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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第四章 戦乱の大陸
105/129

裁かれる日

予め申し上げておきますが、今回登場する王国軍にる軍事法廷の様子は完全なるフィクションです。当然ながら現実世界の法治国家における裁判の様子とは全く違います。そのことを御理解頂いた上でお読み下さい。作中に登場する法律用語等も同様です。色々ツッコまれても困りますのでどうかご了承下さい。


【作中の表記につきまして】


アラビア数字と漢数字の表記揺れについて……今後は可能な限りアラビア数字による表記を優先します。但し四字熟語等に含まれる漢数字表記についてはその限りではありません。


士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム(メートル)法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


作中世界で出回っている貨幣は三種類で

・主要通貨は銀貨

・補助貨幣として金貨と銅貨が存在

・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚


平均的な物価の指標としては

・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。

・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。

 被告人席の更に後ろにある傍聴人席に唯一人……その巨躯を沈めた軍務卿は、前方を睨み据えている。被告人席と証言台を挟んで、その視線を真っ向から浴びる形となった裁判席に座る者達は……三者三様にその「視線」に対して感慨に耽った。


この「椅子に座って前方を見据える」というヨハン・シエルグ氏の所作を裁判官席の3人は嘗て何度も目撃しているのだ。


 3人の裁判官のうち、三席目に座るアミ・トカラ法務官は士官学生の一回生であった頃……登下校時の朝礼・終礼時に、教壇の上……それこそ2メートルを超える高さからこの恐ろし気な視線を浴びながら大声で出席確認を採り、はたまた連絡事項を言い付けて来る1年2組担任のシエルグ教官の在りし日を思い出した。


そして残る2人……裁判長のカイル・ヘルナー参謀総長の前職は王都防衛軍参謀長……つまり王都防衛軍司令官時代のシエルグ卿の幕僚であった。


一方の次席判事ヘレン・レッケル第九師団長に至っては長きに渡ってシエルグ卿直属の部下であった。シエルグ卿は彼からすると前々任の第九師団長であり、彼はその当時……師団隷下の第1連隊長を務めていた。


 参謀総長と第九師団長がやや慌て気味に起立して挙手礼をするのとは対照的に法廷内のそれぞれの位置を占めていた3人の法務官は落ち着いた所作で立ち上がって同様に挙手礼を実施する。


正面の裁判席の様子を見て、何事かと振り向いた証言台の証人……アガサ大佐はその巨躯を見て仰天し、危うく腰を抜かして床に転がりそうになりながらも、辛うじて証言台に掴まってバランスを立て直し、慌てて挙手礼を行う。


不幸なのは、軍務卿のすぐ前にある被告人席に座って項垂れていた被告人で……彼は暫く気付かないまま項垂れていたが、やがて何やら周囲の慌しい物音で顔を上げると廷内に居る全ての者達が、自分の方を向いて挙手礼をしているではないか。


 ナラ中佐は暫くボカンとした表情をしていたが、不意に後方から只ならぬ気配を感じて素早く振り向いた。


振り向いた途端に……自身の居る場所から通路と柵を隔てて2メートルも離れていない場所に、途轍もない巨体の老人が座っている事に気付き……自身の記憶の中からその老人の正体を検索し終えたところで、相手が自分を睨み据えていると感じて、言葉を失ったままにそのまま硬直してしまった。


 実際……シエルグ卿は被告人をその視線の中心に据えていた。


(この男が……今回の騒動の切っ掛けを作ったバカ者か……)


今から丁度2カ月前……アラム法務官が持ち込んで来た「軍務省を揺るがす大事案」の切っ掛けとなった……愚かにも部内の規則を蔑ろにして「あの学生」の怒りを買った男……自分が情報部室に怒鳴り込んで行った時には既に憲兵によって拘束され、連行されて行った後であった為にその顔を見る事も無かったのだが……。


軍務卿は目の前の小男を、それこそ大音声で怒鳴りつけてやりたかったが、法廷内で傍聴人に過ぎない自分が不規則発言をするわけにもいかず、その衝動を辛うじて押さえつけた。代わりに務めて低い声で


「そのような儀礼はいらん。審理を続けろ」


と命じた。そのよく通る声を聞いた法廷内各席の者達は我に返った様子で……3人の法務官は今回の軍務卿の傍聴来廷について事前に軍務卿本人から聞いていたので多少の落ち着きはあったが……各々自分達の椅子に着席したのである。


 それにしても佐官が被告となっている法廷とは言え……軍務卿自らが軍法会議を傍聴するという行為はここ数百年の間、記録には残されていなかった。今回も当初、軍務卿が自ら本裁判の傍聴を希望する意向を示した際にアラム法務官はそれを諌止しようと思ったが……


「どうしても自分で証人の言葉と判決に至る()()を見たい」


と譲らなかった軍務卿の気迫に負けて、傍聴室に入る()()()()()について進言した。


アラム法務官からすれば、「この軍務卿閣下」が厳つい表情で傍聴席から睨み付けるだけで被告人や証人が萎縮してしまう事は明白であり、そうなると「何も言い出せなくなる」という事態を危惧せざるを得ない。


なので今回の弁護側証人による証人尋問を最初からでは無く、弁護側の質問が終わってから入廷して頂く事にしたのだ。ロウ弁護官が審理内容をやや逸脱しながらも色々と証人の言質を引っ張り出そうしていたのは、この為でもあった。


彼の思惑はある程度叶えられ、証人であるアガサ大佐は被告人に士官学校関係者の監視を依頼した事を認め、その理由として本省教育部への忖度……そして教育部から恫喝とも採れる教育課長の来訪まであった事実を証言してくれた。


後はアラム検察官による反対尋問に加え、彼が検察側証人として召喚している教育部長から決定的な言質を引っ張り出せば、それを材料として軍務卿が軍務次官と対峙してくれるだろう……ロウ弁護官はそのように手応えを感じているはずだ。


このタイミングで「本来ならば来るはずもない」軍務卿が慣例を破ってわざわざ軍事法廷の傍聴に現れた事実は、証人に対して絶望感を与えた上で更なる言質を引き出す機会(チャンス)が生じるかもしれない……アラム法務官はそう考えた。


「では……検察側からの質問を始めさせて頂きたいと思います」


 アラム検察官は改めて反対尋問の開始を宣言してから、証人台の方に向き直った。


「証人が被告人に対して、士官学校関係者への監視及び調査を依頼した過程につきましては弁護側の質問に対する証言回答で確認させて頂きました。その際に証人が更に被告人に対して『捜査結果を教育部長と共有するように』と助言(アドバイス)を加えたとの供述を得ております」


検察官は供述調書の写しを手許で一度確認しながら証人に視線を戻し


「何故貴官はそのような助言を与えたのですか?」


彼独特の「検察官担当の際に出る」被告人や弁護官を追い込むような強い視線を、この弁護側証人にも送っている。アガサ大佐はその視線に怯んだかのように俯きながら


「そ、それは……」


そこで言葉は途切れ……暫く無言となった。その表情を伺うに、検察官からの質問を受けてからその内容を脳内で吟味しながら「どうしたら自分の立場を悪くする事無く答えられるか」を必死に考えているように見える。


その様子を見たアラム検察官は、証人の態度に「姑息さ」を感じ……


「何やら申し上げにくいご様子ですな。貴官が被告人に対してそのような助言……いや、指示を与えたのはまさに今回の罪状に係わる話で……『情報部長の承認を得ずに捜査の発令』を可能とする為に『服務規定の例外』を意識したからではないですか?」


言葉を詰まらせていたアガサ大佐は、検察官の指摘を受け……驚愕の表情を浮かべて、明らかに動揺した様子となった。


(やはり図星か……やれやれ)


 その様子を見たアラム検察官は畳み掛けるように


「情報部長殿に承認を得なくても、教育部長殿を巻き込んでしまえば服務規定の例外……『緊急性の高い事案に関しては関係部局の部長職以上の指示に従える』という附則が適用される……そのように思ったのではないですか?」


「そっ……あの……」


明らかに動揺している証人へ、検察官は呆れの混じった口調で


「まず申し上げておきますが……今回の件、例え教育部長殿を利用したとしても、只今お話した『服務規定の例外』としての適用は見込めません。あの『附則』が『捜査権の発令』に関する規定に設けられたのは、『情報部長による権力集中への牽制』が主な目的であって、本件のような捜査内容が情報部長の身上に全く関係の無い場合は適用外となります。従って『服務規定違反』に対する『抜け穴』にはなりませんよ?」


と、アガサ大佐が意識していたと思われる「服務規定の例外」について法務官としての意見を述べた。


「えっ……?そ、そんな……」


アガサ大佐の態度は今の話を聞き、動揺から狼狽へと変わって行った。どうやら「服務規定の例外」に対する解釈を誤っていた事を知り、被告人の手前……かなりバツの悪い状況になったようだ。


「まぁ……その事は最早被告に対する量刑に影響する事も無いでしょうから置いておきましょう……。私から最後の質問をさせて頂きます」


どうやら、アラム検察官の本心として、今の話を持ち出したのは


「あまりにも的外れな法解釈によって、軍人軍属個人と組織を律する法律が捻じ曲がった適用をされぬように……」


と、裁判官側にも釘を刺す事が目的であったようで、服務規定の例外に対する追及はそれ以上行われる事無く、あっさりと「最後の質問」へと切り替えられた。


「先程の証言によれば、貴官は一度……マーズ主任教官より『戦技授業』に関しての具申を受けたとの事ですが、その際……主任教官は戦技授業内容の改変について、その『理由』を述べていませんでしたか?」


「理由……ですか……?」


自身の杜撰な法解釈が問われるかと思って狼狽しつつ身構えていたアガサ大佐は拍子抜けした顔になった。


「はい。そもそも、主任教官……()いては学校長閣下におかれましても、何の『動機』も無く闇雲に貴官が申されていた『連綿と続く伝統ある戦技教育』を覆そうとは思っていないでしょう。当然ながら彼等としても自分達の行動が、本省教育部の専権に触れる『越権行為』であることは十分に承知していたはずです。にも関わらず、敢えてそこを枉げて授業内容に疑義を唱えたという事は……彼等なりに何か強い『理由』もしくは『動機』が存在して然るべきでしょう?」


 またしてもアラム検察官の目が細められた。彼が検察官として法廷で活動する時に見せる表情である。


「理由……動機……あっ……」


アガサ大佐は過ぐる日にマーズ主任教官から意見を具申された時の情景を思い出しながら、何かに思い当たったような素振りを見せた。


「あったのですね?」


証人の様子を凝視していた検察官はその一瞬の所作を見逃さず、鋭く問い詰めた。勿論、彼はその「理由」も「動機」も知っている……いや、その「論拠となる数字」すら知っているのである。大北東地方の放棄から450年……その授業内容の変質によって王国北方の国境地帯や南方、西方の海岸線地域において「クソの役にも立たない戦技」を習得させられた新任士官が大勢命を落としている……。


軍務省の官僚が代々犯して来た「人災」……。あの若者が見せた自分を含めた軍務官僚に対する軽蔑の眼差し……。


「貴様ら無能な軍官僚がどれだけの前途ある新任士官の命を磨り潰して来たのか!」


という……まるで自分達を……あの軍務卿閣下すら「会うに値しない」と切り捨てられた事をジェック・アラム法務官は決して忘れていない。

そして残り30日余りの間に、その「無能な元凶たち」を軍務省から排除しなければ、これら「人災の詳細」を国王陛下(最高司令官)に提出されてしまうのだ。


「どうなのですか?マーズ少佐……かの『北部軍の鬼公子』殿は貴官にご自身の経験から得られた『現代の戦技授業の欠点』を申し述べられたのではないのですかっ?」


アラム検察官の語尾が鋭くなった。まるで証人を罪人扱いしているような態度だ。そして……その態度を嗜めるような物言いは弁護側はおろか……裁判官側からも上がらなかった。2人の上級判事は自分達の正面……証人と被告人を挟んだ向こう側に腰を下ろしてこちらを睨み据えている嘗ての上官の存在にまだ動揺していたのだ。


 軍務卿の表情が険しくなっている。無理も無い……。この巨躯を持った「元士官学校槍技教官」は、昨年末に非公式に観覧した際に見せられた「あの若者の業」に未だ衝撃を覚えているのだ。もしも戦場であの若者に相対したら……60年近く生涯修養(ライフワーク)として取り組んで来た自身の槍技など造作も無く破られ、繰り出した槍を引き戻す事も出来ずに討ち取られてしまうだろう。彼も一人の「槍の遣い手」として、その圧倒的な伎倆の差が判り過ぎる程に解ったのである。


更に「あの若者」は先日の観覧式で、今上陛下の御前においてあの……「王都の達人」として名高いエリオ・シュテーデル男爵すら子供扱いしたと言う……。


そしてその「業」こそが古来……伝統的に士官学校において教えられてきた「本来の戦技」であると説明された。あの若者はあの場において……自分には一顧だにともしなかった。そして自分との面談を拒絶した。「無能な教育官僚どもを一掃するまで会うつもりは無い」と……。


その若者が身を以て示した「本来の戦技授業」を否定した「愚か者」が目の前に居る。あの「北部軍の鬼公子」の具申を突っ撥ねた愚か者がだ……。


鬼公子も「捻じ曲げられた現代の戦技教育」の被害者であった。初陣でまるで役に立たない戦技によって生命を落とし掛け……熟練の部下2名の生命と引き換えに無様に生き延びた事を……あの鬼公子は未だその苦悩に苛まれていると言う……。そしてその彼も自分との面談を拒絶したのだ。


「軍務卿ヨハン・シエルグは教育族に与して、あの忌まわしき……現代の白兵戦技授業を支持している。自身も若き士官時代に士官学校教官として前途ある若者たちに出鱈目な戦技を教え込んだ」


あの士官学校生徒、そして北部軍の鬼公子……そして恐らくは前第四艦隊司令官(士官学校長)も自分をそのような目で見ている……。「武人」としてこれ程の屈辱を味合わされている……。


そしてそれは何もマーズ卿に限っての事では無いのだろう……。北部で生命を懸けて、今この瞬間も国境を護っている者達は……皆そのように自分と……軍務省に「巣食っている」軍官僚達を冷たい目で見ているのだろう……。


ああ……!嘗て私が育てた士官学校卒業生(若者たち)が……北の戦場で……南や西の海岸線で……彼等の声が……無念の叫びが聞こえてきそうではないか……。


「声と図体が大きいだけのお前に()()()()()、クソの役にも立たない『槍技』なんてもののせいで……自分達は……何も知らないまま……生命を磨り減らされて……!」


 軍務卿は、それこそ相手を喰い殺しそうな程に険しい顔付きで検察官の質問に狼狽えている証人を後方から睨み付けていた。そしてその視線を証人越しに浴びている2人の上級判事は現役時代にも滅多に見る事の無かった巨躯の元上官の凄まじい形相に恐懼している。


「あの……主任教官は……マーズ主任教官は北の戦場で若い頃に生命を落としかけたと……大切な部下を何人も死なせたと……言っておりました……」


「その『生命を落としかけた』というのは……詰まるところ、『現在の戦技授業がまるで役に立たない』と言う事を仰っていたのではないのですか?あの『北部軍の鬼公子』が初陣で生命を落としかけた……実戦的とは全く言い難い内容の戦技授業を習い覚えた結果として……それが逆に弊害になったと……そういう事なのではないですか?」


普段温厚な「軍務省の良心」とまで言われている人物とは思えないような峻厳な物言いで、アラム検察官はアガサ大佐を問い詰めている。


「もっ……もしかしたらそう……そうなのかもしれません……。あの時の小官は……『士官学校の一職員が戦技授業に疑義を唱えている』という事実に釣られてしまい……その『動機』に対して真摯に耳を傾ける事を怠ったのかも……しれません……」


アガサ大佐は渋々認めた。彼はあくまでも「弁護側証人」としてこの場に立っている。過去の行為を批難される謂れは無い……そのように思っていたのだが、この法廷内でこの検察官の証人に対する批難行動に対して誰も掣肘を加えようとしないのだ。


「小官は貴官の行為に対して批判を加えられる立場にありません。なので只今の証言においても貴官は貴官の信念に基いてマーズ主任教官の具申を却下したのでしょう。ではそれを踏まえて……敢えてお聞きします。貴官は……今の士官学校における戦技教育が王国辺境において新任士官の生命を脅かしているという現実について……どのような見識をお持ちなのでしょうか?士官学校の経営を担っている『教頭職』という立場においてです」


「お言葉ではありますが……小官は現在の士官学校教育が卒業任官後の服務において何ら齟齬を生じさせているとは認識しておりません。本省教育部において定められた教育指導要領に欠陥が認められるとは思っていないからです」


驚いた事に、アガサ大佐はキッパリと言い切った。そこには「彼なり」の目算があったからである。


 アガサ大佐は……自身の真後ろにて本法廷を傍聴している軍務卿閣下は……所謂「教育族」に与していると錯覚しているのである。


これは無理も無い事なのだが、質問者であったアラム検察官やロウ弁護官ですら……つい半年程前まではアガサ大佐と同じような認識だったのである。教育族……エルダイス次官を筆頭とする、場合によっては自身も含まれている一派のここ10年程の進級・昇進速度は尋常では無く、しかもその流れに対して現在の軍務卿閣下は特に何も掣肘を加える事無く、その人事案を全て飲み続けている。つまり軍務卿閣下も次官閣下の「なさり様」を支持されているのだ……と、彼は頭の中で思案を巡らせたのだ。


なので、ここはその教育族……本省教育部の意向に個人的に逆らうような証言を軍務卿閣下の目の前の残すわけには行かない……このような判断の下にアガサ大佐は検察官の質問に答えたのである。


そして、実際に彼は……あの時マーズ主任教官から語られた彼の「若き頃の苦い経験」に対して何の憐憫も持ち合わせていなかった。


彼にとって「北の戦場」は想像する事も、その必要も無い「対岸の火事」以上に疎遠な存在なのだ。彼にとって重要なのは……


「本省と余計な軋轢を作る事無く……恙無く残りの任期を送り、転任昇進後に有利な状況を築いておく」


というものであったのだ。


 結局……この自らの保身に目の眩んでいる無能な軍官僚上がりの男は、「自らの墓誌墓標」を自ら読み上げた事に気付く事無く……そして、自らの墓穴を掘り終えた事に気付く事無く……証人としての役目を終えた。


「貴官のご見識……しかと承りました。私からの質問は以上となります」


アラム検察官は無表情ながら……やはりその目線には多分に軽蔑の念を含みながら自らの席に腰を落とした。法廷内を何やら微妙な沈黙が支配している。


 検察側の反対尋問を終えて、ホッとした表情となっているアガサ大佐の後方……被告人の更に後ろでこれを傍聴していた軍務卿の表情がより一層険しいものに変わっていたが、当人はまるでそれに気付く事は無く……この法廷から一刻も早く解放される事を待っているような素振りすら見せていた。


相変わらずの……元上官の険しい表情に晒されながら、ヘルナー裁判長は気が気で無い面持ちで


「ではこれにて……弁護側証人への尋問を終了する。証人は退廷しなさい」


そのように言い渡し、入廷して来た時とは逆の手順で再び呼び出されて入室した護送憲兵に挟まれるような形でアガサ大佐は軍務卿が座っている傍聴席とは逆側の、法廷室前方の扉から退廷して行った。彼はこの後部屋の外で解放される事は無く……そのまま軍務省庁舎の入口まで送られる。何故なら……次に召喚される予定の「検察側証人」と鉢合う事態になる事を防ぐ為だ。


 アガサ大佐が退廷した後の法廷内では……検察官席に着席したアラム検察官が大きな溜息を吐きながら首を左右に振っていた。


(救いようのない無能だな……。なるほど……ヘダレス部長が仰っていた通りの人物だ……)


と、心中苦笑しながら……頃合いを見計らい


「裁判長。それでは当方にて指名している証人による喚問のご許可を賜りますよう……」


異常な緊張の中に、多少の疲労も見受けられるヘルナー裁判長へ申し立てを行った。


「よ、宜しい……。検察側証人を入廷させなさい……」


裁判長はそのように法廷伝令官に向かって指示をすると、伝令官は挙手礼を行い……再び後方の扉から廊下に退出して行った。証人控室で待っている検察側証人と、それを護衛する憲兵に入廷を促しに行ったのだろう。


 2分程して……法廷室の後方のドアが再び開かれ、伝令官を先頭に護衛憲兵に挟まれるような恰好で検察側証人……人事局教育部長のモンテ・デヴォン少将が入室してきた。


デヴォン少将が扉をくぐった瞬間、室内でまず目にしたのは……目の前の傍聴席に座る巨躯の老人の姿であった。そしてその老人は……入室してきた自分の顔を険しい表情で見据えている。


それが見覚えのある人物……庁舎3階南側の執務室から滅多に姿を現さない軍務卿閣下である事に気付いてデヴォン少将は仰天し、歩を止めてしまった。すかさず……彼の後方に居た護衛憲兵に移動を促される。


(ぐっ……軍務卿閣下が何故……何故この場におわすのだ……。何故このような軍法会議の場に……きっ、聞いた事が無いぞ……!)


教育部長は激しく動揺しながらも、護衛憲兵に身体を押されて運ばれるような恰好で検察側の席に着いた。彼は被告人席に座るナラ中佐はともかく……その後ろに座っている軍務卿閣下が気になって仕方の無い様子で、その肥満した身体が落ち着かなさそうにモジモジと揺れている。


そして……この様子を見た被告人も再び激しく動揺している。嘗ての上官……前任者に続いて、高級官僚である教育部長閣下が検察側の証人と入廷して来たのだ。

現役の部長級幹部……将官が、証人とは言え軍法会議に出廷する事も非常に珍しく……しかも今回の証人は被告人の直接の上司でも無い……他部署の高級幹部なのである。何もかも異例ずくめだ。


ここに至って被告人……ナラ情報課長は自分が被告として牽き出されているこの法廷が……何やら通常ものとは違う「特別な意志」によって開かれているものであると……改めて認識したのである。


 証人台には既に、法務部の職員によって検察側証人が入廷前に署名した宣誓書が置かれており……デヴォン少将が検察側の席へ着くのを確認してから、隣に座る検察官が起立して


「証人に対する尋問実施を許可頂けますでしょうか」


と、先程の弁護官と同様の申し立てを裁判長に行っている。


「宜しい。証人は証言台に移動し、宣誓書を朗読しなさい」


漸く落ち着きを取り戻しつつある裁判長から教育部長に指示が下った。アラム検察官は、一応は丁寧な物腰で隣に座る証人に証言台へ移動するよう身振りで示すと、証人は落ち着かなげな態度で……そしてなるべく傍聴席側を見ないようにしながら、弁護側証人と同じようにノロノロと証言台に移動して


「は……はい……。りょ、良心に従い、真実を述べ、な……何事も隠す事無く、偽りを述べない事を誓います……」


振るえる手で持ち上げた宣誓書を何とか読み終え、()()を横で控える職員に渡した教育部長は、まだ落ち着かない様子である。無理も無い……先程のアガサ大佐の時とは違い、今回は最初から後方の傍聴席に……明らかに負の感情を伴った表情でこちらを睨み付けている軍務卿閣下が居るのだ。彼が来廷してからというもの……法廷内はずっとピリピリとしっぱなしである。


「それでは証人への質問を始めさせて頂きます。小官は本日、閣下をこの場にお呼び致しました検察官を務めさせて頂くジェック・アラム大佐であります。宜しくお願い致します」


 先程とは違って、今回の証人は自身よりも階級が上の人物であるため、アラム検察官は一応の礼儀として尋問に先立つ挨拶と自己紹介を行った。


検察官から慇懃な挨拶を受けた教育部長は、この検察官こそが自分達「教育族」の放逐を実現する為に裏で奔走している当人であるとの認識は無い。


彼は先日の「次官閣下の部屋でお叱りを受けた」時以降……次官閣下からは完全に見放されるような形になっており、彼から何も爾後の情報を受け取っていないし、情報部のデルド次長から提供される情報は言うまでもなく「色々と味付けされた」内容であった為に、自身の置かれた境遇について「目隠しをされた」ような状態であったのだ。


「昨年の10月下旬の頃を思い出して頂けますでしょうか。王立士官学校……つまり閣下の管轄下にある士官学校のエイチ学校長閣下から、面談の申し込みがあった事は間違いございませんか?」


「う、うむ……はい」


「デヴォン閣下はエイチ学校長閣下からの面談申し入れをお受けになり……11月1日の午前にご自身の執務室にエイチ学校長閣下……提督の来訪をお受けになられた。間違いございませんか?」


アラム法務官は、先程のアガサ大佐を詰問した時とは違い……務めて事務的な表情と口調を崩す事無く、教育部長に事実確認を繰り返して行く。


「11月1日……うーむ……日付までは失念しているが……確かに学校長殿が私の部屋にいらしたのは記憶しています……」


「結構です。ではその際の会談の内容は憶えていらっしゃいますか?」


「会談……ま、まぁ……会談と言うか……」


「左様ですな。会談では無いですね。学校長側から士官学校の教育方針について『意見の具申』があったのではないですか?」


アラム法務官の問い掛けに軽く驚きの表情を見せた教育部長は


「そっ……そうですな……。学校長殿から授業内容についての意見を聞かされました」


「その内容はともかく……閣下はその具申に対して、どのような対応をされたのですか?」


気が付くと質問しているアラム検察官の()()()が鋭くなってきている。


「対応……?い、いや、まぁ……その……『当方で精査の上で後日回答を行います』と……お答えした記憶が……」


「なるほど。回答のお約束をされたと。して……その回答はもう実施されたのですか?どうやら既に2ヵ月以上経過しているようですが?」


「そっ……それはまだ……。教育部としての見解が……まだ出来上がっていないので……」


「見解……ですか?ですが閣下は、提督からの具申がなされたその日の午後には教育課長……ユーリカー中佐を士官学校の教頭室に派遣されていらっしゃいますよね?」


(なっ!なぜそれを知っている!?)


驚いたデヴォン少将は咄嗟に後方の席に居るはずの……被告人の方へ振り向いた。彼なりに……この「教育課長派遣」を検察側へ供述したのは、この情報課長であると判断した為である。


 デヴォン少将自身は、つい先程までこの法廷で「教育課長を派遣した」相手である士官学校教頭のアガサ大佐が弁護側証人として自分と同じくこの法廷に召喚されていた事実を知らない。逆にアガサ大佐にしても、自分の後に教育部長が同じく証人として召喚されている事を知らないのである。


何しろ、「法廷への召喚の事実を家族にも知らせてはならない」と召喚令状に明記されているので、当然ながら証人同士で示し合わす事など不可能である。今回の法廷で、彼等は被告人では無いのだ。そのまま大人しく規則を守って「1人の証人」としての義務を果たせば、一応はその場において「罪には問われない」のである。


振り向いた教育部長の目に……項垂れていて表情の見えない被告人の背後に座る……巨躯の老人……軍務卿閣下の険しい視線がぶつかった。これほど間近でこの老人を目にしたのは……教育部長として親補を受け、王城での親補式を終えた足で軍務卿執務室に着任の挨拶に伺った時以来……2年振りの事である。


その時の軍務卿閣下……この老人は、自分の教育部長着任に全く関心を持ったような様子が無く、こちらの挨拶を受けて、形式的な訓示を返して来ただけであった。その時はまだ教育部長自身も、目の前の老人は


「自分達と共に昇進就任したエルダイス次官閣下の言いなりになっているお飾り」


としか思っていなかった。その軍務卿閣下がどうやら自分を含む次官を始めとした「歴代の教育部関係者」を根こそぎこの軍務省から放逐しようとしている……そして今、自分に向かって凄まじい負の感情を伴った視線をぶつけて来ている……。


 教育部長は慌ててその視線を外して前方に向き直った。次に視界に入ってきた裁判長……ヘルナー参謀総長の顔色も心なしか青褪めているように見える。気が付くと、法廷内全体がこれまで体験した事の無いような緊張感に包まれたピリピリしたものになっているように感じた。


思えばこのモンテ・デヴォンも、士官学生時代に……ヨハン・シエルグ教官が在籍していた頃の生徒の一人である。彼は同級生であった同じ男爵家嫡男であったゼダス・ロウとは違って戦技武術の授業は不得意であり、二回生進級と同時に槍術では無く弓術を選択したので、結局一回生時に何度かこの巨躯の槍技教官から授業を受けただけで、後の学生生活ではほぼ接点が無かった。


それでも一回生時に担当教官の時間割都合で少ない回数ながら直接その授業を受けたのだ。その時の教官の身体と声の大きさだけは覚えており……今では軍務卿となったその老人が本日の軍事法廷唯一の傍聴者として……法廷全体を険しい表情で睥睨(へいげい)しているのである。


どうやら裁判長を始めとする前方正面の判事達も、その威勢に圧倒されているのは明白であり……これまでの軍人生活で軍事法廷に足を踏み入れた経験の無かったデヴォン少将から見ても、この法廷の「雰囲気」は異常に思えた。


「どうなのですか?教頭室への教育課長派遣を指示された事は事実なのでしょうか?」


相変わらず慇懃な態度ではあるが、徐々に言葉の節々がキツくなってきた検察官の問いに対して


「はい……。部下である教育課長に士官学校への確認を命じました……」


「教育課長……ユーリカー中佐を士官学校へと派遣した目的をお聞かせ頂いても宜しいでしょうか?」


「それは……きょ、教育行政上の件で……」


「教育行政上……?具体的にお聞かせ願えませんか?」


「教育部の専権事項に係わる事でありますので……」


この期に及んで証言を拒否する態度を見せる教育部長にアラム検察官は苛立ちを隠す事をせず


「裁判長!この証言拒否においては正当な理由に当て嵌まるとは思えません。証言の続行を要求致します」


 裁判官席に向き直った検察官は、裁判長に証言続行を促すように要求を行った。突然の要求に対して、まだ動揺の納まっていなかったヘルナー裁判長ではあるが


「検察側の要求を是とする。証人は証言を拒否する理由を述べなさい」


これまでは階級が下の検察官からの質問であったが、今度は二階級上の……しかも参謀総長閣下からの要求である。教育部長のこの要求を疎かにするわけにもいかず


「只今申し上げました通り……教育部が専権を有する教育行政に係わる事柄……理由によって教育課長を士官学校経営要員であるアガサ教頭に対し派遣を実施致しました。従ってその内容についてお話申し上げる事は……」

「裁判長っ!改めて申し上げます!証人の仰る『教育行政に係わる事柄』というものが証言拒否の正当なる理由に該当するとは思えません。現時点において証人ご自身が訴追を受けるような状況になっておりませんし、証言が証人に対しての不利益となる恐れが認められない限り、証人には証言拒否権が認められないと小官は考えます」


教育部長の弁明に覆い被せるかのように強い口調で検察官は証言拒否権の適用を否定する意見を述べた。確かに「今の時点においては」教育部長に対して何ら訴追が行われるような状況になっていないのである。


 ヘルナー裁判長は、正面に立つ証人と、被告人を挟み……更にその向こう側から殺気すら伴った視線を浴びせて来ている軍務卿の「標的」が……今目の前で証言を躊躇している教育部長ではないかと気付き始めた。


何しろ自分……と左側に座る第九師団長は、()()()()籤引きによって本日の法廷における判事役を務めているだけであり、そもそも軍務卿から怒りや恨みを買っているわけでは無いし、その覚えも無い。


すると、この明敏な参謀総長の脳内には「なぜ軍務卿閣下が慣例を破って軍法会議の傍聴に現れたのか」という疑問が生じて来た。現職就任4年目となる参謀総長はこの地位に就いてから、既に200件を超える軍事法廷において裁判長を務め、その前職である王都防衛軍参謀長時代にも次席判事として100件程度の出廷実績を持っている。当然ではあるが、その間……軍務卿閣下が傍聴に訪れたという話は聞いた事が無いし、実際に自身が出廷している裁判に軍務卿が現れた事など一度たりとも無かった。


そんな軍法会議どころか……軍務省の上級幹部による定例会議にも殆ど現れない、就任以来……勤務時間の殆どを自室に引き籠って過ごしている軍務卿閣下が今……目の前でこちらの「方角」に向かって、嘗て見た事の無いような厳しい視線を注いで来ている……。


これはもう……その標的は弁護側と検察側がそれぞれ指名して自分に召喚状の署名をさせた2人……先程の士官学校教頭と、今軍務卿と自分の間に立っている教育部長……彼等であろう事は少し考えれば解る事である。


しかし今の今まで裁判長と次席判事は、こちら側に注がれてくる軍務卿の視線の厳しさに怯み過ぎて、そのような「事情」を考える事すら覚束なかったのだ。


(これは……軍務卿閣下はこの証人達を観に来ている……何を……何を()()()()()んだ……この法廷は検察側と弁護側が裏で繋がっている……。軍務卿閣下を介して繋がっているとしか思えん……。この裁判は……背後にどのような事情を抱えているのか……)


レッケル第九師団長はともかく、ヘルナー参謀総長は一応……軍務省に属する一部局である「参謀本部」の長であり、更にはその参謀畑一筋という軍歴である為に、国内各部隊と同様に軍務省内の事情にも多少は通じている。よって今の軍務省が「教育部出身者によって上層部が壟断されている」という事実も弁えている。


しかし今回の裁判の内容だけで、例えそこに召喚されている証人が2人とも「教育関係者」であろうが、それが直ちに「教育族に関係する」案件であるとは想像出来なかった。


(とっ、とにかく……ここはこの、証言を渋っている教育部長には検察側の要求通り吐き出して貰おうか)


つまりは裁判長が傍聴人である軍務卿に忖度するという……異常事態が起きた。


「検察側の申し立てを認める。証人は宣誓書の内容に沿って要求通り質問に誠実に答えなさい」


 裁判長の決定に対して他の判事も異論を挟む事も無かった。この裁判長の命令を受けた証人は衝撃を受けた表情となり、誰にも聞こえないような独り言で口をパクパクとさせながらも、証言を続けた。


「教育課長……ユーリカー中佐を士官学校に派遣した理由は……教頭に対して『確認』を採る為でした……」


「確認?何の確認ですか?」


検察官がすかさず問い詰める。最早「抽象的な証言は許さない」と言わんばかりの姿勢だ。


「きょ、教頭に対して学校長殿の意見は『士官学校側の総意なのか』という確認です……」


「つまり……ユーリカー中佐を士官学校に遣わして、教頭であるアガサ大佐に圧力を掛けたのですね?」


「あっ、圧力などと……とんでもない……か、確認です……確認。あくまでも学校長殿の独断による意見具申なのかという確認です……」


「なるほど。まぁいいでしょう。それで……?その『確認』の結果はどうだったのですか?」


この法廷内に居る者で当の証人を除く全ての者がその「確認」の結果を「確認された当人」の証言によって既に知っている。検察官は、わざわざこの質問を挟む事で……先程の弁護側証人が行った証言の「裏取り」をしたのだ。


「きょ、教頭の返答は……『自分は全く与り知らぬ』というものでした……。先程の意見具申はどうやら……主任教官……マーズ少佐が士官学校長殿を焚き付けた行動の結果であると……私は認識したのです」


 この「裏取り」によって、弁護側証人の行動、言動と検察側証人の()()が裏付けられてしまった事実に気付く事無く、教育部長は自身の考えを交えて証言を行った。


「今、閣下が仰られたマーズ少佐……彼がどのような経歴を持つ人物であるかはご存知ですか?」


「マーズ少佐は……ヴァルフェリウス公爵閣下のご次男で……」


「それだけですか?」


「いや……北部方面軍にて国境警備のご経験をお持ちで……」


「他には?」


「その……『北部軍の鬼公子』などという異名を持つ優れた指揮官であったと……聞いております」


「なるほど。『あの方』の経歴については一通り認識されていらっしゃるようですね。ではその『優れた実戦指揮官』であったマーズ少佐がその経験に基いて士官学校の授業内容に意見を具申する……これはむしろ士官教育現場にとって有益な事なのではないですか?」


 検察官の質問はまたしてもこの法廷で争われる内容から大きく逸脱し始めている。しかし本来はそれを指摘して進路修正を図るべき役割を持つ判事一同や弁護側からも全く「異議あり」の声が挙がらないのである。


どうやら裁判長も「軍務卿閣下のご存念」に沿う形で腹を括ったようだ。よもや定年まで残り半年を切ったこの時に、このような「軍部の歴史に残りそうな裁判」において判事役を務めるとは本人も思っていなかったであろう。


「マーズ少佐の驍名については私も心得ております。しかし……学校長殿が申された『士官学校の授業』に懸かる事案については我が教育部の専権事項であります。……それが士官教育において有益か否かは当方にて判断する事。いくら前第四艦隊司令官、そして公爵家の御曹司にして北部軍の勇者であろうと……この越権を許してしまっては……軍部内の秩序統制に対する綻びとなりましょう」


こちらも何やら腹を括った感のある教育部長は、意外にも強い声で検察官に反論するかのように自らの意見を述べた。こちらも「検察側証人」としての範疇を超えた発言である。


「それではお伺い致します。只今の仰り様によれば……現在の士官学校にて実施されている授業につきましても『その内容に教育部が責任を持つ』と解釈させて頂く事になりますが……間違いはございませんか?」


検察官が冷静に指摘する。


「せ、責任……とは?」


「士官学校における教育方針……その授業内容の決定に教育部が専権を以て当たられるのであれば、その責任も教育部が全て負う……これは当然の論理であると小官は考えますがいかがでしょうか?」


「責任……教育方針における責任……ま、まぁ……確かに……そう言った責任も含めて士官教育に対しては教育部が管轄していると言えるでしょうな」


「教育部の責任」という話を教育部長は肯定してしまったのである。検察官は更に畳み掛けるように


「過去の教育方針や授業内容に関してもそれは……当時の教育部の責任という解釈で宜しいでしょうね?教育部というのは士官教育全般を管轄されていると……閣下はそのように仰られましたが」


「そ、それは……」


「小官の意見に何かおかしな部分がございますか?それとも過去の問題も全て今の教育部……具体的には閣下を始めとする今の教育部の方々が責任を負われるのですか?」


「い、いや……」


「閣下。お答え頂けませんでしょうか?責任の所在はハッキリとさせませんと……権限ばかりを主張されて、責任については曖昧にされるというのは、それこそ閣下が先程仰られた秩序統制に係わる事になりませんか?」


階級が上の証人に対して検察官の容赦の無い追及は傍から見て異様に映ったかもしれないが、相変わらず法廷内の他の者からそれを掣肘するような申し立ては起きない。教育部長は完全に追い詰められた恰好になり……


「いかにも……王国軍の教育行政に対して一切の責任を伴う権利を保持する機関こそが軍務省教育部である……と私は考えるものであります」


遂に決定的な発言に至ってしまった。この文言を言質として教育部長の口から吐かせるのが今回出廷している3人の法務官……と、傍聴席に座る軍務卿の目的だったのである。


 デヴォン少将は……アラム検察官に、やや挑発されたきらいはあるが……「近現代に変質した士官学校の戦技教育の影響で新任官少尉の戦死病数が激増している」という事象において歴代の教育部関係者に責任が帰結するという検察官の主張を肯定してしまったのである。


言うまでも無く、今の教育部長の発言は法廷書記官によって「公的な発言」として記録され、後日……この件を争うような裁判が開廷された場合、重要な証拠として適用される事になる。これによって軍務卿側に与する者達に突き付けられていた「あの数字」が……「教育族の責任」へと転化されて行くのであった。


「教育部が責任を伴って教育行政を司る権限を有している事については、今の閣下のお言葉によって結論付けられたと小官も認めさせて頂きます。ではそれを踏まえた上で、本件の核心部分の一つである被告人の服務規定違反についてお尋ね致します」


検察官の口調は最早「申し訳程度」のものになっており、検察側証人として本法廷に召喚した手前……一応は審理内容に対しても証言を求めるという「アリバイ」のような質問に入った。


 証人であるデヴォン教育部長は今の今まで続いていた、客観的に何か「理不尽さ」を感じる「教育部の責任論」に対して意見を求められていた雰囲気から一転して当初の予定である「情報課長の服務規定違反」についての質問に切り替わったので、寧ろホッとした表情となった。


「今回の被告人である情報課長が捜査員を動員して、先程からお名前が出ている一部の士官学校関係者に対する監視任務を命じられたのは閣下……あなたですか?」


「とっ……とんでもない!それこそ今も話した事の繰り返しになるが『情報部の専権』でしょう?何故、部外者である私がそのような命令が出せるのですか!」


「なるほど……あなたが命じたわけでは無いのですね?それでも被告人から報告は受けていたわけですよね?」


「ええ……まぁ」


「報告は被告人が直接、閣下の下へ?」


「はい……そうですな……」


「閣下の側からその報告を求めたのですか?」


「いやいや!私からはそのような要求を行った事は一度たりとて無い!彼の方から勝手に報告を持って来たのだ……確か……教頭にそのような指示を受けたとか……」


「なるほど。閣下に報告を上げるように指示したのは士官学校教頭のアガサ大佐であると。そういう事ですね?」


「そっ、そうだ」


「しかし教頭がそのような指示を被告人に出した動機として……閣下が教育課長に命じて行った『教頭への確認』が切っ掛けとなった……そうは思えませんか?」


「まっ……まさか……。そんなわけないでしょう。私はあくまでも教育部の専権事項に係わる事として『士官学校の総意』を確認したまで……。それを受けて『あの教頭』が勝手に先走っただけだと……私は思います」


「先」の全く見えていない教育部長は、「目先の責任」をアガサ大佐に転嫁するのに必死だ。「軍務卿閣下の狙い……教育族の放逐」を知っている彼は、彼なりに「自身の行動に瑕疵が付く」事を極度に恐れる余り……肝心な部分において致命的な証言を残してしまっている事に気付いていないのである。


「なるほど。それでは小官……検察側からの質問は以上とさせて頂きます。閣下。証人尋問とは言え、数々の失礼の段、どうかお赦し下さい」


最後は笑みさえ浮かべて頭を下げる検察官に対して、教育部長は「あ……うむ……」と曖昧に返事をした。


「では……弁護側に反対尋問を許可する」


 検察官の尋問終了宣言を受け、ヘルナー裁判長は弁護側席へと目を向けた。


「裁判長。弁護側からの質問はございません」


ロウ弁護官は、アッサリと検察側証人に対する尋問権を放棄した。「彼ら」の目的は既に達せられている。もしこれが……アラム検察官の質問に対して教育部長が「のらりくらり」と責任論を回避していた場合は、弁護側の尋問で追い詰める……という「二段構え」の布陣で臨んでいたのだが、あの教育部長は士官学校同期のロウ弁護官が思っていたよりも無能だったのか……検察官の挑発にアッサリと乗ってしまい、核心的な言質を漏らしてしまったのである。


おかげでロウ弁護官としては嘗ての士官学校同期生に法廷の席で証人とは言え……尋問を行うという「気の進まない役回り」を演じずに済んで、心中でホッとしていた。


「宜しい。では検察側証人への尋問を終了する。証人は退廷しなさい」


それを聞いたデヴォン少将は、明らかな安堵の表情を浮かべて……裁判官席側に対して軽く会釈を行った後、護送憲兵に前後を挟まれるような形で法廷室の前側の扉から退廷して行った。


「それでは弁護人から被告人に対しての質問を許可する」


「はっ」


 ロウ弁護官が起立するのと同時に、被告人の両脇に控えていた憲兵が被告人を立ち上がらせて証言台まで移動させた。


弁護官から被告人に対して、主に今回の服務規定に抵触する行動に至った理由や、当時の細かい状況についての質問がいくつかされ、以前からの打合せ通り……被告人はその質問に対しては可能な限り明瞭に回答した。

ロウ弁護官も「被告人の弁護を担当する者」として、この点だけは誠実に被告人に助言をし……彼の情状酌量を得る為に彼なりに精一杯務めた。


続いて、検察側からも被告人にいくつか……主に被告人が前職である情報捜査1係長時代の事を何点か質問され、それにも被告人は落ち着いた態度で答えた。ここまでこの法廷の様子を被告席から黙って見て来たイゴル・ナラには、この裁判が……自分が犯した罪状によってどれだけ多くの「大物たち」に影響を及ぼしたのか、それを思い知らされて……最早諦観の域に達していたのだ。


 裁判も大詰めとなり、いよいよ裁判長から検察官に対して


「それでは検察側の論告を行うように」


という指示が下った。検察側の論告……つまり検察側からの求刑である。


それを受けたアラム検察官は「はい……」と静かに立ち上がり……


「それでは申し上げます……。今回の審理の対象となった被告人による服務規定違反……つまりは『承認権者である情報部長に承認を受けず、独断による捜査権の発令』につきましては、過去の法廷記録には3件……前例があります。更には現行の規定が制定される切っ掛けとなった『レアン公の一件』を始めとして、建国以来……王国軍に軍務省が設置され、更には情報部局が創設されてより後……情報部は何度も同じような過ちを繰り返しては時の軍秩序を混乱に陥れ、その都度王国軍の権威に汚点を残して参りました」


アラム法務官は嘗ての同級生に目を向ける事無く……手許の論告メモを読み上げるような姿勢になっており、やはりそこは「同級生に極刑を求めなければならない」という法務官としての葛藤と戦っているような印象を与え、それとは逆に被告人のナラ中佐は……そんな同級生を真っ直ぐに見ている。


「これまでの証人への尋問に対する証言、そして被告人自身からの供述により、本件が決して『被告人の身勝手さから来る虞犯』では無いにしろ……幾度と無く繰り返されて来た同様の行為。そしてそれによって生じる多大なる損害を鑑み……後世に悪例を残す事は許される事ではありません。よって検察側は被告人に対し……極刑を以って臨まれる事を求めます……」


そこまで言って、検察官は自席に腰を下ろした。今回の被告人は……その犯した行為は過去の判例に従えば死刑に値するものであるが……言わば教育族駆逐の為に捧げられた「生贄」とも言える。アラム検察官は心中でそのように嘆じた。


「では弁護側に最後の弁論機会を与える」


「はっ」


ロウ弁護官が立ち上がり


「弁護側からの意見を述べさせて頂きます。この期に及んで……被告人の無罪を主張しようとは思いません……。思いませんが……今回の件、総論的に見て被告人の虞犯は『弱い立場』として部外者から理不尽な要求を受けた末の行為であり、事前の情報も少なく、その事情も完全には弁えておらぬままに違反を犯す結果となった事……」


「そしてこれも詮無き事ではございますが、被告人は今回の服務規定に対してそれ程罪深い行為であると認識していなかった事……過去の判例において多数の極刑に至っている事実をもっと認識していれば、今回の虞犯に及ぶ事は無かった……そのように思えます。ここでこの被告を極刑を以って裁くのであれば、被告に対する立場を利用して、今回の虞犯に至らしめた『者達』にも等しく文明国家の制裁を加えるべきであると……小官は愚考致す所存でございます」


「最後に……。過去の判例におきましては明らかなる刑の確定が見込まれますが……敢えて……判事諸兄による寛恕を願う次第であります」


 そこまで意見を述べて裁判官席に対して一礼したロウ弁護官は静かに席に着いた。その様子を見ていた被告人は俯いたまま涙をポロポロと零しながら


「弁護官殿……ありがとうございました……」


と声を震わせて礼を言った。この不規則発言は咎められる事も無く


「では、最後に被告人は何か言いたい事はあるか?あれば発言を許可する」


裁判長からの問いに対して被告人は俯いたままで


「ございません……。これ以上、小官から申し上げる事は何もございません……。どのような結果になろうとも……甘んじてそれを受け入れます……」


肩を震わせながら掠れた声で答えた。


「宜しい。それではこれより判事による評決を行う為、暫時休廷とする」


レインズ王国の軍法会議……軍事法廷は即日判決が原則である。それが例え……「死刑判決」になろうともだ。


 3人の判事のうち上級判事の2人は、法務官では無い「ただの軍高官」である。法理に対してそれほどの知識を持ち合わせていない事が多いので、基本的には「判例至上主義」である。第三席に就く法務官が務める判事は、言わば「判事補」という性格が強く、当該裁判の罪状に対する過去の判例を説明したり……審理内容を一通り観察した上で何か酌量余地が認められた場合は、それを指摘したりして上級判事の判断材料を提供する……という役割に徹する事が多い。


「率直に言おう。今回の裁判は普通とは違う。このまま判例に沿って被告人に『死刑』を言い渡していいのだろうか」


裁判官席から直接出入り出来る別室である「評決室」において机を囲んだ3人の判事のうち、裁判長であるヘルナー参謀総長がまずは口を開いた。


「小官も総長殿の意見に同意します。検察、弁護側双方の動きが普通ではありませんでした。それに……軍務卿閣下がいらっしゃるとは……」


第九師団長もそれを首肯する。


「それだ。私もまさかシエルグ卿がこのような法廷の場に姿を現すなどとは思いもよらなかった。しかも終始、両方の証人に対して厳しい目を向けておられた。検察官と弁護官も、被告人の存在を脇に置いて……証人に対する尋問に重きを置いていた印象を受けた……。トカラ君は何か知っているのではないか?」


 裁判長から発言を求められた、この場で唯一の法務官であるトカラ判事は


「総長閣下の仰る件につきましては私から何も申し上げる事はございません。判決に対して意見をお求めであるならば……『過去の判例を尊重する』事を進言させて頂きます」


「つまりは……あの被告人に『死刑』を言い渡せと?」


「お二人のお手許に配布されていた、今回の裁判資料の中に……現行制度の『前』についての記述が不足しております。お二人はこの……情報部の内部規定が制定される嚆矢となった『事件』についてご存知でしょうか?」


 トカラ判事の態度は淡々としている。彼女はある意味……今回、一連の出来事に対して……最も「教育族」に対して憎悪の念を抱いている法務官と言っても良い。

法務官という立場において、「私情を挟む」という事は最も戒められるものであるが……彼女は愛する次男を若くして北方で喪い……残された血縁家族の紐帯も破壊されてしまった。彼女にとって、今回の服務規定違反に至る全ての関係者は憎悪の対象でしか無いのだ。


「いや……この服務規定が作られる前の話かね?何時の話なのだ?」


やはり軍法の歴史に対して知識の及ばない参謀総長の問いにトカラ判事は無表情で答えた。


「この規定……情報課長が捜査権を濫用した際の処罰規定が現行の形で制定されたのは約700年前になります」


「そっ、そんな前に作られた規則なのか!?」


第九師団長が驚きの声を上げた。


「はい。そして700年前に何が起きたのか……お二人はご存知ですか?」


「い、いや……700年という数字を今初めて知ったのだ。それ以上の事を知っているわけが無いだろう?それともあれか……?士官学校時代に歴史の授業で習っているのかな?」


 苦笑混じりに冗談めかして言う参謀総長に対して、トカラ判事はそれでも務めて表情を消しながら


「それではご説明申し上げます。700年前にも時の情報課長が捜査権を濫用した結果……この軍務省は上から下まで()()に所属する者全てが……皆殺しにされるところだったのですよ」


「なっ!?」


数秒前まで苦笑を浮かべていた参謀総長はトカラ判事の話を聞いて表情が固まってしまった。


「全て……皆殺しだと……!?」


第九師団長も衝撃を隠せない様子だ。


「み、皆殺しとは……上から下までとは……つまり……?」


「言うまでもありませんわ。上は当時の軍務卿。下はまぁ……受付の伝令兵や門衛に就いている一憲兵に至る……全てですわ。もしその時代に我々が生まれていて、今と同じ職位階級でいるならば……当然私達も『消されていた』でしょうね」


「どっ、どういう事かね!?」


「今回の捜査権濫用の対象となったのは……士官学校の関係者でした。当時の……愚かな情報課長がやはり同じようにして嗅ぎ回ったのは……レアン公……。『黒い公爵さま』に対してだったのです」


「なっ……!?ばっ、バカな!?そっ、それは……事実……なのか?」


「このような場で冗談を申し上げている場合ではありませんわ。事実です。国立図書館にも文献が残されております。勿論……この軍務省にもです」


「この軍務省は700年前……。怒れるレアン公によって愚かな情報課長への『連帯責任』を取らされそうになったのですよ。当時の国王陛下(最高司令官閣下)……ヴェテル陛下の執り成しがあり、辛うじて赦されたのです。まぁ……元凶であった情報課長はその一族全てがこの世から根絶やしにされたそうですが……」


「ね、根絶やし……つまりは……皆殺しか……黒い公爵さまによって……」


第九師団長は身震いした。


「今のこの服務規定は……そのような大事件を乗り越えた先達が、公爵様に対する贖罪の意味も含め……二度とこのような愚かな行為を起こさせないように極刑とする事で以後の情報課長に対して『抑止力』としたのですよ。それでもこれまで3人が再び違反を犯して例外無く極刑に処されておりますが」


「私が思うに……恐らくは過去の同違反による軍法会議においても、時の裁判長殿にはこの判例に記された量刑が重過ぎると意見を申される方もいらしたのではないでしょうか。そしてその都度……私のような過去の事情を知る者がご説明申し上げて……極刑を維持されているのだと思いますわ……」


今回図らずもその「役回り」を引き受ける事になってしまったトカラ判事は初めて表情を崩し……悲しそうな様子で説明を終えた。


「そうか……なるほど。解った。よく解った。ここで我々が過去の判例を覆してしまった場合……後世に現れる『次の黒い公爵さま』に対して顔向けが出来ない……そう言う事だな?」


 本来は非常に頭の回る明敏な参謀総長が漸く得心したという表情となり……法務官に確認した。


「漸くご理解頂けましたか。私個人も本来であれば人死にも出ていないこのような案件で被告人に極刑を言い渡すのは当たり前ですが気が進みません。しかし極刑にしなければ……後世に大きな禍根を残してしまうのです」


尚も哀しい表情で非情な決断を告げるトカラ判事の話を聞いた2人の上級判事は


「そういう事情があるならば……私は死刑を支持する」


大きく溜息を吐き出したヘルナー裁判長がまず評決に対して死刑を投じた。


「小官も死刑判決を支持します」


レッケル判事も死刑に票を投じ、これによってイゴル・ナラ情報課長に死刑判決が下る事が決まった。


「お二方のご理解……感謝致します。そしてこのような重大なご判断を強いてしまった事に対して……法務官としてお詫び申し上げます」


トカラ判事は席を立って上級判事二人に対して深々と頭を下げた。


「何を言うのだ。トカラ少将……いや法務官殿のおかげで私は後世に対して大恥を掻かずに済む。こちらこそ礼を言う」


「小官も同感です。やはり軍務卿閣下は今の話をご存知なのでしょうか……?」


第九師団長の疑問に対して


「恐らくはご存知かと思います。閣下は最近……軍の書庫に遺されている文献に対して相当に目を通されているご様子ですので……」


「そ、そうであったか……」


上級判事達はそれぞれ……後世はともかく、軍務卿の見守る法廷において私情に流されて重大なミスを犯す愚を避けられた事に安堵していた。


****


「それでは審理を再開する。被告人は証言台に移動せよ」


「は……はい……」


 イゴル・ナラは憲兵に促される事無く、自ら席から立ち上り……意外にもしっかりとした足取りで中央の証言台に移動した。


「判決を言い渡す。主文……被告を死刑に処する。(いにしえ)に定めし重罪を犯した事。その行為によって王国軍内における権威秩序の破壊に瀕せしめた事。情報部局の信頼を著しく失墜させた事。以上を鑑み……過去の判例に従い……後世への……」


主文と判決理由が読み上げられている間……被告人は項垂れたままであった。検察官席に座るアラム検察官は顔色こそ悪くなっていたが、それでも判決理由を読み続ける裁判長を真っ直ぐに見つめ、それは反対側の席に座っていたロウ弁護官も同様であった。


(おのれ……無能な者どもよ……このバカ者にとって重すぎる量刑かもしれないが……()()にはきっとこれと同じ程の後悔を与えてやるわ……)


傍聴席に座る巨躯の老人だけが……項垂れる被告人の後ろ姿を炯々とした目で睨み据えていた。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ジェック・アラム

51歳。軍務省(法務局)法務部次長。陸軍大佐。法務官。

軍務省に所属する勅任法務官の一人で、主人公から、ネル家騒動の和解約定違反を問われる。

新任士官による悲劇の歴史を知り、軍務卿に協力して「教育族」一掃を目指す。

情報課長による服務規定違反を裁く法廷で検察官を務める。


ゼダス・ロウ

54歳。軍務省人事局人事部次長。陸軍大佐。法務官。男爵。

軍務省に所属する法務官。武芸に対して造詣が深いが、自らの腕前はそれ程でもない。

軍務卿や同僚法務官達と協力して「教育族」の放逐に力を貸す。

情報課長による服務規定違反を裁く法廷で被告人の弁護官を務める。


アミ・トカラ

56歳。軍務省施設局施設整備部長。陸軍少将。法務官。女性。

王国陸海軍の中では最上位の女性軍人であり法務官。本職が激務である為に法務官としての公務機会が少ない。

北部方面軍の新任仕官であった次男を匪賊討伐の実戦で喪くしている。

情報課長による服務規定違反を裁く法廷では第三席の判事を務める。


カイル・ヘルナー

59歳。王国軍参謀総長。陸軍大将。勲爵士。

王国軍制服組のトップ。幼少時から体が弱く、士官学校時代も実技成績が振るわなかったが、座学の成績が極めて良好であった為に卒業後は参謀本部で頭角を現す。用兵家と言うよりも兵站家としての才能を評価されている。

情報課長による服務規定違反を裁く法廷では裁判長を務める。


ヘレン・レッケル

54歳。王国陸軍第九師団長。陸軍中将。准男爵。

王都防衛軍にて第九師団を率いる将官。ヨハン・シエルグ卿の元部下。

情報課長による服務規定違反を裁く法廷で次席判事に指名される。


イゴル・ナラ

51歳。軍務省情報局情報部情報課長。陸軍中佐。

アガサ教頭の後任を勤める軍務官僚。前職は情報課隷下にある捜査1係長。

アガサ教頭からの依頼で改革派メンバーの校内での動静を、上司のヘダレスに無断で調査するが主人公に看破されてしまい、苦情を受けたアラムによって憲兵本部に拘留されてしまう。


ハイネル・アガサ

55歳。王立士官学校教頭。陸軍大佐。前職は軍務省情報局情報課長。

軍務官僚出身であるせいか、非常に保守的な「事勿れ主義」の発言が目立つ。

タレンの白兵戦技授業改革に反対の意を示し、以後は白兵戦技改革派の監視を行う。

前職の後任者である現情報課長へ改革派の監視を依頼し、彼が服務規定違反で検束されると裁判において弁護側証人として召喚される。


モンテ・デヴォン

54歳。軍務省人事局教育部部長。陸軍少将。男爵。

王立士官学校を管轄する部署の責任者である軍務官僚。

情報課長による服務規定違反を裁く法廷において検察側証人として召喚される。


ヨハン・シエルグ

65歳。第377代軍務卿(軍務卿就任に伴って侯爵叙任)。元陸軍大将。元王都防衛軍司令官。

軍務省の頂点に居る人物であるが、軍務省を動かしている軍官僚達を嫌悪している。

タレン一派の提唱する「白兵戦技授業改革」を耳にし、主人公の持つ技量を目にした事で「歪められてきた白兵戦技」の責任を教育族に取らす決意を固める。

若い頃に士官学校の白兵戦技(歩兵槍技)教官の経験があり、その頃から生徒に恐れられていた。

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