王宮への届け物
【作中の表記につきまして】
アラビア数字と漢数字の表記揺れについて……今後は可能な限りアラビア数字による表記を優先します。但し四字熟語等に含まれる漢数字表記についてはその限りではありません。
士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。
物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。
・距離や長さの表現はメートル法
・重量はキログラム(メートル)法
また、時間の長さも現実世界のものとしております。
・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日
但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。
・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年
・4年に1回、閏年として12月31日を導入
作中世界で出回っている貨幣は三種類で
・主要通貨は銀貨
・補助貨幣として金貨と銅貨が存在
・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚
平均的な物価の指標としては
・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。
・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。
以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。
テラキア王国から2方面同時に侵攻して来た「遠征部隊」は結局、「これまで通り」という感じで各個撃破された。
テトに押し寄せて来た部隊は、これまでに比べてその規模は3倍近いものであったが、それを事前に空中からの偵察によって察知していたトーンズ側も、首都サクロから増援を派遣し……テラキア軍はまたしても要塞化されたテトの外壁に触れる事すら出来ず一方的に殲滅された。
また、テラキア北部の要衝であるホーロから繰り出された1000人足らずの「北方遠征部隊」も、やはり事前の偵察によって進路が細かく分析されており、両国の境界に横たわる国境低木森林地帯から出て来た地点で待ち構えていたトーンズ側の「機動弩兵」によって同じく殲滅された。
しかし今回……いつもとは違っていたのは、「店主様の命令」によって両部隊に対して故意に「討ち漏らし」を作り、弩兵隊によって蜂の巣にされずに逃げ出せた敵兵をそれぞれ1人だけ「生け捕り」にした事である。店主の注文通りに1名ずつ、無傷で捕虜を連れて来た優秀さに店主も笑いながら
「よしよし。ご苦労さん」
と、防衛隊員達を労った。
「して……この者達をどうされるのですか?」
テトにあるトーンズ軍駐屯地の中で、念の為に厳重に縛り上げられている2人の捕虜を眺めながらラロカが店主に尋ねる。
「どうって……そりゃアレだ。こいつらを伝令役にするのさ」
「伝令役?」
「そうだ。こいつらはわざと国に返す。それも確実に都まで送り届けるわけだ。途中で邪魔されるのも面倒だしな」
「え……?我々が送り届けるのですか?こいつらに自分の足で帰らせるのではなく?」
横で聞いていたロダルが驚いている。
「うむ。こいつら……まぁ、本人達はそもそも何で自分は『北の国』に攻め込もうとしていたかも解っていないだろうが……こいつらを『送り出した』連中は知っているはずだ。それも『今まで送り出した連中が誰一人帰って来ない事』もな」
「ま、まぁ……そうでしょうな。我らも一応……一人も帰さないようにやっておりましたし……」
「そこだ。一人も帰さないから、バカな『あいつら』は状況が理解出来ずにいるわけだ。少しはマシな脳味噌がある奴らであれば、警戒するはずなんだ。考えてもみろ。奴らは既に全軍の1割以上を喪っているはずなんだぞ?」
「た、確かに……言われてみれば」
「普通は『こりゃヤバい』とか『何かがおかしい』とか警戒するだろ?でも、奴らは懲りずにまたぞろ侵略軍を送って来る。もうこのやり取りが3年以上も続いているんだろ?」
苦笑しながら説明する店主の言葉を聞いて、老市長も将軍も大きく頷く。どうやら彼らもこの「異常性」に気付いたようだ。
「つまりは……この前の『空中偵察』の時に話したように、トーンズに対して出兵する事を『唆している』奴が居るって事さ。それもどうやら……女王の双子の兄貴だっけか?そいつを担ごうとしている奴らまで居るそうじゃないか」
「あぁ……はい。私も先日、イバンから聞きましたわい。兄妹喧嘩に我が国を利用するとは……怪しからん奴らですな」
親方が只でさえ怖い強面で、殊更に怒りの表情を見せたので、ロダルは逆に可笑しくなって笑いそうになってしまった。
「イバンからは、何か新しい話を聞いたか?」
「あぁ……いえ。今、奴は自ら『あちらさんの都』に潜り込んでいるようですぞ」
「ほぅ……イバン自らか?」
「はい。向こうの諜報体制が余りにもザルなので、自ら行って一度全部調べ上げて来ると……」
「ふぅん……。まぁ、奴の事だからそのうち帰って来るだろ。どうせ帰りは飛行船で回収して来るんだろ?」
「どうもそのようですな。夜中に行って都から少し離れた所で乗り降りしてしまえばいいのだとか。……全く凄い乗り物ですな。あれは」
「ははは。そうだな。店長は、あれを基にして『新型』の設計をもう始めるとか言ってたぞ」
「何と……!あれにまだ改良の余地があると?」
「どうやらそのようだな。多分、音がちょっと大きいのが気に食わないんじゃないか?」
「ああ……!確かにそのような事を言ってましたね。店長さんは」
ロダルも、思い出したように「あの日」の様子を口にした。
「まぁ、その事はもういい。そのうち何か報告があるだろう。どうせ俺に何事か相談して来そうだしな」
店主はニヤニヤしながら
「さて。とりあえずはこいつらだ。『いつものアレ』でやっちまうか。面倒臭いし」
店主のお気軽な宣言に対して2人は身震いした。その昔……あの魔法ギルドからやって来た「凄腕の魔術師」ですら、目の前の店主がまだ幼児だった頃に……いとも簡単に暗示を刷り込まれたのだ。2人はその「光景」を直接目にしており、あの時の……あの凄腕の魔術師が催眠に掛かった際に見せた「トロンとした目」を思い出したのだろう。
更に言えば、今現在においても王国の中枢に近い高級内務官僚で暗示を掛け続けられている者が居り、その者を通して内務省の内幕を監督が絶賛盗聴中であるはずだ。
先日の「昼間でもその存在が見えない飛行船」の事と言い……我がトーンズ国はどうやら他の国々を色々な面で圧倒している……2人はそう思わざるを得ないのである。
2人が呆れ半分、畏れ半分で眺めているうちに……店主は目の前の縛り付けられた「捕虜2人」に対して、何やらブツブツと吹き込んでいる。2人は完全に「嵌められて」しまっている様子で、緩慢な様子で半目になっており、店主の呟きに対していちいちコクンコクンと頷いている。最後に店主は「いつものように」右手の指をパチンと鳴らすと、2人はそのまま項垂れて、意識を失ってしまった。
「よし。色々と刷り込んでおいた。お前らも何か『女王様への伝言』はあるか?あるならついでに刷り込んでおくぞ?但し悪口は止めた方がいいな。女王様を無暗に怒らせても仕方あるまい。余計な犠牲者が増えるだけだ」
店主の物言いに親方が笑い出し、ロダルも我慢出来なくなって吹き出した。
「ではいかがしますか?この2人……今夜にでも飛行船で都……ケインズでしたか。そこに運びますか?」
「いや、それも面倒だろ。俺が直接送り込んでおくさ。そうだな……女王の寝室だと侵入者として処断されてしまう可能性があるな。王宮の中庭にでも捨ててくるか」
そう言って店主は、捕虜を縛っていた縄をそれぞれ両手で掴みながら姿を消した。2人は一瞬驚いたが、最早お馴染みの光景に
「やれやれ……『南方の大国』やらもついとらんな……よもや手を出した先に店主様がいらっしゃるとは……」
親方が頭を振りながら呆れ気味に感想を口にすると
「そうですね……女王様に同情すらしたくなりますよ……」
ロダル将軍も応じて、2人はそのままそれぞれの仕事に戻った。軍隊指揮官のロダルは駐留兵の交代の様子を確認しに行ったが、老市長は近々に工事が開始される見通しが立った「鉄道駅」の用地確保の視察に来ていたのだった。
サクロとテトを結ぶ鉄道網が開通する事で、この「村」もサクロ都市圏に名実ともに編入される。物資と人員の往来が爆発的に増加して、一気に発展するだろう。
南方の大国との間に、大規模な紛争が勃発する可能性すらあるこの時期においても、トーンズは時間を惜しむかのように発展を続ける。今や様々な人材が育ちつつあるこの先進国家は、「たかが蛮族との争い」如きで、その歩みを止める事は決して無いのであった。
****
……その日の夜。
テラキア王国の都ケインズの中心に建つ王宮内では、大変な騒ぎになっていた。何しろ王宮内……女王が居住する女王御殿区画の中庭に、縄で縛られた上に猿轡を嚙まされた兵士2人が打ち捨てられたように転がされていた。それも女王の部屋の窓からしか見えない「絶妙な位置」に置かれるという念の入り様で……最初にそれを発見したのは、他でも無いインクリット女王本人であった。
女王様は夕暮れになって、中庭部分の照明に灯が入れられたので、ふと……窓から中庭を見下ろしたところ、灯りの当たる花壇の死角部分、どうやら「この窓」からしか見えない部分でなにやら「大きく細長い物体」が2本……絡み付くかのように蠢いているのを、不意に目にしてしまった為に半狂乱に陥った。
女王様の叫び声を聞いた女官達が何事かと女王様の私室に駆け付けたところ……女王様は窓の外、階下の中庭を指差しながら
「何かっ!何か居るっ!禍々しい何かが居るっ!」
と喚き散らした。年配の女官長が窓に恐る恐る……と言った様子で近寄り、女王の震える指が指し示す辺りを見下ろすと、確かに何かがモゾモゾと蠢いているように見え、彼女はショックでその場で卒倒してしまった。
ここから騒ぎは更に広がり、王宮の守備兵が本来であれば「男子禁制」であるはずの女王御殿に多数駆け付けて来るという事態となり、混乱が余計に拡がってしまった。
とにかく、兵士2人が放り出されていた場所も、拘束具合も巧妙で、女王様がそれを見つけ出すまで、御殿の中で立ち働く者達の目には全く触れないような場所……中庭に設置された大して明度の高くない外灯の明かりが当たらない、「影」となるような位置であった。それが第一発見者の女王様をして
「影の中で蠢く何か」
に見えてしまったのだろう。結局、槍を構えた守備兵5人が花壇を前に半包囲しながらジリジリと近寄り、守備隊長が龕灯で「蠢く何か」を照らし付けてみると……それは手足を縛られて、猿轡まで噛まされた2人の軍人風体の男達で、そのうち1人は「女王軍」……つまり王室直属の兵士、それも指揮官の恰好をしている者であった。
どうやらロダル率いるテト派遣軍はご丁寧にも敵軍の指揮官を故意に生かして捕えたようだ。意外にも「丁寧な仕事」をしたものである。
龕灯を当てた王宮守備隊長が、「顔馴染み」の女王軍指揮官の縄目を解いて猿轡を外すと、その指揮官はぐったりとした表情で
「たっ、助かった……」
と、言ったきり……そのまま気を失ってしまった。もう1人の男は、身ぐるみを剥がされて、鎧下の肌着姿でいたので身元が中々判明しなかったのだが、本人の申告でホーロの邑長、ユカペス麾下の軍に所属していた者であることが判明した。
守備隊長はひとまず2人を守備隊舎に移し、急ぎ女王御殿に取って返して、卒倒した女官長の代わりを務める年配の女官に謝罪の上で、「あれは緊縛された兵士であった」事と「これから大至急事情を聞き出し、判明次第ご報告に上がる」旨を伝え、女王様に「お取次ぎ」を願った。
女王様は大層ご立腹で、「あのような物体」が自らの私的空間である「御殿の中庭」に放置されていた事に「恐怖半分怒り半分」という態であったようだ。
守備隊長シモフは今年41歳になる苦み走った雰囲気を持つ中年将校だが、普段から女王様の信頼は厚く、女王様直々に「今回の件」について「お前が主管となって捜査せよ」と仰せつけられた。尤も……王宮内の、よりによって女王様の個人的な生活空間に外部からそれなりに大きい「不審物」を、それも2体置かれたのは明らかに守備隊の失態である。シモフもそれが解っているので、目に怒りの炎を宿しながら王宮、そして都の市街に捜索の手を広げた。
俄かに王宮方面から蜂の巣を突いたような騒ぎが起きて都全体が騒然となる中……とある酒場の2階にある借部屋……つまりは宿屋の一室で、この騒ぎを窓から眺めている者達が居た。
《青の子》の指揮官であるイバンと……そしてもちろん、この「騒動」を引き起こした張本人である。
「何だか……一気に騒がしくなりましたね」
「うーん。結構時間が掛かったな。俺は昼過ぎにはあそこに『荷物』を置いて来たんだが……」
「えっ!?白昼堂々とやられたのですか?」
「まぁ……白昼堂々というのは大袈裟だがな。あの王宮を上から眺めて、狙い通り……女王の目に直接止まるように『置き場所』を工夫したら、却って他の奴から見つかり難い位置になっちまったがな」
ルゥテウスは笑い出した。イバンも苦笑しながら
「しかしそのおかげで、『反女王側』の妨害には遭わずに済みますね」
「そうだな。これだけ騒ぎが大きくなれば、最早揉み消しは不可能だろう」
「はい。どうやら『連中』は、王宮内にも人を入れているようです。意外にも『反女王側』は人数を揃えているようですよ」
「ふぅん。どうなんだ?何か動静について新しい情報は掴んだのか?」
「はい。その事ですが……少々厄介な事になっているようですね」
「ほぅ?どういう事だ?」
「店主様は、この国……と言いますか、『テラキア族』の伝統的宗教についてはご存知ですか?」
「テラキア族の……?つまりはお前がこの前説明してくれた220年前だっけか?今の王国が建つ前に連合国家の一員だった頃からの話か?」
「はい。現在のテラキア王国内における最大部族はテラキア族なのですが、それでも全国民の2割程なのだそうです」
「ふむ。つまりは全人口の2割に当たるテラキア族が、他の部族を支配していると?」
「はい。基本的にはそのお考えで宜しいかと思います。テラキア族はあくまでも『王室』と『王族』として支配しているだけで、9家の『貴族家』は健在ですので」
「ああ、連合国家時代の各国……部族長の末裔だな?」
「はい。但し……今回の件はその貴族家が問題でして……」
「ほぅ……。最初はもっと居たんだよな?」
「はい。この前もご説明致しましたが、統一王国建国当初は14家ございました。それにテラキア族を併せて元は15の『小国』が寄り集まった連合国家を形成していた……という事になりますね」
「ふむふむ。つまりは220年経って5家は『消えた』って事か」
「はい。3家は無嗣断絶です。まぁ、これも怪しいのですがね……」
「後継者が故意に排除されたとかか?」
「どうやら、これまでの歴史で3家のうち2家は当主よりも先に『継承候補者』がこの世を去ってしまった為に絶家に至ってますね」
「なるほど。ちょっと怪しいな」
「特に、160年前なんですが……『ドウマ族』と言う貴族家が断絶した時は、当主が儲けていた男女4人の子供が全て早世しておりまして……そのうちの2人は明らかに『不審死』だったようです。更には当主の1人だけ居た弟も成人に達する前に亡くなったそうですね」
「弟も含めて5人も居て、誰も継げなかったのか。そりゃ明らかに『クロ』だな。しかしアレだな……。よくそんな160年前の出来事なんて掴めたな。大したもんだ」
店主は笑ったが、イバンは逆に驚きの表情を隠せず……
「ど、どうして……どうして店主様はそのように思われたのですか……?」
「ん?いや、だって……この国はそれ程『文字の記録』を残さない文化だろう?しかも明らかに王室の陰謀を思わせる内容だ。文字による記録を当時は残したとしても『禁書』扱いになるだろう。にも関わらず、160年経った今でも『5人の継承候補者が全員早世した』なんて記録を残している方が不自然だわな」
「なるほど……やはりそこが気になりましたか……」
「ふむ……。どうやらその様子だと……その情報源自体に何かあるんだな?」
店主は相変わらず小さく笑っている。「何もかもお見通し」と言った表情だ。イバンはすっかり「お手上げ」と言った様子で苦笑しながら
「実は、このドウマ族が冒頭に申し上げた『テラキア族の伝統的宗教』に絡んでくるのです」
「ほう?」
「ドウマ族は元々、テラキア族とは『同じ神体』……つまり『太陽神コル』と言う神を信仰しておりまして」
「ふむ。一神教か」
「はい。私もまだこの太陽神信仰については俄か知識なのですが……どうやらテラキアではこの太陽神コルへの信仰を『国教としたい』という動きが統一国家建国以来続いているようです」
「なるほど。まぁ、それでも全人口の2割しか居ないんじゃ国教化には時間が掛かりそうだな。しかも一神教だろ?だとしたら『血』を見るな」
「厳密にはドウマ族系の国民も含まれますので、多少は積み増しはありますが、それでも信者の数は全国民の4割程度に留まっているようです。建国以来220年、布教に力を入れた結果として国民の4割まで増やした……という教勢具合ですね」
「まぁ、そんなもんだろうな。一神教の場合は、他の『神体』の存在を許さない場合が多いだろうし、あまり強引にやると却って他宗教信者から反発を受けるだろうしな」
「はい。私も正直申し上げて……自分自身が宗教に対しては否定的な性分ですので……」
イバンは頭を掻いた。しかしこれはイバンだけに限った話では無い。2つの大陸に跨って虐げられてきた難民によって建てられたトーンズ国では、以前にも書いたが「神の存在」を否定する者が圧倒的に多い。「自分達の前半生であんな境遇を味合わされた」彼らにとって「神など居るわけが無い」という考えを持つのは致し方無いのだ。
彼らにとって「クソの役にも立たない神」などは必要無く、強いて言えば自分達を救い上げてくれた「トーンズ」という国自体と、その国家創設の流れを長年に渡って築いて来たトーン大統領やセデス首相……そして何より彼らを導いたと言われる「青の子様」こそが「信仰の対象」に成り得る存在として大き過ぎるのである。
「そうか……まぁ、そりゃ仕方無いわな。で……?」
「あ、はい。話を続けますと、その『太陽神信仰』についてなのですが……実は現在、その教線を握っているのは先程話に出て来たドウマ族でして」
「うん……?どういう事だ?」
「ドウマ族は160年前の無嗣断絶があった際にも、族長の一族自体が絶えたわけでは無く……確か……ちょっと待って頂けますか」
そう言うとイバンは懐から「いつもの手帳」を出した。中のページをパラパラと捲り、目的の記録を見付けたようで
「あっ、ありました。断絶する前の最後の当主であったピエナンという男の姉が、嫁いだ先で2男2女を産んでいたそうでして」
「ほう。女系で傍系か。その子供達は後継者候補には出来なかったのか?」
「どうでしょう……?その辺りの事情については記録が残っておりませんでした」
「しかし、王室の女系相続が認められているのであれば、今お前の言ってた『族長の姉が産んだ4人の子供』にも族長継承権を与える事は可能だったはずだ。それが認められなかったってことは……つまり『継がれたら拙い』という意識が働いたとしか言えないわな」
「あっ……そういう事になりますね!つまり、今の話によってドウマ家の断絶が『仕組まれたもの』である傍証になるって事ですか?」
「うむ。お前の言う通りだ」
店主が肯定すると、イバンは何かに合点したかのような顔付きになった。自分の話を聞いた「知恵の神」によって、新たな「確証」が提示された事で……他の何かを確信したような様子だ。
「何か気になる事があるのか?」
「はい。どうやら店主様のお話によって……今回の件の『からくり』が解けたかもしれません」
イバンは何やら嬉しそうな顔をしている。
「話を続けさせて頂きますと、ピエナンの姉が産んだ4人のうち……末娘のキャノという女性が、成人した後に『太陽神の祭主』なる者に選ばれたのです。それ以来……キャノの家系が太陽神信仰の教線を代々握り続けているのですよ」
「えっと、祭主ってのは……救世主教で言うところの大僧正みたいなものか?」
店主はこの世界で、恐らくは最も教勢の強い「救世主教の頂点に立つ存在」を引き合いに出した。彼自身も当然ながら宗教には無関心であるし、もっと言えば嫌悪すらしている。なので、そこまで「あの連中」の内部事情には詳しいわけではないが、「現代社会の常識」として救世主教を例に出して尋ねたのだ。
「そうですね……店主様のご認識で間違い無いと思います。現在の祭主はキャノから数えて9代目のオレシュという男だそうです」
「ふぅん……つまり、族長家としてのドウマが断絶した直後から、『祭主家』としてのドウマが始まったわけか?」
「はい。正にその通りです。そしてここが肝心な部分なのですが……」
「ん?」
「ドウマ家が族長家……つまりテラキア王国の貴族として治めていた『邑』がタシバという西方の街でして……現在その『邑長』となっているのが王兄であるロメイエスなのです」
「ん……?病弱だって言ってた女王の兄貴が、祭主家の故地を治めている……」
店主は腕を組み、顎に手を当てて考え込む素振りを見せる。彼の脳内ではイバンから与えられた情報を基に状況分析が凄まじい回転速度で実行されているのだろう。イバンはその様子を黙って見守った。
「なるほどな。そういう事か。くっくっく」
店主が笑い始めたので、イバンは漸く勇気を出して言葉を掛けた。
「な、何か……お解りになられましたか?」
「さっきの……祭主の名前……何だっけか?」
「えっと、現祭主ですか……?オレシュです。今年で51歳だそうですよ」
「恐らくは、そいつが『黒幕』だろうな。王兄は既にそいつに『落とされた』か……。もしかしたらもう、この世には居ないかもしれんな」
「え……!?ロメイエスがですか?」
「うむ。但し、『傀儡』と言う形で生かされているかもしれん。今後の調査方針は決まったな」
「どのように?」
「お前はこのまま、ここに留まってテラキアの内部事情を探り続けるんだろ?」
「はい。そのつもりです」
「ならば、お前はそのまま『探り』を継続しろ。えっと……タシバだっけか?その『西の街』ってのは」
「はい。タシバはテラキア西部の……と言うよりも最西にある街でして。人口は4万人程。テラキア国内では『大きな邑』とは言えないようです。ドウマ家が治めて居た頃に比べて、年々衰退しているようでして。軍勢も王兄の親衛軍として2000人規模が存在しているだけだそうです」
「なるほどな。つまり王兄自身は軍事力を持ってないわけだな。まぁ、黒幕は祭主家だろうから武力は実際それほど重視する必要は無いな」
「店主様が、祭主であるオレシュを黒幕と看ていらっしゃるのは何故なのでしょうか?」
「うん?あぁ。それはな……祭主家にとって今の女王様が執っている膨張主義は、鬱陶しいにも程があるんだよ」
「え?」
「だって、太陽神信仰……まぁ面倒臭いから、これを『太陽教』と呼ぶが……太陽教の信者は国民の4割程度なんだろ?220年掛けて他の部族の信者は2割しか増やせなかったと。それなのに今後も女王様のおかげで、『国の規模』がどんどん大きくなって行くんだぞ?」
「あ……」
「いいか?恐らくお前の言ってた『4割』ってのは女王様が即位した直後の数字だろう。それから5年だっけか?それだけの期間に南で6カ国も併合しちまっている……。さて。そうなると4割しか居ない教勢はどうなる?」
「た……確かに」
「一神教ってのはな、『実力を伴った布教』じゃないと教勢を増やす事は困難なんだ。テラキアのような教育水準の低い国では、土着信仰を蹴散らすのが大変なんだよ。だから祭主家は220年……いや160年かけて『じわじわ』増やしているわけだ」
「同じ一神教である救世主教だって同じだ。奴らは今では『世界宗教』とも言える教勢を誇っているが、それは数千年かけて地道に布教を続けているからなんだ。そんな救世主教ですらこのエスター大陸の蛮族には手を焼いて、結果的には撤退しちまっている。これは『奴ら』の総本山の連中も知らんだろうが、救世主教の『救世主様』は、このエスター大陸の産まれなんだぞ?」
「えっ!?そっ、そうなのですか!?」
「『救世主様』の名前はパーサク。今から11000年近く昔の人物で、その『正体』は魔導師だ。まぁ、詳しい話は割愛するが、奴が生まれたのはエスター北部……当時はまだ『死の海』が出来る前だがな」
「奴は、中年になった頃に起こった『天変地異』に際して自分の生まれ故郷の人々を始めとして世界中を巡って被災者の救済に人生を捧げたらしい。それが基になって世界中で『救世主伝説』が生まれたんだ」
「『天変地異』を起こしたのが自分の先祖である」という部分は省略して、店主はイバンに「救世主様」について語った。実際、今では「異端」とされている「黒は悪魔の色」という教えを唱える一派はこのエスター大陸に留まって教線を繋いでいる。彼らはこの地で生まれた救世主様の教えを今でも「忠実に」守っているのである。
「そんな救世主教ですら、この大陸での布教から手を引いているんだ。太陽教の布教がいかに困難であるか……恐らく祭主家の者は代々の体験として教え伝えているはずだ」
「なるほど……」
「つまり祭主家にとっては女王様がどんどん国土を膨張させる事は歓迎すべき事態では無いんだ。あまりにも急速に国の領域が広がると……別の宗教が出現して、取って代わられるかもしれないからな」
「そういうものなのですか……」
「これがな。今のテラキア国内の……まぁ9割くらいの国民が太陽教ならいいんだよ。国民の大多数が太陽教信者であれば国政に対して影響を及ぼせる。つまりは『太陽教布教ありきの国土拡張』が行えるんだ。しかし太陽教はまだそこまで教勢が強くなっていない。だから『掛け金のチップを増やして大勝負』するには時期尚早なわけさ」
「なっ……なるほど。では祭主家の『狙い』は……女王の排除ですか?」
「うーん。女王の排除……その先にある『祭主家が統治する宗教国家』の建国かな。確かに、王兄という存在を押さえているのならば、今がそのチャンスだろう」
「そういう事ですか……」
「これは俺の推測だが、『建国時の2割』から『現代の4割弱』への増加というのは、恐らく『貴族家の断絶』が大きく関係していると思う。断絶した貴族家の領地を王家が召し上げて王族に治めさせる。そこから何代か重ねると、領民も自然と太陽教に『鞍替え』しているという寸法だな」
「あぁ……なるほど」
イバンは自分達が調べ上げて来た情報を基に、そこに考察を加えてくれる店主の言葉に感心しきりである。よくもこれだけの情報で……そこまで「読み切れるのか」と……。
「そういうわけだ。祭主家の意向としては……『これまでの緩やかな理知的な統治に戻す』のと同時に、自分の傀儡となった王兄を次代の国王に据えて『宗教国家化』を目指すつもりだろうな。何しろ残された時間が少ないと思う。『北の国』に出兵を唆すという無茶を繰り返しているのも、それが原因だろう」
「えっ!?時間が無いとは?」
「女王様が王配を迎えて子供を産んじまったら、『王兄』と言うカードが使えなくなる。女王はもう22歳なんだろ?俺の感覚では、既に婚期が遅れているように思えるぞ。お前らのような一般庶民じゃねぇんだ。『止んごとなき方々』ってのは、王権の安定が懸かっているからな。なるべく早いうちに後継者を作りたがるもんなのさ」
店主はニヤニヤしながら「高貴な身分の御家」の事情を説明した。
「で、では……我々も急ぐ必要があるのでは……」
「そうだな。とりあえずタシバの諜報員を増やせ。主な目的は『王兄の動向』だ。生きてるのか死んでるのか。生きてるなら、その様子はどんなもんなのか。それと祭主家だ。そいつらはどこを根城にしているんだ?」
「あ……はい。祭主はこのケインズにある『大神殿』を代々管理しているようです。既に青の子の者を雑用で2人潜らせました」
「おぉ。手が早いな。では祭主家も監視対象にしろ。恐らく……『反女王派』は王兄ではなく、オレシュだったか?今の祭主の方と接触を持つはずだ」
「しかし、国内の貴族家は表向きは別として、太陽教を信仰していない者だってかなり居るでしょう?そいつらは祭主に協力しますかね?」
「何も宗教国家の実現の為に祭主に協力する必要は無くて、『理知的統治への回帰』だけでも十分な『反女王』の理由にはなるんだ。貴族どもにとってはな。女王のイケイケな膨張政策によって軍事的負担が増大するのは、奴らにとっても相当なストレスになるはずだ。現に兵站維持の為に国民から絞らないといけないし、それが原因で逃散が続いているんだろ?」
「あ……確かに。そこに繋がるのですか……」
「とにかく、俺達からすれば兄妹喧嘩を勝手にされるのは構わんが、その『とばっちり』でこっちに出兵を繰り返されるのを止めればいいわけだ。そこだけは忘れるなよ?まずは王兄側の陰謀を女王側にバラす。そこから先はまた後で考えよう。隊員に無茶をさせるなよ?」
「はっ!色々とご教示頂きましてありがとうございました!」
「また何かあったら監督経由で連絡をくれ。ではな」
そう言って店主は姿を消した。相変わらずの慣れない光景にイバンは目を白黒させながら
(凄い……あそこまで読み切って頂けるとは……)
と、改めて《青の子様》の智謀に震えが走るのであった。
****
王宮守備隊の詰所に運び込まれた2人の兵士、片やテト遠征軍の指揮官であったネロスは数時間後に意識を取り戻し、王宮守備隊長シモフから尋問を受ける事になった。ネロスは40歳。年齢はシモフの方が上ではあるが、守備隊長というシモフに対して……彼は女王軍を率いる3人の指揮官のうちの1人で、「軍人の格」としてはネロスの方が上であった。
しかし今回のシモフは女王様から「特命」を受けている。更にはシモフ自身に「今回の件は守備隊の失態」という意識があるので、自然とその態度も厳しいものになった。
「ネロス殿。あなたは確か……20日程前に兵を率いて『北』に向かったと思ってましたが、何故あんな場所であんな姿になっていたのですか?」
「シモフ殿……確かにあなたの言う通りだ。俺は……北に向かった。あの……何度か兵を送って、全く戻って来ない状況でメダナ様とゴレンド様と話し合い……俺が直接兵を率いて、この目で確かめようと思ったのだ」
「目標は……私も以前から聞いていましたが、あの……『北の国』に占領されていると言う、村ですよね?何時だったか……行商の者が申していた」
「そうだ。あの商人は『テト』と呼んでいた。何時の間にやら北に生まれていた国に占領されてしまった為に『まともな商売が出来ない』と……言っていた村だ」
「しかし、あの時……ネロス殿は言っていたじゃないですか。『あの村は遠過ぎるから急ぐ話ではない』と……」
「確かに……。占領されたと言っても、あの村は元々は我らの住む場所から離れ過ぎている。『トッポリ』の麓にあると……商人に聞いていたのだが……」
ネロスの言う「トッポリ」と言うのは、彼らテラキア人が「中央山地」に対して使う呼称だ。
「トッポリには『大いなる災い』が住んでいる」
と言う伝承がテラキアだけでなく、連合国家時代の他部族においても伝わっており、普通のテラキア人はそこには近寄ろうとは考えない。しかし古い時代から、その周辺にはいくつか集落が作られている事も同時に知られており、それらの地域へ細々と交易を行う者達が居た。
その行商人からの訴えで
「5年以上前に、テトの村が突然……北からやってきた者達に占領されて、我々の商売が厳しく制限されている。幸いにして相手は我が国の威光を恐れてか、直接的な危害は加えて来ないが……住民達は怯え切っていて、『北の国』について何も教えてくれない。『奴ら』はそのうち力を付けたら我が国の領土も奪いに来るだろう」
という話を数年前から繰り返し聞いていた。そして彼らが「テト」との交易で持ち帰って来る「北の国の産物」はどれも驚くべき高品質なもので、特に鉄製品には目を瞠るものがある。どうやら今はまだ、それほど勢力を拡げている様子は無いが、テトの中における「情報の遮断」を見ても、我々に対して決して友好的とは言えず……将来必ずや「大いなる災厄」を齎す……。そのように「主張する者達」も増えている。
何しろ、この「北の国」の存在がテラキア王宮に知られるようになってから僅か5年足らず。こちらから何度も外交使節を送っているにも関わらず、まるで返答が無い。返答どころか、「奴ら」の縄張りと思われる場所に入ろうとすると、「力尽くで」追い返されると言う。こちらとの接触を悉く拒んでいる存在なのだ。
「女王様のご命令により、これまで9度……『テト』の救援に兵を出した……しかしこれまで誰一人として、『北』から帰って来ないのだ。何が起きているのか……送った兵達はどうなっているのか……。我らで話し合った結果、俺が直接確かめに出向いたのだ」
「つい3年前くらいまで、『あそこは遠いから気にするな』と自分で言っていたのにですか?」
シモフは再び、過去のネロスの発言に対して突っ込んで来た。ネロスはやや顔を強張らせて
「神殿からも訴えがあったのだ。『このままでは我が国もテトと同じ運命になる』と。『北』にはトッポリに棲んでいるような『災い』が生まれていると……」
「神殿……?あの、ヌイの丘にある『コル様の神殿』からですか?」
「そうだ。神殿から……以前から何度かそのような話が来ていたのだが、近頃は教主様までもが『北の災厄』を口にされているとな」
「何と……!教主様までもが?」
シモフは驚きの声を上げた。「教主様」とは「神殿」で祭祀を司る、祭主オレシュの事である。彼は滅多に人前には出て来ず、神殿の最奥にある「太陽の間」において、神殿の祭神である「太陽神コル」と交信に努めていると言う……。その教主様が「俗世」に対してお言葉を下したと言うのだ。
「シモフ殿はご存知無かったのか?」
「ええ……。私も女王様の身辺を護る者ではありますが……。そのような話は全く耳にしておりませんでした」
「そうなのか。俺は直接は聞いていないが、メダナ様は女王様からの命令を受けたと言っていたぞ」
「では……女王様は教主様からのお言葉を受けて、メダナ様に?」
「俺はそう聞いた。だから軍勢をテトに向かわせたのだ。最初は何人か居る隊長達に率いさせたのだがな。だが……向かった者達はこの3年間……誰1人として戻って来なかった」
「3年もそのような……誰も戻らない軍勢を送り続けたのですか……?」
シモフの尋ね様は、聞く方にとっては「そんな無駄な事を3年も繰り返していたのか?」と言われているようなものだが、ネロス……いや、女王軍側にも言い分があるのだ。
「例の行商隊は、ちゃんと戻って来ているのだ。奴らは自らが申す通り、テトの中で色々と制限を受けているようだが、変わらずこのケインズに戻り……これまで通り、質の良い品々……特に鉄製品を持ち帰って来ている。我が国からの使節は拒んでいるのに……だ」
「なっ……た、確かに……」
「しかもだ……。俺の知っている限り、あのテト……それに先年、何者かによって破壊された『その北の村』や、ケインズへの帰りに通るスモウやメーズでは、そんなに注目すべき産物は無かったはずなのだ。にも関わらず、近年になってから急に……テトからは鉄製品を持ち帰るようになった。いずれも食器や農機具などだが……我が国で作られている物よりも恐ろしく品質の良い物ばかりだ」
ネロスという男も、この年齢で女王直属の軍勢を率いるトップ3の一角を担うだけあって、元々は優秀な人材なのだろう。彼は軍人であると同時に政治家としての資質を持ち、特に自国の周辺地域の情勢に対してそれなりに気を配っていた。
そんな彼の目から見たテトを始めとする「トッポリの西側地域」の情勢は、一言で表すと「質素」であった。テラキア側から持ち込まれる塩や畜産物に対して、彼らからは僅かに収穫される農産物……小麦や綿糸が主であり、工業製品などは精々……綿織物程度だったはずなのである。
それが彼ら行商人が訴える「北の村が滅んで、テトが占領された」後の交易獲得品は、彼らの言い分に反して劇的に変貌している。農産物が殆ど扱われる事が無くなり、その代わりに質が相当に高くなった綿織物、そして驚くべき事にテラキア国内でも貴重とされる鉄、それもどういうわけか錆びない鉄を使った皿や匙、そして鍬や鋤などの農機具が混じるようになり、更にはこれまで見た事も無かった酒やタバコなどの嗜好品まで入って来るようになった。
どう言う事なのか……。「北」に興った「新たな国」とは……滅亡したとされる「テトの北の村」の辺りにそれが出現したとは聞いている。そしてその国は短い期間でテトまでも占領して閉鎖し、行商隊を村の隅にある「玄関区画」までしか立ち入らせないと言う。
しかし「そこから」得られる物は前述の通り、驚くべき高品質のものであり……その技術力の高さが窺い知れる。テラキアとしては別に
「彼らを侵略して、その全てを奪おう」
とは思っていない。彼らとは「距離の壁」もあるし、そもそもが得体の知れない者達なのである。現在は新女王の方針で南方への拡大に注力しているだけに、敵対する事無く努めて「友好的」に接しながら、その高度な物品の輸入の拡大が実現出来ればいい……テラキアとしては当初その程度に思っていたはずである。
しかし近年……「その方針」を揺るがすような報告が女王様の耳に届き始めた。元より、「北の国」はテトにおいて行商隊の行動に厳しい制限を課してきているという不満はよく聞かれ、更には国からの使節も立ち入りを拒まれる状況が続いていたのだが……何時の間にか
「北の国は我が国への侵略を狙っている。テトの占領は、その『手始め』であり、いずれテトを拠点にして我が国の領域に攻め入って来る。テトの北にあった村は、『奴ら』の占領を拒んだ為に破壊されて滅亡した」
という噂が立つようになった。そして時を同じくして「神殿」からは
「北から災厄がやって来る。国は滅ぼされ、王家も貴族も……悉く奴婢の身分に堕とされる。我が国から逃げた奴隷や……我が国が吸収した国々の遺民達が北に逃げ込み……我らへの報復を訴えているのだ。『太陽神の教え』に従わない愚かな者達が……コル様への冒涜となる行為を企んでいる!」
と言ったような訴えが届くようにもなった。
正しくテラキア王国は「内憂外患」と言ったところ……のようにも見えるが実はそうでも無く、南方での征服事業は順調そのものである。特に10年前に北西の「蔑むべき野蛮人」であったモロヤを滅ぼしてからは、『北』からのちょっかいが無くなったので、南への軍事行動に集中出来るようになり、南方の小国を次々と併合している。これも新しく王の位に就いた若きインクリット女王の勇略によるもので、そもそもが王女時代の彼女の果断な方針によって長年北西の境界を侵していたモロヤを滅ぼす事が出来たのだ。
その後も新女王の威風によって、我が国は建国時の統一以来……最大の版図を築いている。現在のところ、その「やり方」に破綻は見られない……と思われていた。
しかし……ネロスがこの後吐き出し始めた「北での出来事」は、そんなシモフや……女王様さえも驚愕するような内容であった。
「我らからこれまで繰り出していた軍勢……それは悉く潰されていた。そう……我らが知っての通り1人も……1人も帰る事無く『侵略者』として1人残らず処断されていたのだ」
「なっ!?1人残らず……全員ですか?」
「そうだ。奴らの強さは尋常では無い。これまで見た事の無い『矢のようなもの』が信じられない距離から飛んで来るのだ。しかも奴らは我らが『どこに居る』のかを全て把握した上で、その場所へ正確にそれを撃ち込んで来るのだ。まるで1人1人の『急所』を正確に狙ってくるかのように……」
「何ですと?」
「相手はどこから我々を撃って来るのか分からない。そしてそれが始まった頃には、もう我々は逃げる事も出来ない場所まで……多分引き付けられているのだろうな。そこに正確無比な精度で『矢のような』……いや、矢にしては短か過ぎるものが撃ち込まれて来るのだ。その証拠に……俺は兵に囲まれながら指揮していたが、俺の周りの者も含めて……俺以外の兵だけが全員殺された。生き残ったのは……全くそれに当たらなかった俺だけだった。俺の命令を無視して逃げようとしていた兵までもが……逃げるその後ろから頭を撃ち抜かれていたよ……」
「そ、そんな……」
「気が付くと俺は『奴ら』に囲まれていた。奴らは馬に乗っていた。他の者達が全員斃れて……俺が気付くと、既に囲まれていたのだ。100人は居たかな……。何か『弓を寝かせたようなもの』を取り付けた……恐らくは他の兵達を皆殺しにした『短い矢のようなもの』を飛ばす武器なのだろうな。それを向けられて囲まれていた。『動いたらそこらへんで死んでる奴のようにするぞ』と言われてな。俺は仕方無く降伏したのだ。そこで抵抗しても無駄だと思ったし、何より皮肉な事だが……初めて、『奴ら』と言葉を交わす機会を得られたのでな」
ネロスは苦笑いを浮かべた。苦笑い……と言うよりも自虐的になった自身に対する失笑にも見えた。
「して……ネロス殿は、その後どのように……」
「俺はそのまま、恐らくテトだろうな。見た事も無いような外観の砦のような場所に連行されたのだ。見た事も無いような……素晴らしく細かく精巧に作られた『石』の砦……恐ろしく堅牢に見えた。あれは多分……我々がこれまで繰り出していた千や2千の軍勢では破れない。いや万の軍勢でも怪しいな……。まさか、『貧しい村』だと聞いていたテトが……あんな風になっているとは思わなかった。行商人どもめ……テトがあのようになっているとは……全く言ってなかったわ」
「本当に……そこはテトだったのですか?」
「ああ。間違い無いと思う。そこで相手側の指揮官と思わしき男と言葉を交わした際に、何度もそこがテトであると話に出て来たからな。俺は間違いなく『テト』に拘束されたまま連行されたのだ」
「そうですか……で、結局どのような話を?そして何故その後……あのような場所に?」
「そうか。そう言えば俺は今、シモフ殿から事情聴取を受けていたんだな。ならば今から俺の話す内容を女王様に伝えて貰おうか」
ネロスは再び苦笑いを浮かべた。一方のシモフは真剣な表情で彼を見つめている。「女王様に申し上げろ」と改めて言われ、緊張した面持ちになっているのだ。
「まず、奴らには我が国を侵略する意図など全く無い。我々が何年も前から重ねて兵を向けている事を呆れた様子で批難された。『お前らが周りの蛮族のように攻めて来るから皆殺しにしていた』と言われたよ」
「何と……!?ばっ……蛮族!?我らが蛮族ですと!?」
「そうだ。まあ落ち着いて聞いてくれ。奴らは何やらあの場所に落ち着くまでに、色々と苦労したらしくてな。やはり蛮族に滅ぼされたらしいテトの北の村の跡地に同じ境遇の者達が集まって村を作り直したのだそうだ。だから自分達に向かって兵を向けて来る者は、奴らにとって全て『蛮族の略奪者』と見做しているのだそうだ」
「そんなっ!先程のネロス殿のお話では『向こうから攻めて来る』と……」
「いや、そうでは無い。神殿からの訴えで『この国に災厄が齎される』と聞かされたので我らはその機先を制してテトに兵を出したのだ」
「そっ、それでは……」
「そうだ。現状、奴らから我が国に対して侵略など全く意図して無い……と言うのが『向こう』の言い分だ。奴らは過去の体験で『蛮族に襲われる』という事を極度に気にしている。だから我々の事も『南に住む蛮族』程度にしか思っていないのだ。それ故に……我らとの関わりを一切絶って、ひたすらに村の発展だけに注力していたのだと」
「一度滅ぼされた村の跡地に……他から逐われて来た者達が集まって……」
シモフは相当にショックを受けているようだ。彼にとってこのテラキア王国は、この地域においては随一の超大国であり、賢明なる新女王の下で建国以来の最盛期を迎えている。国土も当然ながら最大版図まで拡がっており、少なくとも彼自身は若い頃に比べて生活も相当に「豊かになった」と実感している。
そんな「この国」を、「蛮族」として警戒している者達が……北の廃墟跡に集まって再起を図り……今は「国」まで造っている。そして相変わらず我らを蛮族と見做して交渉すら拒んでいる。
そして……そんな彼らに対して、我々は「災厄が起こる」という神殿の言葉だけで繰り返し兵を出していたとは……。
「奴らは『無害な近隣者』として出会ったテトと独自に交易を行っていたが、そのうちテトの側から……奴らとの『合邦』を望んだのだと。奴らはな……あの巡回隊商が我々の周辺偵察の『手の者』だと既に見破っているのだ。だからこそ、村の中には入れずに、適当に物を交換する振りだけをして態良く追い返していたのさ」
ここまで、ネロスが口も滑らかにシモフに語っている内容は全てルゥテウスが彼の脳内に書き込んだ「作られた事情」が基になっている。
ルゥテウスがネロス、そしてもう1人捕えたホーロからの遠征隊に所属していた「コーダ」という若者に……
・我々は蛮族に滅ぼされたテトの北にあった村の跡地に大陸各地から寄り集まって来た難民である。
・これまでの辛酸を嘗め尽くした経験から、お前達「南の奴ら」も蛮族であると見做している。
・蛮族とは交渉するつもりは無いので、お前達からの使節は一切相手にしない。
・但し我々自身は蛮族ではないので周囲を侵略するような真似はしない。
・テトとは、向こうから併合を申し入れて来た。同じ「略奪に怯える同胞」として迎い入れる事にした。
・お前達が送り込んで来ている隊商の正体は知っている。お前達からの襲来に備えてテトの防備を整えたところ、案の定お前達がせっせと略奪兵を送り込んで来るので撃退している。
・我々は蛮族の略奪を決して許さない。だからお前達の略奪兵はこれからも1人として逃がさないし助命も考えない。
・もしもお前達が……略奪目的で我々に対して兵を出しているなら、それを「仕向けている奴」が居る可能性がある。いい加減に略奪しに来るのを止めさせないと、これからもお前達の死体が増えて行くだけだ。
このような内容で《暗示》を刷り込んだ。流石に「自分達は隣の大陸からやって来た」とは言わず、あくまでも「蛮族を忌み嫌っている」という内容に留めているし、最後にさりげなく「お前達を煽っている奴がいるぞ」というメッセージを織り込んでいる。《暗示》を刷り込んだ本人は、これを女王様本人に直接伝えさせたかったようだが、それでも「彼女の側近」とも言える人物に「警告」として伝える事には成功したようだ。
「俺から話せることはそれだけだ……。さあ、女王様にお伝えしてくれ。これまで大勢の兵を死なせてしまった俺は、どんな罰も受ける。女王様にお詫びすると……伝えてくれ」
そこまで言うと、先程まで自虐的な笑いを浮かべながら事の顛末を語っていたネロスは突然肩をガックリと落として俯き、嗚咽を漏らし始めた。
「俺は……何と愚かな事をしてしまったのだ……。神殿の……あの坊主どもの言葉に踊らされ……一体何人の兵を失ってしまったのか……ぐぅぅ……」
「ネロス殿……」
シモフは年少の指揮官に掛ける言葉も見つからず……そのまま彼が悔悟の涙を流すのを見ているだけであったが、やがて意を決したように
「分かりました。今聞いた事を女王様にお伝えします。この後、女王様がどのようなご判断をされるのか分かりませんので、すみませんが……この隊舎にてお待ち下さい」
項垂れて肩を震わせるままのネロスをその場に置いて、シモフは立ち上がり……隊舎から出て女王御殿へと向かった。
(これは……大変な事になったな。今までどれだけの兵を「北」に送ったんだ?全員死んだだと?そんな事が……あり得るのか?我が国の勇士達が……)
守備隊長の顔色はどんどんと悪くなって来ていた。彼はどのように「この惨状」を女王様にお伝えしたらいいのか……途方に暮れながら御殿への廊下を歩いていた。
【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ
ルゥテウス・ランド
15歳。主人公。33000年にも及ぶ「黒き賢者の血脈」における史上10人目の《完全発現者》。
現在は「真の素性」を隠して母の特徴を受け継いだ「金髪、鳶色の瞳」に外見を偽装している。
性格は非常に面倒臭がりなのだが、どういうわけか色々な事象に巻き込まれて働かされる。
滅多に怒らないが、頻繁にボヤく。ノンの弟子には基本的に省エネ対応に徹する。
レインズ王国で差別を受けていた戦時難民を導いて、故郷の大陸にトーンズ国を創らせた。
現在はキャンプにて薬屋《藍玉堂》を経営。トーンズ国関係者からは「店主様」と呼ばれている。
《神》という存在に対して非常に懐疑的であり、宗教を嫌悪し、自ら崇敬される事を極端に嫌う。
ラロカ
62歳。初代サクロ市長。イバンの伯父。
エスター大陸から暗殺術を持ち帰った元凄腕の暗殺者で《親方》と呼ばれる。
新国家建国後、首都サクロの市長となり変わらずイモールを補佐する。
羊を飼うのが巧いという特技を持ち、時折主人公に妙案を進言して驚愕させる。
実弟であるヒュ―は《青の子》本部の真上に建つ《藍玉堂領都店》を経営している。
愛用のペンに主人公から《念話》の付与を受けている。
ロダル
39歳。トーンズ国軍を率いる将軍を務める。アイサの息子で三人兄弟の次兄。シュンを妻としている。
嘗ては暗殺組織《赤の民》にて十数年に渡って訓練を受け、新米暗殺員となっていた。
主人公に、その統率力と度胸を見出されて軍指導者としての薫陶を受ける。
主人公にとっては武術の一番弟子に中り、得意の得物は棒術。
元暗殺員としての身ごなしもあって個人戦闘能力も非常に高いが、主人公譲りの用兵術も備えている。
暗殺員として訓練に入る際にラロカから贈られた投げナイフに主人公から《念話》付与を受けている。
イバン
26歳。《青の子》隊員。ヒュ―とホーリーの息子でニコの兄。ラロカの甥。アイの夫である。
伯父譲りの鋭い観察眼と、ドロスも認める冷静な判断力を持つ若者。ドロスの後継候補であり、現在はトーンズ国側における《青の子》の指揮官を務める。
ドロスが編み出した《警棒術》の名手で、その完成を目指す側面も持つ。
****
インクリット
22歳。テラキア王国第10代国王。
女系氏族であるテラキア王室における、統一王国の女王として、双子の兄を差し置き即位する。
王位継承者の頃から果断な性格の持ち主であり、即位後はこれまでの理知的統治から「力による膨張政策」に王国の統治を大きく転換させる。その為か王国の支配層の中にも反発している者が多い。
シモフ
41歳。テラキア王国王宮守備隊長。
女王インクリットが即位する前からその身辺警護を務め、彼女の即位後は守備隊長に就任した人物。
女王の側近と目されている。
女王の信頼が極めて厚く、王宮で発生した「事件」の解明について特命を受ける。
ネロス
40歳。テラキア王国の女王軍指揮官。
女王直属の軍を率いる3人の指揮官の中では最年少だが、軍事だけでなく政治にも気配りが出来る優秀な人物。
度重なるテトへの侵攻軍が「1人残らず未帰還」という状況で、事態打開の為に自ら大軍を率いてテトを目指したがロダル率いるテト防衛隊に完敗した。
唯一の生き残りとして捕らえられ、主人公から《暗示》を刷り込まれた。
主人公に祖国へ送り届けられた後は女王への「伝令役」として利用される。
オレシュ
51歳。テラキア太陽信仰の祭主。
過去に断絶したドウマ家が信仰祭主を世襲するようになってから9代目の祭主。現在はケインズの都にある神殿の奥で祭祀を執り行っている。
王宮に対して「北の国」がテラキアへの侵略準備をしていると訴えている。