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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第四章 戦乱の大陸
107/129

もっと軽く!

今回の話は、高校時代に居眠りしながら受けていた物理の授業を思い出しながら適当に計算して数字を出しています。もっと真面目に授業を受けていればよかった……文系オジさんは後悔しまくりです。


【作中の表記につきまして】


アラビア数字と漢数字の表記揺れについて……今後は可能な限りアラビア数字による表記を優先します。但し四字熟語等に含まれる漢数字表記についてはその限りではありません。


士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム(メートル)法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


作中世界で出回っている貨幣は三種類で

・主要通貨は銀貨

・補助貨幣として金貨と銅貨が存在

・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚


平均的な物価の指標としては

・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。

・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。

 テト上空で停船した《空の目(スカイアイズ)号》の中では前後の艦橋に最低限の観察隊員だけを残して、軽い食事が振舞われた。


今回の飛行では正式な厨房要員は乗り込んでおらず、用意された糧食も出来合いの簡単なものではあったが、温められたスープなども供され、《青の子》の隊員達からすれば……普段の偵察・巡回任務の時に比べれば余程まともな食事が出て来たと言ってもよく、彼等は統領様や首相が座っていた窓際のキャビンでは無く、室内の真ん中に固定設置された大机を挟むように置かれた長椅子に腰を下ろして黙々と食事を始めた。


訓練された彼等の食事は手早く、皆あっという間にパンやスープを胃袋に流し込んでいく。一緒に席に着いた統領様や、首相……それでもイモールはその昔、暗殺者としての訓練を受けていたので普通の人よりも食べるのが早い方ではあるのだが……じっくり軽食を口にしている間に次々と食べ終えて、2人に向かって挨拶をしながら席を立って行く。


 同席していたイバンは当然として、ロダルも元は暗殺者として訓練を受けた為か……さっさと食事を終わらせており


「我々の事は気にせず……ごゆっくりとお召し上がり下さい」


と、笑いながら驚いている統領様や店長を宥めていた。


「そ、そうですわよね……皆さんは任務中ですから食事も手早くされてるのでしょうね……」


この歳になっても、食欲は尚旺盛ではあるが食べる早さは遅い統領様は半分恐縮した態度で呟いた。


「私はこれでも昔はそれなりに食べるのは早かったのですがね……どうも最近はゆっくりとするようになってしまって……」


首相は苦笑いしている。


「まぁ……ここでこうして浮いている限り、特に何か警戒するという事も無いのでしょうがね……強いて言えば飛行種の魔物……この高さですからそれも殆ど考えなくてもいいとは思うのですが……」


これもマイペースで食事をしているソンマがパンを齧りながら話す。


「そうか……そういえば空を飛ぶ魔物は……まだ世界中に居るんだったな……」


首相の表情が一瞬強張った。


「店長さんは『空飛ぶ魔物』は見た事があるのかしら?」


統領様のご下問に対して店長は苦笑しながら


「いえ、実際に空を飛んでいる姿は私も生まれてこの方……ありませんね。ただ、それら魔物由来の素材……と言いますか、錬金術に必要な材料は日常的に目にしてますね」


「まぁ!そうでしたの?」


驚く統領様に対して店長は


「実は、私も……この話はサナから聞いたのですがね。我々……もちろん統領様やセデス様も含めて、キャンプに住んでいた頃……店主様が捕まえた海竜の肉を食べているのだそうですよ……」


先日の「レア触媒騒ぎ」の際に妻から聞かされた「知らなかった方が良かった話」を同席者達に告げた。


「え……!?」


統領様が絶句している。


「か……かいりゅう……?」


首相も目を剥いている。


「店主様のお話では、皆様『美味しい、美味しい』と舌鼓を打っていたそうですが……いや、これは私自身も含めてなんですけどね……」


「わっ……私にはそのような記憶はございませんが……」


「確か……竜の大きさは全長50メートルだったとか……店主様がまだ()()()だった頃の話だそうですよ。竜の肉はシチューになったんだっけな……?我々もお役所の食堂で相伴に与かったようですよ」


ソンマもその話を妻から聞かされた時は流石に仰天したが、「あの店主様なら……」という思いもあるので妻の前では笑っていたが、後々考えてみると随分と貴重な経験をしたのに気付けなかった事を悔んだりした。


 店長から衝撃の「昔話」を聞いて2人の首脳はおろか、やはり当時同じく「竜肉シチュー」を口にしたであろうロダルやイバンも呆然としている。


「さて。それではそろそろ機関の再始動に掛かりますか。お二方はごゆっくりと召し上がって下さい」


笑いながらソンマは立ち上がって食器を厨房に戻し、操船艦橋に戻って行った。イバンも我に帰って


「あっ……。では……私も機関室に……失礼します」


これも立ち上がってソンマとは逆方向に向かって歩いて行った。


「思えばキャンプ……と言いますか、藍玉堂で暮らしていた頃は色々と珍しく、美味しいものを食べさせて頂いておりました」


ロダルが、まだ自警団の隊長へ就任する前の頃を思い出して笑っている。


「そうだな……。店主様がキャンプにお住まいになられてから、キャンプの中の食生活が急に豊かになったな」


知らない間に「究極の珍味」を食べさせられていた衝撃の事実から我に帰った首相も目を細めている。


「あの方は……あんなに幼い見た目でしたのに、アイサさんや他のご婦人方に色々なお菓子の作り方を教えてらしたわね……ふふふ」


「そのお菓子が、今では王国やその他の国でも毎日何千……いや何万個も売れているのですよ」


統領様と首相がキャンプの頃の思い出話をしている間に、船外から聞こえる音が大きくなった。どうやら動力(内燃機関)の再始動は上手く行ったようだ。


****


『停止中であった全ての機関再始動を確認しました』


 機関艦橋のイバンからの報告に


「再始動了解。この高度でも問題無く始動は出来るようですね」


ソンマは安堵の表情で応答した。上空では空気の薄くなる関係で内燃機関の始動性に不安がある……店主はそのように説明していたが、1000メートル程度ではそれほど影響は無いようだ。ルゥテウスはこの船体での上昇限度を3500メートル程度と見ているようだが、実際の運用となると浮力減衰や乗員の健康上の問題もある為に高山を超えたりする必要が無い限りは高度2000メートル、実用上は1000メートルくらいの飛行が理想ではないかと言っていた。


しかしどうやら、「特殊なアルコール」を燃料としているこの内燃機関は始動性において、ルゥテウスの記憶にあった「過去の時代」のものよりも良好であるようだ。


「回頭完了。現在の風……南からの水平風に変わりました。南の風20メートル」


「了解。プロペラ始動。スラスター調整。出力50パーセントで前進」


船首観察員からの報告を受けたソンマはドックに向かって前進を指示した。


「出力50パーセントで前進!」


 姿勢制御用の上下スラスターを含めて10カ所のプロペラが再び回り出し、飛行船は北西方向に直線距離で80キロ程離れたドックに向かって進み始めた。


「船体に振動等はありません。姿勢も安定しております。現在の飛行速度は約100キロです」


隣の操縦隊員からの報告を受けたソンマは


「よし。それでは出力100パーセントで全力飛行を行う。機関室に連絡」


「出力100パーセントで全力飛行了解です!」


復唱する操縦隊員の他に、ソンマが座る船長席の後方に設けられている通信席に座る通信隊員が機関室に、全力飛行を実施する旨を伝声設備で伝えている。この通信席には素養を見て選抜された「念話連絡員」が配置されている。


 《青の子》の隊員……いや、これは《赤の民》の頃からの話になるが、彼らは12歳になって諜報員、更に嘗ては暗殺員の候補として選抜されるとキャンプ北東区画にある訓練所に入るのだが、その際に色々なものを支給されたり、贈られたりしていた。元は暗殺員として選抜されたロダルは、訓練所に入る際にラロカから柄に大きな穴の空いたナイフを贈られていたし、最初から諜報員として訓練所入りしたイバンも同様に、伯父からヤスリやネジ回しが内蔵された小さな三徳ナイフを貰っている。

贈られるものはマチマチだが、子供達はそれを大切にしながら厳しい訓練を耐え抜いていたのだ。その後……正式入隊後に念話連絡員へと選抜されると、ドロスによってそれらの「私物」にルゥテウス製の《念話導符》を使用した《念話》が付与されて各支部や各隊に配属される。


 念話連絡員は既に総勢80名余りが選抜されており、全てが一応はドロスが構築した念話網に組み込まれている。連絡員の中でもさらに階級が存在し、個別念話への適応力が高い者は本部や支部などの各都市に設置されている諜報拠点での連絡要員として配置された。これらの場所では、各地の現場諜報隊や軍の部隊に同行している末端の念話連絡員と念話のやり取りをしなければならないので、数ある念話先との交信をこなさなければならない為に、高い集中力と適応力が求められた。


 ルゥテウスが最初に念話付術品を贈った9人の中でも、念話の使用が上手い者、苦手な者で習得に差が出た。前者の代表はシニョルで、彼女はいち早く個別念話や範囲指定念話をカード無しで使いこなせるようになっており、逆にキッタのように自らの仕事が忙しく念話の練習が思うように出来なかったとしても、10年が経過した現在になっても個別念話使用にカードの併用が欠かせない者も居る。


また、「難民幹部の念話グループ」は所詮ルゥテウスを含めても10人であったが、《青の子》の念話網は総勢80名余りで構成される巨大なものであり、ドロスが細かく定めた念話運用ルールが存在していたが、現在もオーデル市内に置かれている本部には毎日数十の支部や隊から報告や連絡を受けている。


《青の子》はレインズ王国内やトーンズ国内はおろか、世界中の主だった国にも3~5名規模の諜報隊を活動させており、それらの者からも念話による連絡が本部に入って来る。本部の念話担当員はそのような多方面からの連絡を受けながら、前述したように数十にも及ぶ相手に返信や追加の指示を個別念話で送る必要があったのだ。

本部所属の連絡員は6名おり、いずれも《青の子》の中では最高峰の念話の遣い手であった。彼等は定められたシフトに従って6交代制で本部の地下1階にある指令室に詰めて現在も青の子の連絡統制に従事している。


ドロスもそれなりに念話使用については鍛錬を重ねたが、その素質では彼等には及ばないようで……基本的には彼等を経由して各地の諜報隊員に指令を送っているようだ。


 トーンズ国内にも青の子は内外の諜報活動の為に複数の拠点を設けているが、それを統括しているのはあくまでも隣の大陸にあるオーデルの本部である。本部の真上には今でもラロカの弟である「おやっさん」こと、ヒューの夫婦が経営する藍玉堂の支店が営業を続けており、元祖「看板娘」であったニコも3年前に難民出身の男性と結婚して男子を1人儲けている。


ニコ夫婦は「独立」という形を採って、今では王国西部の中心都市であるサイデルで藍玉堂の支店を経営している。オーデルから2000キロも離れた遠い場所ではあるが、実際には店内に設置されている転送陣で実家には毎日のように帰っているし、ヒューやその妻である「おかみ」ことホーリーが可愛い孫の顔を見に娘夫婦の店をちょくちょく訪れる。サイデルの支店の地下には当然……青の子のサイデル支部があり、他にもサイデル市内に設けられている出張拠点を統括している。更に言えば……その出張拠点の真上も当然、難民が経営している菓子屋であるのは言うまでもない。


彼等サイデルに詰めている諜報員達によって、昨年の秋には当時の王国陸軍西部方面軍と第四師団長の一族について徹底的に調べ上げられた事で、彼等の失脚に繋がった事は記憶に新しい。


 《空の目号》はほぼ追い風20メートルの好条件で出力100パーセントの全力飛行によって時速185キロを記録しながら拠点である藍玉堂の工場群に向かい、約80キロの距離を30分足らずで飛行してドックの真上に至った。ドックには既に念話によって帰還連絡が実施されていた為、屋根が開かれており……飛行船はすぐに着陸操作に入った。


「よし。姿勢を保ちつつ下降開始。高度50メートルで一旦停止です」


すっかり操船指示を出す事に慣れたソンマの声を伝声管越しに聞いた機関艦橋のイバンが「了解です」と応えた後に


「ヘリウムの回収開始。高度50メートルまで下降だ」


と、機関要員に指示を出す。今後の運用時にはソンマもイバンも「船長」として乗り込む事は無い。この《空の目号》の船長は別の者が指名されており、タムという今年37歳になるそのベテラン諜報員は現在、乗員室にある作戦区画の大机の前に座って飛行記録員が今回の試験飛行の飛行記録を地図に書き込んでいるのを見守っている。


 彼は嘗て戦時難民がエスター大陸に帰還する際に、その先陣となってラロカと共にサクロ村に降り立った者の中の一人で、後にサクロ周辺地域の調査に従事した北方隊……つまりはルシ村への調査隊を率いた人物である。


「南方からの開拓隊商の隊長」を装ってルシ村に潜入し、更に北方のアダイ族がサクロに侵攻して壊滅した際には、ルシ村の長を説得してアダイの支配から離反させ、サクロ……後のトーンズ国に属させる事に成功した。人柄が練られており、人を率いるのも巧く、現在はトーンズ側の青の子を采配しているイバンも「兄貴」と呼んで慕っている人物である。


タムはラロカを心の底から尊敬しており、本人は元々……《赤の民》時代は暗殺員を志望していたが、「視力に優れる」という理由で諜報員として養成された過去がある。今でもサクロ市長となったラロカへの敬意は変わらず、その甥である10歳年下で後輩に中るイバンにも素直に従っており、若年の指導者であるイバンをよく補佐しながら、他の年長隊員が彼に従うように目を光らせている。


 そのタムの所に機関艦橋からイバンがやって来て尋ねた。


「兄貴、夜の試験飛行にはこのまま同じ隊員を乗せて行くのですか?」


「うーん。どうしますかね。地上で待機している奴らも乗せてやりたいんですがね」


「今日は何名待機しているんです?」


「いや、一応は全員待機させてますよ。えっと……17名だったですかね。ほら、厨房担当も含めてますから」


「では彼らにも全員乗って貰いますか?多分、『南の奴ら』の縄張りにかなり深めに入る事になりますよ」


「あぁ、なるほど。それではそうさせて貰いますか。これから急いで各部署の当番(ワッチ)表を作りますよ」


「了解です。ではお願いします」


大机に座ったタムが紙に搭乗する隊員の名前を名簿から書き写し始めたのを見て、それを邪魔しないようにイバンは機関室へと戻って行った。


「間も無く高度50メートルです」


 機関要員からの報告を受けて、イバンは伝声設備を使って操縦艦橋に連絡を送った。


「了解。では全ての動力機関を停止。降下速度を半分まで落として更に高度10メートルまで下降」


ソンマからの返答を受けたイバンが機関要員に速度を落として更なる降下を指示する。ドックからの上昇の時よりもドックの中に船体をぶつけないように降下させる方が当然難易度は高く、前後の艦橋要員が一丸となって注意深く船体を下ろして行った。


「間も無く高度10メートル。係留索を送出」


機動の為の動力は全て停止させたので現在動いている内燃機関はゴンドラ内に設置されている主に可変気嚢部のヘリウムを増減させる為のものだけだ。と……言ってもこの内燃機関はヘリウム制御の他にも船内に供給される電気の発電も担っており、ゴンドラの前後の各左右舷側から下ろされる計4本の床面係留フック付きロープの出し入れに使われるウインチの動力源にもなっている。


 ドック内では既に作業員が係留作業の為の配置に着いており、ゆっくりと下降して来る「透けて見える飛行船」のゴンドラからスルスルと下りて来た係留索を手に取って床面の固定環にフックを引っ掛けた。それを確認したドック責任者のアイテスが拡声器を使って


「床面へのフック固定完了です!」


と告げる。浮上時とは違って機動用の内燃機関が全て停止しているのでドック内は意外にも静かで、アイテスの声は拡声器を通してドック内に響き渡った。勿論、船内の操縦艦橋にもその声は届いている。


「了解。係留索戻します」


地上に飛行船を固定する為の係留索がウインチによってゆっくりと巻き戻される。やがてピンと張ったロープによって船体は僅かに「ガガッ、ガクン」と引っ張られて多少揺れたが、ウインチの巻き取る力はヘリウムの浮力に逆らうように船体を地上に引き寄せ始めた。


 この飛行船はゴンドラの全区画が上下2層構造になっている。このうち、ゴンドラ部のほぼ真ん中近い乗員室……丁度2人の首脳が座っていた両舷窓際のキャビンや乗員が食事を摂っていた大机が固定されている部分の下層には直径2メートル強の穴が、「横に貫くように」2つ空けられた形状となっており、そこには以前にも書いたが船体の平行移動や横風への復元にも使われる「側方推力機(サイドスラスター)」の巨大なファンが組み込まれている。この直径2メートルのファンが4メートルの間隔で2ヵ所、つまり2枚設置されている事になる。


初期の設計では、このスラスターファンの効果をもっと上げる為に……ゴンドラの前後に離して設置する事になっていたのだが、そうなってしまうと各々のファンを回す為に動力機関がもう1機必要となってしまうので、内燃機関の小型化がこれ以上難しい現状において、専用動力の採用は現実的では無いとして断念された経緯があった。


結局……乗員室中央部の下層に5メートル程のスペースを確保して、内燃機関1機とそれを挟むように4メートルの間隔を開けた2枚のファンを設置するという案で妥協された。今後、技術の進歩によって内燃機関がより小型化された際にはゴンドラ部の前後に専用の動力を得てファンの効率的配置が実現するかもしれない。


 とにかく、乗員室区画下部に2カ所のスラスターファンが設置されている事、そして何よりも更にその下……ゴンドラ底面壁内側から高さ1メートルに当たる部分を各内燃機関を動かすための燃料であるアルコールのタンクが乗員室区画と物資倉庫区画にかけて占めているので、「可能な限りゴンドラ底部を接地させない」という運用上のルールが設定された。


ちなみに、床面窓が前後艦橋部にしか設置出来なかったのは、前述のようにその他の区画の底面部をこの燃料(アルコール)タンクが占めているからである。


底面に燃料タンクを置いたのには理由があり……なによりも船体全体の姿勢を保持する為にゴンドラ側、もっと言えばゴンドラ底部側に重心を下げたかったからである。


 この飛行船は全長102メートル、尾部の水平安定板を含めた一番広い部分で幅51メートル、同じく垂直安定板を含めた一番高い部分で高さ33メートルという「上下に圧し潰された恰好の楕円体」の気嚢部分の底面に、「へばり付く」恰好で全長41メートル、全幅8.2メートル、全高6.2メートルのゴンドラが設置されている。


気嚢部には機動……各所のプロペラを回す為に合計7機の内燃機関が搭載されている関係もあって総重量が実に13トンもある。それに比べてゴンドラ部の乾燥重量は8.2トンしかなく、空中における重心がどうしてもゴンドラよりも上側になってしまうのだ。


こうなると高速飛行中の横風に対する転覆耐性に問題があると考えたソンマは、キッタと相談した結果としてゴンドラ側の重心を可能な限り下げる事に腐心した。


その結果、ゴンドラ底面を一番重量の嵩張る燃料タンクとして、更にスラスター機構を乗員室下層部に置き、それでも前方寄りになるスラスター機構に対して後方の厨房部分を隔てて物資倉庫の前寄り2メートルを「給水タンク」とした。この給水タンクの前後に厨房やシャワールーム、トイレを挟むことで水回りを1カ所に固める事に成功し、重心を下げる事にも貢献しているのである。給水タンクの満水量は8キロリットルである。


 しかしここで新たな問題が生じた。外殻、内殻の気嚢部全体で約81000立方メートル余りのヘリウムを搭載出来るので、単純に計算すれば全体の最大浮力は約8.1トンになる。しかし実際は物資と人員を満載した状態だと総重量は30トンを大幅に超える事となり、このままでは当然ながら飛行船は宙に浮く事が出来ない。


ではどうしたのか。


ソンマは全ての外装パネルを含めた艤装が終わった時点での満載総重量を計算した際に「このままでは『とんでもない』重量オーバーになる……」事に気付いて頭を抱えた。


しかし、その数日後……予想しなかった「事態」が発生し、それが元でこの重量超過問題は一気に解決してしまったのである。その「事態」とは……。


****


 ある日、何度計算しても軽量化の為に装備品を省く事もままならず、悩むソンマの所に……妻であるサナがキャンプの藍玉堂から帰って来て、驚くべき事実を告げた。


「先生っ!先生はこの部屋の棚……触媒が入った棚の中身を全部把握されていますかっ?」


やけに興奮気味に語る妻に対して、悩み事で頭が一杯の夫は面倒臭そうに応えた。


「触媒の棚……?いや、全部は把握して無いね。まぁ、いつも使う触媒の場所くらいは覚えているけど……」


「やっぱりっ!あ、あのですね……この棚には私達が見た事も無い貴重な触媒があちこちに隠れているのですよっ!」


「うん……?どう言う事だい?」


相変わらず興奮気味の妻の言葉に、ソンマは顔を上げて部屋の隅の触媒棚に目を向けた。


 藍玉堂……これは元からあったキャンプ側と、ソンマのトーンズ移住に伴って店主が建ててくれた現在の本店(サクロ側)は外見こそ異なるが、内部の構造はほぼ同じであり……当然ながら地下の構造、そして部屋の間取りも同じであった。錬金部屋の中の北面と東面一杯に設置されているこの触媒棚の大きさも、そして抽斗(ひきだし)の数も、更には……その中身の配置も全く同じだと言うのである。


ちなみに、抽斗は縦12段、横は2面併せて54列あり、そこから換算すると648個ある事になる。ソンマがその全ての中身を把握していないのは致し方無いし、妻に至ってはこれまでの錬金術師人生の大半は、この棚に入っていない《マシタゼリ(雑草)》を相手にして来たのだ。


「とっ、とにかく……こっ、これを見て下さいっ!」


 サナは急いでキャンプ側と同じ場所に置かれている脚立を持って来て、北側の壁に並ぶ触媒棚の右端の一番上……天井スレスレの場所にある抽斗を引っ張り出した。そしてキャンプの時と同様に脚立の上で振らついた。


「あっ、危ない!危ないなもう……」


ソンマは慌てて立ち上がって脚立の上で引っくり返りそうになっている妻を支えつつ、その抽斗を受け取った。173センチあるが、ヒョロっとした夫の細腕でも何とか持てる重さの抽斗を作業机の上に置いて、その中身を覗き込む。


「うん……?何だこれは?」


やはり()()に対して初見であった夫に対して、何とか脚立から下りた妻が


「これ……アレですよアレっ!さっ、再生薬の触媒っ!えっと……なんとか竜の……」


サナはまだ()()名前を正確に覚え切れていなかったのだが、夫はそれを聞いて驚きながら


「えっ……!?『セダカクビナガリュウの鱗』かい!?これが!?」


「そっ、そう!それです!セダカ……クビナガリュウの鱗……ですよっ!」


「なっ、何だってこんな物が……」


「ほっ、他にも多分……今まで見た事の無いような凄い触媒が一杯ありそうですよっ!」


「セダカクビナガリュウの鱗……と言う事は……《再生》術は本当に実在するのか……」


 興奮冷めやらない妻の言葉を聞きながら、つい先程まで脳内を占めていた悩み事がすっかり吹っ飛んだ夫は……「救世主教の嘘臭いヨタ話」だと思っていた「救世主の業」……《再生》魔法がどうやら実在している事に驚いている。


これまで……この錬金術師夫婦が使用して来た錬金術のレベル、そしてその触媒は魔法世界からするとそれ程大したものでは無いと言える。これまで、特筆すべきものとしてはソンマが物質転換系の上級錬金術である《組成変換》を何度も成功させて水……を構成している水素からヘリウムを生成したくらいである。


但しこの魔法世界の外である「自然科学」的には「核融合」を伴う行為であり、これを科学的に行うには「あらゆる面で」非常に高い敷居と、それに伴ってとてつもない高エネルギーを生み出してしまうので、まさに「錬金術ならでは」のものと言えるのだが、それでも「水素からヘリウム」なので「物質転換」という錬金術の一分野においては「1を2にした」程度の話として片付けられてしまう。ソンマが目指す「石ころを金塊に」というような本来の『錬金術』にはまだまだ程遠い内容であった。


それでもこの《組成変換》術に必要な触媒である、《カシグリの殻》という北サラドス大陸北部に自生している小ぶりの木に生る小さな木の実の殻は比較的入手し易く、「術本来の難易度は高いが触媒の希少性は低い」という分類に属する。


このように、錬金術においてその術の「難易度」と、術使用に必要な触媒の「希少性」は必ずしも比例しているわけでは無く、《組成変換》のような特性を持つ術は上級錬金術師が「特級」への昇格を目指す際に、その鍛錬に使用される事が多い。よって……先人が遺した「資料」も多く、上級術師の間では割とポピュラーな錬金術と言える。


もちろん……術そのものの難易度も、そして触媒の希少性もケタ違いに高い術も存在し、その代表格がこの……「本当に実在しているのか?」「救世主教が救世主サマの事を殊更宣伝する為のネタ」等と魔法ギルドでも言われていた《再生》術や、我らが店主様がお気軽にホイホイ使う《瞬間移動》や《転送》もこれに属する。特に空間制御系の後者2つの術は「触媒の希少性に対して術によって得られる結果が割に合わない」等と言われる程で、触媒を必要とする魔術師や錬金術師が普段使い出来るものでは無く、()()を必要としない「魔導師が使う魔法」と言うのが、魔法世界での共通認識である。


 ソンマは《セダカクビナガリュウの鱗》を手に取って観察し、そして棚の上方に視線を向けた。


「そう言えば……この棚の上の方はこれまで全く確かめた事が無いね……しかしラベルが貼ってあるという事は……何か入っているんだろうな……」


彼が目を向けている触媒棚の上の方の段の抽斗にもラベルはしっかりと貼られている。しかし彼の身長を以ってしてもその内容は読めない。何しろこの錬金部屋の天井は3メートル近くあり、更には照明の白い光が反射していてラベルの内容が目視で確認出来ないのだ。


「ちょっと調べてみようか」


そう言ってソンマはサナが使っていた脚立をしっかりと置き直して上り始めた。


「せ、先生。気を付けて」


妻が声を掛けてくるのへ「うんうん」と応えながら、ソンマはまずは北側の棚の抽斗のラベルを左側より上から下まで一つずつ確認し始めた。


 暫くして……


「うおっ!こっ……これは……」


ソンマはある抽斗のラベルに目が止まった。そこには店主の美しい筆跡で「ヒワゴケ」と書かれていた。


「ヒワゴケ……《重量低減》術……これが……」


抽斗を開けると、中には「苔」と言うには葉状部が大きめで明らかに乾燥しているのだが青々とした色の苔がギッシリと入っている。「死の谷」周辺にしか生育していないと文献にも記載されていた非常に貴重だと言われる触媒が、縦横30センチ四方、奥行き50センチ程の抽斗の中にギッシリ入っている光景はかなり異様に見える。


「あの……その苔ですか?それはそんなに驚くような物なのですか?」


机に置かれた抽斗の中身を見て絶句している夫に、サナが尋ねて来た。


「うん……多分……。これは死の谷でしか育たないと聞いてるね……魔法ギルドにもこれだけの量があるとは思えない……。私が魔法ギルドで学んでいた頃にも何年か一度、ギルドで『死の谷でしか入手出来ない』触媒を採取しに10人以上の魔術師の先輩方で採取隊が組まれていたけど……ヒワゴケはいつもこれくらいの小さな革袋くらいしか採れてなかったみたいだから……」


 ソンマは彼がローブの隠し(ポケット)から触媒を入れた小さな革袋を出して見せた。袋の直径は10センチくらいだろうか。当然ながら「いっぱい入る」ものではない。小さな《カシグリの殻》も入っている。ソンマのような「特級錬金術師」程の者になると、錬成が失敗して触媒の消費が起こる事は殆ど無い。なのでこの程度の小さな袋に様々な触媒を少しずつ入れておくだけで普段は事足りるのだ。


「え……?そ、そんなに少しだけ?乾燥する前の量でですか!?」


「うん……。まぁ、《重量低減》術自体はそんなに難しい術ではないからね……。術自体の難易度よりも、成功した時の効果の内容が問われるものなんだ」


「重量低減……物が軽くなるのですか?」


「いや、その対象物自体が軽くなるのでは無くて……()()が付与された『入れ物(コンテナ)に入れた物体』が軽くなるんだ。例えばこの小袋に《重量低減》を付与すれば、この中に入れた物が軽くなる。実際どれくらい軽くなるのかがその『術師の腕次第』なんだけどね。腕の良い錬金術師だと、半分くらいの重さになるらしいよ」


触媒が余りにも貴重なものであった為に、ギルドでの修養時代に「試させて貰えなかった」ので……ソンマもその具体的な効果を実際に見ていないのだが、教科書(テキスト)に書いてあった内容を妻に説明した。


「半分も軽くなるのですか……?凄いですね……では馬車のような大きな乗り物も対象に出来るのでしょうか?馬車の中身……人間や荷物が軽くなれば馬が楽になりそうですけど」


サナが笑いながら話すと、それを聞いたソンマは


「そうそう。実際、王国の政府や上級貴族家が所有している馬車にはこの術を掛けたものが多いと聞くね……政府の緊急公用馬車とか……軽くなった馬車を倍の数の馬で牽くから速度も出……あっ!そうかっ!」


 突然夫が大声を出したのでサナはビックリした。


「どっ、どうしました?何やら驚いているようですが……」


「い、いやっ!そうだよっ!これだっ!《重量低減》だっ!まさかこんな触媒があるとは思わなかったから思い付きもしなかった!」


夫は相変わらず興奮気味である。まるで先程の「貴重な触媒が棚に眠っている事」を聞いた自分がキャンプから帰って来た時のようであった。


「そうか……気嚢部分……。それとゴンドラ自体にも《重量低減》が掛かれば……。気嚢自体を『入れ物』とすれば恐らくは可能だろう……」


「重量低減……?」


「《重量低減》はそれ程難しい術では無かったと思う。それを……あの飛行船に対して付与するんだ」


「え……?あ、あの大きな飛行船にですか……?」


「そうだ。その大きな飛行船に対して重量低減付与を掛けられれば……その効果も相当に大きくなるだろうね」


「でっ、でも……あんなに大きいのですよ?」


「術符にしてしまえばいいんじゃないかな。付与範囲を気嚢の部分とゴンドラの部分で分ければ……効果の希釈も抑えられるんじゃないかなぁ」


 そう言うと、ソンマはヒワゴケを抽斗から一掴み分取り出し、作業台に置いて詠唱を始めた。サナは夫が錬成に入ったので集中力を乱さないように静かにそれを見守る。


ソンマが10秒程の詠唱を終えると、机の上に置かれたヒワゴケが光に包まれ……それが消えると、一掴み分置かれていたヒワゴケが半分に減っていた。どうやら夫はヒワゴケに対して《触媒精製》を掛けたのだと直感した。


 《触媒精製》は「準錬金術」に分類される技術で、触媒の「純度」を上げる為の「作業」である。どの触媒にも「純度」があるらしく、()()が上がると形質が整ったマナに対する投影反応が起こる際に、そこで起こる「魔力(パワー)のロス」が軽減すると()()()()()。実際、この精製された触媒を……魔術師が使えば、錬金術における手順で言うところの《マナ制御》→《形質変化》→《触媒反応》→《対象物への投影》という内容が《触媒反応》→《具象化》→《投射》となるのだが、この《具象化》の際にやはり魔力……と言うよりも「超自然現象」のパワーロスを軽減出来る。


しかし、この《触媒精製》はあくまでも「錬成行為」に含まれるので魔術師は使えないのである。このような「錬金術の準備作業術」は錬金術としては初歩の初歩であり、サナが長年繰り返した《遅燃強化(炭作り)》もこれに属する「技術」である。


 ソンマは半分に減った机上のヒワゴケに対して、もう一度《触媒精製》を施した。ヒワゴケは更に量を減らして、当初は一掴み分あったものが、それこそ「一つまみ分」くらいの量になってしまった。どうやらこれが精製の限界らしい。10年前に独りでオーデルの市中で工房を経営していた「かけだし錬金術師時代」は、ここまで純度を上げる為に数時間掛けて何度も施術を繰り返していたのだが、長足の進歩によって僅か2回で済むようになったのだ。


「よし。こんなものかな」


ソンマは作業机の抽斗を開けて、中からこれも品質を上げた術札を取り出して机の上に置いた。


「それじゃ、ちょっとやってみよう」


そう言って詠唱を始める。サナは夫の詠唱がこれまで聞いた事の無いものである事に気付いた。どうやら少なくとも自分の前ではやった事の無い錬成を行うらしい。


それでもソンマの詠唱は十数秒で終わり、机の上の術札に紋様が描かれた。どうやら錬成はかなり上手く行ったらしく、精製されたヒワゴケは見た目で殆ど消費が起きていなかった。やはり《重量低減》の付与術自体はそれほど難易度の高いものではないのだろう。


「まぁ、私も初めて作ったのだが……出来は悪く無いと思うよ」


そう言いながら、今度は机の上に製薬で使う天秤はかりを出した。そして先程の愛用している「触媒小袋」を一方に載せて、重量を計ると「116グラム」であった。


「よし。それではこの袋に対して術符を使ってみよう」


先程作った《重量低減》の術符を机の上に置かれた小袋の上で右手に握り込んで念じると、小袋が一瞬白く光った。


「さて……本当に軽減されているのかな……?」


付与が済んだ小袋を再び天秤はかりに乗せてみる。すると116グラムあった小袋が……なんと32グラムに減っていた。ソンマは驚き、その横で天秤の反対側に分銅を置いていたサナも「まぁ!」と驚愕の声を上げた。


「凄いな……72パーセントも軽くなるのか……」


 その効果を確認したソンマは早速、同様の術符を数枚作製した。彼の知る限り、この術符は相当に価値のあるものとして、王都辺りでは1枚で金貨数千枚になるはずである。王国政府や上級貴族にこの付与が施された馬車車輛が万単位の金貨で取引されていると文献で読んだ事があったからだ。


藍玉堂の経営者として、近頃は金銭に対してそれ程頓着しなくなっているソンマは、それでもこの事実を妻に教えると腰を抜かすだろうと内心苦笑しながら、殆ど消費されずに残っていたヒワゴケで、妻にも《重量低減》の術符を作るように提案し、その要諦を説明した。


一通り教わったサナも術符作成を試み、やはり触媒の消費を殆ど起こす事無く作成に成功した。彼女はその出来映えを「自分の触媒小袋」に対して試してみた結果、141グラムが46グラムになり……、どうやら68パーセントの軽減を果たした事になる。


「このような元々軽いものでは余り実感出来ませんね……」


「そうだねぇ。明日の夜、飛行船に対して試してみよう」


「そうですね……でも、あれだけ大きいものですと……『陣』で囲わないと難しいのではないですか?」


「まぁ、そうなるだろうね」


 殆ど消費されずに残った「精製されたヒワゴケ」をお互いの触媒小袋に半分ずつ入れ、ソンマはその足で飛行船建造中のドックに向かった。


巨大な工場兼ドックの中で船体は既に完成し、塗装作業も終わっており……船体を囲っていた高所の足場を撤去する作業中であった。高所作業通路で足場の解体を指揮していた責任者のアイテスに尋ねた。


「足場の撤去はあとどれくらいで終わりますか?」


「あ、店長様。お疲れ様です。そうですなぁ……まだ今日一杯はかかりそうです」


アイテスは多少訛りの残る言葉で答えた。


「そうですか。実は明日の夜、船体全部に『最後の処理』を行いたいので……足場解体が終わったら2日間の休暇とします。それで……初飛行は再来旬の27日にしよう。休暇明けから気嚢部の係留フックの付け外しの練習をやっておいて下さい」


「はい。分かりました」


 ソンマは高所作業通路から降りて来て、改めて足場がまだ掛かっている「透ける船体」を見上げた。足場が外された最下層のゴンドラ部分の姿を見て


(うーん……店主様の仰る通り、見事に《擬態》しているな……こんなに巨大な船体でも付与品を「塗装」するというのは……私も流石に思いつかなかったが……)


未だ外殻部の気嚢にもヘリウムの注入が行われておらず、固定環にロープで固定されつつ船台に載せられている巨大な飛行船……自らが命名した《空の目(スカイアイズ)号》の威容を後に、藍玉堂へと帰った。


****


「それでですね……気嚢とゴンドラに対してそれぞれ《重量低減》の術符を使用してみたのですがね……期待した程には()()ならなかったのですよ……」


 船体に対して《重量低減》付与を実施した同じ日……「双子に念話術を教えて欲しい」と妻に頼まれ、ソンマは妻と共にキャンプの藍玉堂を訪れ、いきなり念話の素質を見せた双子に驚きながら……店主に先程の出来事を話した。キャンプと大工場兼ドックとは5時間の時差があるので、ソンマが付与を試した頃、キャンプはまだ夕暮れ前の時間であったのだ。


「ほう。どれくらい軽くなったのだ?」


ルゥテウスの質問に対して


「そうですね……元の重量が21.7トンだったのが……12.5トンまで減ったので……約42パーセント減というところでしょうか……」


「ふうん……その12トンというのは、『何も積み込まず』にか?」


「はい。乗組員の装備品、食料、水、そして燃料と予備も含めた内殻用の液体ヘリウム……あ、もちろん乗組員自体の重さは加わっていない状態ですね。気嚢外殻にまだヘリウムの充填も行っていないです。つまりは……『空虚重量』でしょうかね」


「という事は本来……仮に20名の乗員と食料や水、それに燃料を満載すると40トン弱あったという事か?」


流石に店主はソンマの話を聞いただけで重量低減前の満載重量を簡単に計算してのけた。


「そ、その通りです。それに対して……私の計算では気嚢部に充填されるヘリウムは内殻部の最大容量を加えても13トン前後かと思われます」


「おいおい……それじゃ元々浮上すら出来ない状況だったのか?」


「ええまぁ……そのような計算となったので一時は積み込む水や燃料を減らしつつ航続距離の短縮や連続浮上時間を減らそうかと検討しておりましたが……」


「そんな時に……棚からヒワゴケを見つけたと?」


店主は笑い出した。ソンマも苦笑いを浮かべる。


「ええ……まさか『あんなもの』が()()棚に死蔵されていたとは……」


「でもまぁ、結局()()で問題は解決したんだろ?」


「ですが……最初に私の私物で効果を試した時は70パーセント以上軽くなっていたのですよ」


「ほぅ……70パーセント?かなり凄いんじゃないか?俺の記憶では《重量低減》術における最大値がそれくらいだったみたいだぞ?」


「そうなんですか……?でも飛行船の船体には気嚢とゴンドラ併せて42パーセント減でした」


「そりゃそうだろう。さっきお前は気嚢とゴンドラとに分けて施術したって言ってたよな?それでも各々の容積……というか表面積は相当に大きいはずだ。そうなると元からあった術符の効果も減衰しちまうだろうな」


「ああ、やはり大き過ぎたのでしょうかね……?」


「いや、それでも大したもんだと思う。魔法ギルドで最高峰の高位錬金術師が時々、政府や大貴族……他にも大商会から受注していたものだと、箱馬車の車輛本体で40パーセント前後の軽減だったようだ。俺の記憶している中では、どっかの商会の商船……確か1000トン級のキャラック船体に対して試験的な意味で施術した時は5パーセントくらいしか軽くならなかったらしいぞ?

1000トン級でも全長は50メートルくらいだからな。単純な大きさではあの飛行船の半分程度しかなかったはずだ」


「え……?そんなものなのですか?」


「だから、お前の作った術符は十分に『高性能』なはずだ。錬金術で得られる『最大レベル』の効果に達していると言えるんじゃないのか?」


「そ、そうですかね……」


「まぁ、とにかく……モノがデカ過ぎるんだ。《擬態》だって結局あのデカさだからこそ『塗料に付与して塗布する』という方法を採ったわけだからな」


「た、確かに……。あの……先程店主様は『錬金術で得られる』と仰いましたよね?ならば魔力の損失が理論的にはほぼ起こらない……とされている魔導ならばどうなのでしょうか?」


「うーん……俺も、俺の先祖もそんな大きなものに《重量低減》は試した事がないからな……ただ、俺の先祖が何人か……『灰色の塔』そのものに対して《構造強化》を付与している。まぁ、4人が重ね掛けしているから当然と言えば当然だが……効果はそれなりに発揮しているわな。あの塔も築3000年を超えているが、俺が見た限りでは何度も建て直している王城や、同じく3000年近く原型を保っている大神殿よりかはよっぽど強固に建っているな」


「えっ!?そうなのですか?」


ソンマは自身が11年近くに渡って学びながら住み暮らしていた「世界随一の高層建築物」に対して、そのような「強化」が施されていた事を知らなかった。


「あの塔のあの色……あれは建材の色じゃないぞ。あれは……最初に強化術を施したヴェサリオの『波動色』だ」


「え?ヴェサリオ様のですか?『黒き福音様』の?」


「そうだ。この前試しただろう?《領域》術なんかを使うと、奴の場合は『真昼の曇り空』みたいな色になっていたと……思う」


 ルゥテウスの記憶を基にした話を興味深そうに聞いていたソンマは


「それでは……やはり店主様くらいの魔力によって術を施せば更なる軽量化が実現しますでしょうか?『ただ浮く』だけでは無く……可能であれば高度1000メートルまで5分程度で到達出来るようにしたいのですが……」


「うーん。つまりは分速換算で200メートルか……どうだろうな。ノンにやらせてみるか?」


 店主は作業机の反対側で双子の念話鍛錬をサナと共に見守っていたノンに声を掛けた。


「おいノン、店長がお前に頼みがあるようだぞ」


笑っている主の声を聞いて「え?」と振り向くノンに対して、ソンマは慌てて


「あ、あのですね……ちょっと『これ』を試して貰えませんか?」


そう言ってソンマはローブの隠しから自らが作製した《重量低減》の術符を取り出した。


「え……?何ですかこれは……?何の術符ですか?」


 そろそろノンが持つ「錬金魔導」という前代未聞の特殊能力について要領を掴んで来ているソンマは


「これは……入れ物の中身の重さを軽くするという付与が込められたものなんですよ。例えば……この箱に()()を付与すると、この箱に入れた物が軽くなるんです」


この錬金導師様は……「自分が経験した事象でなければ力の行使がままならない」と、これまで何度も体験してきたソンマは、《重量低減》について簡単な説明を行った。


「え……!?箱の中身が軽くなるのですか!?」


案の定、錬金導師様は驚いている。彼女の貧しい人生経験において「入れ物の中身が軽くなる」という現象は想像した事すら無い「超常現象」なのである。


「ええまぁ……恐らくそうだと思いましたので……この術符を使って一度『その現象』を体験してみて貰えませんか?」


 ソンマが要領良く錬金導師様を操縦する様を見た店主は大笑いしているが、当の錬金導師はまだ「入れ物の中身が軽くなる」という状況を理解出来ずに首を傾げている。


「まぁ、とにかく……そうですね……判りやすくするために、この分銅を入れてみますか。この分銅は……50グラムですよね」


 分銅や天秤はかりについては、薬学を修めたノンにとっては非常に馴染みのある道具であり、毎日のように使用している。その分銅の中から「50グラム」のものを選んだソンマは、机の上に置いてあった小箱……多分、術札を入れて持ち歩く為のものと思われるが……それに分銅を入れて蓋を閉め、天秤の一方に載せた。


「えっと、今この分銅だけが入った小箱は……105グラムですか。つまりは分銅が50グラムで小箱自体の重さが55グラムというわけですね」


「そ、そうですね……そうなりますね」


「試しにほら……小箱だけ計ると55グラム。まぁ、当たり前ですね」


「はい……。確かに」


「ではノンさん。この術符を、この小箱に対して使ってみて下さい」


「い、いいのですか……?」


「ええ。お願いします」


 ノンは術符を受け取った。ノンはサナ同様……()()の王国社会……いや、魔法世界も含めた「この世界」における物質的価値を知らない。彼女も金銭に関しては相当に無頓着な人物ではあるが、やはり「金貨数千枚から数万枚」というその価値を知ったら腰を抜かして付与どころじゃなくなるだろう。


尚も笑いながら見守る店主と、真剣な表情で見つめる店長の前で……術符を右手に丸めて握り込んで小箱を思い描いて目を閉じて念じた。


小箱が一瞬白く光り、すぐに消えたので


「おいノン。ちゃんと付与は出来たようだぞ」


と、店主から声を掛けられたノンは目を開けた。


「さて……。これでこの小箱には《重量低減》が付与されました。早速重さを計ってみましょう」


そう言うと、ソンマは小箱を再び天秤に載せた。もう一方の皿には最後に置いた「55グラム分」の分銅がそのままになっており、小箱を載せると天秤の両側は釣り合った。


「え……?か、軽くなっていませんね……」


それを見たノンが困惑した顔で呟く。


「軽くなるのは、この小箱に入れた『中身』がです。なのでこの小箱自体の重さには変化は生じません」


「あ、なるほど。そういう事でしたか」


状況を理解したノンが苦笑すると


「では先程の分銅……50グラムでしたよね。これを箱に入れてみて下さい」


ノンは言われた通りに分銅を小箱に入れて蓋をして、再度天秤の皿に載せた。


「先程の計量では……この『分銅が入った小箱の総重量は105グラム』でしたよね?」


「はい。そうでした」


「では反対側の皿に分銅を足して行って下さい」


言われたノンはまず中身と同じ重さである50グラムの分銅を皿の上に追加した。本来であればこれで天秤は釣り合うはずである。


 しかしノンが分銅を置いた途端に反対側の小箱が載った皿が結構な勢いで跳ね上がった。つまり計量分銅側がそれなりに「重く」なった事になる。


「え!?」


驚くノンに今度は店主が


「解ったか?小箱の中身の分銅が軽くなっているんだ。まぁ、軽くなっているのはあくまでも『小箱に入っている』間だけだがな。小箱から出してしまえば元の50グラムに戻るわけだ。そのまま釣り合う重さになるまで分銅を減らしてみろ」


「は、はい……」


 ノンは手慣れた手付きで素早く分銅を交換して行く。毎日使い慣れているだけに、その手際には無駄が無い。結局……天秤は70.5グラムで両側の皿が釣り合った。


「つまりには中身の重さが15.5グラムになっているという事ですね……えっと、軽減率は……69パーセントですか。私がこの小袋に使った時よりも軽減率は下がってますね……」


「そりゃそうだろう。ノンはお前以上に投射力が無い。元々は『普通の人間』なんだ。その差が術符の使用効果に現れているんだろうよ」


「あ、そういう事ですか!」


 店主と店長がノンが行った付与の結果を見て考察している横で、ノンは混乱していたが……やがて何かを理解したかのように


「なるほど……今の術符を使うと……『中身が軽くなる入れ物』が作れるのですね」


小箱を天秤の皿から降ろして蓋を開け、中に入っている分銅を眺めている。箱から出された不銹鋼(ステンレス)製の円筒型分銅は、不銹鋼特有の錆の無い輝きを放っている。


「理解出来たか?入れ物の中身が軽くなる。繰り返すが、あくまでも『入れ物に()()()()と納まっている』事が条件だ。入れ物に納まり切れない物にはこの付与は作用しない」


「えっとつまりこの場合……この箱に入って蓋が閉まらないと効果を発揮しない……という事ですか?」


「そう考えて問題無い。本来はもう少し厳密な法則があるんだけどな。今はそんな小難しい事は考えるな。『中身だけが軽くなる』という風に考えろ」


そう言いながら店主は、作業机の抽斗を開けて術札を取り出しノンに渡した。


「よし。それでは早速やってみるか。いつものようにイメージするんだ……今の小箱を想像すればいいぞ。箱の中身が軽くなる……箱に納まっている物だけが軽くなるんだ……」


 いつものように店主の暗示めいた言葉を聞きながらノンは術札を両手で持って眼を閉じる。本来であれば机の反対側に居るサナや双子もこれに注目しそうなものだが、彼女らは《念話》の鍛錬を続けており、サナが姉弟に対して交互に念話で呼び掛け、姉弟がそれを聞き分けながら必死に返事を返しているようで、かなりの集中を伴っている。2メートル隔てた机の反対側で大人3人が何やら行っている「実験紛い」の行為に目を向けている場合では無さそうだ。


ノンは店主からの言葉をヒントに……「小箱の中に入った物が軽くなる」という現象を頭の中で思い描いている。本来であれば「そんな事は有り得ない」という「常識の世界」で育った彼女にとっては非常に困難を伴った行為である。


 それでもノンは、全幅の信頼を置いている店主の声を聞きながら……先程目の前で実際に起こった「有り得ない現象」について必死に考える。そうは言っても魔導師だけしか使えないとされる《明視》に比べれば、同じ「空間制御術」に属している《重量低減》は難易度としては低いはずなのだが……ノンにとってはそのような「基準」は意味を成さない。彼女にとっては「()()をちゃんとイメージ出来るのか、出来ないのか」が全てなのだ。


そしてどうやら……今回もノンはその「挑戦」に勝利したようである。彼女が両手で端を掴んでいた術札は彼女が作る導符特有の「ピンク色」に変化した。何かしらの「魔導」が込められたのだろう。


「よし。いいぞノン」


主に声を掛けられて、ゆっくりと目を開いたノンの手にはピンク色の導符が掴まれていた。彼女はそれを見て大きく息を吐き出すと、掴まれていたピンク色の導符がフヨフヨと揺れた。


「どれ、効果を試してみるか。そうだな……」


 店主はおもむろに右手を振って、1階の作業場でいつも使っているビーカーを取り出し、更にその中に水を入れた。


「これでも一応は『入れ物に納まっている』状態だ。これに対して導符を使ってみようか」


そう言うと、店主は天秤に水の入ったガラス製のビーカーを載せた。そしてノンに劣らずの手際の良さで反対側に計量分銅を積んで行き、「水入りビーカー」の重さが277グラムである事を確認した。


「ではこれに対して導符を使ってみろ。要領はさっきの小箱と同じだ」


ノンの前にビーカーを置いて主は導符使用を命じた。


「は、はい……」


 ノンはビーカーの上で作ったばかりの導符を右手で握り込みながら目を閉じて念じた。対象物としてビーカーを思い描く。


先程の術符を使用した時とは違い……ビーカーは光を放ったが、光の消えたそこには「ピンク色に透き通った」ビーカーが置かれていた。中の水はどうやら無色透明のようだが……「入れ物」だけが変色したのだ。


「おいおい……これもそうなるのか。わははは」


店主は笑い出し、ソンマも驚きの表情を浮かべた。


「と、とりあえず……重さを計ってみましょう」


困惑しながらもソンマは「ピンク色」のビーカーを天秤に載せた。《重量低減》はしっかりと効果を発揮しているらしく、天秤はビクともしない。反対側にそのまま置かれている「277グラム」の分銅の重さが利いているのだ。


 店主はそのまま反対側の分銅を減らして行く。天秤は138.8グラムで釣り合った。


「うーん。つまり138.2グラム減ったわけか。約半分になったわけだな」


「50パーセント減ですか……」


ソンマの声にはややガッカリした響きがある。錬金導師様の力を以ってすれば……もっと大きな効果を発揮してくれるのではないかと期待していたのである。


「いや待て。あくまでも『入れ物を含めて』の話だぞ」


そう言うと、店主は机の隅に設置されている流しにビーカーの中身の水を捨てた。中身の水は確かに透明であり、やはり入れ物(ビーカー)だけがピンク色になっているようである。


 店主は再び笑いが込み上げて来たらしく、「くっくっく」と笑いを堪えながらピンク色のビーカー……着色されたガラスとして、それなりに価値のあるようにも見える……を、天秤の皿に載せた。……すると驚いた事に、ビーカーを載せただけで天秤の皿がフラフラと傾いたのである。


つまり……中身が空になったはずのビーカーが、中身の入っていた時点で置かれた分銅と釣り合いが取れ掛けている……という事になる。


驚いた店主が、手早く分銅を交換して行った結果……天秤は130グラムで釣り合った。つまり……ビーカー自体の重さは130グラムで、元々入っていた水の重さは147グラムだった事になる。そしてその「水だけの重さ」は……何と8.8グラムにまで減っていたという事になるのだ。


「8.8グラム……つ、つまりその……軽減率……きゅ、94パーセント……そんな……バカな……」


ソンマは絶句している。無理も無い。94パーセント……中身の重さは殆ど無くなっている事になるではないか……!


「てっ、店主様……こっ、これは……こんな事が有り得るのでしょうか……」


店主もこの結果を見て多少驚いているが


「ふむ……まぁ、《重量低減》だからな。流石に100パーセント軽減なんて事にはならんだろうが、94パーセントくらいならあってもおかしくはあるまい」


と、苦笑いを浮かべた。もちろんその心中ではノンの「才能」に驚愕しているのだ。


「よ、よし、ノン。とりあえず店長の為に今の導符をもっと作ってやれ」


抽斗の中から術札を10枚程取り出して、ノンに渡した。


「は、はい……」


 ノンはいつものように「一旦成功した錬成」なので次々と同様の導符を作り出し、2分もしないうちにソンマの前に10枚のピンク色の導符が並べられた。ソンマはまだ目を白黒させている。


「それだけあれば足りるだろ。それとな……」


「なっ、何でしょうか?」


「お前、気付いているか?《重量低減》を使用した気嚢にヘリウムを詰めた場合……ヘリウムの浮力も増す……というか、()()()()()()()空気に対して更に軽くなるんだぞ?」


「えっ……?あっ!そ、そういう事ですか!」


ソンマが突然大声を上げたので、念話の鍛錬を行っていた双子とサナまでもが彼に目を向けた。


「問題はこの導符が()()バカデカい飛行船に対してどれだけの効果を発揮するのか次第だが……浮上重量自体が増加するからな……。とりあえずお前の悩みは解消されそうだが」


「そ、そうですかね……」


「よし。俺が導符を使ってやろう。お前らが使うよりも効果を引き上げられるだろう」


「ほ、本当でございますか!?あっ、ありがとうございます!」


ソンマが慌てて頭を下げるのを店主は苦笑しながら眺めて


「よし。それでは今から行くか。今は工場に誰も居ないんだろう?」


「はい。職員の皆さんには明日まで休暇を与えてますので」


「お前達は()()を続けていろ。俺達はドックに行って来る。ノンも来るか?」


 ノンはどうせ残っていてもサナや双子のようにマナを扱えるわけでは無いので彼等の鍛錬には加わる事が出来ない。なので思い切って


「で、では……私もお供させて頂きます……」


普段からこの藍玉堂に引き籠りがちな彼女とは思えない言葉を吐いて立ち上がった。


****


「うーん。この状態でまだ12トンちょいあるな……」


 《測定》の魔導を使って飛行船の重量を確認したルゥテウスの言葉を聞き、ソンマは自身が算定した数字が概ね合っていた事を確認し……そして「まだまだ重過ぎる」という現実を改めて突き付けられた気分になった。


「まだ4トン以上……ここから軽くする必要があるわけですか。この時点で恐らくは既に42パーセントの軽減を果たしているはずですが……」


「ふむ。とりあえずこのノンが作った導符を使って効果を『上書き』してみよう」


ルゥテウスはそう言って、ノンが作った《重量低減》の導符を持ってそのままドックの床から飛び立ち、飛行船全体が見渡せる高さまで舞い上がった。その場で船体を視界の中に捉えると目を閉じて導符を右手で握り込んだ。


 既に《擬態》付与の塗装が施されている船体を肉眼で捉えるのは相当に難しく、ソンマは気嚢部とゴンドラ部に分割して低減付与を行ったにも関わらず、施術が甘くなってしまったようだが、ルゥテウスは《魔眼》の魔導によって既に「受動的(パッシブ)」の状態で効果が発動している《擬態》を無効化する形を採りながら、《重量低減》を付与したのである。


店主が空中で導符を使用した直後、その《擬態》が掛かっている船体が青色の光を纏って輝いたので、地上でそれを眺めていたノンとソンマはビックリしたのだが、その光も一瞬で消えて……ドック内には、微妙な照明によって朧気な輪郭を浮かべた船体が静かに船台に載せられている光景に戻った。


地上に降りて来た店主は


「ふむ。我ながらなかなか巧くやれたようだな。今の乾燥重量は……ふむ。約3トンになったな。つまりは……86パーセント低減か。まぁ、船体の巨きさを考えれば……これが限界だろうな」


苦笑いを浮かべて、透明な船体を見上げた。


「ほ、本当でございますか!?そんなに軽く?」


「そうだ。今俺が見る限り……船体の重量は3トン強。付与を実施する前に元の重量……つまりはお前が施した付与を除いた重量を測ってみたが、お前の言っていた数字に近い……21.55トンだった」


「そ、そうですか……私の計算はほぼ合っていたわけですね……」


「後は外殻部分にヘリウムを詰めた時にどれだけ浮力が得られるかだな。さっき話した『俺の理論』が正しければ中に詰めるヘリウム自体の浮力も増加するはずだ」


「なるほど」


「俺の計算では……本来得られるはずの最大浮力を今の季節の気温で考えた場合、上空1000メートル地点で約8.5トン程度だと思われる」


「なるほど……温度によっても浮力に影響が出るのですね……」


「まぁ、後は気圧……『空気の薄さ』だな。1000メートル程度では余り影響は無いと思うが、それでも多少は『空気より軽い』という特性が失われる」


 ノンは2人のやり取りを聞いているが、サッパリ理解出来ない。しかしこれはこの時代の「普通の人」であるならば仕方の無い事である。


店主はヘリウム自体の重量(容積当たりの密度)に対して《重量低減》付与によって得られる低減率を頭の中で暗算し……


「ふむ。浮力総量は約10.2トン程度だな。《重量低減》を抜きにして総重量13トンくらいまでなら実用的な上昇速度が得られるんじゃないか?」


「つまり……既に船体の重さが3トンでしたっけ?という事は……10トンまで『積める』と?」


「まぁ、そんなところだろうな。恐らくは隊員も含めた『積み荷』をそれくらいにしておけば、外殻部に充填したヘリウムだけで一応は釣り合いが取れるだろう」


「10トンならば何とか……」


「それとお前……改めてこの船体を見てみたが、随分と燃料を積むようだな」


「え……?どういう事ですか?」


「燃料のタンクの容積だ。ちょっと大き過ぎないか?どれくらい積む予定なんだ?」


「え……。はい。一応航続距離を3000キロ程度と考えております。なので……この前の試験飛行の数値を基に換算しますと8キロリットル……6.5トンは積まないと……」


「おいおい……お前は重大な事を忘れているぞ……」


店主が笑い出した。ソンマはどういう事なのか判らず


「え……?どういう事でしょうか?」


「お前……燃料のアルコールを『そのまんま』積もうとしているのか?そしてそのまま燃やそうとしているのか?」


「ど、どういう事です?」


「やれやれ……お前、長年錬金術師をやってて《遅燃強化》を忘れちまったのか?お前の『弟子』に散々やらせたじゃねぇか。燃焼時間を大幅に延ばしつつ、火力も強くなるんだ。消費される燃料も減るし、機関の回転数も抑えられる。爆発力が増す事で回転力(トルク)が増すからな」


 笑い続ける店主の言葉を聞いたソンマは少し考え込んでから「ああっ!」と声を上げた。本日何度目かの彼の大声は広いドック内に響き渡った。


「そっ、そっ、そう言えば……そ、そうでした……。そうか……《遅燃強化》はアルコールに対しても有効なのか……こっ、これは……私とした事が……」


かなり狼狽えたソンマの様子を見てノンも主と一緒に笑い出した。このような様子のソンマ・リジを見るのは相当に珍しい。ノンの知っている「我が主を除いたトーンズ国の偉い人」の中では、「鬼より怖い監督」との定評があるドロスと、今目の前に居る「藍玉堂店長」は「人前で滅多に狼狽えない」と思っていただけに、その「滅多に無い事」が見れて可笑しかったのである。


場都合(バツ)が悪そうに頭をかきながら……ソンマは店主に応えた。


「とっ、とりあえず今一度……燃料の消費量を計算し直してみます……まっ、まだ初飛行の予定日には時間がありますので……明日から燃焼試験を繰り返します……」


「まぁ……サナに任せた方がいいんじゃないか?それか効果を極限まで高めたいなら……おい、ノン。お前も手伝ってやれ。なんか見ていて気の毒になってきた」


 笑いの収まらない店主は、これも一緒に笑っているノンに「新たな仕事」を命じた。


「はっ……はい……。それでは帰ったらサナちゃんと相談します」


「すっ、すみません……ノンさん。宜しくお願いします……」


店長は頭を下げる。


「しっ、しかし……これでどうやら『重量問題』も解決しそうです。いやぁ……やはり店主様とノンさんに相談してよかった……ははは」


照れながら礼を言う店長に対して


「お前は根を詰め過ぎなんだ。もっとしっかりと休まないから頭が回らなくなっているんだ。気を付けろよ。それじゃあな」


 また笑いが収まらない様子の店主はノンの手を掴んでその場から消えた。どうやらそのままキャンプに帰ったらしい。


その場に残されたソンマは、苦笑しながら


「そうだな……今夜はゆっくりと寝るか……」


と、溜息を吐きながら……彼もドックを後にするのであった。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド

主人公。15歳。黒き賢者の血脈を完全発現させた賢者。

戦時難民の国「トーンズ」の発展に力を尽くすことになる。

難民幹部からは《店主》と呼ばれ、シニョルには《青の子》とも呼ばれる。


ノン

25歳。キャンプに残った《藍玉堂》の女主人を務め、主人公の偽装上の姉となる美貌の女性。

主人公から薬学を学び極め、現在では自分の弟子にその技術を教える。

肉眼で魔素を目視する事が出来、魔導による錬成を可能とする「錬金魔導」という才能を開花させる。


ソンマ・リジ

35歳。サクロの《藍玉堂本店》の店長で上級錬金術師。

「物質変換」や「形質変化」の錬金術を得意としており、最近はもっぱら軽量元素についての研究を重ねている。古代技術の復興を目指して飛行船を製作した。


サナ・リジ

25歳。ソンマの弟子で妻でもある。上級錬金術師。錬金術の修養と絡めてエネルギー工学を研究している。

最近はノンに薬学を学びながら、魔法の素養を見出された赤の民の双子の初期教育も担当する。


シニョル・トーン

61歳。エルダの独身時代からの腹心で現在は公爵夫人専属の女執事。

難民同胞を救うためにキャンプの創設を企図し、トーンズ建国に際して初代大統領となる。

難民を救う為に発揮された恐るべき鬼謀はドロスすら恐れさせるが、甘い物に目が無い。


イモール・セデス

59歳。シニョルの提案で難民キャンプを創設した男。

トーンズ建国に際してシニョルから首相に任命され、新国家の発展に心を砕く。

難民になる前は教師をしていた。最近涙もろい。


ロダル

39歳。トーンズ国軍を率いる将軍を務める。

アイサの次男で嘗ての暗殺組織《赤の民》にて十数年に渡って訓練を受けて新米暗殺員となっていたが、主人公に見込まれて指導を受け、キャンプの自警団……長じてトーンズ国軍の指導者となる。


イバン

27歳。ラロカの甥でトーンズ国諜報部隊《青の子》所属。

ドロスの右腕としてエスター大陸側の諜報活動を指揮する。

シュンの妹であるアイを妻としている為、シュンの夫ロダルとは義兄弟の間柄でもある。


タム

37歳。《青の子》に所属する古参の諜報員。既婚。

旧《赤の民》の領都支部に暗殺術を持ち帰ったラロカを尊敬しており、嘗ては暗殺員を志望していたが視力の良さを見込まれ、諜報員として育てられた。冷静且つ温厚な人柄でラロカやイバンからの信頼も厚い。

エスター大陸帰還事業初期からエスター大陸側で諜報作戦に従事しており、現在はラロカの甥であるイバンを後見しつつ、新造された《空の目号》の船長を務める。


アイテス

30歳。藍玉堂が経営する秘密工場兼ドックの責任者。ソン村出身。

ちょっと訛りのある言葉を話すが、ソン村の若者からの信頼も厚い。

主人公とソンマを心の底から尊敬している。

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