国境を越えて
【作中の表記につきまして】
アラビア数字と漢数字の表記揺れについて……今後は可能な限りアラビア数字による表記を優先します。但し四字熟語等に含まれる漢数字表記についてはその限りではありません。
士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。
物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。
・距離や長さの表現はメートル法
・重量はキログラム(メートル)法
また、時間の長さも現実世界のものとしております。
・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日
但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。
・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年
・4年に1回、閏年として12月31日を導入
作中世界で出回っている貨幣は三種類で
・主要通貨は銀貨
・補助貨幣として金貨と銅貨が存在
・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚
平均的な物価の指標としては
・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。
・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。
以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。
《空の目号》は、無事に初飛行を終えてドックへと着床し、統領様と首相を始めとする乗員一同が降りてすぐに点検作業に入った。
短時間の飛行であった故に燃料も水も殆ど消費していなかったが、搭載している9機の内、5機が初の本格稼働となった内燃機関の潤滑油交換は必須であったし、船体外装の点検も行う必要があった。
そして次の飛行は……南方の敵性国家である「テラキア王国」の領内にまで侵入した上で夜間偵察を実施する予定でもあった為に、物資の積み込みも万全を期したいところだ。
「店長様。先程、ウチの船長と話をしたのですが……」
ドックの作業机で点検要領書を読んでいたソンマに、イバンが話し掛けて来た。
「うん……?タムさんと?何かあったのですか?」
「あ、いえ……。そういう報告では無く、次の夜間飛行の件なんですが」
「ああ、夜の試験飛行ね。それで?」
「はい。兄貴……いや、船長と相談した結果……乗組員の交代は行わずに交代要員で地上待機していた者達も含めて選抜隊員には全員乗船して貰おうかと思っているのですが……難しいでしょうか?」
「えーっと……何人居るんでしたっけ?その待機している隊員さん達って」
「はい。前回は乗らなかった厨房員2名を含めて17名です。なので私と船長を含め、前回搭乗者併せて33人となります」
ソンマはその人数を聞いて、頭の中で軽く計算しながら
「ああ、大丈夫だと思いますよ。多少……上昇速度は遅くなるかもしれませんが、飛行船の場合はとりあえず目標高度まで上がってしまえば、後はその高度を維持しつつ水平移動するだけですからね。当初の設計では定員を30名としていましたが……色々あって50名くらいまでは乗れそうですよ」
「そっ、そうなのですか……50名……大変な数ですね……」
「まぁ……店主様やノンさんの力をお借りして、大分に改良を加えましたから」
ソンマは苦笑している。結局……ノンが作製した《重量低減導符》を膨大な投射力を持つ店主自らが使用した事で飛行船全体の重量が大幅に軽減された他、充填しているヘリウムの浮力も増加している。
そして……店主からの指示を受けたノンとサナによって「燃料の改良」を行ってもらった結果、空燃比の調整で機関出力と燃費が大幅に改善して、航続距離は当初設定の3000キロから……10000キロ以上にまで延びた上に、その飛行に必要な燃料は3分の1に減った。それによって「最大定員」も30名から50名に増加したのだ。
まさに機体が完成してから初飛行までの「最後の十日間」で劇的なスペックアップを果たした《空の目号》であった。
「それでは……選抜隊員全員を乗船させます。ありがとうございます」
頭を下げたイバンは笑顔でアイテスとタムが立ち話をしている場所に戻って行った。
「そうか……。今度は厨房員が乗って来るのか。くくく……さっきは軽食しか出て来なかったからな。統領様が聞いたら悔しがるかもしれないな……」
ソンマは独りで笑いながら各部署の作業員が持って来る点検報告書と要領書に目を移した。
****
『親方、今話せるか?』
『店主様でしょうか?何か御用ですかな?』
『今日、例の……《青の子》の飛行船が試験飛行をしているのを知っているよな?』
『ええ。私は忙しくて参加出来ませんでしたが……確か、統領様と首相は参加すると仰ってましたな』
『ああ。奴らは仕事を放っぽり出して乗り込んで来ていたぞ』
店主は念話で笑っている。それを聞いたラロカも苦笑しながら
『もう初飛行は終わったのですかな?』
『いや、俺はほら……学校があるから途中で帰ったんだ』
『あ、そうでしたな。店主様は学校がありましたな』
『うん。それで今さっき学校は終わったんだ。今はキャンプに帰る途中なんだが……』
『ああ、左様でしたか』
『で、この後……そっちの時間で22時からだったかな?夜間試験飛行があるんだよ。知ってたか?』
『おや?それは聞いておりませんでしたな。そうですか。確かに……彼等の場合は夜に飛ぶのが本番でしょうからなあ』
『もしその気があるなら親方も来ないか?今回は俺も乗り込もうかと思っているんだよ。監督もこれから誘おうと思っているんだが』
『ほう……わざわざお誘い頂けるとは……忝のうございます。それではお言葉に甘えまして……大至急残った仕事を片付けておきますので……』
『そうか。ではそちらの時間で……21時30分頃に行く。もう時間もあまり無いが仕事を片付けておいてくれ。藍玉堂の工場で集合だ』
『承知しました。それではお待ちしております』
ラロカとの念話を切ったルゥテウスは、士官学校からネイラー通りの菓子屋に向かって歩きながらドロスにも念話を入れた。
ドロスも当初はこの夜間飛行試験にも参加する予定では無かったのだが、店主からわざわざ誘ってくれたからと乗船を承諾した。諜報の達人である彼が乗り込む事で、今回の「空中偵察」について、イバンら若い連中に何か助言でもして貰えるかもしれない。
親方と監督はそれぞれ……明日も朝から仕事や任務があるので、長時間の乗船は難しいのだが……ルゥテウスも明日は学校がある為に途中で脱ける予定であるので、その際に彼等も一緒に瞬間移動で送って行くつもりである。
キャンプの薬屋に戻ったルゥテウスはノンに対して
「今日はこれからあっちでやってる例の飛行船……あれの夜間試験飛行に行って来るんでな。こっちで夜飯を食ってる時間が無い」
と告げた。
「そうですか……お気を付けて下さいね」
最早あの飛行船完成に対しては立役者とも言えるノンであったが、特に「それに乗りたい」という気にはならないようで、主からの申し渡しに対して「私も行きたい」という素振りすら見せなかった。
ルゥテウスが地下の転送陣を使って、トーンズ国にある藍玉堂の工場に移動すると……転送陣から出た部屋に、ラロカとドロスが待っていた。
「おお。もう着いていたのか。待たせたな」
店主が笑いながら挨拶をすると、ラロカも笑いながら
「私も少し前に来たのです」
ドロスも
「私も同じです。少し早めに来てお待ちしようと思っていたのですが……出掛けにちょっとありましてな……」
「何かあったのか?王都か?」
「はい……。先日お話した『例の件』です」
「ああ……。あれか。何か進展があったのか?」
「はい。どうやら店主様が仰られていた『かの御仁』が、どう伝手を辿ったのか……元内務卿のアルフォード侯爵に接触したようでして……」
「あれか……?またあの『双頭の鷲』か?」
「どうやらそのようですね。『かの御仁』はあの店がお好きなようでして……」
ドロスが笑っている。滅多に笑わない監督の表情に親方は多少驚いて
「何かあったのですか?」
と……興味津々に尋ねてきた。
「ああ。ちょっと俺の学校絡みの事でな。何だか面白い事になってきた。アルフォード侯爵ってのはエリンの親父だろ?」
「はい。エリン・アルフォード内務省渉外室長のご父君であらせられるロビン・アルフォード侯爵ですな」
「フン……。諸卿を引退しても侯爵位に留まれるのか。その時点でもうあの家は『クロ』だな」
「確か……侯爵という爵位は本来……世襲出来ないのですよね?」
「世襲どころか、諸卿の役を失えば直ちに男爵位に再叙爵になるはずだ。まぁ、そもそも平民出身ではない諸卿は概ね伯爵家から任じられることが多いからな。アルフォード家にしたって精々伯爵位に戻されるのが関の山なんだがな。どうやらあの家は過去に何かしらの『小細工』でも弄したようだな」
「そのような人物が『かの御仁』と接触するとは……これは少々荒れる事になりませんかね?」
「まぁ、なるだろうな。俺の知った事では無いが……」
「とりあえず……『ナトス側』にこの情報を流すように手配しました。こちらも何か起こるかもしれませんな」
「そうか。流石は監督だな……。くくく……」
ルゥテウスは久しぶりに「悪そうな顔」を見せた。それを見たドロスも苦笑している。
「何だか……王国も色々大変そうですな。私には最早あまり興味も起きませんが」
「そうだな。親方はもうサクロ市長としてこの国の発展だけを考えて貰わんと。あんな腐った王国なんか気にしなくていいぞ」
ついに店主は笑い出した。3人は大工場の小さな扉から中に入った。
****
「こっ、これは伯父……いや市長様。それに監督までいらっしゃるとは。夜分お疲れ様です」
イバンが店主と一緒にドックに入って来た親方と監督の姿を認め、慌てて挨拶をしに来た。彼と搭乗前の打合せをしていたタムも慌てて姿勢を改める。
「うむ。店主様にお誘い頂いてな。何やら面白そうなので私もこの『夜間飛行』に同行させて貰おう」
ラロカは笑いながら透明の船体を見上げた。ドロスも隣に並んで同じように見上げる。
「噂には聞いていたが……本当に透けて見えるな……」
「ですな……これなら白昼でも『空に溶け込める』と……」
「俺は実際、今日の昼間に地上から確認してみたが……肉眼で高度1000メートルに浮かぶこの船体を捉える事が困難だった」
「ほう……店主様の視力でも見えなかったと……」
「そうだな。俺も多少は視力に自信があったんだけどな」
ルゥテウスは苦笑した。そこにソンマがやって来た。
「お帰りなさいませ。市長様と監督様もいらっしゃいませ」
「店長殿。ご苦労様です。この度はこのような素晴らしい乗り物を造って下さり……改めて礼を申し上げます」
《青の子》の責任者として、ドロスは深々と頭を下げた。
「いやいや。お止め下さい。私も1人の錬金術師として、今回は色々と勉強させられましたよ」
ソンマも笑いながら頭を下げた。
「しかし……最初に話を聞いた時は『そんな事が可能なのか』と思いましたが……とうとうここまで造り上げたのですなあ」
老市長は何やら心の中の「何か」をまたぞろ刺激されたのか、すっかり言葉のトーンとは裏腹に、その表情には興奮模様が浮かび上がっている。
「それでは私は隊員の点呼がありますので……」
「失礼します」
イバンとタムが、整列している乗組員の方に歩いて行く。それを目で追いながらラロカが
「かなり大勢乗り込むのですな……」
と、呟いた。前回の試験飛行の際にも子供が混じっていたが21人が乗り込んだ。今回の点呼で並んでいる隊員達を見るに……30人以上は乗り込んで来るようだ。
「青の子の皆さんは総勢33人……厨房担当の人も含めてだそうです。それに我々も含めると、38人ですかね」
そこに丁度……「38人目の人物」が入口扉から急いだ様子で入って来た。
「済みません。遅くなりました」
統領様や首相と共に一旦サクロに帰っていたロダル将軍はドックに入ってくるなり、親方と監督に気付いて
「あれ?親方と監督も乗るんですか?」
「ああ、店主様にお誘いを受けたのだ」
「そうでしたか。私はちょっと隣の工場で回復薬の注文をしてまして……」
「注文て、今の工場長はシュンだろう?お前ら家で会ってないのか?」
「ええ。このところずっとテトに詰めていたものですから……」
「ああ、テトの駐留兵の分か」
「はい。今までは念話で兄貴に直接頼んでいたのですがね……最近はずっとあっちの工場に詰めっ切りなんでしょう?」
「そのようだな。蒸気機関車の2号機が完成間近みたいだからな。あと数日はあっちの工場に詰めたままだろう」
「キッタは今回も独りで機関車を作っているのですか?」
「いや、弟子を何人か募ったみたいだな。運転手としても弟子を取ったみたいだし……気付けばあいつも『大師匠』ってところだな」
店主が笑い出すと、ラロカも笑い出した。
「あいつは昔から色々と才能豊かだよな。機械いじりも好きだし事務作業もこなす。国にとっては得難い人材だと思う。……光るメガネが面白いけどな」
その「メガネを光らせた張本人」が最後に余計な言葉を付け足したので、それが見える彼等は腹を抱えて笑い出した。キッタの「光るメガネ」はルゥテウスが紐付けた念話付与品を与えられた者にしか見えず、それ以外の者達には至って尋常な銀縁メガネに見えるようだ。
「厨房担当員含めて31名。そして私と船長含め総勢33名。乗船の準備が整いました」
尚も笑い転げている彼らに、イバンが報告に来た。《青の子》の隊員達は緊張感を以って今回の「夜間空中偵察」任務に臨んでいる。
唯一、笑う事も無く隊員の点呼を見ていたドロスが
「ご苦労。隊員の育成も順調なようだな」
「はっ!」
「今夜はどの辺まで行くのだ?」
「南方の国境森林地帯から更に南西へ150キロ程入りますと、旧『モロヤ』の都であった『ゾーナン』という町がございます。現在そこは『対我が国』の拠点が築かれているとの情報を得ておりまして……」
「なるほど。そのゾーナン……だったか?そこを偵察したいと?」
「はい。仰る通りです。ゾーナンからテト方面に続くルートを観察し、途中に更なる拠点があるのかを確認したいのです」
「そうか。で……中間拠点があった場合は……何か対応を考えているのか?」
笑いを収めたラロカからの問いにはロダルが応えた。
「はっ。距離や規模にもよりますが……場合によってはこちらから撃って出た上で破壊もしくは占拠が叶えばと思っております」
「ほう……ついにこちらからの反攻に出ると?」
「はい。現在、相手からの逐次侵攻という愚策によって当方の被害は最小に抑えられておりますが……既に敵軍に対して、これまでの総計で8000名程度の被害を一方的に与えております。流石にこれだけの兵員が未帰還のままとなると……早晩、相手側も大部隊を繰り出してくる可能性が高くなると私は考えてます」
「なるほどな。ロダルの考え方に私も賛成だ。敵軍の総数規模はもう把握しているのか?」
「まだ厳密には解っておらず、精査が必要ではありますが……概ね5万から8万くらいかと」
イバンがこれまでテラキア各地に潜入させている諜報員からの報告内容から分析した数字を提示する。
「そ、そんなに居るのか……」
ラロカが驚く横でドロスは特に表情を崩さずに
「それだけの軍勢を維持するだけの国力があるのか?まぁ、お前からの報告を聞くと近年『あの国』は南方の数か国を併合して単純な国力が増大しているらしいが……」
「はい。その分、これから向かいます旧モロヤ地域の民や、当然ながら南方で併合した地域からの搾取も酷くなっているようです。テトに逃げて来る難民の数が増え続けております」
「とりあえず、暫くは我が国に面している地域にどれだけの戦力が展開されているのかを調べて頂ければ……」
ロダルが軍部からの要望を口にした。
「義兄様。もちろんです。漸くこのような『素晴らしいもの』を頂けたのです。これで偵察活動の効率が桁違いに上がるでしょう」
イバンが白い歯を見せた。
「さて……そろそろ乗り込みましょう。店主様。昼間の飛行の際に空中での機関停止と再始動を試してみましたが、高度1000メートル程度ならば全く問題無く始動するようです」
「そうか。工場長の造った機関の精度が高いのだろうな。ならば今後は離床前から動力を始動する必要は無いのかな。機関室の1機だけを動かせばいいわけだな」
「そうですね。店主様とノンさんのおかげで、この船体にも相当に余裕が生まれました。今回の飛行で38人が乗り込みますが……運用的には全く問題は無いと思われます。恐らくは……今のテラキア王国の全領域を一巡りして戻って来ても、まだ燃料と物資に余裕がありそうですね」
「そ、そんなに浮かんでいられるのですか……?」
今度はドロスが珍しく驚いている。
「ええ。乗員50人を想定しても10日分の物資と10000キロ程度の航続距離は確保出来ます。食料と水がある限り、何なら……必要最小限の動力機関だけ動かして、その場に浮いていられますからね」
「現代において、作戦高度まで上がったこの飛行船を脅かす存在は、風速40メートルを超えるような強風……それと高さ3000メートルを超えるような高山くらいじゃないでしょうか。但し……地上付近の高さでは案外無防備ですし、強風に煽られて墜落の恐れもあります。離陸直後と着陸直前が……弱点と言えましょう」
ソンマが苦笑すると
「そうだな。何しろ望遠鏡か《遠視》や《魔眼》の魔法でも使われない限り、地上からこっちはほぼ見えないんだからな」
店主もニヤニヤしている。
「な、なるほど……これは確かに……凄い乗り物ですな……」
これだけ驚く監督も珍しい。イバンが姿勢を改めて
「では皆様。隊員も既に乗り込んだようですので、足元にお気を付けてご搭乗下さい」
搭乗を促して来たので、5人は彼に続いて舷梯に向かった。全体的に透けて見える船体の地上2メートル付近にある引き戸型の搭乗扉は開け放たれており、向こう側が透けて見える壁にそこだけ「中が見える」ような不思議な見た目となっている。
今は船体全体が朧気な透明感のある状態なのでそもそもが全体像を把握し辛いのだが、扉自体はゴンドラの右舷前方寄り……前部艦橋と乗員室の接続部分に設置されている。扉から入った所が右舷側に設けられている幅2メートル程の廊下状になっており、向かって右側壁の奥側に操縦艦橋へ入る扉、左側手前には「上層甲板」に上がる階段があって、8段あるそこそこ急な階段で2メートル程上がると広い乗員室区画に入れる。こうして見れば廊下と言うよりも「踊り場」と言った方が的確かもしれない。
左手前側の乗員室に上がる階段の奥側には、それと並ぶように扉があり、中は厨房の予備倉庫となっている。なぜ「予備倉庫」なのかと言うと……乗員区画の後端に位置している厨房の下層部分にも空間があって、そこが本来の「厨房倉庫」なのだが、この倉庫部分と先程の「予備倉庫」部分の間には側方推力機の動力機関と、それを挟むように4メートル間隔で船体を横に貫くような形でスラスターファンが設置されている。
つまり乗員区画の下層部分の真ん中7メートル程度のスペースが船体を直径2メートルの管状に貫通するスラスターファンのトンネルに遮られている関係で隔離された状態になっているので、厨房倉庫となる空間が前後に分断された形になっているのだ。
このような配置構造の関係で「乗員区画」としてはゴンドラ内部の上層甲板部分しか確保出来ず、この区画へ出入りする為には前後共に階段を使わないといけない。よって……乗員区画から後部艦橋へと向かう際にも、後部の扉を開けて一度階段を降り、物資倉庫区画を貫く廊下を通る必要がある。内部は意外と複雑なのだ。
船体が完成してからルゥテウスがこのゴンドラに乗り込むのは意外にも今回が初めてである。そしてこの船体の設計に彼は殆ど関わっておらず、主設計者のソンマから局所的に質問をされた場合にのみ、それに答える形でアドバイスを与えた程度だ。
「ふぅん……こんな感じなんだな」
実際は何度か《透視》の魔導で外側から観察はしていたが、足を踏み入れるのは初めてのルゥテウスは、この男としては珍しく……色々と興味津々で船内を回り始めた。ラロカもその後ろに付いてくる。今回の「夜間偵察飛行試験」において、この2人だけは完全に「部外者」なのだ。
「いやはや……前回乗ったやつよりも複雑な造りをしておりますなぁ」
ラロカもあちこちキョロキョロ見回しながら感想を述べている。2人の厨房担当員が忙しく動いている厨房部分を観察し、更に後方に目を移すと……後方の倉庫区画に続く下り階段があるのだが、階段の左側は廊下になっており、そのまま倉庫区画の上層甲板側を貫いている。
「この奥も倉庫なんですか?」
「いや、確か……左右に扉が並んでいるだろ?ここが全部個室になっているんだよ。仮眠室みたいな」
「あ、なるほど。ひぃ、ふぅ、みぃ……左右に3つずつ扉がありますな。全部で6室ですか」
「いやいや。ほら。こっちも個室だぞ。確かこっちは我々のような『便乗客』用だ」
そう言って店主は厨房の向かい側に2つ並んだ扉を開けた。確かにそこには幅2メートル、奥行き3メートル程の個室に寝台が1つと小さな机まで固定されるように置かれている。便乗客用にプライベートが確保された部屋が2部屋用意されている事に親方も「ほおぉ」と感心している。
「それで……あっちの6室のうち、右側の奥だったかな……そこが確か船長室だ」
「ほぅ……。船長は専用の部屋があるのですな?」
「そのようだな。まぁ、機密性の高い書類を扱ったりするだろうから独りになれる部屋が必要なんじゃないか?」
「あ、なるほど」
「残りの5室は……隊員用だろうな」
そう言いながら左側一番手前の扉を開けると、中はやはり幅2メートル、奥行き3メートル程の広さで……右側の壁側に2段ベッドが造り付けられていた。
2段のベッドには既にそれぞれ隊員が入っており、突然……藍玉堂店主様と親方様が扉から覗き込んで来たので驚いている。
「ああ、すまんすまん。お前らはもう仮眠に入るんだな。ゆっくり休んでくれ」
ルゥテウスは笑いながら扉を閉める。ラロカが不思議そうな顔で尋ねて来る。
「あの者達はもう寝るんですか?たった今乗り込んで来たばかりなのに?」
「あいつらは、多分……今日の朝からの飛行に参加した奴らだろう。30人以上の隊員が乗り込んだんだろ?ならば3交代制くらいで休憩を摂るんじゃないか?」
「あぁ……なるほど。そう言う事ですか。中に寝台が2段ありましたな。つまり……10人は同時に仮眠休憩が摂れるわけですか」
「そうなるな。3交代だから8時間ずつの休憩が貰えるわけだ。長期間の飛行ともなれば、しっかりと休憩しないと危ないからな。何しろ空中に浮かんでいるわけだし」
店主が笑いながら説明すると、親方も苦笑いしながら応える。
「そ、そうですな……見張りや操縦者に居眠りでもされたら怖いですな……」
どうやら船長室の奥は行き止まりになっており、そちら側から奥の区画には移動出来ないらしい。その行き止まりの壁の向こう……後部(機関)艦橋部の上層甲板部分には内燃機関が1機とヘリウムの液化装置や発電機が設置されており、この機関が内殻部分へのヘリウム送出・回収を担っている他、ゴンドラ内部で使用される電力の供給も行っている。
つまりこの機関だけは最初から最後まで「常に稼働している」状態になっており、その騒音が前方の船長室を始めとする「仮眠室区画」に漏れてこないように、「行き止まりの壁」は防音を意識した特性の隔壁が設置されている。
2人が階段を下りて仮眠室区画の真下……つまり倉庫区画に入ると、通路が奥にまで伸びており、この区画も上層同様に左右に分画されているようだ。乗員区画からこの倉庫区画は、このゴンドラの中でも一番幅のある部分であり、その全幅は8.1メートルにもなる。なので上層に廊下を挟むように仮眠室を設置しても、そのスペースを十分に確保出来るのだ。
「確かこの……一番手前の右側がシャワールームだったな……」
ルゥテウスが階段を下りてすぐ右側の扉を開けると、幅1メートル、奥行き3メートル程の個室で、一番奥にシャワーが取り付けられ……手前側には脱衣所まである。どうやら隣も同じような構造になっており、シャワールームは2部屋ある事になる。
「ほぅ……シャワーも浴びれるんですなぁ」
「そりゃそうだろ。何日も浮かびっ放しなんだ。体も洗えないのは衛生面でも宜しくないからな」
「ああ、なるほど。そうですな。昔のキャンプのように疫病発生の防止にもなると」
「そういう事だ。俺も風呂好きだからな。これはありがたい」
「しかし水はどうするのです?この人数でシャワーなんて使ったら……」
「ああ、ほら。この後ろの部分……厨房側の部屋とここで挟まれている部分に水がどっさり積まれている」
「なるほど。水はそれなりにあるのですか」
「そのようだな。まぁ、節水に務めるように訓練もされているんだろう」
シャワールームと廊下を挟んで反対側の左側の扉を開けると、ズラリと3つの小便器が並んでいた。その隣に並ぶ2つの扉は個室トイレとなっており、乗員数に対してそれなりにしっかり数量は確保されているようだ。
そして2人は気付かなかったが、更に手前側……2人が下りて来た階段の下には左舷側から階段下に回り込める隙間があり、階段の丁度真下に中る右舷側部分……シャワー室の隣にも扉があって……その中は洗濯室になっている。
やはり長期間の飛行任務に対して、衛生面での配慮は十分に考慮されており、この部屋で洗われた衣類やシーツ等は乗員区画の厨房横にある床板を外すと現れる小さな階段によって出入り可能な「下部スラスター動力室」で、内燃機関の発する熱と……それを挟む2本のスラスターファントンネルに空けられた小さな排気口を通してこのスペース全体を負圧状態にする事で……放熱の為の空気の流れが作られており、これを利用する事で物干場のように機能するのだ。
動力室もゴンドラの全幅が一番ある部分である為、内燃機関を置いてもスペースが大量に余っており、船体中央下層部をそれぞれ直径2メートル強の大きさで貫いている両スラスターファントンネルによって前後が隔てられてはいるが、限られたスペースと熱源を利用して色々な工夫が施されているのである。
ちなみに、厨房の使用で発生する煙は……厨房部の天井にある通気口で回収され、そのまま床下に取り回された通気管を通り……これも後部スラスターファンが起こす負圧によって吸引される形で排出される。この機構によってゴンドラの中に煙が充満する事も無いし、外部から見ても「透明な船体」から煙だけがモクモクと出ているような状況にならずに吹き散らかされて拡散する仕組みになっているのだ。
シャワールームとトイレの先には廊下の左右に扉は1枚ずつしか無かった。中を見ていると、隊員の装備品や飛行船内の備品などが入っている。右側の部屋の広々とした倉庫部分の壁にはフックが並んでいて、見覚えのある「ピンク色の物体」が掛けられており、それを見たルゥテウスは笑い出してしまった。
「親方、ほら……。これを持っておけ」
「何ですかこれは……?」
ラロカは笑うルゥテウスから渡されたピンク色の物体……双眼鏡の紐を店主から言われた通りに首から掛けた。強面の老人が首からピンクの物体をブラ提げている滑稽な見た目に尚笑いながら店主が説明する。
「ほら。こっち側から覗いてみろ。で……この円盤をゆっくり回して調整するんだ」
言われるがままに接眼鏡を覗き込んだラロカはすぐに「うおっ!」と声を上げた。
「えっ……何故……何故明るく……?」
窓も無く薄暗い倉庫の中で《明視》が付与された双眼鏡を覗き込んだラロカは驚きの余り声を失っている。
「ノンが作ったんだ。だからこんな色をしているのだがな……」
相変わらず笑いながら説明する店主の話もロクに聞こえないくらいに驚いているラロカは、この双眼鏡を初めて覗き込んだ誰もがするように、接眼鏡から覗いたり目を離したりを繰り返している。「どうしてそう見えるのか」が俄かに理解出来ないのである。
「まぁいいじゃないか。とりあえず帰るまで首から下げてろ。それがあれば暗い夜でも地上がバッチリ観れるからな」
「あ……あっ、そ、そういう事ですか……。なるほど……これがあれば夜間の偵察も……そうでしたか……」
トーンズ国首脳の中で最後に「これを体験した」ラロカは、店主からの説明を聞いて即座に、この機器の有用性に気付いたようだ。
何しろ昔は「凄腕の暗殺員」として《赤の民》を率いていた男なのである。「暗闇から相手を観察する」事にかけては今でも現役隊員にも引けを取らないはずだ。彼が現役の暗殺者だった頃……このような機器があれば、その「仕事」は相当に捗ったに違いない。
2人は倉庫を出て乗員区画に戻った。離陸前のこの時間……前後の艦橋部では準備作業で忙しいだろうから、その邪魔をするわけにもいかないので乗員区画で時間を潰そうと思ったのだ。
「あ、店主様と親方がいらっしゃったぞ」
前部艦橋側の壁に大きく貼られている大陸全図の前に大机が置かれている「作戦区画」には何人かの隊員と船長であるタム、それを見守るようにドロスとロダルが立っていた。ロダルが戻って来た2人に気付いてタムに声を掛けると、船長と隊員達は慌てて姿勢を正した。
「船長が今回の予定を具体的に説明してくれるそうです」
ロダルの言葉に店主は頷いて
「そうか。では聞かせてもらうかな」
と、大机の椅子に座った。大机には片側に椅子が5脚並んで細い鎖で固定されている。もちろん大机自体は床に直接固定されているし、ルゥテウスが座った椅子の反対側にも椅子が5脚固定されている。つまり……この作戦区画には大机を取り囲むように10人が座れるようになっているのだ。
椅子に腰を下ろした店主を見て、ラロカやドロス、ロダルも同様に椅子に座ると……タムが緊張気味に
「それでは……乗船前にもお話させて頂きましたが、改めて説明に入らせて頂きます。ご不明な点がございましたら随時ご質問下さい」
丁寧な挨拶をしてから壁に貼られた地図の方に向き直って伸縮式の指し棒を伸ばした。
この間も主に操縦艦橋で指揮を執るソンマと機関艦橋に居るイバン、そして船外のドック側で準備作業を指揮をしているアイテスとの間で拡声器によって色々とやり取りが行われている。
昼間の試験飛行によって「発進前に予め地上で全ての機関を始動する必要が無い」事が判明したので、今回は後部機関室の上層にある内燃機関だけが動いているせいか、ドック内はかなり静かな印象で、それだけに三者の拡声器による会話が船内にもハッキリと聞こえて来るのだ。
どうやら後部の機関は既に始動しており、ドックの屋根の開放も終わっているようだ。つまり……間も無く離床するはずだが、それらの作業と「作戦高度」である上空1000メートルに達した後の飛行についても両艦橋に任せているのだろうか……タムはお構い無しに説明を開始した。
「現在の位置はこちらです。作戦高度まで上昇した後は……まず南を目指します。このようなルートで……」
指し棒を南方……下に向かって動かしながら
「国境の森林地帯を越えてから、針路を南西に採り150キロ程度……ここです。ここが旧『モロヤ』と呼ばれる部族国家の都があった場所です。ここまで概ね2時間半程度の予定です」
棒で地図をパシッと叩いた辺りが旧モロヤの都があった「ゾーナン」という町なのだろう。
「ここから200キロ以上も離れているのに……2時間半で着くのか?」
ラロカが驚いたように呟く。
「はい。所要時間は概ね2時間半を予定しております。この『ゾーナンの町』に到着しましたら……上空で2時間程停止、もしくは低速で移動しつつ市街地の観察を行います。可能であれば測量の上で簡単な市街地図も作成する予定です」
「そんな事までやれるのか……」
「はい。皆様方のお陰で、この飛行船は優れた偵察能力を有しております。隊員の中には測量術を中心に訓練を受けて来た専従隊員も居ります」
「ほぅ……そうなのか。2時間で大丈夫なのか?」
「はい。実は店主様に昔作って頂いた周辺地形図がございまして……こちらの図を基に後は市域範囲を測量するだけとなっております」
「そういうことか……そうか。その壁に貼られている地図も昔店主様から頂いた……」
「その通りでございます親方様。親方様が店主様から頂いた『あの時』の図がこちらです。あれから10年……我らの現地隊員から得た情報を追加しながら加筆させて頂いているのです」
「なるほどな……」
「説明を続けさせて頂きます。概ね1時間の滞在後、ゾーナンの周辺地域を順次偵察する予定でございます。この間、可能な限り敵軍の拠点を探しながら東に転じます」
指し棒はゾーナンの東側を中心に輪を描くように動いている。
「なるほど。テトに向かって捜索を拡げるわけか」
「その通りでございます。諜報員からの連絡によれば、この中間地点からテトにかけた地域に幾つかの軍勢が駐留、もしくは展開されている可能性が高いようです。これらの位置を可能な限り正確に把握したいところです」
「そうか。ではその辺りで朝を迎えそうだな」
「左様でございます。可能な限り空が明るくなる前に成果を挙げたいですが……」
ここまでタムが口にしたところで
『これより離床します』
と、部屋に備え付けられた拡声器からソンマの声が聞こえて来た。その直後、特段の感触は無かったが左右舷側の大窓の外に見える工場内部の景色が上から下に流れ始めた。どうやら《空の目号》は上昇を始めたようだ。
「ひとまず今晩から明朝に掛けてのルートのご説明は以上となります。何かご質問はございますでしょうか?」
「いや、俺からは特に……」
―――おおおっ!
ラロカがタムの問いに答えようとした声に被さるように壁の向こう側……恐らくは扉からなのだろうが、隣室である前部艦橋から何か隊員達が一斉に驚愕の声を上げたようだ。心無しか……後方の艦橋側からも聞こえて来たような気もする。
「ん?何だ?」
ルゥテウスが怪訝そうな顔で聞くと
「何でしょう……?」
ドロスも席を立って警戒するかのように辺りを見回す。
「どこか接触でもしたのでしょうか……?」
この船体で一度離陸上昇を経験しているロダルが不安を口にした。
「前の艦橋からだな。何かあったのかな?」
ルゥテウスも遂に立ち上がって隣室に通じる階段を下りて扉を開けた。他の者も後に続く。ルゥテウスが扉を開けた瞬間……彼のすぐ後ろに居たラロカが「うおっ!?」と声を上げた。更に続いて入って来た者達も「えっ!?」「なっ!?」と同様に驚愕した。
彼らの目に入ってきたもの……それは艦橋部の巨大な前面窓に映し出されてる「昼間のように見える」エスター大陸の風景であった。《明視》の付与がなされた……「暗さだけを取り除いた」と言う《空間制御術》特有の「本来ならば有り得ない」光景がありありと映し出されており……艦橋に詰めていた者達、過去に一度この「効果」を小さな床窓越しとは言え体験していたはずのソンマ店長でさえも言葉を失っている。その他の艦橋要員は言わずもがなで艦橋内部がまるで時間が止まったかのように固まっているように見えた。
そしてそれはこの驚愕の声を聞いて様子を見に来た作戦区画に居た一同……他にも休憩時間を与えられたが仮眠室の数の都合で「空き待ち」の為にを両舷側のキャビンで寛いでいたが、心配になって駆け付けて来た一般の隊員達も同様であった。
「なっ、な……」
あのドロスですら絶句している。この中で「この光景」に慣れているのは、少年時代から夜間に空を飛んだりするたびにこの魔導を使用していた店主だけであった。
「なんだよ……驚かせるんじゃねぇよ……」
店主が呆れた様子で船長席を見上げて声を掛けた。
この前部艦橋区画は「半2層」の構造になっており、「上甲板の無い二層甲板船」に模したフォルムの最前部約5メートルの区画のうち、所謂「艦首」部分に当たる場所に据え付けられた大双眼鏡と、それを運用する「前方見張り員席」、そして後方の3メートル部分だけが二層構造になっている。
下層側から2.5メートル程高い場所に、天井裏のような見た目の上層部分があって、その最前部に「船長席」と「操縦員席」が並んで設置されているのだ。
厳密に言えば……船長席の前には船内放送用と伝声装置を兼ねたマイクと前方見張り員席同様の大双眼鏡が据え付けられた指揮卓があり、操縦席の前方にはこの飛行船の操船設備と各種計器が実装された「操縦台」が置かれている。
更には前にも書いたが、この並んで配置された船長席と操縦員席の後方に「念話連絡員席」があり、船長を含めた前部艦橋要員は6名が定員となっている。
店主は艦橋の中央部まで入って船長席を見上げている。船長席で絶句していたソンマは我に帰って、下から怪訝そうに見上げている店主に
「こっ、これは……どうされました?」
と、惚けた顔で尋ねた。
「バカ野郎。お前達が隣の部屋まで聞こえるくらいに大声を上げるから心配になって見に来たんじゃねぇか」
「あっ……そ、そうでしたか……それはご心配をお掛けしまして……」
ソンマは苦笑して頭を掻きながら
「いやぁ……まさかこの窓から見える光景が……このような感じになるとは思っておりませんでしたので……。屋根を超えたと思ったら突然前方が昼間のような光景で……」
「お前はこれを以前にも見ただろう?」
「い、いや……あの時はこんな小さな窓でしたし……」
ソンマは身振りで1メートル四方程度の「枠」を空中で描きながら言い訳がましく弁明する。店主と店長が艦橋の上下でやり合っている声で他の者も我に帰ったらしく
「てっ、店主様……これは一体……い、今は確か……夜だったかと思いますが……」
「あん?これか?お前が今、首からぶら下げているそれと同じだ」
店主はラロカの首に提げられたピンク色の双眼鏡を指差した。
「さっき覗いたら明るかっただろ?それと同じ処理をこの前方の窓と……それとほら。その横の床に嵌ってる窓にも施してあるんだよ。まぁ……やったのはノンだが。ほら、横を見てみろ。横の窓には『処理』をしていないから夜の景色だろう?」
艦橋部においてノンによる《明視》処理が施されているのは、鋭角な艦首部の形に沿うように2枚の窓を貼り合わせた形の前面窓と、両舷側の床に嵌められた2枚の小窓だけである。艦橋には他にも床窓が嵌められている位置の壁側にも幅1メートル、高さ2メートル、上層側にも同じ位置に幅、高さ共に1メートルの窓が設置されているが、こちらは「昼夜の感覚を失調しないように」という目的で未処理の窓が使われている。
「後方の艦橋も全く同じ配置でこういう窓になっている。これなら夜の暗い空でも前方の視界が確保出来るし、偵察も捗るだろ?ちなみに……この窓はこっち側でしか明るく見えない。外側から見ると普通の窓だ。まぁ……この船体自体はお前も見たと思うが外側に《擬態》が施されているから透明に見えちゃうけどな」
店主は笑いながら手短に「《擬態》付与がされた窓」について説明した。この手の説明はもう彼としては飽き飽きしているのである。
ドロスが左舷側の床窓がある場所まで移動し、しゃがみ込んで地上の光景を観察し始めた。その床窓からの観察を担当する隊員は慌てて彼に場所を譲る。
「うむ……済まんな……。しかし……これは良く見える……。夜のはずなのに……」
ラロカもやってきて一緒になって覗き込んだ。
「これは凄いな……。こ、これを使うとどう見えるんだろうか……」
おもむろに首から提げていた双眼鏡を手にして先程店主に教わった通りに覗き込みながら焦点を調整して
「うおっ!凄いな!まるで……2階の高さから見ているようだぞ!」
双眼鏡で床窓を覗き込みながら興奮気味に騒いでいる親方に、監督が
「親方様……。その双眼鏡であれば、そちらの『普通の窓』からでも明るく見えますよ……」
と、冷静に指摘した。彼らと一緒に同じ床窓を見ている隊員は笑いを堪えるのに必死だ。
「え……?そうなのか?」
親方は接眼鏡に顔をくっ付けたまま、双眼鏡を水平に向けた。
「おおっ!確かにっ!」
この双眼鏡を初めて覗き込む者特有の……双眼鏡から目を離したり、覗き込む動作を繰り返している。
店主は呆れて首を振りながら、梯子で上層部に上がり、船長席の指揮卓にあるマイクのスイッチを入れて
「おい。後ろの艦橋の奴らも聞こえるか?今は上昇中だ。明るい窓に驚くのも無理は無いが、窓の外の景色に夢中になるのは作戦高度に達してからにしろ」
と、船内の拡声器を通して警告を与えた。この店主の声を拡声器越しに聞いて、前後の艦橋部に詰めていた者達は一斉に我に帰った。すかさず後方の艦橋から
『も、申し訳ございません。気を付けます……』
というイバンの声が伝声装置から聞こえて来たので店主は苦笑いを浮かべる。
「店長も頼むぞ。俺は今日……飛行船に初めて乗っているんだ。そんな俺に怖い思いをさせないでくれ」
ニヤニヤしながら冗談を言う店主に、ソンマも恐縮しながら謝罪した。
「す、すみませんでした。気を引き締めます」
「うむ……ほら。お前ら。こんなクソ狭い部屋にいつまで押し掛けてやがるんだ。あっちの部屋に戻るぞ」
頭上から店主の言葉を浴びた者達も
「そ、そうですな……失礼しました」
「お邪魔しました……」
口々に詫びを言いながら隣の乗員区画に戻った。
ソンマが気付くと、既に船体は高度1000メートルに差し掛かっており、彼は慌てて
「そろそろ作戦高度に到達します。動力機関始動願います」
と伝声装置で後部艦橋に連絡をした。
こうして、この《空の目号》の「真の実力」をその設計製作者共々思い知らされた《青の子》の隊員達は改めて南方移動に対する準備態勢に入ったのである。
****
《空の目号》は船長が予告した通り、約2時間半後には南方の国境森林地帯を超えて旧モロヤの都があったと言う……「ゾーナン」と呼ばれている町の空域に到達した。
「亡国の都」と言う割には、何やら随分と小じんまりしたような印象を受けるが……、それはサクロという大都市……隣の大陸の超大国であるレインズ王国でも中級都市に匹敵するような町と比較しての話であり、更にサクロという町はトーンズ国の中でも一極集中とも言える繁栄であり、今後の鉄道網などによる国内交通機関が発達する事で漸く人口分散が実現するものと思われる。
「うーん……。人口規模は……そうだな……。2万と言うところだろうな」
前部艦橋の窓からゾーナンの全景を臨みながら……店主が呟いた。
「2万ですか……。過ぐる日は蛮族とは言え、一国家の都であったと聞いてましたが……。案外にも少ないのですな」
隣で双眼鏡を覗いているラロカが疑問を呈した。
「私が聞いたところでは、モロヤという嘗てこの地にあった国は元々それ程大きな国では無かったと聞いております。そして隣国のテラキアへの執拗な侵略、果ては自国の民へも略奪を働いていたとも聞きます。多くの人口を養う程の生産力を持ち合わせていなかったのでしょう」
ロダルの説明に店主も頷く。
「そうだろうな……。族長一族に『国を養い、民を養う』という発想が無かったのだろうな。そういう部分が文明国家とは違うのだろう」
上空から見たゾーナンの町はサクロよりも随分と小さく……強いて言えば隣の大陸のキャンプくらいだろうか。それも……藍玉堂を中心とした旧住居地域に相当するくらいかと思われる。建ち並んだ住居家屋は干しレンガでも使っているのか。平屋建てが圧倒的に多く、その中心部に嘗ては一際大きな建物があった痕跡が見受けられるが、今は何も建っておらず……瓦礫の山になっている。
旧モロヤ国は12年前に度重なる民への圧政が原因で大反乱が発生し、族長一族は国民によって処刑された。その後、支配者を打倒した民を率いた指導者と軍の残党の間で後継主導を巡って内戦が発生。国内は「生き地獄」と化した。
このような国内動乱の隙を突いて、以前からモロヤの侵略で国境地帯を荒らされていた南方の大国テラキアが侵攻し、僅か20日で旧モロヤ地域を制圧。併呑してしまった。
モロヤの国家規模としては元よりテラキアの3割程度しか無かったのだが、後先を考えない愚かな族長一族によって国力差を考慮しない「無謀な喧嘩」を吹っ掛けていた事になる。
その後のテラキアによる進駐と、旧モロヤ時代とは言わないまでも亡国民に対する圧政は収まらず……人々の嘆きは止む事は無かった。
このような「南方の地獄」に変化の兆しが現れたのは、北東の方向……族長一派の残党が逃げ去った先にいつしか「町」が出来ているという噂が流れて来た事である。「町」はそのうちどんどんと大きくなって行き……数年前、ついに「国」が生まれたと言うのだ。
テト村から更に南方回りで各地を巡っている隊商によってもたらされる僅かな情報が巡り巡って旧モロヤの人々の耳に入るのに数カ月の時間を要したが、どうやら北東で生まれたその「国」は西に向かってどんどんとその領域を拡げ出している……但し周辺国との交流は極端に閉じられていて、その様子は杳として知れない……というもので、旧モロヤの人々が失望する最中に、ゾーナンを含めたあちらこちらの町や村落で
「『北の国』に逃げ込めば……虐げられた者達だけが温かく迎えられる」
という新たな噂と共に、故郷からの逃亡を「援けよう」という者達が現れた。言うまでも無く……《青の子》が南方に放った工作部隊である。彼等は低層民……虐げられている人々だけに伝わるように「北東の『テト』へ逃げろ」という噂を流し、時には同志を集めて集団での逃亡すら援助している。
《青の子》は既に旧モロヤ地域の東西5カ所……概ね50キロ毎に、逃亡集団を援助する秘密拠点を築いており、彼ら逃亡集団は……このような拠点を辿りながら食料と様々な情報を提供されつつ最終的にはテトに辿り着く。その際に身元を保証するような書面を逃亡援助組織の構成員……もちろんこれは《青の子》の工作員なのだが……から受け取っているので、テトの「難民受付」において直ちに受け入れ手続きを執って貰える。
但し、「組織」は無暗やたらに逃亡民を募っているわけでは無く、近年はその中に入り込んで来るテラキア側の諜報員を炙り出して人知れず「処分」もしている。テラキアの諜報組織は《青の子》にとって「お粗末」の一言で表せる程に稚拙で、各町に多くても5人程度しか潜入していない《青の子》側がテラキア諜報隊を圧倒している有様である。
トーンズ建国以来、既に南方からの亡命者は4万人を超えており……これは現在のトーンズ国における全人口の5分の1に相当するのだ。
上空からゾーナンへの観察は続けられており、前方艦橋の床窓には測量担当の隊員がすっかり昼間のような明るさで映っている市街地を観察しつつ……測量作業も始まっていた。既に地上では、「準備作業」としてゾーナン市内に潜伏している諜報員によって予め市街地の一部地点の距離が測定されているのである。
その「基準点距離」は10メートルで、念話によってその内容を報じられた2人1組の測量担当員は、上空からその基準点を確認した上で「1000メートル上空から見た10メートル」を認識しつつ、更にそれを参考にして市街各所の距離を測り、「『あ』から『と』で270」などと窓を覗いている担当員が口にした内容を横に居るもう1人が地形図に書き入れている。どうやら清書は後で行うようで、地図上には何やら数字と目盛りだけがチョコチョコと書き記されている。
「地上の諜報員からの連絡によりますと……市街地から更に南東へ3キロ程行った辺りに、テラキア軍の駐屯地が作られているようです」
ゾーナン内部で活動している諜報員は、この1月27日深夜に「上空から偵察を行う」という通告を本部から受けていたが、夜になっても上空に「飛行船とかいう乗り物」が現れないので不審に思っていたところ……「既に上空に飛行船は居る」と、突然に念話連絡が入って驚いたらしい。
《空の目号》は夜間の飛行騒音による発覚を警戒し、ゾーナン空域到着の手前10キロ辺りで動力機関の半数を停止させて惰性も利用しつつ市街地上空に滑り込んで来たので、どうやら真夜中であるにも関わらず騒音によって寝静まっている住民達には気付かれなかったようだ。
「左90度回頭。微速前進」
「了解です!左90度微速前進!」
ソンマの指示で船体は9時の方向に回頭を始めた。
「今言っていた駐屯地を見に行くのか?」
「そのようですな」
親方の問いに監督が応えた。回頭を終えた飛行船はゆっくりと街外れ……南東方向へ滑るように移動し始めた。やがて2分もしないうちに明らかに市街地の中にあったものよりも新しく建てられたように見える土色の長屋が整然と並んでいるような場所が見えて来た。建物の素材自体は市街地のものと同じ……この地方特有の「日干しレンガ」が使われているようである。
「あれじゃねぇか?ちゃんと囲いもあるし、入口にも哨兵のようなのが立ってるな」
店主からの指摘に対して
「左様ですな。かなり規模が大きいように思えます」
監督が応える。時刻は既に0時を過ぎており……市街地側は「普通の窓」で見ると、ほぼ灯火も消えていて静まり返った印象だが、こちらの「駐屯地らしき場所」ではあちこちで火が焚かれており、よく見るとそれなりに歩く人影が見える。親方が双眼鏡で見てみると、やはり何やら黒っぽい硬皮革のような鎧を着ている兵士のようだ。
「この地点で停止する。現在の風は東からの上げ風12メートル。位置の維持に務め、余計な動力は停止しろ」
「了解です!右に回頭45度!地点維持の為、上下スラスター以外の動力機関停止!」
『2番から7番の機関停止了解』
操縦員からの伝声装置による機関停止要請に対して機関艦橋からの応答が聞こえて来る。真夜中とは言え、敵国の軍事拠点をその上空から一方的に観察しているのである。これまでの世界の常識からして考えられない事であった。測量担当員は再び床窓を覗き込みながら地形図への書き入れを開始した。
「どれくらいの軍勢が駐屯しているのでしょうか?」
後部艦橋からやって来ていた……イバンが監督に質問している。
「ふむ……そうだな……。あの長屋1軒に6人程度は寝泊り出来るとして……5000人程度は収容出来そうだな」
自分の双眼鏡を覗き込みながらドロスが分析をしつつ……双眼鏡を使う事無く窓から地上を眺めている店主に対して
「店主様はどう思われますか?」
「うん……?駐屯軍の規模か?」
「はい。私は正直申しまして……実際この地に5000人もの兵員を駐屯させる意味を感じないのですが……」
「まぁ、そうだな。監督の言う通りだと思う。俺がもし……テラキアの軍指導者であるならば、この地にはせいぜい2000人程度の進駐で済ませるだろうな」
「やはりそうですか。私も、この地における『地政学的』な観点では最大でも3000人が限度だと思います」
「何故そう思われるのです?」
イバンの問いに対して、再び監督が応える。
「この地は我がトーンズとの国境に対して距離があり過ぎる。つまり『対トーンズ』という観点であれば、この町を軍事拠点にする意味が薄いのだ。兵站の効率で考えると、せめてもっと東寄りに拠点を置かないといけないのではないだろうか」
「では何で……これだけの、5000人も収容出来るような拠点が作られているのでしょう?」
「こいつらは恐らく……トーンズに対する兵力では無いな。ゾーナン……いや、旧モロヤ地域で大規模な反乱でも起きている可能性がある」
「え……?しかしゾーナンに居る隊員からはそのような報告は受けておりませんが……」
「そうなのか。それならば残る可能性は2つだ」
イバンの問いに今度は店主が答えている。
「え……?2つ?」
「そうだな。まずは『大規模な反乱が起きる可能性がある』という情報をテラキア側が何らかの方法で掴んでいる可能性だ」
「これから……反乱が起きると?」
「あくまでも1つの可能性だ。そしてもう1つの可能性が……テラキアが『陽動』に引っ掛かったのかもしれんな」
「陽動……?」
首を傾げるイバンの横でドロスが「あぁ、なるほど」と頷いた。
「つまりは別方面で軍事行動を執りたい『誰か』が、この地にこれだけの兵力を『誘き寄せた』という事ですな?」
「流石、監督。そういう事だ」
店主はニヤニヤしている。
「一体どういう事です?」
「俺の知ってる限り……このゾーナンとテラキアの都……確か……ケインズだったっけか?そことの距離は200キロくらいあった記憶がある」
「そのようですね……仰る通り、ここからケインズは南南東に200キロくらい離れてます」
「そのケインズ方面か……もしくは更に南の国。つまりはこことは反対側の『どこか』で一旗上げようとしている奴がいるのさ。確か……テラキアは南方諸国をあちこち併合しているんだろ?」
「はい。どうやらここ10年で6カ国を併合しているようです。モロヤを含めますと7カ国ですね」
「ならば、その『南の国』のどこかの残党か……もしかすると『お膝元』かもしれんな」
「お膝元……?どういう事です?」
「内乱か政変……。クーデターの可能性も捨て難い」
「ど、どうしてそこまで読めるのです……?」
「まず、奴ら……駐屯地の中で歩いている奴の恰好を見ろ。明らかに歩哨では無さそうな奴までそれなりに武装している。もし、あれが全部歩哨だとしたら……それこそ『臨戦態勢』という事だ。その割にこの周囲に奴らの兵力を投入しなきゃならん場所が見えるか?そして奴らが活動したという痕跡が見えるか?お前達の潜入諜報員からは『この町で戦闘の気配無し』っていう報告が来てるんだろ?」
「あっ……そう言えば……」
「つまり、あいつらが『あんな恰好』になるように『煽っている奴』が居るのさ」
「なっ、何の為に!?」
今度はロダルが尋ねてくる。
「つまりはテラキア国内の兵力を分散……もしくは消耗させようとしているんだろ。テラキア軍の総兵力はあとどれくらい残っているんだっけか?5万だか8万とか言ってたよな?」
「はっ、はい……。ハッキリとした数字にまで絞れないのが残念ですが……」
「それでも最低5万だ。トーンズの『戦闘部隊』はどれくらいの兵力なんだ?」
「はい……。サクロやルシ方面に駐留している者達も含めて5千程度です。我が軍は非戦闘部隊……工兵や輸送兵が多いですから」
「まぁ、それでもトーンズ兵が5千も居れば……この大陸の蛮族相手なら10万くらいの軍勢と戦えるな」
「そっ、そこまでは判りませんが……」
ロダルは苦笑している。
「いや、10万なら十分渡り合えるだろう。2万くらいであれば一方的に殲滅出来るはずだ。何しろ練度や武装が違う。お前の執ってる戦術も近頃は巧くなったしな」
店主様からお褒めの言葉を頂いた将軍は照れながら
「これも店主様からの教えがあってこそです。店主様には戦略や戦術を一から習いましたので……」
「ははは……まぁそれはどうでもいい。とにかく……どこの誰だか知らんが、テラキアに『仕掛けている』奴が居るって事だ」
店主が笑いながらここまで話した所で、これまで口を噤んでいたラロカが息を飲んだ。
「てっ、店主様……!い、今の店主様のお話が本当であれば……最近、テトに対してテラキアが攻勢に出ているのは……」
この老市長の言葉を聞いてロダルもイバンも「えっ!?」という顔になった。
「その通りだと思う……親方。奴らの攻撃が余りにも単調だとは思わんか?ただひたすら数百から千程度の軍勢を小出しに突っ込ませて来ているだけだ。そのあかつきには『漏れなく』殲滅させられているんだろ?」
「は……はい。特に今年に入ってから既に3回の攻撃を受けています……」
「お前の嫁の出産後に、生まれた娘の顔を満足に見れないまま帰る破目になったくらいだからな」
店主がまたもや笑い出すと、釣られて親方も笑い出した。どうやら親方は先日の「シュンの難産騒動」の時に念話で聞こえて来た「立ち会っていた連中の狼狽ぶり」を思い出したようだ。
「そ、その節は本当に……お世話になりまして……」
ロダルは苦笑しながら店主に頭を下げた。
「いやまぁ、そりゃもうどうでもいいがな。今年に入ってまだ1月も経ってないのに3回だろ?そんで?『奴ら』の損害は如何程なんだ?」
「はい……。3500人くらいでしょうか」
「ふむ。3500か。ここで『遊ばされている』5000と併せて8500。既に総兵力の1割以上は引っぺがされているな」
「な、なるほど……」
「よし。ここはもういいだろう。もう少し東に向けて偵察を続けろ。この北部地域だけでどれだけの兵力が割かれているのか……それで少なくとも『奴ら』がどっちの方向でやらかそうとしているのか見当が付く」
「左様ですな。この一連の攻勢が全て謀略の結果だとすると……流石に空恐ろしくなります」
店主の提案に監督も同意した。
「しょ、承知しました。店長様。済みませんが東に向かって針路を取って頂けますでしょうか?」
イバンがソンマに針路変更を依頼すると、船長席から下の会話を聞いていたソンマは
「分かりました。それでは最低限の機関のみ始動しつつ、左に90度回頭。真下に気付かれないように微速前進でこの地を離れよう」
「了解です!機関2番3番、5番7番を始動!始動後に左90度回頭。東方向に微速前進!」
『機関2、3、5、7始動了解』
操縦員の復唱と機関室からの命令応答が艦橋内に響いた。
トーンズ国と南の大国・テラキアとの「小競り合い」は思わぬ方向に急旋回し始めた。
【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ
ルゥテウス・ランド
主人公。15歳。黒き賢者の血脈を完全発現させた賢者。
戦時難民の国「トーンズ」の発展に力を尽くすことになる。
難民幹部からは《店主》と呼ばれ、シニョルには《青の子》とも呼ばれる。
ソンマ・リジ
35歳。サクロの《藍玉堂本店》の店長で上級錬金術師。
「物質変換」や「形質変化」の錬金術を得意としており、最近はもっぱら軽量元素についての研究を重ねている。古代技術の復興を目指して飛行船を製作した。
ラロカ
62歳。エスター大陸から暗殺術を持ち帰った元凄腕の暗殺者で《親方》と呼ばれる。
新国家建国後、首都サクロの市長となり変わらずイモールを補佐する。
羊を飼うのが巧いという特技を持ち、時折主人公に妙案を進言して驚愕させる。
ドロス
54歳。難民キャンプで諜報組織《青の子》を統括する真面目な男。
難民関係者からは《監督》と呼ばれている。頭のキレは素晴らしい割に滅多に笑わず、肚も据わっているがシニョルに対する畏怖が今でも非常に強い。
現在はトーンズ国側の采配をイバンに任せ、自身は主に王都の動静を探っている。
ロダル
39歳。トーンズ国軍を率いる将軍を務める。
アイサの次男で嘗ての暗殺組織《赤の民》にて十数年に渡って訓練を受けて新米暗殺員となっていたが、主人公に見込まれて指導を受け、キャンプの自警団……長じてトーンズ国軍の指導者となる。
イバン
27歳。ラロカの甥でトーンズ国諜報部隊《青の子》所属。
ドロスの右腕としてエスター大陸側の諜報活動を指揮する。
シュンの妹であるアイを妻としている為、シュンの夫ロダルとは義兄弟の間柄でもある。
タム
37歳。《青の子》に所属する古参の諜報員。既婚。
旧《赤の民》の領都支部に暗殺術を持ち帰ったラロカを尊敬しており、嘗ては暗殺員を志望していたが視力の良さを見込まれ、諜報員として育てられた。冷静且つ温厚な人柄でラロカやイバンからの信頼も厚い。
エスター大陸帰還事業初期からエスター大陸側で諜報作戦に従事しており、現在はラロカの甥であるイバンを後見しつつ、新造された《空の目号》の船長を務める。