表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第五章 南方での争い
122/129

転送と瞬間移動

ちょっと体調を崩してしまい投稿が空いてしまいました。


【作中の表記につきまして】


アラビア数字と漢数字の表記揺れについて……今後は可能な限りアラビア数字による表記を優先します。但し四字熟語等に含まれる漢数字表記についてはその限りではありません。


士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム(メートル)法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


作中世界で出回っている貨幣は三種類で

・主要通貨は銀貨

・補助貨幣として金貨と銅貨が存在

・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚


平均的な物価の指標としては

・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。

・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。

 王宮守備隊長シモフは、女王軍指揮官ネロスから「女王御殿の中庭に転がっていた件について」の事情聴取を終え、もう1人の兵士……ホーロの邑長(むらおさ)、王族でもあるユカペスの私兵であるコーダという若者にも同じように聴取を行った。


コーダはホーロで生まれ育った24歳で、国境森林地帯への遠征隊には輜重兵として参加し……やはり他の者達は全員生命を落としたが、彼だけは隊列の「後方に居た」おかげで生き残れた……と言う風に思い込んでいたようで、その供述は別部隊で生き残ったネロスと非常に似通ったものであり、彼も


「あの国の連中は……自分達から()()()の国には攻めて来ないって……お、俺達がしつこく攻めてくるからって……それで怒って皆殺しにしているんだって……」


生まれて初めて訪れた都……しかも王宮の中にある守備隊詰所で、彼は震えながら供述を続けた。その表情に浮かんでいる「恐怖」の様子は……果たして「自分だけが生き残った」という事に起因しているのか、それとも……突然王宮の()()()()で縛られた状態で保護された事に対するものなのか。


 そして……ある意味で一番の謎。


「全く違う場所の戦闘に参加した2人が一緒に縛られて……しかも王宮内の、よりによって女王御殿の中庭に放置されていた事」


()()については2人からも明快な証言が杳として得られなかった。2人とも、「どうされたのか判らない」の一点張りで、自分達に話を聞かせた「相手の顔」も憶えていないと言う。この辺に非常な「引っ掛かり」を持ったまま、シモフはこれ以上の聴取は断念し、時間も遅くなってしまったので翌朝……女王様が政務を終わらせたタイミングを見計らって、報告に上がる事にした。


 女王様は御殿に引き上げる事無く、政務を行う王宮内の執務室でシモフの話を聞く事にした。


「それで?こちらからの軍勢は()()死んでいるのか?」


「はっ。様々な状況……そして昨日得られたネロス殿の話から、その通りだと思います」


「ふぅむ……。これまでの損失はどれ程になるのだ?」


「はい。過去の記録から算定致しますと、3年間で女王様の軍勢は……」


ここでシモフが言い淀んだので、女王様は怪訝そうな顔をして


「どうした?判らないのか?」


「いえ……女王様の軍勢の損害が概ね11000人……。他にもユカペス様の軍勢に1000人程の損害が発生しております」


「11000……」


女王様は驚きで目を見開いたまま言葉を失っている。この王国の都ケインズの人口は25万人、その周辺地域……「王室直轄領」とも言える首都圏の人口を併せると約40万人だ。女王様自身が把握している、前女王から引き継いだ自らの軍勢の総数は2万人。つまり彼女が気付かない間に、自らへ直属していた兵力の半数以上が失われている計算になる。


 流石に事態の深刻さを認識した女王様は天を仰いだ。恐らくこれは……今の王国、統一王国が成立してから最大の損害であるはずだ。この王国は近年、何度も戦役を経験しているが、「対外戦争」においてはそれ程深刻な損失を出した事は無い……いや、現代まで遺された「信用出来る記録」においては多くても2000人程度の損失で済んでいるはずだ。


対外的なものよりも、むしろ「内戦による国難」の方が大きな傷跡を残し、信用出来る記録も遺されている。この国は建国以来220年の間に「貴族家」による反乱……つまり内戦を2度経験している。そしてその結果として2つの貴族家が改易……つまりは「お取潰し」を受けたわけだが、95年前のホーロを治めていたニルノ家の反乱の際には王国軍側の被害総数は6000人に達した。反乱を起こしたニルノ家側は総動員した8000人のうち2500人が戦死したようだが、王国軍側は6000人の被害の内、戦死者は3000人……そのうち国王軍の犠牲者は1800人に達した。


この統一王国史上最大の内戦でも、その犠牲者は敵味方併せても5500人だったのだ。それが……現在の直近3年間で女王軍だけで11000人が……「死()」ではなく()()()()いるのである。当然だが、これは見過ごす事は出来ないし、国民に発表出来る数字でも無い。テラキア王国の軍制は有力者による私兵制度によって支えられており、その構成は率いる者によって違うのだが……少なくとも女王軍は底層階級の者では無く、「一般市民階級以上」の者で構成されているはずだ。


 国王が治める都では、少なくとも徴兵制では無く、その兵員は全て志願……というよりも「傭兵契約」に近い性質の常備兵制を採用している。テラキアは地域大国とは言え、世界の五大国のような文明先進国家では無く、産業構造も未熟である為……「軍人」と言うのはそれなりに職業として選択されるようである。


但し兵士になれるのは男性だけであり、レインズ王国のような男女平等の社会では無い。まだまだ女性の社会進出が難しい国なのである。


しかし現代においても世界的に最先進国家であろうトーンズ国は、軍隊に関しては男女平等の思想を取り入れていない。と……言っても軍内に「女性が皆無」と言うわけでは無く、主に後方支援の部隊には女性の姿が()()()()見られる。これは完全志願制である軍人採用の時点で「適材適所」を徹底した結果として、戦闘部隊に女性が居ないのだ。


むしろ「完全な男女平等」が実現しているのは《青の子》である。暗殺業を主としていた旧《赤の民》の頃は……隊員の選抜が男子に偏っていたが、諜報組織《青の子》として再始動してからは完全に性別条件は撤廃され、むしろ現在の訓練生は女性の方が多くなっている。


「そこまで被害が大きくなるまで……誰も気付かなかったのか……?」


 漸く……絞り出すような声で女王様はシモフに尋ねた。


「はい。その件につきまして、軍を管理されている3人……そのうちの1人は昨日の件で聴取したネロス殿ですが、他の2人……メダナ様とゴレンド様にも事情を聞きましたが、両者ともに『女王様の命令に従っただけだ』と言うだけでして……」


「私の命令に?私の命令だからと、そこまで多くの兵が失われるのを指を咥えて見ていたと言うのかっ!」


女王様の声に怒りの成分が加わって語尾が激しくなった。シモフは彼女の反応を予め予測していた為か、落ち着いた声で


「女王様の命令もそうですが、神殿側からの『主張』がそれに加わりましたので……。教主様の『お言葉』によれば『北の国が我が国に大いなる災いを(もたら)す』と。どうやらこれは見当違いだった可能性が……」


ここでシモフは昨晩の聴取でネロスとコーダから得られた供述を基に、「北の国の言い分」を女王様に説明した。


「どういう事だ?」


「つまり、北の国に我が国を侵略する意図など毛頭無く、()()は我が国からの出兵を『略奪』と見て反撃防衛したと」


「では教主の言い様は間違っていたと?」


「さて……現実に起こっている状況を考えますと……」


「現実?」


「考えてもみて下さい。只今女王様も驚かれた程の大量の損失を我が国は出してますが、果たしてこの3年間……教主様が説かれるような『北の国からの災厄』はございましたか?普通に考えれば、我が国の軍を『一兵たりとも帰さない』程に苛烈な反撃をしている相手が……見様によっては『執拗に攻めて来る我が国』に対して逆撃の構えを見せてもおかしくはないかと。……しかし()()は沈黙したままです」


「むっ……確かにな」


「それと、相手側からの最後の言葉……『()()を仕向けている者が居るのではないか』という指摘です」


「仕向けている……つまりは……」


女王様の目付きが険しくなった。


「私からは敢えて申し上げる事を控えさせてもらいます」


シモフは目を伏せた。


「教主か……。()()男……。以前から気にはなっていたのだ」


女王様の顔が苦々しいものに変わる。


「私が……亡き母上から今の地位を受け継いだ頃から、おかしな様子を見せていた。ロメイエスにタシバを与えるようにと『助言』を加えて来た時は何も考えずに受け入れてしまったがな……」


「今にして思えば……()()はそれから頻繁にタシバを訪れていると聞く。ロメイエスに……兄に会って『何か』を吹き込んでいるのではないか……それとも逆に操られているのか……」


「ま、まさか……ロメイエス()()に限ってそんな……」


シモフは王兄を「王子」と呼んだ。女王様が、未だ独身で子も産んでいない状況なので……「その兄」に中るロメイエスは現在でも「王位継承順」の筆頭なのだ。


「いや……分からんぞ。()()は子供の頃から『狡賢い奴』であった故な」


女王様は兄の顔を思い浮かべたのか、険悪な目付きになった。どうやらこの双子の兄妹は王位を争っただけでなく、幼少時より既に仲が悪いのだろうか。


 女王様が、実の兄……しかも双子の「片割れ」に対して、このような憎悪を抱くのも無理は無かった。実のところ……先代の女王であるエマプリクトが可愛がっていたのは、病弱な兄の方であり……思春期を迎えてからは事ある毎に母に対して意見を差し挟んで来た妹の方が……寧ろ疎んじられていたのである。


しかし、妹の強硬な申し入れによって長年北方の領土を脅かしていた暴悪な蛮族国家モロヤを滅亡させた上に併合を実現させ、その後も南方の諸国家に対して圧力を掛ける方策を打ち出した果断なる妹……王女に対する宮廷内外の評判は高く、結局その家臣達に押し切られるような形で女王は「死の床」で王女を後継者とする事を容認した……とされる。


その結果……妹の即位に際して「病弱な王兄」は身を退いて「静かに余生を過ごしたい」と申し出たので、新女王はオレシュ教主の進言に従って、「西の外れ」にある寂れつつある街、タシバを与えたのであった。


「教主は……()()と何を企んでいるのか……」


「教主様を取り調べますか?」


「いや……。今、あ奴に対して我らが『強い手段』に出るのは……(信者)の手前、あまり巧い方法とは言えまい。今あの教主を捕えてしまうと……都の内外に居る『年寄りども』が騒ぎ出すやもしれん」


「確かに。それは考えられますね。ではどうしますか?例の……北の村、テトの件については」


「当然だ。出兵を取り止めろ。相手から逆に攻めては来ないのだろう?」


「はい。ネロス殿やユカペス様配下の兵士も言ってました。()()には、この国を攻めるつもりは無いと……」


「しかし()()()は本当なのか?我が軍の半数以上を殺したと言う……()()()が、我らの国を攻めないなど……俄かに信じられないが。形としてはこれまで数年に渡って一方的に『こちらから』攻め続けていたのだろう?」


女王様には相手の……トーンズ国の「やり返して来ない」という態度が信じられないようだ。実際、彼女自身の体験として、長年に渡って執拗に国土の北方を荒らしに来ていたモロヤの所業が許せず、前女王である母親に繰り返し強く進言し、国民の反乱によって無政府状態になった彼らを滅ぼした。


その時の彼女は、まだ11歳であったのだ。11歳の少女が母であるとは言え、女王に決断を迫って「国1つ」を滅ぼしたのだ。この「王女」の行動に対して貴族を始めとする、この国の支配階級の者達の反応は正しく「賛否両論」であった。しかし結局……前女王は死の床で後継者として指名したのは、「強い気性」の王女であった。


 エマプリクト前女王は、国の将来を考えて……自分の政治路線を継続してくれるであろう、兄のロメイエスに後を継がせたかったのだが、貴族を始めとした臣下の大半がインクリット王女の王位継承を支持した。国土に障りを見せていたモロヤは滅び、その領土を併合してから既に8年。他に周囲を騒がす国は存在していなかっただけに、「平地に波瀾を起こす」ような性格をしている娘に王位を継がす事に不安を覚えていたが……既に宮廷内の雰囲気が「膨張派」に傾き始めていたので、死の床にある前女王には……最早()()を抑える事が出来なかったのである。


それでも前女王の「気持ちを汲んだ」者達も当然ながら存在する。その筆頭は王国南部にある大邑エタールを治める女性邑長であるアグリヌである。前女王と同年齢である彼女は、新女王が即位してからと言うもの……南方の小国の併呑には()()()()()()と言葉で躱し、結局は兵を出さなかった。


彼女は現状で「膨張政策反対派」と目されている唯一の貴族ではあるが、彼女ですら特に表立って「派兵反対」を唱えているわけでは無い。単にそう「目されている」と言われているだけであり、本人はそれを「心外である」と語っているのだ。但し、昨年王宮にやって来た際に現女王様から()()()を問い質された際には「反対はしないが賛成もせず」という態度を見せたので、女王様も流石に鼻白んだようだが……何か懲罰を受けたりはしなかった。


インクリット女王からしてみれば、今年でまだ即位3年。まだまだ国内の貴族達の「どれだけ」が自分の「やり方」を支持しているのか判っておらず、9人の貴族家の中でも族長としての経験も長く、保有兵力も大きいノーヴィス族のアグリヌ族長に対して明らかに敵対する態度を見せるのも得策では無い……。そのように判断したようだ。


 結局、9人の貴族家に対して女王様は、その全ての動静を掴み切れていない……というのが現状であり、自分は一応彼ら貴族からの支持によって10代国王に推戴された事にはなっているのだが、具体的に「誰が支持してくれたのか」と言う詳細を聞かされていないのである。


どうやら3年前の前女王崩御に伴い、その継承者を決める……厳密には「兄妹どちらを支持するのか」という談合が貴族家当主によって行われた「らしい」のだが、その談合の結果がどこまで反映されたのか……という事自体が女王は把握出来ていない。何故なら、前女王崩御の3日後に葬儀を終えた直後、突然双子の兄であるロメイエスが「自分は王位を望まない」と表明して、王宮内の自室に閉じ籠ってしまったからであった。


そして「貴族家の談合」と伝わっているが、前述したノーヴィス族の族長は「その場」に出席していない事を公式に表明しているし、実際にその談合の場に参加した各家当主も、「自らの出席」を殊更公言する事はしなかった。どうやらこれは兄ロメイエスの「後継辞退表明」を受けて


「ここで次期国王を()()()()と話し合う事()()が次期国王に対しての欠礼に当たる」


と、言う認識が貴族家当主達に持たれた為に


「ここで集まって話し合った事実は()()()()事にしよう」


と言う同意形成(コンセンサス)が成されたのではないか……と思われている。兄の辞退によって、結果的に「すんなり」と即位した新女王も、この件に対してそれ以上突っ込む事無く「知らないフリ」をしている……そのようなデリケートな事情なのだ。


 そして新女王は即位してから、立て続けに南方の小国を併合して行き……その実情はどうあれ国威を大いに持ち上げた功績によって何時の間にか「インクリット王女の即位に難色を示し、ロメイエス王子を支持していた」貴族(部族長)達が沈黙してしまったのである。


「まぁ良い。今回の件で教主が『あちら側である事』にある程度の確証は持てた。これからは()()()()()認識しておけば、奴らに足を掬われる事も無かろう」


女王様は意外にもサバサバとした態度で教主の蠢動に「お咎め無し」の判断を下した。今後は()()と解った上で宗山と相対せば良い……そう思ったのだろう。


何しろ、ここで教主に対して王権を振りかざして彼を処断……若しくは排除するような動きを見せた場合、太陽神コルの信者達の動揺がどこまで拡がるのか見当が付かないのだ。


もちろん……女王様自身も太陽神を信仰しているし、目の前に居る守備隊長も同様だ。国内で見れば4割程度に留まっている信者数とは言え、テラキア族に限っては恐らく99パーセント以上が「太陽神コル」を信仰しているのだ。


そして女王様も「太陽神への信仰」は寧ろ篤い部類に入るもので、本来であれば彼女にとって太陽神信仰の「教主」というのは尊重すべき存在であったはずなのである。事実彼女も、即位前……王女であった頃は、まだ教主オレシュに対しては()()()()に遜った態度を取っていたのだが……。


 前女王……つまり母が危篤となり、いよいよ「崩御は免れない」という状況になってから「教主と兄の接触」が目に付くようになっていた。教主は女王崩御後の殯葬も司る為に王宮に詰めていたが、その中で頻繁に「兄と会っている」という報告が当時の護衛兼側近であったシモフや、乳母代わりに自分の養育を担当してくれた女官達からも入るに至って、彼女は教主を「警戒すべき対象」として見るようになっていたのだった。


しかし自らの即位が「兄の辞退」という形でアッサリと実現した事によって、教主と兄の件は彼女の頭から一旦離れた。更に兄が「都を出たい」と申し出、()()に言い添えるかのような「教主からの進言」もあって、王室が所有していた「旧貴族領」の中から……最も都から離れた「僻地」とも言える最西の邑タシバを与えた。その後、兄は目立った動きを見せる事無く……邑の経営を自ら行っているのかも怪しい状況で鳴りを潜めていると聞いている。


 だがここで……女王様とその側近たちは、「ある事実」を見落としていた。彼女達自身、最西の邑……現在では辺境とも言われるタシバの町が、160年前までドウマ族……教主オレシュの家系によって治められていた土地だったという事実を認識していなかったのだ。ここに関しては文字文化がまだまだ未発達なテラキア()()()()の失策であろう。


本来であれば文字文化が成熟していなくとも、「その事実を言い伝える者」が王宮内に居てもおかしくないのだが、どうやら「その者達」は意図的に新女王様の周辺から排除されていたのか……それとも度重なる圧政によって土地の古老は死に絶えるか、「北」に逃げてしまったのか……。いずれにしろ、「女王様側」にはタシバという地域とドウマ族の関係、そして更には「ドウマ族と教主の世襲」についての関係すら失伝しているようである。


 女王様は、シモフに対し改めて「北」への出兵停止を軍指揮官達に伝えるように命じる他に……「王兄と教主」に対しても周辺監視を強化するように求めた。「監視の強化」と言っても……対象に「監視しているぞ」と悟られるのも拙いので「監視の質を高めろ」と言った方が適切だろうか。


奇しくも女王様の命令はルゥテウスがイバンに命じたものと同じような内容となり、今後は西の僻地にある寂れかけた街を舞台に、テラキア王宮側と「北の新興国家」トーンズの諜報戦が勃発する事となる。


****


 イバンはルゥテウスからの指令に従い、タシバの街への諜報体制を強化しつつ、今年の新人諜報員達を含めた行商人部隊を幾つか編成して、テラキア南方地域……特に新女王即位後に併呑した地域を中心に探索を進めるようにした。


そして自らはケインズに留まって彼らの言う「太陽教」の本拠地とも言える市内北東部にある《ヌイの丘》の上に建つ神殿周辺を探る事にした。驚くべき事に、《青の子》は既にケインズ及びその首都圏の空中偵察を終えており、ともすればテラキア政府が持つものよりも相当に精密な地形地図すら作成済であった。


イバンはその地図……地形図を基にしてヌイの丘全体を効率良く見張れる位置を3カ所に絞り、その近辺で拠点となる建物を居抜きで購入し、それぞれで小売りの店を始めた。


売り物としては主に前述の南方行商隊に物々交換で持ち帰らせた南方の産物と、更には《空の目(スカイアイズ)号》で輸送させた本国(トーンズ)からの砂糖や小麦を始めとする農産品を取り扱うようにした。


本来であれば現在テト経由で僅かながらに隊商によって入って来ている鉄製の農具や食器も置こうかと思ったが、やはりこの国にとって、トーンズ製の工業製品は品質が高過ぎる為に「余計な目を引いてしまう」だろうと言う事で計画を見直したのだ。


 エスター大陸では元々、その気候帯の違いからか北部では主にメイズ(トウモロコシ)、南部では小麦が主食作物として栽培されていた。そしてサクロ周辺のような湿潤な地域では商品作物として綿花の栽培も盛んに行われていた。


 トーンズ国は、その前身である北サラドス北部の難民キャンプ時代からルゥテウスが持つ記憶によって「先進的な農業技術」が広く導入されており、キャンプ外の地域に比べて面積当たりの生産量が非常に高かったのだが、エスター大陸帰還に伴い……気候的条件が緩和した事によって「二毛作」や「三期作」までもが実現可能となり、生産量が更に跳ね上がったのである。


「せっかくここまで頑張って開墾して大きくした我らの農場」


を放棄する事を惜しみ、キャンプに残ってなかなか「故郷に戻りたがらなかった」農民系難民に、帰還を決意させる「決定的な後押し」となったのが、この「同じ1面の畑から年に何度も、それも色々な作物が採れる」という「魔法のような技術」の伝授であった。


改良を重ねられた小麦の品質も桁外れで、テラキア国内で栽培されているものと比べると粉に挽いた時の色や容積量、そしてパンとして焼いた時の風味や柔らかさも素晴らしく、明らかに他の商店で扱っている物と違っていたり、更に一緒に取り扱っている砂糖はそもそも従来のエスター大陸では非常に貴重なものなので、結局は近隣地域で目立ってしまい……諜報活動の拠点としての用途に供し難くなってしまった。


 イバンも予想外の事態に困惑したのだが……何と取り扱い品の噂が噂を呼んで、丘の上の神殿から小麦と砂糖の買付納入の話が舞い込んで来た。思わぬ「収穫」である。


「何が起きるか分からないものですね。一時は『目立ち過ぎたな』と後悔したのですが」


苦笑するイバンに


「ではどうします?輸送量を増やしましょうか?」


こちらも笑いながら《空の目号》船長のタムが応じる。


「うーん。在庫を大量に抱えるのはリスクがありませんか?」


「なるほど。そう考えると……ウチの国で作っている作物は周辺地域ではかなり貴重なものみたいですな」


 イバンもタムも農業に関しては門外漢である為に、あくまでも「消費者」寄りの見識でしかない。そんな彼らは自分達の国で作られている農産物が、「外の世界」では自分達が思っていた以上に「高品質」と見られている事へ今更ながらに驚いている。


「ひとまずは神殿に納める分を優先的に確保出来ればいいんじゃないですかね」


「了解しました。やはり本国から陸送するのは、輸送中における治安上の問題もありますから……空輸を続けましょうか」


「しかし空輸を繰り返すのも危なくないですか?いくら夜間の運び込みとは言え……偶然に目撃されてしまう恐れもあります」


 イバンが腕を組みながら思案顔になる。《空の目号》には後部機関艦橋からの巻上機(ウインチ)による空中降下機構を備えている。市街地から離れた場所で深夜に物資や人員の降着を行う分にはその《擬態》機構もあって、発見される可能性は限りなく低いが、それでも「絶対」では無い。やはり《空の目号》という「敵に知られていない存在」が発覚してしまうリスクを考えると……これを輸送手段に使うのはやはり考えものであった。


「本国で使われているような『あれ』が使えると楽なのですが……」


タムの言っている「あれ」とは、言うまでも無く《転送陣》の事である。トーンズ国民にとって、「藍玉堂のリジ店長が設置していると信じられている」転送陣は、その国民の大半が「隣の大陸」からの帰還時に使用した経験のある……非常にポピュラーなものである。しかし当然ながら、それはトーンズ国民……元戦時難民達だけの話であり、トーンズ国内やキャンプの外の世界ではやはり魔法ギルドにとってさえ「伝説上の代物」である。イバンやタムも含めて、元難民関係者は最早感覚が麻痺してしまっているが、転送陣は「神の所業」に等しいのである。


もちろん、イバンやタムのような《青の子》の幹部クラスの者であれば、その転送陣が「リジ店長ではなく、店主様によって設置されている」という()()()事情を弁えている。特にタムはルゥテウスがキャンプに現れる前から……つまりは旧《赤の民》の頃から諜報員としてレインズ王国内で活動していた為に、転送陣という……彼がそれまで持っていた常識とはまるで異なる移動手段がもたらす恐るべき効果を知っている。


何しろ、これは彼らの上司であるドロスも身に沁みて実感している事だが……「その存在を知らない者」達にとっては、王都と領都の間を「馬車に乗って10日かかる」事が当たり前の世界なのだ。更に言うならば、領都東側にあるキャンプと、アデン海を隔てた南東の大陸……エスター大陸の、それも500キロ内陸にあるサクロには、その位置関係を正確に把握している者でさえ、ジッパ島を経由する「通常の交通手段」を使えばどんなに早くても1カ月半……それも「無事にアデン海を渡り切る」事が前提の話で、海難事故は当然の事……政情が不安定なエスター大陸に割拠する蛮族が支配する小国をいくつも乗り越えて……という話である。


そんなキャンプ~サクロ間を、転送陣は文字通り「一瞬」で繋いでいるのだ。当たり前だが、そんな事情も知らない「キャンプやトーンズの外で生まれ育った普通の人々」に


「私は隣の大陸から通勤しています」


と言っても決して信じて貰えるはずもないし、そもそもが王国の中心部で菓子を売っているご婦人方(オバちゃん達)


「さぁて。お菓子も全部売り切ったから、ひとまず領都のキャンプに帰って夕飯を頂こうかね」


と言ったところでその言動の意味を理解出来る者など居るまい。何度も言っているが……王都と領都ですら行き来に馬車で10日、徒歩で約1カ月かかるのだ。もっと言ってしまえば、彼ら一般の王国民とは一線を画す移動手段……即ち《飛翔》の魔法を使いこなせる魔法ギルドの精鋭魔術師ですら、どれだけ飛翔魔術が熟達していても両所の移動には4時間以上を要する。


この時代の「距離の壁」に対する概念というのはそのようなものなのだ。本来であればサクロからテラキアの都であるケインズまで、テトから先のルートで南回りをせずに万難を排して陸路を直行出来たところで……通常の移動手段ならば10日は要するだろう。それを「一瞬で」という考え方が出来るのは、「そういう手段がこの世に存在する」という認識を持った者に限られ、皮肉な事に……少し前まで南北サラドス大陸や生まれ故郷のエスター大陸において奴隷に等しい塗炭の苦しみを味わって来た「戦時難民」出身者だけが()()を享受しているのだ。


魔法ギルドでさえ、転送陣は「伝説上の存在」として認識しており……その証拠にそれを初めて見たギルド出身のソンマは、自分の人生で嘗てない程の衝撃を受けていた。


《瞬間移動》の魔法であるならば「自らの肉体だけを()()()()離れた場所に、()()()()の成功率で」転送(投射)する事は各時代に出現している血脈発現者以外の魔導師であれば何人か成功させている。また、第二紀(暗黒時代)に原則単独で活動していた頃ならまだしも、第三紀(王国歴)に入って「魔法ギルド」という職能集団として纏まる事が出来た魔術師達でも、貴重な触媒を消費して、複数の術者による《儀式陣》と呼ばれる集団施術によって《転送》を可能としている。


しかし……それでも彼らはそれを「常用」とはしない。何故なら……やはりその術の行使には「失敗」の危険性(リスク)が常に付きまとうからである。


「空間制御系」と呼ばれる難度の高い魔法は、失敗によって生じる危険もまた非常に恐ろしく、特に瞬間移動や転送による失敗で最も多いのが「転移座標のズレ」によって誤った転移先に「物体」が飛んでしまう事故である。


術者の意図しない座標に転移してしまった結果、「岩の中」や「地面下」に送着してしまい、人間としての生命維持に必須の器官……脳や心臓等の部分が「転移した先に()()()異物」と融合してしまうと、ほぼ例外無く転移実行者は絶命する。《魔導》という存在がこの世界に登場してから3万年余の間……恐らくは記録に残らないような「魔導師による転移事故」は何度も発生しているだろうし、魔法ギルドにおいても……その3000年の歴史の中で儀式陣失敗による転移事故は十数件発生している。


 魔法ギルドはそれらの「事故」を経験しているので余程の事が無い限りは儀式陣使用による「人体転送」は行わないし、これまでの人生において何度か瞬間移動の使用を経験している2人の魔導師もその使用は年に一度あるか無いかの「本部と支部の移動」に限っている。それも転移に万全を期す為に、転移先であるギルド支部側に《場所標(マーク)》の魔法陣を展開して貰い、そこを「目当て」にする事で転移失敗の確率を極限まで引き下げている。


この頃のソンマも漸く()()に慣れて来ているが、ルゥテウスのようにお気軽に、それも無詠唱で瞬間移動や転送を行う事がいかに「危険で高等な魔法使用」である事が窺い知れよう。何しろ彼は物体に囲まれた極めて狭い空間に対しても躊躇無く転移を行い、更には自分以外の人間をも……正確に送っているのである。

そして彼が設置する「転送陣」は()()同士が《場所標》を兼ねるおかげで、「魔法を使えない者達」ですらお気軽に転移を利用する事が可能になっている。彼が難民達の前に出現し、様々な場所に設置した転送網(ネットワーク)において、これまでの10年で累計十数万回にも上る転移が日常的に行われてきたが、転移事故は一度も発生していない。恐るべき転送精度によって、その使用者達がまるで意識する事も無く……この「伝説上の代物」は今日も南北サラドス各地とエスターを結んでいるのだ。


「監督に相談してみます」


イバンが意を決したかのように口を開いた。彼はトーンズ国側における事実上の《青の子》の責任者であるが、彼自身は店主様と直接交信する手段を持っていない。なのでまずは彼との交信手段を持つドロスに相談し、可能であればドロスから店主様に「転送陣設置」をお願いして頂こう……そう思った。


「そうですか……。分かりました。ではそれまでは細心の注意を払って空輸を続けます」


「ヌイの丘の神殿」と、せっかく結べた「糸」を繋ぎ止めようと、彼らはお互いの顔を見て頷き合った。


****


「ん……?そうか。別にいいぞ」


 ドロスの申し出に対して店主はあっさりと了承した。言われたドロスは面喰ったような表情で問い直す。


「よっ、宜しいのですか?」


「ん……?何でそんな事を聞く?俺が拒否すると思ったのか?」


「あ……い、いえ……。やはりそう簡単に『あれ』は置けるものではないかと思ったので……」


「ほぅ……監督はそういう認識なのか?」


「ええ……まぁ。私も店主様によって『あれ』の恩恵を受けさせて頂くようになって久しいですが……。やはり普通に考えて尋常では無い事ですし……」


「まぁ、そうだな。普通に考えれば、ちょっと特殊だな」


「と、特殊と言いますか……。私も長年このような世界におりますと、『あれ』による効果は身に沁みて判っていると言えますので……」


「ふぅん……。まぁ、とにかくだ。必要なんだろ?その……太陽教の()()()を監視するのに」


 自分達の信仰の総元となる神殿を「ねぐら」などと言われている事を知れば……太陽神コル()当人や、その信仰者達が怒り狂うだろうな……ドロスはそう考えて僅かに口元を歪めた。自分も大概「不信心」な者という自覚があるが、我らが店主様の「信仰」に対する不遜は別格だなと……可笑しくなったのだ。


「じゃ、ちょっと待ってろ。今作っちまうから」


「作る……?」


ドロスは一瞬、店主の言っている事が理解出来ずにいると……店主は右手をサッと振った。するとその手には紙片が2枚摘まみ持たれている。ドロスが「えっ?」と目を瞠っている間に、店主は紙片の1枚を目の前に翳す。……すると紙片には何やらドロスには理解出来ない紋様が浮かび上がった。彼がこれまで何度か目撃している、店主が術符……いや()()を作り出す光景であった。


 店主はもう1枚の紙片にも同じような動作で紋様を浮かび上がらせて、都合2枚になった魔導符をドロスに差し出して来た。


「ほら。こっちが《転送符》だ。で、こっちがお前も何度か使っている《結界符》だ。《転送陣》を設置する前に、その場所をこの結界で囲っておけよ。そうじゃないと万が一の際に()()()に見付かってしまうからな」


「あ……なるほど。使用者を選別する必要がありますからな」


「転送陣によって結ばれている地域は、言わばこの世界の中とは隔離されている場所なんだ。そこへ『外部の者』を入れるのは慎重に考えるべきだ」


「はい。私もそう思います。なので今回の場合……人員の移動よりも物資の移動に()()を供するべきかと」


「なるほどな。監督がそのように考えているのならば俺から特に言う事も無い。まぁ、結界の管理だけしっかりな」


「はい。お力添え頂きまして感謝致します。イバンにはしっかりと言っておきます」


ドロスは深々と頭を下げた。2人は薬屋(藍玉堂)の2階から下りて来て、ドロスはそのまま地下に下りて行った。ルゥテウスは作業場の机で何やら薬材を調合しているノンの向かい側の椅子に腰を下ろした。


 つい先月まで……店主はもう一つの生活である「士官学校生」として、時折帰宅が遅くなる事があったが、3月に入ってからは下校時特にどこかに寄るわけでも無く真っ直ぐキャンプに帰って来るようになった為に、夜の配給を集会所で貰うまでの時間、こうして作業場の机に座ってノンや三人娘達の回復薬作成を見守る事が多くなった。


ノンもつい最近まで、三人娘の製薬作業を行っている横で……赤の民の双子に文字の読み書きを教えたりしていたが、地下の錬金部屋でチラが魔術の修養を、アトが炭作りを始めたので彼女も店主と同じように手持無沙汰な状態で弟子達の作業を見守るようになってしまっていた。


彼女にしてみれば、昨年の秋から双子を預かって……色々とその世話を焼いているうちに、漸く半年経って双子が手を離れたと思ったら、弟子達が何時の間にか成長している事に驚いているのだ。


 ちなみに、地下の錬金部屋にはサナが詰めており、アトの炭作りを指導する傍らで自らの修練として《再生薬》の錬成を行っている。やはり高貴薬分野では最高峰の域に入る再生薬の作成は、現在のサナであっても非常に難易度が高いようで、これまで以上のマナ制御の為に長時間の集中や詠唱を要するらしい。


ルゥテウスは目の前で何やら乳鉢で乾燥させた幾つかの薬材を粉砕混和しているノンの様子を眺めていたが、ふと……思い立って声を掛けた。


「そういえばお前……。《転送符》とか《念話符》は作れないのか?」


「え……?」


 ノンは不意に主から声を掛けられて、驚いて顔を上げた。


「てんそう……?あ……。あの、地下にある《転送陣》の事ですか?」


「そうだ。お前も()()に引き籠ってばかりだが、これまで何度も転送陣を使っているだろう?ならばその使用経験を基にして自分で作れるんじゃないか?」


「私がですか……?た、確かあの転送陣というのは……何か凄く大変なものだと、いつか……店長さんが仰ってませんでしたっけ?」


「あぁ……そう言えばそんな事を言ってたな。しかしお前には左程関係無いんじゃないか?」


「そうですかね……?でも一体どうやって……」


「ふむ。ではかなり大雑把に転送陣について説明するか」


「あの……《転送》の魔法を魔法陣に込めているんですよね……?」


「そうだな。では聞くが……《転送》と《瞬間移動》は何が違うんだろうな?」


「えっ……?《瞬間移動》は……ルゥテウス様がいつも目の前から消えるやつ……ですよね?」


「まぁ、そうだな。但し《転送》だって目の前から消えるぞ?」


「あぁ……そうですね……。目の前から消えて……別の場所の転送陣に移るんですよね?」


「ふふふ……では種明かしをするとな……」


ルゥテウスはニヤニヤしながら説明を始めた。


「転送と瞬間移動……両者共に『空間制御術』に属する移動魔法だ。そして両者共に『移動先を予め指定する必要がある』魔法だな」


「予め……?」


説明を聞いたノンが首を傾げる。


「そうだ。転送や瞬間移動の魔法を行使する術者が予め『移動する先』を認識していないと、これらの魔法は完成されない」


「では……行った事が無い場所にはその……瞬間移動は出来ないのですね?」


「まぁ、そういう事だな。更に言うと、『行った事のある場所』だったとしても、その位置情報を精確に把握していないと実際の魔法行使の際に失敗する確率が高くなる」


「位置情報……ですか?えっと……行った事がある場所を憶えておくだけでは……いけないのですか?」


「そうだな。ただ『行った事がある』という記憶だけでは失敗の危険(リスク)が大きくなる。例えば……以前行った時には無かった()なんかが置かれていたら……?」


「石……?もし石があったらどうなるのですか?」


「転移した先に異物があると、その物体と転移者が『同化』……つまり混ざり合ってしまうんだ」


「え……?」


 ノンは息を呑んだ。今の店主の説明が彼女でもすぐに理解出来たからだ。「混ざり合う」……つまりは体の一部に石が混ざり込むのか……或いは自分よりも大きな石であれば、自分の方が石に……。


俄かにそのような想像が頭を(よぎ)って、彼女は小さく身震いした。今までそのような事など考える事無く、地下の《転送陣》を利用していたのだ。普段この《藍玉堂》に引き籠っている為に、それ程多く転送陣を使用しているわけではないが……例えば菓子売りのご婦人方は、「あれ」をほぼ毎日利用しているのだ。


「そっ、そんな恐ろしい……」


「まぁ、そう心配するな。俺の置いた転送陣は、そんなヤバい事にはならないように作ってあるから、これからも安心して使ってくれ」


店主はニヤニヤしながら顔色を悪くしているノンを宥めた。


「ちょっと説明がまだ不十分だったな。では瞬間移動と転送の『違い』の説明を続けるぞ」


「は……はい」


「両者共に、根本的な部分では『空間を制御しつつ捻じ曲げて、任意の地点を結合させる』という超自然現象を起こす技術だ。技術と言うか……魔法だな」


「結合させる……繋げるわけですね」


「そうだ。ただし、お前が今も言った『結合させる』際の手順が両者で異なる。ここが一番の相違点だな」


「え……?」


「《瞬間移動》の場合は、術者が脳内で思い描いた任意の場所に直接自分自身……或いは自分が()()()()物体……これは人間やその他の生物も含めて投射する。それに対して《転送》の場合は転移先に()()作った『場所標』を置いて、そこに対して投射を行う。但し瞬間移動の時とは違って()()()()を転移させる必要が無いんだ」


「えっと……つまり……」


「そうだな……例えば俺が学校から帰って来る時の話を例にするか。俺は今……特に何か急ぎの理由でも無い限り、士官学校からオバちゃん達の菓子屋まで徒歩で移動し、菓子屋の2階にある転送陣を使ってここまで帰って来ている。これは理解出来るな?」


「はい。以前にルゥテウス様に王都に連れて行って頂いた時と同じ()()()ですね?」


「そうだ。つまり菓子屋の2階にある転送陣から、ここの地下にある転送陣に飛んでいるわけだ。まぁ、これは《転送》という魔導による移動だな」


「そ、そうですね……《転送陣》から《転送陣》への移動……だから《転送》ですね」


「では……そうだな。学校の帰りに『ちょっとした急ぎの用事』を思い出したから、菓子屋まで戻らずにその場で結界を展開して、さっきと同じく……ここの地下の転送陣に飛んだ。これはどうなる?」


「えっと……転送陣に飛んでいますから……転送……ですか?」


自信無さげに答えるノンに対して、店主はニヤニヤしながら告げた。


「半分正解で、半分ハズレだな」


「えっ?で、でも……転送陣を使っていますよね?」


「そうだな。《転送陣》は《場所標》代わりに使っているが、別にだからと言って《転送》というわけじゃないんだ」


ノンは主の説明が途中からひどく難解になっているのを感じながら……それでも必死に理解しようとするのだが……。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド

15歳。主人公。33000年にも及ぶ「黒き賢者の血脈」における史上10人目の《完全発現者》。

現在は「真の素性」を隠して母の特徴を受け継いだ「金髪、鳶色の瞳」に外見を偽装している。

性格は非常に面倒臭がりなのだが、どういうわけか色々な事象に巻き込まれて働かされる。

滅多に怒らないが、頻繁にボヤく。ノンの弟子には基本的に省エネ対応に徹する。

レインズ王国で差別を受けていた戦時難民を導いて、故郷の大陸にトーンズ国を創らせた。

現在はキャンプにて薬屋《藍玉堂》を経営。トーンズ国関係者からは「店主様」と呼ばれている。

《神》という存在に対して非常に懐疑的であり、宗教を嫌悪し、自ら崇敬される事を極端に嫌う。


ノン

25歳。キャンプに残った《藍玉堂》の女主人を務め、主人公の「偽装上の姉」でもある美貌の女性。

主人公から薬学を学び極め、現在では自分の弟子にその技術を教えるが、あまり威厳を感じない。

肉眼で魔素を目視する事が出来、魔導による錬成を可能とする《錬金魔導》という才能を開花させる。

基本的には暢気な性格であるが、やや臆病な一面も時折見せる。

主人公を「主」として仕え、絶対的な信頼と忠誠を寄せており、彼女だけは主人公を本名で呼ぶ。

また、彼女が行使する魔法陣や《錬金魔導》によって作成された錬成品はピンク色になる事が多い。

《藍玉堂》から能動的に外出せず、引き籠っているので社会通念や金銭感覚に対して極端に疎い。

主人公から《強制融合》で作成して貰った《念話》が付与された髪飾りを一番の宝物としている。


ドロス

54歳。難民キャンプで諜報組織《青の子》を統括する諜報一筋の男。

難民関係者からは《監督》と呼ばれている。シニョルに対する畏怖が強い。

内務省と魔法ギルドの対立工作の陣頭指揮を執りながら、ナトスがエリンに魅了された一件について再調査を行う。


イバン

26歳。《青の子》隊員。ヒュ―とホーリーの息子でニコの兄。ラロカの甥。アイの夫である。

伯父譲りの鋭い観察眼と、ドロスも認める冷静な判断力を持つ若者。ドロスの後継候補であり、現在はトーンズ国側における《青の子》の指揮官を務める。

ドロスが編み出した《警棒術》の名手で、その完成を目指す側面も持つ。


タム

37歳。《青の子》に所属する古参の諜報員。既婚。

旧《赤の民》の領都支部に暗殺術を持ち帰ったラロカを尊敬しており、嘗ては暗殺員を志望していたが視力の良さを見込まれ、諜報員として育てられた。冷静且つ温厚な人柄でラロカやイバンからの信頼も厚い。

エスター大陸帰還事業初期からエスター大陸側で諜報作戦に従事しており、現在はラロカの甥であるイバンを後見しつつ、新造された《空の目号》の船長を務める。


****


インクリット

22歳。テラキア王国第10代国王。

女系氏族であるテラキア王室における、統一王国の女王として、双子の兄を差し置き即位する。

王位継承者の頃から果断な性格の持ち主であり、即位後はこれまでの理知的統治から「力による膨張政策」に王国の統治を大きく転換させる。その為か王国の支配層の中にも反発している者が多い。


シモフ

41歳。テラキア王国王宮守備隊長。

女王インクリットが即位する前からその身辺警護を務め、彼女の即位後は守備隊長に就任した人物。

女王の側近と目されている。

女王の信頼が極めて厚く、王宮で発生した「事件」の解明について特命を受ける。


オレシュ

51歳。テラキア太陽信仰の祭主。

過去に断絶したドウマ家が信仰祭主を世襲するようになってから9代目の祭主。現在はケインズの都にある神殿の奥で祭祀を執り行っている。

王宮に対して「北の国」がテラキアへの侵略準備をしていると訴えている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ