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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第五章 南方での争い
126/129

錬金導師の欠点

今話も前話に引き続き、私が時差設定で大きなミスをしていた箇所を中心に話の内容に一部変更がございます。既に初稿をお読みになられた方には大変ご迷惑をおかけしております。

 指令によって指定された時間……この日の終わり(・・・)が近付いて来るにつれ、ホウは何やらソワソワし始めた。何しろ訓練生時代に聞いた「術符」を使うのである。しかも……時間を指定されているのが殊更不気味に感じた。


彼がまず不安を感じているのが、この指令を出して来たイバンが果たして「今のタシバの街中の実情と、自分が確保した拠点の様子」をちゃんと把握しているのか……と言う事だ。こんな辺境の寂れかけた街の……しかも暗くなり掛ける時間に、あんな小さな……それこそ「小屋」の中で効果が判らない「術符」を使う……。大丈夫なのか……?


「どうした?何かまた心配事か?」


チムニがホウの様子がおかしい事に気付いたようだ。さっきの念話によるイバンの指令を受けてから、彼の様子がおかしい……。夜が近付くにつれ、それが顕著に現れている。


「いや……うん。何でもない。日付けが変わる頃に俺はあっち(・・・)に行ってくる」


「さっきの指令の件か?」


「まぁ……そうだな」


「そうか……指令の内容は聞くまい。気を付けてな。さっきも言ったが、今日の件で俺達の顔が商人達の間で割れちまってる。あの中に『塩止め』を画策している奴らが混じってたら……何らかの接触を図って来る恐れがある」


「そうだな……。その為にも……他の拠点のように『安全な場所』の確保も急がないとなぁ……」


彼らは昼間の市場での事を思い出しながら、食事を摂り始めた。天幕が仮設なので、食事も火を使わずに食べられる保存食が中心だ。他の拠点ならば調理設備もしっかりしているし、燃料も例の「小坊主の炭」のような長期間火力を保てる「魔法の炭」が使えるので、温かい食事が摂れるのだが……贅沢は言っていられない。ここは対立する蛮族国家の辺境地域なのだ。


その後、塩の交換をやった時に感じた、塩商人達の反応について色々と意見を出し合い、いよいよ午前0時が近付いて来た頃、ホウはおもむろに立ち上がった。


「よし……俺はちょっと『本部(小屋)』に行ってくる。すまんがベッツだけ一緒に来てくれないか?もしかしたらサクロに連絡が必要になるかもしれんでな」


「はい……」


「じゃ、留守を頼むな」


「分かった」

「気を付けて下さい」


 チムニとヒュウムに留守を頼んでから、ホウとベッツは天幕を出て小屋のある町の中心部の方向に歩き始めた。文明発達の遅れたこの国では、当然だが街全体が闇に沈む時間帯だ。しかし彼らは元より、暗い場所で行動する為の訓練を子供のころから「みっちりと」積んで来ており、その上……ホウは例の「覗くと昼間に見える双眼鏡」を持参している。時折それ(・・)を使って闇夜の街並みを確認しながら、彼らは小屋へと向かった。


****


 2人が「本拠点」としている小さな小屋に到着した時、時刻は指令によって指定されていた0時まで……まだ10分以上の余裕があった。小屋の中からは微かな光が漏れている。昼間は採光の為に開けていた木の窓扉は既に閉められており、それらの隙間から申し訳程度の照明が漏れ出ている……と言った状態だ。


ホウは玄関の扉を、予め決められている「拍子」に合わせて叩き、中からの(いら)えを待った。暫くすると、扉の内側からも聞き慣れない拍子で扉が叩かれたので、彼は更に叩き返した。それで漸く扉が開けられるのだ。この間、お互い言葉は一切発していない。


「兄貴……?どうしたの?」


こんな真夜中に開けられた扉から滑り込んで来たホウとベッツを見て、扉を開けた本人が尋ねた。


「うむ。済まんな。夕方前に隊長から指令が届いたんだ。なので俺はこれから奥の部屋で、指令に従ってある事(・・・)を実施する。その結果……何が起こるのか、俺にもサッパリ解らんから、お前達はこっちの部屋で待機していてくれ。外には出るな。もしかしたら『邑側の奴ら』が、既にここへ目を付けて探りを入れている可能性もある。もし俺に何かあったら……その時は状況を見て、あっちの天幕に退避するなどしてくれ。ベッツ、何かあったら隊長に即連絡だ。頼んだぞ」


「はっ……」


 無口なベッツが小さく頷くのを確認してから、ホウは小屋に詰めている5人の女性隊員達に入口側の部屋で待機するよう命じて、自らは様々な物資や本日の市場で獲得した交換品などが置かれている奥の部屋に入った。ただでさえ狭い部屋を物置代わりにしてしまっているので、この部屋で寝泊り出来るのは精々2人が限界だろう。


もう一つの……入口側の部屋にしても竈が2つ並んだ台所が併設されているので、本来であれば恐らくは居室として使うような場所では無い。だが、今そこには自分の命令でベッツを含めて6人の隊員をそこで待機させている。彼らは狭い室内で床に座るのが精一杯だろう。


(しかし……こんな「得体の知れない」ものを彼らの居るところで使うのはリスクがあり過ぎる。隊長だって、そんな危険な指令をむざむざ(・・・・)とは出さないだろうが……彼も「コレ」の詳細は知らないと言っていたしなぁ……)


せめて「コレ」がどんなものなのか……何か危険を伴うものなのかくらいは教えて欲しかったが……。そこは《青の子》の隊員として、「上の命令」には黙って従わなければならない。いや、従うべきである。


 そろそろ日付けが変わる。エスター大陸にはごく(・・)一部の地域を除いて救世主教団が存在しない。そして、居てもそれは世界中で教勢を広げている「主流派」の連中では無く……3000年近く前に「黒は悪魔の色」と言う主流派の連中が「無かった事」にした「救世主様の教え(・・・・・・・)」を忠実に守り続け、隣の大陸に起こった文明大国(レインズ王国)(おもね)る為に、その「教え」を捨てた宗山に反発して分派した「正教派」と呼ばれる連中なのだが……とにかくこの大陸では、大半の地域から救世主教団が撤退しているので、「時の鐘」が住民の耳に届く事は無い。


但し、大陸中西部に誕生したトーンズ国では……教団とは一切関係の無い「機械式の時鐘」をサクロ市内を始めとして各集住地にて鳴らすようにしている。その「時報」は救世主教のものと変わらず、「6時(朝の鐘)」を1点鐘として9時(2点鐘)12時(昼の鐘)15時(4点鍾)、そして18時(夜の鐘)の5回を国民に報せているのだ。


ただ……残念ながらその両者の勢力地から遠く離れたこのタシバでは、時間は自らが管理する必要があるのでテラキア各地に潜伏している《青の子》は、各地の主拠点に機械式の時計を1台設置している。テラキア国民は、上流階級に至るまで、「正確な時刻管理」と言う概念自体が欠けているので、この時計を見ても……恐らくはその「意味」が判らないだろう。


 その時計が間も無く現地時間で「0時」を指し示そうとしている。奥の部屋に1人きりとなったホウは、固唾を飲んでそれを見守り……先程中身を開けた小さな首掛け紐の付いた皮袋を襟ぐりから引っ張り出した。


緊張に震える手付きで、再度皮袋の中から油紙に包まれた「アレ」を取り出す。薄暗い部屋の小さなランプの灯り越しに見てもそれは、やはり内容が判別不可能な「模様」しか描かれておらず……この「術符」が一体どんな効果を発揮するのか、想像もつかない。


「そろそろ時間……か」


 もう10年近く前の訓練時に監督から直々に教わった要領で、皺一つ無かった術符をクシャっと右手に握り込み……拳の中に丸まったそれ(・・)の存在感に集中しながら念じる。効果よ現れろ……と。


目を閉じて拳の中の術符が心なしか熱を帯びたように感じたその瞬間……。


「ふむ……。ここがタシバか?」


と……若い男の声が聞こえたのでホウはギクリとしながら目を見開いた。


 ……人が立っている。長身痩躯でランプの灯りに照らされた輝く金色の髪と赤っぽい茶色……鳶色の瞳。上下黒系の衣服を着ているので、白い肌と金髪が余計に強調されて目に映る。その人物はこちらへ振り向いた。


「お前がホウか?」


「なっ……!?えっ!?」


ホウは、自分しか居ないはずだった部屋の中に、突然人間が出現して仰天しており……咄嗟に声が出ない。


「ああ、驚かせて済まんな。イバンに言われて『召喚の導符』を使ってくれたんだろう?」


「し……しょ、しょう……?」


「『召喚』だ。導……いや、術符と言った方がいいのか?術符を使ったんだろう?」


「あ、あんたは……」


漸く言葉が口から出たホウは、当然ながらこの人物に当然の質問を投げ掛けようとした。そして、その途中で自分から発した質問の「答え」を自分の記憶の中から引っ張り出した。


「てっ、店主様!なっ、なぜここに……!」


 ホウくらいの年代の《青の子》隊員であれば、キャンプでの訓練生時代に突然現れた「藍玉堂と不思議な幼児」については誰でも知っている。


訓練所の東側に小山のような資材置き場、南側には大量の子羊が走り回る牧場が作られ……そして領都と王都に諜報拠点が確保されたと思ったら、そこまで一瞬で移動出来る「不思議な円盤」が設置された出来事。不思議な幼児は「店主様」と呼ばれるようになり……10年経って、今目の前に居るような美しい青年へと成長した。


「お前が術符を使ってくれたから、ここまで自力で来る手間が省けたんだ。ははは」


「術符……?お、俺……いや、私が今使ったあの……?」


「そうだ。お前が使った術符には『俺を呼び寄せる』と言う効果が付与されていたんだ。イバンがこのタシバへ既に人を送り込んでいると言っていたんでな。補給と一緒に術符も渡しておくように頼んでおいたのさ」


「て、店主様が……このタシバにわざわざ……」


「まぁ、そこら辺は気にするな。よし……【マーク】は出来たから奴ら(・・)を連れてくるか」


「え……?」


「ちょっと一旦帰る。すぐに人を連れて来るが、あまり騒がないようにな」


「えっ……あ、は、はい……」


店主の言っている言葉の意味がまるで解らなかったが、ホウはコクコクと頷いた。


「ではな。すぐ戻る」


 そう言い残して店主は目の前から消え、それを見たホウは思わず「んなっ!?」と声を上げてしまった。その声を聞いたのか、隣の部屋に待機していた妹のネラやミン、ベッツらが何事かと部屋に雪崩れ込んで来た。


「兄貴!どうしたんだ?何かあったのか?」


ネラは心配そうに部屋の中を見回したが……そこには呆然としている兄の姿しか見当たらなかった。ネラは兄の肩を揺すりながら


「どうしたんだよ!何か声が聞こえて来たけど……誰か居たの?」


「いや……あの……うん……」


そこでホウは店主の言葉を思い出した。


「とっ、とにかく……俺は無事だから、あまり騒がずにな……」


「うん……それは分かったけどさ……本当に大丈夫なの?」


「ああ、大丈夫だ。さぁ……」


 そう言ってホウは妹達と一緒に隣の部屋に移ろうとしたその時……


「こんな狭い部屋に大勢詰め掛けるんじゃねぇ!」


後ろから突然声が聞こえたので、一同はビックリして振り向いた。


「あっ!あ、あああ……!」


 ネラが驚愕の声を上げるその視線の先には……人間が3人出現していた。いずれも彼女が「知っている顔」である。自分達に怒声を浴びせた声の主が先程顔を合わせた「店主様」であった事に兄のホウは再び驚いたが、彼を挟むように2人増えており、その顔ぶれを見て妹同様に驚愕する。


「か、かっ、監督……!そっ、それに……」


「ノン様……ですか?」


妹が先に声を上げる。妹のネラは訓練生だった頃に、木から転落して左足を2カ所も骨折した上に内臓も損傷する重体に陥ったのだが……藍玉堂裏の病院に運び込まれ、藍玉堂の女店長……ノンが調合した痛み止めによって救われた。そしてノンから懇願を受けた、まだ少年の面影が残っていた店主様の「不思議な技術」による治療を受ける事で、僅か3日後に彼女は訓練に復帰出来て最終的に諜報員になれたのだ。


あの時もし……ノンと店主が居なければ、諜報員になるどころか、自分は手の施しようもない大怪我の激痛に苦しみながら生命を落としていたかと思うと、目の前に居る2人は彼女にとって「とてつもない恩」を受けた相手なのだ。


 ネラにその名を呼ばれたノンは、何故か困惑した表情で……


「あの……ここは?」


と、傍らに立つ主に問い掛けている。


「ここか?ここはトーンズの南にあるテラキアって国……まぁ、その西の端っこってところだな」


「なるほど……まさかこんな場所にいきなり飛べるとは……」


普段、彼らに滅多な事では感情を見せない監督も、かなり驚いた表情をしている。


「あ、あの……か、監督までいらして頂き……これはどう言う事なのでしょう……?」


 まだ混乱が収まらないホウだったが、一応はこの場所の責任者として……突如現れた3人の「お偉いさん」に事情の説明を求めた。この中で唯一、普通の精神状態を保っている店主が笑いながら答える。


「ああ、済まんね。監督がな……イバンから相談を受けたらしいんだよ。そうだろ?」


店主が隣に居たドロスを促すと、彼はまだ半分呆然としていたがすぐに体裁を繕ってホウに説明を始めた。


「狭小な建物しか確保が出来ず、隊員を全て収容出来ずに困っている……とイバンに報告したそうだな?」


「あっ……は、はい……。も、申し訳ございません……。我が不才によって拠点確保も侭ならず……」


「いや、別にそんなに自分を責める事もあるまい。イバンに聞いたが、このテラキアがある南方では地下室を設ける習慣が無いのだろう?この前ケインズで穴蔵のような地下倉庫を見たが……確かに地下室を造る習慣が無い……と言うか、そういう(・・・・)技術に乏しいのだろうよ」


「は……はい。これまで我々が拠点として使用して来た建物には……総じて何層もの地下室が作られておりましたので、『人が詰め切れない』と言う事はありませんでしたから」


「まぁ……『向こうの大陸』で使っている拠点には多くても8人か9人までしか人員を配置しないからな。イバンはこっちの国の都には17人配置しているようだが、それでも拠点を3つに分散している。だから、このような狭い場所に14人詰めさせる……と言う想定がしっかり出来ていなかったのかもしれんな。それに地下室も無い。いや……お前達は判らんだろうが、隣の大陸のあちこちに作られた我々の拠点も、()は『ここ』とそう大差の無い造りの建物を、後から改造しているのだ」


「えっ……!?そ、そうだったのですか?」


「確かに向こうの大陸では庶民階級でも自宅に地下室を設ける習慣がある故、地下1層程度の部屋が存在している家屋は多い。しかし我々が利用しているような2層も3層も深く掘られた地下室など、通常では技術的に難し過ぎて造れないのだ」


「で、では……どうして……。私も任務で色々な街の拠点に出入りさせて頂いてますが、どこも地下2階は当たり前で……3階まである建物もありましたし、サクロにもそのような場所があちこちに……」


「そうだな……。まぁ、それ(・・)に関しては深く考えるな。さて……俺が店主様にお願いして、この地にお連れ頂いたのは、お前からの報告を受けたイバンから相談を受けたのだ。それで悩んでいたところに、店主様がな……」


チラリと隣でニヤニヤしている店主の顔を見た監督も苦笑を浮かべるのであった。


****


 話は今から2日遡る。10日前に店主からの指摘を受けたイバンは、テラキア最西の邑であるタシバへの派遣諜報員の増員を決定し、既に他の班から引き抜けそうな中堅隊員を選抜して現在2人だけで拠点作りを行っているはずのホウの下に送り込んだ。


これがホウと同期のチムニ、以前にも単独任務をこなすホウへの連絡任務に何度か就いて顔見知りだったミン、そして専門の念話連絡員としてのベッツと計算が異常に得意な女性隊員のテスを加えた4人である。イバンは4人を元の班から引き抜いて再編する一方でタムに手配をして、彼らを「空の目(スカイアイズ)号」で送り込む事にしたわけだ。


その翌々日の夜中にタシバ郊外へと降ろされた4人は、ホウとヒュウムが何とか確保した小屋で合流し、人員は一気に6名へと増加したのだが、この時点ではまだ小屋には余裕があり……彼らは男4人、女2人に部屋を分けてそれぞれの任務に従事し始めた。そこへ更に2日前……人員を更に8名増員した上で「塩の流れを探れ」と言う追加の任務がイバンからホウへ直接念話によって下されたのである。


 ホウはこの指令を受けた際に、現在の拠点では増員された隊員を収容出来ない旨を説明する一方、緊急措置として手持ちの物資を寄せ集めて仮設の「偽装天幕」を街壁付近の空き地に急造したのである。


そして昨日……再びベッツと言う歴とした念話連絡員が居るにも関わらず、イバンからホウへ直接念話によって「アレ」の件が言い渡されたのであった。


****


「うーん……やはり『投射力』が無いのが原因なのかもしれないなぁ……」


ルゥテウスは腕を組んでノンを眺めている。そのノンはすっかりと憔悴してしまったかのような様子で、泣きそうな顔になっている。


場所標(マーク)》を導符化させるところまでは難なくクリアしたノンは、続く今回の試みではメインの目的である《転送符》の作成に取り掛かった。


しかしここで、思わぬ彼女の「欠点」が露呈する。彼女は魔導師では無いが、以前にも《結界》や《領域》を展開した時のように、「自分を中心に置いた魔法陣」であれば展開する事が出来た。その魔法陣に対して「魔法を付与する」と言った方法で「魔法陣を使用した魔法の使用」を可能としているのだが……《転送》とは、そう言った「その場で効力を発揮する」と言う類の魔法とは性質が異なったものである事が判明する。


これは今まで「そんな事を意識すらしていなかった」ルゥテウスにとっても初めて知った事実だったのだが、原因は「空間制御術」における《転送》と言う魔法の仕組みに端を発している。


《転送》と言う魔法……他にも類似のものとして《瞬間移動》があるのだが、両者はまず「空間制御術」として魔法の投影を行う。ここまでは他の魔法とほぼ同じシークエンスによって進むのだが……両者は「投影」に成功しただけでは効果を発揮しない。つまり「《場所標》への投射」が必要になるのだ。これが従来の魔導師や魔術師、更には錬金術師であれば「魔法の素養」として僅かでも投射力を持ち合わせているので、例えそれが1センチ先だったとしても「投射」によって魔法の使用を完結出来る。


しかしノンは「投射力を持たない普通の人間」なので、投射自体が不可能なのだ。そうなると自然、脳内イメージによって投影まで成功させていた《転送》……厳密には、それを受けた《転送陣》を出現させる事が出来ても、「転送出来ない」と言う事態が発生してしまう。なので必然的に彼女が直接行使する「《転送》の魔導を魔法陣に投影し、《転送陣》として使用する行為」は失敗してしまうのだった。


しかし……だからと言ってノンによる《転送陣》の使用に対する可能性が完全に閉ざされたわけでは無い。要は直接行使せずに「導符」にしてしまえばいいわけだ。彼女は主から新たな魔導を習い覚える際は、最後に必ず「それを導符にする」と言う工程を課されている。これは言うまでも無く、「投射力の無い錬金導師」として、それ(・・)を実用する為の方法が「導符にして使用する」しか無い事を主が理解しているからだ。


これまで彼女が使用して来た魔導は全て「彼女自身と接している距離」でしか行使する事が出来ず、「導符」や「付術品」とする事で初めて、彼女自身から離れた場所で効力を発生させる事が可能となる。これがルゥテウスをして「錬金導師」と命名した由縁であり、彼女は基本的に自らの手で触れていない「鼻先3センチ先のロウソクにすら自力で火を灯す事が出来ない」と言う、ちょっと歪な能力の持ち主なのである。


「ふーむ。《転送》自体は不発になってしまうようだが、《転送符》にする事は出来るだろう?ちょっとやってみろ」


いつものように主から未使用(ブランク)の術札を渡されたノンは、彼女自身がこれまで何度も利用している「陣から陣への移動」をイメージしながら、頭の中に「モノや人が瞬間的に移動する姿」のイメージを描きながら念じた。


陣と陣はどこか別の空間で繋がっており……一方の陣に乗れば相手の陣へ……と言うイメージをひたすら頭の中で描き続ける。暫くそれを続けていると、目の前の店主から「おっ!出来たんじゃないか?」と言う声が聞こえたので目を開けると……両手で端を摘まんでいた術札がいつもの……ピンク色に染まっていた。


ノンから「それ」を受け取ったルゥテウスは、目を閉じて……彼女の作ったピンク色の導符の内容を解読している。表面の模様については、彼程の魔導師でも理解不能でお手上げなのだが、《鑑定》の魔導で大雑把ながら導符の持つ「効果」を読み解く事が出来る。


彼は対象となる術師が魔法を使用する……それが魔導や魔術であったり、物品に向かって錬金術を使用したりと、その際に動く魔素やマナの動きから、次の瞬間に「どのような現象が起こるのか」をかなりの精度で予測出来るのだが……殊、ノンに関しては彼女が特に「初めて」その魔導を投影する際に、その魔素の動きを読むのが難しく、またこれも本来であれば導符や術符に描かれた紋様を見て、それを「読める」のだが……ノンの作り出す「ピンク色の導符」の表面に僅かながらに現れる模様については、それが何を意味するものなのかサッパリ解らなかった。


なので、彼としては目視による紋様解読は諦めて、《鑑定》の魔導で直接導符の投影された魔素構成を読み込む必要があり、結構面倒臭いと感じているのだが……それはもう、彼にとっても未知な存在である「錬金導師」に限っての話なので、「しょうがない」と割り切っていた。


「うむ……《転送》はちゃんと投影されているっぽいな。試してみようか」


彼は藍玉堂の地下2階で無造作にその導符を右手に握り込んで念じた。すると彼の前に直径50センチ程の魔法陣が出現した。色は……彼が作り出すいつもの「青い魔法陣」である。彼は特に何の躊躇も無くその魔法陣に乗った。ノンは彼の一連の行動を眺めていたが、彼がいきなりその魔法陣を踏みに行ったので、驚いて悲鳴を上げた。一瞬だが先程聞いた「転送事故」の事が頭を過ったからだ。


自分が作り出した効果も実証されていない《転送符》を使い……それに何の恐れも無く主は足を踏み入れたのだ。そして……彼が魔法陣に乗った次の瞬間に、3メートル程離れた場所……。彼女が先程《場所標》として登録した場所に同じような魔法陣が出現したと同時に、主も「転送先」に出現したのである。《転送陣》による転送は成功し、マークされた場所に魔法陣ごと主が出現した瞬間……彼女は身体中から血の気が失せたような感覚に襲われて眩暈を覚えた。


「なんだ……?何かあったのか?」


主は怪訝そうな顔で彼女を見る。彼自身、転送陣に足を踏み入れた瞬間に横でノンが驚いた声を上げたので「ん?」となったのだ。


「る、ルゥテウス様……危ないじゃないですか……!」


「あ?何がだ?」


「そんな……まだちゃんと使えるか分からない私の《転送符》をそんなに気安く使うなんて……」


「何を心配しているんだ?《鑑定》でしっかりと効果を確認しているし、別にお前が作ったものだろ?気にする事じゃないだろう」


店主はアッサリと答えた。それを聞いたノンは


(この人は……私の事をそれほど信頼してくれているのか)


と、妙な感動がこみ上げて来てしまい……涙が出そうになった。しかしそんな彼女の事には構わず、店主は今の彼女の声で驚いてこちらを見ているチラに「何でもない、気にするな」と声を掛けてから


「いきなり大声を出すからチラが驚いていたじゃねぇか。つまらん事でいちいち騒ぐなよ」


主は笑いながら彼女の頭にポンポンと手を置いた。


「す、すみません……」


「うむ、まぁいい。それにしても《転送符》をアッサリと作ったな。これでお前は歴代の魔法ギルドに居た魔導師達を超えた事になるな」


何が嬉しいのか……主は愉快そうに言うと、次の課題について口にした。


「よし。ここまで出来たなら……後は《転送符》と《場所標》を融合させるだけだ。さっきも言った、《転送陣》の中に《場所標》を仕込むってやつだな」


「具体的には……どうやるのでしょう?」


「うーん……どうだろうなぁ。まずは《転送》を投影させつつ……」


そしてここから、ルゥテウスとノンによる「《転送陣》の中に《場所標》を仕込む」と言う行為に対する試行錯誤が始まった。《転送陣》を先に作ってから後付け(・・・)で《場所標》を仕込む……。他には《転送陣》と《場所標》を同時進行で並列的に投影させる……など。考え付く様々な方法を試してみたのだが、ノンにはどうしても出来なかったのだ。


そして冒頭の……何度も色々な方法を試行錯誤して憔悴したノンと、芳しくない結果に首を傾げる店主の姿が藍玉堂の地下2階の片隅にあった。彼らは夕飯を食べた後も引き続き「錬金魔導の融合」について色々試してみたが、結局どれも上手く行かず……ノンは、この不思議な能力に目覚めてから初めて「壁」にブチ当たったのであった。


結局、その日はこれ以上の試行を諦めたノンはそれからも時間を見付けては地下2階の隅っこを借りて「錬成の融合」を試みた。しかし単体の錬成は既に苦労しなくなった《転送》や《場所標》が、それを融合させようとすると……どうしても上手く行かないのだ。


これは恐らくだが、主が言ったようにノンに「投射力」が皆無であるのが原因であると思われる。何度か試してみた結果、「同時進行の並列的投影」と言う手段は不可能であると結論付けた。これに関しては店主自身も「俺もそんなやり方(・・・)は試した事が無い」と言っていたので、そもそもが「魔法の理」から外れているのだろう。


で……あるならば、残る方法は「《転送陣》に《場所標》を仕込む」と言う素直な解釈の下に行われる「二段錬成」とも言える方法だ。つまりは……先に《転送符》を作り、その導符に対して更に《場所標》を投影する、と言うやり方である。ノンはこの方法に目標を絞って錬成訓練を重ねたのだが、結局成功はしなかった。「成功しない」と言うよりも、そもそも「投影しない」と言った方が正しく、明らかに「不可能な事象を試みている」と言った感触しか無いのである。


3日程試行錯誤したが、結果は「失敗」だった。これまで最初の試みで時間を随分消費してしまうが、一旦成功させてしまえば2回目以降は大幅に難易度が下がり、最終的にはものの数秒で導符が量産出来るようになる彼女の「才能」を以ってしても、まるで進展が見れない事から、ルゥテウスは「投射力を持たないノンには不可能」と言う結論を下さざるを得なかった。「錬金導師」が見せる初めての「欠点」である。


「そうか……投射力が無いと、こんな事に影響を及ぼすのか。なるほどなぁ……。これは俺の先祖でも気付かないだろうなぁ」


何やら寧ろ「初めて知れた」事に嬉しくなってしまっている主を見て、ノンは始めは自分自身に対して随分と失望していたのだが、それも最早「どうでもいい」と思えるようになってしまった。


「まぁ、錬金魔導の融合には失敗したが……それでこの《転送符》が実用性を失ったわけじゃないからな。実際俺はあれ(・・)を使用しての『転送行為』自体には成功しているわけだからな」


「そうなのですか……?」


「うむ。要は『《転送符》で転送陣を置くと当時に《場所標》としても効力を発揮する』と言う効果が得られないだけで、両者をバラバラに使えば同様の効果は得られるわけだからな」


「どう言う事ですか?」


「つまり、《転送符》と《場所標符》をそれぞれ用意して、順番に同じ場所に対して使用すればいいんじゃないか?そうすれば『《場所標》の仕込まれた《転送陣》』になると思うぞ」


「なるほど……つまり同じ場所に魔法陣を重ねる……と言うわけですね?」


「まぁ、簡単に言えばそう言う事だ。但し気を付けないといけないのは先に出した《転送陣》に対して《場所標》を使うと失敗する恐れがあるって事だ。俺はその『魔導の衝突』を起こさない為にこれまでのやり方……《転送符》と《場所標》の融合と言うやり方をしていたわけだからな」


「魔導の衝突……ですか?つまり《転送》と《場所標》を全く同じ場所に対して使ってはいけないと?」


「そうだ。なので使用する順番は……そうだなぁ。先に《場所標符》を使ってその場をマークしてしまい、その上に《転送陣》の設置だな。多分この順番が正しいのだろう。その時の導符の使い方としては……」


ここでルゥテウスはノンに対して「異なる導符を同一の場所で使う方法」を教授した。これついては、10年前に全く同じ内容の説明をドロスに対して行っている。ドロスがイバンに「この作業は今のところ()にしか出来ない」と説明したのもこれ(・・)が理由だった。


彼の場合、10年前に初めて領都オーデルの「藍玉堂オーデル支店」の地下にある「《青の子》本部」に《転送陣》を設置した際……彼自身はその最初に使用する《結界陣》と、その後の《転送陣》が衝突しないように店主から、その設置の「コツ」を教わった。それは同様に領都の公爵屋敷の自室に《転送陣》を設置したシニョルにも教え込まれた「注意点」であった。


「お前の《転送陣》の場合、事前に設置する必要のある《結界陣》を含めて3つの魔導が同じ場所で混在する事になる。なのでその分ちょっと面倒臭くはなるが……そこだけを注意すれば実用的に使う事は可能だ」


「難しそうですねぇ……」


ノンの錬金導師としての素質は最早疑いようもないが、「魔法使用者」としての資質はまた別の話だ。彼女は彼女自身で生み出した《場所標符》と《転送符》、そして先日「灰色の塔」の屋根の上で作った《結界符》を「自分自身で」使用する事に苦戦しそうだと心中で嘆いた。


こうして「《場所標》が仕込まれた《転送符》」の作成を断念し、「逐次使用」という形でルゥテウスとノンが妥協したところへ、《青の子》の幹部2人が訪問したのである。


****


 3月。キャンプにも春の訪れを漸く感じられるようになったある日。ルゥテウスが士官学校から帰宅して来た時間を見計らったようにドロスから店主へ念話が入った。


『店主様。ドロスでございます。聞こえますでしょうか』


『監督か?何か用か?』


『はい……。近頃何度もお手を煩わせて(まこと)に申し訳ございませんが……またもやご相談したい事がございまして』


「《青の子》の事でか?」


「はい。前回に引き続き南方の対テラキア王国に関しての話でございます」


「分かった。俺はもう薬屋に帰って来ているから2階で待ってるぞ」


「お聞き届け頂きありがとうございます。至急、イバンを伴ってお伺い致します」


そこで念話は終了した。


「監督から念話が来た。何か俺に相談があるらしい」


「監督さんがですか?では今日の練習はここまでですね……」


「練習と言うか……もうこれ以上は不要だろう。『錬金魔導の融合』は現状のお前では難しい事が分かった。今後の事を考えると、この『欠点』が判明しただけでも逆に大きな収穫だな」


「そ、そうでしょうか……申し訳ございません。ご期待にお応え出来ませんで……」


「ははは。気にするなよ。それでもお前の錬金魔導はとんでもない力を持っているんだ。今回の教訓はお前個人の能力云々の話では無いんだ。『投射力』が与える影響について新たな事実が発見出来たんだ。これは大袈裟じゃなく『漆黒の魔女』の時代以来の発見じゃないのか?」


 ルゥテウスは笑いながら、暗い表情になっているノンを宥めた。1万年以上昔の「漆黒の魔女」の時代を引き合いに出すのは多少大袈裟な感じも否めないが、実際その頃にはまだ殆ど実態の知られていなかった「投射力」と言う要素について、今回は「賢者の血脈」においても認識していなかった事実が判明したのだ。これは恐らく「投射力を全く持たない魔導師」とも言える錬金導師の出現によって初めて得られた知見であろう。


****


 ドロスは店主に念話を送ってから10分もしないうちにイバンを連れて地下から上がって来た。そのまま1階で回復薬作成の仕上げをしている3人娘やノンに軽く挨拶をしてから、店主の待つ2階へ上がって行った。その表情はいつになく緊張しており、ノンは(何か良くない事でも起こったのかしら……)と心配そうな顔を2階に向けたのである。


「おお。相変わらず早いな」


ルゥテウスが笑って2人を迎えると、ドロスは恐縮し切った表情で


「申し訳ございません。先日もお手を煩わせたばかりでございますのに……」


と、頭を下げる。隣に座るイバンも気拙そうに視線を机に向けている。


「何だ?どうした?俺はあれから(・・・・)テラキアには首を突っ込んでいないが……この前渡した導符に何か不都合があったのか?」


「い、いえいえ。あの導符……あれによって設置させて頂いたケインズ市内の転送陣については大変助かっております」


「はい。監督の仰る通りです。ケインズ側への空の目(スカイアイズ)号を使った移動や補給が必要なくなっただけでも大きな前進です」


「なんだ、上手く行ってるじゃないか。この上で何か問題があるのか?」


店主はイバンに目を向けた。


「はい……実は店主様からの指示に従い、テラキア最西の邑で現在は王兄ロメイエスが治めているとされるタシバに対する諜報員の増員を図ろうと、現地へ既に潜伏している6人に受け入れ体勢の構築を打診したところ……現在確保している拠点では収容能力に限界があるとの返答が……」


「うん……?どう言う事だ?つまり拠点で使用している建物に何か不都合があるって事か?」


「恐らくですが……その隊員は我らが各地の拠点として確保するものと『同じような規模の建物』を確保したのでしょうが……」


「ならば問題無いんじゃないか?実際どれくらいの人員で運用するつもりなんだ?」


「明日夕刻に追加で8人を投入して、計14名の体制にする予定です。王兄の状況に加え、塩に関する調査を進める予定です」


「塩……?塩がどうかしたのか?」


 ここで店主はイバンからテラキア王都での塩相場が徐々に上がり基調になっている件について報告を受けた。イバンとしてはこの情報を昨日に受けたばかりだったが、彼の判断で当初4人増員の予定だったのを急遽8人に増やしたのだ。


「なるほどな。つまり……王兄の陣営が故意に『塩を止めている』疑いがあるのだな?」


「はい。これまでの調査で、テラキア王国自体が南方の国々に対し『外交手段』として塩の流通を止める事をやっていたようでして……」


「ふぅん……テラキア王国では『塩を止める』という事は別に珍しい話では無いわけだな」


「そのようです。なのでタシバが本当に『塩止め』を行っているのか……その実態を調査しようと増員を図ろうとしたのですが、拠点確保が終わらないうちに増やすのは却って危険かと思いまして」


「店主様。私が先日、店主様からお預かりした例の『アレ』を使用した際に気付いたのですが……テラキア王国では、こちら(・・・)の大陸のように家屋に地下室を設ける習慣が無いようです。なので『地下層付き』の物件確保が困難なのではないでしょうか」


「ああ、そう言う事か。なら仕方ないな……。俺が手を入れてやるか。しかしタシバまで行くのが面倒臭ぇな……」


 これまで、《青の子》の諜報拠点を世界各地に設けて行く過程で、店主によって確保した物件に手を加えてもらう事は多々あり、ドロスは何度もその恩恵に与っている。彼が選定し、交渉によって確保した建物に対し店主が一晩をかけて改装してもらう事を繰り返して来たのだ。


タシバはサクロから西南西に約400キロ。テラキアの首都ケインズからも200キロ以上離れている。ルゥテウスが面倒臭くなるのも致し方ない。彼が幼少期の頃に始まり……じわじわと拡張を続けて来た《青の子》の活動範囲も、この対テラキア戦に入ってからは一気に距離が開くようになり、これまで通りの「万全の体制」で拠点を確保するには、「学生」と言う「昼間の顔」を持つ彼にとっては少々「距離の壁」が開き過ぎた感がある。


「よし、分かった。明日の便で増員と補給を行うのだな?」


「は、はい……。一応はその予定です」


「その補給のついでに(・・・・)、向こうに居る責任者に渡して欲しい物がある。今から用意するから渡す手配を付けてくれ」


そう言って店主は右手を振った。するとその手には1枚の紙片が摘まみ持たれている。……ドロスはつい数日前に、これ(・・)とよく似た光景を思い出して息を飲んだ。


 店主はあの時(・・・)と同様に紙片を顔の前に翳して目を閉じる。やがて紙片に紋様が浮かび上がった。先日のものと、何が違うのかすら判別不能な不思議な文字と図形が描かれている。


「店主様……こ、これは……」


ドロスはまだ上手く言葉が出てこないままに尋ねようとして舌が縺れた。


「まぁ、これを現地の責任者に渡してくれ。そして『こちらからの指示があったら使え』と伝えておけ。それまでは厳重に保管するようにと付け加えてな」


紙片……導符を受け取ったドロスは「わ、わかりました……」と辛うじて応える事が出来た。イバンはまだ絶句している。


 このような経緯があって店主からドロス……そしてイバンへと託された《召喚符》は、その「効果が不明」とされたままに……翌日の深夜にはホウの手に渡っていたのだった。


****


 ノンはその日、夕飯を食べ終えて集会所から帰る道すがら……主から


「この後テラキアに行くぞ」


と、いきなり言われた。


「テラキア……?ああ……確か、向こうの(・・・・)大陸にある……国でしたよね?確かトーンズの国と戦っているんでしたよね?」


「うむ。この後……19時になったら出発する予定だ。なので用事があったら済ませておいてくれ」


「え……!?わ、私も行くのですか?」


「そうだ。お前も連れて行こうと思っている。どうだ?」


どうだ?……といきなり聞かれても、ノンには何と答えていいのか判らない。何しろ自分の口からも出たが、テラキアは現在、我らがトーンズ国とは「交戦中」であると彼女は認識している。サナの兄であるロダルが、その為にサクロとテトを行ったり来たりして忙しいと聞いているし、実際彼は自分の妻(シュン)の出産にもギリギリで立ち会ってから、すぐに任地に戻る始末であったからだ。


 そんな「敵国」に自分を連れて行く……と言われても、咄嗟に答えるのは難しい。


「あの……な、何故私が……?」


「ああ、そうだな。済まん……。説明が必要だわな。はははは」


主は笑い出し、その「理由」を説明した。


「なるほど……。この前作った《転送符》の効果を試すと。そう言う事ですね?」


「うん。今後も《青の子》の連中の為に、あちこちで《転送陣》による連絡網(ネットワーク)が広がっていくと思うんだがな。俺は正直そろそろ学校も忙しくなる。だからお前が作る《転送符》が実用に耐えるのであれば、今後はお前が監督やイバンの要請に応じて導符の作成を担ってくれるとありがたいわけだ」


「私が……《転送陣》を……」


 落ち着いて考えてみれば、随分と無謀な試みだ。彼女はあれから何枚か《転送符》を作成し、彼女自身も試しに使ってみた。しかしそれはあくまでも「至近距離への移動」に留まっている。同じ地下2階で魔術の練習をしていたチラは面白がって陣に入ってくれたが、彼女自身はその直前に主から聞いていた「転送事故」の生々しい話が頭から離れず、自分が作ったものにも関わらず……その性能にいまいち信頼が置けなかったのだ。


それをいきなり《青の子》のネットワークへ加える為に提供しろとは……彼らの活動範囲からして、その転送距離は恐らく1万キロを優に超えるものとなるのは彼女でも容易に想像出来る。昨日までの「実験」でやっていた3メートルとか……はたまた1階層上へとか……そんな「遊び」ではないのだ。


「わ、私の《転送符》では危なくないですか?大陸間の移動とかにも使うのですよね?」


「そりゃそうだろう。奴らは日々、こっち(・・・)あっち(・・・)を行き来しているんだからな。菓子屋のオバちゃん達もそうなんだが……くくく」


主は相変わらず笑っている。ノンはこれまで主からの「言い付け」を拒んだことは一度も無かったが、今回の件については流石に難色を示した。


「大丈夫だ。お前の作った《転送符》の出来映えは俺自身でも確かめている。それによれば、移動に関しては俺が作ったものと殆ど遜色が無い。寧ろ移動さえ出来れば《転送陣》としては十分だからな。ただ、俺の《転送陣》とお前の《転送陣》で何か違いが出るとすれば、その『持続時間』だろう。俺の作った導符で出した《転送陣》は多分……100年以上は効果を保つだろうが、お前のはどうだろうな。そこはまだ検証が出来ていないわけだ」


「100年……」


「まぁ、それでも数年持続出来れば上出来だと思うぞ。効果が消えてしまったら再び設置し直せばいいだけだからな」


「ルゥテウス様の導符で設置されたものでも、いつか消えてしまうのですか?」


「そりゃそうだろう。俺は直接憶えていないが、俺の先祖が『灰色の塔』の最上階に設置した《転送陣》は100年足らずで消失してしまったみたいだからな」


 彼の先祖である「黒き福音(ヴェサリオ)」が建国直後に灰色の塔の最上階に設置した《転送陣》は、彼が北サラドス大陸を去ってから3代後の魔法ギルド総帥の頃には最上階の私室から消失していた……と、その次代の「発現者」であるエッツェルが聞いた記憶をルゥテウスは共有している。ヴェサリオの頃で100年弱であれば自分ならそれ以上は保つだろう……と彼は考えている。


しかし、同時期に彼がやはり自らが建築した灰色の塔そのもの(・・・・)に施した《構造強化》については、既に3千年が経過した現代においてもその効力は確認出来る……と言うか、その証拠として「灰色の塔」がその「色」を保っている。更に言えばその灰色の塔の入口に置かれている「一対の女神像」……塔の入口に向かって右側に建つ「大導師像」には《魔法探知》の付与が、左側に建つ「漆黒の魔女像」には《術式解除》の付与が、やはりヴェサリオによって施されており……その効力を未だ強力に発揮している。


《転送陣》は100年足らずしか持続しなかった事を考えると、やはりこの「空間制御術」と他の3つの付与魔導には、何らかの「差」が存在するのだろう。ルゥテウス自身は、それを「先祖の記憶で見た事象」でしか把握していないので、何故そのような「差」が生じるのかまでは把握出来ていないのだ。


「まぁ、とにかくだ。そろそろ監督も来る。彼と3人で『タシバ』と言う街に行くからな。時差の関係で向こうは0時くらいだろうが……そこでお前が作った《転送符》の効果を試してみるぞ」


店主はそのようにノンへ……「戦争をしている相手の国」への同行を命じたのであった。

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