応報
ようやくタイトル回収の流れになってきました。
【作中の表記につきまして】
物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。
・距離や長さの表現はメートル法
・重量はキログラム法
また、時間の長さも現実世界のものとしております。
・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日
但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。
・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年
・4年に1回、閏年として12月31日を導入
以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくおねがいします。
リューンと決別したルゥテウスは、一旦ダイレム上空へと飛び立ち、左手に《赤の民》の0番の頭髪を掴んでぶら下げたままその場で考えた。
(こいつ……面倒臭いな。ここで捨てちまおうか……いやいや。こいつは生きた証拠として「飼い主」にお返しないとな。
まぁ、証拠なんて要らねぇか。問答無用で「酒場」ごと塵にしちまうか……)
等と物騒な事を考えていたが、もっと「面倒」な事に気付いた。
(そうか。ここはダイレムだったな。領都との直線距離にして屋敷まで450キロか……。こんなのブラ下げて飛んで行くのも面倒だな)
そして、その状態で更に気付いたのが
(待てよ……俺がこのまま領都に乗り込んでこの「ナリ」で行動したら発現したのが一気にバレるな。本来ならば領都まで飛行するのもあまり好ましく無い。
ここから2000キロ以上離れているとは言え、王都の魔法ギルドの上の奴等に魔力を探知される可能性がある。
奴等には俺が発現している事はなるべくバレない方向でこの先の「余生」を送りたい。
公爵家から血脈が失われた事が広まると国内に余計な混乱を招きそうだな。そうなるとこの町の人達にちょっと迷惑がかかるかもしれんな。しょうがない……)
この男にしては色々と配慮に富んだ思索を経て、とりあえず彼は自分の髪と瞳に宿る《賢者の黒》は偽装する方向でその長い「余生」を送る方針を固めた。
更に長時間の飛行は魔力探知に掛かってしまう可能性があると踏んで、もう少し楽な方向として「瞬間移動」で領都まで行く算段をした。
ダイレムからオーデルまで二頭立ての長距離駅馬車で5日も掛かるが、ルゥテウスが本気で飛べば恐らく10分程度で行けるはずだ。
しかし高速飛行には少なく無い魔力使用がかかる。しかも発現者であるルゥテウスの場合、魔法使用にはマナでは無く魔素を使う。
現代の地表における、いわゆる《魔法世界》の人々においては大半がマナの方を利用する魔術師である。魔素を動かすとそれだけで目立つ。
建前上、王都にある魔法ギルド本部においてはギルド所属の如何によらず世界中の魔法使いが「登録」されており、その動向を監視している。
魔導や魔術が引き起こす超自然現象と言うのはそれとは縁の無い「普通の人々」にとってはどれも「驚異的」な、そして「脅威的」なものにもなりかねず、厳しく監視をする事で、一種の「抑止」としているのだ。
皮肉な事に、このような魔法ギルドの監視活動を創案したのは他でも無いルゥテウスの先祖である「黒い公爵さま」の一人である。彼からすると「余計な真似」をする先祖が多くて困惑するしかない。
そしてそのような「魔法世界」において、その誕生と同時に力が封印され、5歳にしてようやくその縛鎖から逃れたルゥテウスは「未登録の野良魔導師」とも言うべき存在だ。
恐らく今ここで彼がフルパワーで超高速飛行などしようものなら、未知の超巨大魔力反応にギルド本部が蜂の巣を突いたような大騒ぎになってしまう。
(意外に面倒臭いな……)
別にバレてしまっても個人的には構わないのだが、存在が認識されてしまうとそれだけで色々な場所で政治力学を乱してしまうのが第三紀における《血脈の発現者》という存在なのである。
しかも彼の先祖で公爵家の当主として不完全とはいえ三人の賢者の知、二人の賢者の武である発現者が《黒い公爵さま》としてその都度王国の膿を押し流してきた歴史がある。
その末裔たる自分があっさりと爵籍を捨てて「のんびり暮らす」と言うのは、如何に許されるのであろうか。
(これは思った以上に慎重にやる必要があるな……俺の余生の為に。面倒だからと力で公爵家を吹き飛ばすと、あちこちの関係各所に影響を及ぼしかねん。いや、別にいいんだけどダイレムには迷惑を掛けたく無い)
等と殊勝な事を考えながら、まずは自分の容姿を賢者の黒から、先程のアリシアから引き継いだものに再度変更する。
そして瞬間移動には「過去に自分自身で行った事のある場所」というマーカーが必要なのだが、彼はリューンの話から自分は一度公爵屋敷に召し出されているという事実を知っているので、そのマーカーを脳内で探ってみた。
しかし反応は無い……ルゥテウスは暫く考えて、
「封印作動中にはマークされない」
という思わぬ「瞬間移動」と「封印」における新知識を得てしまう事になった。
(いやいや……そんな新知識いらねぇよ!)
彼は心の中で叫んだが、実は領都に瞬間移動する方法が一つだけ存在した。彼もそれを真っ先に考えたのだが、移動後が面倒である事に気付いて候補から外したのだ。
それはいわゆる《血脈の感知》を利用してこの世にもう一人だけ存在している血脈関係者である父ジヨーム・ヴァルフェリウスをマーカーにするという方法だ。
実は既にジヨームに対する感知は済んでおり、ショテルがリューンを使って月を撃った際の方法を流用して父親をマーカーにするのは可能であると確信は出来ている。
しかし、彼がマーカーとして父を利用して瞬間移動した場合、到着した瞬間にジヨーム側に感知される可能性がある。実はこれが一番面倒臭いとルゥテウスは考えている。
いくら血脈関係者として無能であろうが、それだけの至近距離であるなら時間帯的に睡眠中とは言え感付かれるリスクを負うのは望ましくない。
彼が最前に考えた「意外と面倒臭い」とはこう言う事なのだ。
「能力が覚醒したら、公爵家関係者と公爵家屋敷を即消し飛ばす」
等と封印期間中は考えていたが、封印が解除されて本来の知性が戻り、それに伴ってご先祖様が代々作ってきた「余計なシガラミ」も一緒に理解してしまったルゥテウスは困惑した。
(結局、ゴリ押しは出来無いのか……いやぁ、面倒臭い)
とりあえずここは考えている暇があったら移動しようと考え、彼は魔導を隠蔽する移動結界を張りつつ、結界が剥がれない程度の速度で領都へと向かった。
それでも速度としては時速200キロ以上は出せるはずなので左手の「荷物」を考慮しても二時間もあれば着くだろう。
上空300メートル程の高さで、ルゥテウスはヴァルフェリウス公爵領の南西から北東方向へ横切るように、切り裂くように飛んで行く。彼自身の脳内には公爵領の地形が精密に収められていて、領都を目指す方向に迷いは無い。
何しろ彼の先祖は代々の当主であり、やはり今の彼と同様にかつては堂々と自領内の上空を飛行していたからである。
そして彼の脳内にはこのレインズ王国の建国を見届けた後に忽然と姿を消した《黒き福音》ヴェサリオのその後の人生も記憶として残されていた。
彼はレインズ王国建国ですら「放浪物語の一場面」としか捉えていなかった節があり、80年の人生の中、北サラドス大陸に滞在したのは23歳から29歳までの6年弱だけで、残りの人生は死の直前まで魔物と戦い世界を旅する時間に費やされた。
しかし、彼のこの人生を賭けた地表放浪は、世界のあまねく場所に対する地理的知識の恩恵を後世の発現者に残した。もちろんルゥテウスもその一人である。
彼は自身の覚醒後の行動範囲としては「ダイレムの下町と中心街の飲食店」しか無かったにもかかわらず、その地理的知識はこの惑星ラーの地表を隅から隅まで網羅されていた。 但しその大半は「3000年前の時点で」という修飾が頭に付くのだが。
彼とルゥテウスの間には五人の発現者が出現したが、彼らは一様に「黒い公爵さま」と呼ばれ、主にレインズ王国内を活動の範囲に留めた。
レインズ王国はその3000年という長い歴史の中で領土の伸縮を繰り返しており、大王が黒き福音の力を借りて大陸統一と建国を果たした際には、この世界で三番目に大きい北サラドス大陸全域が版図であった。
大陸の南方にあった「レイドス」という部族集落を起源とするレインズ王国はその大陸統一事業も南から北に向かって、尚且つ黒き福音の力を借りた短期間に果たされた為に、北方の部族を慰撫する事に苦戦し、建国後には何度も叛かれている。
叛かれては平定する事を繰り返した結果、最後の発現者であったレアン・ヴァルフェリウス亡き後の時代である今から約450年程前の、王国歴2570年代から段階的に王国の発展の足を引っ張り続けた北方三分の一部分を「放棄」して現代に至る。
放棄された「大北東地方」は統治者不在のまま戦乱が続く状態となるが、時折統一王朝が誕生したりしてレインズ王国との「付かず離れず」といった関係が続いている。
ヴァルフェリウス公爵領も主に北方の辺境に代々受領していたので王国の版図が最大であった時期に比べるとその領地面積を二割程度削られた状態になっている。
そもそも大陸を単独統治していた頃は「国境」は外海に引かれていたものであった為、ヴァルフェリウス公爵領が他国と陸地で境を接しているという状況になったのは長い歴史からみれば「ほんの」450年前という事だ。
それまでは領内のほぼ中心位置にあった領都オーデルは北東方向の二割の領域を失った事で、現在ではかなり領内でも北東に偏った位置になってしまった。
現在の大北東地方を制しているのは約70年前に誕生した《ニケ帝国》である。「帝国」を自称しているが隣国のレインズを始めとしてその「帝位」を承認している国家および団体はおらず、僭称という扱いにされており、足枷としてあえて北方を捨てたレインズとの国力差は著しい。
北方との「国境」が誕生した事で国境交易の拠点として急速に勃興したヴァルフェリウス公爵領内第二位の都市アッタスの30万人という人口を超えるような都市さえ持たず、「帝都」と呼ばれるイノルタスでさえ漸く25万人にまで発展させてきたというのが現状だ。
レインズ王国が大北東地方を放棄した頃には最大でも人口数千程度の「町」に発展した集落が点在していた程度だった頃に比べれば450年間で格段の発展である。
但し、北方の低い生産能力では多くの人口を養えないという慢性的な問題も残っている。
そしてややこしいのは、この大北東地方の分離が最後の発現者であったレアンの没後に行われている為、現段階でのルゥテウスが持つ血脈の記憶において地形に関する知識はあるが、「そこに国境がある」という認識どころか
「北サラドス大陸にレインズ王国以外の国家が存在している」
と言う国際常識までもが欠落していると言う状況にある事だ。
こうした前代から700年もの記憶の空白が生じているのは、今後の彼の活動に少なからず影響が生じるのだが、現時点でその事に彼は気付いていない。
彼の脳内には領都オーデルの先にはまだ700キロ程度の公爵領が続いていると言う認識のままなのだ。
(いかんな……時間的にこれでは到着が未明になるな。もっと深夜の時間帯に連中の「ねぐら」へ推参しないと頭株の奴等を捕り逃がす恐れがある)
色々と今後の状況と自分の将来を熟慮した結果として、ルゥテウスは今回の行動を「襲撃の責任者への制裁」と「結界術符関係者への制裁」の二点に絞っていた。
ここでジヨームやエルダの首を跳ね飛ばすのは簡単だが、その後の騒乱を考えると、その端緒に自分は関与したくない。
彼らが汚辱に塗れて没落してくれるなら自分達の一族の溜飲も多少下がるだろうと考え、ルゥテウスは元凶二人に対する報復を「武力的」から「政略的」に路線変更する事を余儀なくされたのである。
(あのクズ夫婦が政略を使ってくるなら、こちらもそれに倣って相手をしてやるべきだ。最早あの家には未来が無いのだからな)
ルゥテウスが今後の方針変換についてある程度の見通しを立てたところで彼と彼の左腕が雑に保持している赤の民0番は領都オーデルのスラム地域の上空に到着した。
時刻はまだ4時を回っておらず、12月の日の出にはまだ幾分か余裕もある。ここで連中の本拠地を急襲しても、1番の脳内から収集した四人の責任者らしき人物が不在である可能性を考え、ルゥテウスは思案した。
(うーん。このままここを襲っても、「親方」とか言うのは捕まえられるかもしれないが他の「支部長」、「統領」、「御館」と言うのは無理かもしれんな。
さっきの奴の認識では常駐しているのは親方だけで、支部長と言う奴ですら不在の場合が多いと言う内容だったからな)
親方を捕えて支部長の居場所を吐かすか。しかし先程の海鳥亭裏庭での末端襲撃者の態度からして口は堅そうだ。1番に対して行った「直接的尋問」は自分の性格からしてあまり使いたくない。
「直接的尋問」は別段手を頭部に直接突き入れなくても可能なのだが、あの時は怒りが頂点に達していたので、「ついやって」しまったのだ。本来ならば拘束した上で頭に軽く触れれば済むのだが、相手の意思が強固な場合、結果として廃人にしてしまう可能性がある。
こうなると、支部長の居場所を得る為に親方を廃人にし、統領の正体と居場所を突き止めるのに支部長を廃人にし……を御館まで続けなければならなくなる。
流石にそれは面倒なので、彼はもっと「スマートに」事を進める事にした。
ルゥテウスは0番を左手で掴んだまま空いている右手を水平に払う仕草で服装を青のローブから、彼の知る一般的な下町の子供の服装に変えると、見た目はすっかり「下町のかわいい子供」となった。
彼は1番の記憶通りに《赤の民》が領都の支部として使用している偽装酒場の上空から通りに面した入口前に下り立ちその様子を窺った。
《土竜》と大きく殴り書きされた扉を見て、それがこの酒場の呼び名なのだろうと解釈し
(なるほど。こいつらに相応しい名ではないか)
と苦笑してから、その扉を勢いよく店内に向かって蹴り飛ばした。
「土竜」と店名が殴り書きされたその扉は石造りの店構えにどっしりと嵌っており、高さ190センチ、幅100センチ程度に加え寒冷な地域特有の厚さ10センチ程度ある頑丈な造りで、更に補強の為に鉄枠に嵌められて、長辺の中程にも鉄板で補強が入っているという、スラム街には凡そ似合わない物であった。
これは恐らく諜報・暗殺組織の本拠地として外からの襲撃に備えて頑丈にしてあるのと、防音も意識されていると思われる。
「本来」は外側からの「押し戸」として施工されていた扉は、「本来機能する方向に本来では無い力」によるルゥテウスの強烈な蹴りによって蝶番ごとその土台となっていた壁の一部も割れ剥がして前方へ一直線に吹っ飛んで行った。これが彼なりに考えた「スマートなやり方」の始まりである。
ルゥテウスは扉に続いて一歩店内に入り、上空から観察して把握していた建物の敷地一杯に結界を張った。
これで今からこの店で起こる出来事は外部から窺い知る事は出来無いし、店内から逃亡者を出す事も無い。言わば赤の民の襲撃者自身が海鳥亭に対して行った事をそのまま返したのである。
重さ数十キロはあるであろう分相応に大きく頑丈な扉は唸りを上げて店内に向かって吹っ飛び、その直線移動上の机や椅子などの備品を吹き飛ばしながら15メートル程度先にあるホールと厨房とを区切る壁面に衝突し、その石積みの壁を一部破壊してめり込む形で止まり建物全体を激しく揺さぶった。
時間帯が幸いした……と言うか、その線上に人間はおらず誰も巻き込まずに済んだが、壁を挟んだ厨房側では扉が衝突した衝撃で壁の向うに積み重ねられていた食器が吹き飛んで大量に破損していた。
この時間、この赤の民領都支部の建物である偽装酒場「土竜」には店内に11人の「客」と「従業員」が居り、その全員が赤の民関係者であった。
「客」として飲食しながら支部に待機していた諜報員五人、暗殺員二人とこの時間帯に支部に詰めていた従業員に扮した職員三人と、責任者である「親方」一人の計11人である。
この朝4時というのは赤の民という組織の性格上、むしろ通常の活動時間範疇に含まれる時間帯で、幹部の「親方」も通常業務で支部建物に詰めていたのである。
彼らは突然の轟音と共に巨大な入口扉が奥の壁面に突き刺さるのを見て仰天し、体が固まってしまった。あれだけの大きな扉が店内の机や椅子を蹴散らしながら一直線に奥の壁に飛んで突き刺さるというのは、彼らがその人生で獲得した経験で得られた現実的光景を越えていたからである。
非現実的な光景が突然目の前で起こった事で彼らは完全に思考が停止してしまったのだ。10年を超える修行を経て一人前になるという彼ら精鋭にして、これだけの光景は今まで体験した事が無かった。
「はい。おはよう。みんな目が覚めたかな」
ルゥテウスは扉の蝶番基礎ごと吹き飛んで崩壊しかけた入口を塞ぐ形で立ったまま、中の人間に調子はずれな声で挨拶をした。
その左手には相変わらず両手両足を炭にされた挙句に極寒の12月の夜空で高速低空飛行に付き合わされた人事不省の0番が背の低い彼に引きずられるような形でぶら下がっていた。
頭髪は一部で自重を支え切れずに抜け散らしており、元から特徴の無い顔であった為に余程の知り合いでも無い限り、彼があのエリート上級暗殺員であった事は解らない。
実は扉を蹴り飛ばした際に、彼の持つ力に成長し切っていない幼児の体がついていけず、右足を二ヵ所と右股関節を骨折してしまった為、店に一歩踏み込んだ瞬間に走った激痛で声の調子を狂わせてしまった。ルゥテウスは慌てて回復陣を右足元に展開させて右足の治療に入った。
店内に居た連中が思考停止せずに落ち着いてルゥテウスの足下を見る事が出来れば、彼の右足の下に小さな青い魔法陣が浮かんでいた事に気付けたかもしれない。
実際、店内に居た赤の民の面々がルゥテウスの隙を突けたのはこの時だけだったが、結局彼らは奥の壁に突き刺さった扉を見て圧倒されてしまい、脳内信号が飽和して彫像のように固まってしまったのだ。
(ふぅーむ……これがリューンも言っていた「誰もが通る道」ってやつか。少し考え無しにやり過ぎたな。次からはしっかりと強化魔法を入れてからやろう)
以前にリューンから話を聞いていたはずなのに自分もその道を通ってしまった事へ心中腹を立てながら、右足の怪我が治った事を確認してルゥテウスは更に店の中へ足を踏み入れて行った。
どうやら扉を叩きつけた壁手前にあるカウンターの向かって右端に居るのがこの酒場の「主人」という事になっている「親方」と言う名の組織幹部らしい。先程1番の脳内から確認した顔と同じだ。
ルゥテウスはカウンターの手前まで歩いて行き、まだ事の成り行きに圧倒されて硬直してしまっている茶色の服を着た初老の男に向かって
「お前が親方かね」
と尋ねた。
「あ、あんたは……一体……」
男はそう答えるのが精一杯であった。
「こいつに見覚えがあるだろ?」
ルゥテウスは左腕で掴んでいた0番を親方の前に放り出した。
「おっ……お前は……!」
「こいつが連れていた他の虫はもう駆除した。どうやら今まで散々と害虫を送り込んで来てくれたようだが、相手がいつまでも見逃してくれると思っていたのか?だとしたら相当におめでたい奴等だ」
「いい加減、目の前を飛び回られるのも鬱陶しいんでな。巣穴と『卵』を残らず駆除する事にしたよ。『難民』と言う名の卵をな」
「なっ……」
絶句している男に対して更にルゥテウスは
「選べ。支部長って言うのと統領ってのと御館だったか。そいつらの居場所を吐け。さもないとこの大陸に居る全ての難民を抹殺する」
「言っておくが俺は本気だ。難民など何万人居ようが問題無い。貴様らの愚かな行為が白日の下に晒されれば、俺がやらずとも国が駆除してくれるだろうしな」
平然と言い切った。王国政府が「お情け」で黙認しているであろう「難民」が彼らの国民に対してテロリズムに走っている事を知れば当然ながら看過するとは思えない。
「それと、お前らのような犯罪者に《術符》を融通した奴が居るはずだ。俺の記憶ではそういう行為は魔法ギルドで厳しく禁じているはずなんだがな。
俺はそいつを捕まえて制裁をそいつだけで済ますか、魔法ギルドの無能共にも食らわすか判断しなければならん。さっさと吐け」
「親方」はルゥテウスからの矢継ぎ早の要求を上手く聞き受ける事が出来ずに固まったまま動けなくなってしまった。
先程まで彼は王都の商会から依頼されていた某貴族家の次男が起こしていた女性問題の不祥事についての調査結果を諜報員から受け、内容を纏めた書類を作成して支部長に提出する為の作業をしていた。
作業が一段落したところで時計を見たら4時という切りの良い時間だったのでそのまま本日の業務を終了しようと思っていた矢先に、突然入口の扉が轟音と共に吹っ飛んできて、自分から2メートルも離れていない右側の壁に突き刺さった。
数十キロもありそうな頑丈で重い扉が壁に突き刺さる程の勢いで飛んでくる
……というこれまでの自分の想像を絶するような出来事が起きたと思ったら、自分の腰程も無い身長の子供が「何か」を引き摺ったまま店内に入り込んで来て、その「何か」を投げつけてきた。見ればそれは手足が千切れて先端が黒ずんでいる、彼自身が自分の将来の後継者に出来ると思っていた若き天才暗殺員の変わり果てた姿だった。
その様な状況で子供の発する話など聞けるわけがない。突発的に何重にも発生したかつて無い衝撃に親方は思考がパンクしてしまった。
「聞こえていないのかな。ならば仕方無いので、コイツの脳味噌に手を突っ込んで直接聞き出した後に、お前の脳味噌にも触らないといけないのだが」
ルゥテウスは親方に催促をした。この時、背後で目の前の現実に思考が停止していた諜報員の一人が、いち早く立ち直り扉の消えた出入口に向かって走り出した。
諜報員である自分にはこの化け物に戦闘力で対抗するなど不可能である事を自覚している彼は、「キャンプ」まで走って応援を呼んでこようと考えたのである。この辺の判断は流石に修練を重ねた赤の民構成員ならではの決断力だ。
しかし彼の好判断は報いられる事が無かった。扉が消えている出入口は何か解らない「壁のような物」に覆われており外に出る事が出来無いのである。この諜報員が
「なっ、何だこれは!どうして出られない?何でなんだ!」
と言う喚き声を聞いた事で、何人かの構成員も我に返り数人が出入口に殺到したが、彼らの逃走も悉く「結界の壁」に阻まれた。
「おい。ほら。これだ。この結界を作る術符だ。これを造ってお前らに提供した奴を教えろ」
ルゥテウスは尚も絶句している親方へ回答を促した。そして振り向く事なく
「おい!うるせぇぞ!どうせお前らも仲間なんだろうが。静かにしないと今すぐ駆除するぞ!」
と逃走を図ろうとして果たせず喚き散らしている一団に向かって強めの声で警告した。
「ちっ、畜生!どうなってるんだっ!あの化け物のガキは何モンなんだ!?」
ルゥテウスの警告にも従わずに喚き続ける最初の者とは違う諜報員に対し
「うーん。言葉が通じないのかな。俺はこのジジィと話をしてるんだけどね」
と溜息混じりに話すと、喚き続けていた諜報員の体が急激に膨れた。そして海鳥亭の裏庭で襲撃グループのメンバーが受けたように「パァーン!」という乾いた音と共に体が弾け散った。
海鳥亭の裏庭では外だったが、ここは室内なのでその破裂音は余計に大きかった。そして更に前回の時と違うのは破裂した肉片を異次元に転送せずにそのまま店内にブチ撒けたのである。
出入口には何人かの逃走者が殺到していたので、そこで弾け散った肉片を周りの同胞がまともに浴びる事になり、彼らの恐慌状態は極限に達した。
「お前らそうやって今まで他人の命を奪ってきたんだろ?仲間が死んだからってそんなに騒ぐ事じゃねぇだろ。なぁ、親方よ」
「あっ……あ……あんたは……」
「いい加減、何か返事をしたらどうかね。話すなら話す。話さないなら拒絶するなり反応してくれないと、もう夜が明けちまうんだよ。俺もあんまり時間を掛けたくないんだ」
「まぁ、こいつの手下は恐怖の中でも口を割らなかったからお前らが総じて口が堅いのは解ってた。だからお前らのお仲間である難民全員の命を天秤に掛けてみたんだが……やっぱり吐いてくれないか」
ルゥテウスはなかなか口を開けない状態でいる親方にウンザリしながら尚催促をした。
「しょうがねぇな。あんまり見せたくは無いんだが」
と言う言葉が出た瞬間、出口に殺到して破裂した同胞を見て恐慌状態に陥っている他の諜報員や暗殺員を次々と破裂させた。この光景を厨房から見た「職員」の連中の中には白目を剥いて気を失っている者も居る。
「解るか?俺は簡単に人を殺せるんだ。そしてお前らはそんな俺の家族や俺自身に何年もの間執拗にちょっかいを出してきたんだ。
そんなお前らは今日こうしてこれから順に報いを受けるんだ。お前らのやっていたバカな真似の巻き添えを受けるんだぞ?何万人居るか知らないが難民の連中が。
彼らは関係が無いと思っているのか?そうじゃねぇだろ?お前らが人を殺して得た金で暮らしてるんだろ?だったらそれは共犯なんだよ」
「俺は被害者として加害者の関係者を全員抹殺しても構わんと思っているんだよ。お前らは俺にそう思わせちまったんだよ」
どう考えても幼児にしか見えない者が幼児とは思えない言葉遣いで静かに怒りを説く。ここまで聞いて漸く親方は我を取り戻した。
このように変わり果てた姿になった0番を「持ってきた」この幼児は何者なのか。本当にこの幼児自身が行動しているのか。それとももっと何か「とんでも無い存在」がこの幼児の姿を借りているのか。親方は懸命に考えた。
(こいつはダイレムに公爵様の子供とその親類を処理する為に向かったはずだ。まだ出発してから6日目。特に何の繋ぎも無かったからダイレムには到着していたはずなんだ。それが何で今ここに居る?)
親方の考えはまずここなのだ。オーデルからダイレムまで通常の二頭立て長距離の駅馬車で5日、四頭立ての緊急公用馬車でも3日かかる。
赤の民は活動の為の移動には通常の移動手段を使うようにしている。目立ってはいけないからだ。
なので彼ら襲撃班を送り出して6日でこのような姿にならずとも領都に帰還しているのは「有り得無い」のである。
(そしてこの子供だ。標的の幼児とは違うようだ。俺の記憶に間違いが無ければ標的の幼児は右目を盲ている上に知能の発達が遅れているとの事だった。とてもじゃないが聞いていた話と似ても似つかぬ……いや……待てよ……!)
親方は以前にダイレムでアリシアの暗殺を担当し、失敗した経験がある。その際の任務遂行情報の中にアリシアの特徴が入っており、「金髪で瞳は赤味がかった茶色」という容姿である事を教えられていた。この幼児の特徴とまさに一致しているではないか。しかし彼は隻眼では無く知恵遅れにも見えない……。
「あ……あんたは……その……だ、ダイレムに住んでいる……」
「今質問しているのは俺だ。どうするんだ?上の奴等の事を吐くのか、それともお前も含めて今後ろでパンクした奴等みたいに難民が全員弾け飛ぶのか?」
どうやら自分には確認すら許されないのかと絶望感に打ちひしがれながら親方はさらに言葉を詰まらせた。
この状況ではどうせ自分の命は無い。元々口を割る気は無いし、全ての難民を抹殺するなんて芸当はいくらなんでも出来っこ無いだろう。
しかし問題は今、「この場所」までこの幼児が辿り着いているという事実だ。これはつまりダイレムに派遣した襲撃班の中の誰かに口を割らせた……それもかなりの情報量を割らせたという事になる。
何しろこの幼児は、この本部の場所だけでなく自分の通名はもとより、支部長、統領様、そして御館様と言う通名ですら割らせている。恐らくこれはその割らせた者が知るほぼ全ての情報を得ていると思って良い。
訓練を積んだ精鋭たる赤の民の者に、ここまで圧倒的な力を示しているとは言え、詳細な情報を割らせる事が可能なのか?いや、この幼児はそういった「手段」を持っているのだ。
昔、王都で赤の民が請け負った貴族暗殺について、実行した暗殺員をサポートした諜報員が逮捕されるという出来事があった。
その際に官憲側が魔法ギルドに要請して上位魔術師に尋問を手伝わせ、その諜報員から実行に関わった者が次々と割られてしまい組織は大損害を受けた経験があった。
具体的な方法は解らないが、魔法にはそういった事を可能にする手段があるという事を親方は経験で知っている。今回のこの幼児も恐らく自身が魔術師なのか、別の魔術師に操られた存在なのかはまだ確定的ではないが、そういった手段を持っているのではないかと彼は推測した。
(そういえばこのガキはさっき「脳に手を突っ込む」とか言ってなかったか?もしかするとそれは「例え」みたいなものじゃなく、本当にやれるのだとしたら……こんな一瞬で何人もの人間を次々に破裂させるような者であるならば……)
(そう言う事であるならば……ここでいくら俺が粘っても、結局は探り取られてしまうのではないだろうか……そうであるなら突っ張り通して多くの同胞に危険を及ぼすよりは……)
「わ……分かった。は、話す。俺の知っている範囲でしかないが話そう。その代わり同胞の命だけは……勘弁してくれ」
「同胞とは難民の事か?」
「そ、そうだ。同胞の皆は俺達の組織とは関係無い。俺達の組織が何も知らない彼らから人材を供給させているという一方的な関係なんだ……」
「つまり、お前さんの言う『同胞』の皆さんには罪が無いと?」
「そうだ……。彼らも俺らも難民としてこの国で這い回りながら生きていかなければならなかった。そういう生活から這い上がる為に俺達は人を殺しているんだ」
「いや、だからそこがおかしいだろ?何で人を殺す必要があるんだ。お前、頭大丈夫か?何万人も雁首揃えて何故他の方法を考えない?『殺しで金を稼ぐ』という考え方がそもそもおかしいと何故思えない?」
「そ……それは……」
「つまり、お前らをそういう風に『利用している奴』が居るんだ。難民が差別されている?正業に就けない?そんなもん俺だって『知識』として知っているさ。それでもそこで『じゃ、人殺して金稼ごう』と言う考えに行くのは明らかに異常だ」
(なんで俺はこんなおじぃと似たような歳を食ったジジィに説教しているんだ)
ルゥテウスは心の中で苦笑した。
「まぁいい。とにかく知っている事を全部話せ。場合によっては助けてやらない事も無い。お前のその「同胞愛」に免じてな」
ルゥテウスが少しばかり譲歩する姿勢を見せると、親方は溜息をついた。やはり「喋る」と決断して正解だったようだ。口を割らずに死んでいった他の同胞には悪いが、この幼児の力は常軌を逸している。数万の同胞の命さえ顔色変えずにアッサリと奪いそうだ。
親方は当初見込んでいた甘い考えを捨ててこの「化け物」と交渉する事で同胞の安全を保障する事を引き出す事に賭ける事にした。
「俺があんたの質問に答えられるのは一つ目のものの一部だけだ。二つ目の術符についてはわからない……いや、分からなくは無いが、その『出所』は俺の立場では知りようが無いんだ。頼む……本当だ」
(ふむ。脅しが効いて話す気になったか。まぁこれで面倒が半分になっただけ好しとするか)
「では術符の件は他の奴に聞く事にする。一つ目の質問の一部しかってのはどういう事だ」
「そ、それは……あんたも気付いていると思うが俺達は組織の性質上、メンバー同士で本名を名乗り合わず組織の中や任務の中でだけで使う「通名」で呼び合う。あんたが俺を『親方』と呼んでいるようにだ。
俺にも一応親が付けてくれた名前があるんだが、それはこの組織の中では伏せているのだ。それこそ本名を知られたらあんたみたいな凄腕の魔術師に家族の存在までバレて危険に晒されるからな……」
「ふむ、そうか。で?」
自分は魔術師ではなく魔導師だがなと説明しても違いが理解出来無いだろうなと思い、そこには突っ込まないようにしてルゥテウスは先を促した。
「さ、さっきあんたが言ったように俺の上には支部長と言う方が居る。この方がここの責任者だ」
「『支部』って事は他の場所にも別の支部があるのか?」
「いや……上の方々は将来は増やそうと思っていらっしゃるようだが、今の所俺の知る限り別の支部が立ったという話は聞いてない」
「そもそも俺の認識というのは《赤の民》は隣のエスター大陸に住んでる、それこそ血の色した肌の奴らが名乗ってる暗殺屋だよな?」
「そうなんだ。元々は隣の大陸でしか商売出来なかった《赤の民》と支部長が交渉して暗殺の技を習ってこの大陸で作ったのが、俺達の組織で本場の連中を『本部』と呼ぶのに対して俺達は『支部』と名乗ってるだけなんだ」
「ふぅん。つまり商人で言う『暖簾分け』みたいなもんか。それじゃこの組織の責任者は支部長なのか?だったら統領だの御館ってのは何なんだ?」
「俺の立場で直接会えるのは支部長までだ。だから統領様と御館様はこの組織の人間じゃ無いんだ」
「あ?だったら何でお前らの手下やお前自身も『様付け』して呼んでるんだ?詰まるところお前らの上位者なんだろ?」
「いや……違うんだ。俺も詳しくは解らんのだが統領様については俺もある程度は知ってる。同じ難民出身の方で支部長にこの組織を作るように提案された方だと聞いている。
だから俺達はその御恩をお返しする為に、時々俺達に統領様が依頼される事は最優先で実行するようにしているのだ」
「つまりそいつが『お前らを利用している』奴なんじゃねぇか。元難民なんだろ?同胞を利用するなんてクズじゃねぇか。どうもそいつの事情で難民が殺し屋をやるように仕向けられた疑いがあるな」
「そ、そんなのは分からねぇよ!あんたはどう思おうが、統領様のお陰で俺達はまともな人間の生活が出来るようになったんだ」
(なるほど。口は割っても忠誠心は変わらないって事か。この統領って奴に結構なカリスマがありそうだな)
「で、お前は統領の居場所はわかるのか?」
「い、いや。俺が分かるのは支部長への『繋ぎの仕方』だけだ。支部長は普段は外で組織を大きくする為に色々と活動されている。なのでここには常駐しないんだ。一応、毎日必ずご自分からここに来るか、どうしても来れない場合は代わりの伝言役が来るようになっている」
「じゃ、支部長のねぐらや居場所は分からないって言うのか?本当だな?」
「ああ……これはもう俺の頭を覗いて貰ってもいい」
(クソっ!思ったよりも周到に自分の身を守ってやがるな)
「よし。分かった。じゃ御館って奴の事でお前が知ってる事を話せ」
「御館様については……俺は『そう言う人がいらっしゃる』と言う事ぐらいしか知らねぇ。以前支部長からチラっと聞いた話じゃ、俺達難民を助けてくれた上に組織を作る時に援助をしてくれたって……本当だ!それしか知らねぇんだ!」
「あぁ……もういい。落ち着け。つまり組織としては支部長がトップだが、その設立には統領と御館の二人が絡んでいるってところだな。お前らには周到にそれが知られないように出来ているってわけだ。やっぱりお前ら、利用されてるよ」
「別に利用されていたって構わねぇよ。俺達はそのおかげでちゃんとした暮らしが出来るようになったんだ。俺の死んじまった母親も最期はちゃんとした場所で死ねて墓まで入れてくれて、弟だって今では嫁を貰って子供まで居る」
(こいつは厄介だな。すっかり難民の心を掴んでいるじゃねぇか)
「よし、分かった。口を割った事に免じて今日のところは命は預けておく。その代わり支部長が来たら、逃げずにここで待つように伝えろ。そして……ちょっと待て、何か紙を持っているか?」
ルゥテウスが言うと親方は服のポケットから注文を受ける時に使うメモ帳を取り出し、中から紙を一枚破り取り
「こ、これでいいか?」
と恐る恐る渡してきた。どうやらルゥテウスに対して手を伸ばすのが恐ろしいらしくその手は震えている。
「よし。そのまま待ってろ……」
ルゥテウスはその場で受け取った紙片に目を落とすと……一瞬にして紙片に何か模様が浮かんだ。親方はその様子を見て驚愕した。
(こっ、これは……もしかして《術符》じゃないのか?こっ……こんな簡単に作れる物なのか……?)
確かにルゥテウスが紙片を使用して作ったのは付術品である。彼の場合は触媒も必要の無い魔導師なので錬金術師と違い、その気になればその辺の物に魔法を込める事は可能なのだが、普通の魔導師ではそれは難しい。
こういった分野ではショテルが編み出した魔術系の技術が基礎となっているので本人の資質と感覚で操る魔導でこれを行うには相当な鍛錬を必要とする。
ちなみに、魔導師が作成する紙片等に魔法を込めた物品は術符ではなく《魔導符》と呼び、もしこれが制作可能なのであれば、その効果は同系統の術符の数倍に達するような物になる。
ルゥテウスは魔導符を親方に渡し
「支部長に渡せ。これを使えば俺に連絡が行くようになっている。15日の0時まで待ってやる。それを過ぎても連絡が無い場合は難民への殺戮を開始すると伝えろ」
「そ、そんな……や、約束が違うじゃ……」
「文句は支部長に言え」
そう言うとルゥテウスは右手を軽く振って姿を消した。彼が消えると同時にこの土竜酒場に掛かっていた結界も解除され、扉を失くした出入口から朝の光が入って来た。
茫然とする親方の前には既に事切れた0番の遺体が転がり、店内の至るところにはルゥテウスによって破裂させられた諜報員や暗殺員の肉片が散乱し、壁や天井にも飛び散っていた。
親方はこの暗殺の世界に指導者候補として足を踏み入れ、隣の大陸に派遣されて以来25年にして初めて心の底からの恐怖を味わい、その危機を脱した事で腰が抜けて膝から崩れ落ちた。
【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ
ルゥテウス・ランド
主人公。5歳。右目が不自由な幼児。近所の人々には《鈍い子》として愛されているがその正体は史上10人目となる《賢者の血脈の完全なる発現者》。しかし現在は何者かに能力の大半を《封印》されている。
リューン
主人公の右目側に文字を書き込んで来る者。約33000年前に史上初めて《賢者の血脈の完全なる発現者》となり、血脈関係者からは《始祖さま》と呼ばれる。死後、《血脈の管理者》となり《不滅の存在》となる。現代世界においては《大導師》と呼ばれる存在。
ユーキ・ヘンリッシュ
主人公の伯祖父。47歳。ミムの兄。レストラン《海鳥亭》を経営。主人公と同じく多くの家族を喪っている。ヴァルフェリウス公爵とガルロ商会を心の底から憎んでいる。
ラミア・ヘンリッシュ
ユーキの妻。45歳。主人公からは義伯祖母に当たる。夫と二人でレストラン《海鳥亭》を切り回す。気が強いが主人公を溺愛している。
シニョル・トーン
エルダ専属の女執事。元戦時難民。ノルト伯爵家からエルダの婚姻に同行して以来の腹心。エルダの闇と秘密を守るために《実力行動》を指揮する。領都の戦時難民からは《統領》と呼ばれる。
イモール・セデス
暗殺組織《赤の民》の領都支部統括者。組織内では《支部長》と呼ばれている。エスター大陸出身で元戦時難民。本来は殺しを嫌い、理性的で穏やかな男性。
ラロカ
暗殺組織《赤の民》の領都支部の本拠である偽装酒場の管理者。組織内では《親方》と呼ばれている。元暗殺員。呼び名の由来は本場で学んだ暗殺技術を支部に伝えたことから。
《0番》
暗殺組織《赤の民》所属の暗殺者。領都の支部でも屈指の実力を持つ。《海鳥亭》一家襲撃の現場指揮を執る。
《1番》~《7番》
《赤の民》の構成員たち。《海鳥亭》一家襲撃に参加。コードネームとして番号で呼び合う。
ソンマ・リジ
領都オーデルにて錬金術師として個人工房を営む。《赤の民》に《魔術付与品》を非合法に融通している。自分が戦時難民出身者であることを隠していた。