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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第五章 南方での争い
123/129

魔法の質

暑い季節になり、昨年同様にPCがぶっ壊れました。腹が立ちます。原因を突き止めて部品を注文し……それが船便で送られて来るのを待つ。結局半月掛かりました。

現在……新しいPCの購入を企んでおりますがいつになるやら。


【作中の表記につきまして】


アラビア数字と漢数字の表記揺れについて……今後は可能な限りアラビア数字による表記を優先します。但し四字熟語等に含まれる漢数字表記についてはその限りではありません。


士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム(メートル)法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


作中世界で出回っている貨幣は三種類で

・主要通貨は銀貨

・補助貨幣として金貨と銅貨が存在

・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚


平均的な物価の指標としては

・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。

・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。

 ルゥテウスは自分の説明に対して眉間に皺を寄せながら考え込んでいるノンの様子を見て苦笑した。思ったよりも彼女が真剣に《瞬間移動》と《転送》の違いについて考え込んでいるようだ。


「ふむ……。もう少しお前にも分かるように簡単に言い表すとだ……《瞬間移動》はそもそも『自分自身が移動するもの』という風に考えてくれ」


「自分自身……えっと、つまりはルゥテウス様ご自身がどこか……別の場所に移動する魔法ですか?」


「まぁ……そうだな。いや、俺自身の移動ならばもちろん《転送》でも可能だ。但し、俺1人だけとか……例えば俺と、俺のすぐ(そば)に居るお前の2人だけであれば、俺は《瞬間移動》の使用を選択するな」


「どうしてです……?そこには何かルゥテウス様()()の理由があるのでしょうか」


「理由か……うーん、そうだな。敢えて言うならば『それが簡単で無難』だからだ」


「簡単……えっと、それはつまり《瞬間移動》と《転送》における難易度の差……という事でしょうか」


「うーん……難易度の差ではないな。分かりやすい表現を使うなら……《瞬間移動》であれば『着地点に反応を残さずに済む』と言う事かな」


「着地点に反応」という言葉を聞いて、むしろノンの理解点の針は再び「否」の方に振れた。こうして薬屋の1階作業部屋の机で向かい合って座り、口頭で説明する難しさ……そもそも半年前までは魔法とは無縁だった彼女に本来であれば魔法世界の中でも屈指の難度を誇る「空間制御術」……更にその中でも使用困難とされる《瞬間移動》と《転送》の原理を理解させるのは、いかな賢者様でも「壁」は厚過ぎたようである。


「むぅ……。しょうがねぇな……実際に見せてやらんと解らんか」


 店主は椅子から立ち上がって


「ちょっと地下で説明する。ついて来い」


と、そのまま地下に降りる階段に向かった。


「え……?あ、はい……」


主の様子を見たノンも慌て気味に立ち上がって、瓶詰め作業をしている弟子達に作業の続行を指示してから彼を追った。


 ルゥテウスは階段を下り、踊り場の先にある十字廊下を左に曲がる。真っ直ぐ進めばそのまま裏の病院の地下階へと繋がっており、藍玉堂へ毎朝処方箋を持って来る医師見習いの少年達は、この通路を使って藍玉堂側へやって来る。但し最年少の見習い少年リキだけは……以前に受け取った処方薬の入った木箱を持ったまま階段から転げ落ちて……中身をブチ撒けた事があり、それがトラウマなのか地下通路を利用していない。彼は雨の日も雪の日も、頑なに店舗入口から店内に出入りしている。


十字廊下を右に曲がれば隣の役場の地下に入り……更に職員達の独身寮に続く通路手前にある上り階段を使って、役場の1階奥に出られる。役場の食堂を使う場合は三人娘も含めてこの通路を使うが、そちらでは無く十字廊下を左に曲がると逆方向に廊下は続いており、()()を挟んで左右に扉が1つずつある。但し……この廊下には店主によって独立した結界が2カ所展開されている為、廊下の左側にある扉は「普通の人」には見えない。


 その左側の扉は錬金部屋の出入口であり、この出入口の扉を含めて結界が施されているので、この()()()を認識出来る者は、藍玉堂の店主であり結界の設置者であるルゥテウスとノン、ソンマとサナの夫婦、そして最近「使用者」として新たに登録された《赤の民》の双子だけである。三人娘にも、この錬金部屋に関してはその入口すら認識出来ないのだ。


逆に廊下の右奥側にある扉は3人程度が同時に利用出来る広さを持つ浴室に続く脱衣所へ入る為のものであり、ここには結界が張られていない為、外見上は完全に「風呂場に続く出入口」として誰でも認識出来る。実際の使用者となる藍玉堂の面々には一応……男女の別はあるので、扉にはスライド式の標識が2本貼られていて、それぞれに「男(青色)」「女(赤色)」で色分けまでされている。ノンを含め女性が使用している時は必ず「女」側の赤いプレートを《使用中》にして浴室を使用しなければならない決まりだ。もちろん、浴室を使用後……最後に()()から出た者はプレートを反対側の《空室》に戻すのは言うまでもない。


「風呂好き」を公言し、実際毎日必ず入浴する習慣がある店主は……意外にもこの浴室を使用する事は滅多に無いようだが、彼を除く他の従業員……それもソンマがサクロに移住してからは女性だけだったのだが……彼女達はそれでもこのプレートを必ず使用している。


 ちなみに……ソンマやキッタが移住後、数年して久しぶりに店主以外で男性として()()の住人となったアトは、何か「良くない思い出」があるのか……9歳という年齢ながら「女性と風呂場で鉢合わせる」という事態を極度に恐れており、「赤のプレート」が《空室》になっていても、必ず扉に直接耳を当てて中の様子を確認し、確実に「誰も居ない」と認識するまでは決して脱衣所に入室しない。「高所」と「異性が使用中の浴室」は、この赤茶けた肌を持つ少年が等しく恐れている場所のようだ。


廊下の右側……脱衣所を含めた浴室の手前側には()()()()幅2メートル、奥行き3メートルの、一見して「壁に作られた窪み」のような部分があり、そこには店主によって2つ目の結界が設置されている。この短い廊下のようなスペースの奥の床には直径1メートル程の青く輝く魔法陣が置かれており、これが《転送陣》である。


当初、この転送陣を使用出来る者……即ちこの部分に設置されている結界の「登録者」は店主やノン、そして自らの私室に同様の転送陣が設置されているシニョルだけであったのだが、その後キャンプの資材置き場の中にある小屋や《青の子》の訓練施設建物、そしてキャンプの外に本部や支部が設置されていくに従って結界登録者はじわじわと増加していき、現在この地点の結界登録者は前述3人はもちろんのこと、ソンマ夫妻やイモール、ラロカを始めとする嘗ての「難民幹部」や現在も「藍玉堂従業員」である旧サクロの5人娘を含めた藍玉堂関係者や……そして隣の大陸から通勤している「菓子屋のご婦人(オバちゃん)方」にまで開放されている。現在のキャンプには転送陣が都合5カ所設置されているが、藍玉堂地下の転送陣は《青の子》関係者が使用している訓練施設建物内のものよりも1日当たりの利用者数が多い接続地点(ターミナル)になっているのだ。


店主によってこの転送陣の使用を「許可」されている者達は結界の通過登録がされており、それがされていない者……つまりは「トーンズ国」の外部者、例えばこのキャンプ(難民居留地)の存在に対して無断で立ち入る「法的、社会的権限」を有している者……公爵家の関係者や王国政府機関の者達が、その権限を行使してキャンプの中にまで押し通って来ても、藍玉堂は「ただの薬屋」であり、役場は「()()を運営管理している建物」であり、裏の病院は「難民の保健衛生を管理する施設」としか映らない。この3カ所を結ぶ地下通路の存在までは発覚するだろうが、肝心の「錬金部屋」と《転送陣》は、それが例え魔法ギルドから派遣された魔術師であったとしても、その存在を見破る事は不可能なのである。


 店主は錬金部屋の引き戸を開いて中に入った。ノンもそれに続き、扉を閉める。部屋の中にある錬金作業の大机にはサナとアトだけが座っており、各々目の前に「錬金台」と呼ばれる50センチ四方、厚さ2センチ程の「乳孚石(にゅうがくせき)」と呼ばれる白っぽい色をした石板を置いて、何やら錬成作業中であった。


サナは「特級高貴薬」とも言われる《再生薬》の錬成中であり、アトはそのサナの監督を受けながら《遅燃炭》の錬成を試みているようだ。


尤も……アトは既に本格的な「炭造り」を始めてから2カ月近くが経過しており、《遅燃強化》の成功率はほぼ十割に達している。あとは錬成物の品質だけの問題であり、仮にそれが低質の物であっても、2日間くらいは燃え続けるような質になっている。既に彼の作った「小坊主の炭」はキャンプ内のあちこちの竈で()()()()消費されているようだ。


 サナの目の前にはビーカーの中に緑色の液体が入った物が並んでおり、その色の濃さに差が見られる。どうやらこの液体が、現在の世界においては「幻の薬」とされている《再生薬》のようだ。色の濃淡が揃っていないのはまだまだその品質が一定では無いのだろう。


但し……既にこの《再生薬》の効果は確認されており、ほんの5日前に彼女の兄……キッタ工場長が経営している蒸気機関の部品工場において、機械操作の事故で右手の指を2本切り飛ばしてしまった者に服用させたところ……驚くべき事に、その切り口から肉が()()()()と盛り上がって来て、2日後には元の指の形に戻り、更にその翌日には爪も生えてすっかり「元通り」になった。


ちなみにその服用者は、失った指の他に……5年前に虫歯の痛みが我慢出来ずに抜いた奥歯までもが生えて来たと言う。


この奇跡のような出来事に「指が生えた」本人はもちろん、工場長も仰天し……その結果を自ら確認したサナ本人すらも息を飲んだ。「本当に再生してました……」という妻の報告を聞いたソンマ店長も……


「救世主教の嘘臭い話は本当だったんだね」


と苦笑いしていた。


「《再生薬》の品質に影響されるのは、主に再生の有効対象となる『期間』と、その再生速度だとされている。身体欠損の瞬間から時間の経過が短ければ短い程、低質な再生薬でも再生の効果を得られるし、高品質なものであれば2、30年くらい昔に失った身体部位ですら再生するだろうな」


店主はそのように説明していた。5年前に抜いた歯まで再生したという事は……その時に服用した《再生薬》はそれなりに高い品質だったのかもしれない。


「あ……店主様。おかえりなさいませ」


 サナが入室して来た店主に気付いて挨拶すると、丁度その直後に遅燃炭の錬成に成功したアトも顔を向けて


「おかえりなさい」


と、声を掛けて来た。その額には汗が滲んでいる。サナもアトも、ずっと錬金部屋に籠り切りだったせいか……店主の帰宅に気付いていなかったようだ。


「ふむ。ただいま。2人とも順調のようだな」


店主がそれに応えながら労いの言葉を返す。


「まだまだ品質が安定しませんが……漸く錬成の失敗を無くす事は出来たようです。あっ……これはアトちゃんも同じですね」


サナが笑いながら報告する。両者共に「新しい事」に取り組み、それがお互いやっと軌道に乗り始めた……というところだろうか。


「そうか。まぁ、消耗もそれなりにあるだろうが落ち着いてな。ところでチラは……『下』か?」


「はい」


「そうか。俺達もちょっと下に降りてるからな。何かあったら念話をくれ」


「承知しました」


 店主はノンを引き連れて、そのまま隣室の隅にある「下に降りる階段」から地下2階に下りる。階段の下り口の床面からちょっと下がった高さ……つまりは床面を隔てて地下2階層の天井面にはルゥテウスによる《障壁》が展開されている為に、地下2階において何が起こっても音や衝撃は遮断された状態なので地下1階の錬金部屋からは下層で何が起きているのかは判らないようになっている。


ルゥテウスとノンが急角度の階段で地下2階に降りると、壁面に並ぶ棚以外に何も無くガランとした部屋の真ん中辺りで、赤褐色の肌をした黒髪の少女が何やらブツブツ言いながら、両手をパタパタ動かしていた。


……すると暫くして少女の回りに空気の渦が発生し、他に遮蔽物も何も無いガランとした階層全体に緩やかな風が起き、ノンの前髪を揺らした。数週間前まで、目の前に立てた紙片の細切れを揺らす程度の僅かな「空気の移動」しか起こせなかった彼女の「空属性魔術」は、そこそこ広い地下2階層全体の空気を動かす程度にまで成長しているようだ。


暫くチラの鍛錬の様子を見ていなかったノンはこの進歩に驚き、店主も満足そうに笑っている。どうやらこの小さな双子の姉の魔術に対する才能はいよいよ「本物」であると確信出来たようだ。


 チラは自らの身体を包むように風を吹かせてから、階段から誰か降りて来ている事に気付き、それが店主とノンである事を確認して


「あ、てんしゅさま。ノンさま」


と、声を掛けて来た。


「チラちゃん、随分と魔法が上手くなったわね」


ノンはこの部屋で鍛錬するチラを見るのは今日で初めてのようである。2旬程前に、「チラが錬金部屋では無く地下2階で鍛錬を始める」という話は聞いていたのだが、魔術やマナの取り扱いには余り関係の無い自分では、彼女の修養の邪魔になると……この階層の様子を覗く事を遠慮していたのである。


「いいか?疲れたらちゃんと休憩を挟めよ?疲れたままで続けると事故を起こすかもしれないからな」


「はーい」


「うむ。俺達はちょっとこっちの隅っこで別の事をしているから、気にせず続けろ」


「うん」


そう言うと、チラは再び反対側の壁に向き直って何やらブツブツと詠唱()()()()()を始めた。


その様子を見ながら、ルゥテウスとノンは南西の角の方に移動した。


「よし。ではここで《瞬間移動》と《転送》の違いを確認してみようか」


「は、はい……」


 ノンはこれから店主が何を始めようとしているのか見当も付いていない。ただ彼は「《瞬間移動》と《転送》の違いをここで実際に見せながら説明する」と言っているのだ。


「よし。いいか?まずは《瞬間移動》をやるぞ?」


そう言った直後。店主は「今居た位置」から3メートル程右側に移動した。正しく「瞬きをする時間」よりも……「あっ」と言う間にだ。


「え……!?」


ノンは何か起きたのか解らず、目の前から主が消えて……何か視界の外に気配を感じて右を向いたら、その先に主が「現れて」いたのだ。


「あ、あの……」


「今のが《瞬間移動》だ。まぁ、今更紹介するまでも無いな。お前の目の前でこれまで俺は何度も()()を使用しているし、時にはお前も一緒に転移している。別に新しい事は何もしていない」


「い、今のが……あの……瞬間移動ですか?いつもルゥテウス様が使われている?」


「そうだが?」


自分では「見慣れている」と思っていた主の瞬間移動も、このように至近距離で転移されると随分新鮮に移る。無理も無い……これまで見て来た主の瞬間移動は「自分の目の前からどこかに行きっ放し」になるか、「どこかから突然現れる」かの()()()かだったからだ。


このように「行きっ放し」で自分の視界から完全に消え去るわけでは無く、「行き」と「到着」がほぼ同じ視界の中で行われる事で、「本当に『瞬時』に移動している」という実感が初めて伴ったのだ。


「たっ……確かに……瞬間移動してますね……」


「ん……?今更何を言っているんだ?」


これに対して実演した側は「いつもの行為」を見せただけ……という意識なので彼女が何故そのような反応を示すのか理解出来ていない。そもそもルゥテウスがノンに見せたいのは()()()()では無いのだ。


 いまいち噛み合わないままに……「転移先」から再び歩いて戻って来た店主は


「よし。次は《転送》をやるぞ。今の《瞬間移動》との違いをよく見ておけよ?」


と、言いつつ……またしてもノンの視界から消えた。しかしノンはつい先程の出来事に従い、素早く視線を右に移すと、やはり主は同じ場所に「到着」していた。


(あら……?)


ノンはその瞬間……同じ場所に到着した主の様子に何か「違和感」を感じた。


(さっきと違う……。何が……?)


少し考えてから、たった今……主が同じ場所に到着した瞬間の様子を思い出して、「あっ!」と声に出した。


「どうだ?何か気付いたか?」


ニヤニヤしながら訊いて来る店主に対して


「はい。今、ルゥテウス様が移った場所に……何か光が……。もしかして……魔法陣ですか?」


ノンの指摘に対して主は満足した表情で


「そうだ。よく気付いたな。これが《瞬間移動》と《転送》の違いだ。改めて説明しよう。《瞬間移動》とは……基本的に『自分自身が()()()()に移動する』魔法だ。そして《転送》は『()()()()とやり取りする』魔法だ」


ノンはこの説明を聞いて再び首を傾げた。


「『やり取り』とは、()()()()を空間で繋いで……まぁ、瞬間移動も『空間を繋ぐ』と言う点においては同じなんだけどな……」


 店主は自分で説明していて面倒臭くなったのか、右手を振った。すると……その手には『緑色の液体の入ったビーカー』が握られている。


「えっ!?」


その()()自体は、ノン自身も普段から良く見る「主がいきなり何も無い場所からモノを出す」というもので、彼女も見慣れた光景である。


しかし今彼の手に握られている物体に……彼女は何やら心当たりがあった。


「あっ!そ、それは……サナちゃんが作っていた……」


ノンが()()を指摘すると同時に、階段の上からサナが数段だけ降りて来て声を掛けて来た。


「店主様っ!今もしかして……私の目の前から《再生薬》を動かしました?」


その表情は驚きのまま……と言った感じだ。サナの声を耳にして、ノンも驚いて振り向いた。


「あっ!やっぱり!」


どうやらノンが気付いた、主の手にあるビーカーの正体……それは先程見たサナが錬成していた《再生薬》である。


つまり……どうやら主は()()()の行為によって、1層上階で錬成作業をしていたサナの目の前にあった再生薬を、それが入ったビーカーごと自らの右手に「移動させた」という事だろう……。ノンは瞬時にそう理解した。


「いきなり目の前に青い()が出たと思ったら……薬が消えていたんです。もしかしてと思って……」


「ははは……すまんすまん。ちょっとノンにな。《瞬間移動》と《転送》の違いを説明していたんだ。《転送》という行為を具体的に説明する為にな……お前が作っていた薬を利用させて貰った。済まなかったな。今戻すよ」


 そう言った瞬間に店主の右手にあったサナが作ったと思われる《再生薬》の入ったビーカーが消えていた。更に……店主はビーカーの消えた右手を振ると、今度は彼の左手にノンにも見た記憶のある赤くて丸い物体が2個出現した。店主は直径が10センチ程度ある2個の丸い物体を器用に左手の掌の上に持ちながら、サナに対して


「ほら。両手を前に出せ。落とすなよ?」


と呼び掛けた。サナが「えっ!?」と驚きながら両手を前に差し出すと、その両手の掌に赤い物体が1個ずつ現れた……と言うよりも店主の左手にあった2個の物体が移動した……ように見える。


そして物体が移動する直前に、サナの両掌の上に……先程ノンがチラっと見た「青く光る何か」が現れたように見えた。


「あわわっ!」


 突然両手にそれぞれ1個ずつ「何か」を持たされたサナは驚いて急な階段の上で一瞬フラついたが、すぐにバランスを取り戻す。


「メナの実だ。アトにも分けてやれ」


「えっ!?あっ!メナの実……!あ、ありがとうございますっ!」


大好物である……今の季節が旬の終わりである「幻の果実」を渡されたサナは何となく店主に礼を言って上階に引っ込んで行った。訳が解らずに何やら「実験台」にされたようだが、その「報酬」も受け取れたので、とりあえず満足したようだ。


店主は更に右手を振ると、再び彼の左手に先程と同じく赤くて丸い物体……メナの実が2個出現した。


「ほら。お前にもやる。……チラっ!ちょっと休憩にしろ。オヤツをやるぞ」


向こうで何やら両手をパタパタ動かしているチラにも声を掛けた。


「え……?」


チラは何やら詠唱中だったように見えたが、「オヤツをやる」という店主の言葉(パワーワード)を耳にしたので、()()を中断して振り向いた。


「ほら。こっちに来い。これをやる」


そう言いながら、メナの実を差し出し、反対側の手でもう1つをノンに差し出した。ノンはそれを受け取って呆然としている。


 チラがこちらにやって来て、メナの実を受け取ると……店主は更に右手を振った。すると今度はその手に小皿が2枚と小さなフォークまでが2本出現する。


「ほら。これに実を載せろ」


驚いて目を瞠っている彼女達に皿とフォークを渡し、彼女達が言われるがままにメナの実を皿に載せると店主はまたしても右手を振る。今度は何と、皮を付けたままのメナの実が縦に8等分切り分けられてパラリと皿の上でバラけた。


これを全て店主は無詠唱で……恐るべき手際の魔導の数々だ。


店主自身は再び左手に新しいメナの実を1個出現させて、それを皮ごと丸かじりしている。


「ほら。遠慮するな。冷えてるぞ」


ニヤニヤしながら言う店主の言葉を受けて、ノンは「は……はい」と呆けたような返事をしながらフォークをメナの切り身に突き刺した。隣でチラは床に座り込んで、同じくメナの切り身を口に入れている。


「ん!?んまい!んまい!なにコレ!?なにコレ!」


どうやら生まれて初めて口にした「幻の果実」の芳醇な香りと旬を迎えた糖度に驚きながら興奮の態で次々と切り身を口に入れている。嘗て同じように、この実を初めて目にし……夢中で口に詰め込んでいたノンとサナを思い出させる光景に店主は笑い出した。


「今のを見て理解出来たか?《転送》とは、目標地点と空間を繋ぐ事で物体を送ったり取り出したり出来るんだ。もちろん、その『物体』とは自分自身を含む人間も当て嵌まる。その気になれば『向こうに居る人間』を()()()に引っ張る事も出来る。しかしこれは《転送》だけでは実現しない技だがな」


 呆然としながら店主の言われるがままに口にしたメナの味で我に返ったノンは


「あの……転送する先に出した魔法陣を介して『取り寄せる』事も出来ると?」


先程来、何度か目撃した《転送》の様子を見て漸く「その仕組み」を理解したようだ。


「取り寄せも可能だが、その為には目標地点側に設置する『陣』の()を上げる必要がある。《転送》という魔法にとって、この目標の陣の質を上げる事が非常に重要だ。それに比べれば《瞬間移動》は目標地点に投射するだけだからな。俺が普段から瞬間移動を多用するのはそういう理由だからだ」


「ああ、なるほど。先程仰られていた『普段から転送よりも瞬間移動を選択する理由』というのはこう言う事なのですね?」


その両魔法の「違い」を理解する事で先刻から店主が説明していた内容が次々と繋がって理解が広がって行くのをノンは感じていた。


つまり店主が1階の作業場で説明していた「着地点に反応を残す」というのは《転送》を使用する際に目標地点に出現させる「陣」の事を言っているのだろう。逆に言えばノンですら目視出来た「陣」が転送時にはどうしても出現してしまう。「光を伴う陣が出現する」事によって、「そこに転送が起こる」事を第三者に悟られてしまう恐れがあるのだ。


 また、ノンはそこまで考えが及んでいないが……魔法ギルドの構成員の中には魔素・マナを問わず「魔法の使用痕跡」に対して鋭敏な知覚を持つ者が相当数所属している。


魔法犯罪を捜査する「法務部門」に所属する、嘗て少年時代のルゥテウスが王都で拘束して尋問に掛けたローワン・チャイや、その後旧サクロを滅ぼした山賊の拠点を潰した際に捕えたショウ・ノディラクスは、正しくその能力に長けた者達であった。更にノディラクスが所属していた「魔法管理部門」には灰色の塔の6層目の内壁に沿うように12人で、ぐるりと円陣を組み……360日24時間、世界中で使用される魔術を監視している者達が居るのは魔法世界では有名であり、ノディラクス自身も管理部門のトップを務める前は、その監視人の中の1人であった。


 ちなみに……灰色の塔の6層目は地上から50メートルの高さにあり、最上層である7層目は総帥の居室となっているが、そのすぐ下の階層で……外壁のすぐ内側を沿うように前述の「魔法管理部門」の者達が魔術使用監視(感知)を交代で実施しており、中央部には集団施術である「儀式陣」を実施する為に直径2メートル程の「円陣盤」が設置されている。円陣盤の素材は先程も紹介した藍玉堂の錬金部屋でも使われている「乳孚石」と呼ばれる文字通り乳のような白い色をした石材であり、「魔素やマナをその場に留める」という性質を持っている。


この乳孚石の上で錬金術や魔術を使う事でマナの配置が整えられる為、その操作が非常に容易になる。非常に貴重な「魔石」や、精製難度が非常に高い「ミスリル」には効果が及ばないが、()()()に比べて入手に対してハードルが低いので、所謂「町の錬金術師」が経営する工房でも先程サナやアトが使用していたような数十センチ四方の板状に加工したものや、大きさ的には貴重な部類に入るこの灰色の塔6層に設置された直径2メートルに達するような円形のものが使われている。


救世主教が特定の大都市に建てている「大聖堂」に居る治療術官がその力を行使する「治療の間」にも、この大きさには及ばないが乳孚石で作られた円陣盤が置かれており、治療を行う患者をその上に寝かせる事で治療術の使用難度を下げているようだ。


逆に言えば、この「マナの動きを引き付けて整える」という性質を持つ乳孚石製の円盤を介さなければ複数人の術師による「儀式陣」の行使は相当に難易度が上がってしまう事になる。この円盤は灰色の塔築造の際に、築造を1人で行ったヴェサリオが設置してくれたものを今でも使用しているという正真正銘の「年代物」である。


しかし欠点として所詮は「石材」であるのでどうしても「設置」が前提になってしまうこと。魔石やミスリル素材のように「持ち歩く」事が出来ないので、灰色の塔や錬金工房などに「設置」して使用する事になる。()()を踏まえた上で使用する分にはマナの制御を補助してくれる非常に便利な素材設備である。


「魔術師や錬金術師という連中は、魔素を直接見る事は出来ないが……『魔力感度』が高い者ならば魔素を使用して魔導を使用した()()を『至近距離という条件下』であれば目視で感じる事は出来るんだ。《転送》によって使用される『陣』は、そういう素質を持った奴らに感知される可能性がある。だから《転送陣》には結界による隠蔽が望ましい。しかし結界によって隠蔽された転送陣同士の接続では無い、『単体使用の転送』には転送先での結界隠蔽が伴わないのでリスクが生じる」


「ああ、なるほど。えっと……転送先で見つかってしまう可能性があるのですね?」


「まぁ、そういう事だな。それでも俺はお前も以前から何度か見ているように色んな場所から色んな物を《転送》を使って引っ張って来ているけどな」


店主が笑いながら説明し、ノンはここで漸く……昔からお馴染みの光景である「店主が右手を振って色々な物を出現させる」という現象の()()を知るに至った。


「ルゥテウス様は《転送》という()()を使っていたのですね。えっと……魔法陣や導符ではなく?」


「そういう事だ。《転送》という魔法を魔術にしろ、錬金術による術符で実現させるには、ちょっと貴重な触媒が必要になるからな。奴らにとってはそうお気軽にホイホイ使えるものではない……と思う」


「昔……ソンマ店長がそのような説明をされていた記憶があります」


「《転送》の場合だと……触媒は確か《チョウロウコウモリの皮膜》だったか。『死の海』の沿岸地域にある洞窟内にしか生息していない蝙蝠の魔物の羽だな。入手場所が場所だけに魔法ギルドにも在庫は殆ど無いかもしれん」


「死の海……ですか。魔物がいっぱい居るんですよね……?」


「そうだな。今でもかなりあの辺には魔物が棲息しているな。《瞬間移動》の触媒も《イッカクトカゲの爪》ってやつで、やっぱりあの辺の洞窟に棲んでいるちょっと大きな蜥蜴(トカゲ)の魔物の爪なんだ」


「その触媒が入手困難なので普通は瞬間移動も転送も使われない……という事なのですか?」


「まぁ、そうだろうな。触媒収集の為の遠征隊が時々魔法ギルドで派遣されているらしいけどな。()()()を探索するのは結構大変かもしれんな」


「ルゥテウス様は『その場所』をご存知なのですか?」


「まぁ……以前何度か行った事はある。あの辺には油田の残りカスみたいな場所が点在していたんだ。戦争が終わって1万年以上経ってるから、多少は下層の砂礫帯から滲み出して溜まっているかもしれないと思ったんでなぁ」


「え……?ではその……洞窟にも?」


「ああ。洞窟の奥まで行くのに邪魔な魔物は片っ端から『処分』するからな。ついでに触媒になりそうなのは、纏めて採取していたぞ。ほら……さっきの《チョウロウコウモリの皮膜》だの《イッカクトカゲの爪》だのも、あの辺の抽斗に入れてある」


 ルゥテウスは魔術の鍛錬を続けているチラの向こう側に並んでいる触媒棚の上の方を指差した。実際、それら超貴重な触媒は上階の錬金部屋の棚やサクロの藍玉堂にある錬金部屋の棚にも入っており、先月のソンマ夫妻による「棚(あらた)め」の際にも《ヒワゴケ》と同様に「発見」されており、特にソンマを驚かせていた。


「魔術で《転送》を使用した場合、単独使用の時は当然として……《転送陣》として設置型にした場合でも転送術が発動する毎に触媒を消費してしまう。実際、転送陣であれば……それを設置する魔術師や錬金術師の熟練度が高ければ設置後の触媒の消費量を抑える事は理論的には可能だがな。《転送》で触媒の消費を()()無くす程の熟達を得るのは……どうなんだろうな。俺の記憶の中にも、そんな魔術師は居なかったようだ」


つまり店主の説明では事実上……「お気軽に使える《転送陣》を魔術や錬金術で設置するのは不可能だ」と言っているようなものである。


「なるほど……そういう事情があるのですか」


 ノンにも漸く、嘗てソンマが目を剥きながら力説していた《転送陣》という存在が「眉唾物の伝説」だった事について理解出来た。


「で、でも……魔導師ならば触媒による制限は無いのですよね……?魔法ギルドには魔導師の方が2人もいらっしゃると……」


「もちろんだ。魔導師であれば理論的には触媒という制限を受ける事無く《瞬間移動》や《転送》を行使出来るはずだ。しかし……やはりそこにも『理由』は存在するのだ。今の魔法ギルドに居る魔導師や……ギルドの外に居る魔導師達でも安易に行使出来ない理由がな」


「えっ……?」


「俺が思うに、恐らくは『魔法の難易度』なんだろう。今まで何度も説明しているが、瞬間移動や転送は『空間制御術』に属している。その中でも難易度は最高レベルに難しい……とされている。魔法ってのはな、難易度もそうだが、その熟練度なども加味されて……最終的には実用に耐え得る一定の『質』が求められる。そこで『空属性』の鍛錬をしているチラを見てみろ」


 ノンは主に言われて、部屋の真ん中辺りで何やらブツブツ言いながら両手をパタパタ動かしているチラの様子を窺った。


「あいつは今、『空属性』の初級術である《変圧》という魔術をずっと練習している。最初の頃は上の作業台の上で細い紙切れをちょっと揺らす程度しか『風』を吹かせられなかっただろう?」


「え、ええ……そうですね」


「しかし今はどうだ?少なくともあいつが《変圧》を使用する事で、この部屋の中の空気を多少なりとも動かせるくらいになっているだろう?」


「そうですね……。さっきから風が吹いていますね……」


「それは、あいつが鍛錬を重ねた結果……同じ《変圧》という魔術の『質』を上げているからなんだ。術本来の熟練度も上がっているだろうし、元々あいつに備わっていた『空属性』の素養も伸びているんだろう」


「ああ……なるほど。練習を重ねると同じ魔術がどんどん上達するのですね」


「その通りだ。術の「質」を上げて行く……。それはつまりさっきの魔導師達に対する《転送陣》にも言える。《転送》の魔導を普段から頻繁に使い続ける事で、恐らく『熟練度』を上げ……その分『質』を上げる事は可能だろう。しかし……『質』を決めるもう一つの要素である『空間制御術に対する素養』はある一定のところで『頭打ち』になるのではないだろうか」


「え……?ではどれだけ練習しても無駄って事なのですか?」


「まぁ……簡単に言えばそうだろうな。質が高められないのであれば『転移』が安定しないだろうしな。そうなると自分自身で『魔導』として単独使用する分には何とかなるだろうが……《転送陣》として設置するのはどうだろうか。増してや魔導師は『錬成』が出来ないからな。お前やソンマ達のように『導符』やら『術符』にした状態で《転送陣》を設置する事が出来ない。つまりは自分自身で直接『魔法陣』としての運用で《転送》を投射する必要が生じる。それだと陣を維持する為に自らの意識(コスト)を振り向ける必要がある。『自ら生み出した転送陣』を維持しながら他の魔導を行使出来るのか……」


 ルゥテウスは自分自身の事は棚に上げ、自分達「血脈の発現者」以外の魔導師達が「設置型魔導を維持するコスト」でどれだけ彼らに消耗を強いるかを説明した。現に、ルゥテウスはノンには説明していないが、自らが()()()()に設置した転送陣や結界は()()全て「導符」という形にして使用し直す事で「自らのコスト」が発生するのを回避している。前にも書いたが、彼自身が自らの「意識(コスト)」を掛けて直接設置しているのは《藍滴堂》3階にある祖父の研究室の扉に掛けた《強封印》のみである。


その理由も……封印対象にした扉に対して外部から何らかの「干渉」があった場合に、()()をいち早く感知する為である。そのような理由が無ければこの扉の封印も一度、導符を作ってから使用するという形を採ったはずだ。


 しかしこれは「発現者」であるルゥテウスだからこそ可能な事であり、これも何度か述べているが「普通の魔導師」では「導符」が()()()()のである。生来……強大な投射力を持って誕生する彼らには、()()()コントロールする術が無く、術札のような「物品に魔導を投影す(込め)る」という事が出来ない。


恐らくはこれが「賢者の知を発現した者」と「普通の魔導師」との決定的違いであり、11000年前に「漆黒の魔女」が発見した「マナ制御」からの「投影」、「変換」「具現」という魔法発動の配列(シークエンス)を意識出来ない魔導師達の最大の欠点なのだろう。


自分達の力では「変換からの投影と具現」が認識出来ない魔術師や錬金術師……特にその後の「投射」が上手く出来ない錬金術師だからこそ、「手近にある物品に対して投影」という行為が可能となる。


しかし投射力がある魔術師や、そもそもが「投影と具現」を意識下で行えない魔導師にはそれが困難であるはずだ。魔素やマナを制御し、それを「術として使用する」と意識した時点で魔導師の場合は投射対象を決める動作に入ってしまうし、魔術師の場合は対応する触媒が一定の範囲に存在すれば「変換」と「投影」が自動的に「触媒との反応」によって起こってしまうので「具現化」が起きてしまう。そうなったらもう、()()を投射するしかない……。


 これまで大昔に「黒き福音(ヴェサリオ)」によって灰色の塔の最上階に設置された《転送陣》がその効果消失後に再び設置される事が無かった理由……それはつまり


「貴重な触媒の消費を抑えられる程に《転送》や『空間制御術』に対して熟達している錬金術師が存在し得ず、触媒は必要無いが……『錬成が行える魔導師』が存在しなかった」


こういう事なのだ。「賢者の知」を持つ者……「漆黒の魔女」が正しく「賢者の叡智」を以って魔法使用のメカニズムを解明したからこそ、以後の「知の発現者」は錬金術師同様に「投影結果を物品に込める」という新技術を確立し、それを「血脈の記憶」として受け継ぐ事が可能となった。


通常の魔導師が世界のどこかに領域を作って引き籠りつつ……「一生」に等しき長い時間を掛けてその技術を習得出来たとしても、結局それはその魔導師()()で途絶えてしまう。「制御からの変換」と、その後の「投影」という事象を曲げて、その魔力を物品に込めるというのは「文章」では説明出来ない()()()なものであり、仮にそれを可能とした魔導師が、別の魔導師を弟子として指導したところで次世代に()()を伝えるのは非常に困難である。


しかし「賢者の血脈」は()()を「記憶の継承」という正しく《超越者》から与えられた「血脈の力」によって可能としている。これが他の魔導師と「知の発現者」による決定的な違いなのだろう。


そして幸いな事に、史上10人目の「完全なる発現者」であるルゥテウスは「その()()()()」を本質的に理解している為に、これが「自分にしか出来ない真似」であることを知っているのだ。ヴェサリオとルゥテウスの間には3人の「知の発現者」が存在したが、彼らはもしかすると()()事を理解出来ていなかったのかもしれない。これが「完全な発現者」と「不完全な発現者」の差なのだろうか。


これら数々の発現者を、その歴史と共に見つめて来たであろう「血脈の管理者」であるリューンは、この事についてどう思っていたのか。


「まぁ……とにかく、《転送》も《瞬間移動》にしたって実用的なレベルでの()は必要だ。それは今も言った『転移の安定性』もそうだが、『転移距離』の問題だってある。俺が思うに……そうだなぁ……このキャンプから、少なくともドレフェスくらいまでは安定して転移出来ないと『実用的』とは言えないんじゃないか?」


「ドレフェス……確かこの大陸の真ん中辺りにある大きな街ですよね?具体的にはどれくらいの距離があるんですか?」


「概ね600キロくらいかな?馬車だと……今は5日くらい掛かるのか?」


「結構遠いですね……」


「まぁしかし、実際それくらいは移動出来ないと『転送の有難み』なんて感じないんじゃないか?」


「統領様は、公爵様のお屋敷からここまでの移動でも喜ばれていましたよね」


「あいつは、お前同様に普段から行動範囲が狭いからだ。奴からしてみれば、公爵屋敷からここまで『歩かずに済む』だけで結構満足出来るんだろうよ。ただ、今は公爵屋敷からサクロまで飛んでるんだろ?距離にして約1万キロくらいか?距離があり過ぎて実感は無いだろう」


「1万キロ……」


「いや、別に普通の感覚においてここ(キャンプ)からサクロまでの転移距離を『質』として求めてるわけじゃないんだよ。ただ、まぁ……やはり最低でも馬車1日分……100キロから150キロくらいか?それくらいの転移はして欲しいわな。それがどれくらいの熟練度で実現するのかは知らんが」


確かにこれまで店主が設置している《転送陣》に距離的制限を感じた事が無い。しかしそれは「最強の魔導師」としてノン達が疑わない店主だからこその「質」であって……彼を基準に考えてしまうと感覚がおかしくなってしまう事は留意する必要があるだろう。


 ノンは《錬金導師》としての力に目覚めてから、その考えを改めるような感覚に度々見舞われている。自身の錬金導師としての能力について、錬金術師として恐らくは非常に高い位置(ポジション)に居るであろうソンマとサナの夫婦が、それでも自分に対して高評価を与えてくれる。実際、これまでサナと共に様々な錬成作業を行って来たが、同じ効果が得られる術符と導符を作成した際に、その効果の大きさや……そもそもの錬成にかかる時間、そして製造量も明らかに自分の方が上回っている事は自覚出来る。


それでも尚……この目の前に居る我が主の力には全く及ばないのだ。その好例が《結界》だ。


自分が設置する《領域》に対して、主は易々とその存在を感知し……侵入する事も可能としている。その際に何か特別に力を行使している様子すら無い。


しかしその()はどうだろうか。自分は恐らく……主が使用する《結界》を、そのままでは認識出来ていない。特に主が何も無い場所で魔導を使用する際、「必ず展開している」とされている《結界》の存在を知覚出来ないし、現に《瞬間移動》を使用して目の前から主が消える直前に展開している《結界》によって主の存在を見失っている。主が展開した結界に対して、自分を「使用者登録」して貰わないと自分はそのまま()()を認識出来ずにいるのだ。


毎朝、藍玉堂の2階から降りて来る主の存在を事前に全く認識出来ない。前夜に「おやすみ。ノン」と言われて目の前から姿を消し、翌朝そうやって再び2階から降りてくるまでの間……彼女は主の存在を認識出来て居ない。これはつまり、主が()()()()()()で《結界》なり《領域》なり展開している事を彼女自身が認識出来ないからであろう。


 ノンは正しく()()()()()を考えるようになっているのだ。単なる「優秀な薬剤師」だった頃には、このような事は意識すらしていなかった。「錬金導師」という力に目覚め、これまで見過ご(スルー)していたソンマやサナという錬金術師の世界。そして新しく共に暮らす事になった「素養を持つ」赤の民の双子がそれぞれ鍛錬する様子を見て、そのような「自覚」を持つようになったのである。


「あの……私には《転送陣》の導符を作るのは難しいのではないでしょうか……」


()()を意識したノンが、困惑の表情で主に申し出ると


「ふむ。それを今から確認してみたいのだが……その前にもう一つだけ学ぶ事がある」


「え……?転送陣の導符を作る為にですか?」


「そうだ。転移系の魔法を使用する際には()()が必須だ」


それでもニヤニヤしながら店主は話を続けるのであった。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド

15歳。主人公。33000年にも及ぶ「黒き賢者の血脈」における史上10人目の《完全発現者》。

現在は「真の素性」を隠して母の特徴を受け継いだ「金髪、鳶色の瞳」に外見を偽装している。

性格は非常に面倒臭がりなのだが、どういうわけか色々な事象に巻き込まれて働かされる。

滅多に怒らないが、頻繁にボヤく。ノンの弟子には基本的に省エネ対応に徹する。

レインズ王国で差別を受けていた戦時難民を導いて、故郷の大陸にトーンズ国を創らせた。

現在はキャンプにて薬屋《藍玉堂》を経営。トーンズ国関係者からは「店主様」と呼ばれている。

《神》という存在に対して非常に懐疑的であり、宗教を嫌悪し、自ら崇敬される事を極端に嫌う。


ノン

25歳。キャンプに残った《藍玉堂》の女主人を務め、主人公の「偽装上の姉」でもある美貌の女性。

主人公から薬学を学び極め、現在では自分の弟子にその技術を教えるが、あまり威厳を感じない。

肉眼で魔素を目視する事が出来、魔導による錬成を可能とする《錬金魔導》という才能を開花させる。

基本的には暢気な性格であるが、やや臆病な一面も時折見せる。

主人公を「主」として仕え、絶対的な信頼と忠誠を寄せており、彼女だけは主人公を本名で呼ぶ。

また、彼女が行使する魔法陣や《錬金魔導》によって作成された錬成品はピンク色になる事が多い。

《藍玉堂》から能動的に外出せず、引き籠っているので社会通念や金銭感覚に対して極端に疎い。

主人公から《強制融合》で作成して貰った《念話》が付与された髪飾りを一番の宝物としている。


サナ・リジ

25歳。サクロの《藍玉堂本店》に夫であり師でもあるソンマと母アイサと暮らす。

15歳という非常に遅い年齢で修養を始めたが、類稀なる素質と主人公や師の考案した鍛錬法によって僅か10年で上級錬金術師の域に達している。

主に高貴薬の錬成を得意とするが、夫の影響もあってエネルギー材料の分野においても才能を発揮している。

最近はノンに薬学を学びながら、魔法の素養を見出された赤の民の双子の初期教育も担当する。

ノンにとっては主人公を除いて最も親しい人物であり、サナにとってもノンは親友であり薬学の師でもある。

子供の頃に拾ったと言う《魔石》をあしらったチョーカーに主人公から《念話》付与を受けている。


チラ

9歳。《赤の民》の子でアトとは一卵性双生児で彼女が姉とされる。

主人公に「魔術師」としての高い素養を見出され、《藍玉堂》に弟と住み込んで修行を始める。

高い場所から景色を眺めるのを非常に好む。

《空属性》に対して高い親和性がある事が判明し、魔術の修行を始める。


アト

9歳。《赤の民》の子でチラとは一卵性双生児。彼は弟として育つ。

主人公から「錬金術師」の素養を見い出されて、姉と共に《藍玉堂》で修行を始める。

姉とは逆に高い場所を苦手としているが、「高い場所でのイベント」に度々連れ出される。

サナの指導によって「炭造り(遅燃強化)」を始める。

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