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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第一章 賢者の血脈
16/129

残された人々

現在、既に発表している回の誤字・脱字を訂正しまくっておりますが、当面は文章そのものに手を加える予定はございません。


【作中の表記につきまして】


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくおねがいします。

 ユーキとラミアは、まず鍛冶屋のダンの工房を訪ねる事にした。ダンは下町随一の鍛冶職人で、本人の話によると若い頃は従軍鍛冶師として剣や鎗を鍛えていたらしいのだが、上官と衝突して軍を辞めたのだと言う話を何度も聞かされている。


原因は貴族上がりの若手将校が身の丈知らずにも巨大な鎗の穂を作るように命令してきた為、仕方なく作ったが扱い切れなかった本人が訓練で腰を痛めて大恥をかいてしまい、それを鎗のせいにされて叱責を受けたと言うものであった。


軍を辞めた後は生まれ故郷であるこのダイレムの下町に戻り、日常的な鉄製品などを鋳掛けたり、包丁等の刃物を製作したりと地域密着型の鍛冶屋として下町の人々の暮らしを支えている。


 夫婦は、昨晩の惨劇に使用された包丁を持参してダンに見せるのは如何なものかと思案したが、結局は持って行って溶かして処分して貰う事にした。


ルゥテウスはどうやら夫婦が知らぬ間に色々と原状回復を図ってくれたのだが、夫婦の着ていた服の破損と、この包丁の破損だけは直されていなかった。


ユーキはこの刃毀れした魚包丁と歪んでしまった牛刀は昨晩のルゥテウスとの思い出として残そうかとラミアに提案してみたが


「それはルゥちゃんとの思い出にはならず、自分が人を殺めた証拠にしかならない気がする」


と言う尤もな意見を受け入れ、処分する事を決めたのである。


 しかし、ルゥテウスは確かに色々と回復はしてくれており、まずは包丁も含めて裏庭や夫婦の着衣に大量に付着していたであろう血痕は綺麗サッパリ消えていた。

包丁も破損は酷いが血脂や木の柄にもべったりと付いていた血も全て無くなっており、明らかに「洗い流した」という方法とは違う処理がされているように思えた。


また、血痕と同様にあれだけ地面を転がされたにもかかわらず、衣服も体にも泥が付着していなかった。夫婦は元々、入浴後にあの惨劇と遭遇したのだが朝ベッドから起きてみると服には破損個所が残っていたが、身体には汚れが全く認められなかった。

ラミアは着替える際に自分が刺されたはずの左側の腰の部分を鏡で何度も確認するのに体を無理に捻ってしまい、少し首が痛くなった程である。


二本の包丁を布で包み、それを入れたカバンをユーキは肩から掛けた。このカバンは仕入れに行く際に車を牽きながら一緒に持って行くカバンで、仕入れに向かうユーキの姿を知る者にはお馴染みのスタイルなので外から見られる分には不審に思われない。


 ダンの工房は海鳥亭からテンス大橋に向かい、橋の手前を左に曲がってリズ川沿いの道を河口に向かって歩き、暫く行った海の近くに建っている。工房はリズ川に専用の船着き場を持っており、港に入って来た鉱石や燃料等は水運で直接工房まで持ち込まれる。


工房主のダンは元従軍鍛冶師ならではの拘りで、原料である金属の精製も自分の工房で行っており、地域密着を謳うその製品の品質は下町のみならず町の中心街にある高級店でも取り扱いがあるくらいだ。


ユーキとマーサが工房に到着したのは朝の9時過ぎで教会の2点鐘が鳴り終わった直後だった。


「親父さん、居ますか?」


「あれ。ユーキさん。ラミアさんも?お二人一緒なんて珍しいじゃない」


ダンの上の娘、エバが二人を迎えた。エバはもう26歳だが、すっかりと鉄工の魅力に取り憑かれて嫁にも行かずに父に付いて修行三昧という変わった娘である。


「親父はちょっと出かけてる。モートン先生のところにね」


「え?親父さん、どこか具合が悪いの?」


「うーん……元々さ、なんか若い頃にやったって言う右膝の古傷みたいなのがあって、歩くのも大変だったんだけどね」


「あぁ……そういえば昔は親父さん、ちょっと()()()引いてたね……」


「でも、モートン先生の指示で藍滴堂から湿布を出して貰ってからは結構治まってたんだよね」


「あぁ、ローレンに湿布を出して貰ってたのか」


「でもほら……ローレンさんもあんなになっちまっただろ……?」


「そう言う事か……」


「そしたら、最近また膝が痛み出したらしいのさ」


「あぁ……それでモートン先生のところにか……」


「もう、あんなに効く湿布は貰えないかもね……」


故人の話になってちょっと湿っぽくなったが、エバは気を取り直して


「ところで二人揃って今日はどうしたの?」


「あ……うん。実はウチで使ってた包丁を二本駄目にしちまってな。親父さんに新調してもらおうかと思って来たのさ」


「え?二本も?一気にやっちまったの?」


「うん……そうなんだ」


「そっか……刃物は親父じゃないと難しいかな。特にユーキさんが使うようなやつだと、私にはまだ手に負えないな。最近やっと少しはマシなのが打てるようになってきたんだけどね」


 エバの場合、父親で師匠でもあるダンに刃物を許されていないというわけでは無く、刃物以外の鉄瓶や厚鍋などの調理器具に興味の中心があるというだけなのだが。


彼女自身は鍛冶師よりも鋳物師としての評判が高く、海鳥亭の鍋も彼女の作である物が幾つかある。

また、藍滴堂の一階の作業机に置いてある薬研も彼女の作で年下の親友だったアリシアが製薬の勉強を始めた時に彼女が贈った物である。


「これなんだけどさ……やっぱり修理は無理でしょう?」


ラミアはユーキが持っていたカバンから破損した魚包丁と牛刀を取り出してエバに見せた。


「うひゃぁ!結構やっちゃってるね。どうしたのこれ?この大出刃は親父が『傑作だ!』って言ってたやつじゃないの?私がガキの頃に打ったやつでしょ?」


「そうなんだよね……これってあたしが嫁入りした時に義父さんがダンさんに頼んでくれたやつなんだよ……」


「うーん。これだけ大きく欠けたらもう砥ぎじゃ戻せないね。打ち直しだと思うよ」


「やっぱそうかぁ……こっちの肉切りも無理だよね?」


「これも芯で歪んでるなぁ。コレといい大出刃といい、一体どうしたの?」


「いや……店の中でちょっと事故があってさ。この二本だけ打ち所が悪かったって言うか……」


「そうなんだ……」


「とりあえず、親父さんが居る日にまた来るけど……この二本、預けておいていいかな?駄目なら溶かしてもらってもいいし。いずれにしてもこのままじゃウチで使えないしね」


「分かった。親父が帰ってきたら伝えておく」


「ありがとう。明日は休みだろ?次の旬にもう一度顔出すわ」


「うん。宜しく」


「それじゃぁね。親父さんに宜しく。お大事にって」


ユーキとラミアはダンの工房を後にした。まさかローレンの湿布が切れてダンが不在とは。


「ローレンさんが居なくなって、困る人がこれからも増えそうね」


「だな……こうしてみると、やっぱりアイツは凄腕だったんだな」


「ルゥちゃんが早く帰ってきて藍滴堂を継いでくれるといいね」


「そうだな。あいつが本気で薬屋をやってくれたら死人でも生き返らせそうだな。はははは」


 ユーキの冗談でラミアも笑い出してしまった。それ程に二人が見たルゥテウスの力は圧倒的だったのだ。

何しろ自分が刺された傷が跡形も無く消え、切り飛ばされた夫の腕が元通りにくっ付いているのである。

あまりにも自分達の想像を超えた事態に、もう今となっては笑うしか無いのだ。


あの子は約束してくれた。家族の仇を討ったら必ず帰ってくると。


 不思議な大甥と一緒に暮らした二ヵ月余りは、まさに驚きと笑いの毎日であった。あの子は最後に我々夫婦にとんでもない奇跡を見せて行ってしまったが、いつか必ず帰ってきてくれると信じて、夫婦は川沿いをまたテンス大橋の中央通りに戻って行った。


夫婦は次に、宿屋の《一角亭》に向かった。旅立ってしまった大甥の事を「上手い事」言い繕わないといけないからだ。夫婦は相談の上、ラミアが説明する事にユーキが話を合わせるという要領で何とか納得して貰う事にした。

一角亭は恐らくこの時間は宿泊客に朝食を供して送り出した後の時間だろうから、少しは話をする時間はあるだろうと、二人は中に入った。


「いらっしゃ……あれ?ユーキかい?どうしたのさ。それにラミアちゃんまで。店はどうしたの?」


「マーサさんおはよう。今日はちょっと店はお休みにしたの」


「ようシンタ。これから朝飯かい?」


一階の食堂は客も無く、厨房側の席でマーサとシンタが食事をしていた。

厨房の中にはネイラが入って、昼食分の仕込みをしていたらしく、夫婦はそちらにも挨拶をして、それぞれマーサとシンタの隣の椅子に腰を下ろした。


「どうしたんだい。二人揃って。珍しいじゃないか。ルゥちゃんは?」


早速ルゥテウスの事を聞かれたのでラミアが


「実はね……ルゥちゃんの事で皆さんに話したい事があってね……」


「なんだい……?ルゥちゃんに何かあったのかい?」


食事を中断してマーサが食い気味に隣に座るラミアに顔を近付けてきた。ここの女性陣にとってもルゥテウスは目に入れても痛く無い程かわいい存在である。


「いや……そんな悪い事じゃ無いんだけどね……」


「実はあの子、ローレンさんから薬の事について色々と習ってたみたいなんだよ」


「えっ?ルゥちゃんが?あのローレンさんに?」


マーサは驚いた。ルゥテウスは可愛い子だが、製薬を習えるような歳でも無いし、そのような真似が出来るとは思っていなかっただけに驚くばかりだ。


「いや、ほら……これがあの子が書いてたノートなんだけどさ……」


「こ……これを……あのルゥちゃんが?嘘でしょう……?」


ラミアは後で藍滴堂に戻すつもりで持ってきたローレンとアリシアのノートの他に、ルゥテウスが日記代わりに書いていたノートもカバンに入れてきていた。


「うん。ちなみにこっちがローレンさんのノートで、こっちがアリシアちゃんのノートよ。ほらね。字が少し違うでしょう?」


「違うでしょう?」と差し出された三冊のノートの内容は、マーサが見ても、シンタが見ても内容は全く理解出来無いものであった。


ランド一家の書く字体はどれも美しく、三者三様に違うのだが、ローレンの内容には図形が多く、アリシアは三人の中でも一番絵心があったのか、薬草などを細かくスケッチした絵があちこちに見られ、ルゥテウスのノートには5歳の幼児がとても書いたとは思えないくらい細かい字でビッシリと「何か」が書かれていた。


「これ……あんた達は読めるの?」


「いや、読めるわけないだろ」


ユーキが苦笑いした。


「どうやらローレンとアリシアのノートを読んだルゥの奴が、読んだ内容について書き留めてたみたいなんだけどな。それでもチンプンカンプンだよ……」


「こりゃ凄ぇな……。ルゥ坊の奴はこんなに頭が良かったのかい?」


シンタもルゥテウスのノートを覗き込んで驚きの声を上げる。


「うん……いつもは凄くのんびりとした感じだったんだけどね。ウチに来てからはずっと……それこそ一日中ずっとこの二人のノートを読んでたわよ。あの子、実はとても頭の良い子だったの。ローレンさんは知ってて色々と教えていたみたいね」


「へぇぇ……!そうだったの。ちっとも知らなかったさ」


「それでね……実は、昨日うちに食事に来たお客さんでね……ちょっと有名な薬の先生がね……」


ラミアは思い切って、でっち上げた話を切り出した。ユーキはそれに合わせていくつもりである。


「ルゥちゃんの事を話したら、是非会いたいって言うからノートを読んでる部屋に見に行って貰ってね……すっかり気に入ったから弟子にしたいって……」


「へぇ!そうなの!有名な先生なのね?凄いじゃない!」


マーサはラミアの作り話をあっさりと信じた。


「そ、それでね……早速王都にある自分の店で修行させたいって……連れて行ってしまったの……」


(おいおい……それじゃ公爵に攫われたアリシアみたいじゃねぇか……もっと上手く話を作れよ……)


ユーキは横で妻の作り話を聞いててハラハラし始めた。もう少し手の込んだ話をでっち上げられないのかと腹が立ったくらいだ。

しかし、ラミアの話を聞いたマーサは意外な反応を見せた。


「あら。そうかい!そんなエラい先生に見込まれて良かったじゃないか!ねぇアンタ」


「そうだな……ルゥ坊の奴、大したもんじゃねぇか。王都だったらジョーの奴も居るから何かあっても大丈夫そうだしなぁ」


(そういえば王都にはジョーも居るんだったな)


妻の雑な作り話に内心ドキドキしていたユーキは王都の名店に修行に出していた一人息子の存在をすっかり忘れていた。


「そうだねぇ。ジョーも居るんだし良かったんじゃないかい?」


なんとアッサリとマーサはラミアの話を肯定してしまった。これには話をでっち上げたラミア自身も驚いた。


「そ、そうなんだよね……ジョーも居るしさ……ねぇ。アンタ」


「だ、だな。ルゥの奴も喜んでてよ。なんか先生と仲良く行っちまったよ」


「そうなのかい……ちゃんと最後にお別れを言っておきたかったねぇ……」


「う、うん。だからこうしてマーサさんにはちゃんと話しておかないとねって思ってさ……」


「いや、これでルゥちゃんの身が立って、しかも将来は藍滴堂を継いで貰えるなら私らは喜んであの子を送り出さないと!会えなくなるのは寂しいけどね」


「そうね……あたし達もそれだけが残念なんだけどね」


ユーキとラミアの夫婦が本気で寂しそうな顔をしたので、マーサが逆に励ますように


「大丈夫だって。考えてみればあの子はあのローレンさんの孫でアリシアちゃんの息子なんだから、頭の出来が悪い訳無いんだよ。案外何年もしたらキリっとした顔で帰ってくるかもよ?」


「キリっとしたルゥ坊なんて、それはそれで面白ぇじゃねぇか。わっはっは」


シンタまで大笑いして、ユーキ夫妻も一緒になって笑った。どうもあの子は近所で「鈍い子」として見られていた割に意外なところで信頼されていた事にユーキは内心驚いていたし、おかしくもあった。


そこでついでにユーキが言い添えた。


「あぁ。そうそう、それでさ。その先生に急いでルゥをお任せしたのは他にも理由があってね」


ラミアは突然、夫が自分の盛った話に大きな味付けをし始めたので少し不安になった。


「何だい?まだあるのかい?」


「うん。実はその先生が王都ならルゥの右目を治せるかもしれないって言ってたのさ。でもどうしても今朝一番の馬車で帰らないといけないって言うからさ」


「本当かね!?そりゃ凄いじゃないかい!」


(あぁ……そういえばルゥちゃんの右目は治ってたわね……。なるほど。この人もなかなかやるじゃない)


昨晩見たルゥテウスの右目が回復していたのを思い出してラミアは夫の「味付け」に感心した。


「だったら、猶更連れてって貰わないと。ねぇ?」


「う、うん。だから今朝早くだったんだけど出発しちまったんだよ」


「そうだったのかい……」


「あたし達もなんか見送ってたら気が抜けちゃってね。それで今日はお休みを貰ったのよ」


「ふぅん。なるほどねぇ」


ここで、厨房の中からネイラの声が飛んできた。


「アンタ達、どうすんだい?昼ご飯は食べて行くかい?」


「あぁ……じゃ頂いて行きますよ……と言うかウチも今日は休みだから手伝いますよ……ただ作って貰ったんじゃ女将に申し訳無いですよ……」


「じゃ、あたしはちょっとこのノートを返してくるわ」


「おう。そうしてくれ」


ユーキは藍滴堂の鍵束をラミアに渡し、自分は厨房に入った。ラミアはそのまま外に出て行った。


「ありゃ。何だか逆に悪いじゃないかえ」


「いやいや。いいですって。いつも世話になってますし。たまにはお礼の真似事くらいさせて下さいよ」


「いやぁ、これじゃ今日だけウチの昼飯が海鳥亭みたいになっちゃって明日から客に文句を言われそうだよ」


「ルイスは?」


「アイツなら昨夜は遅番でそのまま仕入れまで行って貰ったから上で寝てるよ」


「そっか……。あいつも最近目利きが出来てきたな。市場のおやっさんが『最近はルイスの目が厳しくて面倒臭ぇ』ってこぼしてたぞ」


ユーキは野菜を刻みながら大笑いした。


「やっぱそうか?最近、何か魚の形が整ってきたなって思ってたんだよな」


シンタが応じた。


「最近は本人がやりたいって、ずっと夜を任せてるんだけど自分なりに色々工夫して出してるみたいで、なんか夜の売り上げが上がってきてるんだよな」


「へぇ。良い事じゃねぇか。あいつも、もう26だろ?そろそろ腰が入ってきたんだよ。俺も親父に昼を任されたのが、あいつくらいの歳だったぜ」


「お前の所の親父さんも頑固だったよなぁ……モートン先生とローレンさんには頭が上がらなかったみたいだけどよ」


そこでまた二人はゲラゲラと大笑いしてしまった。酒のせいで体を壊したユーキの亡き父、ウェイはモートンの診察とローレンの薬で一命を取り留めて、娘婿のローレンに脅されて以後は一滴も酒を飲む事は無かった。妻のヨラは娘婿を救い神のように拝んでいた程だ。


「思えば、最初は全く愛想が無かったローレンが最後はあんなに慕われていたのが不思議だったな。ルゥの手を引いて通りを歩いてる時なんか、時々ニコニコしてたもんな。人間変わるもんだよ……ルゥと二人になってからだ。あいつが海鳥亭までわざわざ飯を食いに来るようになったのは」


「そうだな。ローレンさんは、いつも向かいの店の中に閉じ籠って薬を作ってるイメージしか無かったよ俺は」


「ルゥちゃんが居たからだね。あの子は本当に不思議だった。誰もがあの子を見ると笑顔になってたものね」


「だな。早く帰ってくるといいな。またお向かいの店が商売を再開する日が楽しみだ」


「ただいま。そっちの仕込みが終わったら、あたしも何か菓子でも作るよ。午後のお客さんにでも出してあげてね」


「お。そうかい?ありがとねぇ」


 ラミアが藍滴堂から戻って来て、手伝いを申し出るとネイラが喜んだ。

結局、海鳥亭の夫婦は一角亭で昼食を御馳走になり、店を後にした。

夫婦は揃って身長が高く、二人並んで歩くと下町の狭いメインストリートではそれなりに目立つ。

店が休みになる「6の日」には市場も休みになる関係で下町の飲食店も、一角亭のような店以外は殆ど定休日になる為、二人はよくテンス大橋を渡って中心街の方に外食へ行く機会が多かったのだが、最近は必ずルゥテウスを一緒に連れていたので、夫婦二人だけでこうして通りを歩くのは久しぶりであった。


「なんか……拍子抜けするくらい簡単に信じて貰えたな……」


「そうね……あそこまで信じられちゃうと、罪悪感が凄いのよね」


「まぁ、良かったじゃねぇか。あそこの人達に飲み込んで貰えれば自然と話が広がるさ。俺らも誰かに聞かれたら『王都に修行に』でいいじゃねぇか」


「そうね。王都と言えば、ジョーのおかげで話に少しだけ信憑性が出たわね」


「おぉ。そうだな。ジョーに手紙でも出しておくか。話を合わせろよって」


「まぁ!」


ラミアが大笑いした。家族を立て続けに喪い、ローレンまで亡くなった。残されたルゥテウスまで旅立ってしまったのに、夫婦はなぜだか今日は一杯笑う事が出来た。ルゥテウスはどこかで元気にやっている。あんな凄い子がそんな簡単に危ない目に遭うとは思えない。そしていつか必ず帰って来ると信じていた。


自宅に帰ってくると、ユーキはルゥテウスのノートを彼の部屋の机の上に戻した。この部屋は元々は両親が使っていた部屋でなので、これからもルゥテウスの部屋としてこのままにしておくつもりである。


彼がいつでも帰って来れるように。ここは彼が帰ってくる場所として。


翌朝、店は本来の定休日だがいつもと同じ時間に起きる事を心掛けている夫婦は、まだ底冷えがする夜明け前に一階に下り、暖炉に火を入れた。今日はまだ休みだが、明日からはルゥテウスが居ないのでまた掃除をラミアが担当する事になる。


洗濯は休日の朝に纏めて行う事になるだろうが、これはルゥテウスと一緒に暮らす前にはずっと続いていた習慣なので、程なく慣れるだろうとラミアは厨房のランプに火を移した。


洗濯をしようと厨房の中から手提げ桶を出して裏口に続く廊下に出ようとした瞬間、彼女は包丁棚を見て驚いた。


「ちょっと!アンタ!どこに居る?こっちに来て!」


急いで大声で夫を呼ぶ。ユーキはトイレに行っていたようで、流しで手を洗って冷たい水をタオルで拭いながら


「何だ?大声出して。ションベンが脇に逸れるところだったぞ」


「いやいや。それはちゃんと自分で掃除してよ?……って、そんな場合じゃ無いわよ!これ見て!」


と、包丁棚を指差し、更にそれでも不十分だと思ったのか棚に掛かっている包丁の中から二本の包丁を抜き出して作業台の上に並べた。


「なっ……なんだこりゃぁ……」


ユーキはその二本の包丁を見て絶句した。一昨日の夜に大きく刃毀れした魚包丁と、刃が歪んでしまった牛刀。それらはもう昨日のうちにダンの鍛冶工房に預けてきたはずであった。


今、二人の目の前にある……正確には何時の間にか包丁棚に掛けられていた二本の包丁は……魚包丁と牛刀であった。それも、二本とも何か見た事も無いような青い光沢を放っていて、尋常では無さそうな雰囲気を持っている。それぞれの刃渡りは以前に使っていた物と全く同じくらいに見えた。


「これは……一体何で出来てるんだ……こんな色した包丁は初めて見るんだが……」


握ってみると、二本とも恐ろしく軽い。明らかに今まで使っていた鉄の包丁とは違う素材で作られているとしか思えない軽さだ。そして軽いにもかかわらず抜群の重心具合で、これは長年使って来たあの包丁と全く同じ持ち味だった。ただ恐ろしく軽いのだ。


ユーキは普段はやらないのだが、なんとなくやってみたくて魚包丁の刃を指で弾いてみた。


キィィィン


指で刃物を弾いているとは思えない澄んだ音色に夫婦は更に驚いた。


「な……何これ……」


更に特徴的なのはこの包丁は二本とも持ち手まで刃と一体化しており、青っぽい光を放つ金属であった。ラミアが包丁棚を何気にチラっと見ただけで異変に気付いたのは、この二本だけが青っぽい不思議な光を棚から露出している持ち手部分から放っていたからである。


ユーキは急いで厨房の奥の貯蔵庫に吊るしてある大きなハムの塊を持って来た。そして牛刀の方でそっと切ってみる。青い光沢の牛刀は分厚いハムを軽く刃を当てただけで泥の塊のように切り裂いた。


「うわ……何だよこれ……どこで売って……いや、誰が作ったんだ……?」


今日は市場に行っていないので魚が無い為に試せないのだが、ラミアは魚の代わりに魚包丁で同じハムを切ってみた。やはり恐ろしいくらいの切れ味だ。


「何で出来てるのかしらね……」


夫婦して暫く絶句していたが、切ったハムを摘んで口に入れようとしたユーキが、間口のカウンターに置かれていた紙片を見つけた。まだ暗い店内なので見落としていたのである。紙片には


―――昨晩の事、こちらを復元し忘れておりましたが既に処分されたようでしたので代わりの品を置いていきます。宜しければお使い下さい。刃を研ぐ必要はございません。却って石が負けてしまうのでご注意を。


と、美しい字体で書かれていた。昨日ノートで確認した大甥の筆跡だ。


「ルゥ……わざわざ戻って置いていってくれたのか……夜中に来たのかな?」


「そうね……でもそんな事より……」


「なんだ?」


「こんな凄い包丁貰ったら、ダンさんに新しい包丁作って貰う必要が無くなったんだけど、何て言い訳しようかしらね……」


「あっ……そうだな……また話を作るのか?」


夫婦はお互いに苦笑いしながら、二本の青光りしている包丁をいつまでも眺めていた。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ユーキ・ヘンリッシュ

主人公の伯祖父。47歳。ミムの兄。レストラン《海鳥亭》を経営。


ラミア・ヘンリッシュ

ユーキの妻。45歳。主人公からは義伯祖母に当たる。夫と二人でレストラン《海鳥亭》を切り回す。


ネイラ

宿屋《一角亭》の女将でマーサの母。


マーサ

宿屋《一角亭》の若女将。


シンタ

マーサの夫。宿屋《一角亭》で厨房で料理を担当。


ダン

ダイレムの下町随一の鍛冶屋工房の主。


エバ

ダンの長女。26歳。嫁に行かず家業に夢中な女性鋳物師。

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