこれまで、奴からどれくらいの回数の付術品を調達したんだ?」


「はい……これまで彼から術符を提供してもらったのは二回です。今回の物を含めまして」


「ちっ……やはり昨夜以前にもやっているのか」


ルゥテウスは少し険しい表情になった。


「は……はい……も、申し訳ございません。全ては私が彼に対して資金提供の恩を嵩に……」


「いや、そんな事はどうでもいいんだ。問題は魔法ギルドで育成された錬金術師は、恐らくギルドに監視されている。特にギルドから独立して工房を構えたとなると、相当に細かく見られているはずだ」


「なっ……!ど、どうして!?」


「当たり前だろ。お前だって術符の力は解っているだろう?それ程強力な物を犯罪に使われたりしたらどうする?それを作った者だけじゃなくて技術を伝えた側も咎を受けるのは当然だ」


「魔法ギルドって所はな……その昔、その咎を受けて当時のギルド構成員を含めた世界中全ての魔法関係者が魔法を使え無くなると言う厳罰を受けた前例があるんだ」


このルゥテウスの話にその場に居た一同が揃って驚愕した。


「えっ……あっ……あの……魔法ギルドの方が取り締まったのではなくて……ですか?」


「違う。魔法ギルド側が『監督不行届』で罰せられたんだ」


「そ……そんな……。あの魔法ギルドが罰せられるとは……そんな事が出来るのでしょうか」


「そりゃ出来るだろ。要は魔法ギルドの連中がその力を全員併せてもそれを上回る力で捻じ伏せられればな」


「そんな……一体誰が……」


 魔法世界に属さない『普通の人』として、イモールは魔法に対して接点がそこそこある方で、基礎の基礎の初心者向けの知識をソンマから聞いていた為に魔法、特に魔術の力と言うものを多少は理解している。

その彼をして魔法ギルドと言うのはまさに「現実にある超常的な力の象徴」であり、教会が信奉する神よりも畏怖の対象となっていた存在が……更にその上の力で捻じ伏せられて罰せられると言うのは、俄かに信じ難い事であった。


「世の中、上には上が居るんだ。それを覚えておけ。そしてその厳罰を1900年前に受けた魔法ギルドはすっかり震え上がって、自分達の『技術』の悪用に対する抑止を強化したのさ」


「俺が今回の件で懸念するのは、恐らくリジが造った術符の使途について魔法ギルドの捜査が入る可能性が高いと言う事だ。リジも多分、お前から依頼だか強要だかされて、術符を渡した時点で覚悟してただろう。

何しろ魔法ギルドの監視と捜査能力の高さはそいつ自身が一番分かっているはずだ」


「そっ……それでもし魔法ギルドに捕まった場合……ソンマはどうなるのですか……?」


「例外無く死刑だ。それも死体は蘇生させたり呪術系魔法の素体にされないように、即時焼却の上に教会が浄化するんだっけな」


「そっ……そんな……ソンマが……我々のせいでっ……」


イモールは悲痛な面持ちで机に突っ伏した。


「それだけの禁忌をお前らは犯したんだ。まぁお前らと言うかリジがな」


「ぐぅぅ……」


 イモールは突っ伏したまま泣き始めた。シニョルはその姿を見て驚いていた。他の親方や職員も同様に、今回ルゥテウスに相対する前の普段の支部長とは思えない程に取り乱した様子を見て、これは尋常な事では無いと思い始めていた。


「親方よ。俺は最初にここに来た時に聞いたよな。お前らに術符を渡した奴について、制裁の対象を『そいつだけにするのか魔法ギルドも含めるのか』とな」


ラロカはイモールの悲嘆ぶりを見て茫然としていたところに突然ルゥテウスから話を振られて驚いた。


「えっ……?たっ確かに……あの時ルゥテウス様は……まさか」


「そうだ。俺はあの時はまだ、俺を襲って来たあの連中が使った術符を提供してきた奴が誰だか分からなかったからな。独学で錬金術を習得した奴なら、そいつだけを潰せばいいし、魔法ギルド所属の奴ならギルドに責任を取らせるか」


「そ……そんな……ルゥテウス様が魔法ギルドに……?」


「お前らはな……ちょっと色々と認識が甘いんだよ。まぁさっきのヴァルフェリウス公爵家の呪いの事もそうだが、魔法が使えないお前らが安直に魔法の力を知ってそれを利用しようなんて考えてはいかんのだ。お前らは《大戦争》を知っているか?」


「大戦争……どこかで聞いた事が……」


「お前らのようなエスター大陸出身者なら他人事じゃ無い話だぞ。エスター大陸と東のロッカ大陸の間に海峡があって、そこは魔物の巣窟のはずだよな。これは分かるだろう?」


「は……はい。『死の海』の事ですよね……?」


「お前ら、その『死の海』がどうやって出来たのか知ってるか?あれは11000年前に起こった大戦争によって元々大きな一つの大陸だったのがロッカとエスターに分断された跡なんだよ。

そしてその大陸すらカチ割った大戦争の原因となったのが、お前らのような魔法を安易に『力』として使おうとした奴等が暴走した結果なんだ。

そのせいで、あの海峡……と言うか元は大きな地割れの跡だが……空気の……まぁ成分みたいなもんが変質して魔物が生まれてしまったんだ。あの場所からな」


 ルゥテウスの話に一同は声を失った。「大戦争」というのは彼らにとっては本当にあったのかどうかも分からない「おとぎ話の世界」であり、「死の海」とは難民としての彼らがロッカ大陸に逃げるのを妨げる恐ろしい障害であるとしか認識しておらず、元からあった超大陸の分断などといきなりスケールの大きい話を持ち出されて、自分達の知らない歴史的事実をこの幼児に教えられたのである。


「つまり、お前ら素人が簡単に手を出すべき物では無いし、お前らのような素人へ簡単に提供しちゃいかんのだ。

俺の記憶が正しければ、錬金術師の行動規範においては術符類の販売許可は事前に魔法ギルドへ理由を添えて申請しないといけないはずだし、高貴薬に関しては魔法ギルドに承認されている医師資格を持った者の処方箋が無いと売ってはいけないはずだ。

その他の「術式封入品」を製作する際も完成品は登録が必要だったと思う」


「そっ……そうなのですか……る、ルゥテウス様はどうしてそんなにお詳しいのですか?そっ……その……先程からお伺いしておりますと、とても我々には理解の及ばない事にも精通されていらっしゃるようで……」


取り乱しているイモールに代わってシニョルがルゥテウスに尋ねた。


「俺の事などどうでもいい。俺の事を話してもお前らには理解出来まい。まぁいい。そのリジの工房というのはどの辺りにあるんだ?とにかく本人に会う必要がある。教えろ、支部長」


「そ……それは……。彼の工房……」


「面倒だ。手を出せ。そして工房への行き方を頭に思い浮かべろ」


 ルゥテウスはシニョルの部屋探しの時の面倒を思い出し、イモールの頭から直接情報を引き出す事にした。「引き出す」と言ってもそれは海鳥亭の裏庭で1番から引き出したような強引なものでは無く、相手が情報を提供する意思を持って思い浮かべたイメージだけを抜き出すと言う無害な方法であった。

ルゥテウスは目を瞑り何やら念じているイモールが机の上に置いている右手に軽く触れて


「よし。解った。もういいぞ」


と言い、茫然としている支部長や、今何をしたのか分からず目を丸くしているシニョルへ


「ではちょっと行ってくる。このまま待ってろ。多分すぐ戻る」


と声をかけてその場から消えた。


「き……消えました……」


更に驚くシニョルに


「統領様をお迎えに上がる際にも、今のように急に姿を消されました……」


とイモールが説明した。


「しかし私は……ソンマに対して取り返しのつかない事を……」


「いえ、どうやらその切っ掛けを与えてしまったのは私のようです。支部長。責められるべきは私です。そのようにご自分を責めないで下さい」


シニョルは優しく語り掛けた。その顔にはいつもの怜悧な雰囲気は無く、何かようやく重荷を下ろしたような……ほっとした表情さえ浮かべていた。


「統領様、我々は今後どのようにすれば……」


「私にも答えられません。それはルゥテウス様に示して頂きましょう」


「しかし……あの御方は……どう言う方なのでしょうか……あれだけの力と知性を持っているにもかかわらず……見た目は幼児のままで……」


「ふふふ……それもとびきりの美しい幼児でしたわね……」


シニョルが優しげな顔で笑った。このような柔和な笑みを浮かべたシニョルを見たのはイモールも初めてであった。


「あの方は……敵に回せばとてつもなく恐ろしいですが……そうでなければ全ての者を魅了してしまうでしょう。あぁ……もっと早く……30年早くあの方に出会えていれば……同胞の皆さんはもっと幸せに……」


「何をおっしゃるのです。統領様。貴方様は今でも我々同胞の救いの神。ご自分を卑下されないで下さい……。貴方がご自分をお責めになれば……我々の幸福な25年は嘘になってしまう……」


イモールは涙で声を詰まらせた。シニョルもそれを見て俯き、再び涙をこぼした。


「お二方共。私はこれまで『殺しの技術』をこの大陸に伝えたと言う自負を持って生きて参りました。しかし今日は改めて再生の日としてその自負を捨てる事にしましたぞ。今日……《赤の民領都支部》は恐らく壊滅しました。

しかしそれは我らが故郷で忌み嫌われるその名を捨てさせる為の再生に繋がるのではないでしょうか」


この中で一番の年嵩であるラロカが決然と言った。二人はハッとなって顔を上げ


「そうですわね。親方さんの言う通りですわ。30年早くなくても、私は確かに今日あの方と出会う事が出来たのですもの。もしあの方にお許しが頂けるのであれば私は自らの行いに対して償いながら同胞の方々と共にこれからも歩みましょう」


「忝く……忝く思います……統領様……」


 三人でしんみりと話しているところに、突然ルゥテウスが戻ってきた。相変わらず何の前触れも無く先程と同じ椅子に座るように現れた。そして左手に緑色のローブを着た、全体的に痩せた印象のある濃い茶色の髪を持つ若者の肩を掴んでいた。若者は現われた勢いで床に転がり、頭を振りながら立ち上がった。


「こっ……これは……まさか今のは……瞬間移動ですか……?」


驚く一同には目もくれず、その若者はルゥテウスに問いかけた。


 彼はそろそろ0時を回る頃になるまで工房で触媒の精製を行っていた。少量で効果の圧縮された薬品を錬成する為に、触媒を予め精製しておいてマナとの反応時間を短縮するのが目的である。そこにいきなり背後から


「お前がソンマ・リジだな」


と呼びかけられ、驚いて振り向いたところで肩を掴まれた次の瞬間、見覚えの無い場所に転送されていた。瞬間移動は非常に難度の高い魔法で魔術として使用する場合はマナの制御に大変な労力を要する。

熟練の魔術師においても瞬間移動を単独で行う際は数十秒に及ぶ詠唱が必要だと言う。

ソンマ自身の熟練度では未だに瞬間移動の術符など、難度が高過ぎて数メートル先への移動効果の付与すら覚束ない状態だ。


「貴方は今……瞬間移動を……無詠唱で……信じられない……」


「ソンマ……」


 イモールが若者に呼びかけた。若者……ソンマ・リジは呼びかけられて初めて自分と目の前の無詠唱で自分を瞬間移動で連れ出したこの幼児以外に人が居る事に気付き、それが同胞の大先輩であるイモール・セデスである事に驚いた。


「せ……セデス様……ど、どうして」


「すまん……俺は……お前に、とんでもない頼みをしてしまった……魔法ギルドの掟を知らず……」


 いきなりルゥテウスがソンマを連れて来た事に何度目かの驚きを見せたイモールであったが、前回のシニョルを連れて来た時よりも短い間で我に返りソンマに声を掛けて謝罪した。


「頭を上げて下さい。セデス様。私は貴方のおかげで身を立てる事が出来たのです。どうしてそのお願いを断れましょう。

貴方が常に我ら同胞について良くして下さった事に対して、漸くその一人として恩をお返し出来たのです。私は後悔などしておりませんよ」


ソンマはハッキリと言った。その目に怒りや後悔の色は無い。どうやら《赤の民》に対して術符を提供した事に対しては覚悟を決めた上での行動だったようだ。


「錬金術師のソンマ・リジ。お前は魔法ギルドで学んだのだな?」


横からルゥテウスが尋ねてきた。


「は……はい。あの……貴方様は一体……もしや……魔導師様ですよね……?無詠唱で……触媒をお持ちになられている様子が無い」


 ソンマの言葉にイモールは先程少し出た《魔導師》と言う単語を聞いて訝った。ソンマは「お前らには理解出来無いだろう」とルゥテウスが話した「魔術と魔導の違い」を理解した上でルゥテウスを「魔導師様」と呼んだ。

魔導を使うから魔導師なのだろうか。魔術を使う魔術師と何が違うのか。ソンマの驚愕の中にも何か憧憬を感じる言葉遣いに益々ルゥテウスへの謎が深まるばかりだ。


「そんな事はどうでもいい。とにかくそこに座れ。お前に問い質す事がある」


「はっ……はい」


ソンマは慌てて椅子に座った。


「お前は魔法ギルドで学んだのならば『沈黙の旬』の話は聞いているよな?」


「はい……勿論でございます……魔法に携わる者で『沈黙の旬』を知らぬ者はおりません」


「ならば何故、この《赤の民》と言う暗殺集団に術符を提供した?俺は最近の魔法ギルドの事はよく知らんが、犯罪行為への加担はギルド憲章で固く戒められているのではないか?

それとも近頃の魔法ギルドはそんな事も忘れてしまっている程堕落しているのか?」


ルゥテウスは厳しい顔で鋭く問い詰めた。


「いえ……沈黙の旬による教えは今でも厳格でございます。魔法ギルド出身の者で犯罪に加担する事はギルドが戒める最大の罪の一つにございます。私は、私の思う所があって罪を犯しました。これについては最早弁解の余地は無く、処分は謹んで受け入れる所存です」


 ソンマはルゥテウスに対しても毅然と言った。他の者達はこれまで、ルゥテウスの圧倒的な力に半ば怯え切ってまともに返答も出来なかったのだが、彼は覚悟を以ってルゥテウスの詰問に返答した。


(それにしても一体この方は何者なのか……?見たところ随分と幼い様子だが、何者かによる成り済ましや傀儡ではなさそうだ。魔力も桁違いに思える。この外見通りの年齢だとすると魔術師ではなかろう。となると魔導師という事になるが……)


 魔術を学ぶ場合、どんなに早熟の資質を示しても実用的なレベルに達するまでには10年近い修練が必要で、促成を目指すと大事故に繋がる。


ソンマがこれまで魔法ギルドで学ぶ過程において聞いた歴代の天才魔術師と呼ばれる偉人でも一番若くて10代半ば、通常ならば10代後半から20代前半で漸く指導者の補助を借りずに魔術の使用が可能になるのだ。


目の前の子供は幼児と言ってもおかしくない年齢にしか見えない。いいところ5、6歳だろう。そうなるとこれは修練を必要とせず先天的な才能で魔法を操る「魔導師」と考えるのが妥当だ。


 しかし、ソンマの知る限り、現代の世界において魔導師は四人しか存在しないと言われている。そのうち王都の魔法ギルド本部に二人。これはギルド総帥のヴェムハ子爵と導師長ラル。そしてロッカ大陸に住むとされるネサリクス導師と極大陸に自らの領域を持っていると言われるドーレス導師だけがギルドに生存する魔導師として認識されている。


しかもこの幼児は無詠唱で……それも瞬間移動をあっさりと使用した。ソンマは「無詠唱」で使用される魔法を生まれて初めて見た。肩に手を置かれた瞬間に別の場所に転送されたのだ。魔法とは普段縁の無い普通の人間とは違う驚きが彼の脳裏に広がっていた。恐らく前述の四人の魔導師ですら無詠唱で魔導は使えまい。それだけ無詠唱とは魔法世界においても実在を疑われる存在なのだ。


(遠い昔にいらした「黒い公爵さま」は無詠唱で魔導を次々とお使いになられていたと本には記されているが眉唾物だと思っていた。まさか本当に無詠唱で……それも魔導が使える者が実在するなんて……)


 ソンマは自分が重罪を犯して、糾弾されている最中なのにもかかわらず、ルゥテウスの魔導師としての実力を目の当たりにして心臓の動悸が止まらない。


自分の素質は結果として投射力が弱かったが、ソンマは当初魔術師に憧れて魔法ギルドの門を叩いた。錬金術師としてギルドから独立を許された今でもその気持ちは変わらず、同窓の者で魔術師として才能が開花した者に対して嫉妬すらしていた。


「お前は《赤の民》からの依頼で二度も術符を作成したと聞く。他に同様の過ちを犯した事は無いのか?」


「はい。私は錬金術を扱う者としてこれまでに仰る通り二度、術符をセデス様にお渡ししました。私が非合法の形で術符を作成したのはその二度だけでございます。これは《漆黒の魔女様》に誓って申し上げる事にございます」


「ふむ……手を出せ。どちらでも構わん」


 ソンマは緊張した。魔術を扱う者同士において「手を出せ」と言うのは相手の素養を測ると言う意味で、自分の実力が丸裸になる行為である。そして、上位の者は下位の者に対して、手を通して内部のマナ制御の能力に制限を掛ける事が出来る。

ソンマはルゥテウスからの「手を出せ」との要求は自身の術師としての能力を封じると宣告されたと思ったのである。


「はい……」


ソンマは右手を差し出した。利き手を差し出す事で上位者であるルゥテウスへ敬意と誠意を表したのであった。


 ルゥテウスがソンマの差し出された右手を掴むと目を閉じた。そしてすぐに目を開いてソンマの右手を離す。その間僅か数秒である。解放された自分の右腕を見つめるソンマは、自分の制御力が全く損なわれていない事に驚きを隠せなかった。


右手を離されたソンマの驚く表情を見て、イモールはソンマはルゥテウスから何か罰を受けたのかと思い、苦渋の表情となった。全ては自分の責任だと両拳を血が滲むくらいに握りしめる。


「導師様……これはいったい……」


「ふむ。まだ追手が掛かってない。支部長、おい。聞いてるか」


イモールは突然ルゥテウスに呼ばれて慌てて応じた。


「はっ、はい!何でございましょう」


「俺に対して術符を使った、その前の『仕事』について話せ。いつ、どこで、誰への仕事で使ったのかをだ」


「はい……最初に術符を使用した任務を実行したのは9月の1旬目だと記憶しております。正確な日付は……親方。記録は残っているか?」


イモールから問われたラロカは急いで懐から出した先程とは違う手帳の中身を確認し


「はい。9月の3日から4日にかけてとなっております。場所は王都のマイル商会。標的は商会の評議会議長ネビル・サムスです。

結果は暗殺成功。依頼通り、3日夜の評議会終了後に商会建物内の宿舎で標的に割り当てられた部屋の中にて術符を使用。標的のみを殺害し、周囲に気付かれる事無く撤収。

参加人数は七人で実際に行動したのは一人。残り六人は術符の使用法と効果を見分する為に同行したという形になっております」


「そうだな。あの時は初めての術符使用という事で六人を見学役で付けたんだったな。ルゥテウス様、先程処分されたジャンと言う若者も同行した任務でした」


「そうか。奴はその任務で術符の使い方を学んで俺を襲撃したのか」


「えっ!?この方を襲撃ですって?何と……無謀な……」


ソンマが驚きの余り、頓狂な声を上げたのでルゥテウスは苦笑いした。


「そんな事はどうでもいい。9月4日か。100日近く前だな……」


ルゥテウスは顎を摘んで思案顔になりながら


「その任務の場所っていうのは……王都か?何商会だっけか?」


「はい。マイル商会です。王都では五本の指に入る大店です。十人の評議員によって運営されておりまして、標的はその会議を纏める者でした。商会内の序列で3番目。依頼人はナンバー2の副頭取でした」


「王都でやったにしてはギルドの初動が遅いな。普通は何の対策もせずに術符なんかを王都で使ったら即座に魔法ギルドにバレる。

そしてそれが人の死に結びついていたら、すぐに捜査に入るはずなのだが……リジにはまだ『足が付いていない』状態だ」


「えっ?そんな事が解るのですか?」


「解る……と言うかこの男に外部から魔法的な接触があった形跡が無いと言う事が解るだけだ。あくまでも俺よりも下位の者がって言う事だがな。俺より上位の者の接触痕なら俺にも解らない」


(この方よりも上位の魔導師なんて……存在するのだろうか……)


 ソンマは思った。先程ルゥテウスに右手を掴まれた時、腕から流れ込んできた気配は正しく自分が魔法ギルドに入った時に儀式で頭に手を置かれた総帥であるヴェムハ師と似た魔導特有の波動で、この人物が魔導師である事を更に確信したのだがその巨大な、果ての無さを感じる魔導の気配で自分の精神は押し潰されるのではないかと思ったくらいだ。


「俺の時は、奴等が術符を使ったすぐ後に俺が自分の結界を被せたから気付かれていないはずだ」


「そ……そうなのですか……」


イモールは安堵した表情を見せたが、最初の使用の際にギルドに感知されたと言う可能性が残されている今、完全に安心は出来無い。


「俺が今見たところ、リジの能力では恐らくギルドの追求は躱せないと思うぞ」


「そうですね……私の実力では難しいでしょう。ギルドが現場での検証を終えたらすぐにでも術符使用の痕跡から作成者を特定されそうです。仕方ありません。それは諦めております」


「待てっ!ソンマ!悪いのは私なんだ。お前は白を切れ。私の正体を知らずに売ってしまった事にしろ」


「いや、それでは通用しないと思う。そうなったら、それはそれでお前がギルドの魔術師に情報を引き出されて結局はバレるだけだ」


「そんな……そんな……私のせいで……お前のような才能ある若者が……く……クソっ……!」


イモールは己の愚かさを罵りながら拳でテーブルを叩いた。


シニョルは先程からこの目の前のやり取りを観察していて、ルゥテウスがソンマを弾劾するのでは無さそうな雰囲気を感じていた。


(ルゥテウス様はこの錬金術師をお助け下さろうとしているのではないかしら)


「ルゥテウス様……私のような立場で差し出がましいのですが……この若者をお救い頂く事は出来ませんでしょうか……どうか……お願い致します」


シニョルは頭を下げた。ソンマは先程から全く口を開かなかったこの年配の女性が急に自分の救済をルゥテウスに願い出た事に驚いて


「あの……失礼ですが……どちら様なのでしょうか……?」


イモールが応じた。


「ソンマ。こちらの方は統領のシニョル・トーン様だ」


「えっ……!?とっ統領様っ!しっ失礼しましたっ」


 ソンマは統領と聞いて慌てて立ち上がって深々と頭を下げた。ルゥテウスにすら臆せず口を利いていた若者が「統領」と聞いて急に態度を改めたのである。ルゥテウスはそれを見て滑稽に思い


「お前、死を覚悟している割に今更統領に畏まっても仕方無かろう」


「あっ、いっ、いえ……統領様は私達難民にとっては神にも等しい御方ですから……」


「そんな事はありません……私は自らの策に溺れてあなた方を滅亡の縁に追い込んでいる愚かな女です。そのような態度を取られると却って心苦しいのです」


「まぁ、お前らみんな落ち着け」


この酒場の中に居る人々の中で一人だけ不似合いな幼児の外見(ナリ)をしたルゥテウスが周りを制した。


「お助け下さいと言われても、相手は魔法ギルドだ。そんな簡単に済ませる事は難しい」


「あの……重ね重ね失礼を承知でお伺い致しますが……貴方様はどのような御方なのでしょうか……?」


「あぁ?俺か?俺はルゥテウス・ランドだ。見た通りの5歳の子供で昨日……もう一昨日の夜か。こいつらの手の者に襲われた被害者だ。

お前の作った術符の被害者でもある。昨日ここに、こいつらと難民全員、そして術符を作ったお前を皆殺しにしようと乗り込んで来たのだが、土下座と泣き落としに遭って現在処分を保留にしている」


ルゥテウスはかなり大雑把な自己紹介をした。赤の民とシニョルは揃って顔を伏せる。


「えっ……あ、あの……しかし貴方様は魔導師様ですよね……?私の知る限り現在この世界に魔導師様は四人しか居ないと聞いております。勿論貴方様のような……その……そのような年齢の方は一人もおらず皆様ご高齢と聞いております。私には貴方様がどのような御方なのか、自分のこの先の運命よりも気になります」


「だから、その辺の事は気にするな。それよりも俺はちょっと王都に行く」


「えっ!?今からですか?」


「そうだ。その……何とかって言う商会の殺害現場を覗いてくる。魔法ギルドがどの辺りまで動いているのか確認しないと、こいつの対応を決められん」


「こっ、これから……王都となると10日は掛かりますが……」


イモールが驚いて声を上げた。


「いや、大丈夫だ。リジ。お前は王都に詳しいな?」


「はっ、はい。まぁ、足掛け11年居ましたから……」


「この時間で人気(ひとけ)が無い場所というのは解るか?」


時計を見ると1時を回っている。既に12月12日に入っていた。


「大聖堂横の公園なら……そこならば確かマイル商会の本店にも近いですし……」


「よし。もう一度右手を出せ。そしてその公園で一番人通りの少ない場所を頭に浮かべろ」


「は……はい」


ルゥテウスは再びソンマの右手に今度は軽く触れると


「よし分かった。あそこか。俺にも記憶がある。あんまり変わって無くて驚いたが」


そう言うと、姿を消した。


「なっ!やはり無詠唱……本当にそんな人がこの世に実在するのか……」


「ソンマ。その『むえいしょう』と言うのは何なのだ?そして先程からちょくちょくお前が口にする『魔導師』とは一体どう言う人なのだ?」


 ルゥテウスが色々と語りたがらなかった魔法の話を本人不在になったこの時とばかりにイモールはソンマに尋ねた。シニョルも興味津々である。


「えっと……それではまず魔導師の話から……」


「うん。魔術師とは違うのだな?」


「違います。根本的に。……いや、同じ魔法を使える人なんですが、魔術師というのは……まぁそういう素質のある人が長い年月、修行を続けて魔法を使えるようになった人の事だと思えばいいと思います」


「例えばお前のような者か?素質を必要とするんだろう?」


「まぁ……私もそう言う一人の中には入りますが、素質の違いで魔術師にはなれず錬金術を修行する事になりましたが……」


「それに対して魔導師様は、生まれつき……と言うわけでは無いのですが、元々持ってる才能によって特に修練を必要とせずに魔法が扱える方々です」


「うーん……つまりは修行が必要かそうでは無いかの違いなのか?」


 自らも暗殺術の修練に時を費やした経験のあるイモールは自分の体験に置き換えて話をしてみた。


「いや……まぁそれだけでは無いのですが……」


「それでは魔術師と魔導師というのは力の差というのは無いのか?」


「いやいやいや。魔術師と魔導師の力の差は歴然です。勿論上なのは魔導師。私の知る限り、今世界で生存していると思われる魔導師は私の居た魔法ギルドのトップ2を含めて四人だけです。それに比べて魔術師は200人くらいは居ると思います」


「何だと……魔術師と言うのは200人も居るのか……?しかし魔導師は四人……ルゥテウス様は魔導師なんだろう?」


「あの方は間違い無く魔導師だと思います。それも……私が知る限り、今話した四人の魔導師で200人の魔術師を圧倒出来る実力差があると思いますが……」


 自分達が今までとてつもなく恐ろしい存在だと思っていた魔術師が200人もこの世界に存在する事を知って驚いたイモールやシニョルだが、その200人を圧倒出来ると言う四人の魔導師の話を聞いて更に衝撃を受けた。


「あのルゥテウス様の力は……多分その四人すら束になっても……」


「えっ……そっ……そうなのですか……?」


今度はシニョルが声を上げた。


「あの方は無詠唱で魔法……魔導ですね……を使っております。私は未だ嘗て魔術でも魔導でも詠唱や魔道具無しでそれを使っている人を見た事がありませんし、想像した事もありません」


「え、えいしょう……と言うのは何なのだ?」


「あぁ、詠唱とは魔術……や魔導を使う時に意識を集中する為に使用者が口ずさむ一種の歌です。『自分がこれから何をやりたいのか、何を出したいのか』を自分なりに言葉に変えて目安みたいなものにするのです。詠唱のような声を出す代わりに杖を振ったり回したりする人も居ますね」


「そうなのか……」


「それで大概の魔術師や……多分魔導師様も、一つの魔法を使って効果を発揮させるまで何秒か……場合によっては何十秒か掛かるのが普通なのです」


「それをルゥテウス様は詠唱等を一切使わない『無詠唱』なので、恐らく『これ』と考えたら即座に効果が発動するのでしょう。

先程から見ている瞬間移動なんかだと、私がまだ魔法ギルドに居た頃に授業で聞いたところでは何十秒も詠唱したり杖などを使ってマナを制御しないといけないらしいです。ルゥテウス様は一瞬で消えてましたが……」


ソンマは半ば呆れ気味に話している。


「そ……そんなに凄い御方なのか……あの方は……あんなに……幼い見た目で……」


「むしろ幼いからこそ私は魔導師だと確信出来ました。触媒を使っている様子も無いですが。あの年齢で魔法が使えるとなると明らかに先天的な才能です」


シニョルも言葉を失っている。


「さっきお前達が話していた「何とかの旬」と言うのは?」


「あぁ……「沈黙の旬」ですね……。魔法ギルドで過去にあった事件に対して、その戒めを忘れぬように代々言い伝えられている訓戒です」


「どう言うものなんだ?」


「はい……これはまぁ……魔法ギルドに術師修練に入った者が必ず最初に覚えさせられますので……昔の話です。今から……もう2000年近い前ですかね……魔法ギルドはその頃から……と言うか建国時からありまして、既に1000年くらい経ってたんです」


「そんなに昔の話か……」


「はい。そしてその1000年の間に色々と堕落してたそうで……。今回の我々のように魔術や錬金術を犯罪に使う者が続出しまして、一種の社会不安に陥ってたらしいのです。この国全体が」


「なるほど……」


「そしてそんな頃に『黒い公爵さま』が現われましてね」


「えっ!?黒い公爵さま?……いや、何でも無い。続けてくれ」


「……?はい。黒い公爵さまはそのような魔法ギルドの頽廃に大層お怒りになったそうで……」


「魔法ギルドの関係者全員の魔法を封じてしまわれたそうなのです」


「あっ!?その話!先程のっ!」


「え?ど、どうかしましたか?」


「いや……いい。その後の話を続けてくれ……すまん」


「は……はい。黒い公爵さまに魔法と言うか、正確には魔法を使う為のマナ制御の力ですね……これを封じられてしまって、この世界から魔術と魔導と錬金術が全て消えたのです。一旬もの間」


「つまり世界中の全ての魔術師や錬金術師が6日も活動出来無くなったって事?何も作れなくなったり?」


「その通りでございます。統領様。当時の魔法ギルドの責任者であった魔導師を始めとして多くの魔法関係者は三日三晩、王都にある公爵屋敷とこの領都の公爵邸の門前で地面に手を付いて許しを乞うたそうです」


「そ……そんな事が……『黒い公爵さま』と言うのはやはり……ヴァルフェリウス公爵様の事なのか?」


「そうです。黒い公爵さまと言うのは、この王国が誕生する前からの歴史で『ごくたまに』現われる凄い力を持った方々で、その一族の方が建国の時に大功を挙げられて、そのままヴァルフェリウス公爵として世襲になられたのです。

なのでその凄い力を持った方が建国後は『黒い公爵さま』として時々お生まれになって世の中の腐敗や堕落を正すのだそうです。まぁ……私はあまり信じてませんが」


ソンマは笑った。シニョルやイモール、ラロカは逆に難しい顔をして押し黙った。


「とにかく、その6日間。つまり一旬の間、世界の魔法関係者が全員沈黙してしまったので、それに因んで『沈黙の旬』と呼んで、魔法世界の堕落を戒める話になったのです……皆さん……どうしたのですか?」


 ソンマは語り終えて、三人の表情、職員の表情まで強張っている事に気付き不審を覚えた。皆一様に驚きでは無く恐怖で固まっているように見える。


「どうされたのですか?今の話で何か?」


「ソンマ……ルゥテウス様はな。今のヴァルフェリウス公爵様の御子息だ」


「えっ……。い、今……何て……」


「私達は……ある依頼を受けてな……公爵様の御子息であらせられるルゥテウス様の命を狙ったのだ。一昨日の夜な。その仕事にお前から譲って貰った術符を使ったのだよ……」


「なっ……あの方が……ヴァルフェリウス公爵様の御子息……」


これまでルゥテウスに対して恐怖よりも憧憬や畏敬の方が勝っていたソンマは、ガタガタと震え出した。


「でっ、でっ、では……では、あの方は……黒い……い、いや違う。違いますよ!」


ソンマは声を上げて否定した。


「そうじゃないのです。『黒い公爵さま』はなぜそう呼ばれているのかご存知ですか?」


「い、いや……知らん。いつも黒い服装とか?」


「違います。黒い公爵さま……いや、あの一族の方で時折現われる凄い力を持った方は、髪や瞳が真っ黒なのです。真っ黒。真の闇のような黒い髪と瞳を持っていらっしゃると伝わっております。

だから一目見てすぐに分かると。一度見たら絶対に忘れない黒さなのだそうです。そして髪は年を重ねても白髪などにはならず、ずっとそのままなのだとか」


ソンマは元々、黒い公爵さまに纏わる話は先程来の「沈黙の旬」に因んだ話でしか本で読んでいない。なのでその実在すら疑っていたくらいで、実際に「沈黙の旬」の話にしたって、エスター大陸における悪童を戒める「赤の民の脅し話」のようなものの程度にしか思っていなかった。


「そ、そうなのか……?髪も瞳も真っ黒じゃなければ黒い公爵さまでは無いと?」


「はい。今の話もそうですし、何しろ家祖がやはり《黒き福音》と呼ばれて髪も瞳も真っ黒であったと伝わるヴェサリオ様です。

なのでヴァルフェリウス公爵家と言うのは魔法世界では非常に注目を浴びる家でございまして、黒い公爵さま以外の特徴を持った、あれ程の力の方が出現したら必ず記録に残されるはずです。

なのであの方は恐らく『たまたま』天才として生まれた方なのでしょう。しかしあの家も今は大変ですよね」


「な、何がだ?」


「正妻が子供を二人も産んでいるじゃないですか。あれは偽物ですしね。ルゥテウス様も公爵様の御子息だと言うなら、恐らく彼が本物でしょう。あの家には本来子供が一人しか生まれるはずがありませんし。将来色々波乱がありそうですが、そうですか。ルゥテウス様がいらっしゃるなら安泰ですね」


 ソンマが軽い口調で話したこの内容に他の一同は言葉を失った。やはり魔法ギルド関係者にはヴァルフェリウス公爵家の子息へ疑念が持たれているのかと。特にシニョルは動揺が激しく、斜向かいに座るソンマから目を逸らした。


イモールもラロカもエルダ……つまり「御館様」の事はシニョルが口を開くまで黙っていようと思った。後ろの職員二人も無駄口は一切叩かない。


 一同が何と無く沈黙に入ったところで、突然ルゥテウスが戻ってきた。相変わらず元の椅子にそのまま腰掛けるようにだ。


「お……お帰りなさいませ」


最早この光景に慣れつつあるイモールは声を掛けた。


「うむ……。やはり魔法ギルドは動いていたな」


「え!?」


イモールは声を上げた。覚悟が出来ているソンマは落ち着いてそれを聞いている。


「うむ。とりあえず現場に行ってみたら魔術師が一人コソコソと動いていてな。まぁ、商会にバレると自分達も具合が悪いので夜中に極秘裏で調査しているつもりだったのだろう。あれじゃ盗人と変わらんな」


「な……何と……」


「ひとまずそいつを捕まえて尋問してみた」


 ルゥテウスはいきなりとんでも無い事を口にした。これにはソンマも含めて一同驚きの声を上げる。


「そっ!そんな事をして大丈夫なんですか?」


「仕方ねぇだろ。既に調べに入られているんだ。どうせなら、どこまで調べが進んでいるのか知っておいた方がこっちだって先手を打てるだろうが」


当たり前だろうとでも言うような顔をしながら戦術的な語り口で話しているが、一同はその大胆過ぎるやり方に今度は声も出ない。


「ローワンとか言う魔術師だった。とりあえず奴の張っていた結界に俺の結界を被せて捕え、催眠状態にして尋問をしたから終わった後は記憶に残って無いだろう。安心しろ。俺だって無茶はしないさ」


「ろ、ローワン・チャイ師は法務部門の現場組ナンバー2で上級魔術師です……そんな方を捕まえて尋問とは……だ、大丈夫なのでしょうか……」


「心配するな。もうここまで来れば細かい事でガタガタ怯えてる場合じゃねぇんだよ。追跡は始まってるんだ。とりあえず消せるだけ現場に残ったお前の術符の気配は消しておいた。

しかし、ローワンと言う奴から聞いた話では既に初期捜査は終わって今はマナの分析に入っているようだな。ローワンは実行犯について探っていたようだ。しかし俺が痕跡を消したから赤の民についてはバレずに済むだろう」


「そ……そうなのですか……あっ、ありがとうございます……」


シニョルはまたしてもルゥテウスの嫌いな手を合わせて拝む姿勢を取った。


「いや、だからそれは止めろって。俺は神と言う存在が大嫌いなんだ」


「すっ……すみません」


シニョルはまた慌てて手を下ろした。


「しかし、これでまだお前への特定が行われていない可能性が高い事が解った」


ルゥテウスは矢継ぎ早に


「よって、これからここで追跡防御付与をお前に施して奴等の追跡を潰す事にする」


「なっ!そんな事が……!?」


 ソンマが驚きの声を上げた。彼は先程から、法務の凄腕魔術師であるローワンが捜査に加わっている事を知って、観念しかけていたのである。


「お前に直接施すと逆に俺の力の影響でお前が錬金術を使えなくなる恐れがある。なので何かお前の身に着けている物を出せ。それに付与する」


「えっ!?今ここでですか?」


「当たり前だろう。時間が無いんだ。何でもいいから出せ。それと親方、済まんが今朝みたいに紙切れを一枚くれ」


「はっ!はい!」


ラロカはいきなりルゥテウスから要求を受けて弾けるように立ち上がり慌てて懐から注文に使うメモ帳を取り出して白紙のページを一枚破り取った。


「こ、こちらを……」


「うん。ありがとう。リジ。早くしろ」


「すっ……すみません。これで……大丈夫でしょうか」


ソンマは首から下げていた飾り紐を襟ぐりから引っ張り出して外し、ルゥテウスに渡した。


「よし。みんな少し後ろに下がれ」


ルゥテウスは机の上にソンマの飾り紐を広げて置き、座っていた丸椅子の上に立ってそれを見下ろしながら、紙片を顔の前に上げて目を閉じた。すると紙片に朝方ラロカが見たように文様が浮かび上がった。


「なっ……あれは魔導符……!そんな……魔導符が造れる……実在するなどと……」


 ソンマはここに連れて来られて以来、錬金術師としての自分の想像を遥かに凌駕する出来事が連続しているので、感覚がおかしくなっている。

これまで魔術の道に入って十数年間、「そんなものあるわけが無い」と実在を疑っていた物が次々と飛び出すのだ。


 一方、ルゥテウスは紙片で造り上げた「追跡防御の魔導符」を机の飾り紐の上で右手の中に押し込んで丸めて念じた。魔導符を作成した本人が使用するのである。


通常ならば作成者と使用者の投射力の差によって本来の効果よりも三割減程になるのだが、そもそも本来有り得無い「投射力が桁違いの」魔導師本人が使用する事で効果が重ねられて乗算される。


つまりルゥテウスは自身が魔導師として魔法防御を魔導符に対して投射し、更にその魔導符を飾り紐を対象に使用したのだ。


重ねられた強力な魔導に照射されて一周り長さ90センチ程の何の変哲も無い灰色の飾り紐は眩いばかりに虹色に輝き、やがて目の醒めるような真っ青な飾り紐に変貌した。この「青くなる」というのはルゥテウスの魔導特有の現象で、彼の魔法陣の多くや付与品も青くなる傾向が強い。


「よし。これでいいだろう」


ルゥテウスは机の上の紐を摘みあげてソンマに投げ渡した。ソンマは慌ててそれを受け取り紐を手に取ってまじまじと見た。


「早く首に掛けろ。しばらく外すんじゃねぇぞ」


「あ……ありがとうございます……こ、この恩は……」


 ソンマは紐を首に掛けながら急に涙を流し始めた。逮捕と処刑を覚悟していたところにそれを免れる事が解り急に緊張が解けたのだろう。ルゥテウスに深々と頭を下げながら大粒の涙をポロポロと流している。


ソンマの様子を見たイモールも顔をクシャクシャにして泣きながら頭を下げる。


「る、ルゥテウス様……何と……何と御礼を申し上げればいいのか……我々は……貴方の命を狙った愚か者なのに……貴方はそれを……お救いになる……」


そのまま椅子に座り込み泣き崩れる。彼も自身を苛んでいたソンマに対する悔悟の気持ちとそれが許されたという現実で感情の制御が利かなくなったのだろう。


「ルゥテウス様、私からも御礼を申し上げます。ソンマ殿を……我らが同胞をお救い下さり誠に……」


 シニョルも頭を下げながら涙を流す。今宵は彼女の人生にとって30年来続いてきた重荷を下ろす事が出来た特別な夜になりそうだ。


 他の三人も揃って何度目かの感謝の礼を述べる。いみじくも先程ラロカが言った「我らの再生の日」になるかもしれないと言う言葉そのものが現実になりつつある。彼らはルゥテウスにとてつもなく巨大な「借り」が出来たのだ。


「やめろやめろ!俺はそういうのは嫌いなんだよ!全くお前らはいちいち面倒臭いな。もう土下座とかやめてくれよ?」


「とにかく座れ。まだ話があるんだろ?ひとまずこの錬金術師の件は終わりだ」


(俺は本当に甘いな。いや……もうなんかこいつらに制裁を加えても何も嬉しく無いし、面倒臭ぇんだよな……)


ルゥテウスは自分の頭の中で自分に対して照れ隠しをしながら苦笑した。


「で、難民……お前らの同胞の件な。これをどうするかだが……」


ルゥテウスは一同が再び椅子に座ったのを見て話し始めた。


「まず、暗殺はやめる。これは絶対条件だ」


「はい。承りました」


赤の民を代表してイモールが応える。


「次に、シニョル」


「はい」


「エルダの事は諦めろ。俺も奴を今すぐどうこうするつもりは無い。奴には未来が無いからだ。自業自得だしな。バカはバカとして見送ってやれ」


「は……はい」


「いいか?お前がエルダに殉じる事は無いぞ?30年も大人しく付き合ってやったんだ。もう義理は果たしているだろう?」


「は……はい。それはそうなのですが……」


ルゥテウスは若干イラついて


「じゃあお前。30年前の時点でだ。お前が奴に諫言をして奴が行状を改めたと思うか?いや、赤の民を作ろうと思い立った25年前の時点でもいい。

あの女は公爵との婚姻後も過ちを重ねて他人の種でガキを二人も産んだんだろ?その時点でお前が諫めて何とかなったか?無理だろう?」


「そっ、それは……そうですね……」


「いいか?俺はお前の心情は分からんが、奴がこれまでにやってきた事は知っている。その行動には知性が全く感じられない。お前ら難民は奴を『御館様』などと言って崇めているが、それは奴の手柄じゃない。全部お前の行った行動の結果だ。確かに奴は金を出したのだろう。

しかしそれで難民を助けようなどとは考えてなかったと思うぞ?お前の進言に汚い打算を重ねたから金を出したんだ。お前はさっき告白したな。自分はノルト家に幸運にも雇われて救われたと。

しかしな、俺はお前の才覚があればノルト家に入らなくてもいずれ浮かび上がれたと思うし、やはり同胞を助けようとしたと思うぞ?」


「お前の今までやってきた事全てを肯定するとは言わんが、お前は確かに同胞を救ったのだ。同胞を救うという崇高な志があったんだ。それくらいは自分でも誇っていいんじゃないか?あんなババァに手柄をやる必要は無いぞ」


またしても5歳児とは思えない説教臭い話を聞いて、シニョルは俯いた。


「今すぐにとは言わん。徐々に距離を取れ。奴の破滅に巻き込まれないようにな」


「は……はい……」


「あ……あの……」


ここでソンマが口を挟んできた。


「何だ」


「あの……先程からお話をお伺いしていますが『御館様』とは我ら同胞の救い神である御館様の事でしょうか?」


「そうだ。お前らの御館様だ。正体は下半身のだらしない老女だがな。今の公爵夫人のエルダだ」


「なっ……こ、公爵夫人……あの嫡出を偽っている……そんな……」


ソンマは言葉を失っている。


「何だ……そうか。お前はさっきの話を聞いて無かったのか。御館ってのが公爵夫人のエルダで、このシニョルという統領はそのエルダの女執事だ。まぁ、もうこのシニョルの事はどうでもいい」


「暗殺組織の解散と御館こと、エルダ・ノルト=ヴァルフェリウスとの縁切り。これがまず俺がお前らにここから協力する為の絶対条件だ。エルダとあの馬鹿な夫は俺の母の一族の業敵だ」


「わ……分かりました。エルダ様の事につきましては……私も諦めます」


シニョルは自分に言い聞かせるように、それでいて決心するかのように最後は強い口調で言った。


「よし。それでは話を続ける。リジよ。お前はどうするんだ?」


「はっ、はい?」


「お前は錬金術師として『脛に疵ある者』になってしまった。今後はこの連中に力を貸して同胞の自立を目指したらどうだ?」


ソンマは少し考え込んでから


「はい。承知致しました。及ばずながら協力させて頂きます」


イモールはそんなソンマの言葉を聞いて


「ソンマすまん……俺は……お前の将来を奪ってしまった……」


「いえいえ。そう仰らないで下さい。私もルゥテウスにお助け頂いた身です。それに今回の件がルゥテウス様と知己になるきっかけとなったのです。一人の錬金術師としてこれ程嬉しい事はありませんよ」


ソンマは笑顔で言った。


「まぁ、俺と知己になってもロクな事になりそうに無いがな。話を続けるぞ。まず赤の民はその看板を下ろすが、諜報術は保持しろ。

殺しじゃ無ければ諜報は金になる。むしろ今まで暗殺をやってた奴も、これを機に諜報術を修行し直すようにしろ」


「えっ……諜報は宜しいのですか?」


「そうだ。諜報術と言うのは社会にとっても国にとっても、言い方は悪いかもしれんが必要悪なんだ。

むしろどんどん規模を広げてこの国の情報社会を乗っ取るくらいの気持ちで行け。ひとまず暫くはこの諜報とソンマを中心とした錬金術で資金を稼ぐ」


「な……なるほど」


「シニョルの為にも、早いうちにエルダからの経済的独立を果たせ。問題はエルダだが、『ルゥテウスは消した』と言う情報を流しておけば、恐らく暫くは奴の殺人癖も収まるだろう。

シニョルはエルダを注意深く監視して、奴の周辺の情報を操作しろ。その為には支部長も協力してやれ」


「は、はい」


「そして……ここからが問題なんだが」


ルゥテウスは少し考え込む様子を見せて


「お前ら難民の最終的な目標はな……『祖国への帰還』だ」


「えっ!?」


ルゥテウスの言葉に一同は驚きの声を上げた。


「そんな……あの大陸は……今でも毎日のように争いが……」


「いやいや。そんな争ってる所に帰ってどうするよ。俺が言いたいのは、さっきも話したが『三万人』という組織力をもっと生かせって事だ」


一同はまだ不審な表情を浮かべている。


「いいか?お前らには三万人の同胞が居る。これはつまりお前ら『難民』という『民族』が三万人居るって事だ。これを将来の核として故郷に『国』を創るんだよ」


「えぇっ!く、国ですか?」


シニョルが驚きの声を上げる。


「まずはエルダからの経済的独立だ。これが優先目標だが、経済的にエルダの世話にならなくなったとしても、今度は今の『キャンプ』にいつまでも居られるとは限らん。

そもそもが今後の状況を考えると、どう頑張ってもタイムリミットはエルダの『約束された没落の日』だ。お前ら、もうあそこには住めなくなるんだぞ?」


「ならばどこか新天地を探す必要があるが、三万人もの『身分外』の連中がまとまって住めるような場所なんてそもそもこの国の中には存在しないんだよ。今はエルダから見て利用価値があるから、お前らはあそこに住めているんだ」


確かに考えてみればそうだ。シニョルがエルダに秘密保持のメリットを説いて領都の東の外れという立地にキャンプを設置する前は、難民は国内各地の都市部に分散して寄生のような形で最底辺の生活を強いられてきたのだ。最早あの頃のような状況には戻れないのだ。

今は安定して暮らせているが、結局彼らの「社会的身分」は全く変化していないのである。


「俺は……お前らは将来、自分達の故郷に帰るべきだと思う。戦乱のエスター大陸へな。しかしそれは戦乱の地に突っ込んで行くのでは無く、戦乱の大陸にお前らが今度は「文明国家」を築けばいいんだよ。どこか大陸の片隅でもいい。とりあえず上陸して村でも町でも作れそうなところに『国』を作ってしまえ。

どうせあの大陸には100を超える木っ端な国が今でも争いを続けてるんだろ?そこに新しい国が一個くらい出来たところで別に変らんよ」


「そしてお前らは引き続き『国の産業』として諜報と錬金術由来で製薬でもして経済を育てながら、大陸各地の『難民』を今度は海を渡らせずに自分の国に集めるんだ」


この考え方は彼らにとって盲点だった。戦乱の大陸において戦禍を嫌ってアデン海に小船で漕ぎ出そうとする者は数限り無く居る。そのうちの大半は波に飲まれたり、海棲の魔物の餌食になったりして海の藻屑となり、幸運にもそれを乗り越えられた者に待つ運命も塗炭の苦しみである。


それならば、その漕ぎ出そうとしている連中に、漕ぎ出さ無くても平和に暮らせる場所を作って受け入れてやれば良い。


「難民を受け入れる事でお前らの『国』は恐らく爆発的に大きくなる。後はそれを支える食糧生産とさっきの二つとは別に何らかの経済的手段……まぁ具体的には特産物でも作っていっそレインズ王国との貿易とかな。国を挙げて一丸となれば争いばかり続けて無駄飯食ってる周りの国に負ける事は無いだろう」


ルゥテウスの示す難民の未来像はシニョルがこれまで考えていたものとは全く違う一線を画したものであった。


「こ……故郷に帰る……私達が……故郷に……帰れるのですか……そんな日が……来るのですか……」


 シニョルはルゥテウスの話を聞いて、涙をポロポロ流している。

3000年間虐げられてきた自分達。祖父は命がけで海を渡って王国に辿り着き、最期は流行り病で治療も受けられずに死んだ。父は犯してもいない窃盗の疑いを持たれて私刑を受けた傷が元で亡くなった。残された母と幼い弟を抱え、醜い顔で体を売ってみたが売れ残り、弟は飢餓の中で命を落とした。母はその弟の死で気が狂い川に身を投げた。


シニョルはもしあの時にノルト家に拾われていなければ家族と同じ運命を辿っていたのだ。そのノルト家の「お嬢様」からは山よりも高く海よりも深い恩を受けたが、結局彼女は周囲に害毒を流すだけの人間であった。

彼女との決別を果たし、30年も背負った重荷を下ろして回生するには今この機会、このルゥテウスという人物の示す道に従う外あるまい。


「統領様、やりましょう。我ら一同、統領様さえそれを望むのであれば揃って従います」


イモールが言った。


「わ、私も……統領様にずっとついていきます」


今までずっと黙っていた女性職員が口を開いた。


「私もお伴いたしますぞ」


ラロカも続いた。


「私もです」


男性職員も口を開く。


「統領様。我々は貴方に受けたご恩。貴方に頂いた命を決して忘れません。私も力を尽くさせて頂きます」


最期にソンマが忠誠を誓う。ここに彼女の「王国」が誕生した。ルゥテウスは結局面倒臭いと思いながらも三万人の人々のそれぞれの人生を導く事になってしまった。


「よし。そんじゃ俺も明日からキャンプに住むかな」


気軽な口調でルゥテウスは話した。その言葉にシニョルを始めとして他の一同も驚く。


「る、ルゥテウス様が……キャンプにお住まいに……?我らと共に居て下さるのですか?」


「まぁ、俺もダイレムを出てきて、いずれどこかに「ねぐら」を造ろうと思っていたからな。それにやりたい事もあるし、そもそも三万人の中に紛れ住めると言うのがいい。

何しろ俺はまだ5歳だからな。ガキが親も連れずに街中をチョロチョロしてたら怪しまれるだろ?」


「まっ……まぁそうですが……」


「それでは、私も工房をキャンプの中に移します。今のところはギルドの連中に踏み込まれる危険もありますし」


「そうだな。それが無難だろう。お前は錬金術をやりながら自分自身で人材を育てろ。素質がありそうな奴には可能な限り機会をお前自身が与えるんだ。そして将来に備えて魔法ギルドに依存しない人材を少しでも増やしておけ」


「な……なるほど。それはいい考えですね」


「俺は元々、実家が薬屋でな。死んだ祖父が遺した莫大な製薬研究がある。それを進めて、将来お前らの特産物になるような物を考えてみる」


「しかし俺にもちょっと将来個人的に考えている計画があるんでな。お前らの帰郷までは付き合ってられないかもしれんが、可能な限り協力してやろう」


「あ……ありがとうございます」


シニョルが礼を述べた。


「その代わり一つだけ条件がある。俺の存在はどこにも漏らすな。俺の存在がバレるとちょっと色々面倒臭くなる。そこだけはここで約束してくれ」


ルゥテウスが目を据えて真剣な表情で言った。

一同はその迫力に圧倒されて


「わっ、分かりました。誓います。我々は今日、何も見ず、誰に遭う事も無く、そして赤の民を解散します」


イモールが緊張の面持ちで誓いの言葉を述べた。


「私は早速、現在出払っている者も含めて残った構成員を集め、《赤の民》の解散と諜報組織としての再出発を申し伝えるようにします」


「もしかしたら、暗殺稼業を廃業する事に異を唱えたり、従わない奴が出るかもしれん。そうしたら俺に言え。脳味噌を操作してやる」


ルゥテウスが恐ろしい事を軽く言い放つと


「わ、分かりました……」


とイモールが少し怯え気味に応じた。


「よし。それでは一旦解散だ。俺はシニョルを屋敷に送ってから適当にキャンプに潜り込む……そうだ。シニョルとイモールは何か身に愛着のあるような物を出せ。俺がそれに連絡が取れるような付与をしてやる」


「えっ……?は、はい」


シニョルは自分の身に着けている物で何か渡せそうな物を考え、いつも左腕に巻いている革製の質素な腕輪を外して渡した。


「なんだ。ちょっとこれは脆いかもしれんな……少し作り変えてもいいか?それとも何か?家族の形見とか、大切な物なら止めるが」


「い、いえ。そんな物ではありません。日常の仕事で腕を捲った時に袖を留める為に巻いている物ですから……」


 シニョルは執事となった今でも自分自身の雑用は自分で行う。掃除も自分で行い、その際には袖を捲る機会もあるので、それを留める為の革製の質素な腕輪をいつも身に着けている。彼女の身なりは総じて地味で質素な物で、公爵夫人が住む奥館の使用人の中でも最高位に位置している割に私的な浪費は一切しない。


「支部長は何を出すんだ?」


「それでは私は……これを……」


 イモールはポケットから銀製の懐中時計を出した。自分の役目柄、時間を常に把握する為に持ち歩いている物で、懐中時計そのものは精密機器で高価な物だが、装飾は一切入っていない。実用一辺倒の物である。


「ほぅ。なかなか洒落た物を持っているな。よしそこに置け」


「親方、済まんがいつもの紙を……お前も何か出すか?」


「もし宜しければ……こんな物でも大丈夫でしょうか」


 ラロカはルゥテウスに渡す紙片をメモ帳から破り、それと一緒に真鍮製のペンを渡した。


「よし。それでは離れろ」


またしても魔導符を使っての付与である。


(このような現場を二度も観れるとは……)


ソンマは錬金術師として伝説にも等しい高等施術の場に立ち会える幸運を喜んだ。


 ルゥテウスは先程と同様に机の上に対象の品を今度は三つ並べ、紙片を顔の前に掲げて目を閉じた。紙片に念話の魔導を込める。紙片に文様が浮かび、それを右手の中で丸めて更に念じる。

やがて机の上にある三つの品が今度は金色に輝き始めた。先程のソンマの飾り紐の時と比べて更に眩く光る机の上の品を見て一同は息を飲む。やがて光が収束していき……


「よし。いいだろう」


「や……やはり最初から最後まで無詠唱なのですね……」


「まぁ、そこの所は俺には何とも言えんな。俺からすると色々ブツブツ言ったり、棒や帯を振り回す方が理解出来んからな」


ルゥテウスは笑って、机の上の品物をそれぞれの持ち主に渡した。


 シニョルの革の腕輪は最早素材が革では無く磁器のようになっていた。それも青光りしている磁器である。装飾が一切施されていない実用一辺倒な物だが、この見た目だけでとてつもない価値のある工芸品にも見える。


「こ、これは……どうして……」


シニョルは困惑したが、他の二人に渡された物もやはり青い光を放つようになっており、これはどうやら「そう言うものだ」と思うしかない。


「使い方は……俺と連絡が取りたい時はその品物に手を添えたり握り込んだりして念じればいい。話す時に声を出す必要は無い」


「え……それは……どう言う?」


イモールはルゥテウスの説明が理解出来ず思わず声に出してしまったが、その直後に


『こんな感じだ。解るか?』


とルゥテウスに直接頭の中に話し掛けられ悲鳴を上げた。


他の二人も順に話し掛けられたらしく、やはり小さく悲鳴を上げていた。


「まぁ、慣れれば普通に話が出来るようになる。一応世界中どこに居ても声は届くと思う。俺は恐らくだが時々ちょっと遠出をするからな」


「し、承知致しました……」


イモールが応じたのを聞いて


「ではシニョル。さっきの部屋まで送るから俺に掴まれ」


「えっ……あっ……はい……」


 シニョルは年甲斐も無く顔を赤らめ、おずおずとルゥテウスの首に掴まった。ルゥテウスはそのままシニョルを抱き上げ、その場から消えた。


後には茫然とする一同が残された。


彼が去ったと同時に偽装酒場に張られた結界は解除されていた。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド

主人公。5歳。史上10人目の完全なる賢者の血脈の発現者。色々面倒臭がるわりに色々なものに興味を抱く幼児。


シニョル・トーン

公爵夫人の女執事。ノルト伯爵家からエルダの婚姻に同行して以来の腹心。戦時難民第三世代。同胞を救うために組織化を図る。難民出身者からは「統領」と呼ばれ崇拝されている。


イモール・セデス

暗殺組織《赤の民領都支部》を束ねる支部長。エスター大陸出身の戦時難民第一世代。穏やかで理知的な性格。シニョルを崇拝している。


ラロカ

暗殺組織《赤の民領都支部》の支部建物を管理する男。かつて支部創設時に本場で習得した暗殺技術を持ち帰ったことから「親方」と呼ばれている。


ソンマ・リジ

領都オーデルにて錬金術師として個人工房を営む。《赤の民》に《術式封入品》を非合法に融通している。戦時難民出身。

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