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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第一章 賢者の血脈
19/129

難民

【作中の表記につきまして】


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。また、特に言及の無い限り文中の時刻は24時間表記です。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくおねがいします。


 ルゥテウスは領都オーデルの中心にあるヴァルフェリウス公爵家の屋敷上空に来ていた。彼は封印が解けて覚醒した後、領都を訪れてから既に半日以上経過していたが、この公爵家屋敷には近寄らなかった。


なぜなら、この屋敷には高確率でこの世におけるもう一人の血脈保有者である彼の父、ジヨーム・ヴァルフェリウス公爵本人が在宅しているので、「血脈の感知」によって自分の存在を察知されたくなかったからである。


 「血脈継承者」という立場からルゥテウスは「血脈保有者」としての父への評価を著しく低く見ており、恐らくは余程の至近距離まで近寄らない限りは感知にかからないとは思っている。

何しろ、「血脈保持者は子を一人しか成せない」と言う33000前からの不文律を理解せずに他人の子を二人も抱えて、そのうちの一人を後継者に据えてしまっている。

つまり、ルゥテウスの気が変わらない限りはこのヴァルフェリウス公爵家は建国以来の賢者の血脈を失う事が確定しているのだ。


 彼と彼の正妻、そしてこの公爵家が没落する事に関してルゥテウスは全く痛痒を覚えない。何しろこの家は彼の母とそれに連なる一族を散々に苛み、無念の死に追いやっているからだ。

むしろ率先してその坂道傾斜を上げてやりたいが、厄介な事にこの家は格式だけは高く、そしてその家名を由来とする政治力、政治影響力が非常に高い。一個人の怨恨で当主周辺を根こそぎ刈り取ってしまうと、このレインズ王国全体に余計な混乱の種を蒔いてしまう。

自分はその当事者にはなりたくないと言う思いと私怨を天秤で計ると……とつい考えてしまう。結局彼は「面倒臭い」のだ。


 上空から見下ろす公爵家屋敷は、彼の持つ血脈発現者としての記憶とは相当に違うところがあり、やはり彼の前発現者であるレアンの時代から700年が経過する間に改築がされているようだ。


(これは……思っていたよりもでかいな……)


と言うのがルゥテウスが抱いた印象で、領都に到着した際に未明の暗闇で遠景を見た時点で思っていたが、上空まで来て11日の明るい月明りで見る700年ぶりの公爵屋敷は、彼の記憶に残るかつてのものよりも十割増しに巨大化していた。


 レアンの頃の屋敷は地上三階建てが一棟と、使用人用の長屋が一棟、それに厩舎兼車庫があっただけであったが、現在の公爵屋敷は正面に地上三階建ての以前より二割程度大きくなった建物と並行して奥側に二階建てのやや規模の小さい建物が正面から見て前後並列に建てられており、その二棟を二階建ての渡り廊下のような建築物で連結していた。

更にその躯体とは別に正面から見て左奥に二階建ての建築物、右側に厩舎と車庫だろうか。合計で四棟になっている。


(700年で随分と偉くなったんだな……)


 ルゥテウスは皮肉を込めて苦笑した。特に門から正面の建物との間にある前庭にはど真ん中に噴水まで設置されており、馬車で乗り付ける際にはわざわざそれを迂回しなければならない。

歴代の「黒い公爵さま」としての記憶は受け継いでいるが、覚醒してからの二ヵ月余りを狭い建物が身を寄せ合うようにして立ち並んでいた田舎の下町で育った彼にとって、あまりにも無駄で非効率な造りに見えた。


そもそも彼の記憶の中にある領都オーデルは今程大きくなく、人口もせいぜい30万人前後であったはずだ。ヴァルフェリウス公爵領は北サラドス大陸の「北の辺境」だったのである。

王都レイドスから見れば田舎町も同然で訪れる客も少なく、あまり大きな屋敷を必要としなかったのだ。


 700年と言えば建国以来の年月の四分の一にも満たず、更にその間に発現者も輩出していないのであれば、世襲公爵家と言えども国内でそれ程大きな功績を立てたわけでも無かろうにとルゥテウスは考えたが、実は約450年前に王国政府の主導の下に公爵領も北東地域を二割程度放棄しており、王国庇護から外れる事を嫌った住民が大挙して領都圏に移住してきたという歴史を彼は知らなかった。彼にとって解っているのは


「これだけの巨大な建物群から、一人の女性の居室を可及的速やかに探し出す」


という当初の目論見を外れて厄介で面倒臭くなってしまった目的である。

手掛かりは「エルダ夫人の側近で女執事」という事と「どうやらイモール・セデスと同年代くらいの女性」という事だけである。

ルゥテウスが脳を直接探って情報を得た赤の民の襲撃者であった1番からはシニョル・トーンの顔は分からなかった。恐らくは尊称としての通名だけは知られていて、実際に彼女の姿を見れる程に接点のあった難民はほんの一握りだったのだろう。


(執事という事であれば使用人宿舎の長を兼ねている可能性が高いな)


 彼は改めて上空から公爵家屋敷の全景を眺めた。正面の建物の左奥に建つ二階建ての建築物が怪しそうだ。

ルゥテウスは魔導で姿を消して、その建物に近付いた。時刻としてはまだ22時前なので当直以外の使用人もまだ働いている可能性がある。

ここで無理に結界を張りながら移動すると移動中に空間を押し出してしまうので、普通の人間にも違和感を与えかねない。

公爵家屋敷ともなれば、いくら当主がボンクラでも警備はそれなりに充実しているだろうと踏んで、ルゥテウスは慎重に行動する事にした。


 通常……と言うか、ルゥテウスの記憶にあった歴代の公爵屋敷は700年前の時点で6回改築されていたが、使用人宿舎の位置は概ね同じような場所……つまりは正面の本館の左奥に建てられていたのでこの二階建ての建物がそれであろうと踏んだのだが、自分の記憶に残っている使用人宿舎は全て一階平屋建てであった。


敷地面積も若干広くなっており、つまるところ700年前までと比べて屋敷で勤める使用人の数が倍増したのだろうかと思ったが、中に入って隠密に努めながら各部屋の様子を窺ってみると空室になっている所が多い。


正確には分からないが、当直の人数を全体の一割程度と見ても空室が目立つ。ルゥテウスは思い切って空室と思われる部屋に侵入してみた。鍵に手をかざして開錠し、扉を開けてみると、やはり家具や調度品も無い空っぽの部屋だ。

他にもいくつかの空室を見回ってみたが、やはり同様に全く使われていない状態の部屋が多かった。


(おいおい……ちょっと無駄が多過ぎじゃねぇか?)


と少し腹が立ったが、今回の目的とは関係の無い事なので気を取り直して女執事捜索を続行する事になった。一々扉を開けて確認するのも面倒なので空室の一つを拠点にして意識を集中し、建物内の温度を探る事で探索の的を絞ってみる事にした。


 幸いにして、今は12月であり22時という夜間では外気温は元より、室温もそれ程高く無く、容易に人物を感じ分ける事が出来る。これによってルゥテウスは先程「無駄だ」と思って切り捨てていたこの使用人宿舎への評価を改める事になった。


どうやらこの一階は家族世帯向けの部屋になっているようで、恐らく使用人同士の子供だと思われる小さな反応も一階に集中している。一階を家族持ちの部屋として独身者を二階に住まわせているのだろう。


700年前に比べて福利厚生が却って充実している事にルゥテウスは感心してしまった。しかしいくら感心してもシニョルは発見出来無い。恐らく彼女は独身だろうとルゥテウスは予想していた。


何しろイモールの話では彼女はエルダに婚姻前の実家時代から仕えていると聞いた。女性として執事にまで上り詰めている彼女に配偶者が居るという事は想像しにくかった。


だとすると彼女は二階に居住している可能性が高いのだが、ルゥテウスの探索によると二階は独身用の二人部屋になっており、執事という使用人の中でもかなり高位の職に就く者が二人部屋で生活しているというのも考えにくい。


 そもそも、シニョル程の年齢の女性が未婚で貴族家に仕えると言うのは非常に珍しい事である。貴族屋敷に仕える女性の大半は独身の若い女性で、雑務や当主の家族の身の回りの世話をする。


そして結婚適齢期ともなると同じ屋敷内で働く同年代の男性使用人と世帯を持って継続的に屋敷に留まって勤務を続けるか、屋敷を出て相手を探す。この際に効いてくるのが「公爵屋敷での勤務経験」である。貴族屋敷での勤務経験があるならば、一定以上の教養と礼儀作法の修得は必須であるから、社会的地位が比較的高い相手を探す事が可能となる。


平民の次女以下、場合によっては長女も含めて「ご領主様の御屋敷勤め」は自分の将来にとっても憧れの人気職業なのだ。


 また男性は逆に終身雇用を前提に、主に縁故によって勤め始める事が多く、屋敷内の男女比率でも少ない方に属する為に結婚相手は概ね屋敷内の同僚と結ばれる事が多い。

そして先程ルゥテウスが発見した「家族世帯向け」の使用人宿舎で生活するか、屋敷の近辺に部屋を借りて通勤するという形態になる。


ルゥテウスが福利厚生施設の充実に感心したのは、恐らくは家族世帯向けの部屋を多く確保する事によって外部通勤者を少なくし、彼らの負担を軽減する事に資すると解釈したからだ。


 話を戻すとシニョルのような未婚のまま老境とも言える年齢まで仕えると言うのは、女性主人と極めて近い位置で、その生涯を捧げているという可能性が高く、現に彼女は「女執事」という、恐らくは公爵夫人隷下の使用人の中でも最高位に居るのでは無いだろうか。

そのような地位の女性が他の使用人と同様に使用人宿舎で生活しているという事はちょっと想像しにくくなってきた。


 しかし、そもそもルゥテウスの持つ知識では「執事は一家に一人で世襲」というのが当たり前であり「公爵夫人の女執事」という役職は「当主を喪った未亡人に仕える女性」という考え方が一般的なので、なぜ公爵が健在なのに「女執事」が存在しているのか理解に苦しむ事ではあった。


 使用人宿舎の内部構造を把握した事でルゥテウスは、シニョルはこの建物には居ないであろうという推測に至った。むしろもっと女主人に近い位置で生活している可能性が高い。改めて屋敷の上空に飛び立ったルゥテウスは上空から建物群を観察して、ある事に気付いた。


(これは……正面本館のような建物は居住に使われていないのではないか……?いやしかし公爵の血脈反応は本館側の中で、しかも先程から全く移動していない様子から、既に睡眠に入っている可能性がある。随分と早寝のようだが……)


 ルゥテウスはヴァルフェリウス公爵夫妻が家庭内別居をしている事実を把握していない。なので「公館」と「奥館」で屋敷の区画が分けられている事も解っていない。

正妻たるエルザは当然、公爵と同室または近くの部屋で生活していると思っている。これはこの世界の貴族であればごく自然な考え方で、側室でも居ない限りは家族の居住スペースが分散すると、警備も分散してしまい負担が増すというデメリットの方が大きいからだ。

現在の公爵夫妻があえてそのデメリットを覚悟の上で家庭内別居に及んでいるという事などルゥテウスには知る由も無い。


 また、屋敷の主である公爵本人は本日の昼過ぎから体の変調を感じ、主治医からは「風邪による感冒」との診察を受けたので夕方から既にベッドに入っていた。

この時間は既に薬の効果もあってぐっすりと眠っており、ルゥテウスがいくら屋敷の敷地内を動き回っていても血脈を感知される心配は無かった。


 エルダの近辺で生活をしている可能性が高いシニョルに接触する為に血脈の感知を持つ公爵の近くにも接近する必要があると考えたルゥテウスは、ゲンナリしてしまった。既にこの屋敷の探索に入って一時間近くが経過している。いい加減に彼女を見つけないと、残してきた赤の民も気になる。


 屋敷の上空で色々と考え込むルゥテウスの目に、恐らくは敷地内の巡回だろうか。軽装の防具を着た衛兵が手前の建物と奥の建物の間の中庭を歩いているのを発見し、彼は一計を案じた。


(あいつを捕まえて聞いてみるか。こんな事なら最初からこうすれば良かったんだ)


 ルゥテウスは自分に腹を立てたが、これは仕方の無い事であった。と言うのも、敷地内の巡回というのは正門で警衛している者が交代した後に行われるもので、この時間帯だと22時の当直との交代後に行われる。

つまり22時を過ぎたので巡回が始まったとも言える。ルゥテウスが屋敷の上空に到着した頃にはまだ行われていなかったのだ。

ちなみに夜間当直の立哨は二時間交代なので、巡回も二時間おきという事になる。


 ルゥテウスは上空から衛兵に近付き、右手をかざすと衛兵は意識を失ったように倒れかけた。その後ろ襟を掴むと自身は宙に浮いたまま奥館側の物陰に連れて行き、半径3メートル程度の結界を張った。

意識が朦朧としている衛兵にゆっくりとした言葉で聞いてみる。この衛兵は22時で警衛勤務を終えて多少の疲労があるらしく、ルゥテウスの催眠尋問を簡単に受け入れてしまった。


「ここの建物はどういう配置になっているのか教えてくれ」


「門……から入ると……正面が……公館で……奥が奥館で……」


「公館と奥館?何だそれは?何で分れている?」


「公爵様がお勤めになられているのが……公館で……お住まいになられているのが奥館……」


「はぁ?公爵は公館に居るようだが?既に公館で寝ているみたいだぞ?」


「公爵様は……もう何年も前から公館にお住まいで……奥館には奥方様だけがお住まいで……」


 ルゥテウスは意識が朦朧としている立哨終わりの衛兵から、公爵夫妻の家庭内別居の事実を知って呆れた。


「ならば公爵は奥館は使っていないのか?」


「わからない……でも……公爵様が……奥館に行った話は……最近聞かない……」


(なんだよ……夫婦仲は最悪なのか。だから女執事なんてのが必要なのか。あのババァは)


「お前は奥方様の執事を知っているか?女だ」


「奥方様の執事殿……トーン殿……」


「そのトーン殿だ。トーン殿の部屋はどこだ?」


「わからない……奥館勤めでは無いから……わからない」


ルゥテウスは軽く舌打ちをして


「トーン殿は奥館で暮らしているのか?それもわからないか?」


「トーン殿は……奥館に居る……いつも……」


 どうやら女執事は常時奥館詰めのようだ。この衛兵からはこれ以上の情報は引き出せないと思い、ルゥテウスは周囲に警戒しながら結界を解いて衛兵を奥館の建物に寄り掛からせて座らせ、上空に移動して催眠を解いた。


「あっ……あれっ?……何でこんな場所で……早く戻って一杯飲んで寝よう……」


などと独り言を呟きながら衛兵は行ってしまった。彼の巡回がこの後相当におざなりになってしまうだろうが仕方なかろう。


(これで一応は屋敷の配置は把握出来たが……奥館か。これだけで結構でかいな。入口はどこだろうか……いやここは今後の為に内部でマークを確保出来る場所を作っておくか)


 このような時に思い出されるのがリューンの存在である。封印解除の際に視点を借りたリューンはこの建物の構造に相当詳しそうであった。先程の衛兵の話が本当ならば、母が軟禁に近い状態にされていた部屋も恐らくは本館側であろう。そしてあの部屋にはカラクリを擁した隠し通路があった。


本館にあのような設備が備わっているのであれば、この奥館側にも同等の物が存在していてもおかしくない。


 ルゥテウスは改めて移動結界を張り直して上空から奥館を観察した。22時という時間帯の割に、既に灯りの落ちた部屋が多く未だ窓から灯りが漏れているのは4部屋程だ。


彼は外側からこの4部屋を順に覗いて行くと、建物二階の部屋の窓から、中に居る初老の女性が見えた。


 ルゥテウスはエルダの顔もシニョルの顔も見た事が無い。しかしこの女性の服装は貴族夫人にしては少し地味であり、顔立ちもこう言っては失礼だが、貴族の女性として貧相過ぎる。恐らくこれがシニョルではないだろうか。


そういえば良く見れば部屋の中で一人で居るはずなのにその雰囲気は全く緊張を解いておらず、顔立ちに美しさは見受けられないが目元には怜悧な光を感じる。


 ルゥテウスはこの女性がシニョルであると確信し、この部屋の窓の上にある屋根の庇部分に降り立った。ここをマークし終えた彼は自分では得意だと思っている彼なりの「穏便でスマートな方法」を採る事にした。


 ルゥテウスは移動結界を張ったまま部屋の窓の高さまで移動し、宙に浮いたまま窓枠を軽く何度か小突いた。


―――コンコンコン、コンコンコン、コンコンコンコンコンコンコン

いわゆる「三三七拍子」だ。


 部屋の中の女性は明らかに不自然な音に気付き警戒したような顔で窓を見つめている。

ここで結界を解いて姿を現すと驚いた彼女が大声を出したり逃走を図る可能性があるので、屋敷の他の者には気付かれる事無く彼女を連れ去りたいルゥテウスは更に同じリズムで軽く窓を小突いてみた。


 中の女性は窓の外に何も居ないにもかかわらず窓からおかしな拍子の小さな音が鳴り続けている事に不審を感じながらも警戒した様子で窓に近付き、中から窓の外の周囲を窺った。


それでも鳴りやまない音に業を煮やしたのか、ついに両開きの窓の片側だけを開けて顔を出してきた。12月の夜という普通ならば窓など開けたくない寒さであるはずだが、小さな聞き慣れない音への警戒混じりの興味に負けた形となる。


(よし。今だ!)


 ルゥテウスは宙に浮いたまま結界を解いて姿を現し、女性の上半身を抱きかかえた状態で彼女の体ごと窓の外に引っ張り出した。


「ひいっ!」


女性は軽く悲鳴を上げたが、ルゥテウスがすぐに移動結界を張り直したので彼女の悲鳴は大きくなる前に途切れた。

彼女を引っ張り出した後の窓を閉めると幼児の短い左腕で彼女の体を抱きかかえたまま右手で窓に手をかざして鍵を掛けた。そして……


****


 赤の民領都支部の本拠であった偽装酒場《土竜(モグラ)》では、ホールにある血に塗れた机と椅子の残骸が部屋の隅に片付けられて無事であった机と椅子が並べられ、イモールとラロカが不安そうに座ってルゥテウスの帰りを待っていた。


彼が突然現れて自分達に説教混じりで脅しをかけて、また突然消えてから既に一時間以上が経過し、吹き飛ばされた入口扉から辛うじて逃れた壁掛け時計は22時30分を指していた。


「ルゥテウス殿は統領様をお連れすると言ってましたが……本当にそんな事が可能なのでしょうか……」


 ラロカはまだ先程……もっと厳密には本日未明から受け続けている精神的衝撃による憔悴から脱け切っておらず顔色が悪い。

職員が有り合わせの材料で作ってくれた温かいスープを飲んでいくらか落ち着いたが、自分のこれまでの人生で一番内容の濃い一日はまだ終わっていないのである。不安な声でボヤくように呟くと


「うむ……。あの方の力は常軌を逸している。あの公爵様の屋敷でさえも易々と侵入出来るだろうよ」


イモールが応じた。二人は元々魔法世界からすると「普通の人」である。最近、術符を入手した事で、他の者よりも多少は魔法の力に触れたとはいえ、その能力の限界はどの辺りにあるのかと言うのは全く分からない。


魔法とは縁の無い人間なりに考えてみた場合、魔法……彼らの認識では魔術の力がそれ程莫大であるならば、この世界はもっととんでもない事象が起こっていたり、大きな紛争などが記録として残っていてもおかしくないと思っている。


それにそれ程強大な力があるのならば彼らの故郷であるエスター大陸で3000年もの間ダラダラと続く戦乱すら収まっていてもおかしくない。

そう言った事が起きていないのであれば、魔術とはそれ程万能だとは思えない。これが今までの彼らの認識だったのだが……。


あの幼児の力はそんな彼らの認識を全て吹き飛ばす程に強烈であった。


 そもそもが「幼児」なのである。どうも本人と接していて彼らが一番違和感を持つのは、その恐ろしい力を見せつけているのが明るい金髪と赤みを帯びた瞳を持つ美しい幼児という事なのだ。


説教臭い言葉を吐く声は声変わりもしていない幼児特有の高い声で、大人と比べて比率で顔が大きい身体つきも幼児そのものである。しかも本人は自分が幼児である事を自覚している様子で、決して誰かに体を乗っ取られている様子も無い。


このような存在は彼らの短くない人生の中でも未経験であったし、神話や芝居、詩などにも登場しない。彼ら……職員の男女二人も含めて、ルゥテウスのような存在を自分の経験に基づく認識レベルで受け入れられないのである。


 イモールとラロカ。そして成り行きで一緒に残るはめになってしまった男女二人の職員が許可を貰って一緒のテーブルでスープを啜っていると……


 突然、目の前にルゥテウスが女性を抱きかかえて現われた。またしても突然の非現実的な登場に女性職員は小さな悲鳴を上げて椅子から転げ落ちた。


「戻ったぞ」


 ルゥテウスが短く帰還の言葉を述べると、イモールは隣でひっくり返った女性職員の腕を掴んで助け起こしながら


「お、お帰りなさ……」


返事の言葉を発しようとして最後まで言えなかった。


「と、統領様……!」


イモールが立ち上がり、隣に居たラロカと職員二人も慌てて立ち上がった。


「なっ……!こ、こ……これは……?」


ルゥテウスの小さな体に抱きかかえられたまま到着と共に床に着地する姿勢になったので膝を床に着くような恰好になりながらシニョルは混乱していた。


 ルゥテウスはシニョルを軽々と空いている椅子に抱え上げて座らせながら


「夜分遅くの手荒な招待になってしまってすまんな」


と口元に笑いを浮かべながら言い、更に彼女と机を挟んで向かい側の椅子に座った。


 シニョルとルゥテウスに椅子を譲った形となった二人の職員はラロカの後方に置いてあった椅子に座ろうと思ったのだが、その足元に0番の死体があったので近寄り難い仕草を見せた。それを見たルゥテウスは


「支部長、そいつの死体はどうする?そのまま放置するか?それとも処理するか?」


「そ、そうですな……ではお手数ですが処理願えますでしょうか……?」


「分かった」


 ルゥテウスが右手を小さく振ると0番の死体が一瞬で塵のようになって、空中の「何か」に吸い込まれるように消えた。

更に周囲を視線で一撫ですると店の隅に片付けられていた机と椅子、そして壁に突き刺さった扉も消え、床や天井、入口脇の壁に飛び散っていた血痕も消えて土竜酒場のホールはかなりスッキリと片付いた印象になった。


 赤の民の一同もこの様子を見て驚いたが、この一連の光景を見ていたシニョルは更に混乱に拍車が掛かったらしく


「なっ……な……なっ……」


と言う発声を繰り返すだけで言葉を失ったままの状態になっている。

人によっては、夜の自室からいきなりこのような場所に連れてこられた挙句に信じられない光景を立て続けに見せられたら、精神の糸が切れて気絶してもおかしくないのだが、彼女は強靭な精神力を持っているのか、茫然とするだけでなんとか踏み留まっている。


「支部長。それではこの女が統領で間違い無いのだな?」


ルゥテウスが今更ながらに確認をイモールに求めると


「は、はい。この方こそが我々の統領様にございます」


イモールが応じた。


「そうか……。おい。大丈夫か?いい加減正気を取り戻せ」


ルゥテウスは机を挟んで向かい側にで未だ茫然としているシニョルが机に置いている手に自分の手を重ねた。するとシニョルは何かに弾かれたように突然我に戻り


「こ、ここは?……あなた方は……。ではここは酒場ですか……?」


と漸くまともな言葉を吐いた。


「左様でございます。ここは我らの支部建物です。統領様、申し訳ございませぬ……」


 立ち上がったままのイモールはシニョルに深く頭を下げた。シニョルの隣の席でやはり立ち上がっていたラロカや、0番の死体があった場所の近くで控えていた二人の職員もイモールに倣って深々と頭を下げた。


「こ、これは……一体……あなたは……誰なのです?」


シニョルは漸くいつもの冷静さを取り戻しつつ正面でニコニコしている幼児を見つめた。


(誰かに似ている……こんな綺麗な子の……どこかで見た顔……)


突然、シニョルは思い出して声を上げた。


「アリシア・ランド!」


「そうだ。俺はアリシア・ランドの子でルゥテウスだ。お前さんと股のゆるい女主人様が6年も前の母親の腹の中に居る頃から命を狙い続けている者だ。お初にお目にかかる」


ルゥテウスはニヤニヤしながら自己紹介をした。


「あなたが……ルゥテウス・ランド……」


シニョルはルゥテウスの顔をまじまじと見つめ続けた。以前に一度だけ屋敷の中で見たあの美しい女性、アリシア・ランドの面影にそっくりな幼児。


「で……でもあなたは、片目が……」


そして「知恵が遅れて」と言いかけてシニョルは言葉を詰まらせた。目の前に居る幼児は両目がしっかりと開いている事は勿論の事、知恵が遅れているようには到底思えず、むしろ非常に高い知性を感じる。


「さぁな?お前達が聞き間違えたんじゃないのか?人の噂はアテにならんぞ?」


ルゥテウスはからかうように尚もニヤニヤしながら話す。しかし急に真面目な顔になって


「さて。雑談はここまでにさせて貰うか。お前がなぜここに連れて来られたか解るか?」


「そ、それは……」


ルゥテウスから突然切り込まれ、シニョルは困惑しながらイモールの顔を仰ぎ見た。


「おい。支部長も親方も全員座れ。いつまでも隣で立たれているとこっちは首が痛くなる。後ろのお前らもだ」


「はっ、はい。それでは失礼します……」


イモールもラロカも慌てて腰を下ろした。背後の0番の死体あった辺りで立っていた職員も慌ててそれに倣う。


「支部長も親方も流石にこの状況では話しにくいだろうから、俺が代わりに話してやる。俺が生まれる前、俺がまだ母であるアリシア・ランドの腹の中に居た頃からお前とエルダに命じられたこの連中は毎度懲りずに刺客を放って来ていた。

俺は当然、その頃は母の腹の中だから実際の状況はどうだか分からんが、俺の知る限り母は公爵の屋敷で29回、追い出されてダイレムに戻されてから8回、そして昨日の夜に1回と合計で38回もの襲撃を受けた。実際はもっとやられているだろう」


「……」


シニョルは黙って聞いている。


「母が俺を産んだ時に命を落としてから、襲撃は止んでいたのだが俺と祖父が屋敷に呼び出されてから、またぞろ再開だ。母は見逃してやっていたが俺は許すわけにはいかない。なので報復させてもらう事にしたのだよ」


「報復……」


「つまりだ。お前らを含めて今までに散々やらかしてくれた奴に加えて、お前らの出身母体であるこの大陸に居る全ての難民を殺す事にした」


ルゥテウスが軽い感じで放った言葉をシニョルは飲み込むのに一瞬遅れ


「……なっ!?」


「聞こえたか?31711人だ。俺は今日の昼間、ちょっと暇だったんでな。難民が収容されているって言うキャンプに行って数を数えてきてやったよ。まぁもう一人産まれてるだろうから31712人かな。明日は五人くらい産まれそうだったけどな」


イモールもラロカも改めてその数字を聞いて戦慄したが、初めて聞くシニョルの衝撃はもっと大きかった。


「あ……なっ……何で……同胞を……」


「何でかって?そりゃお前、難民を殺人組織に仕立て上げたのはお前だろ。そして母や俺に襲撃を加えてきたのはその難民出身の殺し屋だ。だから難民を全員抹殺すればもう襲ってくる奴は居なくなるだろ。勿論お前らも含めてだ」


「俺の言ってる事に何かおかしなところはあるか?あん?」


普段冷静なシニョルも、このように平然と大量虐殺を口にする目の前の幼児の出す凄味に圧倒されている。もちろん横で聞いているイモールやラロカもだ。


「俺はな。今朝だ。今日の早朝、日の出前にここを潰しに来た時は本気でそうしようと思っていた。俺がその気になれば10分も必要無いからな。たかが三万人だ」


シニョルは目をキョロキョロと動かしながら黙って聞いている。


「俺がここに殴り込んだ時には生憎そこの親方しか居なかったから、支部長が戻ってきたら連絡しろと言付けして一旦引き上げたわけだ。そして先程な。この支部長が殊勝にも逃げもせずに連絡……俺が渡した召喚の魔導符を使ったから再度会いに来てやったわけだ」


「し……しょうかん……?」


イモールが呟くように聞いてきたのでルゥテウスは


「『召喚』だ。あの魔導符にはお前が使用したら即座に俺に連絡が来て、俺の意思で応じるとそのまま使用したお前の位置に移動する魔導が仕込まれていたんだ」


「ま……まどう?」


「ん……?魔導だ。知らんのか?」


「ま……魔術では無く……ですか?」


「魔導だ……いや、もういい。お前らに説明したところで理解出来まい。とにかくだ。先程支部長から一通りの話を聞いて、今度はお前を呼び出したわけだ。まぁ、呼び出したと言うか連れて来たわけだがな。ははは」


「お前は恐らく今、この二人の裏切りに対して憤慨しているだろうがな。俺に言わせると25年もの間、こいつらを良い様に踊らせていたお前らの方が悪辣だと思うぞ?」


「えっ……?」


「おいおい。白を切れると思うなよ?お前さんの御主人様の下半身のだらしなさはもうとっくにバレてるぞ。お前ら主従は必死に隠そうと口封じに殺人までやってたようだがな」


「なっ……?」


シニョルは先程からまともに言葉も発する事が出来無いままにルゥテウスに大きな楔を打ち込まれて顔面が蒼白になった。


(も……もしかしてこの幼児は……奥様の秘密を知っている……?)


「おい。聞こえてるか?」


「あっ……はい」


「あのな……この連中もそうだったけど、お前ら主従もだ。ちょっと認識が甘いんだよ」


「え……?」


「お前らは他人の子を二人も公爵家に押し込めて満足してるかもしれないがな、よりによってヴァルフェリウス公爵家でそれをやっちゃダメなんだよ」


「ど、どう言う……?」


「まぁ、その様子じゃ知らないみたいだし、当然お前の主人も知らんだろ。何しろ肝心の公爵自身が知らないみたいだからな」


「さっきもこの連中に説明してやったんだがな。ヴァルフェリウス公爵家の当主ってのは、これまで107人居て実子を二人以上作った奴は一人も居ないんだよ」


「……えっ?」


「つまり、お前の主人が二人目を産んだって時点でもうそいつは偽物確定なんだ。ジヨームの種じゃ無いって事が確実なんだ」


「なっ……なんで?」


「お前ら全員、どこまでこの国の歴史に精通してるのか知らんがヴァルフェリウス公爵家というのはな。この国を作った時に手を貸してやった『黒き福音』ヴェサリオという男と初代国王の妹との間に生まれた赤ん坊が初代公爵として叙任されているんだ」


 「黒き福音」の名前はシニョルも、イモールも当然知っている。彼の産まれはエスター大陸、つまり彼ら難民の故郷なので、同郷の偉人としてこのレインズ王国とはまた違った形で神話として伝わっている。


「ヴェサリオ様の子孫……?」


「そうだ。それがヴァルフェリウス公爵家だ。今のボンクラ当主であるジヨームにもその血が受け継がれているんだ。そしてこの公爵家の知られざる特徴というのがな……代々の当主は子を一人しか作れないって事なのさ」


「そ、そうなのですか……な、なぜそのような事を……あなたが?」


「おいおい。お前も知ってるだろ。俺はジヨーム・ヴァルフェリウスの実子だぞ?つまり俺が産まれた時点でお前の主人が産んだ二人は偽物って事になるんだよ。解るか?いや、分かっているよな?

お前ら主従はその事を糊塗する為に……お前は同胞の難民を殺人組織に仕立て上げて口封じの片棒を担がせていたわけだからな」


 ズバリ言い当てられてシニョルは背筋が凍った。今まで30年近く必死になって隠してきた女主人の「秘密の闇」がこうもあっさりと晒されてしまったのだ。それも自分達が全く知らなかった事実によって。


「お前ら主従が必死になって俺の母を消そうしていたのも、俺の存在を知って早速消しにかかってきたのも、結局はこれが原因なんだろ?

まぁ、もう言い逃れは出来無いと思うよ。これだけ色々揃っちゃってるもんな。25年前だろ。この組織を作ろうと思い立って。丁度二人目が産まれちゃった頃か?なんでもうちょっとマシな方法考えなかったのか。お前らのせいで同胞三万人の命が危険に晒されてるんだぞ?」


ルゥテウスは静かに言った。


「お前は自分の栄達の為なら同胞を危険に晒すのも躊躇わないのか?こんな殺人組織の存在が王国政府にバレたら俺がやらずとも難民は皆殺しだぞ?」


シニョルはルゥテウスの言葉を聞いて震えている。


「ここの連中はな。俺がここまで話して……それを飲み込んだ上でそれでも同胞を救い上げてくれたお前を裏切れないと土下座までしたぞ?この連中はまだお前の事を信じてるんだぞ?お前はこいつらが裏切ったと思ってるだろう。

しかしこいつらはお前を裏切るどころか信じていた。そんな同胞をお前は25年もの間、踊らせていた事になる。この連中に何か言いたい事はあるか?」


ルゥテウスはイモールの方へ顎をしゃくった。


「それとも何も言えないか?こいつらはお前とお前の愚かな女主人を庇おうと命まで投げ出そうとしてきた。そんなこいつらを見て、俺は哀れに思った。こいつらもそうだが、お前らが同胞と呼ぶ三万人の難民が……だ。同胞でも無い股のゆるいババァの尻拭いの為に命の危険に晒されている。

いいか?お前らはもう口封じの為に何の罪も無い()()()()()()()何年にも渡って手に掛けているんだ。それだけでもう難民全員がアデン海に放り込まれても仕方が無い事なんだぞ?」


「そんなわけが無い、そんな事出来るわけが無いと思うか?ならばお前が救い上げたという難民の……3000年に渡る処遇を思い出してみろ。難民には『身分』が無いんだ。国民として認められていないんだよ。言い方が悪いけど流れ着いて来たお前らは『お情け』でこの国に住む事を黙認されているだけなんだ。

そんな奴等が殺人組織を作って人を殺しまくってましたなんて知られてみろ。王国政府はどう思う?何の罪も無く殺された人達の遺族はどう思う?」


 ルゥテウスはイモールやラロカにした話を再度シニョルにもした。この連中は「自分達が生き延びる為」という大義名分の下に「殺人で対価を得る」などという事を安易に選択し、それを十数年間も顧みる事無く続けてきた。それもきっかけは公爵夫人の不義を隠蔽する為にだ。

まずその愚かさを説かないとこの連中には自省する事が出来無い。イモールやラロカの時もそうであったが、このような説教を目の前の5歳の幼児が……少し前に圧倒的な力を見せた幼児が目を据えて話している。シニョルはそれを端然と聞いていた。


「あ……あの……」


「何だ。何か言いたい事があるのか?」


「はい……私は……私はこれは『一石二鳥』になると思っておりました。奥様……エルダ様が抱えていらした秘密を共有する事になり、奥様はお二人もお子を……それも男子をお産みになられて……。跡継ぎとして取り上げれた時、公爵家の正夫人として、後戻り出来無くなりそしてどんどん事が大きくなる事を感じました。

私は奥様に秘密を守るよう申し付けられ……私達二人以外に秘密を知る者は……最初はまだ結婚もされてませんでしたから、秘密を守るのも容易かったのでございます。しかし公爵家という大身の家に嫁ぐようになって……それでも奥様はあの男との逢瀬を止めようとせず……私はもう一人ではこの秘密を守って行けないと悟りました」


シニョルはいつのまにか流れ始めた涙を気にする事無く語り続けた。


「あの男にそっくりな子を二人産んでも……奥様は止めようとせず……それでも避妊に気を配るようにはなりましたが……そして公爵夫人として様々な利権が転り込んでくるようになり、奥様は金銭的にも恵まれるようになりました。

私はその奥様の財力を利用して……貧しい……苦しんでいる同胞を救う方法が無いかと考えたのです……そして……同胞を奥様の秘密を守る事に利用すれば……奥様も資金を提供して下さるだろうと……ううぅぅ」


ここまで話して、シニョルは泣き出した。イモールやラロカ、そして二人の職員は常に沈着冷静で知的なオーラを放つ統領がこうして感情を露わに泣き崩れるのを初めて見て驚愕した。


統領が目の前の幼児に諭されて泣き崩れている……。


いつのまにか彼ら四人も泣いていた。確かにシニョルは女主人の醜聞を糊塗する為に自分達を殺人組織に仕立て上げて殺人に手を染めさせたのかもしれないが、彼女はやはり同胞が味わう塗炭の苦しみから救おうとしての行動だったのだ。それを改めて知って四人は涙したのだ。


「で、どうすんだ?お前は自らの罪を認めるのか?俺も母も……被害者であるからお前らに報復する権利があると思っている。お前の女主人が自らの不義を覆い隠す為に母を公爵屋敷から追い出し、それに憤って俺の家族は次々と死んで行った。俺の祖母も、祖母の両親もだ。そして母は生まれてくる俺をお前らから隠そうとして命を落とした。俺を産む時にな。

母の命をかけた行為によって俺はお前らの毒牙から5年間だけ免れる事が出来た。それを考えればお前らなんぞ今すぐこの場で三万の同胞ごとブチ殺してやってもいいと思っている」


「わっ、悪いのは私です!私なのです……!ですから……ですからどうか報復は私だけにして……この方々だけはどうか……どうか……この方々は私からの命令に理由も知らず従ってきただけなのです……どうか……」


「お、お待ち下さいっ!統領様だけでは無いっ!我々だって救われてきたのです!我々もこの手を汚して……汚したから、真っ当な生活を送れるようになったのです……統領様は……我々に道を示して頂いたのです……」


イモールは椅子から転がり落ちるように再びルゥテウスに向かって床に這いつくばって土下座をした。他の三人もそれに従う。


(またかよ……土下座が好きな連中だな)


「ああ、分かった。分かった。顔を上げろ。それともあれか。また吹き飛ばされたいのか?」


「統領……トーンだっけか?」


「し、シニョルで結構でございます。ルゥテウス様」


「お前の本心は分かった。今俺はお前の話を聞きながら、お前の頭を覗いていた。どうやら嘘はついていないらしいな」


「えっ!?」


シニョルは驚いた。他人の頭の中を覗く……そんな事が可能なのか。


「つまりあれか。お前の場合は『エルダの秘密を守る道具として同胞を利用した』のでは無く『同胞の暮らしを改善させる為にエルダの秘密と金を利用した』と言う事なんだな?」


「は……はい。私は幸運にもノルト伯爵家の掃除婦として仕事を貰う事が出来、更に幸運な事に奥方様の御付きの侍女となれました。難民として……このような醜い風体の女がです。私は必死になって奥方様にお仕えし……その結果、奥方様に信頼されて、秘密の共有すら許されるようになりました。そしてその秘密を抱えたまま奥方様が公爵家に嫁がれた時……私の……この与えられた幸運によって同胞の皆さんも何とかお救い出来無いかと……必死に考えたのでございます」


「そうか。しかしアレだな。お前の考えは最終的にはこんなロクでも無い結果になったが、半分は間違っていなかったのだ」


「……えっ?」


「つまりな。金の出所はどうでもいいのだが、難民を集めて組織化したところまでは正解だったって事だ。それを殺人集団にしちまったのがお前の間違いなのだ」


「それは……どう言う……」


「いいか?支部長や親方にも説明してやったがな。俺もバカじゃないから、お前ら戦時難民と呼ばれる奴らがこの国が建国されてからずっと社会の底辺で禁じられている奴隷と似たような扱いを受けてきた歴史は知っている。

これだけ文明国家だの言われているこの国でお前らはずっと生きる事だけで精一杯の人生を送り、子供を残せぬまま死んで行き、それでもまた新しい難民が海を渡りやって来てを繰り返していたのもな」


「しかし、お前はそういう苦境に立っていた連中をこの3000年で初めて他人に金を使わせて保護して纏める事に成功しているんだ。そこのところは胸を張っていい。問題はその後なんだけどな」


「これまで国内でバラバラに散ってあちこちで虫ケラみたいに暮らしていた奴らだって、一ヵ所に集まって集団になれば大きな魔物だって倒せるかもしれない力になるんだ」


「……」


「だから、その組織力をもっと別の事に使え。いいか?今日で暗殺組織は解散しろ。そして明日からは別の事を始めるように考えるのだ」


「べ……別の事ですか……?」


「ほら。お前らもいい加減這いつくばってないで座れ」


「あっ、はい。申し訳ございません……」


「いいか……?ちっ……俺は元々こういう面倒臭い事に首を突っ込むのは大嫌いなんだがな……」


「お、お願いします!ルゥテウス様!我々にどうか……どうか新しい道をお示し下さい……」


シニョルがルゥテウスを拝むように手を合わせてきた。


「クソっ!分かった!分かったよ。とりあえずその拝むのは止めろ。俺は神が大嫌いなんだ」


シニョルはルゥテウスの神を恐れぬ言葉に困惑しながらも合わせていた手を下ろした。


「まず、この話を進める前にさっきのお前の疑問に答えてやる。なぜヴァルフェリウス公爵家には子供が一人しか生まれないのかと言う事だ」


シニョルは忘れかけていた疑問。ルゥテウスが主人の秘密を暴いたという事実の事を思い出して姿勢を正した。


「先程も話したが、ヴァルフェリウス公爵家というのはお前らも知っている《黒き福音》ヴェサリオの直系の子孫だ」


「はい」


「このヴェサリオの血筋ってのが厄介でな。ある種の呪いが掛かっている」


「えっ!?」


「呪い……そうだ。呪いだな。この呪いというのが、まぁ色んな効果を発揮するのだ。子供が一人しか産まれないと言うのもそのうちの一つだ」


「そして、一番良く知られているのが……お前らは『黒い公爵さま』の話を知っているか?」


シニョルが応じた。


「はい……あの、私は奥様が嫁がれる際に少しだけ本で読んだ程度ですが……」


「そうか。まぁいい。その呪いの力で何百年に一度、そういう奴が出て来る。もちろん、そいつも子供を一人しか作れない。

これは女も同じだ。公爵家の当主には代々女性も出て来る。しかし結局その女性公爵も子供は一人しか産めない……と言うか産まれない」


「そっ、そうなのですか……」


「ヴァルフェリウス公爵家はな。その血統に対して世襲が認められているという特殊な貴族家なのだ。だから直系子孫が女性でも当主になれる」


「そしてまぁ、お前に関係するのはここからだな。呪いには他にも力があってな」


「は……はい」


「それはつまり、公爵家の血筋を受け継いでいる者同士はお互いにそれが分かるんだ。今の公爵がいくらボンクラでも今の俺の存在が分かれば、それと比較してお前の主人の産んだ二人の不義の子が公爵家の血筋、つまり呪いを受けていない事が感覚的に解ってしまうのさ」


「え……えぇぇ!?」


シニョルは驚愕した。まさかそんな事が有り得るとは。


「俺はどうも、二ヵ月ちょっと前に祖父に連れられて公爵に会っているようだな。お前の方が詳しいかこれは」


「え……どう言う事ですか?」


「俺はな。母が俺を産む時にお前らから俺が襲われないように俺の存在を封印してくれたんだ。血統の呪いも含めてな。母はその儀式を産まれたての俺に施して命を落としたんだ」


 ルゥテウスは己の出生の秘密の一部を明かした。これを聞いたシニョルを始め、赤の民の面々も再び驚愕した。


「お前ら、俺の事を片目だの知恵遅れだのと思ってただろ?それはその封印が原因だ。その封印のおかげで俺は公爵の前に引き出された時も呪いの共鳴が起こらずに済んだ。おかげで、お前の主人の偽息子の事もバレずに済んだわけだ。皮肉な事にな。あっはっは」


ルゥテウスは笑い声を上げたが、シニョルを始め、赤の民の面々はこれで全てが腑に落ちた。


「更に種明かしをしてやると、お前らが昨日の晩に送り込んできた殺し屋……さっき俺が消してやった奴とその配下だな。七人居たか……そいつらに襲われた時に俺の封印が解けて、俺はこの通り元の力を取り戻した。まぁおかげで呪いもまた戻ってきたがな」


ルゥテウスは先程から《賢者の血脈》の事をあえて《呪い》と表現している。リューンにも語ったが彼はこの血脈を「呪い」だと思っており、この呪いの継承を自分の代で終わらせるつもりだと本気で考えている。


「そして、先程の公爵家には子が一人しか産まれないと言う呪いの話だが、お前もお前の主人も、そしてよりによって公爵本人も知らないようだが、知っている奴は知っている」


「え?」


「勿論、俺以外にって事だ。まずは……教会関係者。それも救世主教の宗山の頂点に近い連中はこの事実を知っているだろうな」


「そ、それじゃ……奥様の秘密は……」


「多分把握しているだろう。そして恐らくだが今の公爵が偽息子のうちのどちらかにでも爵位を引き継がせようとした時や公爵が亡くなり、同様に公爵家の相続請求を偽息子が行ってきたら即座に告発してくるはずだ。宗山にはそれを証明する文献が大量に保管されているはずだ」


「お前の主人は今は泳がされているんだよ。教会にな。そしてもう一つが魔法ギルドだ」


「そ、そうなんですか」


「魔法ギルドは教会よりも更に深く公爵家の呪い自体について把握していて研究対象にしている奴さえ居る……いやかつては居た。そういう奴等は当たり前だが子供が一人しか産まれないと言う事実は認識している。

俺は当初、この教会の奴等も魔法ギルドの奴等も全員無能で公爵家の二人の偽息子について気付いていないのかと思っていた。しかしどうやら違うようだな。奴らはしっかりと把握していて、二人の息子はお前の主人が他人から貰った種で産んだ事を突き止めている。

もしかすると告発の証拠固めに相手の男も探しているかもしれないな。特に魔法ギルドはその手の捜査が得意だからな」


「つまり、だ。最終的にお前の主人には破滅しか待っていないのだよ。俺はここに殴り込んで、最終的に支部長から御館って奴の正体を教わった時に大笑いしただろ?あれはな。エルダの将来の破滅は確実だというのを知っているからなんだよ。

同時に、そんな愚かな女の為に踊らされて人殺しまでさせられていたお前らが哀れになったんだ」


「御館は俺があっさりと殺すより、そうやって赤っ恥をかきながら破滅して貰った方がこれまで奴の為に迷惑を被った人々の溜飲が下がると思っている。これまで忠節を尽くしてきたシニョルには悪いがな」


ルゥテウスはエルダの破滅を予告する理由を一気に説明してのけた。これを聞いたシニョルの顔色は真っ青だ。


「そ……そんな……。これまで……これまで秘密を守ろうと、何人の方々を手に掛けたのか……それが全て無駄な事だったなんて……」


「そして……奥様は既に破滅する事が決まっているなんて……」


「まぁ、自業自得だよな。お前ら……と言うかお前じゃなくてお前の主人か。旦那さんと随分仲が悪いようだけど、旦那さんが死んだら自分も終わりだからな。偽息子が告発されちゃって、本人は何十年も前の不義密通で死刑確定だ。せいぜい長生きして貰わんと」


ルゥテウスは皮肉を言って笑った。彼自身はエルダに対して同情する余地は1ミリも無い。


「さて。それでお前らはどうするんだ?俺はさっき言ったな?もう殺し屋稼業は辞めろって」


イモールが答える。


「は……はい。お願いします。我らはこれからどうすればいいのでしょうか」


「全く……俺は散々お前らに命を狙われた被害者なんだけどな。しょうがない」


ルゥテウスは語り始めた。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド

主人公。5歳。史上10人目の完全なる賢者の血脈の発現者。色々面倒臭がるわりに色々なものに興味を抱く幼児。


シニョル・トーン

公爵夫人の女執事。ノルト伯爵家からエルダの婚姻に同行して以来の腹心。戦時難民第三世代。同胞を救うために組織化を図る。難民出身者からは「統領」と呼ばれ崇拝されている。


イモール・セデス

暗殺組織《赤の民領都支部》を束ねる支部長。エスター大陸出身の戦時難民第一世代。穏やかで理知的な性格。シニョルを崇拝している。


ラロカ

暗殺組織《赤の民領都支部》の支部建物を管理する男。かつて支部創設時に本場で習得した暗殺技術を持ち帰ったことから「親方」と呼ばれている。


エルダ・ノルト=ヴァルフェリウス

ジヨーム・ヴァルフェリウス公爵の正妻。50歳。婚前からの「秘密」の保持と我が身の保身のためにシニョルの策に乗って暗殺組織を援助する。難民からは「御館」と呼ばれ崇拝されている。


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