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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第四章 戦乱の大陸
112/129

後任者選び

【作中の表記につきまして】


アラビア数字と漢数字の表記揺れについて……今後は可能な限りアラビア数字による表記を優先します。但し四字熟語等に含まれる漢数字表記についてはその限りではありません。


士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム(メートル)法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


作中世界で出回っている貨幣は三種類で

・主要通貨は銀貨

・補助貨幣として金貨と銅貨が存在

・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚


平均的な物価の指標としては

・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。

・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。

 朝から起こった軍務省での人事騒動によって、その内容が徐々に省外に知れ渡るに連れ……王都の王城北地区を中心として市街中心部は一時大混乱となったが、午後に入りその騒擾は徐々に鎮静化して行った。


一時は王都防衛軍に呼集が掛かり、当番以外の兵も動員され……王城や防衛軍本部の周辺を固めさせるような事態にまで発展したが、参謀本部からの伝令が四方に走り、総長命令でそれらの部隊も解散させられたのである。


「いやぁ、それでもまだ市中は賑やかですな」


 北地区6層目にあるタレンの知り合い、テツが経営する居酒屋「金柑亭」に現れたベルガは、先に到着してビールの入ったグラスを片手に彼を待っていたタレンに王城周辺地区の様子を伝えた。彼はつい先程まで憲兵本部庁舎で上司である憲兵課長から情報を仕入れて居た為に、退勤時間に真っ直ぐこちらに来たタレンよりも到着が遅くなってしまったのだ。


「ご苦労さん。とりあえず一杯やってくれ」


「オーガスさん、どうぞ」


店主のテツがグラスにビールを注いで持って来た。それを「テツさん、ありがとう」と笑顔で受け取ったベルガが、一気に喉に流し込み……「フィ~」と息を吐き出す。


「で……どうだった。課長殿から何か聞けたか?」


「ええ。まぁ、課長殿にもまだ大っぴらに話せない部分があるらしいのですが……主任殿とヘンリッシュ殿には宜しくお伝えするように言われましたよ」


「そうか。まぁ、今回の件に課長殿が加わっている『側』が大きく絡んでいるのは確実のようだな」


「そうでしょうね……。ただ、午後になってちょっとした『噂』が本省内に流れて来まして……」


「噂……?」


「はい……。どうやら軍務卿閣下が辞意を表明したと……」


「何っ!?どういう事だ?」


「いや、詳細はまだ分かっておりません。何しろまだ『噂』ですから……」


「そうか……まぁ、明日になればもう少し事情は見えて来るのかな……。では、そろそろ行くか」


「はい。ご馳走様でした」


「テツ、いつも開店前の時間に済まんな。また来る」


「ヘーイ。お気を付けて」


 いつものようにテツに見送られながら2人は金柑亭を出て、彼らの元上官であるフレッチャー元第一師団長の邸宅に向かって歩き出した。


「さて。もしかしたらこれで……このような形で『会合』を開くのも最後かもしれんな……」


「あぁ……なるほど。もう我々もこうして色々と隠れて集まる必要も無くなるわけですからね……」


「うむ。先程の噂が本当であれば……軍務卿閣下が()()()の邪魔をして来るという可能性も低くなるしな」


「そうですね……」


「まぁ、しかし……この会合が無くなるとしても、師団長閣下のお宅にはこれからも定期的に訪れようとは思っているけどな」


「はい……私もお許しが頂けるのであれば、今後も時折閣下のお顔を拝見させて頂きたいです」


2人は金柑亭から程近く、5号道路を挟んだ向こう側の5層目にある元師団長邸の門を潜った。


****


「今日は何やら色々とあったようだな」


 執事に案内されて入って来たタレンとベルガを迎えて、邸宅の主である老将軍は居間のソファーに座ったまま声を掛けて来た。


「はい。軍務省周辺はまだまだ騒がしいようですね。職員達は、『今日中にまだ何か起きる』とでも思っているかもしれません」


2人は並んで挙手礼をした。既に退役して久しい元師団長は「そのような儀礼はいらん」と言っているのだが、やはり昔の癖で体が動いてしまうのである。何しろ、2人にとっては中尉時代、それと新任少尉時代にその所属師団のトップだった人物なのである。


 部屋には既に他のメンバーが2人到着していた。2人はソファーから立ち上がって挨拶をしてきた。


「シーガ君、早かったな」


「はい。私はお2人と違って真っ直ぐ()()()に向かって来ますので」


イメル・シーガ一回生主任教官が笑いながら応えて来た。彼女は結局最後まで「改革派」である事を「相手側」に全く気付かれなかったようだ。


そして、もう1人の先客……彼はこのメンバーの中で唯一の学生なので、そもそも他の者よりも構内から出て来る時間が早い。彼は今日も一番早くこの邸宅に到着して、患者であった老将軍の診察をしていた。


「ヘンリッシュ君には毎度身体を診て貰って助かるよ」


「閣下のお心掛けも宜しいようで、最早体力も元に戻られているようですね」


「うむ……つい3カ月前まではベッドから立ち上がる事も出来なかったのだがな……不思議なものだ」


「まぁ、閣下の場合は一応……救世主教の治療術官によって病巣自体は除かれていましたから……」


首席生徒は特にそれを誇る事も無く、淡々と語った。謙遜している様子すら見受けられない……いつもの彼の語り口である。


「エイチ様がいらっしゃいました」


 執事が学校長を連れて部屋に入って来た。老将軍も立ち上がって挨拶をし、他の者は挙手礼を行う。それに軽く手を挙げた校長閣下は


「遅くなって済まなんだ。すぐに出ようと思ったのじゃが……本省から伝令が参っての」


学校長の言葉に皆驚き


「閣下のお部屋にですか!?」


自席が校長室の扉の前に位置しているタレンが尋ねる。


「うむ。部屋を出る準備をしておったら、17時をちょっと回った頃にやって来よったわ。軍務卿からの伝令じゃった」


「小官は17時になると同時に職員室から出ましたから……擦れ違いになったようです」


「して……伝令は何と?」


老将軍の問いに学校長は


「ええ。明日本省で開かれる高官会議の後……14時頃を目途に儂と会いたいと……軍務卿が所望されているようですな」


「つまり……閣下との会談を望まれていると?」


「うむ。恐らくそう言う事なのじゃろうな」


 学校長の答えを聞いたタレンがマルクスに向き直り


「ヘンリッシュ。実は先刻……ベルガが本省で『軍務卿閣下が辞意を表明した』という噂が流れていると言っていたんだが……君はどう思う?」


と、この場においては唯一の学生であるマルクスに対して意見を求めた。その話を聞いたベルガを除いた他の者達が驚きの声を上げている。


「辞意ですか……。まぁ、そうでしょうな。どうやら『教育族の更迭』という出来事が事実であるようですから、それが成されたのであれば軍務卿閣下は彼らと『刺し違えた』という事にも頷けます」


マルクスはタレンからの質問に対して、アッサリと()()を肯定した。実は……軍務卿の動きに関しては既に《青の子》によって一昨日辺りから()()動向が掴まれており、「軍務次官が元内務卿と市内の高級レストランで接触を図った」という情報も、その一環であった。


 《青の子》は、年が変わった頃から王都の人員を増員し、軍務省内にも用務員として複数人が潜入しており……、1月の中旬頃から軍務卿を含む最高幹部は、省外の行動まで見張られていた。25日に開廷された前情報課長を裁く軍法会議の詳細もかなり早い段階で把握していたようだ。


彼は軍務卿が宮廷に参内した事実も当然知っていたし、その時の様子もかなりの精度で推測していた。軍務卿の辞意表明は想定の範囲内で、更には後任人事さえ予測済みなのだ。


マルクスにとっては、「軍務卿が教育族を更迭するのか否か」だけが焦点であり、「そうなってしまえば」という条件付きで「こうなる」事は全て見越していたと言ってもいい。


「では軍務卿閣下は本当に辞任すると?」


「ええ。教育族を更迭したと言うなら……いや、更迭に踏み切るのであれば、軍務卿閣下には選択肢がほぼありません。自らの進退を賭けないと、恐らくは難しいでしょうしね」


「どういう事だ……?」


「教育族……特に最高幹部の4人は将官であり親補職です。彼らへの人事権は一応軍務卿閣下がお持ちですが、実際に()()を行使するのであれば最終的には国王陛下の御裁可が必要となります」


「あ……なるほど」


「つまり軍務次官を始めとする将官を4人……それも一斉に更迭するには、どうしても軍務卿閣下ご自身で陛下への奏上が必要となり、その際には『何故更迭処分に至るのか』という理由を陛下が御納得される形でご説明する必要があります」


 マルクスはここでニヤニヤしながら


「そうなると……どうしても軍務卿閣下としては『更迭処分』という厳罰裁定に説得力を持たせる為、最終的には『あの数字』を陛下にお示しするしかないのです。その上で彼らの非を訴えないと……恐らくは『4人の将官級官僚の更迭』は難しいと思いますよ」


「うーむ。そうか……。しかしそうなると……疑問がまた1つ生じるな」


「何でしょう?」


「今の話を聞いた限り……教育族の放逐を実現する為には『あの数字』を陛下に御説明する事は避けられない……それを軍務卿閣下自身が行うのか、『時間切れ』で司令官閣下のご子息(侍従長殿)に奏上されるか……その違いしか無いように思える。そうなると、軍務卿閣下は最初から『職を辞する』以外の道は無かった事にならないか?」


「はい。仰る通りです。元々、私が『()()要求』を軍務省側に出した時点で……軍務卿閣下の命運は尽きていた……そう申し上げるのは大袈裟かもしれませんが、私は()()方に責任を取らせるつもりで実行しましたのでね」


「何だと!?」


マルクスがあっさりとタレンの疑念を肯定したので、それを聞いたタレンは仰天した。少し遅れて今の会話を脳内で理解した他の者達も驚愕の声を上げる。


「では……君は……始めから……軍務卿閣下を辞任に追い込む為に、あの要求を突き付けた……と?」


「ええ。今も申し上げた通りですね」


「なっ、何故だ……!何故そのような事を……」


 一士官学生が軍部のトップである軍務卿を辞任に追い込む……普通では考えられない行為であり、場合によっては「暴挙」にすら思える。


「私がこう申し上げるのは余りにも僭越ではございますが……。私は当初から()()御仁に対し、国王陛下の代理人たる省庁のトップとしての資質に疑問を持っておりました。『教育族』という連中を生み出したのは結果的に、人事権をいい加減に扱った彼の責任です。教育族は軍務官僚の倫理観を陳腐化させましたが、それと同じくらいヨハン・シエルグ卿にも責任がある……私はそう思います」


そのように語るマルクスの目は細められており、その身体からは言い様の無い「圧倒的な迫力」が吹き出しているような錯覚を周囲の大人は感じてしまい……反論する事さえ出来ない。


 文明国たるレインズ王国は代々の国王が、国内随一とも言える「実力組織」である王国軍に対して、「君臨すれど支配せず」という態度を建国以来執り続けて来た。


建国時ですら、実際に建軍間も無い王国軍を率いて大陸統一を果たしたのはアリストス大王自身では無く、彼の盟友……「黒き福音」であった。


そして軍部は最高司令官たる国王からの絶対的な支配を受けない「代償」として、「決して腐敗しない、させない、特定の家に支配されない」という「大原則の書かれた看板」を掲げて存在し続けて来たはずなのである。


(さき)の「ネル家騒動」が「特定の家による軍閥形成」として、結果的に軍部内で近年稀に見る大粛清に発展したのも、このような倫理意識(モラル)が長年に渡って醸成されていたからであった。


しかし第377代軍務卿ヨハン・シエルグが行ってきた「官僚から上がって来る人事案を右から左に」という姿勢は、その倫理意識を棄損し得る行為であり、実際それによって「教育族」の増長に繋がった事は、マルクスにとって「ネル家の軍閥形成」以上に許し難いものであったのだ。


「なので私は、『白兵戦技教育を改革したい』と主任教官殿が私に打ち明けられた時点で……今回の『成り行き』は避けられないと思っておりました」


「そっ、そんな頃から君は……」


「はい。戦技教育を『在りし日の姿に戻す』など、今の軍務官僚には最早不可能でしたからね。その上で()()を実現させるのであれば、戦技教育を改革するよりも先に……現在の()()()()()を改革しないといけないのですよ」


「今の陸軍主体の士官学校における教職員体制で戦技教育の改革など実施出来るとお思いですか?現代の、あんな『貴族の決闘ごっこ』のような戦技しか教えられない授業をですよ?主任教官殿。まずは……あなたご自身が認識しなければならない事があります」


「な、何だい……?私が……?」


「現代の士官学校のような、教育内容が低劣化している状況を『改革するという意識』は……()()()()この学校に赴任されたからこそ生まれたのです。貴方がもし赴任して来なければ、この学校はこれまで通りの低劣極まりない教育が行われ、王国軍が時代と共に衰弱して行く流れは変わらなかったと思いますよ」


「そっ、そんなバカな……そんな事は……」


「いや……そうじゃな。事実、儂なんぞは君から今回の件で意見の具申を受けなければ……自室に籠って任期をただ全うするだけになっておったじゃろうな……」


「はい。私もそう思います。『北の戦場』でご活躍されていたマーズ殿がお誘い下されたからこそ、私も()()に居るのです。そうで無ければ……私も教官職をあと1年か2年、恙無く勤め上げて原隊に復帰するだけの人生になっていたでしょう」


首を横に振りながらマルクスの話を否定しようとしたタレンに対し、学校長とシーガ主任はそれを肯定した。


「お解りですか?この『改革』はあなたのような『戦場の経験者』でないと思い付くような事では無いのです。今の腐り掛けている軍務省の()()な官僚達では決してやれる事では無い。何しろ大半の教官が『実戦を知らない軍中央の士官』や委嘱された市民階級の者ですからね……」


「そうじゃな……。海軍出身者は、二回生の海軍科で航海技術関連を教える者しかおらんからな。白兵戦技教官なんぞ『()()()()()武術』しか知らん陸軍士官しかおらんではないか」


学校長が笑っている。このような学校批判を堂々と行えるのも、彼が海軍出身者だからであろう。陸軍出身の学校長であれば、「あの教頭」のように「今の士官学校教育の何が悪い!」で終わってしまっていた可能性が高い。


現に、戦技教官経験者であるはずのヨハン・シエルグ氏は、教官退任後も30年に渡って士官学校教育に何の疑問も抱かないままに、「戦を知らない」王都防衛軍一筋でその頂点まで上り詰めた。


「本当の戦場を知らない陸軍士官しか居ない軍務省と、士官学校教官職を『出世コース』くらいにしか考えていない軍中央から改革しなければ、結局は将来再び『王国軍の弱体化』に繋がると思いますよ」


この部屋の中で最年少であるはずの士官学生の言い分に対して、周囲の大人は全く反論出来ずにいる。この若者が口にする言葉は……いつも反論の余地の無い程の「ド正論」なのだ。


 学校長は、相変わらず笑いながら


「しかし君は任官を希望していない割に、随分と王国軍の将来を憂えてくれているんだな。儂としては……君のような逸材が軍に入ってくれれば将来に何の不安も無くなるのだがね……」


「そこはご容赦下さい。私はそもそも、この学校には船舶艦艇運用の知識(ノウハウ)を学ぶ為に入って来ているのです。軍人になろうとは思っておりませんよ」


マルクスはニヤニヤしながら応えた。


「今も申し上げましたが、私だってマーズ主任教官殿が『白兵戦技授業を何とかしたい』と私に協力を求めて来られなければ……適当に3年間を過ごして卒業し、故郷の就職面接で『士官学校の海軍科で船について学びました』と申告出来れば十分だと思っておりましたから」


 実際、彼の目的は「戸籍の確定」と「トーンズ海軍創設に向けての基礎知識獲得」であったので、「適当に3年間を過ごす」という言い分は()()()()間違ってはいない。タレンから「余計な事」を頼まれなければ何もわざわざこの「腐り掛けた王国」に対して貢献しようなどとは思わなかったはずである。


彼が肩入れした戦時難民達は、既に隣の大陸で先進国家を築きつつあり、彼としては最早この王国がどうなろうが知った事では無いし、それでも敢えて言うならば……彼の生まれ故郷である「ダイレムの人々の安寧」だけを心に留めておけばいい……その程度であった。


しかし、タレン・マーズという「母の一族の業敵」とも言える公爵夫人エルダが産んだ人物に対しては、当初こそ「偽次男」として冷やかに見ていたが、彼個人の持つ安定した人格や……マルクス自身の持つ「高潔さ」に通じている所もあって、何時の間にか彼を援けるようになっていたのである。


(例え将来……「破局」が訪れ、エルダは没落しても……このタレンだけは何とか救い出してやってもいい)


マルクス……いや、ルゥテウスはそう考えているのだ。この男であれば……ヴァルフェリウス家が消滅しても、マーズ家当主として立派にやって行けるだろう……と。


「そうか……まぁ、君の将来に関してはもう儂も諦めてはおるが……一応は今も軍人の端くれである儂としては、王国軍の将来について考えずばなるまいよ」


「学校長閣下……閣下も今回の件、他人事では済まないと思いますが」


相変わらずマルクスはニヤニヤしている。


「何じゃと?儂はただ……残り1年半の任期で士官学校を『昔の気風』に戻す事だけが生き甲斐なんじゃぞ」


「そのお志はご立派ではございますが、皆様は1つ……お忘れになられている事がございませんか?」


「うん……?忘れている事?……何か校長閣下にご関係があるのか?」


「軍務卿閣下が辞意を表明した……まぁ、将官級の本省最高幹部4人を『道連れ』にされるのであれば、恐らくは本当の話でしょう。しかし問題はその『後』です。この時期……2月の除目の前に軍務卿閣下が辞任されるならば、当然ですがその『後任問題』が浮上するわけです。まぁ、今回の場合は軍務卿閣下だけでなく、次官や人事局のトップ人事も含めてです」


「なっ!?そっ、そう言えば……」


タレンが顔色を変えた。「教育族を放逐した」と喜んでいるのは寧ろ……ここに集まっている者と、恐らくは彼ら教育族によって幹部人事の膠着に忸怩たる思いを抱えていた一部の高級官僚だけであろう。


大多数の軍部関係者にしてみれば、「軍務省の上層部に大穴が空いた」という認識なのだ。しかもこの……「人事局が一年でもっとも忙しく……最も神経質になる時期」にだ。


「そして、私の予想では恐らく……軍務卿閣下の後継人事の筆頭に挙がるのは学校長閣下……あなた様だと思います」


ニヤニヤしながら、この士官学生はとんでもない「予言」を吐き出した。それを聞いていた大人達は皆一様にポカンとしている。彼の放った言葉の意味があまりにも突飛過ぎて……頭に入っていないのである。


しかし……予言を受けた本人が一番早く、脳内反応を終えて驚愕の声を上げた。


「なっ!?何じゃと!?わっ、儂が……?」


その言葉によって周囲の者達の脳内も一斉に活発化されたのか、次々と「その言葉」を理解して声を上げ始めた。


「こっ、校長閣下が次期軍務卿……候補……ほっ、本当なのか!?」


この……自分の人生の中でこれ程「頭の切れる人間」は見た事が無いと思える若者が、この種の推測推理を冗談で言うわけが無い……だからこそ、タレンの驚きは大きなもので……それは他の者達も……名前を挙げられた本人ですらそう思ったのだ。


「はい。私の推測では、現時点で『次の軍務卿候補の筆頭』にはロデール・エイチ提督……学校長閣下のお名前が挙がっていると思われます」


「儂が……そ、そんな事は……」

「『有り得ない』とお思いですか?」


未だ驚愕が治まらない本人の言葉に被せるかのように、士官学生が尋ねて来た。「たかが一士官学生」が学校長の発言を阻むかのように言葉を被せたのだ。その表情からは笑いが消えている。


「軍務卿という職位は、軍務省の官僚が決めるのではありません。今上陛下(最高司令官)がお決めになられるのですよ」


「お、陛下(おかみ)が……」


「現時点で陛下にとって、ヨハン・シエルグ氏の後継に指名する程に信頼を寄せているのは、唯一の大将による勅任官であらせられる士官学校長閣下……ロデール・エイチ提督しか考えられません」


この……これまで世の中の事象、そして過去に起こった歴史について全てを見透してきた知慮溢れる若者……マルクス・ヘンリッシュの断言は彼らにとって決して軽く扱えるものでは無い。そして、この言葉を吐いた時の彼の顔は……いつになく真顔であった。


「儂が……ほ、他にも陛下が御信頼あそばされる者など沢山おるじゃろう……」


「今回の軍務卿閣下のご退任に対して、その後継候補となる方は学校長閣下の他にも3人考えられます。ご存知の通り、これまで『順番』で任じられて来た『軍中央の三長官』の方々であります」


 マルクスの言葉を聞いた面々は一斉にタレンの方に目を向けた。タレンの父、公爵家当主のジヨーム・ヴァルフェリウス王都方面軍司令官が真っ先に頭に浮かんだからであろう。実際、タレン自身もそう考えた。


以前……「ネル家騒動」が起きた際、「官僚達が警戒している」として……公爵閣下の名前が、この士官学生の口から挙がった事を思い出した。当時の法務官を始めとする軍務省上層部は、ネル家騒動を奇貨として……公爵閣下が軍務卿の地位を狙うのではないかと本気で考えていた節があるのだ。


「このお三方、まずはシエルグ卿の2代後に中ります、現職の王都防衛軍司令官ウェルス・ミイル大将閣下は、昨年着任したばかりでまだ58歳。しかも現軍務卿閣下の出身母体であるので真っ先に候補から外されると思われます。何しろここ30年程は『順番』に回してますからな」


説明を始めたマルクスは苦笑した。「順番に回している」と表現した時点で、彼の「軍務卿任命」を揶揄する気持ちが見え隠れして、シーガ主任も吹き出した。


「次に……主任教官殿のご父君でいらっしゃるヴァルフェリウス王都方面軍司令官閣下ですが、公爵閣下も私が見る限り、軍務卿という地位に対して……それ程強く望まれていらっしゃらないように思えます」


「うん。私もそう思う。父は昔から、そのような地位を欲する人物では無いように思えるのだ。私からの主観ではあるが……現職にしても本人はそもそも望んでの就任では無い気がする」


「ほぅ……そうなのか?」


校長閣下の問いに


「はい。何時だったか……父の私的な護衛官を務めております者に『閣下は陛下に頼まれて、止むを得ず就任した』という話を聞いた事がありました」


「何と……なるほど。公爵閣下のような臣下として最高位におられ、陛下からの信頼が絶大であるが故に領地では無く、王都にお留まり頂きたいとする叡慮によって任命されたのかもしれんな」


タレンの話を肯定したのはフレッチャー元師団長である。フレッチャーは現役時代、自らが率いる第一師団の管轄と隣接する公爵領との連携を話し合うべく、公爵閣下()()()と会談した経験があった。


その頃丁度……王宮から再三に渡って、ジヨームに対して王都方面軍司令官への就任が打診されていた時期であり、会談でヴァルフェリウス公爵から


『本当は()()地を離れて王都に住まうのは本意では無いのだがな……。君のような軍人が近隣で目を光らせてくれているなら……まぁ、陛下の御召しに応じても構わんだろう……。面倒をかけるが、我が領地の事も頼めるだろうか』


と、「お言葉」を頂いた事があると言うのだ。


「父が……そのような事を言ってましたか……。なるほど。あの方らしい」


タレンは苦笑した。父は長男であり、タレンの兄でもあるデントの「統治者としての能力」が乏しく……過去に領政を代行させて捗々しくない結果に終わった事に不安を感じていたのではないか……と思ったのだ。


 その当時のタレンは「最初の異動」によって王都で士官学校教官を勤めていた時期であったのだが、結局フレッチャー師団長の要請に応じ、僅か3年で妻子を王都に残して北部方面軍へ復帰する事を承諾したのは、「無能な兄に代わり……せめて自分が三叉境界地帯を引き受けねば」という気持ちが働いた事が大きな理由であったのだ。


「そうなりますと、残った候補は現参謀総長のヘルナー大将閣下だけなのですが……皆様もご承知かと思いますが、参謀総長閣下は健康面に不安がございます」


「ヘンリッシュは参謀総長閣下を知っているのか?」


「いや、別に面識がある……というわけではございませんが、何度かお見かけした事はございます」


「私も総長閣下はそれほど健康状態が芳しくないと聞いた事がある。君から見てどうなのだ?」


「まぁ、毎度の事ですが……触診してみないと、そこは何とも言えませんね。ただ……お見かけした限りでは、先天的に臓器……恐らくは肝機能に疾患をお持ちなのではないかと」


「そっ、そこまで分かるのか?」


「まぁ、お酒を全く飲まれないと聞いておりますし、普段のお顔の色もあまり宜しそうではございませんね。偏食による生活習慣病とは違うようなので、恐らくは幼少の頃からの疾患ではないかと……」


「凄いな。やはり君は軍人よりも医者になるべきだ。私のような重病人すら簡単に治してしまう程だしな……」


老将軍が笑い出すと、ベルガも「そ、そうですね……」と小さく笑った。


「まぁ……そういうわけで、参謀総長閣下は能力的には問題無いのですが……健康面で問題があるのです。そうなってしまうと三長官の中で後任に推せる方がいらっしゃらない。そもそも、定年を延長したとは言え……まさかその1年目で辞任されるとは……ご本人を含め、誰も考えて居なかったでしょう」


自らその「辞任」に追い込むように仕組んでおきながら……まるで他人事のように話す若者に対して、周囲の大人は呆れながら


「じゃが……そうなると候補者は儂……という事になるのか?あまりにも安直過ぎやせんか?」


「そもそも、官僚学校御出身の今上陛下にとって……現在恐らく厚い信頼を寄せている軍高官は長年王都防衛軍で役職を重ねて来られたヨハン・シエルグ氏と、精鋭名高い第四艦隊を率いて北部アデン海の平和を護って来られたロデール・エイチ提督、このお二方だけだと思います」


「ヴァルフェリウス公爵閣下は、軍人では無く『個人的な御友誼』によって御信頼されていると思われますので、軍務卿閣下の後任者としてならば学校長閣下だけなのではないでしょうか。公爵閣下を仮に軍務卿に任命してしまうと、就任中は王都を離れる事が出来なくなりますので、領民を大切にされる公爵閣下に却ってご心労を掛ける……陛下はそのように御叡慮されると思います」


 いちいち説得力に溢れる士官学生の「見解」を聞いて、大人達は「なるほどなるほど」と、最早この「推測」が「既定の事実」なのではないかと錯覚し始める者さえ居た。


「しっ、しかし……儂は海軍出身者じゃぞ。『海軍出』の軍務卿など……」


「ご安心下さい。過去の歴史において海軍ご出身の軍務卿は9人いらっしゃいます。閣下で丁度10人目ですね」


士官学生の見せる……ニッコリとしながら「おめでとうございます」と言わんばかりの様子にシーガ主任が再び吹き出した。自分もつい……「おめでとうございます!」と言い出しそうになったのだ。タレンもやはり笑いを堪えている。この若者が「ここまで」確信を持って言っているのであれば、なかなかに信じられないのだが……「10人目の海軍出身の軍務卿誕生」は動かし難いように思えて来た。


しかし、この話を聞いていた学校長本人は冴えない表情だ。


「仮にそのような後任人事が実施された場合……やはり就任は来月の除目じゃろう?儂は今この状況を投げ出して、()()職から離れたくは無いのう……」


「問題はそこです。学校長閣下の残り任期は約1年半。つまり任期を半分しか務められておりません。それに今回の件によって閣下が待望されていた『士官学校の改革』が進められる事になります。失礼ながら……閣下のご気性ではとても『投げ出せない』のではないかと……」


「わっはっは。その通りじゃ!これから漸く面白くなって来るところで『引っ張り出される』のは……いかな儂でも面白くないわなぁ」


豪快に笑い出す校長閣下を見て、遂に皆笑い出した。


「しかし閣下は明日……軍務卿閣下とご会談なされるのですよね?恐らくその内容はこの『後任人事』の事だと思いますよ」


「なっ……!そ、そういう事か!何故儂を呼び出そうとしているのか……見当も付かなかったが……」


校長閣下は先程の退勤間際の出来事を思い出して顔色を変えた。


「恐らく……軍務卿閣下は、国王陛下より御内諾を得られていると思われます。つまり……『シエルグ卿の辞任』と『エイチ提督が後任』は抱き合わせ(バーター)で陛下に御承諾頂いているものと考察します」


「そ、そんな……」


「なので明日の会談では軍務卿閣下から、学校長閣下へ……懸命の説得が成されると思われます。閣下が()()を、どう受け止められるかは閣下のお心次第ではありますが……果たして拒み切れますでしょうか……」


マルクスは再びニヤニヤし始めた。この表情はやけに意地の悪いように見える。


「むぅぅ……」


校長閣下は突然降って湧いたような「難題」に対して顔を青くしながら考え込んだ。


「ヘンリッシュ。人が悪いぞ。校長閣下にちゃんと『抜け道』を教えて差し上げろ」


堪り兼ねたタレンがマルクスに対して「助け舟」を出すように促すと、彼はニヤニヤしたまま


「閣下。ご安心下さい。実はそれほど深刻な事にはなりません」


「なっ、何じゃと!?」


「シエルグ卿も『バカ』ではないでしょうから、恐らく理を尽くして説いたところで……閣下がこの件で()()()()と首を縦に振るとは思っていないでしょう。何故なら……シエルグ卿ご自身が『エイチ校長が()()改革集団の旗頭』であることをしっかりとご認識されていらっしゃるからです。彼はこの改革を閣下に実現させる為に教育族と刺し違えられたのでしょうからな」


軍務卿閣下に対して一士官学生の相当に無礼な言い草だったが


「なっ……そ、そうか。そうだわな……『あの方』もそこはしっかりと分かっておいでじゃろうて」


校長閣下は胸を撫で下ろした。


「それに、この『改革』には学校長閣下のお力がどうしても必要となります。残りの任期である1年半……。閣下に現在の職から退かれては我々が困るのです」


「むっ……?儂の力……?この老いぼれの力がか?」


苦笑する校長閣下に対し、慌てたタレンやシーガが「そんな事はございませんっ!」と声を上げて窘める。マルクスはまた真顔になって


「この改革を始めるに当たり……マーズ主任教官殿から閣下へ『計画書』をご提出されたと思いますが……憶えておいででしょうか?」


「もちろんじゃ。儂は()()を見て、この改革……『上』が黙認すれば必ずや成功すると確信したからの」


「左様でございますか。あの計画書でも提案されておりましたが……白兵戦技授業改革の第一歩として、海軍士官をもっと戦技教官として採用する事が非常に重要となります」


「おぉ。その項目も目にしたぞ。確か……船への『乗組み(航海任務)』に耐えられない傷病者も活用すると書いてあったな」


「はい。その通りでございます。実戦経験が豊富な海軍士官……現役の乗船士官はもちろん、四肢の一部を失った退役兵も採用の対象とする……。これは改革の骨子としてかなり重要な部分であります。戦技教官だけで無く、座学の教官としても当然期待出来ます」


「ふむ。儂はあの案を見て……本当に感心したものじゃ。今の本校の教官は明らかに陸軍中心……それも軍中央の者ばかりだしの」


「しかし、この海軍士官の採用ですが……私が思うに、これまでの学校の歴史経緯から鑑みて……ただ海軍本部に要請を出したところで『あちら』が受け入れてくれますかどうか……」


「ほぅ……どう言う事かね?」


「これまでの本校側……いや実際は本省の教育部が、海軍側を蔑ろにし過ぎました。恐らく海軍本部……いや海軍士官の方々は、本校に対して相当に『冷たい目』で見ているのではないでしょうか」


 マルクスによる、この指摘を聞いた大人達はハッとした。実際、現在の士官学校本校にて2回生の海軍科教官の中には、任期途中で「転出願」を提出してチュークスや他の海軍基地にある原隊に()()()()戻ってしまう者の割合が非常に多い。士官学校教官の任期は概ね平均で5年程度。満期後に原隊復帰すれば慣例により確実に1階級の昇級と昇進が約束され、「教官職経験者」という経歴は……その後の更なる昇進速度にも影響するようなので、「エリートコース」とまで言われている。


入学考査で不合格となり、浪人した事によって「年齢よる不利」を受けた者でも、この士官学校教官という経歴を持つことで、その後の出世競争で多少の取返しが可能であると考えられている程だ。


しかし本校に赴任して来た海軍士官出身の教官は、本校の雰囲気に馴染めなかったり……あからさまな軍務省による陸軍優遇の空気に嫌気が差して、任期途中で「約束された昇級」を蹴って、原隊に去ってしまうのだ。その中途転出率は実に6割前後と言われている。満期まで勤める者の方が少ないのだ。


 そもそも、分校の教官への転出はともかく……「士官学校本校の教官への転出」である場合は、()()内示すら拒む者も多数居り、海軍上層部も転任拒否をした者に対して無理に転勤を勧めるような事はしないようだ。士官学校関係者の異動が起こる「夏の除目」において、最後まで決定が遅れるのが「2回生海軍科教官の選抜」なのである。


「現在の本校……いや、教育部に対する海軍側の信頼度は……『底を打っている』と思って宜しかろうと思います。私は海軍科を志望しておりますので、海軍科の教官方についても色々と観させて頂いておりますが……今年度も既に3人の教官が本校を去られていらっしゃいますよね?」


「うっ……確かに……。そうだな……君の言う通りだ。既に何人かの海軍科の教官がチュークスに帰ったという話はアーバイン主任から聞いているなぁ」


タレンもその事実を認めた。


「そのような状態で『士官学校を改革します!つきましては海軍出身教職員を増員します!』と言ったところで、海軍側が人を出してくれますかねぇ……。そして満期まで勤めて頂けますねぇ」


「そ、そう言われてしまうと……」


「なので学校長閣下……第四艦隊を率いていたロデール・エイチ提督の『顔』が必要になってくるのですよ。学校長閣下の海軍における名声は抜群です。今いらっしゃる本校の海軍科教官の皆様は、(ひとえ)に『学校長がエイチ提督だから』という理由で辛うじて残って頂いている方が大半でしょう」


 苦笑するマルクスの話に、タレンも同様の反応を示す。『(さき)の第四艦隊司令官ロデール・エイチ』の王都における名声は、海軍の枠を超えて市民にも知られている。更にエイチ提督は前任地である東海岸北部の港湾都市ドンにおける港湾司令官も兼任していたので、現地における知名度は王都以上に高い。


更に王都においても、アデン海側のジッパ島を経由したロッカ大陸西岸地域との交易に係わっている大小の商会の経営陣にとってエイチ提督の名声は非常に大きなものになっている。


 彼が士官学校長として王都勤務となった際にはそのような商会関係者が大勢挨拶に訪れたし、そもそもエイチ提督が王都での住まいとしている邸宅は、その中の一人が手配して用意してくれたもので、東地区5層目……嘗て《赤の民》が大きく関係したマイル商会の本館の近くにエイチ提督の邸宅は建っている。


現在は海軍将官として「勲爵士」の身分であるが、退役後には准男爵への陞爵すら考えられる。彼が司令官職に就いてから、ドン~ジッパ島間の魔物絡みの海難事故や海賊や密輸組織などの無法者による海上犯罪が激減した。それは大陸北部の三叉境界地帯における治安を回復させた「北部軍の鬼公子」と同様の名声を、この名提督に与えているのだ。


「話は戻りますが、先程も申し上げました通り……シエルグ卿はまず後任の第一候補として学校長閣下の名を挙げていると思われます。国王陛下もエイチ提督が後任ならば……とシエルグ卿の辞任を承認するでしょう」


「しかし……儂は任期途中で投げ出すつもりは無いぞ?」


「はい。シエルグ卿も恐らく、その事は想定済みでしょう。なので……来年夏の除目までの『繋ぎ』となる人物……ヘルナー参謀総長に1年半だけの就任を打診すると……私は予想します」


またしても大胆な「予言」を吐き出した士官学生に対して、大人達は瞠目する。


「参謀総長閣下を……つ、繋ぎに……?」


「はい。あの方は先程も申し上げました通り……健康面に問題がございますので『原則5年』という通常の任期ですとお身体への不安があるでしょうが、1年半でしたら……」


「あっ、なるほど。最初から1年半という期間だけの就任ということであれば……お引き受け下さると?」


「はい。それに参謀総長閣下は他の三長官の皆様と違い、お若い頃から国内の様々な部隊にて参謀としての勤務経験をお持ちですので……『本来の白兵戦技教育』にも、ご理解を示して頂けるかと」


「恐らくシエルグ卿は、そこも見越してヘルナー参謀総長閣下の『繋ぎ起用』を画策するでしょう。そして学校長閣下の任期が終わる3050年度の夏の除目で『エイチ軍務卿』の誕生……という筋書き(シナリオ)です」


「き……君は……そこまで……そこまで読み切っているのか……」


この首席生徒の持つ……毎度凄まじい状況推測能力にタレンは戦慄すら覚える。彼は前回の「ネル家騒動」においてさえ、前第四師団長の行動や担当法務官の思考を全て読み切って、ネル家の軍閥形成を阻んだのだ。


「状況を分析した結果です。陛下は軍務官僚の皆様に対しては、それ程()を置かれていない……私は僭越ながらそのようにお見受け致しました。であるならば……陛下の御信頼厚き軍高官としては最早、学校長閣下だけしか残っておりませぬ故……」


「何度も申し上げますが、マーズ主任教官殿がこの……軍の後方機関である士官学校の教官職として赴任なされて、『実戦経験者』として白兵戦技授業に疑念を生じられ……その改革を思い立たれた上で私に協力を求められた時点で……私は()()実現に向けて様々な分析を行いまして……」


「で……ここまで読み切ったと?」


「まぁ、最初は教育族の面々をどう排除するかに苦心致しましたが……折良く『ネル少将閣下の件』でアラム法務官殿と知己を得ましたので……申し訳ございませんが彼らを利用させて頂きました。そこで教育族の皆様を退ける目途が立ったので、後はシエルグ卿が刺し違えるか……侍従長殿の奏上が先になるのか。2月の除目まで成り行きを見ようと思っておりました」


「何と……」


 今回の、ある意味一番の当事者である校長閣下も絶句している。孫のような年齢の士官学生によって……ここまで何もかもが「彼の予想通りの展開」だったという事に衝撃を受けている。こうなると彼までもが最早……「自分が次の軍務卿候補者」であるという彼の予想が既定路線になっているような気になり、彼は眩暈を覚えた。


「まぁ、ともかく……シエルグ卿とのご会談の際には、あちらからの言い分に流されないように……ご自身のご意見をしっかりとお伝えする事が肝要かと……」


「うむ。君がここまで読み切ってくれたのじゃ。おかげで面喰わずに済みそうじゃの」


笑い出す校長閣下に釣られて、最後は一同も大笑いするのであった


****


 一夜明け……軍務省内では最高幹部4人と教育部士官4人の電撃的な更迭劇から大分に落ち着きを取り戻し、職員達は各々自らの業務に懸命に取り組む事で何やら湧き上がる、ある種の「恐怖」を必死に抑え込んでいる様子が()()()()()()で散見された。


何故なら……まだ玄関受付横の大掲示板に貼り出されている「公示」に表記されていた「更迭理由」……「重大な職務怠慢」という文字が……「怠慢」という理由で職位だけで無く軍籍まで剥奪される……最高幹部の4人……あの軍務次官閣下ですら一瞬で軍を逐われる……。その恐怖が本省内を支配していたのだ。


 昨日とは打って変わり、本庁舎内が不気味に静まり返っている中……10時から毎月末恒例の「高官会議」が3階東区画にある「1号会議室」にて開かれた。本来であれば特に会議への「召喚者(参考人)」が居ない限り、その構成人数は9名であり、普段ならば欠席者は殆ど居ない。それが……本日の会議には2名が欠けていた。


会議の円卓、その首座に座る軍務卿の向かって左側の席を占めているはずの官僚トップの軍務次官、そしてその隣の人事局長の席も空いているのだ。軍務卿を除く他の6人の局長級幹部はそれを見て……


(本当に……次官閣下と人事局長は更迭されたのか……本当に……軍を逐われたのか……たった……たった一日にして……)


と、昨日の衝撃を思い出して身震いする者まで居た。


いつもならば、定刻の10時になるとこの会議の進行を任されていた軍務次官によって


「これより3049年1月の会議を始める。一同……起立の上で軍務卿閣下に敬礼」


という声が掛かるのだが、その当人を欠いているので……皆は会議の開始合図を誰が言うのかと困惑していたが


「会議を始める。敬礼はいらん。そのまま座ったままで構わん」


軍務卿の低いよく通る声が会議室に響き渡り、出席者の面々はどうすればいいのか解らず……とりあえずは軍務卿の隣に座っている参謀総長に習って小さく会釈だけをして押し黙った。


 いつもならば、この会議の席上でも殆ど口を開かない軍務卿が珍しく言葉を続ける。


「諸君らも既に周知の事と思うが、本省……いや、軍部における教育行政の不手際によって過去400年に渡る歴代の教育部の責任者に『重い罰』が下される事となった。諸君らの中には事情を知らず……何が起こったのかすら判らないだろうが、私の言いたい事は一つだけだ」


ここで一度言葉を切った軍務卿はそのまま勢いよく立ち上がり、目の前の円卓を両手の掌で「バシンっ」と凄まじい音で叩き


「今この場に居ない者だけではないっ!自らの職責を果たさず、地位と階級の上に胡坐をかき、傲慢な態度を取るなっ!最高司令官閣下(今上陛下)は軍人……特に諸君ら軍務官僚に対して常に厳しい目を御持ちであることを忘れるなっ!」


 (まさ)しく、ヨハン・シエルグ()()()大音声を居並ぶ最高幹部達に叩き付けた。一同は突然の軍務卿からの厳しい訓令を受けて恐れ慄いている。この出席者の中で、「今回の事情」について一応は全てを知っているのは軍務卿自身と、彼に協力した法務局長だけである。


教育族との暗闘が展開する過程で関わりを持った者も一応居る。結果として教育族に与した情報局長がそれに該当し、また参謀総長は偶然の悪戯だろうか……「軍務卿側」の攻勢となった情報課長の軍事法廷を主宰する破目になり、その裏側に「きな臭さ」を感じた。


 結果として教育族の中心であった4人はあっさりと軍を逐われたので、情報局長は余りの恐ろしさに昨日は心折れて早退してしまった程である。昨夜も当然だが全く寝付けず……本日の会議も欠席しようかと思ったのだが、それは「軍務卿に口実を与えてしまう」と考え、勇気を振り絞ってこの会議に望んだが、今の「お言葉」を聞いた彼はその小さい身体が自席で一層縮こまり、罠に掛かったネズミのように恐々とした様子を見せている。


「一応聞く。今月のこの会議において何か議題を持っている者は居るか?」


一転して静かな口調となった軍務卿が、その巨躯で立ったまま見下ろすように一同を睥睨している。


「どうした?おらんのか?」


一同は議題があるのか、本当に無いのか……口を開けずに居る。


「そうか。ならば良い」


そう言って軍務卿は立ち上がったままで


「では私から申し渡す事がある」


そして一呼吸置いてから


「今回の件……もちろん昨日の件だ。私は今回の件で責任を取って職を辞する事にした」


「えっ!?」

「なっ……!」

「閣下っ!」


 昨日の時点で既に「噂」として流れていたのだが……ここで本人からはっきりと口にされるとは……局長達は皆驚いている。


「よって、私の任期も次の除目までとなる。就任から丸6年だったが……諸君らには世話になった。改めて礼を言う」


軍務卿は頭を下げた。


「昨日の処分者と私自身の後任者は来月の除目で任命となる。私は除目の前日まで職を全うするつもりだが、既に処分済の者達は、除目まで空席で良い。人事局長の業務は人事部長に代行させる。教育部長の業務は人事部次長に代行させる。そして次官の代行は法務局長が代行するように。以上だ」


ここまで言って、漸く軍務卿は席に腰を下ろした。キレアス法務局長に次官の業務を代行させる……これはつまりエルダイス次官の後任候補はドレン・キレアス大将が有力になるのだろう。


 この場に居合わせている各部局の長達の中で、地位や階級としての先任は無いが士官学校卒業年による「先輩・後輩」の序列のようなものは存在し、その意味では参謀総長、法務局長、情報局長、そして……前人事局長が「同期」という事で同列の扱いであった。その中から卒業時の席次が一番高かったキレアス法務局長が次官の後継候補として挙げられた……他の者達はそのように受け取ったのである。


実際……この4人の中で情報局長は「教育族に与していた」という自覚があるので、そのような「後任次官候補から外れた」などと考えている場合では無く、定年退官まで残り8カ月というところで罷免される……そして軍籍まで……となれば、泣くに泣けない。もし軍籍を剥奪されれば最悪の場合、将官進級によって叙された勲爵士の身分まで取り上げられる可能性もあり、そうなれば将官年金や貴族年金までもが受け取れなくなる為、老後が相当に厳しくなる。


 軍官僚である彼には「手に付いている職能」などは当然だが持ち合わせておらず、それこそ残された貯蓄などを吐き出して店でも始めるしかないのだろうか。カンタス情報局長は、俯き加減でその事だけが頭の中を巡っていたので次官の後継人事どころの話で無かったのだ。


そしてもう一人の同期卒業者であるヘルナー参謀総長は、自らの体力に自信が無いせいか……今年6月に迫った定年退役を心待ちにしている節がある。「何もかも失う」可能性があるカンタス情報局長とは違い、彼は将官年金も参謀総長・退役大将として最高額を支給されるだろうし、当然だが将官進級に伴って勲爵士にも叙任されている。


勲爵士なので爵位の世襲は許されないが、もしかすると……参謀総長在任中の功績によって世襲が許される准男爵への陞爵がある可能性も残されているのだ。


なので彼は定年退役を()()()と迎えて、以後は身体の養生に努めよう……そのように思っていたので、自分が次官の後継候補に上がらなくても特に気にならなかった。


 結局、この場に出席している3008年度の士官学校卒業同期の中で最も席次の高かったキレアス法務局長に代行の命が下されたのは、消去法の結果のようで意外と無難な選出であった……ように見える。


実際は「7人の法務官」として今回の件で軍務卿側に付いた法務局長に、この席を占めていた者達の中で軍務卿自身が最も信頼を寄せていた……という話なのである。


法務局長は立ち上がって「はっ。承知しました」と表情を殺して短く返事をして再び着席した。


「それでは短い時間であったが解散しよう。諸君。最後に改めて礼を言うぞ。ありがとう……」


解散時の敬礼も省略させた軍務卿は、むしろ自らが再度、最高幹部達に頭を下げ……南側の扉から東廊下に出て行った。


 部屋に残った者達は、法務局長も含めて皆呆然としていたが


「では、各々方……。取り急ぎ今見聞きした事を自らの部局に伝達しましょう」


そう言って真っ先に立ち上がったのは参謀総長であった。


(そうか……閣下は職を辞されるのか。思えばあの法廷にいらしたのは……この事が関係していたのだろうな……)


彼はぼんやりと考えながら、参謀本部のある1階へと東階段を下りる。階段に向かう道すがらに通った北廊下にある次官室にはまだ誰か居たのか……。秘書官が「元の主」を手伝って身辺整理をしているのかもしれない。


(そうか……あのエルダイス閣下も、ここから立ち退くのだな……)


 ぼんやりとしたまま階段を下りていた参謀総長は、足を踏み外し掛けて慌てて手摺りに掴まった。


(いかんいかん。気持ちを切り替えよう。私も残りの半年間で「処分」されぬよう気をつけねばな)


苦笑する総長閣下は、よもや数時間後に自身が「繋ぎ」とは言え、後任の軍務卿に指名されるとは……この時思ってもいなかった。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド(マルクス・ヘンリッシュ)

主人公。15歳。黒き賢者の血脈を完全発現させた賢者。

王立士官学校入学に際し変名を使う。1年1組所属で一回生首席。

面倒な事が嫌いで、不本意ながらも「士官学校白兵戦技改革派」に力を貸す事となる。


タレン・マーズ

35歳。王立士官学校三回生主任教官。陸軍少佐。

ヴァルフェリウス家の次男。母はエルダ。士官学校卒業後、マーズ子爵家の一人娘と結婚して子爵家に婿入りし、家督を相続して子爵となる。

主人公によって「本来の白兵戦技」を知り、白兵戦技授業の改革に乗り出す。


ロデール・エイチ

61歳。前第四艦隊司令官。海軍大将。第534代王立士官学校長。勲爵士。

剛毅な性格として有名。タレンの戦技授業改革に賛同して協力者となる。


ベルガ・オーガス

30歳。軍務省憲兵本部所属の王都第三憲兵隊長。陸軍中尉。独身。

タレンの元部下で北部方面軍第一師団第二騎兵大隊第一中隊第三小隊長を務めていたが戦闘中の事故で右足に重傷を負い憲兵隊に転属。

主人公によって右足を完治した後は士官学校常駐士官に就任。


イメル・シーガ

31歳。陸軍大尉。王立士官学校一回生主任教官。担当科目は白兵戦技で専門は短剣術と格闘技。既婚。

猛獣のような目と短く刈り込まれた黒髪が特徴の、厳つい体格を持つ女性教官。

タレンが三回生主任教官へ昇格したのに伴い、後任の一回生主任教官に就任。

夫は財務省主計局司計部に勤務する財務官僚。


エイデル・フレッチャー

69歳。元王国陸軍第一師団長。退役陸軍中将。勲爵士。

リック・ブレアの前任師団長で、タレンが新任官した際には既に同職にいた。

定年引退後に大病を患い、生命を落としかけたが教会の治療に加えて主人公の投薬によって完治し、白兵戦技授業改革派に加わる。


****


ヨハン・シエルグ

65歳。第377代軍務卿(軍務卿就任に伴って侯爵叙任)。元陸軍大将。元王都防衛軍司令官。

軍務省の頂点に居る人物であるが、軍務省を動かしている軍官僚達を嫌悪している。

タレン一派の提唱する「白兵戦技授業改革」を耳にし、主人公の持つ技量を目にした事で「歪められてきた白兵戦技」の責任を教育族に取らす決意を固める。

若い頃に士官学校の白兵戦技(歩兵槍技)教官の経験があり、その頃から生徒に恐れられていた。


カイル・ヘルナー

59歳。王国軍参謀総長。陸軍大将。勲爵士。

王国軍制服組のトップ。幼少時から体が弱く、士官学校時代も実技成績が振るわなかったが、座学の成績が極めて良好であった為に卒業後は参謀本部で頭角を現す。用兵家と言うよりも兵站家としての才能を評価されている。


ドレン・キレアス

59歳。軍務省法務局長。陸軍大将。勲爵士。法務官。

「教育族」の人事的暗躍によって本来であればほぼ前例の無かった法務局内でも順送り人事で局長にまで棚上げされてしまった。

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