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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第四章 戦乱の大陸
106/129

浮かぶ秘密基地

【作中の表記につきまして】


アラビア数字と漢数字の表記揺れについて……今後は可能な限りアラビア数字による表記を優先します。但し四字熟語等に含まれる漢数字表記についてはその限りではありません。


士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム(メートル)法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


作中世界で出回っている貨幣は三種類で

・主要通貨は銀貨

・補助貨幣として金貨と銅貨が存在

・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚


平均的な物価の指標としては

・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。

・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。

「漸く初飛行に漕ぎ着けました」


心無しかやつれたような印象の姿表情(ナリ)でソンマ・リジが笑っている。


「ふむ。しかし予定通りではないか?1月の最終旬。まぁ、それ程遅れたりした事も無かっただろ?」


目の前で係留されている「船体」を仰ぎ見ながら……店主が感想を述べる。


「そうですね。結果的に月末になったので丁度……月も無くなりかけてます。夜間の隠密飛行試験には打って付けの明るさです」


 彼等2人が見上げている「船体」は……まだ浮上前の状態ではあるが、かなり「不思議な見た目」となっている。何しろ……この「青の子専用飛行船」の姿はドック兼製作工場である大工場の建物の中で、眩い室内灯を浴びながらも……船体全体、気嚢部もゴンドラ部も含めて……「向こう側」が透けて見えているのだ。


まるで……船体全体が精巧で高純度の水晶で作られたように透き通った船体が……大工場の中で係留されている。係留の為に船体から延ばされているロープは透明では無く、その付け根から先が透き通っている。ロープの格納部分の外装が透過処理をされているので、そのように見えているのだろう。


「店主様に作って頂いた《擬態》付与のパラノア液の効果も上々です。作業員に原理を説明するのが面倒でしたがね……」


ソンマは苦笑し、店主も笑っている。塗料として塗布される形で受動的(パッシブ)効果を発揮している「擬態状態」である船体も、間近で見れば光の加減で薄っすらと輪郭を捉える事は出来る。一応はゴンドラの出入口扉には、小さな(ラベル)が貼り付けてあるので、明るい場所で見れば扉の位置を特定するのは左程難しくはない。


その他にも各内燃機関を格納している部分の点検ハッチの場所にも近くで見ないと分からないような目印が貼られているので、点検の際に混乱するという事は無いだろう。内燃機関に直結している二重反転プロペラにも当然だが擬態塗料は塗布されており、このまま上空1000メートルで留まっている限りは白昼においても地上から目視で発見するのは相当に困難であると思われる。


 船体を見上げている2人の背後では今回の「初飛行」に搭乗する乗組員である《青の子》の諜報員達が整列して隊長のイバンによって、点呼を受けている。今回乗り組むのは総勢で20人。今回の為に飛行船運用訓練を受けて来た青の子の諜報員15名、それを率いる隊長のイバン、トーンズ国軍を率いるロダル将軍、更には開発者であるソンマと……仕事を放っぽり出してやって来た2人のトーンズ首脳の姿もあった。


他にもこのドックの中には構内要員として30名の訓練された職員が働いている。彼らもドック内の各設備の点検や飛行前の機体点検で忙しそうに立ち働いている。


 本来ならば本日の初飛行にキッタ工場長も参加する予定だったのだが、彼は開業間も無い鉄道関連の業務の方で忙しく、この場には来ていなかった。ラロカ市長もやはり忙しい身である為にこの初飛行に参加する事が出来なかったのである。


「いやぁ……見れば見る程に不思議な船体ですなぁ……」


「そうですわね……どういう仕組みで向こうが透けて見えるのでしょう」


これから生まれて初めて「空を飛ぶ」体験を前にして緊張気味に隊長からの点呼を受けている諜報員達を余所に、一応は「()()経験」がある2人のトーンズ首脳は、擬態処理がされている巨大な船体を間近で見上げて感嘆の声を上げている。


「お前ら……仕事はいいのか……?」


店主が一応……呆れつつも尋ねてみると


「はいっ!私、昨夜は興奮してあまり眠れませんでしたわ!」


店主の質問に対する回答にお構いなく、統領様は時差の関係もあって殆ど睡眠が摂れていない様子だ。


「私もおかげ様で……優秀なスタッフが育って来ておりますからな」


首相も悪びれもせずに笑顔で説明する。


「そうか……」


店主もそれ以上深く追及する気も起きず


「まぁ……天候にも問題は無さそうだし、初飛行の日としては上々だろう」


「そうですね。地上付近の風もそれほど強く無いようです」


店長が一応、工場の外に設置された風速計を確認してきて報告した。


「今回の機体は……前回のものよりも速度が出るのですよね?」


ロダルの問いに店主が答える。


「そうだな。前回お前らを乗せて飛んだ機体は言わば『ちゃんと浮くのか、ちゃんと空中で移動操作が利くのか』を実証する為に試験的に作ったものだったからな。今回は船体も正規の大きさで作っているし、外装の素材も前回の紙と木で作ったものじゃない。最高速度も100キロ以上……いや150キロ程度を想定しているぞ」


「そ……そんなに出るんですか!?こっ、この前乗ったき……機関車?でしたっけ?あれよりも速いのでしょうか?」


ロダルが驚いている横から


「ええっ!この前乗った()()は紙と木で出来ていたのですか!?そっ、そんな……」


統領様が輪を掛けて驚愕している。そういえばこの連中には試作機の詳細を教えていなかったな……と、店主は苦笑した。


「まぁ、もう過ぎた事は気にするな。今回の飛行船(フネ)は全金属製だ。頑丈に作ったから速度も出せるわけだ。安心しろ」


「そっ……そうですか……」


 大空に対する興奮が急激に萎んだ統領様と首相が揃って言葉を失っていると、イバンがやって来て


「点呼、終わりました。いつでも出発出来ます」


と、搭乗準備を終えた事を告げて来た。


「そうか。じゃ、店長の指示に従ってくれ。俺はどうせ中には乗らないからな」


「はっ!」


「ではそろそろ出発しましょうか」


緊張気味のイバンを余所に……ソンマは特に気負う様子も見せずにゴンドラの搭乗口の扉を開けて、空中で「扉の形に切り取られたかのように」突如現れた内部への搭乗指示を出した。イバンの号令の下、こちらも緊張した面持ちの諜報員達が「透明な」ゴンドラに乗り込んで行く。


「では私達も乗り込みましょう。足下にお気を付け下さい」


ロダルに促されて、統領様と首相も搭乗プラットホームのスロープを上がって行く。飛行船は既に予備浮力によって地上から2メートル程浮いており、係留索にて固定されている。ゴンドラ底部に船体埋め込み型の側方推力機(サイドスラスター)が搭載されているので、運用中は船体を常に浮かせておく必要があるのだ。


 人々が乗り込んで行く振動で、飛行船全体が小さく揺れている。その機体が揺れるたびに擬態化状態となっている機体の全面が周囲の工場の背景と僅かながらズレが生じて不自然な見た目となる。「擬態の情報遅延」が起こっているのだろう。


(ふぅむ……。やはり工場内のような……室内のそれなりに混み入った場所では遅延によって受像のズレが顕著だな……。これが大空に出た時にどこまで「不自然さ」が解消されるかだが……)


皆が乗り込む様子を見守っていた店主はその船体を見上げながら考え込む後ろで、工場……ドックの責任者に抜擢されたソン村出身のアイテスという中年男性が


「よっしよしよし。みんな気ぃ付けてな……飛行船の発進準備をするでよ」


と、ドック要員の者達に飛行船発進の為の準備をするように指示する。作業員達は口々に「ういっす!」だの「あいさー!」等と返事をしながらそれぞれの持ち場に散って行く。気嚢部の係留索を担当している者達は北東と南西の隅に設置されているエレベーターを使って、壁面に渡された高所作業通路に上がって行く。


 飛行船の気嚢部は全長100メートル、幅は一番広い部分で50メートル、高さは30メートル……つまり幅に対して高さが抑えられた形、分かりやすく言えば「圧し潰された」ような形状をしている。その底面に「へばり付く」恰好で全長約40メートル、最大幅8メートルのゴンドラ部が接続されており、全体的に「平べったい」という印象を受ける。


この気嚢部をドック壁面から伸びている、合計12本の先端に(フック)が取り付けられたロープで係留している。気嚢側に取り付けられた12ヵ所の……これは作業の為に擬態処理をされていない固定環にフックで固定されており、そのフックを作業通路側から長さ5メートルの竿を巧みに操って引っ掛けたり外したりするのだ。


ゴンドラの内部は大きく4つに仕切られており、前方から操船機器のある前部艦橋、乗員スペース、物資倉庫、そして最後部が機関室を兼ねた後部艦橋となっている。乗員スペースには2段寝台が設置された個室が5室と船長(隊長)室、更には便乗客用の寝台個室も2室が設けられており、仮眠も摂れるようになっている。


乗員スペースには他にも椅子が6脚固定配置されたキャビンのような部分に……何と調理場まで備えられている。更には倉庫部分を一部仕切って簡易シャワー室もある。長期の飛行任務を前提とした設備が整っているのだ。


 ソンマは操縦要員1人、観察要員3人と共に操船艦橋に入り、計器類のチェックを始めた。統領と首相、そしてロダルは乗員スペースに案内され、そこに備え付けられた座り心地の良さそうな椅子に腰を下ろす。


彼等を案内したイバンは残りの隊員を連れて後方の艦橋に入り、機関装置の点検を始める。船内各部屋には伝声装置が備え付けられており、前後艦橋間で色々と点検指示や確認応答が飛び交っているようだ。


ルゥテウスが船外から眺めている船体は向こう側が不自然に透けている状態なのだが、その中では出発前の点検が船内各所で慌しく行われているのである。


 やがて、船外に取り付けられている拡声器(スピーカー)から


「アー、アー、これは試験。これは試験。聞こえたら返事を下さい。どうぞ」


と、ソンマの声が聞こえて来た。


「聞こえております。どうぞ」


アイテスがやはりドック内に設置されている拡声器で応じる。


「船内了解。これより機関始動。発進準備どうぞ」


「了解です」


アイテスは屋根を開くレバーの横にあるボタンを押す。すると工場内に発進準備を指示するアラームが鳴り響き、その音に乗せるように


「そろそろ『空の目(スカイアイズ)』が飛び立つぞぅ。みんな配置に就いているかぁ?」


と、拡声器で確認しながら高所通路をキョロキョロと見回している。本来であれば、巨大な飛行船の船体で視界を妨げられるところだが、この船体は「透けて見える」ので……一応は作業員の配置が見渡せるようになっている。


気嚢の前後や側面に装着されている……これらも透けているのだが、内燃機関(エンジン)が始動して、ドック内はそれらの爆音で急に騒がしくなった。


「内燃機関は全て正常に始動しました」


後方艦橋から、イバンの報告が届き……ソンマが「了解」と応じる。続けてイバンが


「全ての隊員に告ぐ。君達は本日の初飛行に乗員として参加が許された者達だ。空を飛ぶのも初めてだろう。俺も先日、初めて空を飛んだ時は大層驚いたものだが、安心しろ。この飛行船(フネ)は藍玉堂のリジ店長殿によって設計された素晴らしい乗り物なんだ。俺達《青の子》が、鳥のように空から巡回と偵察が出来るよう……()()を与えて下さったのだ。俺達はこれまで以上に皆様の期待に応えられるよう、精一杯頑張ろうではないか。《青の子様》のご加護を!」


どうやら初飛行前の訓示を垂れると、船内に乗り合わせた……普段は物静かな《青の子》の隊員達が一声に「《青の子様》のご加護を!」と歓声を挙げた。乗員達の士気はすこぶる高いようだ。その《青の子様》は、この様子を船外から拡声器越しに聞いて苦笑いだ。


 首相が笑いながら


「イバンも若いのに立派な指導者になりましたな……。親方も監督も喜んでいることでしょう」


そのように評するのへ


「そうですね。次の世代を担う頼もしい存在ですわね」


統領様も目を細めている。


「あいつは、親方様()()()の冷静な思考力があります。将来きっと監督の後を継いで《青の子》を導いてくれますよ」


妻が姉妹の関係にある、いわば「義理の兄」に中る者として……ロダルも2人の首脳の言葉に頷いた。


「よっし。ハッチ開放!」


アイテスは屋根を開くレバーを引いた。


―――ガガ……ピシ……ガガガ……


ドックの屋根が外側に向かって開き始める。前回は船体によって遮られていた空からの光も……透過処理された船体を貫いてドックの床を照らしている。()()()に乗り込んでいる者達からも窓の外の床面が照らされるという……何とも不思議な光景を見て驚きの声を上げている者も居る。


「ハッチ開放を確認」


アイテスの拡声器越しの声に対して


「ヘリウムの注入を開始します。係留フックを外して下さい」


船体の拡声器からもソンマの指示を受けたイバンの声が返って来た。


「係留索外せぇ!」


アイテスの指示によって、ドック作業員達は一斉に高所通路から竿を操って係留索と気嚢部を繋いでいたフックを外した。


「1番終了っ!」


「2番終了っ!」


「3番終了っ!」


12か所あるフックをそれぞれ担当していた者が順に大声を出しながら持っていた赤い手旗を上げる。これを一番高い地上48メートルの作業通路から見ていた監督官が12本の赤旗を確認し、伝声管で


「フック取り外し完了です!」


と地上のアイテスに伝えた。アイテスはゴンドラ部から床面の固定環に掛かっていたフックも外された事を目視で確認してから


「全ての拘束が外された事を確認っ!ゴンドラ部のフック巻き上げ開始願います」


と、拡声器で伝えた。それを聞いたイバンが機関要員にヘリウム注入を指示し……やがて船体は透明の船体に下部フック付ロープを巻き取りながらフワリと上昇を始めた。


 今回、自分抜きで一連の船体上昇までの様子を見守っていた店主は


(よしよし。まずは……こいつらだけで発進作業がこなせたな)


と、満足げな表情で少しずつ浮き上がって行く《空の目》号を見上げている。全方位擬態を施された船体は、開いた屋根から見える空の景色を透き通らせながら上昇して行く。その姿はあくまでも《擬態》である為に船体に光が反射するという事は無い。やや情報の遅延は発生しているが、背後の景色を前面に反映させながらの不思議な様子に、アイテスを始めとするドックの作業員達も呆気に取られながらその姿を見守っている。


 やがて船体が完全に屋根の高さを超えたのを確認したアイテスが


「ハッチを閉鎖するでよぉ」


と、拡声器で宣言して自ら開閉レバーを元の位置に引き上げた。再び軋むような動作音を発しながら屋根が閉じられて行く。その様子を見ながら店主は


「ご苦労だったな。作業員達を適当に休ませてくれ。念話装置の使い方は解るな?」


と、アイテスに声を掛けた。アイテスも店主相手に緊張した面持ちで


「はっ、はいっ!リジ店長様にお、教わりましたっ!」


と応じた。それを見て店主は笑いながら


「では俺も()()を追っかけるんでな。帰還の際には店長かイバン辺りから連絡があると思うだろうから、その時はまた宜しくな」


そう言って軽く右手を挙げながら大工場(ドック)の隅にある小さな扉から外に出た。


****


『店長、今の高度はどれくらいだ?』


ルゥテウスが地上から空を見上げながらソンマに念話を送ると


『現在……約300メートルから更に上昇中です』


と返答があった。


『うむ……今の高さだとまだ……ちょっと地上から見て違和感があるな。まだ「確実に何か()()()()()」という感じに見える』


『なるほど……そうですか。やはり店主様の仰られていた「情報の遅延」というやつが発生しているのでしょうかね』


『そうだろうな。俺の見上げている位置から、船体の背後にある雲が映っているんだが……それがちょっと雨に濡れたガラス窓越しに見ているように歪んで見えるんだよ。それも動きながらな……』


『ほう……今、500メートルを超えました。まだ状況は変わりませんか?』


『段々と小さくなっては来ている。今ならそうだな……よく目を凝らして見ないと気付かないかもな』


『おぉ。そうですか。多少は隠蔽効果が出ていると?』


『うむ……おっ!かなり見えにくくなってきたぞ。もう豆粒くらいの大きさになっている。うん……更に見えにくくなっているぞ。今どれくらいだ?』


『現在高度750メートル……更に上昇しております』


『よし。そのまま1000メートルまで上昇だ。俺は色々な角度からもう一度確認してみる』


『了解しました』


 店主はそこで一度念話を打ち切り、地上すれすれの高さを飛行して半径500メートル程の範囲で位置を変え、いくつかの地点からドックの真上で上昇を続けている……はずの船体を見上げてみた。4ヵ所目から見上げた時……彼の視界から船体は相当に見えにくくなっていた。


《賢者の武》を持つ彼の視力を以ってしてもこれだけ見えにくいのであれば、常人の視力ではほぼ「見えない」と思って問題無いかと思われた。


『高度1000メートルに到達しました』


ちょうどその時、ソンマからの報告が入ったので


『よし。恐らくだが……常人の視力では船体は見えていない……と思う。俺ですら「そこに船体がある」と予め認識した上で目を凝らさないと発見出来ないレベルになっている。どうやら《擬態》は有効に作用していると思って良かろう』


『おぉ!良かったです!』


念話で伝わってくるソンマの声は興奮気味だ。彼はそのまま船内の拡声器で


「地上にいらっしゃる店主様からの連絡で、『地上から殆ど見えていない』という事です。どうやらこの船体は白昼の『隠蔽』に成功したようです」


その報告を聞いた船内の隊員たちは一斉に歓声を上げた。これだけ大きな機体が……このような晴天の白昼下で地上から見えない……信じられない事である。


「こんなに大きいものが……地上から見えないなんて……」


統領様も驚いている。


「左様ですな……昼間で見えないなら夜は尚更でしょう」


首相も同様に、この「不思議な船体」についての感想を述べている。


「これは……大変な事ですよ……。以前の試験飛行でも感じましたが……この高さから一方的に地上を観察出来るのです。それも白昼堂々、相手に気付かれずにですよ……これは……恐らく……この大陸だけでなく、世界の軍事の常識を覆してしまうかもしれません……」


ロダル将軍が軍人としての意見を述べた。トーンズ軍は今日……世界の常識を超える超兵器を手にした事になる。この船体を持つトーンズ国が、直接の攻撃能力を持っていなくても……戦略的、そして戦術的にも巨大なアドバンテージを世界各国に対して持った瞬間であった。


「そうか……ならば南の蛮族国家との対峙には大いに役立ちそうだな」


イモールが安堵の表情で話す。最近、テト村に対する「ちょっかい」が増えて来ている南方のテラキア王国の動きに対し、少なからず不安を感じていたトーンズ国首相は……この「秘密兵器」が間に合った事に大いに満足している様子だ。


「そうですね……。彼等との争いに我が国の兵士の皆さんが少しでも有利に立ってくれるなら……犠牲者も最大限抑えられるでしょうし……」


「はい。現状……あの国との国境線は東西で約100キロ、更には南方に向かって30キロ程度まで拡がっております。その国境線全てに見張りを立てるのは容易な事でありません。しかしこうして空からの監視が行えるとなれば……」


 3人で話していると、前部艦橋からソンマが入室してきた。


「これより飛行性能の試験に入ります。当初の予定ですと……南方の国境付近まで飛行する事になっておりますが、如何致しますか?統領様やセデス様もご同行なされますか?」


「目的地まで……どれくらいの距離なのですか?」


「はい。私も実際に南の森林地帯まで行った事が無いので、あくまでも地図上の情報から算定した数字となりますが、現在地点より南方に約50キロ程で一応の『国境地帯』である低木森林帯に到達します。これから実際に全速飛行試験も行いますが……予定通りの速度が得られれば概ね所要時間20分程度で到着しますね」


「国境まで達した後はどうするのだ?」


「そこからは店主様との相談になりますが、最終的にはテト村上空を目指す予定です」


「テト村って……人目に付きそうだが……」


「ええ……なのでこれは『隠蔽試験』を兼ねております。テト村上空まで飛んで、地上から視認されるか……それを試す予定です」


「それと、テト村周辺の状況を上空から確認させて頂きたいのです」


ソンマとイモールのやり取りにロダルが口を挟んだ。軍の責任者として、現在も頻繁に「小競り合い」が起こっているテト村周辺の状況を上空から偵察したい……というのがロダルの希望である。


「なるほどな……早速の偵察任務を実行するのか。一度こちらに戻って来るのだろう?」


「はい。日没前には一度戻る予定です。その後船体検査をしてから、夜間飛行試験の実施に移る予定ですね」


「そうか。私は別にこのままその……日没まで乗っていても構わんが……統領様は如何されますか?」


「そうね……日没までこちらで過ごしても領都ではまだ昼過ぎですし……私もこのまま同行させて頂きましょう」


「承知しました。それでは我々は色々と試験を行うので、あまりお相手は出来ませんが……空の旅をお楽しみ下さい」


「いやいや。こちらこそ。我々に構わずやってくれ」


「それでは失礼します」


そう言うと、ソンマは乗員スペースを離れて後方の機関(後部)艦橋へ繋がる通路に去って行った。


「それでは私も艦橋に行きますので一旦失礼します」


ロダルも椅子から立ち上って操縦(前部)艦橋への扉の向こう側に去って行く。


 どうやら機体はドックの上空1000メートルの地点に留まっており、色々と計器類の点検を行っているようだ。ソンマも機関部周りの点検を一通り行ってからイバンと共に再び操縦艦橋に戻って来た。


イバンは途中、倉庫から「ピンク色の双眼鏡」を2()出して来て……統領様と首相にそれぞれ渡した。


「窓から地上の様子をご覧になられるのでしたら、こちらをお使い下さい。この……小さな方からこうして覗くと……遠くのものが近くに見えますので……」


 双眼鏡の使い方を2人に教え、それに倣って双眼鏡を覗き込んだ2人はそれぞれ「おおっ!」とか「まあっ!」などと、いつも通りの年甲斐も無い反応を示し大興奮の態で窓の外の地上の景色を見ている。尤も……今居る場所で地上を見ても一面エスター大陸の荒野の風景なのだが……。


「ところでこの……そう……がんきょう?だったか……。何でこんな色をしているのだ?」


ピンク色の筐体を眺め回しながら首相がイバンに尋ねると……


「あ……それは……()()を製造する過程で最後の『仕上げ』をノン様にお願いしておりますので……」


「ん……?ノンに……?ノンは薬剤師だろう?何か()()に薬品処理でもしているのか?」


シニョルやイモールにとって、現在のノンは「疲れが嘘のように消え失せる回復薬を作ってくれる凄腕の薬剤師」という認識である。シニョルは本日既に寝不足気味の体でその薬を服用してきている。


「えっと……ノン様の『不思議な力』によって、この双眼鏡には特殊な加工がされておりまして……」


イバンもどこまで説明していいのか判らず困惑している。


「とにかく……ノン様の手によって加工されますと、このような色になるのだそうです」


「ほぅ……ノンがなぁ……」


「ノン様は、この船体の製造にも大きく関わっていらっしゃるそうでして……」


「何……?そうなのか?」


「はい……。私はリジ店長からそのように伺っております」


「そうか。まぁ……最近のノンは何やら色々出来るようになっているらしいからなぁ」


首相はそれ以上、特に感想を漏らす事無く双眼鏡で見る地上の景色を堪能する作業に戻った。


「それでは……周りはバタバタすると思いますが、ごゆっくりお過ごし下さい。失礼致します……」


イバンは窓の外の景色に夢中になっている2人の首脳に敬礼を施してから、ソンマを追って操縦艦橋に向かった。


****


『店主様。計器等全て正常に動作しております。発動機も全機が作動中です』


『そうか。俺も今……一通り外装を確認したが、特に破損や変形は見受けられないな。《偽装》の効果に関しても特に異常は見受けられない。相変わらず投影には多少の遅延は見受けられるが、想定の範囲内だ』


『了解です。それでは移動を開始しても宜しいでしょうか?』


『うむ。いいぞ。予定通り始めてくれ。外装に何か異常が見受けられたらすぐに知らせる。但し……俺が付き合えるのはあと2時間くらいだ。11時になったらキャンプに戻って学校に行くからな』


『承知しました。それでは進路を南に採って国境の森林地帯を目指します』


ソンマは操縦席横に据えてある大双眼鏡の上にある風速計を見ながら、船内放送のマイクを取り


「現在、高度1000メートル。風速は南南西からの()()風18メートル。これより南方の森林地帯に向かいます。風上に向かって進む事になりますので、最初は出力50パーセントで行きましょう。プロペラ始動!」


それから隣の操縦席で操舵を担当している隊員に


「プロペラの始動を確認次第、左に105度回頭」


「了解です!」


ソンマからの指示を受け、操縦隊員は


「プロペラ始動っ!出力50パーセント!左へ105度回頭!」


と、復唱して各種スイッチを操作し始める。


―――ブゥゥゥゥゥン


船外からプロペラが回り出す音が聞こえ、それに合わせて西に向いていた船体がゆっくりとその場で左方向に回頭し始めた。


『二重反転プロペラは……うむ。複雑な構造をしているんだが、試験通りの動きを見せている。風がやや船首に対して西から東に流れている。船体の位置に気を付けろよ』


『了解です』


船外を飛んでいる店主からの報告を受けたソンマは


「どうやらプロペラは問題無く全て回っているそうだ。このまま前進。風の向きに気を付けて下さいよ」


「はっ!」


隊員は舵を操作する操縦桿を固定しつつ左右側面に各2機、後端に2機……計6機のプロペラ発動機を制御するスイッチを操作して全プロペラの推力を均等に調整した。


 船体はゆっくりと前進を始め、それに合わせて徐々にプロペラ回転数を上げて行くと……風上に向かって切り上がっているにも関わらず、飛行船自体も速度が上がって行く。


「出力、50パーセントに到達。維持します!」


「ふむ……風速20メートル前後の風上に向かっている割に出力50パーセントで時速90キロ出ているな……やはり二重反転プロペラを採用したのは正解だったようだ」


「あまりその……速さは感じませんね……」


つい数日前に最高速度120キロ超を記録した汽車に乗ってきたロダルが、艦橋の床窓から真下の様子を見ながら感想を漏らすと


「ああ……地上からの高さが違いますからね……恐らく速度感は地上に居る時とは比べ物にならないですよ」


ソンマが苦笑する。


「そうなのですか?」


「ええ。多分……今の状態から推測すると向かい風20メートルという条件下で出力80パーセントの巡航でも150キロ前後は出せそうです。追い風なら……160キロ程度は出ると思いますが、それでもその……汽車に乗ってる時よりも速度は感じないと思いますよ」


「ひゃ……160キロですか……」


「ロダル将軍は馬に乗ってましたよね?」


「ええ……まだ不慣れで下手糞ですが……」


「私は乗馬経験が無いので何とも確実な事は言えませんが、良質な軍馬で目一杯追えば50キロくらいは出るそうです。乗合馬車でその半分くらいでしょうかね……。工場長の話では機関車が120キロくらいですから、まぁ……馬に比べて2倍以上、馬車の5倍くらいは出ているようですね」


「そ、そんなに速かったですか……あの乗り物は……」


「しかし、この飛行船であれば条件さえ揃えば150キロは出せそうですから馬の3倍……馬車ならば6倍以上は出せそうですね。しかも……飛行船の場合は坂道や障害物は無く、風向きが許せば一直線に進みますからねぇ……」


「な、なるほど……」


ロダルは改めて「空を飛ぶ」事で得られるアドバンテージに対して驚いている。その横で話を聞いていたイバンも同様に言葉を失っている。


「今はまだ50パーセントの出力で飛んでますから、実際はどうだか判りませんが……この計算なら隣の大陸の王都まで9000キロ……2日半で行ける事になりますね」


「え……!?」


「まぁ、この前の試験で出ている発動機の燃費で考えると……この船体に積むことが出来る燃料の量ならば巡航速度で約10000キロ程度の航続距離ですから、補給無しで3日もあれば王都まで行ける計算ですね」


「王都まで……その……いつものあの……て、転送陣を使わずにですか……?」


「そうですね」


手許のメモ用紙でサラサラと計算式を書きながら、アッサリとその飛行性能を算定した藍玉堂店長の説明に対して、2人……いや、艦橋に居てその話を聞いていた他の隊員達も驚愕している。


(自分達は何というものに乗っているんだ……)


 これまで……厳しい《青の子》の訓練を受けていた頃に空を眺めては「空が飛べたらいいなぁ」などと漠然と考えていた、その願いが叶い……ついに空を飛ぶ()()に乗る事が出来たが、それはそれで今度は「空を飛ぶ事」を実際に体験し、地上を自らの足で走り回っているのとは全く違う文字通り「ぶっ飛んだ速度」を藍玉堂店長から具体的な数字を挙げて説明を受け、艦橋の人々は改めて「人が空を飛ぶ」という現実をまざまざと感じざるを得なかった。


 そんな者達の感慨にはお構いなしにソンマは


「よし。それでは出力開放。80パーセントの巡航速度まで上げてくれ」


「はっ!出力開放!」


操縦隊員がプロペラ制御スイッチを操作して全ての発動機の回転数を上げて行く。心無しか機外から聞こえて来る音が大きくなったようだが、速度感はそれ程感じない。


「時速100キロを突破して更に加速中!」


プロペラの動作音よりも、風切音が強くなってくる。しかし機内で振動などは特に感じない。


『店主様、いかがでしょうか?現在時速120キロ程出ております。更に加速中ですが』


『うーん。外装の様子に変化は無いな。気嚢部にも特に変形などは見られないし、プロペラの動きも滑らかで快調だぞ。相変わらずの風上への切り上がりだが、ブレも感じない。舵もしっかりと機能しているのではないか?』


『左様でございますか。構造的にも問題無いと見ていいのですかね?』


『これで出力はどれくらいなんだ?』


『はい。現在70パーセント強で140キロ……間も無く巡航出力となる80パーセントに到達します』


『やはりこの速度で飛行するとなると……案外、気嚢の形状なんかに気を遣ったのは正解だったな』


『ほう……やはり何か違いますか?』


『この「上下に圧し潰した」ような形状にする事で相当に空気抵抗の軽減には貢献していると思うぞ。今、俺は船外で一緒になって飛んでいるわけだが、俺自身は進行方向に対して相当に「空気の壁」を感じているぞ』


『なるほど……。あっ、現在の出力が80パーセントに達しました。速度は……155キロくらいは出ているようです』


『そうか……。相変わらずの、やや西寄りの南風だな。森林地帯の北端まで約8キロ地点だ。ここから直接テト村上空を目指す。10時方向に転舵だ』


『承知しました』


 大双眼鏡を覗き込んだソンマは、前方に森林地帯を認めながら……操縦隊員に


「今の巡航速度を保ったまま左60度。テト上空に向かおう」


「左60度!了解ですっ!」


前方からの風の抵抗を受けながら、《空の目(スカイアイズ)号》は船体を南東に向けた。途端に、南南西の風が船体の側面に当たる形となり、船全体が左側に流され始める。


横風に煽られた船体が大きく進行向かって左側に傾き、乗員乗客は軽いパニックになった。


「舵そのまま!スラスター作動!船体の復元急げ!」


 ソンマが鋭く指示すると、操縦隊員が復唱して側方推力機の制御スイッチを操作した。船体……気嚢部の上面頂上部付近とゴンドラの中央船底部に、機体に対して平行方向に作用するプロペラが間隔を空けて前後直列に各2機設置されており、隊員の復元制御操作によって機体上部を右舷側に、ゴンドラ底部を左舷側にそれぞれのプロペラ回転によって数十秒後には船体は元の水平位置に向かって復元が起こり、横風に抵抗し始めた。


「すまんすまん。何時の間にか風が強くなっていたな……現在の風速28メートル。ふむ……飛行中は風向きも風速も()()では測定出来ませんからね……」


ソンマが苦笑しながら報告する。手摺りに掴まっていたイバンが


「ちょっと船内の様子を見てきます」


と、艦橋の扉から後部へと移動する後ろから


「私も統領様方のご様子を伺ってきます」


ロダルも席を立って乗員室へと向かった。


 乗員室には左舷側の窓際の席に座っていたシニョルとイモールの他に、前部艦橋側の壁面に張り出された大陸全土が描かれた大地図の前に固定された大机の周りで分析担当の隊員が3人程……図を見ながら色々と話し込んで居たが、船体が突然傾いたので全員転倒してしまった。


幸いにも2人の首脳が座っていた椅子にはシートベルトが設置されており、2人はそれを装着していたので椅子から転がり落ちる事は無かったが、慣れない「飛行中」という状況で前回の試験飛行でも体験しなかった突然のアクシデントは相当に肝を冷やしたかと思われる。


 まずイバンが部屋に入って来て転倒していた隊員達を助け起こしながら「大丈夫か?」と声を掛ける。続いて入室してきたロダルが2人の所まで来て


「どうやら横風に煽られたようです。お怪我はございませんでしたか?」


と尋ねた。


「ええ……ちょっと驚きましたわ」


「いやぁ……結構傾いた感じがしたが……」


2人は目を白黒させている。


「申し訳ございません……。どうやら横風に対する対策はしっかりとされておりますので、すぐに復元は成されたようですが……ソンマ店長の指示がちょっと遅れたようですね」


ロダルは2人の無事を確認して安心したのか、苦笑いを浮かべている。


「店長は船外に居る店主様と念話で色々と確認しながらの采配になっているようでして……」


「なるほどな……いや、我々は……少なくとも私は何の問題も無いぞ。ちょっと驚いただけだ」


イモールも漸く笑い出した。


「現在、この船はテトの上空に針路を採っているようです。ほら。今ちょうど窓から見えているのが南の国境地帯に広がる森林ですね」


ロダルの言葉を聞いて2人は左側の大窓に目を移した。


「この大陸にも……森があるのね……」


これまで、新国家の荒地風景しか見た事の無かった統領様が感想を漏らす。


「私も店主様や親方から教わっただけですので……実際にこのように森を一望するのは初めてなんですが、この森は中央山地から東の海……アデン海に向かって帯状に続いているそうです。店主様のお話によるとこの森に沿って大昔は川が流れていたそうです。この部分だけ森が残っているのは、どうやら今でも川があった跡の地下には並行して水脈が走っていて、そこから水分を得て森が維持されているのだそうです」


「川があったのですか……あぁ、そう言えば……あの『大壁』で昔は川の水を堰き止めていたと店主様が仰ってましたわね」


「そうでした。壁の下には大昔の戦争の時に住民が逃げ込んだ施設があったとか……昔お聞きしましたな」


「あのオアシスの湖……あそこに水が溜まってしまったから川は枯れてしまったのかしら」


「恐らくそうなのでしょうね……それでもまだ地下には川に沿って水脈が残っていると……」


「不思議な感覚ですわね……もう随分と昔の話でしょうに……」


 2人の首脳が観光客さながらに地上の様子を眺めて感想を述べ合っている様子を見て安心したロダルは苦笑しながら


「現在、150キロくらい出ているそうですよ……この前乗った鉄道……えっと……機関車でしたか。あれよりも速度は出ているようです。但し……ソンマ店長のお話では、この高さから眺めると地上のような速度感は得られないのだとか。この速度ですと隣の大陸の王都まで……3日もあれば行けるのだそうですよ……」


「ええっ!?」

「なんと……!」


 ロダルの説明に対して、案の定……2人は仰天している。


「私は昔……この大陸から逃れて来た時は本当に苦労しましたし、その後に《赤の民》との交渉に訪れた際にもアデン海を渡る際にやはり色々と大変でした」


「そうですわね……首相はあの頃、船で海を何度も渡っているんでしたわね……」


「最初の逃避行の時は……そうですな……歩いて海まで辿り着いたのですが……どうやってこの先を進めばいいのかと途方に暮れたものです」


「結局……船で渡ったのでしょう?どうやって船に乗れたのです?」


「いえ……船など無かったのです。海沿いに当ても無く歩いていたら、私と同じ境遇の人々に出会ったのです」


「そうなのですか……」


「結局、その人々と力を併せて近隣の廃墟となった村の跡から木材を集めたりしましてね。思えばあの村も略奪を受けたのか……それとも海からの魔物に襲われたのか……」


 イモールは「あの頃」を思い出したのか……遠くを見る眼差しになった。


「あの時は運良く……大工をやっていたという老人が避難民の中に居りましてね。その方の指示を受けながら1ヵ月くらいでしょうか……何とか皆が乗り込めるくらいのボロ船を造り上げたのです」


「どれくらいの人数がいらしたの?」


「確か……20人くらいだったと思います。それでも……いざ海に出るとなったら5人でしたかね……怖くなったようで、乗り込むのを拒否して立ち去ってしまいました……彼等はあの後どうなったのか……」


「それでも……市長は海に出たのですよね?」


「はい……実際、海に出てしまえば不思議と潮の流れというのですかね……どんどん沖に……まぁ、流されて行ったと言うのでしょうか」


イモールは苦笑しながら


「我々は極めて幸運だったのかと思います。全員無事に、王国の……あれは確か……チュークスのちょっと北側辺りに流れ着きまして……3旬くらいでしたでしょうか……」


「そうだったのですか。それでも大変な経験をなさいましたね」


後に《赤の民》との交渉の為に再度故郷の大陸へと渡った際には、シニョルの手配によって公爵家の名義でジッパ島への定期船に乗せて貰う事が出来、更にジッパ島からエスター北部の「ノルヌ」という港がある集落までジッパ島の冒険者ギルドが所有する船で送って貰ったので、逃避行の時よりは多少マシな状態で海を渡れたようだ。


 ジッパ島はエスター大陸の北方……というよりも本来の言い方(・・・・・・)であれば「ロッカ大陸の西方沖」に位置する大きな島で、どの国にも属していないのだが、魔法ギルドと冒険者ギルドがそれぞれ支部を置いているのである程度の経済と治安が保たれている「文明の辺境」とも言える場所である。


島の面積はそれでも33000平方キロメートル程あり、南北に約270キロ、東西の最も距離がある部分で160キロ程度ある。人口も10万人程居て、サラドス東岸とロッカ西岸を結ぶ……王国側から見た「東方航路」の中継地として、それなりに賑わっている島だ。


この「王国歴」において文明世界の基軸通貨のような扱いになっている「王国貨幣」が、エスター大陸で僅かながら流通しているのはこのジッパ島を経由したエスター大陸の北部国家群との「非公認貿易」によるものである。


嘗ての《赤の民》も、部族で産出した羊毛をこれら北部の蛮族国家との交易によって流通させており、そのうちの僅かな量が更にジッパ島を経由して「貴重品」として北サラドスやロッカにもたらされていたようである。


 現在ではその羊毛品はトーンズ国が一手に取り扱っており、また……その他の「産業」によって王国から莫大な王国貨幣が非公認にこの国に集まっている状況である事は以前にも書いた。


「ジッパ島を経由してでさえ王国とこの大陸の行き来は1ヵ月程掛かっていたと記憶してましたがね……」


イモールの驚きは、「両大陸を船で渡った者」でしか分からないものであり、転送陣を使ってホイホイお気軽に行き来する経験しか持たない……この場に居るイモール以外の者達にとっては想像もつかない「命懸けの冒険」である……はずであった。


 イモールが感慨に耽りながら窓の外を眺めていると……やがて両国の境界となっていた低木森林地帯の景色が切れて、その先になにやら黒い影のようなものがポツンと見えて来た。


「どうやら……テトに着くようですね。あの村……いや町は上から見るとこんなに大きかったのか……」


自らも双眼鏡を覗き込んでいるロダルが驚きの声を口にしている。彼にとっては「敵国との最前線」として何度も往復している場所ではあるが……改めて上空からその全貌を見たのは初めての経験であった。


「ここがテトですか……確かに……村には見えませんわね……」


統領様も望遠鏡を眺めながら感想を口にする。嘗てはサクロの「村」と物々交換によってどこの国にも属さず細々と暮らしていた南方の村……テトも、人口は既に2000人を超え、更にはそれと別にトーンズ軍が300人程常駐し、工兵隊によって要塞化されて見違えるように巨大化していた。


 そうしている間にも飛行船は見る見るうちにテトの上空にまで達し、その手前の地点で船体そのものに制動を掛けたらしく、「ゴッゴッゴッ」という明らかに何か操作している音が聞こえて青の子専用飛行船《空の目(スカイアイズ)号》はテト上空で停船した。


イバンが操縦室からやって来て


「テトに到着致しました。現在上空にて停止している状況ですが……特にこちらを見上げているような者は見受けられませんね……」


と、苦笑しながら報告をした。


「まぁ……本当に見えないのかしら……」


その報告を驚きながら聞く統領様に


「店主様によりますと、地上からは殆ど姿を捉える事は出来ないようですが、耳を澄ますと内燃機関の動作音が僅かに聞こえるそうです。今は昼なのであまり気にならないかもしれませんが、夜間になれば音に気付く人々が出てくるかもしれません」


 イバンがソンマから聞いた情報を更に伝える。そうしているとソンマの声で


「これより空中姿勢と位置の保持に必要な動力を残して内燃機関を一旦停止します。この場にて30分間滞在の後、機関の再始動を試み……その後に一旦ドックに戻ります」


という内容が船内の連絡用拡声器から聞こえて来た。直後に機関室に指示が伝わったのか、船外から聞こえて来る内燃機関の動作音が明らかに小さくなった。


『ああ……殆ど音が聞こえなくなったな。これくらいなら昼間であればまず気付く奴は居ないだろう』


ルゥテウスは姿を消しながらテトの中心部……数年前に建てられた時計塔の天辺に立って町の様子と飛行船の様子を同時に窺っていた。スラスター動力とヘリウム制御動力も含めて合計で9機動いていた内燃機関のうち、5機を停止させたので、その騒音がかなり減少したようだ。


『そうですか。それは良かった。後は……夜間ですね。静かになった夜にどれだけこの「音」が地上に伝わるのか……』


ソンマの返事は一応、安堵したものではあるが……それでもこの飛行船「唯一」と言ってもよい問題点についてまだ心配が残っているようだ。


『まぁ、夜であれば多少音は聞こえても周囲は暗闇だからな。探しようが無い。上空1000メートルを照らす程の照明装置など王国ですら持ってないしな』


『仮に……地上から強力な照明を浴びた場合は、どうなるのでしょう?』


『いや、照明を浴びた程度じゃ日中の視認性にすら及ばないはずだ。多少は船体に対して照明の反射は発生するだろうが、それに気付けるような目視距離では無いしな。但し……』


『え……?何か懸念が?』


『うむ。これは日中でも言えるが、相手にも望遠鏡に相当するものがあって……それを使われたらちょっと判らないな……』


『あ……なるほど。他にも《遠視》の魔法に対しても同様の警戒は必要ですね……』


『まぁ、それにしてもこの辺りの蛮族相手なら大丈夫なんじゃないか?』


店主が笑いながら楽観論を述べると


『そ、それもそうですね……ははは』


ソンマも笑い出す。望遠鏡や遠視魔法のような高度な偵察手段を蛮族が保有しているとは思えない。もしそのようなものがあれば、これまでように「バカの一つ覚え」のように戦力を逐次投入しながら無人の荒野から要塞化されたテトに吶喊してくるような愚を繰り返すわけがない。


『よし。ここまで出来れば昼間の試験としては上々だろう。俺はそろそろキャンプに戻るからな。学校が終わったらまた連絡する』


 そう言って、ルゥテウスはキャンプに帰って行った。


『承知致しました。我々もこの後は一度ドックに戻ってから夜間飛行に備えて点検を行います』


ソンマもそう応えてから気を取り直して、乗員室へと移動し


「一応、これで昼間の試験は全て予定通り行われました。店主様も学校に行かれるのでお帰りになりましたので、我々もドックに戻るだけですが……せっかく停船しているので、今のうちに厨房を使って食事を作ってみますか」


笑いながら2人の首脳に提案してみると


「なっ……!そう言えば……あちらに厨房がありましたね!ここで料理まで出来るのですか!?」


統領様が何やら興奮気味に尋ねてきたので、ソンマは苦笑しつつ


「まぁ……あくまでも簡易的なものになりますがね……。火は使えないので……店主様が考案された『電気式コンロ』というものを使います」


「でん……?」


「お気付きですか?この飛行船……室内の照明などには火を使って無いのですよ。藍玉堂やお役所で使われているような装置で……」


「あ……。そう言えばそうですわね」


()()と似たような装置で、内燃機関から『電気』というエネルギーを取り出しているのです。まぁ……仕組みを説明すると長くなるのですが、火を使わずに加熱を行えますので」


「まぁ……そんなものまで……」


「実は工場長が、この電気を最近ずっと研究していらっしゃいまして……。そのうち国中の照明がこれに代わるかもしれませんね」


「そうなのですか……素晴らしいですわね……」


「全くですな……」


統領様と首相が驚いている間に、厨房の方から肉の焼けるいい匂いが漂ってきた。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド

主人公。15歳。黒き賢者の血脈を完全発現させた賢者。

戦時難民の国「トーンズ」の発展に力を尽くすことになる。

難民幹部からは《店主》と呼ばれ、シニョルには《青の子》とも呼ばれる。


ソンマ・リジ

35歳。サクロの《藍玉堂本店》の店長で上級錬金術師。

「物質変換」や「形質変化」の錬金術を得意としており、最近はもっぱら軽量元素についての研究を重ねている。古代技術の復興を目指して飛行船を製作した。


シニョル・トーン

61歳。エルダの独身時代からの腹心で現在は公爵夫人専属の女執事。

難民同胞を救うためにキャンプの創設を企図し、トーンズ建国に際して初代大統領となる。

難民を救う為に発揮された恐るべき鬼謀はドロスすら恐れさせるが、甘い物に目が無い。


イモール・セデス

59歳。シニョルの提案で難民キャンプを創設した男。

トーンズ建国に際してシニョルから首相に任命され、新国家の発展に心を砕く。

難民になる前は教師をしていた。最近涙もろい。


ロダル

39歳。トーンズ国軍を率いる将軍を務める。

アイサの次男で嘗ての暗殺組織《赤の民》にて十数年に渡って訓練を受けて新米暗殺員となっていたが、主人公に見込まれて指導を受け、キャンプの自警団……長じてトーンズ国軍の指導者となる。


イバン

27歳。ラロカの甥でトーンズ国諜報部隊《青の子》所属。

ドロスの右腕としてエスター大陸側の諜報活動を指揮する。

シュンの妹であるアイを妻としている為、シュンの夫ロダルとは義兄弟の間柄でもある。


アイテス

41歳。藍玉堂が経営する秘密工場兼ドックの責任者。ソン村出身。

ちょっと訛りのある言葉を話すが、ソン村の若者からの信頼も厚い。

主人公とソンマを心の底から尊敬している。

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