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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第一章 賢者の血脈
18/129

支部長という男

【作中の表記につきまして】


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。また、特に言及の無い限り文中の時刻は24時間表記です。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくおねがいします。



「こ……これは……。一体ここで何があったと言うのだ……」


 変わり果てた《赤の民》の偽装酒場の有様を見て《支部長》ことイモール・セデスは息を飲んだ。


3038年の12月11日。時間は既に夕刻を過ぎて日が落ちており、スラムの通りは街灯も無く僅かな月明りが照らす中に何件かの店舗から漏れる灯りがボンヤリと通りのあちらこちらを照らしていた。


偽装酒場《土竜(モグラ)》はその店の名が記されていた大きな鉄枠で補強された扉は無くなっており、代わりに入口を塞ぐ板が打ち付けられていた。

通りに面した壁面にあった二つの小さい窓にも板が張られて店の中が外から窺え無いようになっている。


 イモールは昨日の夜から難民キャンプの中にある集会所で新たな赤の民の構成員候補者を選抜する「面談」に参加しており、長年培った選定眼で集められてきた難民の、今年12歳になったという子供達の様子を眺めながら


(今年はまずまずの人数が集まっているな。やはり最初の構成員世代からの子供が多くなってきているせいだろうか)


と、難民の中に我ら赤の民の影響が、密やかに……だが確実に広まっている事に満足を覚えていた。


 《赤の民》という存在は南東にある大陸出身者、特にイモールのような「難民第一世代」と呼ばれる「親以前の世代ではなく自身がエスター大陸から逃れて来た」とされる人々にとっては「怖い存在」の代名詞であった。悪い事をしたり親の言う事を聞かずになかなか寝付かない子には決まって


「言う事を聞かない子は赤の民に攫われて食われる」


だの


「そんなに言う事が聞けないなら赤の民に頼んで連れて行ってもらう」


など、悪童への「脅し文句」としてお馴染みの存在であった。

そして彼らの「血の色にも似た赤褐色の肌」という外見もエスター大陸の住民にとっては恐怖を感じさせるものであった。


 大陸中がキルトのパッチワーク模様みたいに入り乱れる、部族単位の小国同士による3000年以上続く戦乱は、お互いのささやかな国力と兵站能力のせいで軍隊同士の戦闘に中々発展しない分、軍による暴力は主に非戦闘員に向けられた。


度重なる略奪や焼き討ちから逃れる為に人々は力を合わせて焼け残った家屋の端材などを継ぎ合わせて小船を作り、どうせ殺されるならと決死の覚悟でアデン海に漕ぎ出し、西の大陸を目指した。


 ちなみに、大陸の東側には南北に連なる三つの海峡を隔てて世界最大のロッカ大陸があり、海峡の幅は最短で約200キロ前後と西側のアデン海を渡って南北サラドス大陸を目指すよりも「近くて済むように」見える。


しかし、この海峡こそが10000年以上前に起きた《大戦争》で超大量破壊兵器が使用されて古代の超大陸を断裂させた爆心地である為、変質した魔素の濃度が非常に高く、《魔物》の発祥もこの断裂跡の周辺であると言われている。


その後ショテルの「月撃ち」の影響で惑星全体規模の大気撹拌と海水移動が起きて断裂部に海水が流れ込み、「海峡」となった現代においても魔物が多数生息する魔境と化している。


海峡部も船舶の航行など以ての外でとてもではないが戦禍から逃れた人々が近寄れるような場所では無い。なので難民は皆、西のアデン海に漕ぎ出して西の大陸を目指すのである。


 アデン海に決死の覚悟で漕ぎ出した戦争難民の多くは海の藻屑となり、それでも命からがら西の南北大陸に到達出来た者達を待つ運命も悲惨なものであった。


南北サラドス大陸にはいくつかの国家が存在するが、恐らく一番幸運なのは北サラドス大陸の南部にあるレインズ王国に漂着した者達であろう。なぜなら、南北大陸の沿岸国家の中で「奴隷制」を廃止しているのはレインズ王国だけだからだ。

他の沿岸諸国に流れ着いた者は直ちに捕えられて奴隷にされてしまい、命を顧みない程に酷使され、性のはけ口に使われる。


レインズ王国に流れ着いた者は奴隷の所持と販売が厳しく禁じられた「文明国家」と言う建前の下で、いわば「社会的奴隷」として最底辺の生活を強いられるが、それでも移動の自由がある為に他の国々よりは格段にマシなはずだ。


しかし、結局のところ戸籍も土地も持てない彼らは都市部の消費社会に寄生するしかなく、当初は大都市に分散してスラムの路地裏などを這い回って暮らしていた。

よって、彼らには「子孫を残す余裕」など無く難民として代を重ねる者は稀な存在だ。イモールは自身が海を渡って来た第一世代であり、代を重ねる事が出来た者の代表格であるシニョルですら第三世代という状況である。


 しかし、エルダの支援を受けたシニョルの難民組織化計画でオーデルの東側に難民キャンプが設置されてからは収容民の生活環境は劇的に改善され、彼らは普通に子孫を残せるような余裕を手に入れる事が出来た。エスター大陸からの戦時難民にとって3000年続いた暗黒時代をやっと脱する事が出来たのだ。


イモールや、「親方」ことラロカにとって3000年にも渡る難民が味わって来た苦難の歴史から自分達同胞を救い上げてくれたエルダやシニョルは神に等しい存在であると共に、この難民キャンプを守り抜く事は彼ら難民という「民族」の命運を左右する重大な事なのである。


 自分達の力で作り上げてきた《赤の民領都支部》が世代を重ねる事で充実に向かって行く事に満足感を覚えたイモールはキャンプから出て別の場所で睡眠を摂った後、領都の街並みを眺めながら支部の建物に向かう途中で突然の伝令を受けた。


「本日未明に「土竜」が急襲されて建物が大きく損傷した上に多数の死者を出した」


 イモールは驚いた。これまで赤の民の情報統制は完璧なはずであった。

本場の《赤の民本部》の人材育成とは違い、彼らの育成修練には構成員の生存と情報隠蔽に重点が置かれる。「本部のやり方」に対して育成期間を何年か延長させた上で「逃げ足」と「拷問されても口を割らない」という部分を徹底的に仕込まれる。

これは歴史の浅い支部の人員不足を補う為に人的損害を最低限に抑えるよう採っている方策だ。過去に魔術師の尋問によって大被害を被った後は組織編制にも改良を加え、とにかく情報漏洩を出さない体制作りが徹底されてきたのである。なのでイモール自身は情報統制には自信があった。


にもかかわらず支部建物が襲撃を受けて、しかも多数の死者を出したと言う。酒場に偽装していた支部建物が襲撃された上に構成員が「逃げる事も出来ず」におめおめと殺されてしまったと言うのが信じられない。


そのような事が可能なのは王国政府が魔法ギルドに要請して特別な捜査隊でも組織されない限り不可能に思えた。

しかし、そのような動きがあれば当然こちらに情報は入るはずだが、イモール自身はこれまでそのような報告は一切受けていない。一体何が起こっているのだろうか。イモールは普段の落ち着いた様子とは一変して「土竜」に駆けつけた。


酒場のあるスラム地区に駆けつけると、すぐさま諜報員が一人近付いて来て横に並び


「支部長、正面は破壊されていますので入れません。裏の……例の脱出口の方から……」


とだけ呟くように話してから離れて行った。


(入口が破壊されただと……?)


 イモールはすぐさま「土竜」の二軒手前から左側の路地に入り、そのまま路地を進んで行き止まりの地面にある排水溝に擬された蓋を開けて中に入った。

梯子を使って開口部から下りて行くと彼の姿は既に下からランプの灯りに照らされて姿を確認されており


「支部長、お待ちしておりました」


と迎える職員に続いて都合建物二軒分の地下を通る「避難通路」から、「土竜」側の脱出口の梯子を上り、酒場の内部へと入った。酒場側の脱出口は厨房部分の奥にある。


「これは……政府に感付かれたのか?」


「親方がそちらに……」


女性職員が指し示した先に、疲弊して憔悴し切った青い顔で「親方」ことラロカが丸椅子に座っていた。


「親方……これは一体どうしたのだ……未明と聞いたが、何時頃の話なんだ」


「こ……これは支部長……」


ラロカはイモールの姿を認め、返事を返すので精一杯の様子だ。


「しっかりしろ。お前もやられたのか?」


「いえ……私は……私は……見逃されました……」


()()()()()()だと?ならばお前は襲撃してきた「奴等」を見たんだな?」


「支部長……相手は集団でありません……「一人」です……」


「なっ……何だって!?」


 イモールは自分の耳を疑った。今居る店の中を見回すと、表の扉は無くなって板張りになり、窓も全て板で塞がれている。そしてその無くなっている扉は……なんと厨房側の壁に「突き刺さって」いるではないか。

そして入口と、壁に突き刺さった扉の間は机も椅子もカウンターの一部ですら吹き飛んでいて、これは明らかに「軍隊」に近い戦闘集団に急襲されたようにしか見えないからだ。


「どう言う事なんだ!?どんな奴が……こんな……」


更にこれは様子を見た上で想像するしか無いのだが、入口付近の壁や床、天井や机や椅子の残骸に人間の血と思われる物がベッタリとそれでいて「吹き付けられた」ように付着しており、その辺り一帯がその色で染まっていた。

いや「染まっていた」と形容したが、その血液と思われる痕には何か破片のような「粒」が混じっているように見えた。


「この痕は……何人やられたんだ?」


「はい……七人……。諜報員五人と暗殺員二人が……か、体を……体を袋のように膨らまされて……そのまま破れたように……飛び散って……ううぅ……」


「ふ、膨らまされた……?何を言ってる!どう言う事だ!?しっかりしろ!」


 そこまで説明してうなだれながら頭を抱えるラロカの両肩に手をかけて揺すりながらイモールは強く呼びかけた。


「も、申し訳……ございません……私は……あなたの事を喋ってしまいました……。そして……見逃して貰えたのです……」


「親方が口を割ったのか?そんな……お前が口を割るとは……」


イモールは振り向いて後ろで同じようにうなだれて立っていた男女二人の職員に尋ねた。


「お前達は……何を見たのか」


「わ、私は……すみません。あの七人が……そこで気を失ってしまい……」


「私は……朝の鐘の少し前にここへ来ましたら、入口の扉が無くなっていて……中がこんなに……奥のカウンターの中で親方が座り込んでまして……それを見て急いで厨房で震えていた二人を起こして扉と窓を塞いだのでございます」


「そ、そうか。うむ。よくやってくれた……こんな状況を外から見せるわけにはいかん。よく通報されなかったな」


「外がまだ暗かったのです。それにこの季節は寒いですから、日が出る前は殆ど人通りがありません」


「そうだな……その点だけはツイてたと言うところか……」


そこでイモールはラロカに向き直った。


「で、親方は何を喋っちまったんだ?何を聞かれたんだ?」


ラロカの目線は相変わらず虚ろであるが、それでもこれは最低限の義務とばかりに語り始めた。


「時間は4時を少し回っていたと思います。私は支部長に出す報告書を纏めてまして……終わってすぐの事でした」


「突然、入口のドアが吹っ飛んできまして……それです……」


ラロカは壁に突き刺さっている扉を指差して


「入ってきたのは……こ……子供でした。ガキ……いや幼児です。幼児が一人で……こいつを引き摺りながら……」


 そこまで絞り出すように話すとラロカは自分の真後ろを見た。イモールもそれに釣られてラロカの座っている場所の後ろを覗き込むとそこには、変わり果てた姿の0番の死骸がそのまま置かれていた。


「こっ、こ、これは……ジャン……じゃねぇか……どうして……」


「はい。ダイレムへ送り出したジャンです。今回の任務では0番と言う通名でした」


「そっ、そうだな。0番だった。すまん……」


「そのガ……幼児は入口から0番を引き摺るように入ってきて、カウンターに居た私の前にそいつを投げ出したのです」


「そ、そして支部長と統領様や御館様の事を話せと……」


「何!?統領様や御館様の事もか?」


「はい……話さないとここも皆殺しにした後に……な……難民の同胞も全員殺すと……この大陸に居る同胞を全員殺すと……簡単だと……」


イモールはラロカのたどたどしい話を聞いて声を失った。統領や御館の事もそうだが、外には知られていないはずの同胞の事まで出し、しかもその全員の命を質に入れてくるとは。そしてそれが幼児の口から出ていると言うのも衝撃的であった。


「同胞を……そんな事が出来るわけが……」


「いえ、支部長。奴は……あの幼児はここに居た七人を全員手を触れる事もなく……その姿を見る事なく破裂させたのですよ……いとも容易く……まるで息を吸って吐くように……」


「何だと……?なぜ誰も逃げなかったのだ」


「七人は逃げようとしたのです。しかし逃げられなかったのです。扉が……扉が吹っ飛んで失くなっているのに……そこの入口には扉はもう無かったのに……壁が……出来てて。あの……け……『けっかい』とか言うので……」


「何だと……ではそいつもあの『術符』とか言うのを使ってたって事なのか?」


「いえ、違います……奴は自力でやったのです。ま……魔術師だと思います」


「何!?魔術師だと……?相手は幼児だと言ったではないか」


「はい。相手は幼児でした。しかし……魔術を使ったのです。逃げようとしていた七人も『うるさい』との理由で……そして『同胞を全員殺すのは簡単だ』と私に見せつける為に……破裂させて……おぅぅ……」


ラロカは七人、正確には最初の一人の後を追うように六人が次々と弾け散った様子を思い出して酒場の床に嘔吐した。


(何と言う事だ……この親方……俺に暗殺術を教え鍛えてくれたラロカが……こんな姿を見せるなんて……)


イモールはラロカの様子を見て更に衝撃を受けつつも、先程聞いた話について問質した。


「それで……お前は何を喋ったんだ?統領様と御館様の事も話しちまったって言うのか?」


「いえ……私は元々お二人の為人(ひととなり)については存じませんでしたので、元々話せる事など殆どございませんでした。

奴もうちの所属員が普段知れる情報そのものはこの0番以外の襲撃参加者から得ていたようでしたので……」


「むっ……つまりこの支部の場所は0番の部下の口を割らせた……と?」


「いえ、奴の言い方では『彼らの口が堅かったので他の手段を使った』との事でした」


「他の手段?」


「これは……奴の言い様から私が推測した事ですが……奴はどうやら相手の頭部に手を突っ込んで、脳から直接情報を取り出す事が出来るようです」


「なっ……何だとっ……!」


イモールはもう何度目になるか分からない程に新たな衝撃を受けた。


(脳から直接情報を……と言う事は「口を割らないようにする訓練」など魔術師の前では無駄ではないか)


「奴が0番の配下の誰から情報を抜き出したのかは分かりませんが、この酒場の正確な位置と私やあなた、統領様と御館様の事は通名として知っていたようです。

なので逆に言えばそれ以上の……我々の本名やその居場所は掴んでいなかったと思います」


「そ、そうか……」


「私が尋ねられたのはあなた方三人の居場所と……我々に術符を提供した者の名前でした……」


「何?術符の事まで出してきたのか?」


「そうです。術符を渡した者に制裁を加える必要があると……幸いにして私自身はその方の名前を存じませんでしたので……答えようがありませんでした」


「とにかく……私が喋ったのは統領様と御館様のご正体は存じ上げ無い事、支部長はここに常駐しておらず、毎日一度だけ顔を出す程度でお住まいや居場所は分から無い事、そして術符を提供した方の名前も存じ上げ無いと言う事」


「これを『同胞全員の命』と引き換えに喋ってしまいました……申し訳ございません……任務の采配をお任せ下された身でありながら……私は……ううぅ……」


 ついにラロカは涙を流し始めた。既に老境に入り始めていた彼は更に歳を重ねたように小さく……縮み込んだように見えた。


「いや、お前の判断は正しい。お前のような冷徹な……最強であった暗殺者から見て同胞全員の命が危険に晒されていたと判断したなら、実際そうであったのだろう。聞けばそれ程重要な内容は漏らしていないようであるし。ただ……」


イモールは声を改めて尋ねた。


「肝心の事をまだ聞いていないぞ……。その幼児とは一体何者なのか?」


「それについてですが……これも私の憶測でして、確たる事で無いのですが」


「構わん。お前が見て推測出来得る事であるのなら聞かせて欲しい」


「奴は恐らく……この0番達を差し向けたダイレムの……公爵様の子供なのではないかと……」


「何だと?ではその幼児は……確か片目が潰れているのだよな?」


「いえ、それが……奴は両目が開いていました。更に知恵遅れという情報もありましたが、そんな事は無く……ご覧の有様で……」


「どう言う事だ?つまり我らが把握していた情報とは別人という事じゃないのか?」


「えぇ……。ですが、私が以前にアリシア・ランドの処理を命じられた際に聞いていた標的の『金髪で赤みのかかった茶色の目』と言う特徴とピッタリ同じでした。

そして何より……奴は0番を……ダイレムで指揮を執っていたはずのジャンを引っ張って来たのですよ?」


 ラロカの推測を聞いてイモールは考え込んだ。そうだ。そこで死体になっている0番に絡んでいる人物の中で「幼児」と言えば標的である公爵が囲っていた女の産んだ子供しか思い付かない。


しかしここを襲って来た幼児は両目が開いていて、ここの状況やラロカに尋問をかけた様子からして、事前に諜報員に調べさせた情報と人物像が結び付かない。


「さ、更にですが……奴が言うには『お前らがしつこくちょっかいを出してきたから報復に来た』と言うような話もしていました。私が奴を公爵様の子供であると確信するのはそこでございます」


「そうか……そう言う事であるなら、恐らくお前の推測が正しいのだろうが……解らん。障害を持った幼児という情報は……これは……もしかして……」


「どうされました?何かお気付きに?」


「いや、お前も知っている通り我々はあのアリシア・ランドには散々と手を躱され続けたじゃないか。そして5年前にはその子供の存在自体を見落とさせたのだぞ?つまり我々はまたしても『あの女の何か』に(たばか)られたのでないか?」


「なっ……なるほど。つまり今回はあの幼児に騙されていたのかと言う事ですか?奴が公爵様の屋敷へ祖父と連れて来られた時から我らは奴の術中に嵌っていたと?」


 二人とも、アリシアには自分の仕事を失敗させられている。過去の疵に触れるようで複雑だが、あの時に味わった不可解な感覚を考えると今回受けた圧倒的な「報復」も何となく腑に落ちるような気がした。


考えてみれば今まで全く反撃を受けずに人員の損失もなかったのだ。今回そのツケを「まとめて払わされた」と思えなくも無い。それだけ、《赤の民》が統領から引き受けたランド家への攻撃回数が異常だったとも言える。


「実は支部長……私はまだ全ての事をあなたに伝えていません……」


ラロカが今まで以上に恐怖に顔を引き攣らせながら口を開いた。


「何だ……?」


「私が見逃された後の話でございます……」


「なっ……そうか。そう言えば奴はどこに行ったのだ?お前の話ではここに現われたのは今朝早くだろう?あれからもう半日以上経っているじゃないか」


「その事です……。実は、私は奴から伝言を受けております。あなた宛てにです」


「何っ……?そうか……考えてみればここを襲ったお前から大した情報が得られなかった奴の次の目的は当然俺だよな。して、奴は俺に何を言い残していったのだ?」


「はい。奴は支部長がここへ来たら、『これ』を使って自分に連絡をするようにと。15日の0時……つまりあと三日以内に連絡が無い場合は同胞の殺戮を開始すると……」


「何だと!?」


 イモールは思わず声が大きくなってしまった。そしてラロカは懐から注文を取る為のメモ帳に挟まれた「これ」を取り出してイモールに渡した。見たところそれはメモ帳から破り取ったページの紙片にしか見えなかった。


「何だこれは……うっ……!これは……まさか……」


紙片に記されている内容を見てイモールの顔色が変わった。


「こっ……これは……術符ではないのか……?」


「はい。恐らくは術符だと思います。奴は私からこのメモ帳の白紙ページを破り取らせた物を使い、その場で瞬時にそれを造ってみせたのです。私には奴がそれをどうやって造ったのか全く理解出来ませんでした……」


「何と……お前は先程、奴が魔術師だと言ったではないか。俺もそれ程詳しくは無いが、魔術師に術符は造れない。術符を造れるのは錬金術師だと聞いたぞ?」


イモールはかつて、知己のある錬金術師ソンマ・リジから教わった付術品についての基礎的な知識についてラロカに説明した。


「え……そうなのですか?しかし奴は確かに私の目の前で連中を破裂させましたし、その術符も造りました。そして最後は私の目の前から一瞬にして消え去りました。魔術も使っていたと思います」


ラロカはイモールの説明に納得出来ず、自分が半日前に見たばかりの出来事を改めて語った。


「うぅむ……おかしい。今まで聞いていた事が色々と違うではないか……どうなっているのだ……しかし、奴は確かにこれを使えと言って立ち去ったのだな?」


「はい……。如何しますか?一応は『まだ3日』ありますから、何か手を打たれるのであれば……」


「いや、お前からの話を聞いた限りでは今更どう足掻こうが俺の命は無いだろう。相手は魔術師であり錬金術師でもあるんだろう?だとすると多分俺がもうここに居る事ぐらい嗅ぎ付けているだろう。

ここで下手に何か小細工をしてこれ以上奴を怒らせたらそれこそ同胞全てを巻き込んでしまう事になる。俺はもう覚悟を決めたよ親方。俺が死んだ後は同胞達をどうか頼む……」


「そ、そんな!支部長!ご自分だけでそんな……!」


「いや、俺には統領様や御館様からの御恩を思えばあの方々を売る事は出来ん。口を割る前に自分の命を絶つ。しかし何としてでもお前や同胞達には危害を加えないように頼むつもりだ……」


「支部長……そのような事で奴が諦めてくれますでしょうか……?」


「分からない。しかし今の俺にはこれしか思い付かない。3日も待たせて印象を悪くするくらいなら今からでもすぐに奴と会おう。『これ』を使うぞ?お前達はどうする?どこかに避難しておくか?」


「いえ……支部長がそこまでご決心されていらっしゃるのでしたら私も共に立ち会いましょう。私が支部長と一緒に奴に殺されても、まだ赤の民にはドロスが居ます。彼がきっと何とか残された者達を率いてくれるでしょう」


ラロカが言うと、後ろに控えていた二人の職員も諦め半分、覚悟半分の表情で頷いた。


 ドロスとは、《赤の民領都支部》が創設される際にラロカを含む数人と共にエスター大陸の赤の民に初めて弟子入りして7年後に諜報術を修めて帰還した男だ。


彼が領都の難民組織に諜報術をもたらしたお陰で領都支部は稼働し始める事が出来たのだ。彼は今、別の場所で修行中の諜報員へ訓練を施している為にこの場所には居ない。恐らくまだ支部襲撃の事実も知らないと思われる。


「わかった……。それでは腹を括れ。これから『これ』を使う」


「はい!」


 イモールはラロカがルゥテウスから預かったと言う《魔導符》を自分が知っている方法に倣い、右手の中に丸め込んで握った。

結界符とは違い何が起きるか分からない物なのでその先の方法は分からず、そのまま握りしめたまま拳の中にある紙片に意識を集中した。


……やがて。


「ふむ。お前が《支部長》か?なるほど。顔が一致するな」


目の前に突然、ルゥテウスが現われた。術符を握りしめて集中してから、ものの数秒だ。まさかこんなに早く、しかも突然目の前に現れるとは思ってもいなかったのでイモールとラロカ、そして後方に控えていた二人の職員は身構えていたにもかかわらず仰天した。


「随分と早く決心してくれたじゃないか。もっとグズグズと引き延ばした上で最後は逃げ出すと思っていたのだがな」


イモールはようやく我に返った。そして探るように声をかけた。


「は、初めてお目にかかる。もうご存知とは思うが私がこの赤の民領都支部の責任者をしている者でイモールと言う。

貴殿が朝方お相手したこちらの者はラロカと言い、私の師匠でもあり右腕としている者だ」


 イモールが最初から相手に自分を含めて二人の本名を伝えた事にラロカは驚いた。最早赤の民の構成員としての立場からは外れると言う意思なのか。意外にも落ち着いた対応をしている自分の上司に感心してしまった。


「何だ。本名を明かすのか?家族の身がどうとかそこの……ラロカか。今朝はそのように話していたが?」


「いえ。貴殿にこれ以上本名を明かさずにいる失礼を続けるのは得策では無いと思ったのだ。

どうやら貴殿の持つ力は我々がこれまで色々と自分達を守る為に築いてきたものを軽々と凌駕されているように思えてな」


「そうか。まあ良い。俺の名前は知ってるのだろう?お前らが今まで散々にやらかしてくれていたランド家の生き残り、ルゥテウス・ランドだ。

で、どうするんだ。俺は既にお前らの同胞とやらの人数を数えてきたぞ。先程の時点で31711人……一人産まれそうだったから31712人だな。今頃は」


「なっ……!」


「それと……お前らの組織か。俺が昨夜から何人か消しちまったから、それを差っ引いて209人だな。全員居場所も把握した。何時でも全員消せるぞ?」


「そっ……それは……まっ、待ってくれ」


 いきなりルゥテウスの口から同胞と自分の組織構成員の人数を詳細に出されてイモールは動揺した。出鱈目の数字を出されたのかと思ったが、自分の懐中にある通名で記された名簿の人数とほぼ一致している。恐らく昨晩の一件から彼が既に殺害した人数を併せると名簿の数と等しくなるのだろう。


「俺はもう半日待ったぞ。それで?どうするんだ?そこの奴に話は聞いているんだろう?俺からの質問はお前に会えたので四つから三つに減った。統領とか言う奴の名前と居場所。御館とか言う奴の名前と居場所。そしてお前達に術符を提供した奴の名前と居場所。この三つだ」


「す、すまんが今一度確認させて欲しい……。その三人の名前を知って貴殿はどうされるおつもりか?」


「決まっているだろう?俺は見ての通り『ガキ』だが、今回の事は『ガキの遣い』じゃねぇんだよ。キッチリとお返しはさせて貰うさ」


「そ、それは……」


「すまんが、早くしてくれないかな。俺もこれ以上グダグダと待ちたく無いんだよ。どうするんだ。三人を選ぶのか?それとも三万人か?どっちの命を取るんだ?お前は」


まるで取りつく島も無い。予想以上に相手がこちらと交渉する余地を持っていない事を悟ってイモールは焦った。先程の現れ方といい、同胞と組織の人数を把握されている事といい、想像を遥かに超える強敵……と言うよりも敵する事も出来無い存在である事に絶望感が湧いて来る。


「る、ルゥテウス殿。頼む。私の話を少しの間だけでも聞いて貰えないだろうか。頼む。聞いた後で私の命を奪って貰って構わない。しかしどうか……聞いて欲しい」


 イモールは床に這いつくばって懇願した。イモールの突然の土下座を横で見ていたラロカも、イモールの背後で話を恐怖に震えながら聞いていた二人の職員……男女も慌ててそれに倣い床に手を付いて頭を下げた。


(うわっ……面倒臭ぇな……)


ルゥテウスは彼らを見下ろしながら呆れたが、彼らは頭を上げる様子が無い。


「お前ら……今まで何度俺の家族にちょっかい出してきたと思っているんだ?俺が把握しているだけで38回だぞ?実際はもっとだろう?それだけやらかして全部不発に終わってたら、途中から『何かおかしい』と思わなかったのか?自分達の方が「見逃して貰っている」と気付かなかったのか?バカじゃないのか?」


「しかもお前、俺の母が俺を懐妊した事が公爵の屋敷内に知れ渡った当日の夜にいきなりだぞ?そして母が屋敷を追い出されて身重の体を無理矢理ダイレムまで運ばされて死に掛けていたところを、その夜に襲っているんだぞ?それを許せると思うのか?いいか?妊娠していた母を襲ったという事は、当然腹の中に居る俺も襲われたって事になるんだぞ?38回……いやそれ以上だ」


「たっ……頼む……この通り……私の命はどうでもいいから……」


 ルゥテウスは酒場全体に結界を張って、建物の外に音が漏れないようにしてから、おもむろに


―――いい加減にしろっ!!


凄まじい大音声で這いつくばっている四人の赤の民に怒鳴り散らした。余りの大音声で空気が衝撃に変わり、四人を後方に吹き飛ばした。四人は強烈な空気の壁に張り飛ばされて転がされ、茫然となった。


「いいから立て。さもなければこのまま全員ぶっ殺すぞ!」


『全員』とは先程ルゥテウスが挙げた難民と構成員全ての事だろうか。イモールとラロカは慌てて立ち上がった。二人の職員も首を振りながら立ち上がる。


「……もういい。このままでは埒が明かん。ひとまず殺す事は保留にしてやるから、とにかく統領と御館の名前を明かせ。場合によっては殺すのだけは勘弁してやる」


 ルゥテウスはもう、面倒になっていた。


(この支部長ってのは腹を括ってやがるな。そこの親方が朝方見せた忠誠心と同じで命に代えても統領と御館を守ろうとしていやがる。頭を探ってやってもいいんだが……ひとまず長話じゃなければ言い分だけでも聞いてやるか)


面倒になるのと同時に、この支部長や親方……イモールとラロカの命を度外視した二人の上位者に対する忠誠心に多少興味が湧いてきたルゥテウスは、ここまでして二人を庇う理由というか事情が知りたくなってきた。

二人はそこまでの人物なのだろうか。今朝のラロカの話っぷりでは特に統領と言う奴にカリスマ性を感じた。これは一度命のやり取りは別にして会ってみたいと思い始めていた。


「とにかく話せ。俺がこうして譲歩してやろうと言う気になっている間に言わないと後になってどうなっても知らんぞ」


 イモールはそれでもまだ口を割る事に大きな抵抗を感じていたが、目の前に居る圧倒的な存在である幼児が、何か少しだけ聞く耳を持ってくれそうな空気に変わってくれたとその声を聞いて思った。

彼がいきなり目の前に現れ、取りつく島も無い程話が通じないと感じさせられた上に怒鳴り声だけで自分の体が吹っ飛ばされた事で、その圧倒的な力には「どうする事も出来無い」と悟ったのか、自分達には恐らく選択肢等というものが残されていないのだと言う事を思い知った彼は口を開き始めた。彼はまず周囲に居る赤の民の者達に侘びるように言った。


「済まない。みんな……これ以上足掻いても無駄だ。我々とこの方との力の差は歴然で、しかも顧みて我々は今までこの方とその御母堂に対して『ただ命じられるがままに』散々と無礼を働いてきた。

ここはもう観念して全てを話し、この方の寛恕を願おうではないか」


「支部……いや……イモール様……」


 ラロカは俯いて涙を見せた。二人の職員も同様にすすり泣いていた。考えてみれば「組織」であり命令を受けたとはいえ、異常とも思える襲撃を今目の前で自分達を睨み付けている圧倒的な存在に対して行ってきたのだ。身の程知らずにも程がある。

自分達はまず、これだけの回数に上る命令を何の疑問も持たずに受けて、そして失敗し続けているにもかかわらず繰り返し実行に移してきたという異常性に気付くべきであったと今更ながらに思い知るのであった。


「ルゥテウス殿。貴殿とご家族への数々の御無礼に対して今更で恐縮だが謝罪させて頂きたい。貴殿の貴重なお時間をこれ以上無駄にはさせたくない故、貴殿の要求通り、話させてもらおう」


(やっと話す気になれたか。脳味噌を抉らなくても良さそうだな)


「わかった。事情は考慮する事を約束してやろう。しかしあくまでも考慮するだけだ。内容によってはその限りじゃないぞ」


ルゥテウスは釘を刺した。


「ご寛恕、痛み入る。早速だが、統領様と御館様。このお二人だが御館様の名はエルダ・ノルト=ヴァルフェリウス。ヴァルフェリウス公爵様の正夫人だ。そして統領様の名はシニョル・トーン。公爵夫人様の執事をしておられる女性だ」


「あ?エルダ?お前らが崇めている御館ってのは、あのエルダのババァか!」


 ルゥテウスは思わず声を上げた。彼が聞いていた「御館様」と言うのは露頭に迷う難民を救い、この公爵領にキャンプを作ってそこでまともな暮らしをさせるという慈善事業のような事をしている人物であると認識していた。そしてその人物像は彼が知るエルダという「下半身のだらしない」老女とは似ても似つかないものであった。

そしてシニョルという女性の名は初めて聞くものだった。リューンの話にも出てこなかった名前だ。


「お前ら、そのエルダというババァの正体を知った上で崇めてるのか?」


突然、ルゥテウスが声を上げたので一同は驚いた。イモール以外の三人は「御館様」の名前とその正体を初めて知って状況が良く呑み込めていないし、イモール自身はルゥテウスにエルダの正体について言及され、崇拝する御館様が罵倒されている事に気付けなかった。


「き、貴殿は御館様の事を御存じ……そうか。貴殿は公爵様の御子息。正夫人であるエルダ様を存じ上げておられて不思議では無いな」


「もう一度聞く。支部長よ。お前はエルダの正体を()()()()()のか?」


「えっ……?質問の意味が解りかねるのだが……」


「ちっ……しょうがない。質問の仕方を変えてやる。御館の正体がエルダと言うなら、俺の母への襲撃をお前らに執拗に命じて来たのは御館自身だな?

それならばなぜ、御館……エルダは俺の母をあれだけしつこくお前らに襲わせたのかちゃんと解っているのかと言う事だ」


 イモールはルゥテウスの質問がまだ理解出来無い。自分達はこれまで統領から申し送られて来るままにアリシアを襲撃し、今回は海鳥亭を襲撃した。

これまでこの異常な回数、言い換えれば執拗なまでに彼らを襲撃の標的にしてきた意味など考えた事が無かった……この事にイモールは今更気付いて自分で驚いた。


イモールは頭の中の整理がつかないまま、自分の知っている事を基にして答えた。


「そ、それは……貴殿の御母堂であるアリシア様が公爵様にご寵愛を受け……そして貴殿を懐妊された事を知った正夫人である御館様がその……し、嫉妬に燃えて……」


「あははははははは!」


 突然、ルゥテウスが大声で笑い始めたので一同は驚いた。彼の笑い声は幼児のそれで、その容姿の美しさも相まって無邪気な幼児の笑い声に聞こえた。しかし一同の心中はそれを見て心が和むといった感想を持つ事は難しかった。


「なっ……どうされました?」


「なるほど。お前は事情を全く知らされて無いままに俺達を襲ってたのか。それを知って堪らなく可笑しくなったのだ。はははははは」


ルゥテウスは尚も笑うのを止めない。


「そうか……お前らはまさに『操り人形』だったわけだ。なるほどな。これで色々と繋がった。この組織が創られた理由……この組織は何年前からあるんだ?そんなに昔じゃ無いよな?」


「は、はい……実際に稼働し始めたのはここ16、7年程でございますが……創設したのは25年程前でございます……」


「くくく……やはりそうか。しょうがねぇな。あのババァは。自分の拙い秘密がバレるのを恐れて殺人組織まで創るとはな……いやぁ、恐れ入った。そしてお前らはそんなババァのチンケな考えの為に25年も踊ったか。いやはや凄いね。まぁ、難民なんていう連中だから利用しやすかったのか」


イモールはルゥテウスが笑いながら納得した顔で話す独り言を聞いて不審に思った。「25年も踊らされていた……」と言う内容が看過出来無い。


「あの……その『秘密』とは何の事なのでしょう。我々は25年も……とは、貴殿の御母堂を標的としたのは6年前の事なのですが……」


「あぁ……だから6年前から始まった母への襲撃の理由の根本が25……いや27年前にあるんだよ。いやもしかしたらもっと前か」


……益々解らない。今やイモールだけではなく、今日初めて御館の正体と名前を聞いた他の三人も先程来のルゥテウスの態度と言葉で、今まで抱いていた「立派な御館様像」に少しずつヒビが入って行くのを感じた。


「お前が……いや、お前らがどうしても知りたいと言うならば、話してやる。信じるかそうで無いかはお前ら個々の考え方次第だ」


「ぜ、是非教えて下され。我ら組織の誕生に関してそこまで言われてこのまま何も知らないでは済まされませぬ」


「うーん。まぁそこまで言うなら話すが、その前にお前らにまず聞きたい事がある」


「な、何でしょう?」


 イモールを除く三人は最早口を挟むつもりは無く、ただルゥテウスとイモールの話を聞くだけである。今やイモールを含めた四人にとって当初の「三人か三万人か?」という問題は脇に置かれて、「自分達の存在意義」に思考が移ってしまっている事に気付いていない。


「お前らは今こうしてこのオーデルに居を構えているな。まぁ、お前らの同胞も含めてだ」


「は……はい」


「そして俺が今聞いたところでは、その同胞を援助してまともな暮らしをさせてくれているのがヴァルフェリウス公爵夫人だという事が分かった」


「左様にございます」


「では、お前らはそのヴァルフェリウス公爵家が、一体どんな家だかどこまで知っている?」


「そ、それは……ヴァルフェリウス公爵家はこの国で一番格式の高い貴族で……広い領地をお持ちになって……」


「そう言う事じゃない。まぁ仕方無いか。国民ですらこの事に気付いている奴はほんの僅かだからな」


「な、何の事でしょう……?」


 イモールは多少不安になった。正式な国民ですら殆ど知らない公爵家の「何か」を国民ですら無く、余所者(よそもの)である自分達が知っているとは思えない。


「ヴァルフェリウス公爵家というのはな。当代で107代目だ。その程度の事ならそれなりに知っている奴は居るだろう。

しかし、その107人のヴァルフェリウス公爵家で、俺を含めて『三人も』ガキを作った当主は今のジヨームが初めてだ」


「……えっ?」


「つまり……だ。もっと言ってしまうと実子が二人以上居るのも今の公爵が史上初めてだって事だ。3000年の歴史においてだぞ?」


「……?」


「まだ解らんか。つまりヴァルフェリウス公爵家っていうのは代々ずっと、いつの時代も『一人っ子』で続いてきた家系なんだよ。途中で養子とか取ってるボンクラが居たりしたが、これまで必ず実子は一人しか生まれて無いんだ」


「……え……ええっ!?」


「どうだ。解ったか?」


「で、では……なぜ今の公爵様には貴殿も含めて三人の御子息がいらっしゃるのですか……?」


「お前、ここまで言っても気付かないのか?それとも気付かないフリでもしてるのか?」


 イモールは今や頭が混乱しているが、後ろに居た女性の職員が「ああっ!」と声を上げた。どうやら彼女は気付いたらしい。


「ほら。どうやらそっちの女の方が頭の回転が早そうだぞ?大丈夫かお前」


ルゥテウスがニヤニヤしている。


「これ以上、こんな幼児に言わせるなよ」


イモールはルゥテウスの顔を見て、そして言葉を聞いて気が付いた。


「あっ!なっ!?まっ……まさか……」


「やっと気付いたかね」


「そんな……まさかそんな……」


「最初の『息子』ってのが産まれたのが26年前。公爵夫妻の婚姻一年後だ。そして次のが25年前。ちなみに婚姻が27年前。お前らの組織はいつ頃出来たんだっけか?」


イモールにはようやく事情が分かってきた。


「ま、まさか……御館様の『秘密』というのは……」


「その『まさか』だ。お前さん達が神のように崇める御館様は、なぜお前らに殺人組織を作らせたのか。そして恐らくお前らはこれまで何人かあのババァの依頼で人を殺したんじゃないか?それも恐らくは理由も聞かされずにだ」


「どんな奴を標的にしてきたのかは俺には分からん。しかし暗殺組織を動かしてまで殺さないといけないような奴じゃ無かったんじゃないか?お前らは今までババァからの依頼でちゃんと理由を聞かされてきたか?」


全て図星である。ここまで『部外者』に指摘されたら最早疑いの余地も無くなる。


「まさかそんな……我らはこれまで御館様……公爵夫人の……ふ、不始末の尻拭いをする為に暗殺術を覚えて……それを口封じに使わされていたと……?」


「さぁてな。それを信じるか信じないかはお前達次第だ。しかしこれだけは覚えておけ。ヴァルフェリウス公爵家には決して三人も子供は生まれない。そして俺の母は『公爵の子を懐妊したから狙われた』し、俺は『公爵の子だから狙われた』んだ。これはお前らだって認めるだろう?」


 ルゥテウスの余りにも説得力のある御館様の「秘密」を知り、更に自分達の組織がどう言う理由の下で援助を受けて作られたのかを聞かされて四人は混乱していた。


「俺がさっきから可笑しくて仕方が無いのは、お前らが神のように崇める『御館様』が下半身のだらしないババァである事を知っているからだ。お前らが死ぬのも恐れずに御館様の正体について口を割らない事が面白くてしょうが無いぞ」


「そっ……それは……し、しかし……」


「うーん。どうもあれだな。お前にこれ以上ババァの話をしても埒が明かんな。本人に直接お前達の前で吐かせてもいいんだが、こうなると三万人の連中が気の毒だな」


「えっ……?そ、それはどう言う事で……?」


 俯いて何やらブツブツと独り言を言いながら考えをまとめていたイモールが、ルゥテウスの言葉に驚いて顔を上げる。全く今日は命を失うかと思ったがそれ以上に驚かされてばかりでそれどころじゃ無い。


「お前らはもう『秘密』を知っちまったが……この秘密ってのはバレるとヤバい話なんだ。何しろ貴族……それもお前がいみじくも言った通り、貴族の中でも最高の格式を持つヴァルフェリウス公爵家の……正夫人の不義密通だからな。バレたらババァの首が飛ぶだけじゃ収まらない。

ババァの実家のノルト伯爵家はそれ程歴史が古く無いようだから俺は知らなかったが、今じゃ羽振りの良い中々の家のようだしそこにぶら下がっている貴族も多い。

不義密通だけならいざ知らず、不義の子を嫡出子と偽った上でその秘密を守る為だけに難民を利用して殺人組織を創設した挙句に、少なく無い国民の命を奪わせたとなると……」


「ババァの首が飛ぶのはどうでもいいが、こりゃ三万人も巻き添えになるな。ババァが居なくなったら、当然あのキャンプは閉鎖だろう。

何しろ重罪人の肝入り施設だしな。それで済めばいいが、殺人組織に人材を供給していた事がバレて全員アデンの海に放り込まれるんじゃねぇか?」


「な、な、なんとっ……!そっ、それは……!」


「解るだろ?どうするんだ?今ならここに居る……俺も含めて五人か。そこだけで『秘密』の暴露は止まっているぞ?それとも今までのように改めて俺の口を封じてみるか?」


ルゥテウスは目に挑戦的な光を浮かべながらイモールに言った。


「とっ、とっ、とんでもない……!そのような事……しかしこのままでは同胞の皆が……」


(なんか面白くなってきたな。あのババァを殺すのは簡単だが俺の手でやって変な切っ掛けを作りたくなかったからな……。

それにあのババァにそんな楽な死に方をして貰ってはおじぃも、おばぁも、母さんも納得してくれないだろう。もっともっと大きく周りを巻き込んで、盛大に丸ごと流砂に呑み込まれて欲しいわ)


 ルゥテウスは「御館様」の正体がエルダであると知り、先程までの難民と赤の民への鬱屈がかなり和らいでいた。

思えばバカな連中とはいえ哀れではないか。最底辺の暮らしを3000年も強いられてきた末に恥ずかしい秘密を抱えたババァの垂らした釣り針に掛かって悪事に手を染めるとは。25年もの間踊らされてきたとは。

そしてエルダの破滅に巻き込まれてアデンの海に放り込まれるのは、逆に少し気の毒になってきた。しかしここで


「エルダに代わって俺が難民を助けてやろう。引き受けてやろう」


等とは決して思わないのがルゥテウスである。自分の静かな余生を目指すだけでも面倒臭い事が予想されるのに、これ以上色々なものを背負っていられるかと言うのが彼の偽らざる心であろう。


「ルゥテウス様……わ、我々はどうしたらいいのでしょうか」


イモールはもう、自分が……組織はどうすればいいのか分からなくなり、ルゥテウスに知恵を借りるしかないと思っていた。いつのまにか言葉遣いも丁寧な敬語になり、皆殺しにされるかと思っていた相手に頼るしかないという不思議な状況に変わってきた。その相手は面倒臭がっていたが。


「いや、俺は知らねぇよ?騙されていたと言うか、利用されていたお前らが悪いわけだし。俺はむしろ被害者だしな」


「そ……そんな……」


「うーん。ちょっとあれだが、話を戻させてもらうぞ。エルダのババァの話が俺にとってもあまりに衝撃的だったからな。すっかり忘れていたが、お前らの口ぶりだと統領って奴はどうしてそんなに崇拝されている?御館の正体がエルダだと知った今では俺はそっちが気になるぞ?」


ルゥテウスは突然、「もう一人」の名を持ち出してきた。


「あっ……はい。統領様……シニョル・トーン様は我々と同じく難民出身者なのです。戦時難民という境遇から自らの才覚だけで公爵夫人様のご側近にまで上り詰めた方で、元々は統領様こそが我ら難民の為の施設領域を設置して組織化する事を思い立たれた御方なのです」


「ほぅ」


「今となっては……統領様のお考えも解らなくなってしまいましたが、確かにあの方は難民出身者として同胞である我々を救ってくれた方なのです。例えその理由が如何なる事であろうと、あの方が我ら同胞を思いやって下さっているお気持ちに偽りは無いと思います」


イモールは「統領」ことシニョル・トーンの素晴らしさを切々とルゥテウスに説き始めた。


(うーん……もしかして「カギ」となるのはこの統領って奴の方か?)


 ルゥテウスの持っているイメージだと、エルダという老女はそれ程思慮深く無く、これ程の組織を創設させると言う知恵など持ち合わせていないように思える。そうでなければ婚姻後も不義を繰り返して「二人も他人の子を産む」などという真似をするわけが無い。彼女に対してルゥテウスは知性を全く感じられないのだ。


そうなると、そのような主を補佐して難民の保護と暗殺組織の創設の為に主から資本を引き出した「統領」という人物に一層興味が湧いてきた。


「ふむ……会ってみたいな。その統領に」


「えっ……しかし……」


イモールは不安になった。元々目の前に居るこの強大な力を持つ幼児は親愛なる統領も報復の標的に加えていたはずだからだ。自分は既に彼女の本名を明かしてしまったが、だからこそ一層彼女の生命に責任を感じるのである。


「いや、別にもう引き摺り出してすぐに殺そうなどとは考えていない。俺はそのトーンと言う……女だっけか?そいつと話してみて、その本心が知りたい」


「どうやら、お前の話を聞いていると三万人の同胞を救えるのはその統領かも知れないと思ってな。俺は救ってやる気はサラサラ無いし」


 ルゥテウスは今の時刻を確認した。酒場の厨房の壁、彼が入口の扉を突き刺したすぐ右側に小型の壁時計が掛かっており、扉の衝突で壊れていなければ現在の時刻は21時20分である。


「そのトーンと言う女は公爵家の屋敷に住んでいるんだな?屋敷のどの辺りの部屋か解るか?」


イモールは一瞬、どうするか迷ったがここは腹を決めて話す事にした。


「ルゥテウス様は屋敷の構造がお分かりでしょうか?」


「いや、実は微妙だ。今の屋敷というのはいつ頃建てられたものか知っているか?」


「いえ……申し訳ありません。私もそれ程お屋敷の事について詳しくありませんので……」


「うーん……そうか。解った。これからちょっと行って、トーンの部屋を探し出してここに連れて来る。少し待っていろ」


「え!?公爵様の御屋敷にですか?それはちょっと無謀なのでは……」


「いや、別に大した事は無い。少し面倒ではあるがな」


「さ、左様でございますか……分かりました。お待ちしております」


「よし。結界はこのまま張っておく。逃げないとは思うがお前らの今後が懸かっているのだからな。おかしな事は考えるなよ」


「はい。ルゥテウス様……」


「何だ?」


「私の話をお聞き届け頂き誠にありがとうございました。改めて御礼申し上げます」


そう言うとイモールは深々と頭を下げた。横に居たラロカと二人の職員もそれに倣った。


ルゥテウスはそれには何も応えず、右手を一振りして姿を消した。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド

主人公。5歳。史上10人目の完全なる賢者の血脈の発現者。「封印解除即報復」を考えていたが、意外に面倒な事に気付く。


イモール・セデス

暗殺ギルド《赤の民》の幹部。領都での活動を束ねる男。エスター大陸出身で元戦時難民。理性的で穏やかな男性。


ラロカ

暗殺組織《赤の民》の領都支部の本拠である偽装酒場の管理者。組織内では《親方》と呼ばれている。元暗殺員。呼び名の由来は本場で学んだ暗殺技術を支部に伝えたことから。


《0番》

暗殺組織《赤の民》所属の暗殺者。領都の支部でも屈指の実力を持つ。《海鳥亭》一家襲撃の現場指揮を執ったが覚醒した主人公に返り討ちに遭う。本名はジャン。


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