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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第五章 南方での争い
127/129

青の子様のお力

 ドロスとノンを連れて再び現れた藍玉堂店主様は、改めて部屋の中を見回して


「うーん。狭いね」


と……感想を呟いた。


「そうですな……ここは物置きとして使用しているようです。隣にもう1部屋ありそうですが」


監督も肯定する。店主が隣の部屋の様子を窺おうと動き出すと、まだ呆気に取られている〈青の子〉の隊員達が慌てて戸口から引き下がって、場所を空ける。隣の部屋を覗き込んだ店主は


「こっちも狭ぇな……。部屋はこの2つだけっぽいぞ」


と再び感想を漏らした。監督もその後に続いて


「なるほど。しかし今は人が詰め過ぎていますので狭く見えますが……建物自体は、左様……ハスエルの拠点と大差ありませんな」


「ハスエル……ああ、あそこか。しかし監督。あそこは普段、5人くらいで運用しているんだろ?ここは何人居るんだっけ?」


店主の問いを受けてドロスはホウに向き直り、確認するかのように尋ねる。


「人員は何人だ?……確か、お前がまず2人で入って、後から4人増やし……昨日更に8人増員したのだったな?」


 監督からの問い合わせを受けたホウは背筋を伸ばし、改まった口調で


「はっ!仰る通り、昨晩の補充で14名となりました!」


と、声を落としつつもハキハキと答えた。彼の回答に反応したのは監督ではなく店主様であった。


「14人か。そりゃ流石に無理があるなぁ。交代で使用したとしても狭過ぎる。いや……最低でも人数分の寝床は確保すべきだ」


「げっ、現在……ここ(・・)から500メートル程の場所に天幕を張って仮設の宿所としております。一応『西方より塩を売りに来た一団』に偽装しております」


ホウの丁寧な説明に監督は苦笑いを浮かべながら


「ふむ……そうか。それにしても天幕では恒久的な滞在は難しいな。その……塩を売り切ってしまったら、それ以上の長期に渡る偽装が難しくはならないか?」


「はっ……。仰る通りです。場所が街壁に近過ぎて、守備兵が街壁上を巡回する際に目に付いてしまうのも難点でございまして……」


「いや、こんな辺鄙な場所に来て……そんな悪条件の下で滞在するのは体力的にも衛生的にも良くない」


 店主が隊員を労わるような感じで口にした言葉に、漸く我に戻った隊員達は感動した。彼らは、この目の前で小屋の中を見回している美しい若者が「藍玉堂店主」と呼ばれているが、実際は監督や親方……更には統領様さえ畏れを抱いている「青の子様その人(・・・)」である事を弁えているからだ。


「青の子様」と「統領様」は彼らの親世代からも、さながら「信仰の対象」のように見られている。〈青の子〉の隊員は、その前身である〈赤の民〉の頃から、キャンプで育った12歳の子供達を訓練して構成されている、言わば指導者を除く全員が「キャンプ生え抜き」の者達なのだ。


特にホウやチムニの年代も含めた32歳以下の隊員達は、自らが新生〈青の子〉となってから訓練所を卒業している為、ある日突然キャンプに降り立った「青の子様」によって、難民達の暮らしが劇的に改善された上に……とうとう隣の大陸に「自分達の(トーンズ)国」まで作られた過程を目の当たりにしている。


「青の子様」は、宗教に対して今でも冷たい視線を送る彼らが信じる「実在する本物の超越的存在」なのだ。


(青の子様が……こんな場所までいらして……)


普段は無口なベッツでさえ感激している。彼にとっても「俺でも役に立てる仕事(念話付術品)を与えてくれたお方」が、この藍玉堂店主様なのだ。


「よし。これから大至急、ここ(・・)を改造する。『実験』はその後にしよう」


「今から手を入れられると?」


 ドロスが驚いている。彼は本日……「ノンが《転送符》の作成に成功したから、実用試験をやりたい」と藍玉堂に呼び出されており、今聞いた一言が、一昨日イバンと共に相談に訪れた「答えがこれだ」と確信した。それから店主はドロスと、現地の責任者であるホウの希望を聞き始めた。


「で……?まず14人が寝泊まり出来る場所だな?男女の比率はどうなっているんだ?」


「えっと……男9人、女5人……でしたか」


「そうか。今回は四層まで掘るか。よし!2時間以内で仕上げるから、全員ここから出ろ!」


店主は突然、この場に居る全員に小屋からの退去を求めた。


「お待ち下さい。今の時間に(・・・・・)この人数が、こんな小さな小屋から一斉に出たら人目を引きます。2人か3人ずつ……時間を空けて移動しましょう」


 ドロスの提案によって、ノンも含めて何人か組になり……「仮設」の天幕に移動する事になった。時刻は真夜中の0時を回ったばかりであり……当たり前だが人通りも殆ど見受けられない。これでは2人3人に分かれたところで、どうしても目立ってしまう。こんな時間に街中を動き回っていたら、夜警の衛兵から確実に怪しまれる。


そして元より人見知りの激しいノンは、ドロスの配慮で彼と……ネラが同行者となった。


ネラにしてみれば、生命の恩人であり……多くのトーンズ国民から敬愛されている藍玉堂の女店長であるが、ノン本人は自分がそのような目で見られているとは露とも思っていない。


このような右も左も分からないような場所へ、突然連れて来られた上に、主と引き離されて不安しか無いのだ。


無口に押し黙ったまま監督と並んで歩くノンに、仮設拠点までの案内をする為に前方を歩いていたネラが首だけで振り返り、不意に口を開いた。


「ノン様。本来であれば今は私語を慎むべき時なのでしょうが……私は以前、あなた様と店主様によって生命を救われた者でございます。あの時はありがとうございました」


普段の兄や同僚への言葉遣いとは似つかぬ態度で歩きながら頭を下げた。ドロスはこの様子を咎める事なく無言で歩いている。


「え……?私があなたの……?」


ノンは俯き加減で歩を進めていたのだが、突然自分の名を呼ばれ、ハッとして頭を上げたら……前を歩いていた〈青の子〉の女性隊員が振り向きながら頭を下げたのでビックリしてしまった。


ネラは前方の様子をしっかり確認しつつも、再度顔を横に向け


「ご記憶にございませんでしょうか?私がまだキャンプで修行を続けていた4年前、訓練中に足を滑らせて木から転落したのです」


「木から……ああ!」


思わず声を上げてしまってから、ノンは「すみません……」と再び俯いた。


 ネラ自身は転落直後から藍玉堂裏の病院に担ぎ込まれた時までは、激しい痛みで意識を保っていたのだが、当番で病院に詰めていた若い医師が彼女の状態を見て、「これは無理だ」と首を振ったところに藍玉堂から駆け付けて来たノンから痛み止めを与えられ……そこで意識を失ったらしい。


その後意識が戻ると、自分が寝かされていた寝台の横に、ノンと……店主が立っていたのだ。後から聞いた話では、内臓の損傷箇所が致命的と判断され、医師も諦める状況だった彼女の生命を救おうと、ノンがどうやら念話でキャンプの外にたまたま(・・・・)出掛けていた店主を呼んで彼女の生命を救うよう懇願してくれたのだそうだ。


ノンは彼女の生還を大いに喜んでくれ、その涙混じりの美しい笑顔が、今でもネラの頭に残っていた。骨折箇所も、内臓の損傷も全て治癒していたが、安静を命じられた彼女は、病室から去って行く2人の後ろ姿をいつまでも拝み続けたのだった。


その時の想いは今でも当然残っていた為、任務中ではないが、隠密行動中でしかも監督が同行している状況下であるにも関わらず、彼女はノンへの感謝を口にした……いや、そうせずにはいられなかったのである。


『ノン、聞こえるか?』


 「努めて静かに移動」だと言うのに思わず声を上げてしまい、申し訳無さで下を向いてビクビクしながら歩いていたノンに主から念話が入った。ノンは慌てて髪飾りに手を触れる。


『はい。聞こえております』


『もう、仮設の天幕ってところには着いたか?』


『い、いえ……。まだ歩いています』


『そうか。では到着したらな。その天幕の中を全て覆うように《領域》を張ってやれ。さっき聞いた話では、天幕の近くには街を囲む壁があるらしくてな。衛兵の巡回路になっているらしいんだ。こんな時間に天幕の中に10人を超えるような人間が入ってたら目立ってしまい警戒される可能性がある』


『え……あ、危なくないですか?』


『ああ。だから念の為にお前の《領域》を展開して天幕を隠してやってくれ』


『な、なるほど。そう言う事ですか。分かりました』


『俺はもう、地下4層まで掘り進めたから、後は各階層の床や天井を含めた内装をやるだけだ。ちょっと急ぐから、お前もあと1時間くらいは《領域》を維持してくれないか?』


『1時間ですね?承知しました』


 ノンが主と念話を終わらせてから、街の暗闇の中にボンヤリとした灯りの気配がして、目の前に大きな天幕の輪郭が現れた……と言っても、ノンが「天幕(テント)と呼ばれる物」を見たのはこれが生まれて初めてである。近くで目を凝らして見ると、直径10メートル弱、高さは一番盛り上がっている中央部で3メートル程か。屋根の縁部分では2メートル前後だが、それでも一般的な成人が腰を屈める事無く、立った状態で頭を天井に擦らずに移動出来る……そんな感じの大きさだ。


中に入ってみると、中心に長さ3メートル、直径10センチ程の棒が柱として立ててあり、壁に当たる外縁部にも長さ2メートル程の柱が何本も立ててある。要はこの中心の柱と外縁部の柱をロープで引っ張って支え合う形とし、その張り巡らされたロープに「有り合わせ」の布切れを何枚も重ね合うように被せ、それが屋根と壁の働きをしている……そのような構造をしていた。


 天幕で留守番をしていた男7人は、こんな夜更けに女性陣が次々にこちら(・・・)へ移動して来た事にも驚いたが、最後のグループでネラの後に入って来た監督を見て仰天し、更には彼に続いて隣の大陸のキャンプに居るはずの「藍玉堂の女店長」が入って来た事で更に驚きの声を上げた。


「静かにしろ!()に歩哨が来ているかもしれんぞ!」


ホウが声を低くして注意すると、男達は「しまった!」とばかりに口を塞いだ。既に監督と女店長……更には店主までもが訪問している事に、あちら(・・・)の小屋で既に散々驚いて来た女性陣は、その様子を見て笑いを堪えている。


「監督さん。その……見回りの方?に気付かれないように、これから領域……いえ、結界を張ります」


ノンは先程店主に命じられた「領域の展開」を即座に実行した。彼女が目を閉じて、数秒もすると……頼りない照明(ランプ)の灯りにチロチロと照らされていた、薄暗い天幕の中が一気に薄いピンクの背景と、光が天井から降り注ぐような空間に変貌して、一同……監督は流石に堪えたが、他の者達は一斉に驚愕の声を上げた。


「もう、大声を出しても大丈夫だと思います。この天幕自体を結界の中に入れてしまったので……多分外に居る人達には、もうこの天幕は見えていないと思いますし、音も聞こえていないでしょう」


「の……ノンもこの……店主様のような事が出来るのだな……」


監督は大声こそ出さなかったが、いつも店主が展開する「薄緑色の明るい空間」に似た「薄いピンク色の空間」を眺め回して感嘆の声を上げている。このように率直な感想をそのまま口にする監督も珍しい。


「現在、店主様があっち(・・・)の小屋に手を加えて下さっている。暫くの間、全員ここで待機だ」


「て、店主様とはその……あの(・・)店主様の事ですか?あの……?」


未だ衝撃から覚めやらぬと言った感じのチムニが恐る恐る監督に尋ねると、彼は苦笑いしながら


「俺が『店主様』とお呼びするお方は、この世界でただ1人(・・・・)だ。それにノンまで来ているのだから、あの(・・)店主様に決まっているだろう」


 あの店主様……つまり彼らにとっては「神」と同義である「青の子様」までが、このような辺境までいらしてくれているのだ。しかも青の子様直々に、あのちっぽけな小屋を我々の為に手を入れて下さっている……。


隊員達の間には感動して目を潤ませている者までいる。彼らの大半はまだ入隊2年以内の年齢も20代前半でしかない所謂「新隊員」なのだが、そんな彼らでも12歳で《青の子》入隊への選抜を勝ち取り……そこから10年、「立派な諜報員になる」と言う目標の為にひたすら鍛錬を続ける。そして訓練教官や、最終的には《青の子》を率いているドロスから認められれば10年目の終わりに正式な「青の子隊員」として迎え入れられる。


つまり彼ら彼女らは、まだ23、4歳の若者とは言え……12歳の頃から厳しい諜報員としての訓練を10年に渡って研鑽して来た「精鋭中の精鋭」なのである。しかしそんな彼らでも、「雲の上の存在」だと思っている藍玉堂の店主が、拠点確保で苦労している我々の為に、わざわざこんな敵国の辺境にまでやってきて「お骨折り頂いている」事に素直な感動を覚えたのだろう。


 そして、今自分達の目の前にはトーンズ国民……嘗て北サラドス大陸において艱難辛苦の時代を送って来た戦時難民達の中でも非常に高名な「藍玉堂の美人店長様」が居て、不思議な力で天幕全体を明るく、安全な場所に変えてくれている事も、大きな驚きを与えていた。「藍玉堂の女店長」は滅多な事ではキャンプから外に出ないと噂されているのだ。


女性隊員達は、監督が横に居るのも構わずノンに色々と話し掛けている。元々は引っ込み思案なところがあるノンは困惑しているが、女性隊員達は滅多に訪れないこの機会にすっかり興奮してしまい、監督の存在も頭から飛んでしまっているのだろうか。男性隊員達は逆に、美貌で知られる女店長に気後れしてしまい……群がる女子達の周囲で遠巻きに眺めるだけだ。


普段は怖い監督も、この状況を見て苦笑するばかりで……女性達を咎める気配も無い。彼らは故国、故郷から遠く離れたこの敵国の辺境で、これから重大な任務を遂行しなければならず……そしてその為に大きな緊張を強いられて来たと思われる。今回の……この女店長との邂逅は、彼ら彼女らにとってそれなりの慰問となるだろう。監督は、隊員達に囲まれて困惑しているノンに対して心の中で「済まんが暫くこの者達に付き合ってやってくれ」と思いながら笑っていた。


 それから……元々人見知りをするノンは、このピンク色の光が降り注ぐ空間の中で女性達に囲まれ続け、いい加減辟易し始めた頃に頭の中で主の声が聞こえて来た。


『待たせたな。とりあえず内装までは終わらせたから全員連れて来てもいいぞ』


ドロスも同じ念話を受け取っていたようで


「どうやら店主様が『施工』を終えられたようだ。俺とノンだけでまずは移動する。俺からの念話を受け取ってからお前達も移動を始めてくれ。念話は……お前だったな?」


監督から使命を受けたベッツは緊張の面持ちで「はいっ!」と、いつもは無口な彼が決して見せないようなビシッと背筋を伸ばして応答したので、ホウは可笑しくなって吹き出しそうになった。


「この結界は、放っておけば消えますので……」


ノンはちょっと疲れた顔でそう言い残し、ドロスに続いて天幕を出た。


「済まなかったな……連中の相手をさせてしまった。疲れたろう?」


珍しく監督が笑いながら詫びて来た。ノンはそれを聞いて慌てて


「そ、そんな事はありません。私は普段、あまり話をする友人が少ないものですから……」


と否定したが、「友人が少ない」と言うのも可哀想だと思ったドロスは


「お前は店主様にお仕え出来ているだけでも他の者より余程幸福だと思う。俺が言う事ではないが、これからも店主様を頼むぞ」


 そのように励ましの言葉を与えて、店主によって劇的な様変わりをしているであろう……小屋に向かった。


『ドロスです。まずはノンだけを連れて参りました。入っても宜しいでしょうか?』


『ああ、構わんぞ』


念話で中にいる店主と連絡を取ったドロスは、周囲の気配をもう一度確認してから玄関の扉を開けて小屋の中に入った。ノンがそれに続く。


 扉をくぐって入った部屋は、一見して先程まで見た様子と変わっていない。広さは5メートル四方くらいか。頼りない照明(ランプ)の灯りの下に竈が2つ並んだ台所も変わっておらず、机や椅子すら置かれていない。ここで今日まで寝泊りしていた者達は、睡眠を摂る時には隣の部屋から折り畳み式の寝台(コッド)を出して来て使用していたようだ。


「来たか。この部屋は特に手を加えていない。一応はこの街の当局者に踏み込まれても地上階は偽装(カモフラージュ)として使えるからな」


店主が部屋の中央に立っていて、説明を加えた。


「なるほど。では地下への出入りは奥の部屋からですか?」


「そうだな」


そう言いながら店主は奥の部屋に続く扉を開けて入って行く。2人もそれに続き奥の部屋に入ったが……この部屋も一見して何の変哲も無さそうに感じる。


 ここへ店主によって飛ばされて来た時同様に、部屋の奥側には何やら色々な物資が……それでも一応は判りやすいように積み上げられていて、手前側には隣の部屋でも使うであろう折り畳まれた寝台や、その他の滞在に必要な生活用品が壁際に並んでいる。部屋の広さは隣と殆ど変わらないようだが、物置を兼ねるような使い方をされているので、やはりこの部屋に寝泊り出来るのは精々2人だろう。


「ここが地下への入口だ」


店主の指し示す方へ目を向けると、奥の何やら袋が積まれている壁際の床がポッカリと無くなっていた。やや光量の足りない灯りの下で目を凝らすと、穴が空いているようだ。


「ここが……?」


「ああ、そうだ。最後にこの穴の真上に《結界》を展開すれば、外部の者にこの穴が見えなくなる」


「ああ!なるほど。そう言う事ですか」


 ドロスは当初、穴に対して全く何も偽装がされていないので訝しんだが……彼のこれまでの体験からして、《結界》を張ってしまえば、それ(・・)に登録されていない者には穴の存在そのもの(・・・・)が認識出来なくなってしまうのだ。なので、関係者が全員地下に入ってしまえばこの小屋は「無人」と見做される事になる。


「まだ()に家具は何も入れていないんだけどな」


店主はそう言いながら穴から地下へと入って行く。ドロスもそれに続いた。穴の大きさは80センチ四方はあって結構大きく、階段になっていた。出入りで苦労する事は無さそうだ。


 穴から続く階段は驚いた事に手摺り付きの螺旋階段になっていて、最下層まで貫いているようだ。手摺り部分を含めた直径120、30センチ程度の階段はそのまま「階段室」として地下層の部屋とは独立した造りになっているようで、2メートル程下りた所で踊り場が作られて扉も付いていた。どうやらこの調子で各階層は踊り場に扉付き……と言うパターンになっているようである。この階段室全体が壁面に埋め込まれた「謎の照明」によって明るさが保たれており、足元が暗くて危ない……と言う事にはならなそうだ。


「地下1層目には会議が出来るようなスペースと《転送陣》を設置するつもりだ。まぁ……机などは自分達で用意してもらうとして……《転送陣》を設置してしまおう。ノン。この前話した通り、《場所標(マーク)》と《転送》を別々に使うぞ。《結界府》も一緒にここで作れ」


そう言って店主は右手を振った。するといつものようにその手には3枚の未使用(ブランク)の術札が摘まみ持たれている。店主はその中の1枚をノンに渡した。


「ここで作るのですか?」


「そうだ。最初に《領域》を展開するのを忘れるな」


「は、はい……」


 ノンはその場で半径3メートル程の領域を展開してから、最初の術符を両手で持って目を閉じた。


(同じだ……店主様が術符を作られる時と同じように……)


ドロスがその様子を見て心中で驚いている間に、真っ白だった術札が一瞬にしてピンク色へと変わった。


「これが……《結界符》です」


そう言ってノンは今出来上がったばかりの《結界符》を主に渡す。ルゥテウスはその出来映えを《鑑定》を使って確認してから、ドロスに渡した。


「うむ。ノンの結界も大分強いものになったな。これだけの力が働けば魔法ギルドにも見破れまい。監督、まずはそれ(・・)を使ってこの場所に結界を張れ」


「は、はい。えっと……この辺りで大丈夫でしょうか?」


「いいんじゃないかな。最後に階段から地上に出る穴の周囲にも同じ結界を張るからな。部外者は当然だが、『あの穴』の存在自体から切り離す」


「な、なるほど。地下層を完全に我らの拠点とするのは他の所と同様ですな」


「うむ。他の場所だと、お前らの支部拠点の真上には藍玉堂の支店かオバちゃん達の菓子屋が偽装物件として存在しているからな。ここのボロい地上部分も何らかの偽装が必要になるな。そうだ!いっその事、お前達も『塩商人』をやってみてはどうだ?塩を売りに来る()避難民にも接触出来るんじゃねぇか?」


店主の提案を聞いたドロスはハッとした顔をして


「なるほどっ!確かに妙案ですな!」


と、彼にしては珍しく大きな声を上げたのでノンはビックリしてしまった。


「ここに全員を収容次第、直ちに彼らへ申し渡す事に致しましょう。いつもながらのご助言、誠に感謝致します」


そう言いながらドロスは頭を下げた。


「いや、ここで塩商人に偽装すればテラキア国内の塩の流れも探れるし……西海岸から塩を頑張って運んで来る奴らの中から堅気な奴らを保護したり、行き場が無いままに塩を作っている哀れな連中の情報も聞き込めるだろう?」


「た……確かに」


「そうやって西側に居る難民の保護を進めれば、最終的にテラキア自体に入る塩の量も……ある程度はこっち(・・・)で操作出来るとは思わんか?」


ニヤニヤする店主の顔を見て、ドロスは驚愕の表情を浮かべる。


「てっ、店主様は……そこまで見越していらっしゃるのですか……?」


毎度この美貌の若者の知謀は計り知れない……「監督」と呼ばれる「諜報の達人」は息を飲んだ。


「まぁ、ほら。せっかくこんな辺境まで出張って来てるんだ。ついでに何か仕掛けておくのもいいだろう?」


「そ、そうですな……!はは……ははははっ!」


普段滅多に笑わない監督が声を上げて大笑いする様をノンは驚いて見ている。この人が……しかも敵地に居ると言うのに全く無防備な様子で大笑いしているのだ。


 笑いを収めたドロスは、ノンが作り出すビンク色の魔導符に首を傾げながらも、店主によってしっかりと効果を《鑑定》された上で使い方の説明を受けた《場所標(マーク)符》を使い、「44」と言うタグを付けて、更にはそこに(・・・)位置が被らないように少しだけ床から浮かすように意識しながら《転送符》を使用した。


「魔法陣同士を被せない」というやり方(・・・)を、過去40を超える《転送陣》を設置して来たドロスは良く心得ており、今回のノンが作った「変わった見た目」の魔導符によって、いつもより1つ余計な手順が増えたりしたのだが……危なげなく拠点の「心臓部」とも言える《転送陣》の設置を終えた。


 ルゥテウスが今回改造を施した拠点の地下室は4層構造になっており、3人が今居る地下1層目が会議や打ち合わせを行うスペースと、念話連絡員が詰める場所が設けられている。部屋の隅には藍玉堂の2階にもある不思議なコンロが2台置かれ、地上階にある竈を使う事無く調理も可能になっている。


地下2層目は男性隊員の仮眠スペース、3層目を女性隊員の仮眠スペースとし、最下層には男女別の浴室まで完備したのは「いつも通り」だ。この2層にはトイレも個別に作られていて、更に下層にある風呂と共に発生する下水は地上に汲み上げられた後に、小屋の脇に建てられている「元々あったトイレ」を介して街の排水溝に捨てられるようになっている。ルゥテウスは、昔と変わらず「水を使うなら、まずは捨てる(・・・)手段を講じるべき」と考えていた。


そして〈青の子〉の諜報活動の一環として「身なりを(やつ)す」必要がある時は仕方ないにしても、平時は公衆衛生の面からも、隊員には清潔な活動環境を心掛けて欲しいと彼は願っているのだ。


 最下層の北側の隅に当たる部分には地下150メートルを超える大深度の水脈から直接地下水を汲み上げるポンプや浴室の水処理機器、それを動かしつつ拠点内の照明など確保する例の(・・)「あの装置」までもが壁を隔てて設置されていた。


内装の床や壁面、天井に至るまで美しく超仕上げの板材が貼られており、地上に建つ「見(すぼ)らしい小屋」の地上階部分と床穴から入った「諜報拠点」の雲泥の格差に、ドロスは毎度眩暈を覚えるのである。


「よし。ノンが作った魔導符の性能に問題は無さそうだな。今後は俺もちょっと学校が忙しくなりそうなんでな。《転送陣》の設置はノンに頼んでくれ」


「学校が忙しく……?確か……船に乗って海に出るのは再来年からでは?」


「ああ。俺が進むつもりの『海軍科』は本来であれば再来年の分校に移るまで、それ程忙しくなる感じじゃなかったんだけどな……。色々(・・)あって、来年度から海軍科の生徒にも『夜間訓練』が課されるようになっちまってなぁ」


「夜間訓練……ですか?学校からのお帰りが遅くなるわけですか」


「そう言う事だ。なので来年度……今年の9月から、俺は学校が忙しくなると思ってくれ」


「承知致しました。お忙しい中、お手数をお掛け致しました」


ドロスが深々と頭を下げると、店主は軽く手を振り


「さて……俺達はこれで帰るからな。ノン、行くぞ」


そう言って彼はさっさと今設置したばかりの《転送陣》に乗って姿を消した。ノンは監督の方に振り返り……


「では……これがさっきもお使いになった《結界符》です。()の床穴を隠すのにお使い下さい」


ノンは躊躇いがちに監督へピンク色の魔導符を渡した。


「済まんな。今回はお前にも大変世話になった。いや……今後も恐らくは世話になるかと思うが宜しく頼む」


そう言って頭を下げた監督を見て、ノンは慌てて首を振り……


「とっ、とんでもありません!私達同胞をお護り下さる皆さんのお役に立てるのですから……」


と逆に頭を下げながら


「それでは失礼します」


と言って未だに自分自身で……その性能にいまいち(・・・・)信頼が置けない《転送陣》に足を踏み入れて消えた。


 ドロスは「これだけやってもらって我々は何を返せるのだろうか」と呟きながら、階段室の天井にポッカリと空いた穴を《結界》で偽装する作業に向かった。


****


 ドロスからの念話を受け取り……少人数に分かれながら小屋にやって来た〈青の子〉の隊員一同は、到着した順にドロスから「結界使用者」の登録を受け、その瞬間に奥の部屋の床に空いている穴が見えるようになって驚き……更に穴から地下層に降りて仰天していた。


「こっ、こんな……」


この2旬以上に渡って拠点確保に苦労してきたホウとヒュウムは美しい超仕上げの壁が照明に照らされた地下1層に降り立って呆然としていた。


「そこにある『移動盤(アレ)』は『44番』だ。お前達全員に使用を許す。番号を忘れぬようにな……」


《青の子》では《転送陣》を「移動盤」と呼称していた。《転送陣》と言う魔法世界の用語で説明しても理解が難しいからである。しかしイバンやタムのような幹部達を含む大半の隊員は「アレ」と呼んでいた。


「はっ、はいっ!」


 隊員を代表してホウが応答した。他の隊員はまだ驚愕から醒めていないのである。それでも一部の隊員は懐から手帳を出して監督から言い渡された「44番」をメモしている。


「寝台を始めとする備品はお前達自身でサクロ辺りから持ってこい。いいな?」


「はっ!」


「それでは……後は頼んだぞ。俺はケインズに寄ってイバンにもこの件(・・・)を説明しておく。ケインズ側の()()もお前達全員が使用出来るようにしておくからな」


「お忙しいところ……このような素晴らしい拠点を整備して頂きありがとうございましたっ!」


ホウが頭を下げると……他の隊員達も漸く我に返って口々に礼を口にしつつ頭を下げる。それを見た監督は苦笑いを浮かべながら


「礼は店主様とノンに言え。俺はあの方々へご相談申し上げたに過ぎん。じゃあな」


そう言葉を残してドロスも《転送陣》に乗って姿を消した。


 残された者達は互いに顔を見合わせながら……


「これは奇跡かな?」

「いや……店主様のお力だ」

「店主様じゃない!青の子様だ!」

「青の子様万歳!」

「ノン様万歳!」


と、口々に藍玉堂店主と女店長を讃える言葉を口にしていた。


「やっぱり……青の子様は凄い……。そしてノン様も……」


ネラはウットリとした目で「真夜中の訪問者」の顔を思い浮かべていた。


****


 翌朝、隊員達はホウの指示によって留守番役のベッツとテスを残して街の中に散って行った。


塩の調査は顔の割れてしまったホウやチムニ達に代わってヒュウム達のグループが受け持つことになった。ミンは引き続き王兄屋敷に下働きを斡旋している者の探索に向かう。


ホウを含む残った者達は、巧みな技術で「塩運び」の集団に姿形を変えて、仮設天幕の撤去に向かった。彼らの行動は表明的には


「塩の物々交換が無事に終わったので、ここを引き払って仲間が待つ集落に帰る」


と言った態である。


ここ(解体)が終わったら、備品の運び入れだな」


「そうだな……『アレ』が繋がったからサクロまですぐに戻れるんだな……」


ホウの言葉にチムニが笑いながら応じる。


「うーん。初めてヒュウムの奴とここ(・・)に来た時は『こんな端っこの街で暮らすのか』と思ったが……こうなって見るとサクロやケインズとの距離もクソも無いな……ははは」


「この前、ケインズにも『アレ』が置かれたからな。あっちとも一瞬だ。隊長への文句は直接言いに行けよ?」


 チムニの冗談に、ホウだけではなく他の若い隊員達も笑い始めた。しかしそのチムニは表情を突然改めて


「班長。ここまで環境を整えてもらったからには、俺もそろそろ本気で動き出すぞ」


「ほう……どうする?」


ここ(・・)に居る若いのを2人貸してくれ。俺を併せた3人で動いてみる」


「何をやる気だ?」


「俺やお前は塩商人達に顔が割れてるからな。だから俺は……塩を運んで来る奴らと接触してみる」


「昨夜監督が話していた『あの話』か?塩を持って来る奴ら……『西』から来る連中と接触して、ここに入る前に交換しちまおうって言う……」


「ああ。それだけじゃねぇ。奴らのねぐら(・・・)の場所を突き止めれば……こっちから逆に乗り込んで行けるだろう?」


 チムニの話をここまで聞いたホウは、彼の考えている事を即座に悟った。昨夜監督が去り際に「やってみてはどうだ?」と提案してくれた話である。


「なるほど……。塩の『出どころ』を押さえるわけだな?」


「これまでにタムさんの調査で、ここから西へ100キロくらい行った辺りに集落らしき場所がある事が分かっているだろう?まずはそこを見てくるよ」


「そうか。では交換品を用意しよう。しかし100キロか……。タムさんに運んでもらえ。それと……連絡(念話)はベッツに入れてくれ」


 こうして仮設天幕の撤去を終えた男達の方も俄かに忙しくなり始めた。しかしここでバタバタしてしまっては、衛兵達に感付かれる恐れがある。


この街……正確には王兄ロメイエスが治める王国最西端の(むら)は、現在もかなりの警戒態勢を布いているし、ホウ達もそれとなく(・・・・・)街中を探ったところ……どうやら「外からやって来た自分達とは違う組織」が色々と嗅ぎ回っている事に気付いていた。


どうやら王都ケインズの王宮周辺から間者が出ている……と言ったところだろう。


 解体した天幕……元は様々な偽装に使用する目的で持ち込んでいた部材を3台の組み立て式荷車に載せて、ホウ達5人の男は相変わらず疲れ切った顔の……いかにも「西から来た集団」を装いつつも、すっかり内部が作り変えられた拠点に戻り……早速、チムニ達のグループが使う「交換品」の調達を始める事にした。


****


 昨夜設置してもらった《転送陣》を使ってホウとチムニが「43番」……つまりはケインズ市内の拠点に移動してみると、折よくイバンが居たので昨夜の経緯を報告すると、彼も流石に苦笑するしかなかった。


「監督だけでなく、店主様にもお出張り頂いたのか……」


「はい。俺が2旬以上バタバタとやっていた事が、昨夜の1、2時間で片付いてしまいまして」


 ホウとしても、笑うしかない。自分達は暫くの間……薄汚い天幕の中で寝袋(ベッドロール)を地面に敷いて眠る生活を覚悟していたのだが……。


得体の知れない術符を使ったら突然現れた「青の子様」によって狭小な小屋に4層もの地下室が僅か1、2時間で掘り下げられたのだ。


「いっ、1、2時間で!?」


「はい。お陰様をもちまして……タシバの拠点も増員された者まで全員収容が可能になっただけでなく……こうして『移動盤(アレ)』を使って補給も行えるようになりました。店主様に感謝致します」


「そうか……あのお方のお力をお借り出来たのは本当に幸運だったな。俺も近々そちらの様子を見に行かせてもらうよ」


この後ホウは新たな拠点の備品支給の手続きをしにサクロの本部に飛び、残ったチムニは塩を運ぶ者達の拠点調査についてイバンに内容を説明し、決裁をもらえた。彼の説明を受けたイバンも、西海岸の難民保護拠点で「取りこぼしている者達」の動向が気になったのである。


 その日のうちに寝台などの備品資材がサクロからタシバの新拠点に運び込まれ、手の空いている隊員達は二段寝台(ベッド)や風呂場の棚を作り付けるのに午後の時間を費やした。


チムニ達「西方調査隊」は荷車に交換品を積み込んでから、タム船長からの情報を基に……「最初の集落」までのルートを検討した。集落の住人が堅気(・・)の避難民達であるならばいいが、ホウもチムニも……それには疑念を抱いている。


西海岸で細々と塩を作っている者達はともかく……中間地域で運搬を担っている連中は、聞けば武装している者まで確認されていると言う……。武装集団が西海岸の避難民を「飼い込む」ような形で、これ以上逃げ場も、その気概すら尽き果てている彼らを奴隷のように働かせている可能性も考えられる。


 日暮れ前に戻って来たヒュウム達は整備の進んだ新拠点の変わりように唖然としていたが、すぐに気を取り直して報告をした。


「やはり昨日ホウさん達が持ち込んだ塩は噂になってます。ホウさんと取引をした何人かの商人が、どうやら王兄屋敷にあの(・・)塩を転売したらしく、屋敷にもこの件が伝わったようです」


「うへ……そんなに広まっちまったか。そうなると俺やチムニの人相も結構知れ渡ったか……?」


「ええ。ホウさんの人相を覚えていた連中は大勢いるようです。ここは当分……街に出るのを控えた方がいいですね」


「やっぱそうかぁ!もう天幕も解体しちまったからな。俺達は街を出てねぐら(・・・)に帰って行ったって事にするぜ」


「その方がいいでしょう。塩の件は自分達が受け持ちますので、ホウさんは王兄の動向について……お願いします」


 こうして、〈青の子〉がこのタシバの邑で探索する2つの目標のうち、王兄の件をホウ自ら、塩の件については街中をヒュウムの組が、街の外をチムニが受け持つ事になった。


元々は「王兄の生死を確認する」と言う任務でこの街に入ったホウだったので、結局は受け持つ内容がそれ程変わらないものに落ち着いたのだ。


 拠点についても、任務についても……漸くにして腰が定まった思いで一息ついたホウに、それから間も無くして戻って来たミンからの報告が入った。


「班長。王兄の屋敷で女中の空き(・・)が去年の秋頃から1人だけあるようです」


こうしてタシバの諜報員達の慌ただしい活動が本格的に始まったのである。

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