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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第四章 戦乱の大陸
119/129

(第四章エピローグ)いつか訪れる落日

今回で長かった第四章が終わります。今思えば、章題である「戦乱の大陸」をルゥテウス様の学生パートと、トーンズ国パートの両方に掛けようとした為に、時間進行が遅くなってしまった事を反省しております。主人公の「二重生活」を中々上手く、テンポ良く書き上げる事が出来ませんでした。次章からはもう少しテンポを上げたいと思っております。



【作中の表記につきまして】


アラビア数字と漢数字の表記揺れについて……今後は可能な限りアラビア数字による表記を優先します。但し四字熟語等に含まれる漢数字表記についてはその限りではありません。


士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム(メートル)法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


作中世界で出回っている貨幣は三種類で

・主要通貨は銀貨

・補助貨幣として金貨と銅貨が存在

・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚


平均的な物価の指標としては

・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。

・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。

「あっ、あ、あ……()()()()は……」


 ヨハン・シエルグは言葉を失い……暫くその「姿」に()入った。


既に夕闇が迫り……元より窓が東側の中庭に面しているこの応接室は暗くなるのも早いのだが、それでも目に眩し過ぎない程度に(しつら)えられた室内照明。その光をも呑み込むかのような……真っ黒な髪。それは古の神話……北方部族の反乱を僅かな兵で鎮めた少年公爵。年の頃は……丁度目の前に立つ若者くらいだろうか。


何年も……十年を過ぎても治まらない未曾有の大反乱。当時の国王には()()を鎮める気概に乏しく、腐敗した貴族達……いや、軍部も他人(ひと)の事は言えない。軍幹部は軍人、官僚問わず上から下まで「自らの保身」だけを考え、北方の蛮族達の反乱を取り鎮める事を全く考えず、その能力にも欠け、蛮族達が「オルトニルの崖線帯」を越えて来ているのにも関わらず、失態の責任を互いに押し付け合っていた。


 当時はその本拠地を、「ラーナンの()」に構えていた北部方面軍約8万人は、反乱軍との3度の衝突で完膚なきまでに敗れて四散してしまい、「北の防壁」を突破した反乱部族は勢いに乗って南下拡大を続け、「建国の街」ドレフェスを次の狙いに定めた。


レインズ王国は建国して1500年、7度目にして初めて北方反乱部族の勢力拡大を許し……この「軍事的大失態」は王都の軍首脳たちに大きな衝撃を与えると共に、責任転嫁の応酬を生み出す結果となった。


北方の軍事都市ラーナンは蛮族により徹底的な破壊と略奪を受け……逃げ遅れた軍民併せて7万人が、街と運命を共にしたと言う……。1000年余り後に、王国が大北東地方を放棄するに至った際……その南限に当たる場所で廃墟と化していた古代都市ラーナンを再建し、「新たな防壁」としてラーナン()が築かれる事となる。


 ドレフェス包囲を目論む蛮族を止める為に、更には「王室の藩屏の高貴なる義務」を果たす為に……そして、「武門の気概」を示す為に、領内の兵を掻き集め、自領の防衛を放棄してまでドレフェスの救援に赴いたのは……当時の第45代アルドレ・ヴァルフェリウス公爵だけであった。


他の拝領諸侯は北部方面軍の敗北と壊滅の報に接して完全に怖気付き、各々王都から領地に逃げ帰り……そのまま領地に引き籠って自領の防衛準備に勤しむ者が大半であったと言う。大王の建国事業を支え、その統一の過程で軍門に下った有力部族の子孫達は1500年後に起こった王国最大の危難に対して全く役に立たなかったのである。


 領都オーデルから領兵約2万人を率いてドレフェスに直行した公爵率いるヴァルフェリウス軍は、辛うじて反乱軍の主力5万人がドレフェスに到達する手前で()()を捕捉し、攻撃を開始したが……反乱軍主力との戦闘は10日間に及び、その間に続々と()から、ラーナンの略奪などに参加していた後続の反乱部族達が到着するに至って、最終的にドレフェス周辺には20万を超える北方反乱軍が満ち溢れて「唯一の救援者」である公爵軍を()()()完全に包囲する事態となり……公爵軍は、その当主と共に10倍もの敵に磨り潰されて消滅した。


ドレフェスを救えずに戦死したアルドレ公の家督を継いだ、王都に住まう「若者」は……誕生直後から殆ど人前には姿を現さなかった。上流階級の社交界ではそんな彼の事を「病弱」、「身体的奇形」、「精神病」などと散々に噂していたが、その髪は……産まれた時から驚く程に「真っ黒」であったと言う。


 父の葬儀を王都の屋敷にて、王室にも告げず簡素に執り行った若者は……ついにその姿を公の場に現す。怒れる「黒髪の新公爵」は、()()を阻む者を「実力」で排除しながら単身で王宮の奥にまで押し掛けて、怯えるマナヌス王を目の前に引き据えた。


『我が父は高貴なる義務の下に殉じた。陛下(貴様)もこの国を建てた大王の末裔として、戦場に立つべし』


今にもその拳で自分を撃ち殺すかのように睨み付ける「黒い公爵さま」に対して、暗愚な王は泣き叫び……出陣を拒み、若き黒髪の新公爵に許しを乞うた。


『ならば我に兵権を渡されよ。心弱き王に代わり……我が力を以って蛮族を掃滅せしめん』


この時、震える王に代わり……兵権を委ねる『証』として、黒髪の新公爵に与えられたのが、後に「元帥杖」と呼ばれる事になる「黄金の短杖(バトン)」であり、これを授けられたジューダス・ヴァルフェリウスは史上初の「王国軍元帥」に任じられたとされている。こうして兵権を与えられた新公爵は、「元帥、最高司令官」となって王国軍を率いる事となったが、当時の陸軍は既に腐敗し切っており……その招集に応じる者は諸侯の軍も含めて皆無であったと言う。


 これに怒った「黒い公爵さま」は腐敗した爵界、そして王国政府と軍部の高官を次々と粛清し……最終的には王都に残っていた公爵家の私兵100人だけを連れてドレフェス方面へと出陣した。現代においても王国各地で吟遊詩人などによって歌われ続ける「黒髪公と100人の勇者」の題材となった逸話(エピソード)である。


現代に僅かながらに残る1500年以上の歴史を保つ貴族家は、この時の粛清を辛うじて逃れた者達の末裔であり……彼らは「自分の家はジューダス公に従って家を保った」と喧伝する為に、この歌を殊更領内で歌う事を奨励している家が多い。


公爵領内に居た他の私兵は、守備兵すら既に先代公爵に殉じてドレフェス救出戦で壊滅しており、若きジューダス・ヴァルフェリウスは……彼の育った王都に僅かながら、彼自身への護衛として父が残してくれていた「最後の臣下達」を率いて包囲され続けているドレフェスに向かったのだ。


 その後の話は……今でも「神話」として、特にドレフェス地方において語り継がれている。詳細な記録も数多く遺されており、この話が決して公爵家を喧伝する為の「与太話」では無い事を示している。


ドレフェスを囲む蛮族の群れと、その後の北東地方から拡大を続けていた反乱勢力を僅か19日で掃討した若き黒髪の公爵が王都に凱旋した時の様子も、様々な文献に遺されているが……その中でも軍務省に保管されているものには


『王都西の門から、唯一騎。王城に向かう若き公爵の髪色は、()()()()()()()()()()()ような漆黒であった。その黒き髪は()()()()を思わせるものであり……』


という記述がされている。西の門……後世「ジューダス門」と呼ばれる大門からノガル(西門大)通りを一人騎乗で進む若き公爵を王都の人々は固唾を飲んで見守り、通りは自然と人が避けられて……「黒い公爵さま」に声を掛けたり、近寄る者は皆無であった。


しかし公爵が通り過ぎた後には人々の喜びと熱狂に満ちた歓声が湧き起こり、王城に達した公爵が、謁見の間において彼自身が出発前に実行した大粛清に震える暗愚な王に「元帥杖を放り投げる」という描写で神話は幕を閉じる。


 この後、公爵は王都を去って領都(オーデル)に戻り……生涯王都に出て来る事は無かったが、王都を去る際……僅かにその粛清から逃れて生き残った貴族や軍の指導者達を西門前に集め


「王国が腐敗する時、我が『血脈』が必ずや()()を『正す者』を遣わすだろう。例えそれが()であろうとも……だ。(ゆめ)忘れるべからず」


と、静かに言い残して領都に旅立って行ったと言う。


「『正す者』……あっ……あ……」


 ヨハン・シエルグは王都で生まれ育った者として、そして軍人、武人として……町道場で槍を習い始めた子供の頃から「ジューダス公の神話」は本に穴が空く程読み繰り返している。


これまで王国軍において4人しか任じられていない「元帥」という地位に初めて就いた人物……総数30万超とも言われた「北の反乱勢力」を僅か100人の領兵(勇者)を率いて撃滅した「神話の英雄」。「神話」などと言われているが、それは多くの文献にも残る確たる出来事であり……これまでの王国史上に5度出現した「黒い公爵さま」と呼ばれる存在の一人。


「じゅ……ジューダス公……あなた様は……こっ、公爵家の……」


ここまで漸く口にする事が出来たシエルグ卿は、目の前に立つ「真っ黒な髪」の若者の様子が……自分の知る「ジューダス公」とは()()違うという違和感を感じ……()()にもすぐに気付いた。


そう……この若者は髪だけが真っ黒なのでは無い……。先程まで「赤みの掛かった茶色」だった瞳までが真っ黒なのだ。


(目……瞳までもが……黒い……まるで……飲み込まれそうだ……)


老人は再び言葉を失ったまま立ち尽くしている。


「俺は公爵家の人間では無い。()()公爵家にはもう……お前らの言う『黒い公爵』が現れる事は無い。この国はもう……()()()()()()()()()()決して無いのだ」


若者が口を開いた。先程と声音は同じだが……余りにも変わり果てた姿のせいか、()()は重々しく……まるで人々を超越した「何者か」が発しているように聞こえる。


「あ、あなた様は……目まで……目も……。まっ、まさか……!」


 この王国に住まう者の中でも、恐らくそれなりに教養があるシエルグ卿は……一応、軍に残っている文献にもある程度は目を通している。この6年間……裏門から出勤すると自らの執務室に引き籠り、官僚達とも滅多に顔を合わせる事も無く過ごしている間……本を読む時間だけは「それなり」にあったのだ。


その彼が文献から得た知識によれば……王国の歴史に伝わる「黒い公爵さま」の出現は全部で5回。その文献内容の記述にもあちこちで()()があって一致しない部分もあるが、概ね……「髪が黒い公爵さま」と「瞳が黒い公爵さま」の二通りの「お方」が実在していたとされる。いずれも「髪だけか」、「瞳だけか」の違いであり、5回……即ち5人出現したと記録に残る「黒い公爵さま」の内訳は「髪が黒いお方」が2人。「瞳が黒いお方」が3人であったとされている。


その足跡は()()()()で、軍に対して大きく干渉された方も居れば、軍よりも王城の隣に建つ魔法ギルドに干渉された方も居たと言う。シエルグ卿は読書家ではあったが、別に「黒い公爵さま」を専門に研究している者ではないので、その存在や業績は文献に残されている範囲内でしか把握していない。

それでも、「普通の王国民」よりは黒い公爵に対する知識見識は持っているはずで、その彼からすると「髪()()両方が黒い」という公爵様は居なかったはずだ。


 しかしここで再び老人は()()()()しまったのだ……。「髪も目も」真っ黒な……人物の存在を。そう……。その人物は「公爵さま」では無かった。なぜなら……「その人物」が人々の前から姿を消した後に「ヴァルフェリウス公爵家」は誕生したからである。


「まさか……くっ、黒き……」


「残念ながら、俺はお前が思っている『人物』とは別人だ。()は3000年前の存在であり、この王国の『暦』で言えば65年に生涯を閉じている」


「黒き福音」ことヴェサリオは、29歳で北サラドス大陸におけるレインズ王国の統一と魔物の駆逐を成し遂げ、そのまま世界を股にかけた放浪の旅に出た。結局、彼は第三紀(王国歴)65年に80歳でロッカ大陸にある「魔術の聖地サンネル」において生涯を閉じる。


 サンネルとは、大戦争の直後に月面に逃れていたルゥテウスの祖先である「マルクス」が……その住民と暮らしていた「組立式滞在施設」、それと月面上に蓄積されていた残存資材を輸送船に詰め込むだけ積み込んで惑星ラーに帰還した際に、地上に降り立って作ったコミュニティであったとされる「場所」だ。


「マルクス」がサンネルの「集落」を築いてより約200年の後に、この地で生まれた「漆黒の魔女」は一旦世界を巡る旅に出たが……月を撃った後はこの地に戻ってマナの発見と弟子の育成に務め、その結果として魔術が生み出された。


この地で生まれた16人のショテルの弟子達は世界中へと散って行き、後世この地は「魔術の生まれし地」として魔法世界の住人達から「聖地」の扱いを受けている。


サンネルはその後、第三紀2091年にコンラド・ダハンが建てた「ダハン王国」の首都とされ、建国者の母の名を採って「エザリア」という名前に替えられた。魔法ギルドは、この新王国と「相互不可侵条約」を結ぶ事で、自分達の聖地に王国の首都が築かれるのを黙認した。


以降……ダハン王国は1000年近くに渡り、ロッカ大陸の超大国として「世界の5大国」の一角を占めているが、建国以前からエザリアに支部を設置していた魔法ギルド……魔法世界の住人は、今でもこの地を「サンネル」と呼んでおり、支部の名称も変わらず「サンネル支部」である。


 ヴェサリオは29歳でレインズ王国から姿を消して以後……50年以上に渡って魔法を行使せず世界を渡り歩いた為に、魔法ギルドも「支部のお膝元」で生涯を閉じた「黒き福音」の存在に気付く事は無かった。


彼は自らの死後……余りにも有名となってしまったその「髪と目」によって遺体を特定されぬように、死ぬ直前に自らの住まいとしていた小屋に火を放ち……自らの身を灰にしてこの世を去った。世界中で歌い継がれる英雄としては、随分と寂しい最期であったと言える。


よって、現代社会においても「黒き福音の最期」は謎に包まれている。これは、その子孫であり……その血脈の力によって彼の記憶を継承していた歴代の「黒い公爵さま」も、()()話を誰にも語る事はしなかった為である。


「黒き……福音様では無い……?」


 シエルグ卿は、これまでの文献にも……吟遊詩人の歌にすら触れられる事の無かった「黒き福音の最期」について聞かされ……呆然としている。「黒き福音」は地域によっては「今でも生きて世界のどこかを巡っている」などと言い伝えられてさえいたからだ。


何しろ……目の前で起きている出来事、そして聞く話。余りにも情報量が多過ぎるのだ。今の彼はその情報の量が受容し切れず……脳内でショートを起こしている状態……とでも言うべきか。


「いいか?もう一度言うぞ。この国には最早……それを『正す者』は出現しない。腐るなら、とことん腐り果てて……崩壊し、お前らが差別する『戦時難民』が暮らしていた『隣の大陸』のように……戦乱の大陸と成り果てるだろう。この国をそのように堕として行くのは……お前や国王のような無能な為政者だ。自分達がどれだけこの国を腐らせているのか……お前は気付かなかっただろう?」


その正体を現した「賢者様」は笑っている……しかしそれは「嘲笑」とも言うべきもので、目の前にいる「愚かな老人」を明らかに蔑んだ笑いだ。


「自らの進退と引き換えにあの教育族(ゴミ)どもを放逐しただと?それでお前は『自らの大罪』を贖えたと思っているのか?お前の『怠慢』によって棄損された、この国の6年間は『そんなもので』元に戻るのか?お前が……ゴミ(教育族)どもがこの国を()()()()()()手を貸していた6年間に、奴らによって生命を落としたり、傷付けられた人々の魂は安らげるのか?『北』の境界線で死んで行った15人の若者は生き返るのか?お前は士官学校の()()教官として9人を死なせ……無能な軍務卿として15人の若者を今また死に追いやったのだ。それがお前の『犯した罪』だ!」


最後の方は当人ですら及ばない程の雷鳴の如き大音声で、蔑んだ笑いから一転して怒鳴り付けられたシエルグ卿は、ビリビリとした衝撃をその身に受けて立ち竦んだ。教官として9人の若者を死に追いやり……今また「教育族を放置してきた軍務卿として」その在任中に15人の若者を死地に送り込んだ……。今まさにヨハン・シエルグの精神を苛んでいる「若者の死」を……具体的な数字で聞かされたのだ。


「あ……あ……あ……そ、それ……それが……私の……私の犯した罪……あああ……あああぁぁぁっ!」


シエルグ卿は頭を抱え込んで喚き出した。「自分の犯した罪」を目の前に突然現れた「髪も目も真っ黒な」若者……明らかに「神話」へと繋がっていると思われる()()から指摘を受けたのだ。それも、その根拠となる具体的な数字まで挙げられて……である。


「私は……!私はっ!私わぁぁぁぁ!うぐぅぅぅぅぅ」


 老人はついに床に両膝を着いて屈み込んでしまった。最早立ってはいられないのだ。


「俺がもし、他の『奴ら』のように王国の存続に拘るならば、お前らのようなクズどもは残らずこの世から消えて貰うんだがな」


「軍務省も含む政府機関の官僚も半分くらいは消え去る事になりそうだな。貴族家も同様だ。くくく……」


老人には賢者様の呟きを聞いてハッと顔を上げた。


「は……半分……」


 彼は思い出したのだ。「黒い公爵さま」が現れる度に……爵官界に対して大規模な粛清が起きたのだ。これまでの王国3000年の歴史の中で、最初の500年間……初めて出現した黒い公爵さまであるエッツエル・ヴァルフェリウスの登場までに立家した世襲貴族家は、当の公爵家も含めて402家あったが……現代まで残っているのは僅か7家である。更に次の1000年……つまりジューダス公が出現する頃までに、更に775家の世襲貴族家が誕生したが、やはり現代までその命脈を保てたのは34家。


つまり王国の歴史上……3000年間で延べで約2200家程の世襲貴族が誕生したが、その中で1500年以上の歴史を誇る「古参譜代の名門」とされる貴族家は50家にも満たないのだ。後嗣が途絶えて絶家となったケースは僅か40家程度なので、その他の家は……何らかの理由で「改易」された事になる。改易であればまだマシだが……「九族」皆殺しという「黒い公爵さま流」の粛清によって文字通り「根絶やし」にされた家は数え切れないのだ。


 そして現代においても「お仕置き」を受けても仕方が無いような貴族や官僚は無数に居る。つい先日、軍籍を剥奪されて軍務省から追放された4人……、いや他にも同様の処分を受けたり、辞職を迫ったりした者達も含め……恐らくは彼らも「黒い公爵さま」がもし現れたら()()()()いたのではないか……。


マルクス……ルゥテウスは巨躯を床に屈めて震えている老人を見下ろしていた。今この「愚か者」の生命を奪うのは容易い。彼はその昔……槍術の達人として王都では、その巨体と相俟って非常に高名な「武芸者」であったそうだが、そのような者でも「賢者の武」の発現者にしてみれば……その生命を奪うのは赤子の手を捻るようなものである。


老人は既に観念している様子だ。何しろ古の神話に出て来る「髪も目も真っ黒い()()」に「この世から消えてもらう」と宣告されたのだ。王国の腐敗を憎む「黒い公爵さま」に粛清される……。一人の武人として何とも不本意な最期ではあるが……「このお方」に今更抗えるはずも無い。


何しろ昨年末、この目で見たあの槍術の冴え……。そして現在の「王都の達人」、近衛大佐エリオ・シュテーデル男爵も「子供扱い」されたと言う……。当たり前である。今、自分を無表情で見下ろしている若者は……伝説の「黒き福音」と恐らくは()()()を持つと思われる存在なのだ。「人間如き」自分達が……まともに手を合わせる事すら出来ないはずだ。あの授業でもし、このお方が本気を出していれば……取り囲んでいた槍術教官や武術経験のある士官学生程度なら、一瞬で消し去られていただろう……。


 シエルグ老人は震えが止まらなかったが目を閉じた。自分は今日ここで死ぬ。あの古の伝説とも言える存在によって「罰」を受ける。この若者を最初に目にした時に受けた「只者では無い」という()()は本物であった。本物どころか……この若者が……伝説の存在が……多くの若者の生命を奪ってしまった「我が苦悩」から解放してくれる……。


閉じた両目から涙が溢れ出して来た。神話は本当であった……。人生の最後に……少年時代から憧れていた「存在」を実際に目にしたが……その英雄に断罪される自分の人生を思って哀しくなった。


「私の罪は重く……この生命一つで贖えるものであるのか判りませぬが、()()()()によって裁かれるのであれば……本望でございます」


老人は姿勢を改め、両膝を床に着いたまま両手を胸の前に組んだ。まるで自分が戦場に送り出して散らせた若者達の墓前でその魂の安らぎを祈るかのように。


 しかし目の前に立つ、髪も目も真っ黒な若者は尚も蔑むような笑いを浮かべて


「俺はお前の生命を奪おうとは思っていない。さっきも言っただろう?俺は『()()国を正そう』などとは思っておらんのだ。お前や、愚かなる王……そしてゴミのような貴族どもが、どれだけこの王国を腐らそうが、それは最早俺とは何の関わりも無い。国の腐敗を自ら正せない、『老いた王国』はそのまま腐り落ち……やがては文明復興以前の蛮族共が互いに血で血を洗うような戦乱の時代に戻るだろう」


「なっ、何と……」


閉じていた目をハッと見開いてシエルグ卿が顔を上げた瞬間……ルゥテウスは右手を振った。すると老人は意識を失ったかのように、その場に崩れ伏せた。


「何故俺が、お前らのようなゴミどもの贖罪に手を貸さねばならんのだ。俺が罪を贖わせるのは……あのクソ公爵の夫婦と、おじぃ達を苦しめた奴らだけだ……」


その漆黒の瞳……何もかも呑み込みそうなはずの瞳の中に一瞬何か光のようなものを浮かび上がらせて険しい表情となった賢者様の姿は次の瞬間……フッと()()金髪と鳶色の瞳に変わった。眼鏡も元通り掛けられて……まるで何事も無かったかのように「マルクス・ヘンリッシュ」に戻ったのだ。


 マルクスは、床で気を失っているシエルグ卿の巨躯を左腕一本で軽々と吊り上げ、彼が先程まで腰を下ろしていた応接椅子(ソファー)に再び座らせた。まるで眠り込んでしまっているかのように……。


そして右手をサッと振って結界を解除すると


「せいぜいそのまま眠るがいい。そして目覚めた時には……お前は()()()いるだろう……」


そう独り言のように言い残すと、踵を返して応接室から退出した。彼はそのまま来た時とは反対側の西階段から庁舎1階に下り、受付に向かう。時刻は既に18時を回っていたが、庁舎内にはまだまだ多くの職員が残っており、新人事体制で忙しいのだろうか……何か荷物の詰まった箱を持って列を成して歩いている者達も居た。


 マルクスは敢えてその「帰る姿」を見せ付けるかのように受付士官に会釈をしてから庁舎の外に出た。そしてそのまま、何事も無かったかのように表情を消しつつ、ネイラー通りにある菓子屋に向かって歩き出したのである。


 ……庁舎3階西廊下にある第2応接室では、新しい軍務卿にも引き続き仕える事になったウェイン中佐が……18時30分頃になって自分も退勤しようかと思い、その前に「茶の入れ替え」を装って()の様子を窺おうと、盆に2つの茶の入ったカップを載せて応接室を訪れ、扉を遠慮気味にノックした。


何度かノックをしたが中から一向に()()()が無いので、叱責を覚悟しつつ扉を開いたところ……。「来客」は既に帰ってしまったのか姿が見えず、嘗て仕えていた巨躯の老人だけがソファーの背もたれに寄り掛かるようにして眠っている……ように見えた。


時間も時間であるし、季節はまだ2月……春の気配も訪れておらず、日が落ちるとやはり冷え込んで来る。いくら空調が最高レベルに整っている軍務省庁舎最上階の応接室とは言え、そのまま眠り込んでは身体に良いわけが無い。


(あの若者と言葉を交わして、お疲れになられたのかしら)


ウェイン中佐が盆をテーブルの上に置き、「元上司」に声を掛けた。意外にもその声が届いたのか、それとも眠りが浅かったのか……老人は目を覚まして顔を上げる。その(おもて)を見てウェイン少佐は悲鳴を上げそうになったが、辛うじて堪える事に成功した。


 老人……ヨハン・シエルグ前軍務卿の顔は、一気に老け込んだような印象を与えた。「老け込んだ」と言っても、そもそも彼は既に65歳になっており……最前から書いているように「老人」なのだが、軍務卿首席秘書官の知っている、この元上司は幼少時から1日も鍛錬を欠かさないその肉体と、精気の漲った顔付きはとても軍を退役してから6年が経とうとしているようには見えない……はずであった。


しかし今のシエルグ卿は、この2時間程で10歳以上も老け込んだような……それこそ肌が急激に萎んだかのように皺が増え……多少白髪が目立っては来ていたが、まだまだ黒髪も多く残っていた頭髪も……心無しか白髪の割合が増えて……いや、最早黒髪の方が少なくなっているように見えた。


「閣下っ!いかがなされました?お身体の具合が悪いのでは……?」


普段冷静沈着なウェイン中佐は、先程は動顛する様子を面に出す失態は犯さなかったが、やはり取り乱した様子で老人に声を掛ける。相手は虚ろな様子で目を開き


「あ、ああ……うむ……。どうかしたか……?」


本人は眠り込んでしまっていたという意識があったのか、やや()()()の悪そうな様子で応じてきたが、自らの「見てくれ」が変わってしまっている事については全く気付いていない様子だ。


「あっ……。いえ……その……もう時間も遅うございます。このような場所でお休みになられては……」


辛うじて体裁を取り繕い、努めて平静な態度で言葉を継いだ。「この件」をこれ以上突っ込んでは()()という気がしたのだ。


「うむ……どうやら私は眠ってしまっていたのかな。済まなかった」


シエルグ卿はそう言うと、背中を預けていた背もたれからヨロヨロとした動作で身体を起こした。明らかに以前のような「老人とは思えない身のこなし」では無くなっている。


(一体……一体何があったの……?)


「あ、あの……。『お客様』はもうお帰りに……?」


試みにウェイン中佐は尋ねてみた。


「あ、ああ……そのようだな。何時帰ったのだろうか……」


老人は脳の働きもやや緩慢になっているようだ。「頭が回っていない」というよりも「急激に老け込んだ」という印象の方をより強く感じるのだ。


「さ、左様でございますか。それでは閣下も……お帰りになられますか?馬車を()()()の場所に回すように手配して参ります。少々お待ちになって下さいませ」


 中佐はその場で一礼すると、そのまま早足になりたい気持ちを抑えて応接室から廊下に出た。シエルグ卿は軍務卿に就任して以来、出退勤の際にもなるべく庁舎内の官僚達とは会いたく無かったのか……馬車を正面玄関に付けるのでは無く、西階段側にある裏門を利用していた。本日も邸宅から馬車を使って裏門から庁舎に入っていたのである。


廊下に出たウェイン中佐は、今度こそ早足で南廊下へ向かい……軍務卿執務室の手前にある官房室に入って、入口からすぐ近くの席に座っていた女性職員へ


「閣下……シエルグ卿がお帰りになります。馬車を……馬車をすぐに『裏』へ回してっ!急いでっ!」


「はっ、はいっ!了解致しましたっ!」


滅多に取り乱さない首席秘書官が焦って命じる様子に、その職員も弾けるように立ち上がって挙手礼をし、慌てて部屋を出て行った。1階の受付奥にある御者の控室で待機しているシエルグ家の御者に、自ら伝令に立ったのだろう。


 ウェイン中佐は、()()を見届けると、再び前軍務卿の居る第2応接室に立ち戻った。今はただ……あの老人が心配なのである。あのように「弱っている」、ヨハン・シエルグを彼女は嘗て見た事が無かった。あの見上げるような巨体が何やら急激に萎んだような……そしてあの老け込んだ顔……。こちらからの声に対する反応も緩慢で……まるで一気に10も20も歳を重ねたような……。青年や壮年では無く、元々「老人とは思えないような老人」がそうなってしまったのだ。


中佐は部屋に戻り、努めて落ち着いた素振りで


「馬車を回すように手配致しました。それでは参りましょう」


部屋の入口のコートスタンドから老人の外套を持って来て、帰宅を促した。


「うむ……そうだな……。うむ。うむ……」


中佐の言葉にシエルグ卿は頷きながら、ゆっくりと立ち上がった。最早その動作に「2時間前」の面影は無い。ウェイン中佐は老いた父の世話を焼く娘のように、老人に外套を着せて……その腕を取る、と言うよりも支えながら部屋の出口に向かって歩き始めた。


「ほっ、本当にお身体の具合は……大丈夫なのですか?」


「うん……?身体……?何がだ?私の身体がどうしたのだ?」


相変わらず、本人には……()()自覚は無いようである。自覚症状が無いのであれば……病の類では無いのだろう。一応、こちらからの会話に対する反応は、緩慢な様子だが尋常に返しているのだ。中佐は騒ぐ胸の内を何とか抑え付けながら、普段では絶対にやることは無い……「嘗ての上司の体を支える」かのように、西階段を降り始めた。


(これは……どういう事なの……?()()士官学生が……何かしたとでも?)


首席秘書官は巨躯……と言っても、何かすっかり萎んでしまった印象のある老人の身体を支えながらゆっくりと階段を下りた。


 ……ヨハン・シエルグが軍務省庁舎を訪れたのはこれが最後である。彼女は、()()が6年間……次席秘書官として少佐だった頃から仕えて来た、類稀なる巨体を持つ軍務卿閣下と「最初で最後」の触れ合いとなり……以後その姿を目にする事は無かったのである。


****


 3月に入り……士官学校の、特に白兵戦技の授業に変化が現れ始めた。まず、本年の夏季休暇明け……士官学校入学考査がある6月初旬から、面接試験が終了する8月下旬に掛けての長い休暇が終わる新年度直前から分校を経由して新たに採用となる海軍士官が、戦技教官として加わる事が発表された。


そしてその授業形態も……これまでの1学級で実施されていたものが2学級合同でのものとなり、その組み合わせも固定されないものである事。場所も剣技台に限ったものでは無く、中庭各所を使用した「野戦形式」となる事。更にはこれまで陸軍科にのみ実施されていた「夜間演習」が海軍科にも導入され、更には演習中に戦技授業も取り込まれるなど……これまでの「一対一」による「決闘様式」が一切排されるような内容になる……そのように発表され、試みに3月の3旬目から「海軍士官の教官抜き」で試験的に実施されると言う。


 この発表を3月の初日、それも朝礼で言い渡された生徒達は大騒ぎとなり……それを生徒達に通知した各組の担任教官自身も少なからず困惑した様子であった。無理も無い……。戦技教官以外の座学を担当する教官であるならまだしも、これまで一番長い者で5年以上も「()()ある戦技授業」を担当して来た戦技教官達は、「自分達の行って来た授業」を否定されたような気持ちになったからだ。


尤も……これに関しては三回生主任教官が、3月2日に全ての教官を総合職員室に集めた上で、その場に校長閣下までもがご臨席され


「このやり方に戸惑っている者も居るだろう。しかし従えないと言うならば、教官職を辞して原隊に復帰しても構わん。海軍の皆様にも協力頂けるからな。()()()はいくらでも居るんだ。納得出来ないのであれば……いいだろう。私が相手になってやる」


 いつもの「穏やかな」物腰では無く、真顔で語る主任教官……「北部軍の鬼公子」に対し、集められた15人の戦技教官達は一斉に緊張した面持ちになった。しかしそれでも……タレンの通告に対し、3人の教官が不服の態度を示した。その中には「若き達人」と言われた、一回生槍術担当のエル・ホルプ教官も含まれている。


「よし。それでは剣技台に行こう」


そう言うと、タレンは特に気負った様子も無く……職員室を出て剣技台に向かって歩き始めた。3人は……何か悲壮な顔をしながら後に続く。主任教官に「見学」を許可された、他の……既に承諾の意を示した教官達も後に続く。他にも戦技では無い座学を担当する者達まで後に続き、最後に苦笑いを浮かべながらイメル・シーガ一回生主任教官と、何と……校長閣下までもが剣技台に足を運んだ。


 タレンはそもそもが主任教官として、「実際に授業を行う」よりも「教官職員の管理」が主な業務ではあるが、一応は「不測の事態」が発生して教官の人数が足りなくなった際には、座学「騎馬戦術」と実技「騎兵馬術」を代理で受け持つように「専門教科」としている。二回生主任のアーバイン女史は「戦術科」が専門であるし、シーガ主任は言うまでも無く「補助戦技」が専門である。


しかしタレンは結局……若手士官の頃も「戦技担当教官」では無かった。もちろん今の教官達はタレンが「士官学校教官」として「戦技は専門外」である事を承知している。なので彼の通告に不服を示した3人は、相手が例え「北部軍の鬼公子」と呼ばれた()()()()()であったとしても「戦技教官でも無いくせに我々の()()に口を出すな」という態度を、昨年の「戦技授業改革」が話題になり始めた頃から取り続けていた。


3人はいずれも任官前から王都や地方の大都市にある「名門道場」でそれなりに「訓らした」者達で、ホルプ教官のように皆伝者であったり、若くして師範となって道場の練習生を指導していた経歴を持っていた。なので尚更ながら「武芸」に対する自信と自尊心(プライド)があったのだろう。


 タレンは「前回」のような大木剣では無く……ありきたりな棒を選んだ。長さは180センチ。丁度彼の身長と同じくらいの長さがある。本来であれば「相棒」と同じくらい……30センチ程切り詰めたいところだったが、彼にしてみれば「これで充分だろう」という「見通し」が既に立っていたのだろうか。


「好きな得物を使え」と言われた3人は……ホルプ教官は当然「木槍」を、普段は三回生を教えているシャルプ教官は通常の「片手木剣」を、同じく三回生を担当している女性教官のルネも片手剣を選択した。見学の教官達は観覧席に上がり、4人だけが台上に上がったところで


「よし。どうする?1人ずつ『確かめる』か?それとも一斉に掛かってくるか?君達の好きにしていいぞ」


タレンは気軽な様子で3人に「選択肢」を与えたので3人は目を剥き、観覧席からも「ええっ……!?」というざわめきが起こった。


「マーズ主任は……あの方々を纏めてお相手するおつもりですか……?」


流石にシーガ主任も驚いている。彼女と一緒にやって来たアーバイン主任も落ち着かない様子だ。


「だっ……大丈夫なのですか?確かホルプ教官は……王都の道場で教官赴任前まで師範代をやっていたと……それにルネ教官のご実家はやはり王都の剣術道場で、お父様が確か20年くらい前に闘技大会で勝ち残って王城での試合に出たと……」


「あら……ルネ教官も私と同じく『道場育ち』なのですね……」


シーガ主任は苦笑いを浮かべた。同じ女性戦技教官であったが、専門が違う事もあったのと……「剣技」が専門のルネ教官は、「補助戦技」を軽く見る()()()があり、その専門であったシーガ教官に対しても、何かと「上からの物言い」をしていたので彼女はこの「女性剣士」とは疎遠の関係であった。


 タレンに「一斉に掛かって来ても構わんぞ」と言われた3人は明らかに気色ばんでいる。一応相手は職場の上司であり上官、階級も2階級上で……何より「公爵家の御曹司」である。しかしその緊張感を感じさせない落ち着いた物腰、物言いが彼らの()に障ったようだ。


3人は暫く小声で話し合い、やがてお互い頷き合った後に彼らを代表してシャルプ教官が


「では我ら3人で同時にお相手させて頂きます。主任殿が唱えられる『本来の戦技授業』では、そのようにされるとか。是非我々にも()()をご教授頂きたい」


「構わんぞ。どうするんだ?事前に3人で相談するか?待っているから早くしてくれ」


タレンは薄っすらと笑みすら浮かべた。明らかに3人に対して見下している態度である。


「馬鹿な……あの3人……マーズ君を()()過ぎじゃ……。大怪我をしなければいいがの……」


先日、国王陛下と共に「その本領」を目にしている校長閣下だけは若い3人の方を心配している。


「やはり……マーズ主任殿の方が上でしょうか……?」


校長閣下とは違い、未だその「実力」を実際に見ていないシーガ主任が小声で尋ねる。


「うむ……マーズ君やヘンリッシュ君は……もう、『次元』そのものが違うのじゃ……。君も戦技教官じゃったな。しかし……君に言うのも悪いが、今この場で見物しておる()()者達が全員束になって掛かっても……マーズ君には毛程も傷を付けられんと思うぞ……。もちろんそれはヘンリッシュ君にも言えるがな。彼らは何年も『ちゃんばら』とは言え……武術を嗜んで来ておきながら、相手の力量も読めないのか……」


校長閣下は苦笑している。流石にそれを聞いたシーガ主任も、傍で一緒に聞いていたアーバイン主任も驚いている。


「そ、それ程ですか……あの方のお力は……」


「北部の勇者」として、一人の軍人として多大な尊敬を寄せている三回生主任教官が棒を抱えて佇む様子を、シーガ主任は半ばワクワクしながら見つめている。


 やがて……3人は意を決したのか


「では……失礼致します!」


と声を上げてタレンを取り囲んだ。タレンは


「よし。ではいつでも始めていいぞ」


と、右脇に抱えていた棒を右手に持ち替え、左手を添えた。その持ち方は……棒術としては「やや特殊」であり、棒の一端にかなり偏った部分を握っている。


「では参るっ!」


タレンを取り囲んでいた3人のうち、正面の位置に居たホルプ教官が気合十分の声と共にタレンの空いている右肩目掛けて強烈な突きを放って来た。


 ……時間としては2分も掛からなかっただろうか。3人は既に武器を取り落とし、ホルプ教官とシャルプ教官は剣技台の床に蹲っていた。ホルプ教官は右胸を突かれ、シャルプ教官は左側頭部を庇って左手の甲を強かに打たれたようだ。


ルネ教官も蹲りはしていかなったが、右の太腿……内股を打たれたようで、()()を抑えて苦痛に顔を歪めていた。各自恐らく数日は「痣」が残るだろう。


 タレンは何事も無かったかのように棒を再び右脇に挟んで立っていた。彼はどうやらどこも打たれていないようだ。つまり「一対三」の立ち合いは、タレンの一方的な勝利で終わったのだった。


「さて。分かってくれたかな?これが『実戦』……いや、君らの道場武術では無い『戦場での実戦』だ。私はヘンリッシュのように加減が出来ないからな。手加減したとは言え、打ってしまった。済まんな」


 観覧席の教官達は呆気に取られていた。皆一様に


(この人は()()にも目が付いているのか……?)


と言ったような顔付きだ。「後ろにも敵が居る」という前提で「まずは身を護る」という戦場士官の思想をそのまま体現したかのようなタレンの動きに目が付いて行かなかった。まるで去年来何度か一年一組の授業を見学した際に、()()()見る事の出来た「あの首席生徒」の動きに似ていたのである。


 タレンは観覧席に向かって振り返り


「来年度からこの学校に赴任して来る予定の海軍士官の皆様は、多分こういう動きをすると思うぞ。君達も今までのような『ちゃんばら武術』の考えを捨ててくれ。『自分には無理だ』と思うのであれば、先程も言ったが、教官職から身を退いて原隊に帰ってくれ」


相変わらず落ち着いた口調で、その声音も普通の様子で語っていたが……やがて急に声を高めて


「いいかぁっ!我々がここでこうしている間にも……北や西、そして海上では多くの兵と……それを率いる指揮官達が生命を張っているっ!そして今年もまた……若い新任士官達が、『役にも立たない』()()士官学校の授業で教わった『ちゃんばら戦技』で生命を落としているんだっ!君達は、()()に対して責任があるっ!いやっ、責任を持てっ!士官学校教官職は『出世の通り道』だけじゃ無いんだっ!その甘ったれた考えを今すぐ捨てろっ!」


普段の彼からは想像もつかないような厳しい声を投げ掛けた。校長閣下の隣に座っていた2人の主任教官にもビリビリと響くような声音であった。


「以上だ。君達は今後の身の振り方を考えろ。気に食わなければ何時でも辞めて構わん」


最後に目の前の3人に声を掛けて「北部軍の鬼公子」は出口通路へと消えて行った。


3人はもちろん……他の教官達も、その姿を呆然と見送っていたが、校長閣下だけは


「さて……。これで彼らも納得してくれたかの。儂も帰るとするかな」


何事も無かったかのように立ち上がって観覧席の出口に向かって歩き始めた。シーガ主任とアーバイン主任もそれで我に帰って後に続く。他の教官達も、白い略衣姿の校長閣下が引き上げて行く光景を見てバラバラと席を立って校舎に戻り始めた。


「よもや……あれ程の強さとは……」


そう呟いて、タレンに打たれた左手の甲を……右手で抑えながらシャルプ教官はタレンが去って行った剣技台の出口に向かって歩き出した。叩き落された木剣を拾う事もせずに……。幸いにして利き腕では無く、そしてタレンも多少は手加減をしてくれたのか、骨は無事のようである。


「じっ、自分が戻しておきますので……」


タレンに突かれた右胸を同じく抑えながらホルプ教官も立ち上がり、シャルプ教官が放置して行った木剣と、ルネ教官の木剣を拾い上げて、出口通路の中程にある倉庫の方へとノロノロ歩いて行く。足を打たれてしまったルネ教官も、顔を顰めながら打たれた左の内腿をさすっていた。


誇りにしていた「家業の剣術」を「ちゃんばら」と侮辱され……相手は音に聞こえた驍将だと言う噂であったが、「ルネ家の者」として彼女は立ち向かった。しかしその強さは桁外れであり、彼女が尊敬してやまない父親ですら凌駕するのではないかという「格の違い」をまざまざと見せ付けられる結果となった。


 年少の「同僚」に自分の得物を片付けて貰っている間、彼女は打たれた足をさすり、ひたすら自分の足がまた動き出すのを待ちながら……唇を血の滲む程に噛んで震えていた。


「こっ、こんな……私の……『我が家』の剣技は……戦場では通用しないとでも言うの……?父上から受け継いだこの技が……」


 結局、この3人はそのまま3月を以って教官職を辞して原隊に復帰してしまった。どうやら衆目の前で圧倒的な力で打ち据えられ、更には自らの研鑽を否定されて自尊心が崩れてしまったのだろう。「試験的に」始まった「新しい形式の戦技授業」にも馴染めなかったようだ。今後は原隊に戻って更に己の伎倆……タレンの言う「ちゃんばら戦技」を磨き続けるのか、それとも……。


この日から、残された戦技教官達は……海軍士官が赴任して来ると言う半年後に向けて各々必死で「本来の戦技教育」に対して取り組みを始めた。


****


「ヘンリッシュ殿っ!ヘンリッシュ殿ぉっ!」


 下校しようと本校舎を出て正門に向かって歩いていたマルクスに対して、誰かが彼の名を大声で呼んでいる。どうやら今出て来た本校舎の方角では無く、その西側の……中庭に抜ける通路の方から聞こえて来る。本来であれば、このような呼び掛けに対して、その「主」が目の前に現れる寸前まで無視する事が多いマルクスなのだが、()()()に聞き覚えがあったので、立ち止まり……声の方へと振り返った。


「ヘンリッシュ殿っ!ヘンリッシュ殿っ!」


相手はこちらに向かって走りながら、まだ自分の名を呼んでいる。小山のような図体で一生懸命走ってくる()()様子に、マルクスは思わず苦笑を浮かべた。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……ぜぇはっ」


漸く彼の下までやってきたその男子生徒は


「はぁっ、よっ、良かった……。ぜぇっ、お帰りになる前にお会い出来て……はぁっ、はぁっ……」


「どうしたのだ?そのように慌てて走ってくるとは」


 マルクスがその……息も絶え絶えの男子生徒……ダンドー・ネルに問い掛けると


「はぁっ、はぁっ、ふぃぃっ、ふぃぃい……」


ダンドーは暫く息を整えるように深呼吸をして、漸く落ち着いたのか……


「ヘンリッシュ殿に……ご報告したい事がありましてね……」


(そういえばこの男……去年の体力測定の長距離走の時は既に憲兵本部で姉と拘束されていたんだったな)


変な事を思い出しながらマルクスは


「俺に報告……?」


と、訝しんだ。


「いや……報告と言いますか……実はですね……」


 彼は妙に興奮しながら、話を継いだ。


「先程……漸く許可が頂けたのです!」


「ん……?許可……?何の許可だ?」


「アレですよアレ!えっと……『本来の……?戦技授業』という()()を研究するクラブ活動ですっ!」


「ん?本来の戦技授業を……研究するのか?」


「そうです。今まで校内には剣術や槍術を独自に研鑽する集まりと言いますか……クラブ活動があったのですが……」


「ああ、何か聞いた事があるな。学生たちが自主的に集まってやってるんだろ?」


「ええ。そうです。この学校に入るまで武術の経験が無かった者達も、経験者の生徒に教えて貰いながら一緒に研鑽する目的で行っているのですが……」


 士官学校では、15時(四点鍾)で授業が終わり、終礼が終わってからも……夜間訓練授業が始まる18時になるまでは構内の各施設が学生達に開放されている。その日の時間割に夜間訓練授業が無い日は開放時間が20時まで延長される事もあるが、概ね18時までが所謂「放課後」と呼ばれる時間帯になる。


生徒達の一部はその時間を利用して、様々な「クラブ活動」と呼ばれる課外活動に参加している。その参加は完全に自由であり、剣技台に集まって剣術を磨いたり、剣技台よりも広い室内訓練場で槍術を他の生徒達と自主的に集まって研鑽したりしている。最近では一年一組の生徒達が大食堂に集まって開いている「勉強会」もクラブ活動の一種と見られているし、嘗ては自治会活動も主たる活動時間をこの「放課後」としていた。


とにかく、文武問わず「同好の士」が2人以上集まればそれは「クラブ活動」であり、大抵はそれ以上の「同志」が集まって行き、それに伴って活動も本格化して行く。


しかし大食堂はともかく……有事の際の防衛施設へと転用される構内各施設を生徒達が使用するには「防衛責任者」が必要となる。これは「校則」では無く「防衛施設関連法」と言う軍務省……名目上は「最高司令官(国王陛下)」の名前で施行されている法律によって規定されているので、クラブ活動に学校施設を利用して実施する際は、各々「活動に理解ある教官殿」を「顧問」として迎え入れ、士官である彼らに「防衛責任者」となってもらうのだ。


 ダンドーが嬉しそうな顔で「許可がもらえた」と言うのは、どうやらこれから始まる「本来の白兵戦技授業」に合わせた「新しいクラブ活動」の事に関連する話のようだ。


「ショーツ教官殿に顧問をお引き受け頂ける事になりまして」


「ほぅ……」


「更には第二室内訓練場を活動場所として許可頂けたのです。ありがたい事にマーズ主任教官殿が手続きを執って下さいまして……」


「そうか……良かったな」


「はいっ!ショーツ教官殿は非常にヤル気になっていらっしゃいまして……我ら有志の生徒だけでは無く、他の戦技教官殿方もご参加されたいとのお話も聞いております」


「ふぅん……なるほどなぁ。教官の皆様も一日も早く実戦形式の士官戦技を習得し直したいのだろうな。彼らはもう学生でも無いから、自分で行動しないと『学び直す』という事が出来ないだろうし、これはどうやら『市中の道場』では教えてくれないだろうしなぁ。ははは」


マルクスは愉快そうに笑った。数日前……あの老人……前軍務卿に対して、怒りが昂じてしまった勢いで正体を現し……その「過ち」を散々に批難した彼だったが、今目の前の……嘗て軍閥形成を企んだ家の長男が、「本来の士官戦技を重点的に学びたい」という一心で新しいクラブ活動を立ち上げた事が、正直嬉しかった。


 マルクスが示した「本来の士官戦技」に対しては、入学前に武術を経験していた者も、そうでない者も「得物の扱い慣れ」を除いた部分では「横一線」であると言える。そして「自らの教官としての存在意義」を懸けて生徒達と共に研鑽を重ねようとしている教官達の態度にも感心すべきところだ。


(こいつらは……未熟なりにも自分達から変わろうとしている。「小さな」ところから建て直そうとしている……。この「精神」がある限り……この国はもう少し長生きするかもしれんな……)


感心するマルクスに対して、ダンドーは少し()()()()ながら


「自分は……今まで、ただ『家の威勢』と『姉の庇護』だけで過ごして来ました。でも『自分の手と足』で何かやってみたかったのです。将来この国の為に役立つ人間となり……我が家の『罪』を雪ぎたいのです」


最後は真面目な顔になって目の前の下級生……自分に「回生」の切っ掛けを与えてくれた恩人に対して力強く宣言した。


「そうか……お前ならやれるさ。お前は……『良い顔』になった。いつか……そうなるといいな」


マルクスが優し気な顔でそのように言葉を掛けると、彼は目を少しだけ赤くしながら俯き……やがて


「では失礼しますっ!」


と勢いよく振り向いて、また中庭の方へと走り去った。彼は後にその「誓い」を果たすのだが……それは同時に彼の「悲劇」へと繋がる事にもなる。


(ふむ……どうやらこの国……この北サラドスが「戦乱の大陸」となるのはまだまだ先の事かもしれんな……)


一瞬……遠くを見るように目を眇めながら、今は士官学生と言う「顔」を持つ賢者様は校門に向かって再び歩き出した。


(第四章 完)

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド(マルクス・ヘンリッシュ)

主人公。15歳。黒き賢者の血脈を完全発現させた賢者。

王立士官学校入学に際し変名を使う。1年1組所属で一回生首席。

面倒な事が嫌いで、不本意ながらも「士官学校白兵戦技改革派」に力を貸す事となる。

既にレインズ王国を見限っており、国政の腐敗には不介入の態度をとっている。


タレン・マーズ

35歳。王立士官学校三回生主任教官。陸軍少佐。担当科目は騎馬戦術及び騎兵馬術。

ヴァルフェリウス家の次男。母はエルダ。2年浪人後に入学した士官学校を卒業後、マーズ子爵家の一人娘と結婚して子爵家に婿入りし、マーズ家前当主死去に際して正式に家督を相続してマーズ姓を名乗り出す。

北部国境地域で騎兵隊中隊長として勇名を轟かせ、「北部軍の鬼公子」の異名を持つが、本人は「公子」と呼ばれる事を内心で嫌っている。

主人公によって「本来の白兵戦技」を知り、白兵戦技授業の改革に乗り出す。


ヨハン・シエルグ

65歳。第377代軍務卿(軍務卿就任に伴って侯爵叙任)。元陸軍大将。元王都防衛軍司令官。前軍務卿。

軍務省の頂点に居る人物であるが、軍務省を動かしている軍官僚達を嫌悪している。

タレン一派の提唱する「白兵戦技授業改革」を耳にし、主人公の持つ技量を目にした事で「歪められてきた白兵戦技」の責任を教育族に取らす決意を固め、彼らの放逐に成功する代償として自らも軍務卿を辞する事になった。


ティナ・ウェイン

33歳。軍務省軍務卿官房室所属。軍務卿首席秘書官。陸軍中佐。

軍務卿秘書官として5年目となる女性士官。現職着任当時は次席秘書官として少佐階級であった。

6歳になる娘が居る。士官学校入学考査に2度失敗しているタレンと実は同期なのだが、同じ学級になった事が無かった為、タレンはその事を憶えていない。


ロデール・エイチ

61歳。前第四艦隊司令官。海軍大将。第534代王立士官学校長。勲爵士。

剛毅な性格として有名。タレンの戦技授業改革に賛同して協力者となる。

前軍務卿の推薦と国王の承認により、現職退官後に第379代軍務卿への就任が内定している。


イメル・シーガ

31歳。王立士官学校一回生主任教官。陸軍大尉。担当科目は白兵戦技で専門は短剣術と格闘技。

猛獣のような目と短く刈り込まれた黒髪が特徴の、厳つい体格を持つ女性教官。

タレンが三回生主任教官へ昇格したのに伴い、後任の一回生主任教官に就任。

夫は財務省主計局司計部に勤務する財務官僚。タレンを一軍人として尊敬している。


カリン・アーバイン

32歳。王立士官学校二回生主任教官。陸軍大尉。担当科目は陸軍戦術。

元は王都方面軍第六師団参謀部の所属で、主に訓練計画の策定を担当していた。

前任者の免職によってタレンが自分を飛び越して三回生主任教官へと就任した事に若干の不満を持ったが、彼の昇進に進級が伴い階級でも先任になった事、更には彼の一期後輩であった為に最終的に受け入れた。


ダンドー・ネル

17歳。王立士官学校二回生。陸軍科3組。

自治会長フォウラ・ネルの弟。身長190センチ強、体重120キロ以上と言われる巨漢。

姉と共に主人公に対する殺人未遂罪で拘留されるが和解に伴って釈放され、復学を果たす。

復学後は姉の手を離れて自分なりの「未来」を考えるようになる。

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