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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第四章 戦乱の大陸
113/129

絵に描いた後任案

【作中の表記につきまして】


アラビア数字と漢数字の表記揺れについて……今後は可能な限りアラビア数字による表記を優先します。但し四字熟語等に含まれる漢数字表記についてはその限りではありません。


士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム(メートル)法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


作中世界で出回っている貨幣は三種類で

・主要通貨は銀貨

・補助貨幣として金貨と銅貨が存在

・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚


平均的な物価の指標としては

・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。

・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。

 軍務省にとっては数百年来の激震となった……3048年1月最後の1旬で末日となる29日。午前中に開かれた月例高官会議は、ごく短時間で散会となり……会議から戻った各部局の長によって、「上から下に水が流れる」ように「軍務卿の今期限りでの辞任」が伝えられ、静まり返っていた庁舎内は再び沸き始めた。


 この騒ぎは昨日同様に、ケイノクス通りを挟んだ向かい側に建つ……王国士官学校へは極力伝わらないように「軍務次官()()命令」が出され、庁舎内は大いにザワついているのだが……正門付近と玄関までの前庭は静まり返っていると言う……不思議な状況となっていた。


(さて、と……そろそろ行くかの……)


昼食を済ませて、略礼装に着替えたロデール・エイチ士官学校長は、自室の扉から出て職員室側に姿を現した。本日午前に辞意を表明した軍務卿ヨハン・シエルグ侯爵に「呼び出し」を受けていたのだ。その内容については一切知らされていないが、彼自身は既にこれが「()()問題に対する会談」であると見当を付けている……いや、聞いているのだ。


 自室から出ると、扉のすぐ先にある「三回生主任教官席」に、彼の「同志」が座っていた。

タレンは後方の扉が開いた事に気付いて振り向いて、外出姿の上司に会釈を交えつつ尋ねた。


「閣下……。いよいよお出掛けになられるのですか?」


「うむ。行って来るが……『隣の部屋の()』はどうしている?」


「はい……。本日はまだお見えになっていらっしゃらないようですね」


「まだ来ておらんのか」


「ええ。もしかすると本日はこのまま欠勤なさるのかもしれませんね……」


「うーむ。一つ思うのだが……」


ここで校長閣下は周囲の教職員に聞こえないように声を低くして


「『来ない』ではなく『来れない』のではないか?」


「どこかで()()()に『足止め』を受けている可能性も……」


「それもあり得るな……。まぁ、仕方ない。奴の事はもう放っておけ。来なければ来ないで……それに対して処分が下るだけだ」


校長閣下は無慈悲な宣告をしてから


「では行ってくる……。果たして『彼』の言った通りになるのか……」


緊張気味に話す校長閣下に対して、タレンは苦笑いを浮かべながら


「はっ。お気を付け下さい。庁舎内はまだまだ混乱が残っていそうですから」


「うむ」と返事をしつつ金モールの付いた真っ白い軍帽を頭に被って校長閣下は職員室の入口に向かった。午後最初の授業時間中なので室内には殆ど教官はおらず、二回生担当のアーバイン主任と一回生担当のシーガ主任は、それぞれ出掛ける学校長に対して会釈をし、学校長も軽く手を上げて応えた。


入口付近の丸椅子に座っていたノビル上等兵が慌てて立ち上がって挙手礼をするのを、笑いながら見た学校長は、姿勢の良い後ろ姿を見せて廊下に消えて行った。


 タレンはその様子を職員室の一番奥から眺めながら


(うーむ。教頭殿はこのまま現れないつもりだろうか。それとも悪足掻きでもする為にどこかで……)


彼に対して、本省側はどういう対応をするのかは現時点で分からない。しかし、教育部長や……教頭室へ直接やって来た教育課長までも処分を受けて昨日付で軍から追放されている現状……あの教頭が無事で済むとは思えない。


 仮に本省側から彼に対して何らかの「お咎め」があるとしても、まずは彼の任地……つまりは()()に見えている「教頭室」に軍務省からの「遣い」がやって来るのが通常の対応であり、いきなり彼の自宅へ人を遣るというような事にはならないはずだ。


なので、「何かが起きる」場合は必ず我々の目に留まる形で人が動く……タレンはそのように考えているし、昨日の会合からの帰り道に、ベルガやヘンリッシュも同意していた。


ベルガが言うには……


「特定の士官に対する処罰等が発生する際にも、まずは伝令を任地に派遣して……その際に『目標』の所在が確認出来ない場合は改めて、憲兵を自宅なり『居そうな場所』へ送り込むはずです」


との事で、ベルガ自身も直衛憲兵隊長の頃に一度だけ()()任務を体験しているらしい。そして元師団長邸において目を瞠るような推理を披露した、あの士官学生は


「教頭殿は処分された情報課長と接触した件もありますので……恐らく処分は免れないと思います。『教育族』の面々程には重くならずとも、教頭職は……続けられないのではないでしょうかね」


そのようにまたもや「推測」をしていた。タレンとしては最初の頃は「彼の退任後の未来を壊すような事まではしたくない」と思っていたが、結局彼は「軍人としての見識不足」によって自滅した形になったようだ。


(やれやれ……落ち着くまでにはまだ何旬か掛かりそうだぞ……)


タレンは椅子の背もたれに体を預けながら両手を頭の後ろに組み……天井を眺めながら周囲に聞こえないくらいの小さな溜息を吐き出した。


****


 純白に近い色に、4本線の肩章の付いた海軍提督の略礼装姿で姿勢の良い歩き方をした士官学校長が、軍務省の正門をくぐる際……やはり目立つ姿なのか門衛も姿勢を改めて挙手礼をし、それに軽く目礼で応えながら本庁舎の玄関に入って行くと、左側には受付が、右側の壁面には大きな掲示板が設置されており、告題が大書された「あの公示」が貼り出されていた。


(ふーむ。なるほど。確かに()()連中は残らず処分されておるようじゃな……)


学校長が立ち止まって掲示板に目を向けていると、どうやら受付前には軍務卿の命を受けて秘書官が迎えに来ていたようだ。


「士官学校長閣下。お待ち申し上げておりました。ご案内させて頂きます」


 自身も身長は決して低い方では無いのだが、相手は身長が180センチを超える姿勢の良い長身である為に、見上げるような形の挙手礼になってしまった軍務卿秘書官のシェビー・ロウ中尉は、緊張の面持ちで学校長を東階段へ促した。彼女は昨年末の「軍務卿閣下の非公式(お忍び)授業観覧」の際に見かけた顔であったので


「あぁ、わざわざ済まんな。では案内を頼む」


学校長は微笑みながら彼女の後について歩き出した。相変わらず姿勢の良い歩き方で、提督時代の雰囲気そのままに、目立つ海軍提督の略礼装を身に纏った彼が歩く姿は庁舎内で否が応にも目立ち、すれ違う職員は立ち止まって慌てて敬礼を行う。


 一般に……長年の航海任務を経てきた海軍将官は人生の半分以上を揺れる船上で過ごしているせいか、体幹部分が鍛え抜かれており、また狭い船上生活ではどうしても不足しがちな運動量を補う為に、空いた時間で船内を見回りも兼ねて良く歩く。その甲斐あってか陸上(おか)に上がると非常に姿勢が美しく見えるのだ。彼もその例に漏れず、姿勢の良い歩き方は本人も無意識に行っているようで、陸軍の者達との違いが一目瞭然である。


 黒い陸軍の軍服ばかりの中で、真っ白な略礼服には4本線の肩章、そして3本の絡み合うようなデザインの金モールが付いた同じく真っ白な軍帽である。普段海軍の制服を見慣れていない彼らでも、相手が「海軍大将」であることは一目瞭然であり、それを見た者は尉官であろうが佐官であろうが、弾けるように姿勢を改めるので、学校長の前を歩いているロウ秘書官は内心可笑しくて仕方無かったが、それを表情に出さないよう必死に我慢しながら東階段を3階まで上った。


「こちらでございます」


ロウ秘書官が軍務卿執務室の扉を開けると、前室に居た残り2人の秘書官達も立ち上がって挙手礼を行う。()()()へ校長が右手を軽く上げて返礼している間に、先導していたロウ秘書官が奥室の扉をノックして、部屋の主に来客を告げていた。


「どうぞ。お入りください」


 秘書官に促されて軍務卿の居室に入った学校長は、そのまま奥に進むと……


「これはこれは……お忙しいところをお呼び立てして申し訳ない」


と、部屋の主である軍務卿から、わざわざ出迎えるように執務席から立ち上がって近付いて来た。


「士官学校長、ロデール・エイチでございます。お召しによって罷り越しました」


学校長は、一応は軍務卿の立場を慮って挙手礼を行った。軍務卿は、既に建前上は軍人として退役した「文民」という扱いなので本来であれば「軍人式」の答礼は行わないのだが、彼はそれでも挙手礼を以って学校長へ答礼したのである。


「どうぞお掛けになって下さい」


「これは恐れ入ります」


 軍務卿の案内で学校長がソファーに腰を下ろすと、そのタイミングでロウ秘書官が再び姿を現し、応接机に上司と来客の茶を置いてから、緊張気味に空いた盆を抱えて挙手礼を行い……前室に去って行った。


「昨年末の士官学校……剣技台でお会いして以来ですな」


学校長の方から話を切り出すと


「そうですな。かの折はお恥ずかしい恰好で失礼致しました」


「いえいえ。こちらこそ挨拶もしっかり出来ず……失礼の段、平にご容赦を」


まずは軽く挨拶を交わしてから


「さて……本日、提督をお招き致しましたのは……お願いしたき儀があるのです」


軍務卿は学校長の目を見ながら、早速「本題」に入って来た。しかし……学校長は()()を躱すような口振りで


「小官に……でございますか?閣下が以前に面談を望まれた『2人』にでは無く?」


「ああ……いや、その儀についても後程お話させて頂きたいのですが、まずは本題から……聞いて頂きたい」


「なるほど。お伺いしましょう」


「提督は既にお耳にされているやもしれませぬが……私はこの度、現職を辞する事になりましてな」


「はい。先程お伺い致しました。驚きました」


 学校長にしてみれば、昨日のうちに聞いていた事なので……実際はそれほど驚いていないのだが、()()()はおくびにも出さずに応えた。


「その節は我が管掌下にあった一部の教育官僚が大変な無礼を働いたとか。衷心よりお詫び申し上げる」


軍務卿は頭を下げた。


「頭をお上げ下さい。確かに、()()教育部長殿の態度には腹立ちも起こりましたが……閣下のせいではございません。そのように頭を下げられては却ってこちらが困惑致します故……」


「今回の件……こちらとしては色々と経緯もありましてな。ご周知とは思いますが、()()の関係者にも厳しい対応を以って臨ませて頂きました。これにてご不快の念、お収め頂ければ幸いです」


「閣下には却ってご迷惑をお掛け致しました。私からもお詫び申し上げます」


「いえいえ……ところで、先程のお話ですが」


「はい」


「私が職を辞した後の……まぁ、私の『後任者』についてですな」


(やはり……この話なのか……!)


本題を切り出して来た軍務卿の言葉を聞いた学校長は内心でギクリとした。正しく……昨日の会合で「あの若者」が予言した通りの展開になって来たからだ。


「実は職を辞する事に関しては昨日中に宮中にて上奏を行いまして……」


「陛下に……でございますか?」


「はい。陛下に辞意を奏しましたところ……」


「御勅許賜るには『後任を託せる者を推挽の事』……これが御承認頂く条件でありまして」


 学校長の顔色が悪くなって来た事に軍務卿は苦笑いを浮かべながら


「最早お察し頂いているようですが……私は提督……貴殿を我が後任者として推薦させて頂きました」


(ぐっ……やはり……やはり本当の事になったか……あの若者の『予言』通りではないか)


軍務卿から呼び出されたかと思ったら、その席上で突然「後任の軍務卿に推薦した」と言われて……学校長は顔色を悪くしたままに押し黙った。「次期軍務卿に推薦された」事よりも「この状況を正確に予見した」あの若者に対して畏れにも似た感情が湧き上がって来たのだ。


(なっ、何と言う若者じゃ……この……この展開を『最初の頃』から読み切っていたじゃと……?じょ、冗談ではない……)


 軍務卿は相手の反応が「自分の予想」と異なるものなので困惑している。どうやら驚いてはいるようだが……()()が違う気がするのだ。


両者は暫くの間、無言で向かい合っていたが先に口を開いたのは学校長であった。


「閣下……。小官如き蒙昧の輩に対し、過分なるご厚情を賜りまして実に忝く思いますが……小官にはまだ士官学校の経営者として()()残している事が数多ございます。よって……大変申し訳ございませんが、その儀はご遠慮申し上げます」


(さて……断ってはみたものの……あの若者が申していた通り、既に陛下にまで言上しているようじゃ。易々とこちらの辞退を受け入れて貰えるのか……それともやはり……)


辞退を伝えてみたはいいが、この先の展開に不安が残る学校長はこれ以上、迂闊な事を口にしないように再び押し黙った。


「ふむ……そうか。やはり貴殿はそのように申されると……実は私も予想しておりましてな。ふふふ……」


学校長が聞いていた「予想」では、ここで軍務卿が自分を()()後任にしようと、かなり食い下がって来る可能性がある……とされていたが、どうも実際の反応は違うようだ。


「左様ですか。ご理解頂きまして誠に恐縮に存じます」


どうもお互いが予想に比べて「薄い反応」となっているので、少し噛み合っていない印象をお互いに与えているようだ。


「いや、提督。私は貴殿を『我が後任者』とする事を諦めたわけではありません。何しろ、陛下には『エイチ提督を我が後任者とします』と言上してしまっているのです。陛下(おかみ)におかれましても、『エイチ提督を後任者とする』という条件付で私の辞任をお許し頂いたのです」


(ぐっ……やはり「その2つの話」を一緒に陛下と取り交わしておる……)


「誠に申し訳ございません。例え陛下の御叡慮とは申されましても……小官の思いは固く、現職の残り任期中は『本来の白兵戦技授業』の復活に身を投じさせて頂きたいのです。それが叶わないのであれば……小官と致しましては、最早軍中に居残る気はございません」


「学校長の職を、『強権』を以って召し上げるならば自分は引退する」という決意を滲ませる学校長に対して、軍務卿はやや慌てたように


「いやいや提督、どうか落ち着いて下さい。少々言葉が先走ってしまった事をお詫び申し上げる。私は陛下に対して、確かに先程申し上げた内容で約束を交わしましたが、やはり提督のご気性を思えば……任期を残して現職から退くおつもりは無いと考えておりました。そこで陛下には提督の軍務卿就任に対して『御猶予』頂くようお許しを得ております」


「猶予……?」


(まさか……本当に……)


「はい。提督による士官学校長の任期は残り1年と半年。つまり1年半後であれば提督は軍務卿就任をお引き受け頂けますでしょうか?」


「は……?つまり閣下は職を辞するまでの時間を1年半延ばされると……?」


 学校長は試しに聞いてはみたが、あくまでもそれは「気休め」である。この目の前の巨躯を持つ「武人」は自らの進退を賭け、()()を差し出して「あの連中」の首を切ったのだ。切った以上は自らの出処進退も潔くせねば「切られた側」も納得しないだろうし、省内に対しても()()がつかなくなる。


よって「後任候補者の都合で1年半、この職に留まる」という選択肢は絶対に採らないはずだ……学校長はどういうわけか、軍務卿のそういった部分が分かるような気がした。


(そうか……!あの若者は……このような人物の気性や矜持を細かく分析した上で、積み重ねて……「この展開」を読み切ったのか……。あの年齢で……)


「いえ。私は先程も申し上げました通り、来月の除目を前にして職を辞す事には変わりがありません。既に省内においても()()を発表しております故な……」


「では……どうされると?」


「その前に改めてお伺い致します。1年半待てば……提督の士官学校長の任期終了を待てば……その後に軍務卿就任をお引き受け頂けますでしょうか?それとも……あくまでも軍務卿は引き受けずに引退すると……?」


軍務卿の表情が厳しいものとなり、何やらその巨大な体躯から気迫のようなものが感じられるようになって来た。彼は今……自らの進退に関わる事で「勝負」に出たようだ。


軍務卿本人は勝負に出ていると思っているようだが……学校長にしてみれば「この展開」は既に「あの士官学生」によって予想済みの展開である。


(なるほど……ここが彼の言っていた「食い下がって来る」という状況か……この御仁がここまで熱を帯びて頼み込んで来るとは……)


学校長は目を閉じて考え込む。


(ここで「引き受ける」と言ってしまえばもう戻れなくなる……儂はそのような……軍務卿を務めるだけの器量を持っているのじゃろうか……。軍務官僚を上手く御する事が……。しかし「引き受けられない」とは今更……陛下に対して既に儂の名を出されている……。ここで拒んで陛下への不忠と取られるのも不本意じゃ)


「提督……如何ですかな?学校長としての任期を全うされるのであれば、その後に軍務卿の職を引き受けて……頂けますかな?」


重ねて問う軍務卿……シエルグ卿に対して、目と口を噤んで思案に暮れていた学校長は漸く目を見開き


「宜しいでしょう……閣下のお申し出……謹んでお受け致します。小官は現職の任期を全うせし後……閣下の後任をお引き受け致しましょう」


これを聞いたシエルグ卿は、大きく息を吐き出し


「良かった……お引き受け頂き感謝致します。さて……それでは先程来の懸案となっております提督の、士官学校長としての残された任期……1年と半年をどう埋めるかでありますが……」


「左様ですな。1年半という(まこと)に中途半端な期間……どうされるおつもりでしょうか?」


学校長は「あの若者」が口にした最後の「予言」を確かめるべく……軍務卿に尋ねた。そして……その相手の口から出たのは……


「私が職を辞した後……提督が任を継いで頂くまでの間……参謀総長のヘルナー大将に任を埋めて頂く。これも既に陛下に御承認頂いております」


軍務卿からの説明を聞いた学校長は、これまでとは比べ物にならない程の衝撃を受けた表情となった。


(な……なんと……!参謀総長を「繋ぎ」に使う……あ、あの若者の……あの若者の言った通りじゃ……まさか……参謀総長の存在すら的中させよった……何者だ……一体()()()()なんじゃ……!)


「さっ……左様でございますか……。参謀総長殿を……ご起用になられる。結構な事かと……」


「予言」が全て的中した事で未だ動揺が続く学校長は震える声で参謀総長の「繋ぎ起用」を承諾した。


「提督。念の為に申し上げておきますが……ヘルナー総長の起用はあくまでも私の退任と貴殿の就任までの間……1年半だけの事でございます。ヘルナー総長は元より体力に難あり……。60を超えて精々1年程度しか任に耐えられるものではありません。彼を定年まで半年を残して退役させた後に次代の軍務卿として就任させ、1年後……来年夏の除目にて任期を終えた貴殿と交代させます。宜しいですな?」


「承知しました……。お心遣い……感謝致します。これで心置きなく……。小官は任期が終わるまで、懸命に『本来の白兵戦技授業』を復活させる事へ力を尽くす所存……この事、()()()()()()()に宜しくお伝え下され」


「承知した。私からきっと申し伝えましょう。本日はお忙しい折に足をお運び頂き、感謝致します。我が残りの任期……来月の除目が訪れるまでに……マーズ卿と『あの士官学生』に会って話をしてみたい。どうかお伝え下さい」


「はっ。2人には閣下からのご伝言、然と伝えましょう。では失礼します」


 学校長は立ち上がり、挙手礼を行い……軍務卿の返礼を受けたのを機に、そのまま執務室から退出して行った。それを見届けたシエルグ卿は執務机に戻り、彼の為に特別に置かれている巨大な椅子に腰を下ろしてから


「ふぅ……何とか引き受けて貰えたわ……」


と、呟きながら大きく息を吐き出すのであった。


****


 本庁舎1階の参謀本部に軍務卿執務室からの伝令が到着したのは……学校長が庁舎を去ってから30分程経過して……16時を回った頃であった。


参謀本部は国内各地に派遣され、各方面軍、各師団、各連隊に配属されている参謀職を統括する部局であり、派遣されている参謀は全てこの参謀本部に直接隷属している事となっている。


 「参謀」とは本来、連隊規模以上の軍集団にて部隊の作戦行動や用兵について、その環境を整えたり指揮官に対して具申する役割を負っている「作戦参謀」の他に、部隊への兵站や将兵への給食、備品の支給などを管理する「兵站参謀」など、「軍の体裁」を維持する為に様々な役割を持った者達である。


その構成員総数は、各地の参謀部を構成する末端の幕僚まで含め約1500人。中々の規模だが、軍務省の本庁舎1階の本部には100名程しか詰めていない。そしてこの本部には全国に散っている全ての参謀を統括している参謀総長が「制服組トップ」として各地の部隊に参謀を介して指令を出している。


つまりこの時代における王国軍は、参謀本部において総長と()()担当幕僚によって戦略、兵站計画、情報通信運用が「大まかに」決められ、各軍の参謀部に伝達される。各地の参謀部は、本部の定めた戦略に沿って部隊の長に意見具申や……時には「勧告」まで行うのが、その役割だと言える。


但し、各方面軍参謀部には総長から権限を与えられている「参謀長」が居て、参謀本部の立てた戦略計画を、現地の状況などに応じて修正を加えたり、逆に本部に対して戦略の「練り直し」を要求したり出来る。これは参謀本部がある王都を担当している軍……つまり王都防衛軍に対しても同様だ。


 参謀総長は、王都防衛軍を直接指揮する事は出来ないが、「このように動きなさい」という作戦指令は下せる。戦力を直接指揮するのは王都防衛軍司令官であり、両者の関係は軍の組織的には参謀総長が上位にあるが、総長自身は直接動かせる兵力を持たない……。ここが王都方面軍司令官も含めた「軍中央の三長官」における微妙な力関係であると言える。


「軍務卿閣下が執務室へ()()()頂くようにとの事です」


「何……?軍務卿閣下が?……了解したと伝えてくれ」


「はっ!」


伝令は挙手礼を実施して総長室から退出して行った。ちなみに、この本庁舎内で動いている「伝令」も一応は参謀本部に所属しており、そればかりか庁舎受付を運営しているのも参謀本部の人員だ。

また、変わったところでは職員用、佐官以上が使用出来る幹部用と2カ所ある食堂の運営や、()()()()に建つ士官学校内にある5つの食堂と医務室の運営も参謀本部の管轄である。


(むぅ……軍務卿閣下が……このような時間に何の用だ……?)


 伝令が去ると、ヘルナー参謀総長は腕を組んで考え込んだ。何しろこの2日間に渡る軍務省庁舎内の混乱ぶりである。軍務卿が……この自分を部屋に呼んで何を言い渡す気だ……と、「警戒するな」という方が無理な話である。


(「お出で下さい」か……。「出頭せよ」では無いな。「負」の事象では無さそうだが……ならば何故、午前の会議の後にでも声を掛けて頂けなかったのか……)


以前にも書いたが、このヘルナー参謀総長とシエルグ卿は嘗ての王都防衛軍において「司令官と参謀長」という関係にあった。参謀長は制度的には参謀本部所属ではあるが、実際には各方面軍司令部の中枢における「トップとナンバー2の関係」であり、王都防衛軍司令官ヨハン・シエルグ大将の首席幕僚であったのが、王都防衛軍参謀長のカイル・ヘルナー中将である。


なので、実際にはこの軍務省という官僚の巣窟の中で、シエルグ卿が唯一気を許せるのはこのヘルナー参謀総長だけであった……はずだ。

しかし昨日の「教育族」と呼ばれた軍官僚の上級幹部が一気に4人、そして官僚士官が4人……併せて8人が更迭された……いや、更迭どころでは無く「軍を逐われた」のである。やはりこの出来事は軍務卿に対して省内に少なからず動揺をもたらしているのだ。


(まさか……私も更迭……いや、そんな事は無い。いや、しかし……「彼ら」の放逐理由が「職務怠慢」だからな……私は自分が職務怠慢を犯したとは思っていないが……閣下から見たら()()は思えないかも……しれん……)


 既に「呼び出し」は受けているのに、総長はなかなか腰が上がらない。昨日受けた「衝撃」が大き過ぎるのである。今旬初日の軍事法廷で裁判長を務めた際に傍聴に現れた軍務卿から、被告人や証人越しに浴びせられた険しい視線を思い出し、手足の力が抜けてしまうのだ。


(いやいや……()()は私に対してものじゃない……今思えば、あれは教育部長に対してのものだったのだろう……。きっとそうだ……)


彼はそう自分に言い聞かせて漸く重い腰を上げた。とにかく軍務卿から呼び出しを受けている。どちらにせよ行かなければならない。胃がキリキリとしているが……行くしかないだろう。


(ううぅっ……)


胃の辺りを押さえながら、参謀総長は自室を出て西階段を上がり始めた。60歳を目前にして……元から体の弱い彼は軍務省本庁舎の階段を3階まで上るのも一苦労だ。彼が任官してから一筋に所属していた参謀本部は本庁舎1階北側に関連する部屋が固まっているので、普段の彼は食堂への行き来も含めて「階段の上り下り」を殆ど必要としていない。


唯一とも言える階段昇降は毎月末の高官会議出席の為に3階の会議室へと向かう時だけで、滅多にあることでは無いが……省内の他の部局に絡む用件がある際にも、相手側が総長の身体を慮って()()()から総長室に来てくれる……彼が就任してからはずっと()()調子であった。


先日は軍法会議の裁判長として2階の「軍事法廷室」を訪れたが、あれは「籤の結果」によるもので、数カ月に一度あるか……と言う性質のものである。


それが今日は午前の会議に続き、二度目の「階段上り」である。そして上った後に「あの軍務卿」と一対一(サシ)での対面である。腰も重いし胃も痛い。総長はゲンナリしながら階段を上り切り、3階の西廊下にある踊り場で手摺りに掴まって「はぁはぁ」と肩を上下させながらその場で小休止を挟んで長い廊下を曲がった先の区画……南区画にある軍務卿執務室に向かって西廊下を歩き始めた。


 軍務省庁舎の3階には南区画を軍務卿執務室とそれを支える内部部局である官房室が占めており、その反対側の北区画を軍務次官とその直轄部署である総務部が占めている。東側には会議室が3部屋あって、本日午前に高官会議が行われた「1号会議室」の他にも局長級幹部だけの会議や不定期に行われる司令官会議も3階東区画で開かれる。


西側には応接室が3部屋あるが、軍務卿も軍務次官も基本的には相手を自室に呼び付ける事が多いので滅多に使われる事は無い。人気(ひとけ)の少ない庁舎3階の更に無人の西廊下を息を整えながら歩いた参謀総長は、南廊下を曲がって漸く軍務卿執務室に到着し、前室の扉をノックすると中に入った。


「お疲れ様でございます。閣下」


首席秘書官のウェイン中佐が来客を気遣って声を掛けた。彼女はこの体の弱い参謀総長が、このフロアまでやって来る事自体が大変な身体の負担になっている事を知っていた。


ウェイン中佐によって奥室に総長閣下の来訪が告げられ、すぐに通された。


「済まんな、ヘルナー……こちらから出向いても良かったんだがな。私が貴官の部屋に足を運ぶと『要らぬ憶測』を招いてしまいそうでな……」


参謀本部のある1階北区画には昨日今日の騒ぎで、平素よりも人の往来があり……そこに「渦中の人」である軍務卿閣下の巨躯は流石に目立ち過ぎる……。そういう判断もあり、敢えて総長を自室に呼び出したのである。まだ少し疲労感の残る表情をしている総長が挙手礼を実施すると、軍務卿もそれに返礼する。


尤も、既に建前上は「文民」であって、服装も軍服では無く諸卿に相応しい高級な仕立てである黒灰色のスーツ姿で目を瞠る巨躯の軍務卿が軍人のように挙手礼をする姿は、やや違和感があるが……。


「いえいえ……お心遣いに感謝致します」


「最近の体調はどうなんだ?」


「はい……やはり寄る年波には勝てませんな……。『防衛軍』に居た頃はまだまだそれなりに身体も動いたのですが……」


「ふむ、そうか……4年前、貴官に()をして貰おうと本省勤務の『総長』に引っ張り上げたつもりではあったのだが……」


苦笑する軍務卿に対して


「恐れ入ります……確かに庁舎1階への通勤は楽になったんですが……職責が重くなった分、気苦労も増えました」


 4年前……正確には5年前の3044年8月の除目で当時、王都防衛軍参謀長の地位にあったヘルナー中将を前任者の定年退官に伴って、参謀総長の地位に引っ張り上げたのは目の前のシエルグ卿自身である。王都防衛軍本部時代の参謀長室は、本部建物の2階にある司令官室の隣であり……ヘルナー参謀長は当時から、2階への昇降だけで息を切らしていたのだ。


「特に先日の軍法会議では……突然閣下が傍聴にいらしたので驚きました。その後もかなり険しい()()で臨まれておりましたし……。レッケル将軍も、相当に緊張していた様子でしたぞ」


「そうか……それは済まなかったな。()()はどうしても結末を見届けたかったのでな」


「やはり……あの法廷には何かありましたか」


「うむ。貴官なら気付いてくれると思っておったが……被告はともかく、あの証人の()()()()共がな……奴らの言葉を聞いておっただろう?今思い出しても腹が立つわ」


「なるほど……。閣下は相当にお腹立ちの様子である事くらいは察しが付きましたが……」


「まぁ、よい。『奴ら』には相応の報いを受けさせてやったわ。最早過ぎた事だ。貴官が気にするものではない」


「はっ……。では……この度は何用でしょうか……?」


やや不安そうな表情を浮かべる総長に対して軍務卿は表情を和らげながら


「まぁ、とにかく座って楽にしてくれ」


「申し訳ございません。それでは失礼致します……」


 一言礼を述べてから総長は応接椅子(ソファー)に腰を下ろした。この参謀総長閣下は、まだ歩様は尋常であるせいか、自らの自尊心(プライド)が許さないのか……他人から勧められても杖を使う事を拒んでおり、シエルグ卿が一度やはり杖の使用を勧めてみたが、頑として言う事を聞かなかった。


総長が椅子に腰を沈めて一息ついたそのタイミングで、隣室からロウ秘書官が茶を運んで来た。先程の来客……略礼装姿の海軍提督の時よりは、お互い気心の知れている軍務卿と参謀総長の組み合わせだろうか、彼女の緊張感も幾分和らいでいる。


茶を置いた秘書官が前室に去って行くのを見届けてから軍務卿が口を開いた。


「この時間になって、わざわざまた3階()()()()まで上がって来て貰ったのはな……貴官にどうしても頼みたい事が出来たからなのだ。聞いてくれるか?」


「小官に……頼み事……?でしょうか」


「うむ。これは『軍務省の未来』が掛かっているかもしれんのだ」


「え……!?」


「貴官の定年は6月だったな?」


「ええ……6月3旬です」


ヘルナー総長の誕生日は6月15日。よって定年は6月3旬目の旬末……18日付で退役となる。つまり18日までに後任が決まっていれば19日から新総長が着任し、季節的には夏の除目で正式な任命……親補職なので王宮にて国王陛下から直々に任命される流れとなる。


「6月3旬です」と説明するくらいに「その日を待ち望んでいる」とでも言いたげな総長の応え方に軍務卿は笑いそうになったが、「今日のお願い」はその「待望」を一時的にとは言え……ブチ壊す内容なので、彼も真顔になって


「実はな総長……その定年なんだがな……」


「は……?」


「まだ定年まで半年あるんだが……退役を前倒ししてくれないか?」


軍務卿の言葉の意味が俄かに理解出来ず、参謀総長は「ん?」という顔になっている。


「定年前で申し訳無いが……退役を前倒しにして再来旬一杯で軍籍を離れて欲しいのだ」


「え……!?」


「軍籍を離れろ」という言葉(パワーワード)を聞いた総長は絶句した。「軍籍」を「離れる」は、つい昨日に聞いた単語だ。そして……()()を受けた4人……いや8人はもうこの庁舎には居ない。


(なっ……!やはり私も……なのか……!?)


「なっ!何故ですっ!?りっ、理由のご説明をっ!小官は決して現職において、たっ、怠慢などっ……!」


参謀総長は椅子から勢い良く立ち上がろうとして……失敗した。余りの衝撃に足腰の力が抜けてしまったのだ。


(何故だっ!私が怠慢だったのか!?)


 普段冷静沈着な参謀総長が、相当に取り乱している。これを見た軍務卿は


(ん……?何故()()はこんなに取り乱しているんだ……?)


と、暫く傍観していたが……ヘルナーの余りにも尋常では無い様子に


「落ち着けっ!落ち着けヘルナー!私の話をちゃんと聞けっ!」


応接机越しに巨躯の軍務卿が両手を伸ばして取り乱している部下の肩を押さえ付けた。


「何故ですっ!私はっ!私は現在の務めを怠った事などっ!」


……このような説明の仕方は()()()に拙かったようだ。しかし「教育族を追放出来た」と安堵していた軍務卿自身は


『軍務次官を始めとする上級幹部が一度に4人も更迭された事で、軍務省内が大混乱に陥っている』


と言う庁舎内(下界)の事情など全く考慮しておらず、「そのような時期(タイミング)の悪さ」など念頭に無かったのである。


「何故……何故です……」


漸くエネルギーが切れたのか……顔を真っ赤にして軍務卿の取り鎮めにも抗っていた参謀総長の様子が落ち着いて来た。


「バカ者っ!何故私の話を最後まで聞かないのだっ!余計な手間を掛けさせおってからに……」


軍務卿も漸く相手の肩から両手を離して再び椅子に腰を落ち着けた。


「何をそんなに取り乱しておるのだっ!貴官の任期を『切り上げて』もらいたい理由だが……」


「え……?き、切り上げて……?あ、あの……私は更迭されるのでは……」


「何を言っておるのだっ!何故貴様を更迭せねばならんのだっ!貴様は何か……処分を受けるような事でも仕出かしたのかっ!」


 軍務卿の執務室で最高幹部2人が……会話が噛み合わずに怒鳴り合っている声は隣の前室まで漏れ聞こえて来ており、3人の秘書官を不安にさせている。この3人は既にこの「軍務卿後任人事」について聞かされており、次代……そして更に次々代の軍務卿にも仕える事が決まっているので、「現職と次代」で諍いを起こされるのはあまり好ましく無い。


「なっ!?なっ……?ちっ、違うのですか……?しょ、小官はなっ、何も軍律に背くような行為に心当たりが、あ、ありませんが……」


「だから、貴官の処分の話など私は一言もしておらんぞっ!しっかりと話を聞けいっ!」


「そっ、そうでしたか……そうでしたか……。こっ、これはお見苦しい姿をお見せしまして……」


「全く……それでだ……。話を続けても良いか?」


 両者が漸く落ち着いて、会話が再開出来る状況に戻ったので軍務卿が「どこまで話したか忘れてしまったわ」と呟きながら、「あぁ……そうだった」と独りで合点しながら


「貴官の任期を再来旬……2月12日までとし、2月16日の除目において私の後任に就いて欲しいのだ」


「は……?」


 軍務卿の説明に、参謀総長はまたもや首を傾げた。自分は「あと半年」で目出度く定年を迎えて退役するのだ。現役中には、あまり構ってやる事が出来なかった妻と……数年前に王都外壁の向こう側にある外環道沿いに購入した土地に家を建てて庭いじりをする……末娘の夫婦が同居してくれるそうなので、家族と共に穏やかな老後を……という計画を彼なりに立ててあり、既に私的時間(プライベート)で「老後の我が家の設計図」を自分自身でコツコツと描いていたのである。


にも関わらず、目の前の「巨人」が「お前が私の後任になれ」と言う。「後任」とは何だ……?とボンヤリその単語を頭の中で咀嚼していた総長は、俄かにその意味を悟って仰天した。


「なっ、なっ、な……何を……何を仰っているのか……」


「お前を更迭する」と勘違いした先程と同等……いや、それよりも大きな衝撃が……このエネルギーが切れた老人を直撃した。


しかし先程の悶着で体力を使い果たしている参謀総長は口をパクパクさせるだけだ。


「いいか?私も……『鬼』ではないから、貴官に『私の後任を5年やれ』とは言わない。この前だったか……?ここで飯を一緒に食った時に、貴官が嬉しそうに語る『退役後の予定』も聞いた。だから余り気が進まなかったのだがな……しかしこれはもう、貴官にしか頼めないのだ。頼む……私の後任として軍務卿を『1年半だけ』引き受けてくれないか?」


「なっ……。えっ……?い、1年……半?」


 予めの話で「1年半だけやってくれ」という人事など聞いた事が無い。王国軍内にも一応は「臨時職」というものは存在している。嘗てタレン・マーズが北部方面軍から勅命によって王都に配転になった際に「一時的受け皿(ワンクッション)」として任命された「士官学校入学考査における面接試験官」が良い例だろう。


しかし、そのタレンが務めた「非常勤」の面接試験官ですら任期は「3旬」であった。「1年半」と言うのは……何とも中途半端な期間である。しかも当たり前だが「軍務卿」という国王陛下(最高司令官)の代理人である軍務省の頂点である存在は、決して「非常勤」では無い。そこの部分がこの普段は頭脳明晰な参謀総長には俄かに飲み込めないのである。


「まぁ、私の話を聞いてくれ……」


 こちらも昨日今日と「色々あって」すっかり疲れてしまった感のある軍務卿が事情を説明し始めた。本来であれば後任には現士官学校長を指名したかった事。今上陛下も「その案」で御承諾頂けた事。しかし学校長に打診したところ、現職の任期満了に拘りを見せて辞退された事。なので仕方なくその任期が終わるまでの間、今年の定年を心待ちにしている自分の「ご奉公」を1年延ばしてもらいたい……という話の内容である。


そして、軍務卿は続けて……昨年秋から、この軍務省に起こっている出来事を余さず話し始めた。「ネル家の一件」による軍関係者の大量処分や士官学校の白兵戦技授業が低劣化している件、()()に伴って「教育族」が軍務省から排除された事……そして現士官学校長が「北部軍の鬼公子」と「本来の白兵戦技教育」を復活させようとしている事……これらを全て「情報の引継ぎ」として参謀総長に語ったのである。


「いいか……?私はもう、このような『面倒臭い説明(長話)』は他の者にしたくない。だから、この話を聞いてしまった貴官は諦めて引退を1年延ばせ。これは()()でもあるぞ」


最後に恐ろしい「脅し文句」を貼り付けて、軍務卿は呆然としている参謀総長に「自身の後任者」となるように迫った。先程の海軍提督の時とは……エラく違った()()()である。


「な……なるほど……既に陛下にも……御承諾を得られていらっしゃる……」


エネルギー切れの総長はガックリと項垂れた。どうやらこれは……「逃げられない案件」である。元々は()軍務次官をも凌駕する「頭の回転」を誇る参謀総長はそう悟った。


「わ……分かりました……。それでは1年だけ……1年だけですよ?」


顔を少しだけ上げながら、「恨めしそう」な上目遣いで上司を睨みながら参謀総長は念を押しつつ……「退役の前倒し」と「繋ぎの軍務卿就任」を承諾した。


 軍務卿は小さく溜息を吐きながら


「やっと分かってくれたか……。これで私も漸く……肩の荷が下りたようだ……」


巨きな身体をソファーに預けて疲れた表情で……安堵の言葉も吐き出した。


「では貴官の任期を2月12日までとし、翌旬18日までに()()部屋に移る準備をしておけ。それと……一応は除書の内容が公表されるまで、この件は他言無用だ」


「しょ、承知しました……」


「それと、貴官(総長)の後任についても考えておけよ?()()()の人事承認が恐らく私の……最後の仕事となるだろう」


「はっ……。人選を急ぎます……」


「ではご苦労だった。疲れただろうから、帰りに階段を転げ落ちないように気を付けろよ」


「はっ……お心遣い……感謝致します。では……失礼致します……」


まるで長時間の叱責を浴びたかのように精神を摩耗し尽くした参謀総長はフラフラと立ち上がって、ヨロヨロと挙手礼を行い、ノロノロと執務室から去って行った。前室を通り抜ける際に、3人の女性秘書官が一斉に立ち上がり、疲弊し切った様子の彼に対して


「お疲れ様でございました。今後とも宜しくお願い申し上げます」


「宜しくお願い致します」


と、ウェイン中佐に続いて残る2人も唱和しつつ挙手礼を行うと、総長は力無くそれに応礼しながら廊下に退出して行った。


 廊下に出た総長閣下は、西階段を手摺りに縋りつくようにして下りながら


「ら、来月から……毎日こんな階段を上り下りするのか……」


と、声に出してボヤきながら


(ああ……モリーに……「予定が1年延びた」と伝えなければならんのか……)


老妻の残念そうな顔を脳内に浮かべながら、足を踏み外しそうになりつつ階段を一歩一歩踏みしめるように下りて行った。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ロデール・エイチ

61歳。前第四艦隊司令官。海軍大将。第534代王立士官学校長。勲爵士。

剛毅な性格として有名。タレンの戦技授業改革に賛同して協力者となる。


ヨハン・シエルグ

65歳。第377代軍務卿(軍務卿就任に伴って侯爵叙任)。元陸軍大将。元王都防衛軍司令官。

軍務省の頂点に居る人物であるが、軍務省を動かしている軍官僚達を嫌悪している。

タレン一派の提唱する「白兵戦技授業改革」を耳にし、主人公の持つ技量を目にした事で「歪められてきた白兵戦技」の責任を教育族に取らす決意を固める。

若い頃に士官学校の白兵戦技(歩兵槍技)教官の経験があり、その頃から生徒に恐れられていた。


カイル・ヘルナー

59歳。王国軍参謀総長。陸軍大将。勲爵士。

王国軍制服組のトップ。幼少時から体が弱く、士官学校時代も実技成績が振るわなかったが、座学の成績が極めて良好であった為に卒業後は参謀本部で頭角を現す。用兵家と言うよりも兵站家としての才能を評価されている。


****


タレン・マーズ

35歳。王立士官学校三回生主任教官。陸軍少佐。

ヴァルフェリウス家の次男。母はエルダ。士官学校卒業後、マーズ子爵家の一人娘と結婚して子爵家に婿入りし、家督を相続して子爵となる。

主人公によって「本来の白兵戦技」を知り、白兵戦技授業の改革に乗り出す。

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