闇の塩の行方
王兄ロメイエスは、ネラ達と擦れ違い……そのまま彼女らが今来た方向に歩き去って行った。もしかしたらアガタの部屋に用があったのか?
ネラが暫くその後ろ姿を見送っていると、オミが声を掛けて来た。
「ネダさん、行きますよ」
「あ、はい……すみません。あのお方が……このお屋敷の主様なんですね」
「ええ、そうね。この時間にお部屋から出ていらっしゃるのは、お珍しいわね」
「そうなんですか?いつもはお部屋から出ていらっしゃらないとか?」
「まぁ……そうね。少なくとも私はあまりお見掛けしないですね」
「でも……今お見掛けした限りではお身体の具合が思わしくないとか、そう言う感じではありませんよね」
「そうね。ご病気がちとか、お身体が弱いとかって言うわけじゃないそうね」
「そうですか……」
オミと話しながら廊下を歩き続け、途中で角を1度曲がった先に彼女達が普段詰めている部屋はあった。この屋敷の形状は、既に「空の目号」によって空からの偵察で判明している。上空から見たこの屋敷は北側の辺が長く、反対に南側辺が短い台形となっている。今ネラ達はその長い北側の廊下を歩いてから東側の廊下へ右折したのだが、上空からの偵察では東側の廊下は南北で長さの違う廊下と直角に交わっている。
つまり東・南・北の廊下が垂直に交わり、南と西の廊下は鈍角的に、逆に北と西は鋭角的に折れる形状をしていて、全体的には「台形の回廊型建築物」であると言える。1、2階を結ぶ階段は南北1つずつあるようで、ネラが上がって来たのは北側の階段だった。
但し、南北の階段は同じ1階の大きなホールに下りる造りになっているので屋敷内の移動はそれほど大変ではないようだ。
オミとネラは東側の廊下を歩き、曲がってから2つ目の扉の部屋に入った。部屋の中はそこそこ広く、手前側に向かい合わせとなるような形で机が3列6台。その奥に1台、合計で7台の机が置かれているが……席に着いているのは奥側の左右列に1人ずつだけだ。
「やっと新しい人が入ってくれたわ。紹介します。ネダさんです」
オミが部屋に入るなり、そのようにネダを紹介すると席に座っていた2人は立ち上がった。
「エズレよ。宜しく」
右側の席の女性はオミよりも年嵩に見える。30代前半だろう。
「フェノです。宜しくお願いします」
左側の席の女性は逆にネラの実年齢よりも若そうだ。恐らくは20歳前後だろう。自分の「設定年齢」と同じくらいかもしれない。
「今日からお世話になります、ネダと申します。宜しくお願いします」
ネラはそのように自己紹介して頭を下げた。2人の女性もそれを見て頭を下げた。
オミはネラに対して「そうね……ではエズレさんの隣が今日からアナタの席になります」と言って自分は一番奥の上席に着いた。つまり、この部屋ではオミが上役だと言う事になるのだろう。
ネラは指定された席に着き、改めて隣のエズレと斜向かいのフェノに頭を下げてから、彼女らと共に椅子に座った。椅子はかなり座り心地の良いしっかりとした造りで、これなら長時間座っていても疲れ難いのではないかと思えた。
「これで3人になったわ。アガタ様も漸く『事業』を開始されるそうよ」
「ではすぐにでも忙しくなりそうなのですか?」
年長のエズレが尋ねると、オミは苦笑しながら
「いえ、まずは『窓口』を設置する事から始めるのではないかしら。多分……神殿の方々がその為の場所を確保するのが先ね。ああ……でも、もしかしたら既に確保されているかもしれませんね」
そのように答えた。どうやら「塩の売買」、特に「塩の仕入れ」に対して王兄屋敷に一元化すると言う事業計画はこれから始まるようである。
「あの……すみません。私は昨日まで国のあちこちを回る行商隊の中で育った者として疑問に思ったのですが……お屋敷の皆様が直々に、ご商売を始めようと言う事なのでしょうか?」
と、前置きをしながらネラはオミに尋ねた。まずは彼女らの言う「事業」のあらましを知っておかないと話にならない。
「私も実は詳しく知らないの。でも……アガタ様からお聞きした話によれば、お屋敷で塩の流れを管理する一番の理由は『闇に流れる塩を止める』と言う事らしいわ」
「や……闇に?その……『闇』って何ですか?」
「説明がちょっと難しいのですけどね。この国からずっと西に行くと『海』がある事は知ってる?」
「え、ええ……はい。父から聞いた事があります。但しそこがどんな場所なのかは分からないですけど」
「『塩は海で作られる』と言う事は分かる?」
「はい。そのように聞いています。『塩は西の海から来る』と聞きました」
「そう……。アナタのお父さんは行商をされているだけあって、随分と物知りね。アナタの言う通りだわ。塩は西の海で作られて、この街に運ばれる。私が教わった限りですと、この街が一番西の海に近いので……塩はこの街に運び込まれて、西側に住む人々が暮らす為に必要なものと交換されるらしいわ」
オミが話す内容は、ネダにとっては概知の情報だ。彼女が属している組織は、その「西の海」に面した場所に南北11カ所もの拠点を築いて流民の保護に努めているのである。
「その……『西から持ち込まれる塩』は全てこの街に集まる。つまり、本来であればその塩はこの国の中で、アナタのお父様達のような行商人の手を経て各邑や街を巡るはずよね」
「はい……そうなりますね。私は今回初めてこの街にやって来ましたが、父は私が子供の頃から都にまで塩を持ち帰っておりました。タシバで仕入れる塩の半分は、途中で立ち寄る街で様々な交換品に代わってしまいますが、残りの半分は都まで持ち帰りますし、更に東の街にまで送り届ける場合もございました」
ネラの言葉の大半は「作り話」である。彼女……とその兄であるホウの「本当の父親」は現在、サクロから東に5キロ程離れた場所で酪農をやっている。彼女らの両親はキャンプ時代にルゥテウスが現れた直後から、彼の地で酪農を始めた古株の家族で、実際にはホウとネラの他に男子が1人、女子が2人居る。つまりホウとネラは本来5人兄妹でホウは長男、ネラは末っ子の三女と言う事になる。
ホウが同じ《青の子》の隊員になった年の離れた妹の事を必要以上に案じているのは、「末の妹」だからである。弟である次男は牧場を継ぐようだし、上と真ん中の妹は既に嫁いでいる。ホウにとって心配する妹は最早同じ諜報員の道を選んだ末の妹だけなのだ。
「その塩が……この国以外に流れているとしたら、どうします?」
「えっ!?」
「そう。『闇に流れる塩』と言うのは、この街を出て……この国の中で出回るわけでもなく、別の国……特に南の国々ね。そちらに運び込まれる塩の事を指すのよ」
「あっ……!そんな事があるんですか?」
「ええ。これまでも、この街を経た塩がテラキアを素通りして南の国々に流れていると言う噂は絶えなかったし、実際……テラキアが『国として』南の国へ送られる塩を止めても、それらの『闇の塩』までは止められていないの」
そう言う事か……と、ネラはオミの話を聞いて納得した。つまりテラキアが南方に存在する今も敵対している地域の国々対して、生活必需品である塩の流通を「国の施策」として止めに行っても、「闇の塩」……つまりは密輸に近い手段でテラキアの国策を擦り抜ける塩が存在する。
テラキアとしては、それを潰す事で南方との駆け引きで優位に立ちたいわけだ。テラキア国内で塩を素通りさせる事自体は別に何らかの法律……この場合はテラキアの法律だが、これに何やら引っ掛かっているわけではない。なので彼女達は「闇に流れる塩」などと言っているが……別に運んでいる連中からしてみれば非合法な行いをしているわけではないのである。
「ならば法律を改正して非合法化させてしまえばいいじゃない」と考えがちだが、それは高度な文明と識字率が揃った国ならではの考え方だ。残念ではあるが……このテラキア国民の識字率は、恐らく2割を切っていると思われる。
それでも「文字がある社会」と言うのはこのエスター大陸……とりわけ大陸南部では珍しいくらいだ。実際、テラキア王国が最近併呑した周囲の小国で文字が使われていたのは僅かに2カ国……あのモロヤなどは文字と呼べるものは使われておらず、辛うじて数字を含む簡単な記号だけで国が営まれていた。
アガタの立てた「計画」によれば、現在この街の市場周辺に寄り付いている「塩商人」達とは可能な限り摩擦を起こす事はせず、「徐々に」と言った感じで塩の放出を「専売制」に移行させて行くつもりだと言う。
ネラは「最後の1人」として他の3人から色々と「計画」についての説明を受け、また自らも積極的に質問を重ねた。そもそも彼女は、この屋敷の中の動向を探りに来ているのだから、聞いた事に何でも答えてくれる今の状況は望むべくもない絶好の機会だ。但し……この場において「王兄様」についての質問はあまりにも場違いで不自然であるので憚られた。
この後数時間、彼女は他の3人が疲れを覚える程に質問攻めを行い……日が傾いた頃になって、オミから居室に案内された。部屋は彼女だけが使える個室で、この屋敷における彼女への待遇の良さが感じられた。流石に邑長の屋敷……しかも現在の邑長は女王の兄と言うだけあって、「使用人」の部屋と言えども調度品はそれなりに質の高いものだった。
しかしこの国のご多分に漏れず……この屋敷の中にも時計が無く、現在の正確な時刻が掴めないまま……彼女は本日の出来事を報告すべくミンに念話で呼び掛けたのである。
****
『なるほど……。ロメイエスは健在なんだな?』
ミンに念話を送ったところ……「班長の手が空いているので直接報告して欲しい」と言われたので、ネラは兄へ念話のチャンネルを開いた。兄……ホウは結局この日、外に出る事無く拠点の中で今後の探索計画の整理などをまとめていた。要は彼だけが「暇」だったのだ。
『うん。廊下で1度だけ擦れ違った。顔を見たのは一瞬だったけど……別に何か体調が優れないと言った感じじゃなかったよ』
『ほう……そうか。王兄は病弱である事を自覚しているから王位の継承を辞退したと聞いてたけどな』
『うん。私もそう聞いていたから驚いたよ。もしかしたら「替え玉」かもしれないね』
『ああ、そうか……そう言う可能性も考えられるな。もしもだ。もしも……お前の言うように、お前が今日見た王兄ロメイエスが替え玉だった場合、それを企図するとしたら、やはりえっと……アガタか。その女が主体になっていると思うか?』
『そうだと思う。あのアガタと言う女は王兄の腹心であると同時に、太陽神信仰の神職者としてもかなりの高位の人物みたいだから少なくとも全く無関係ってわけじゃないでしょうね』
『そうか……。確かアガタは王都に居た頃から王兄の腹心として側に仕えていたんだよな?それでこっちに移って来た時に一緒に付いて来たって』
『うん。そうらしいね』
『ならば隊長にお願いして王都に居た頃の様子を調べてもらおう。こっちでも何か分かり次第、お前と共有するようにするんでそのつもりでいてくれ』
『分かった。後さ……ここに居ると時間が分からないんだよね。なので……こっちから決まった時間に連絡を入れるのは難しいかなぁ』
『そうか。今の時間は18:40なんだが……どうする?毎日これくらいの時間に、こっちから連絡を入れるようにしようか?』
『ああ……そうしてもらえると有難いかなぁ。それと……そのうち余裕が出来たら出来る範囲で屋敷の中を探索してみるよ』
『そうか……ただくれぐれも無理はしないでくれ。本来ならば、お前のような経験の浅い隊員の場合は2人組で潜入するのが普通なんだ。いいか?その屋敷にはお前だけしか入っていない事を忘れるなよ。無理せず見聞きした事を教えてくれれば、こっちでも色々と考えてやれるからな。目の前には居ないが、俺達仲間に遠慮せず頼ってくれ。お前は1人じゃないからな!』
『うん……分かった。ありがとね。兄貴』
ネラはちょっと感動していた。この兄妹、間に3人挟んで7歳差なのでネラが12歳で《青の子》の訓練生に抜擢された時、兄のホウは既に訓練7年目に入っており……訓練課程も全く噛み合わないまま、兄は3年後に訓練を終えて正式な隊員としてキャンプの外に赴任して行った。その頃になると、兄妹の他の家族は皆前述した通り、既にサクロ郊外に移住していたので、以後7年に渡って……彼女は家族と離れて厳しい訓練をキャンプで受け続けたのである。
そして訓練を終えてから2年……初めて兄の下で諜報員として任務に就く事になった。訓練を終えて正式な隊員になると、一応は纏まった休暇がもらえるようになるので、その時はサクロ郊外の実家に帰省したりして両親や次兄に会う事も出来たが、長兄とはどうしても休暇が合わずに擦れ違いになっていた。彼女自身、3日前にこの街の郊外に空の目号から降り立った時、約2年ぶりに兄と再会したのだ。
その兄から任された初潜入任務で、彼は経験の浅い妹を心から心配している。これがまだ10年前の思春期くらいなら「鬱陶しい」などと反発したかもしれないが、訓練を経て大人になった今……支部を率いるリーダーとしての兄からの配慮が嬉しかったのだ。
それから、兄と「闇で動く塩」について意見を交わした。ホウは今回の支部に課せられた一方の任務である「塩の高騰」についての答えがいよいよ出て来たか……と実感した。「闇に流れる塩」と聞くと、何やら「テラキア国外に流出する塩を押さえる」と言うような一見して「王国の為」にと聞こえるが、王都の塩の相場まで上がってしまっている現状を考えると、「闇の塩云々」は建前で……その実態は「王兄派の攻撃」なのではないかと言う疑念も生じている。
『王兄屋敷が「塩の統制」を布くと言うなら……チムニの報告待ちになるな。チムニの働き次第では、俺達の方が更に「タシバに入る塩」をコントロールする事が出来るかもしれない』
『そうなの?そう言えば西に向かったんだったよね。そうか……チムニさんが塩の運搬人の動きを押さえてくれれば、塩の流れを兄貴達の方で操作出来るって言うか……予め私に教えてもらえるって事ね?』
『ああ、そうなる。お前が内部に居てくれる事で、こっちの「操作加減」に対するそっちの反応が掴めるわけだからな……。実際、大分楽にはなるな』
『そうだね……。分かった!まずはアガタ様や他の使用人との信頼作りから取り掛かるよ。それじゃこれで報告を終わります!青の子様のご加護を!』
『ああ。気を付けてな。青の子様のご加護を』
そこで念話を終わらせ、彼女は1階にあると教わった風呂場に向かった。屋敷の1階に男女別の浴室があり、石と漆喰で作られた浴槽まで完備されていた。彼女はこの浴室で屋敷の中で働く様々な女性と交流を持つ事を狙ったのだ。
(まずは無理をしない程度に少しずつ……チムニさん達が結果を出すまで、まだ少し時間があるだろうしね)
兄から受けた教えをもう一度頭の中で復唱しながら、ネラの「初日」は過ぎて行った。
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イバンはケインズの拠点でホウからの報告を聞いていた。この拠点とタシバの拠点は《転送陣》で繋がった事で、ホウは直接イバンに報告が出来るようになった。つい最近まで「太陽教本山」に納入する物資を「在庫」として置いていた部屋が、在庫を置かなくなってからは偽装店舗の中は結構な余裕が出来たので、奥の倉庫部屋に大机が置かれて、ある程度の会議なども可能な環境が整っていた。
「ほぅ……。やはり王兄屋敷が噛んでいたって事か」
「まだ本格的に動き出しているわけじゃないみたいですがね。一部の塩商人を屋敷側が抱き込んだのか……それとも屋敷側から新たな商人を送り込んだかして、既に塩の『現物』を押さえ始めているようですね」
「で……?主体となっているのがその……アガタと言う女なんだな?」
「ええ。王兄の腹心で現在、屋敷側の動きを差配しているようです。太陽神信仰の神職も兼ねているようで、その地位もかなり高いとか」
「つまりは『祭政一致』と言う形で動いていると?」
「はい。恐らく隊長の仰る通りでしょう。こっちの宮廷はどうなんです?やはり神殿側の影響が強いんですか?」
「いや……女王とその周りの連中は、そこまで宗門側を重んじているわけじゃないみたいだな。彼女達自身は太陽神信仰が篤いようだが、だからと言って神殿側の言いなりになってはいないらしい」
「ほぅ……王兄側とは対極の姿勢なんですね」
「うん。それに先日……店主様のお働きによって、祭主がウチの国への出兵を煽っていた事実が知れたはずだからな。信仰とは別に宗山側に対しての信頼は失墜していると思う」
「ああ……先日仰っていた話ですね?」
「店主様によって、あれだけハッキリと知らしめたわけだからな。あれでまだ祭主を信用しているなら女王の知性も知れている……ってことだなぁ」
イバンが失笑すると、ホウは呆れたような顔になった。
「ならば……どうします?『塩』の件も女王側に密告しますか?」
「いや、俺達がそこまでする必要は無いんじゃないか?テトへの侵攻も止まるだろうしな。女王側と王兄側が兄妹喧嘩をする分には、ウチの国は関係無いからな。元より国交を結んでいるわけじゃないし……」
「あはは……そうでしたね。今更我々が煽る必要も無い……ってわけですね?」
「うん。そうだな。ただ……塩の流れについての、ホウさんの計画は面白いね。塩をこっちでコントロールしつつ、塩を作っている人々に対して保護の道を開けるかもしれない」
「隊長……それは私の計画じゃないです。私は監督から提案された事を実行に移そうとしているだけなんです」
ホウが苦笑しながら、正直に白状するとイバンも笑い出した。
「ああ、そうだったのか。それでもこんな短期間で実行に移しているんだから大したもんだよ」
「はは……恐れ入ります」
ホウもイバンも、この「青の子による塩統制作戦」が……店主によって考え出された事実を知らない。ルゥテウスが「何となく」思い付いたこの作戦が青の子隊員達によって、ここまで速やかに具体化している事に本人も気付いていないだろう。
「では私は戻ります。また大きな動きがあった際には随時報告に伺いますので……」
「うん。頼んだよ。青の子様のご加護を」
「青の子様のご加護を」
2人はそう言い交し、ホウは地下蔵の《転送陣》でタシバの拠点へと戻って行った。
「アガタ……アガタ……そう言えばどっかで聞いた名前だな……?」
ホウが帰った後、イバンは俄かにタシバを実質支配している高位の女性神職の名前が自分の記憶のどこかに引っ掛かっている事に気付いた。
イバンは翌朝、丘の上の神殿を探っている者達に対して「アガタ」と言う神職の経歴を調べるように指示し、後日その「正体」を知って驚愕するのである。
****
ネラを王兄屋敷へと送り込む事に成功してから数日、《青の子》の「タシバ支部」は精力的に動き回り……それまで停滞していた2旬が嘘だったかのように次々と重大な情報を探り当て始めた。最初にもたらされた情報は、タシバの西側の地域を探索していたチムニのチームからであった。
『タシバから一番近い位置にある『集落』と呼べる場所には10人程度しか居住していないな』
チムニから連絡があった旨をベッツから聞いたホウは、自らチムニと念話で話し合う事にした。
『10人?それで……?接触したのか?』
『ああ。別に悪そうな連中には見えなかったんでな。相手が10人くらいなら、別に争いになっても逃げられると判断出来たし』
『ふぅん……。では西海岸からの中間経路で何か悪さをしているわけでもないと?』
『そうだな。話を聞くに、ここに住んでる連中がタシバに塩を持ち込んでいるわけじゃなさそうだ。この場所は上空からは見え難いんだが、地中から水が出ている場所があるんだわ』
『ほう……?つまりは規模の小さいオアシスみたいなものなのか?』
『いや、そこまで大袈裟なモンじゃねぇな。「ちょっとした井戸」程度だ。だから滞在する事は可能だが、本格的に作物を育てて定住……ってわけにはいかないようだ』
『へぇ……。じゃあ……その10人の居住者ってのは何を生活の糧にしているんだ?』
『実は班長……俺達と同じような事を考えている奴が結構居るみたいなんだ』
『ん……?どう言う事だ?』
『つまり、西から塩を持って来るんじゃなくてタシバやその南方から「塩を引取りに行っている奴等」がかなりの数存在しているようなんだ』
『何っ!?そうなのか?』
『ああ。特にタシバ以外の南方から来ている奴等ってのが結構居るみたいだ。多分テラキア以外の国って言うか、地域からだろうな』
『なるほど。実はこっちでも今、「闇ルートの塩」って言う問題が新たに浮かんで来ていてな』
それからホウはチムニに先日妹からもたらされた「タシバからテラキア国内を素通りしている塩」の存在について情報を共有すべく説明した。
『ああ、それだ……。多分だが、その「闇の塩」以外にも……そもそもタシバに入る前に南側を大きく迂回するようなルートで直接西海岸にアクセスしている奴らが居る可能性があるみたいだな』
『本当か!?つまり……南の国々の中にはテラキアから出て来る塩に依存していない場所もあると?』
『ああ。それもあるし……もしかするとだ……。テラキア南部の邑の中にも南西ルートでタシバに依らない塩の調達を行っているところもある……かもしれない』
『なっ、なんでそんな予測が立てられるんだ?何か根拠があるのか?』
ホウは驚きを隠せない様子でチムニに問い質した。
『まぁ、そんなに興奮すんなよ。この集落にな、嘗てその「南西ルート」で塩を運んでいたって言う男が住み着いているんだ。そいつはオオカミに右足を食い千切られちまって動けなくなっちまったところを、別の塩運びの連中に助けられて、この集落まで運ばれて来たらしいんだけどな』
『そんな奴が居るのか?では……そいつは元々、どっか南の国だか邑に所属していた奴なのか?』
『ああ。どうやらそうらしい。メナトって言う国出身らしいんだが……祖国はとっくにテラキアに飲み込まれちまっているそうだ』
『テラキアがここ数年で征服した南の小国の中の1つって事か?』
『そうらしいぞ。恥ずかしながら俺はそんな南の国の名前までは頭の中に収めてなかったけどな……』
『いや、そりゃ俺だってそうだよ。確か……6つの国を征服したんだっけ?ああ、モロヤを入れると7つか』
『じゃ、その6つの中にメナトって国が含まれているわけか』
『そのようだな。それと、今お前が名前を出したモロヤからもここに流れて来ている奴等がいる。ここに住んでる奴の中で一番古株っぽい爺様がモロヤ出身みたいだな』
『そうなのか?モロヤから、そこまで……うーん。そうだなぁ。行けない事もないか』
ホウは念話を使いながら腕を組んで、自分の脳内地図に記されている「旧モロヤ地域」とチムニが訪れている集落の位置関係を計った。なるほど。距離にして両所は250キロ近く離れてはいるが、「西海岸まで逃げる」よりかは全然近いはず。そう考えると。旧モロヤが滅亡前から混迷していた時期に、西の海に向かって逃げ出した難民も相当数存在していそうだ。
トーンズ国……《青の子》が西海岸に配置している11の「難民保護施設」は、エスター中部から北部を中心に展開している。南側には、ちょうどトーンズとテラキアを隔てている森林帯の辺りを南限としているので、それよりも南側に対してはまだまだ保護体制が甘い部分がある。
《青の子》が現在把握しているエスター大陸の情勢としては、寧ろ目立った戦乱が起きているこの中部西側地域に大量の難民が発生している可能性が高いので、首相のイモールは現在……森林帯の向こう側に保護施設を新設するべく場所を選定している……とホウはイバンから聞いた事があった。
旧モロヤ地域から、その住人……つまりモロヤ族出身の難民が、近年になってテトに保護を求めてやって来ると言うケースも増えていた。そして同時に西海岸の難民保護拠点の南端にある「11番基地」にも、モロヤ族の人々がぼちぼち姿を現している。その数は既に合わせて数千人規模になっており……滅亡から10年経って元の都があったゾーナン地区での《青の子》による「逃散民保護計画」が継続している成果もこれに含まれている事は言うまでもない。
しかし旧モロヤ地域から少なくない人々が、若い頃のイモールや、モニ姉妹同様に「お日様の沈む方角」を目指して、圧政と戦乱、略奪による地獄と化した祖国から逃げ出したと見られ、森林地帯よりも北側に位置する11号基地よりも、森林地帯の南側へ逃走路が逸れてしまっている事は十二分に考えられる。何しろモロヤ王国は、森林地帯の南側に存在していたからだ。
モロヤ王国の崩壊は、近年……ここ十年来においてエスター中西部では最大の事件だったはずで、結果として大量の難民を生み出したと見られる。《青の子》の分析によれば、モロヤ王国崩壊によって生じたモロヤ族の難民は「1万人以上、2万人以下」と予想されている。
現時点でテトを窓口に収容出来たモロヤ出身の難民は6000人程度なので、今も尚……テラキア北部と国境森林地帯の間における東西の地域に1万人を超える難民が逃げ隠れしている……事になる。その中で実際に、まだ生命を落とす事無く逃避を続けている人々がどれくらい存在するのかは不明だが、西海岸にあるトーンズ国難民保護連絡網の南端に位置する11号基地の捜索範囲に引っ掛かかる事なく、更に南方に逃れた人々は相当数に及ぶのでないかと……今になってホウは軽い眩暈を覚えた。
『俺から本部に連絡して、もっと西海岸の南方に捜索範囲を広げるように提案してみるよ。こうなると……南西には俺達の想像よりも遥かに多くの人々が流れ着いて定住している可能性があるな』
『こっちはどうするよ?俺が見た限り……ここに居る連中は皆、「悪い事」をしているような者には見えないな。小さな……本当に自分達だけが生きて行くだけの作物を作りながら、東西を行き来する塩運びの者達に水や寝る場所を提供しているっぽいぞ』
『そうか……。よし。ではその連中に「ウチの国の助け」が必要か聞いてみてくれ。移住を希望するなら、新たに引率者を派遣するように本部に要請する。それと……もし連中が全員引き払ってしまったら、その場所を新しい『連絡所』に出来ないか、それも一緒に提案してみるよ。そこが連絡所になれば東西を行き交う「塩を運んでいる人達」とも接触しやすくなるだろう?』
『分かった。説得事はあまり得意じゃないんだけどな……彼らにウチの国への移住を勧めてみるよ。どう考えてもここで隠れるように暮らすよりはマシだろう』
『ああ。頼むな。俺はそっちの状況を本部にすぐに伝える。そっちの人達の考えを聞いておいてくれ』
ホウは取り急ぎ、今聞いた話をそのままイバンに報告した。イバンもこれを聞いて
「なるほど……モロヤの民が相当数、南西に逃げているって言うのは十分に考えられるな」
「旧モロヤの都、ゾーナンから西海岸まで……一番短い場所でも300キロ以上ありますけどね」
「その一番近い場所だと……ふむ。この辺りか……。うーん。11番よりも150キロくらい南になるのか。これじゃ多分……11番の見回り範囲には入ってないな。確か俺の知っている限り、11番の巡回南限は森林地帯までだから……そこから更に50キロはあるだろ。ここは」
「そうですね。相当な広範囲の捜索になりそうですが……人員は足りるのですか?」
「わからない。それはこれから割り当てを考えるが……ホウさんは、今チムニさんが入ってる集落を仮にウチの拠点に変えるとしたら、どれくらいの人員配置が適正だと思う?」
「そうですね……やはり今の住人と同じくらい……10人は必要じゃないですか?今後その場所を周辺の探索拠点とするならば、探索担当者も含めて20人は欲しいところですが……」
「なるほど。では可能な限りの人員を選抜するようにしておこう。ああ、それと……この前の件、王兄屋敷を仕切っているアガタと言う女の正体が判明したぞ」
イバンはちょっと緊張した表情になった。
「やはり……只者では無かったですか?」
「まだその経歴の全てを調べ上げたわけじゃないんだが……そのアガタと言う女、教主であるオレシュの一人娘だった」
ホウはイバンの言葉を聞き……暫く考え込んでからその意味を理解して仰天した。
「ええっ!?教主って……あそこの神殿の奥に居るって言う……今回の『黒幕』と目されている男ですか?」
「うん……。もう15年前……王兄がまだ少年だった頃から側仕えさせているらしい。太陽教……これは店主様が言い出された奴らの呼び名だけどな。アガタは太陽教では第4位の高位に居る人物らしい。今の教主には彼女以外に子供が居ないからな。恐らく次代の教主として有力な候補だと思う」
「ああ……確か教主の家系自体が女系中心なんでしたっけ?」
「そうみたいだな。なのでアガタが次期教主の座に就く事はそれ程面倒臭い事じゃないらしい」
「そうですか……。つまり……1人娘をそんな昔から王兄の下に送り込んでいたって事は、教主としては先代国王の後を継ぐのは王兄だと踏んでいたのではないですかね?」
「ああ……そうだな。そう考えられるな。うん……。前国王の気性からして、穏健な思考を持ったロメイエスの方を後継者にと考える方が普通だっただろうしな」
「それが……前国王が臨終前に指名したのは気性の激しいとされる妹、インクリットだったと。まぁ、確かにアテが外れた教主が慌てて王兄を担ぎたくなるのも分からんでもないですね」
ホウが苦笑いを浮かべたが、イバンはまだ思案顔をしている。
「この前のホウさんの話……タシバを素通りして南方の地域に塩が流れているって事だけど、もしかしてあれかな?ほら……あの、南部の女邑長。何て名前だったっけ……?えっと……」
イバンが顎に手を当てながら記憶を辿っている間に、ホウが懐から出した手帳を捲って答えを探し出した。
「ああ、アグリヌとか言う女貴族ですか?南にあるエタールの邑長ですな」
「ああ!そうそう!その女!確か先代女王と同じ年に産まれたとか聞いたな」
「そうらしいですね。えっと……43歳ですか。そう考えると、前女王は結構な早死にですな」
「ああ。まだ未確認情報だが、毒による暗殺の線もあるっぽいぞ」
「暗殺……ですか?」
「それも何と……下手人は、俺達も良く知っている……東の山の向こう側の……」
「あっ!《赤の民》ですか?」
「うん。どうやら彼らの手によって……と言う噂が、この王都にはまだ残っていた。今、親方様からあちらの長老様へ問い合わせをお願いしている」
イバンはこの噂を聞いてから、叔父に《赤の民》への裏取りを依頼しているようだ。昔と違い、今は赤の民への連絡も簡単になっているので、近いうちに何かしらの回答が得られるものと思われる。
「そのアグリヌって言う女貴族は、一応王兄派と目されていたのではないのですか?」
「うん。俺もそう言う認識だけどな。『女王派』と『王兄派』の対立なんて言われていても、実際に双方の派閥にどんな奴らが加担しているのかってのは、なかなか探り出せずにいるのが現状だ」
「でも、アグリヌは南方への出兵……と言うか侵略には反対の立場を採っているんですよね?」
「いや、そこまであからさまじゃないようだ。以前は南方への出兵に参加しているしな」
「ほぅ……?では女王との関係はどうなんですか?『疎遠だ』と聞いてましたけど」
「俺もそう聞いている。王宮周辺から拾い集めて来た噂を纏めると……」
「アグリヌは前女王とは非常に良好な関係を築いていたようだ。前女王も彼女と同じく『非拡大』を基本思想としていたようだからな。しかし女王が俄かに体調を崩して、最終的に臨終する……その場にアグリヌは立ち会えなかった。同時期に南方への度重なる遠征が行われていて、彼女の邑……と言うよりも『彼女の私兵』もそれに従軍中だったからな」
「その南方への出征も……現女王、当時の王女の進言によるものだったわけですよね?」
「うん。どうやらそうらしい。彼女は多分……『王女の差し金によって臨終の場から排除された』と思っているかもしれんな」
「それは恐らく事実なんでしょうね。即位前の……つまりまだ後継者候補でしかなかった王女からしてみれば、確実に目障りな存在でしょうしね」
「だろうな。しかし臨終間際の女王から『後継はインクリットとする』と言う遺言があったのは複数の人間が立ち会って聞いているので、この時点でほぼ『王女が次期国王』と言う線は固まっていたと思われる」
「しかし、それでも現存する各地の邑長達による『話し合い』は行われた。その結果によっては王女の即位も危なかったと言われている。但し……そこで一方の後継候補であった王兄ロメイエスが一方的に辞退した事で、大事には至らなかった……と言うのが複数の情報源から一致した、当時の様相だ」
「なるほど。ではその時点でアグリヌははっきりとした新女王への態度を示す事は無かったわけですな?」
「うーん。そこは微妙だな。何しろアグリヌは女王の『即位の宴』に参加していない」
「え!?そうなんですか?」
「ほら。さっきも言っただろう?当時はまだ南方への遠征中だったんだ。だから前女王崩御直後の貴族達の談合にも彼女は加わっていないし、王女もロメイエスの辞退を『これ幸い』と即位の手続きを迅速に執り行ったみたいだからな。正確に言えば『間に合わなかった』とも言える」
「なるほど。それはアグリヌからすれば腹立たしい話でしょうね。王女の進言によって始められた南征に従軍させられたせいで、親しかった前女王の死に目にも立ち会う事が出来ず……更には新女王の即位儀式からも締め出されたと感じているんじゃないですか?」
「だろうなぁ……。結局、その遠征によって6つ目の国を併呑して、アグリヌは漸く自領への帰還を果たした。既に新女王が即位した後だけどな。で……新女王は今から1年くらい前に、『7つ目の国』への侵攻を計画していたらしいんだ」
「えっ!?だ、だって……その頃は既にウチの国に対して兵を出していたじゃないですか。それと同時進行で、南でも軍を動かそうとしていたのですか?」
ホウも流石にこの「肉食系」女王の好戦的思考に驚いた。まぁ……女王は「北に生まれた正体不明の国」に対しても簡単に軍事的成功を収める事が出来ると思っていたのだろうか。彼女は現在、「北」に繰り出した軍勢が2人しか戻って来ておらず、既に女王直属の兵を半数以上失っている事実に気付いていると思われるが、このような性格の女王が……果たしてトーンズ、厳密にはテトへの侵攻を諦めるのだろうか。
「で……南への再侵攻はどうなったんですか?テラキアが7つ目の国に侵攻しているって話は……今のところ聞こえて来ていませんよね?」
「ああ。アグリヌが反対の意を示したからな。アグリヌの治めるエタールの軍勢が南征軍の中核だからな。女王直属の兵は往時は2万を誇っていた。今はテトで11000人程失っているので、その兵力は1万人を割り込んでいる。それに比べてアグリヌが率いるエタール兵は9000人を誇り、現時点で偶然だが女王直属兵と同じくらいの軍事力を保有している事になる」
イバンは笑いながら言っているが、トーンズ国軍によってテトで女王軍が3年間に11000人もの損失を出している事は、恐らくだが女王周辺のごく一部の者にしか周知されていないはずだ。当然である。そんな事実が王宮の外に漏れ出したならば……王宮周辺の不満分子が活性化し始める事態になりかねない。
現状……5年前よりもエタールの邑長アグリヌの持つ発言力と、それを裏付ける軍事力が女王のそれと拮抗している実態が、公に知られていないのはテラキア王国にとって「偶然のバランス」を与えている……と言う事になるのではないか。
「こうなってくると、『闇の塩の行先』としてエタールにも人員の増強を図る必要が出てくるな……」
イバンにとっては頭の痛い事態になって来たと言える。現在の《青の子》の総隊員数は1100人余り。このうち、ドロスの麾下で北サラドス各地で諜報に当たっているのは400名。この中にはつい最近設置に成功した北のニケの帝都イノルタスに送り込まれた6名を含める。また、北サラドス以外にも「世界の5大国」に含まれる他の先進国の首都にも諜報拠点を築いており、そちらにも合計40名程度の隊員を派遣している。
つまりドロス麾下のヴァルフェリウス領都オーデルにある本部が管轄しているのは450名程で、残りは全てトーンズ本国側を管轄しているサクロ本部……イバンの指揮下で動いている事になる。そのうち120名が訓練終了後、2年目までの新隊員が就く南との国境地帯の巡回に、他にも別途特殊訓練を受けた30名がタムの指揮下で「空の目号」の乗組員として着任している。
イバンが現在動かせるのは実質的に500名前後だと思われるが、更にこのうち50名は各地へ潜入していたり、テラキアから再三の攻撃を受けているテトの国防本部に偵察隊とて出向中なので、実際は人員が充足しているわけではない。
恐らく彼が再度の人員整理を行って捻出可能な余剰人員は精々20名……先日の話にも出た「タシバの更に西にある集落」を《青の子》で拠点化した場合の人員、そして西海岸の南地域の巡回の増強が既に決定している事から、エタールの人員まで増強するとなると……今度こそ別の拠点から人員を異動させる必要が生じそうだ。
ホウがタシバに戻って行った後も……イバンは暫く動きを止めて考え込む。若き指導者に初めての試練が訪れていた。