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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第四章 戦乱の大陸
104/129

軍法会議

久しぶりの投稿となります。


【作中の表記につきまして】


アラビア数字と漢数字の表記揺れについて……今後は可能な限りアラビア数字による表記を優先します。但し四字熟語等に含まれる漢数字表記についてはその限りではありません。


士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム(メートル)法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


作中世界で出回っている貨幣は三種類で

・主要通貨は銀貨

・補助貨幣として金貨と銅貨が存在

・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚


平均的な物価の指標としては

・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。

・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。

 3049年1月も最後の旬が明け……本日25日は軍務省本庁舎2階にある法務局内の「軍事法廷室」において軍法会議が集中的に開かれる。

近年の「慣例」では、余程の事が無い限り軍法会議は「毎旬1の日」に実施される事となっているが……この慣例が定着したのは法務部に残る記録で確認出来る限り、王国歴2348年の「デッケラ―宣言」に因むとされる。


この「デッケラ―」というのは当時その地位にあった第266代軍務卿、アレス・デッケラ―卿を起源としており、彼によって


「軍事司法権の行使は毎旬定むる日において一括実施すべし」


という省令が出されたのを機に軍法会議の開催は「毎旬1の日」に集約されるようになったと言う。


 なぜこのような軍務卿の宣言がなされる事に至ったかというと、この宣言の6年前に軍務省の情報部……厳密には情報課長の暴走によって「黒い公爵さま」を激怒させる事案が発生してしまい、怒れるレアン公(黒い公爵さま)によって全ての軍務省関係者が殄戮(てんりく)されそうになるという大事件が発生した。


結局、公爵閣下の「お怒り」は当時の91代ヴェテル王の懇請によって鎮まり、制裁は事件当事者である情報課長とその周辺に留まったが、当時既に高齢であった王はこの時の心労が祟ったのか、直後に退位を宣言して42年に及ぶ王位から退き、軍務卿であったアズヴェル侯爵も新王に任期の延長を打診されたが固辞し、翌年初に定年となって軍務省を去った。


アズウェル卿の後継となったブレサス卿が率いる軍務省は、「公爵さま」の怒りが一応は引っ込んだ直後から「綱紀の粛正」と称して省内はもとより、全国の軍内における軍人の虞犯行為を軽重を問わず重点的に摘発し始め、片っ端から軍法会議に掛けて処罰を下し始めた。

これは当然ながら「黒い公爵さまに対するポーズ」ではあったが、その当時は毎日のように国内各地で軍法会議が開廷され、これによって軍務省の業務機能が著しく停滞し、国防力の低下も懸念された。


 そこで任期を終えたブレサス卿に代わって新たに軍務卿に就任したデッケラ―卿は、行き過ぎた「遵法思想」に制動(ブレーキ)を掛ける目的で前述の宣言を発して軍法会議の開催そのものに制限を設けたのである。


尤も……デッケラ―卿をして、そのような行動に至らしめた理由はまた別にあり、彼自身が「法務官出身者」であったのだ。要は過労死寸前にまで追い込まれた「法務官の後輩達」に彼自身が「泣き付かれた」のである。


……経緯は兎も角、「軍法会議は毎旬1の日」という慣習が定着し、法務部はこの毎旬1の日の集中開廷に備えて、裁判準備を行うという業務を続けている。


 本日開廷が予定されている軍法会議のうち……午後の2番目に開かれるものについては省内においてかなり注目を浴びていた。


基本的に本省内で実施される軍法会議の内容は前旬4の日には本庁舎1階の受付横にある大掲示板に、ある程度の詳細が掲示される事になっている。毎旬……平均すると概ね5~7件程度の軍法会議が開かれており、午前は多くて3件、午後も多くて4件程度。平均すると審議時間は40分前後である。


しかし1月25日の午後の審理は2件だけになっており、その中でも2件目の法廷は「14時開始」とだけ説明がされていた。そしてその後の開廷予定が掲示されていないので、この「2件目」には相当の時間が予め確保されている……という事になる。


理由は明白で、この「午後2件目の軍法会議」で被告となっているのは情報部の課長であり、軍法会議で本省勤務の課長職……佐官階級にある者が被告となるのは実に19年ぶりの事である。


軍法会議で尉官以上の階級にある者が被告となるのは珍しく、通常開かれている軍法会議で裁かれるのは兵士や下士官が軍内外で起こした騒動が多く……そもそも、軍法会議の対象となるのは軍法によって「罰金及び禁固刑以上」が規定されている事案に対するものである。


上官の判断によって「譴責」や重くても「謹慎」程度で済む案件であるならば、そもそもが軍法会議の開廷対象にはならない。兵や下士官が被告となるものについても営内における強盗や窃盗、傷害等が主で……一般市街地における軍属の犯罪は基本的に内務省の管轄となる。しかし、この部分の「線引き」はそれなりに難しく……


「街中の居酒屋で制服を着た軍人同士が騒乱を起こして死傷者が出た」などという場合は、基本的に護民兵が出動して内務省管轄で逮捕送検が実施されるが……この際の軍人側が武器を使用して抵抗する動きを見せた場合は憲兵の出動が要請され、軍法に照らし合わせた法的手続きが採られるようだ。


 レインズ王国軍内で、士官が色々と「やらかす」という事はそれなりに発生しているが、大体において……その「やらかし」が発覚したり立件されてしまう前に当事者は職を辞してしまう事が多いし、彼等も軍法会議の対象となるような「大きめのやらかし」は滅多に行わない。


法務部もこれまではこの「士官のやらかし」については無理に立件、起訴しても手続きが煩雑である為に、本人が辞職した時点で「不起訴」としてしまう事が多かった。また、今の軍務卿が「軍の外に聞こえが悪いような話を極力作るな」と「訓示」していたので、近年に限ってはその傾向に拍車が掛かっていたのだ。


しかし今回の「情報課長が起こした服務規定違反」は過去にも「死刑判決」が下っている重大案件であり、また法務官側、そして何よりこれまで「軍外への聞こえの悪い話」を何より嫌っていた軍務卿自身が開廷を強く望んでいたという事もあって「検察官」は起訴に踏み切ったのである。


 この時代……そもそも軍人軍属の犯罪を「裁判によって(あきら)かにする」という制度を確立している国家は非常に珍しく、他の先進的……と言われている国家においても、軍人犯罪に対する処罰は上官や権力者によって一方的に課せられる……というのが普通であった。それは権力者や上位者の権威を補強するものであったが、讒言等の冤罪を多く出してしまう欠点もあった。


そのような弊害を排する軍事司法権の確立は、やはり建国の昔に彼等「王国軍」を率いて大陸統一を果たした「黒き福音」が遺した「文明国家思想」の中に含まれていたのだ。


 本日14時から開廷される「軍務省情報局情報部情報課長の服務規定違反」に対する軍法会議を構成するのは、裁判長に王国軍参謀総長カイル・ヘルナー大将、次席判事は王都防衛軍第九師団長のヘレン・レッケル中将、もう一人の判事を軍務省施設局施設整備部長で法務官のアミ・トカラ少将が務める事になっており、裁判長と次席判事は本日開廷する全ての軍法会議を担当する。


残り1席の裁判官と検察官、弁護官を法務官が担当するのだが、彼らはその日の固定では無く「事件ごとに」被疑者の送検が実施されるタイミングで「籤引き」によって担当が決定する。2人の上級判事の担当も籤引きだが、これを実施するのは法務局長で、送検時における担当法務官の籤引きを実施するのは法務副局長の役目である。


なので……容疑者が送検された時点では検察官と弁護官には業務が発生するが、裁判官役を担当する法務官は検察官が容疑者を起訴しない限り「仕事」は発生しない。検察官が「これは起訴相当」と判断して起訴手続きを執り、容疑者が「被告人」へと身分を変えた時点で漸く裁判官の業務が発生する事になる。


 軍法会議は「部外者」の傍聴は認められておらず、会議自体は原則非公開である。しかし「例外規定」が存在し、被告人の上官は許可を申請して認められれば傍聴が可能だ。そして……最高司令官たる国王陛下と、その代理人である軍務卿については、許可の申請を必要とせず随意で全ての軍法会議の傍聴が可能となっている。


この日これまでに開かれた法廷は4件。午前中の3件はそれぞれ「新兵に対するいじめを行った下士官の処分」、「王都方面軍第十師団内で発生した物資の横領」と「近衛兵が駐屯地内の酒保で起こした窃盗」という内容であった。2件目の事件は参謀本部から派遣されていた主計士官が絡んでいたので、中々の大事だったのだが……皮肉な事に自身の管轄所属の士官が起こしたこの犯罪に対して、裁判長役の参謀総長は冷静に「禁固4年と罰金」を言い渡した。


ヘルナー参謀総長は59歳で、今年の6月に60歳となり定年を迎える。年少の頃から体が弱く、士官学校には首席で入学したが、戦技の成績で在学中を通して落第寸前で過ごした結果……軍務科7位、総合17位という席次で辛うじて卒業が叶った。


しかし、「体を動かす」教科以外の成績が抜群だったので軍務省は彼を軍官僚として迎えようとしたが、本人の希望で同じ軍務省所属でも参謀本部に任官した。その後は北部方面軍で参謀としてのキャリアをスタートし、王都方面軍、王都防衛軍へも派遣された。戦略や戦術の立案能力も高く評価されているが、少壮の頃はむしろ補給や補充、輸送などの「兵站参謀」として辣腕を振るった人物で、元北部方面軍司令官であるエッセル子爵が現役将校時代に、装備品の調達で揉めたという「王都から来た小生意気な参謀」とはまさに彼の事であった。


13時から開廷された午後1番目の軍法会議はやはり王都防衛軍内で起こった下士官による「新兵への過剰な()()()()()」が問題となった案件で、被告は37歳の歩兵隊に所属する曹長。長年に渡って新兵に対して「性的暴力」を加えていた事を被害者からの相談を受けた……昨年任官し立ての「新任少尉殿」に告発されたものであった。


その後の捜査によってこの曹長は下士官に昇格する前の兵長時代から数えて15年もの長きに渡って犯行を繰り返していた事が判明し、起訴処分を受けた。


ヘルナー裁判長が下した判決は「禁固3年の後に軍籍剥奪」というもので、この手の犯罪にしては()()()()重い処罰となった。この法廷で検察官を担当したトカラ少将が厳罰を主張したのが影響していると思われる。


この裁判が閉廷され、15分程度の休憩が挟まれた後……軍事法廷室に、また人が集まり始めた。前法廷で検察官を務めたトカラ少将が判事に転じ、検察官は法務部次長のジェック・アラム大佐、弁護官席には人事部次長のゼダス・ロウ大佐が着いた。今回の軍法会議には傍聴人として誰も申請を行わなかったらしく、一応5席設けられている傍聴席は無人であった。


本日既に4件の裁判をこなしているヘルナー裁判長が、多少疲労の見える顔で


「被告人を入廷させろ」


と命じると、法廷室の後ろ側のドアが開き……憲兵に両脇を抱えられた被告人である情報部情報課長のイゴル・ナラ中佐が現れた。ナラは長期に及ぶ拘留によって憔悴し切った様子であったが、両脇の憲兵はそのような事には斟酌する様子も無く無表情で彼を法廷の中央に設置されている被告人席へと誘導し、その椅子に被告人を座らせてから2人共に被告人の背後に立った。被告人が審理中に「おかしな行動」を採った際にそれを阻止する為である。


被告人の入廷と着席を確認してから、裁判長は対審の流れに従って人定質問から始める事にした。


「座ったままで良い。被告人の氏名と所属を言い給え」


暫くの沈黙の後に、被告人の口から


「小官はイゴル・ナラ。軍務省……情報局情報部……に所属しております」


「役職と階級は?」


「階級は陸軍中佐……情報課長として奉職しております……」


「宜しい。生年月日は2997年11月6日。士官学校卒業は3015年度で間違い無いかね?」


被告人はやや虚ろな目をしながら、裁判長の質問内容を頭の中で咀嚼して


「はい……間違いございません……」


と、小さな声で答えた。


 この被告人の様子を検察官席から見ていたアラム法務官は……裁判長が読み上げた「士官学校3015年度卒業」という一文が、同じ3015年度卒業である自分に対して読み上げられたような気分になり、改めて「同期生が目の前で裁かれる」……しかもそれは「死刑判決」を大いに含んだものである事実を嫌でも認識せざるを得なかった。


この目の前で蹌踉とした様子で辛うじて椅子に腰を下ろしている男と自分は士官学校の……しかも同じ軍務科というクラスで同期生……同級生であったが、学生時代は殆ど交流が無かった。そもそも、軍務科という学級は生徒同士の交流が他の学級に比べて活発では無いのが普通である。


実技科目授業が大幅に削られる反面、著しくレベルが上がる座学諸科の内容について行くのがやっとで、プライベートな時間も自宅や自室に閉じ籠って落第放校を回避する為に自習に励む必要があり、同級生との交流は相当に疎かになる。


 これが現法務局長のキレアス大将と同副局長のカノン中将のようにお互いが研鑽し合うような仲にでもなれば、その相乗効果で好成績に繋がる場合もあるが、大抵の場合は卒業後の任官後の出世競争を見据えてお互いが「級友」と言うよりも「ライバル」として認識し合ってしまう。


同じ陸軍科である「歩兵科」や「騎兵科」の場合は、任官先の範囲が各方面軍に及ぶので「軍中央か地方軍か」というような認識は存在するが、軍務科の場合は「軍務省」という狭い世界での競争となるので、その「少ない役職の椅子」を同期で争う……という図にどうしてもなってしまうのである。


「教育族の放逐」を目指す立場で、更には今回の法廷で検察官を担当する事になったアラム法務官の立場からすると、目の前に居る「同期生」に対して、結果的には過去の判例にも照らし合わせて「死刑」を求刑しなければならない。そして恐らくは判決もその求刑に沿う形になるだろう。


 人定質問が終わり、審理は罪状認否へと進んだ。


「軍務省情報局情報部情報課に所属する被告は、去る3048年11月18日の午後に現王立士官学校教頭で、被告の前任者であるハイネル・アガサ大佐から士官学校関係者の監視を依頼された際、部内の規定により管理者である情報部長の承認が必要であるにも関わらず、独断でこれを承諾した上で配下の捜査員7名に対して前述の関係者への監視任務を発令し、後に追加で6名の動員を再度管理者の承認を得ずに実施した。これに間違いは無いか?」


やや早口で訴状の内容を読み上げたヘルナー裁判長の質問に対し、ナラ中佐は俯き加減で


「は……はい……。間違い……ございません……」


と、あっさり自身への容疑を認めた。これは弁護官を務めるロウ大佐から


「貴官の罪状については最早争える余地が無い。素直に認めてしまった上で情状酌量を乞う形で進めた方が裁判官に対して悪印象を与えず、建設的である」


と言い含められていたからだ。今回の件については証拠も証言も……そして証人も揃ってしまっている。最早「白を切れる」状況では無いのだ。

そして法曹官の過半数を占める法務官達には、この裁判の結果の「先を」見据えている為に、この罪状認否で余計な争いはしたくない……それがロウ大佐の本音であった。


 被告が罪状をあっさり認めたので、裁判長は軽く頷きながらアラム法務官の方を見て


「では検察官から起訴の経緯を説明して貰おうか。宜しく頼む」


「はっ!」と応えながらアラム法務官は立ち上がり、今回の件についての経緯を説明し始めた。士官学校の内部で一部の関係者から発生した「戦技教育」に対する疑義についての経過が報告され、その過程において教頭からの「依頼」を受けた被告人が、独断で隷下の捜査員に「教頭と意見が対立している関係者」への監視行為を実施させた事を時系列を整理しながら説明を行い、最後に


「本件を被告人……情報課課長職にある者が捜査指揮権を私物化させた服務規定違反であるとして起訴に至ったものであります」


と締め括った。


「本件の起訴に当たっての物的証拠はありませんが、証人を複数用意しております」


「うむ。宜しい。では弁護側からは現時点で反論はあるのかね?」


アラム法務官が自席に座ったのと入れ違いに反対側の席に座っていたロウ大佐が立ち上がり


「罪状の認否について当方は争うつもりはありません」


と、あっさり認めてしまった。今回の件についてそもそも内情を全く知らない裁判長は面喰った様子で


「では……弁護人も被告人の有罪を認めると言うのかね?」


確認するかのように尋ねて来た。裁判長……ヘルナー参謀総長の手許には、当たり前だが裁判資料として「情報課長の服務規定違反」に対する過去の判例資料があり、その内容には


「同様の違反を犯した過去3名の被告人には死刑が求刑され、情状酌量の余地無く死刑判決が下っている」


と記されているのである。この事実を知ってか知らずか……目の前の被告人は罪状を認め、そして今……彼の弁護人すらもそれを覆そうとしない……。裁判長と、その右隣に座る次席判事が面喰うのも無理は無い。まるで被告人側は「死刑となるのは致し方ありません」と認めてしまっているように思えたからである。


「被告人の罪状につきましては最早争う余地はありませんが……。被告人が今回の服務規定違反に至るまでの過程における『責任の所在』だけは(あきら)かにする必要はあると具申致します」


「なるほど。つまり弁護人は本件に対する『共犯者』の存在を提示したいのかね?」


「いえ、被告人が情報部長に承認を受けずに捜査員を動員する事に至った経緯を明らかにしない限り、本件で検察側が提示された『起訴に対する根拠』には不足しているのではないかと……」


「裁判長っ!弁護側の主張は従前に認めた被告の罪状を一転させる発言ではないでしょうか?」


 アラム検察官がロウ弁護官の言葉尻を捕えてヘルナー裁判長に対して異議を申し立てると


「弁護人は先程の罪状認定を覆す意図があるのかね?」


裁判長も弁護官に改めて罪状の認否を問い直した。その表情には明らかに「面倒臭そうな」意志が見え隠れしている。


 裁判長の問いに対し、ロウ法務官は改めて


「繰り返し申し上げますが……本件の罪状認否に関しまして、小官からこれを覆すような申し立てを行う意図はございません。被告人も既に事件の全容解明に対して協力的な態度を示している今、服務規定に背く行動を採った背景を明らかにする事は『審理の前進』に大きく資するものと愚考致します」


力を込めて力説した。続けて……


「裁判長に申し上げます。今申し上げました『事件の全容解明』について関係性のある証人を当方は指名しております。願わくばこの人物に対する喚問を許可頂けますでしょうか」


「弁護人の申し立てを許可する。弁護側証人を入廷させなさい」


 ヘルナー裁判長の指示を受けて法務部所属の法廷伝令官が一旦退出し、2分程してから2人の憲兵によって「護衛」された弁護側証人を連れて戻って来た。言うまでもなくその「証人」とは1月20日の午前に弁護側証人として喚問令状を受け取った王立士官学校教頭であるハイネル・アガサ陸軍大佐である。


アガサ教頭は前後を護送憲兵に挟まれた格好で軍事法廷室に入室し、中の様子と雰囲気を感じて首を竦めながら弁護人側の席に着いた。その顔色は紙のように白く……被告人席で彼を見て驚愕の表情を浮かべている嘗ての部下とは視線を合わせる事も無く俯いている。


被告人であるイゴル・ナラは弁護官が「証人」として法廷内に呼び込んだ人物を見て前述のように驚愕の表情となった。彼自身は「自分を弁護する側の証人」として嘗ての上司……そして今回の件を自分に持ち込んで来た張本人がまさか召喚されているとは想像だにしていなかった。


 この王国の裁判審理において、証人の召喚については一切事前に情報が公開される事無く、その「事実」を認識しているのは、「呼び出す側の法曹官」本人と「呼び出される」本人のみである。召喚令状も今回の場合は通常の伝令による書類通知の形を採って「親展扱い」で行われ、令状の末文には


「本召喚の事実を余人に公開する事を禁じる」


と、明記されている。つまりこの出廷の直前まで、アガサ教頭は「1月25日の軍事法廷の証人として召喚されている」という事実を士官学校関係者はもちろん、家族にすら告げていない……はずである。

当然ながら被証言者となる被告人にもこの事実は伝えられていないので、ナラ中佐も証人として突然目の前にアガサ大佐が登場した事に驚いたのである。


「たっ……大佐殿……!」


被告人が驚きの余り思わず口にしたが、裁判長に「被告人は許可無く発言しないように」と注意され、慌てて口を噤んだ。そのやり取りと入れ違うかのようにロウ弁護官が挙手した上で


「証人に対する尋問実施を許可願います」


と裁判長に申し入れた。


「良かろう。証人は証言台へ立ち、『宣誓書』を朗読しなさい」


 裁判長の指示を受けて、証言台の位置をロウ弁護官から「事務的に」教わったアガサ大佐はノロノロとした動作で判事席、検察側席、弁護側席、そして被告人席の丁度中間……まさしく法廷室のど真ん中に設置されている証言台に移動し、入廷前に署名させられた宣誓書を読み上げた。


「良心に従い……真実を述べ……何事も隠す事無く……偽りを述べない事を誓います……」


読み上げられた宣誓書は、彼をここまで引率して来た職員が受け取って裁判長に提出された。


「それでは尋問を始めさせて頂きます」


ロウ弁護官は尋問の開始を宣言し、きびきびとした態度で証人に語り掛けた。


「証人の氏名と階級、所属を教えて下さい」


「……ハイネル・アガサ……。階級は大佐……現在の所属は王立士官学校にて……教頭職を……」


「貴官は王立士官学校教頭のハイネル・アガサ大佐で間違いありませんね?」


「は……はい……」


「昨年の11月18日の事についてお尋ねします」


「11月……?」


ロウ弁護官は自身の調書に目を通しながら


「11月18日の16時50分頃……貴官は本庁舎地下1階の情報部内にある被告人の執務室を訪れましたね?」


弁護官から突然、2カ月以上も前の日付と時間を読み上げられて始めは困惑の表情を見せたアガサ大佐は、「情報部のナラ課長の執務室を……」という問いを聞いた途端に面喰った表情に変わった。言うまでも無く……正確な日時は失念していたが、情報部を訪れた件には心当たりがあったからだ。


「訪れていますよね?あなた自身の前職でもある情報課長の執務室に被告人を訪ねた事実は、本省受付の面会申込み履歴にも残っておりましたし、当時情報部室に在室していた複数の情報部職員が記憶しておりましたが?」


「……は、はい……。た……確かに……日時は憶えておりませんが……ナラ課長に面会を申し込み……彼の部屋を訪問した記憶は……あります……」


アガサ大佐は()()()()()()になりつつも……情報課長の執務室を訪問した事実を認めた。


「被告人に面会を求めた目的を教えて頂けませんか?」


「そっ……それは……」


 証人はやにわに口を噤んだ。明らかに弁護官からの質問に対して回答を躊躇している。


そもそも……この法廷で俎上にされている「情報課長による服務規定違反」は「情報部長の承認無く捜査員の動員を発令した」行為であり、アガサ大佐の「情報部の部外者として依頼した」行為は服務規定に抵触しているわけでは無い。本来であればこのような依頼行為に対して情報課長職にある者は毅然とした態度でこれを拒絶しなければならないのだ。


したがって……アガサ大佐にとって、ロウ弁護官からの質問に対し……バカ正直に回答する事で自身が逆に罪に問われるという事は無いのだが、何しろ今回の件の背後には本省教育部関係者の関与もある。特にその線の先にはエルダイス軍務次官の存在がある為、どうしても回答を躊躇ってしまうのだ。


「どうなのですか?お答え頂けないのでしょうか?それならば回答頂けない理由をお聞かせ願えますか?」


ロウ弁護官の物言いは、一見するとまるで検察側の尋問のような錯覚を受けるが、これはあくまでも「被告人に対する情状酌量を引き出す」目的で実施している事であり……


「被告人が情実的に断れない依頼を受けた結果としての受動的行動」


であることを当の「依頼主」からの証言によって証明する……という名分が成立する為に検察側からも異議を唱えられる事では無いし、判事側からも注意を受けたりする事は無かった。


「回答を頂けないのであれば、私が被告人の供述と関係者からの証言から得られた内容で11月18日の出来事について述べさせて頂きます。私の陳述に相違があれば後程ご指摘下さい」


ロウ弁護官は、手元の資料に記されている内容を朗読し始めた。


「3038年11月18日16時40分頃、証人は本省1階の受付を訪れ、情報部情報課長のイゴル・ナラ中佐……つまり被告人に対して面会の申し入れを行っております。これは……先程もご説明申し上げました受付側の来訪履歴に記録が残されております」


「証人からの面会申し入れを受けた受付責任者のハドル少尉は伝令兵であるエノ一等兵に被面会者……つまりは被告人の事でございますが……に証人から面会申し入れがある旨を伝えた上で面会承諾の是非を確認してくるように命令し、エノ伝令兵は地下1階にある被告人の執務室を訪れ、被告人からの面会承諾を受けて受付に戻り、改めて証人を先導案内しております。この件についてはエノ一等兵から証言を得ております」


アガサ大佐の来訪時の状況を淡々と読み上げたロウ弁護官は更に朗読を続けた。


「エノ伝令兵に先導された証人は、地下1階の情報部室内に所在している被告人の執務室を訪れ、被告人自らの出迎えを受けております。情報部の受付にある部外者の来訪履歴に、16時48分に証人が入室した記録が残されておりました」


「また、被告人の執務室へと向かう道程で情報部の複数の職員が証人を目撃しております。証人の前職は情報部情報課長……つまり被告人の前任者であり、情報部の職員の大半とは当然ながら面識があるわけです」


「以上をもちまして、証人が被告人の執務室を前述の日時に訪れている事実について申し述べさせて頂きました。証人は今の内容に何か相違点があれば申し出て頂きたいのですが……ございますか?」


ロウ弁護官は極めて事務的な表情でアガサ大佐に尋ねた。問われた証人は顔色を悪くしたまま、暫く沈黙していたが、やがて小さく震えた声で


「ま……間違いございません……。その日付は……失念しておりますが……ナラ課長の部屋を訪れた事は間違いありません……」


その内容を認めた。


「証人からも事実の確認が頂けましたので尋問を進めさせて頂きます。証人は被告人の執務室を訪れた際に被告人に『ある依頼』をされていますね?その内容を教えて頂けませんか?」


ロウ弁護官は、本件の核心的な部分に対して、回り道をする事無くズバリと斬り込んで来た。アガサ大佐はその質問を受けて驚いた表情を見せ、後ろを振り向いて被告人にチラリと視線を送った。


 嘗ての上官から探るような視線を受けたナラ中佐は被告人席で俯いたままになっている。


(ど……どこまで「内容」が知られているのか……。ナラは既に「あの時の話」をこの弁護人に……いや、検察側の取り調べでも話してしまっているのか……?)


項垂(うなだ)れている為に、その表情が全く読めない被告人から視線を戻したアガサ大佐は、頭の中で激しく思考を巡らせた。彼も一応は前任者として情報課長職に奉職していた事から、自分の行った事……いや、それを受けたナラ課長の行動は情報部の服務規定に抵触している事を弁えている。彼自身も情報課長へと昇格した際に、その前任者であった年少後輩の上官……ヴェライス・デルド情報部次長から、かなり厳しめにその説明を受けていたからだ。


お互い反目し合っていた前任者からの申し送りであった為に、熱心に耳を傾けた……とはとても言えないが、その内容は内容だけに、当時の「アガサ情報課長」も


「情報部長に無断で捜査職員の動員を発令するのは厳禁である」


という部内の規定については当然認識はしていたのだ。それを知った上で……敢えて後任のナラ課長に「士官学校関係者の監視」を依頼した手前……アガサ大佐は弁護官からの質問に応えるのを躊躇わざるを得なかった。


何しろ、前述の「服務規定」の存在を知らない「全くの部外者」として依頼を出したならともかく……その規定を熟知した「前任者」として依頼したという事実は、当然ながら目の前の裁判官席に座っている3人の判事に著しく悪印象を与える……そう思ったのだ。例えその行為自体が「罪に問われる事が無い」にしてもだ。


当然ながらこの裁判において「その行動」が明るみに出た場合……現職退任後の彼への評価に大きく影響を及ぼす……アガサ大佐は咄嗟にそこまで考えが及び、弁護官への回答が詰まってしまったのだ。


「どうされましたか?小官の質問にお答え頂く事は叶わないのでしょうか?」


淡々と確認するかのように問いを繰り返す弁護官の声が、心無しか厳しくなったように思えた。


「そっ……それは……」


「ご自身でお答えするのが憚られる……と仰るならば、再び小官が代述させて頂きますが宜しいでしょうか?」


「なっ……!?」


アガサ大佐は目を大きく見開いた。どうやら……この弁護官は事実を全て把握している……ナラは全てを話しているのか……彼はガックリと肩を落としながら


「い、いえ……申し上げます……」


最早沈黙していても逃れる事は難しいと観念したのか……「あの日」の出来事を供述……証言し始めた。


「先程も申し上げましたが……日時は憶えておりません……。小官はナラ課長の部屋を訪れ、弁護官殿が仰られたように、彼へ『ある依頼』を致しました。それは……現在小官が奉職している王立士官学校に所属する『特定の方々』を……情報部にて調べてくれないか……というものであります」


「特定の方々とは……?どなたの事でしょうか?」


「は、はい……。小官が依頼の対象としたのは3人です。エイチ学校長閣下、三回生の主任教官であるマーズ少佐。それと……一回生のヘンリッシュという生徒であります」


「調べるとは?どのような調査を依頼したのですか?」


「今挙げた3人の方々が……校外で接触を持っているのではないかと……どこで、どのくらいの頻度で接触しているのかと……それを調べて欲しかったのです……」


「何故、貴官はその『3人』を調査対象としたのですか?その理由をお聞かせ願えますか?」


ロウ弁護官の眼差しは厳しいものになっている。アガサ大佐は一度その目を見て、慌てて視線を外し……無理やりにでも正面の裁判官席側を見据えながら、言葉を詰まらせた。


「それはその……」


「どうされましたか?お答え頂けませんか?ならば先程から再三申し上げておりますが……」


「私が代わりに言ってあげましょうか?」という弁護官の淡々とした物言いに、慌てて覆い被せるかのように


「も、申し上げます……!小官が自分で申し上げさせて頂きますので……」


弱々しく応じた証人は、まるで生気を失くしたような様子でおずおずと語り始めた。


「昨年……当校に赴任してきましたマーズ少佐……当時は一回生の主任教官で大尉でしたが……彼は北部方面軍時代に実戦指揮官であった経歴を持っておりまして……」


 元北部方面軍第一師団に所属していたタレン・マーズ子爵が今のヴァルフェリウス公爵……現王都方面軍司令官の次男であり、「北部軍の鬼公子」と呼ばれる驍将であった話はこの軍中央……軍務省内にも知れ渡っている事であり、当然ながらこの法廷に出席している者全てが認識している。自身も嘗ては北部方面軍に参謀として出向していた経験もあるヘルナー裁判長も、自分が赴任していた頃では無いにしても


「公爵家の次男が第一師団に所属して国境警備で名声を博している」


という話は聞いていた。ヘルナー裁判長……いや、参謀総長は今回の法廷資料を見て初めてその「北部軍の鬼公子」が何時の間にやら王都の士官学校に転任していた事実を知って驚いたくらいだ。


「この主任教官が……歴史ある本校において連綿と実施されてきた『戦技教育』に対してその立場を弁えずに批判を加えてきたのであります……。戦技授業の内容に疑義を唱え……その有り様を変革しようと企図した上で、それを直接の上司である小官の頭越しに学校長閣下へと意見具申を行ったようでして……」


「今……貴官は『自分の頭越しに』と言われましたが……。主任教官は貴官にその『意見』について全く相談する事無く学校長へと具申するに至ったわけですか?つまり貴官は一連の『戦技教育への疑義』について全く認識する事が無かったと?」


「あ……いえ……。一度だけですが彼……主任教官から相談と言いますか……意見の具申は受けました……」


「つまり、主任教官が学校長へ意見具申を実施する前に……貴官に対して具申はあったわけですね?そうなると主任教官としては、一度は『常識的手順』に沿って直接の上司である、貴官にも意見具申を行っているわけですよね?それが何故……『貴官の頭越しに』という事態に至ったのでしょうか?」


「はい……小官に対しても意見の具申があった事は認めます。しかし小官はその際に主任教官からの具申を拒否致しました。小官は教頭職に任じられているとは言え……『戦技教育の内容の是非』については、小官の職権……職能から大きく逸脱していると判断した為です」


「つまり……戦技教育の内容については『自分が口出し出来る話では無い』と?」


「仰る通りです。小官の認識では戦技教育だけでなく……士官学校の現場にて実施されている士官教育全般については本省の教育部が専権を有しているとされているからであります……。繰り返しになりますが……教頭職を拝命しているとは言え、教育部の部外隷下となる士官学校の一職員に過ぎない小官には手に余る案件であると思いましたので……」


「なるほど。貴官の言い分については理解出来るところでしょう。貴官はその職分を十分に弁えていらっしゃる……これは小官も十分に認められる事であります」


「しかし……だからと言って……その件を以ってご自身の上司に(あた)る学校長閣下と主任教官の『監視及び調査』を軍務省情報部……しかも貴官ご自身の前任職である情報課長に依頼するのは色々と『行き過ぎ』だったのではないでしょうか?」


 弁護官であるロウ法務官の「この言い様」に法廷内の一同は違和感を感じた。何しろアガサ大佐は「弁護側証人」としてこの法廷に召喚されているのだ。その証人の行動に対して批判を加えるのは弁護官として理解に苦しむ行動に映ったのだ。


まるでこれではこの後に実施されるであろう検察側の反対尋問ではないか……。証人自身も、そして裁判官席に座る2人の上級判事もそう思った。


だが……ロウ弁護官の弁護対象はあくまでも被告人席で項垂れているイゴル・ナラ中佐であり、彼が服務規定違反を犯すに至った「動機」をこの軍事法廷で審かにする事……この目的を達成する為であれば、居並ぶ判事達の前でその原因となった人物……目の前の証人から様々に()()を引っ張り出す行為はあながち間違った事では無いのである。


繰り返しになるが……ゼダス・ロウ法務官が弁護官として対象としているのはイゴル・ナラであり、ハイネル・アガサでは無いのである。


「い、いや……そ……それは……」


 弁護官からの予想外の指摘を受け、アガサ大佐は再び面喰った表情となって口籠った。確かに、常識に照らし合わせて今回の事案における彼の行動はその地位に相応しいものであったか……と言われれば「否」であると言える。


職場において上司に中る学校長を含めた、士官学校関係者を「監視せしめる」という行動も異常であると言えるし……更にはその監視を「服務規定違反に問われる」と知りつつ、自らの影響力を利用して前職後任者である情報課長に依頼するというのも常軌を逸した考え方であると……今のやり取りを聞いていた裁判長ですら思うのは当然であろう。


アガサ大佐は言葉を失いながらも……


(こ……この弁護官はナラの情状酌量を引き出す為に……私を生贄に差し出すつもりか……!)


漸く目の前で自分を問い詰める男の真意に思い至った。


「わ……小官にもやむを得ない事情が……事情があったのです!」


自らの立場を自己弁護する必要があると判断したアガサ大佐は声を振り絞り、反論の体勢を執った。


「ほほぅ……貴官の事情ですか……?上司の頭越しに本省の情報部に対して、その上司の監視を依頼するというだけの事情が?」


 ロウ弁護官の口元には失笑が浮かんでいる。彼からすれば


(よし掛かった……これでこの男からまだまだ引っ張り出せるぞ)


とでも言いたいところだろう。


「差し障りが無ければその……貴官の事情ですか……?それをこの場でご説明願えませんでしょうか?『あなた自身』の為にもね!」


嵩に掛かって問い詰めて来る弁護官の迫力に負けたのか……アガサ大佐は色々な判断力が裏返ったままの状態で「咄嗟の自己防衛」を開始した。


「さ、先程申し上げました……その……私自身に対する主任教官からの『具申』があってから……かなりの時間が経ったある日……えぇ……11月の……確か……朔日(ついたち)だったかと……」


アガサ大佐はここで一旦言葉を切った。どうやら彼なりに「ここから先を話してもいいのか?」と、一度逡巡したようだ。しかし最早ここで「自身の事情」を聞き入れて貰わないと、この法廷から解放された後に彼自身に色々と「とばっちり」が来そうな予感がしたので、脳内に浮かんだ本省の「お偉い方々」の顔をとりあえず振り払って彼は言葉を続けた。


「11月1日だったかと思います。業務終了が近付いて来た時間になって……本省から幹部士官が1名……私の部屋を訪問して参りました。彼は教育部の教育課長……ユーリカー中佐であると名乗っておりました。彼の口から『学校長閣下が本省の教育部長閣下を直接訪ねられてご意見をされた』という話を聞いたのです」


「ほぅ……?教育……課長が来訪したと?本人がですか?」


「はい……。教育課長自身が私の部屋を訪れたのです。そして今申し上げた……学校長閣下の行動に対して、小官に確認と言いますか……。『あなたも学校長閣下に同調されているのか?』と問われまして……」


「教育課長が……?階級も職位も上であるはずの貴官に対してそのような査問紛いの行動を?」


弁護官は随分とわざとらしく驚くような表情をした。


「はい……。内容が内容だけに……それなりに地位のある者として、教育課長が派遣されて来たと思われます。学校長閣下はその日の午前中に……お独りで本省を訪問されたようで……。当然ながら小官にも()()を申し伝えられる事無く……お独りでお出かけになられたようでした」


「学校長閣下が御自らですか……。それは余程のご覚悟がおありになられたのでしょうなぁ」


失笑混じりに言葉を返したロウ弁護官であったが、「海軍大将閣下(学校長)が自ら単身で本省に乗り込んで行く」という内容に、昨年末……姿を変えて、あの士官学校の戦技授業を見分した際に同席した前第四艦隊司令官の大柄で剛毅剛直……そして姿勢の良い姿を思い出し、「あの」海軍大将閣下にそこまでの覚悟をさせるに至った今回の件の経緯を思い返し……我が事のように憤りが湧いて来た。


「小官は、詰問するかのような態度を見せた教育課長に対して、自らもその具申を受けた事実と……それを拒絶した事も説明致しました。教育課長……ユーリカー中佐が、教育部長であるデヴォン閣下の意を受けて私の下へやって来た事は明白でしたので……」


「なるほど。そうですか。で……教育課長はそれで引き下がったのですか……?」


「はい……私の部屋から退出する前にも『教育部長にお伝えします』と……何か威圧を受けるような感じがしましたので、私は『学校長閣下に重大な越権行為が見受けられる』と判断して、まずは事実の確認をと思いました……」


「事実の確認……?学校長閣下に貴官自身が確認したのですか?」


「い、いえ……。それは……」


「どうされたのですか?閣下にお尋ねしたのでは無いのですか?」


「ここから正念場」とばかりにロウ弁護官は証人に問い質すような口調で畳み掛けた。


「ま、まずは……学校長閣下と……私に対して過日『例の件』を具申してきたマーズ主任教官との接触を確認しようと思ったのです……。普段であれば学校長閣下に対して主任教官の地位にある者は、余程の事が無い限り直接に言葉を交わす事などありませんからな……」


「なるほど。小官は生憎……士官学校の職位に関する序列秩序については知識が不足しておりますから学校長閣下と主任教官の……そのような職位格差については不案内ですが、そのようなものなのですね?」


「はい……仰る通りです。そしてその……他の職員に話を聞いたりしたところ……どうやら両者は以前から何かと校内の各所で何やら会合を持っていたようですが、小官が調べ始める少し前頃にはそれがピタリと止んでいたという証言を得られまして……」


「止んでいた……?その前までは両者の接触はあったと?」


「はい。主任教官が学校長閣下の執務室(お部屋)を直接訪ねられたり、然して教職員室の隣室で何やら密談したりと……そのような動きがあったようなのですが、先程の日……11月以降は全くそのような形跡が見受けられなくなったと……」


「小官は、そのような報告を受けた上で、『両者は校内において会合する行動を改めた』と直感致しました。恐らくは教育課長が小官を来訪した事を察知して警戒するようになったのだと……」


「ほぅ……警戒とは。つまり……学校長閣下と主任教官の両者は、『自分達の会合』の内容が他者……特に貴官の目を憚る性質のものであると認識していたと?」


「はい……。何しろ先程からも申し上げておりますが、その内容は恐らく本省教育部の専権事項である『士官学校における授業内容に対する疑義』であります故……」


「なるほど。貴官も一度はその具申を受けた事で内容は把握されていたわけですよね?」


「はい。その内容に関しては主任教官からの具申の際に資料の提出も受けておりましたので……」


「資料……?」


「はい。彼の唱える『本来の戦技授業』について、その概要と実現方法等が記述されていた……と記憶しております」


「なるほど。その『資料』はまだお手許にございますか?」


「はい。一応は……。今回のような公の場での論証となった場合に……その証拠となるものであると認識しておりましたので」


「なるほど……そうですか。最後に一つ……確認させて下さい」


「な……なんでしょう……?」


 弁護官から「最後の質問」と言われて、アガサ大佐は再び緊張の面持ちになった。


「先程来、本審議において『鍵』となっている『本来の戦技授業』というものに対し……貴官個人としてはどのような見解をお持ちでしょうか?」


ロウ弁護官の口から、今回の法廷にて裁かれる『イゴル・ナラ情報課長の服務規定違反』とは直接関係の無い質問を浴びせられたアガサ大佐は困惑気味に応える。


「小官の……見解ですか?……それはどういう……」


「言葉の通りです。貴官は過日、この『本来の戦技授業』についての主任教官からの具申を拒絶されたのですよね?しかしそれは士官学校教育において専権を有する本省教育部の手前、そのように回答したと……貴官はそのように先程証言されました。しかし……一旦そのような組織論は脇に置き、貴官ご自身は主任教官の具申内容についてどう思われたのですか?現在の士官学校における『戦技教育の変質』について何か()()()()()は無かったのですか?」


質問を言い直した弁護官の視線がこれまでのものより一層強くなった印象をアガサ大佐は受けた。しかし元来、軍務官僚上がりの気質を持つこの教頭は


「いえ特に……。これは主任教官にも申し述べましたが、現在の士官学校における戦技教育は……数百年に渡って連綿と受け継がれられたものなのです。その長きに渡り……本省教育部から何も指導が入る事無く、続けられているのです。小官個人はその伝統を重んじるべきであると思っております。チュークスの分校では、何やら本校とは違う形式で戦技授業が実施されているようですが、それは本省の教育方針に従わない彼等に問題があると小官は愚考いたします」


意外にも最後は自分の考えをハッキリと口にした。それを聞いた弁護官は少し驚いた様子を見せたが、すぐに表情を改め……いや、何か含むような……失笑を交えるような表情となり


「そうですか……。それが貴官のお考えであると……了解しました。小官からの質問は以上となります。ありがとうございました」


それでも頭を下げて形式的な謝意を示したロウ弁護官は自席に座り直した。


(こいつは……このような男が教頭職に……何と言う馬鹿げた人事だ……)


弁護官でもあり……「人事部次長」という人事部門の幹部でもあるゼダス・ロウは心の内から湧き上がる怒気を必死に押さえつけた。


(なるほど……あの学生……ヘンリッシュ君に……これでは軍務省自体が軽蔑されても当然じゃないか……)


 士官学校教頭職は本省における次長級の職位であるので親補職では無い。故にその任免については人事局長や軍務次官、果ては軍務卿や諸卿会議における決裁も必要が無い……つまりは人事部長と次長にその任命責任が発生するのである。


目の前の「無能」とも言える軍務官僚上がりの男が、士官教育の要職である士官学校教頭という職位に就く事が出来た経緯を、人事部次長としてロウ弁護官は既に調べを済ませていた。彼はその過程において、この目の前の男が「教育族の末端に席を置く者」である事を突き止めていた。


事実……彼の士官学校教頭職への配転には人事部の「更に上」からの何とは無い「推薦という名の口利き」が働いていた。その働きかけがどの辺りから来ていたのか……ロウ弁護官にも何となく想像は付いているのだ。


 被告人席で俯いたまま目線を上げる事もしない被告人同様に弁護官席で俯いたまま自らが召喚した証人に対して怒りの感情で震えるロウ弁護官の様子には構う事無く、裁判官席に座るヘルナー裁判長は


「それでは検察官による反対尋問を認める。検察官は証人に対して質問はあるか?」


と検察官席に座り、証人に対して目を据えて睨みつけていたアラム検察官に声を掛けた。


「はい。それでは検察側からの質問を……」


 アラム検察官が立ち上がって反対尋問の開始を宣言しようとした時、突然……法廷室の後ろ側にある廊下へと続く扉が開かれ、一人の人物が入室してきた。


突然の出来事に裁判長が口を開きかけて……そのまま言葉を失った。


入室してきた人物はその巨体で被告人席の更に後方にある通路を通り、5席用意されていずれも空席になっていた傍聴人席の真ん中の椅子に腰を下ろした。


「どうした?続けろ」


その巨体の老人……ヨハン・シエルグ軍務卿は低く……それでも法廷室内全体に響き渡るような声で審理の続行を求めた。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ジェック・アラム

51歳。軍務省(法務局)法務部次長。陸軍大佐。法務官。

軍務省に所属する勅任法務官の一人で、主人公から、ネル家騒動の和解約定違反を問われる。

新任士官による悲劇の歴史を知り、軍務卿に協力して「教育族」一掃を目指す。

情報課長による服務規定違反を裁く法廷で検察官を務める。


ゼダス・ロウ

54歳。軍務省人事局人事部次長。陸軍大佐。法務官。男爵。

軍務省に所属する法務官。武芸に対して造詣が深いが、自らの腕前はそれ程でもない。

軍務卿や同僚法務官達と協力して「教育族」の放逐に力を貸す。

情報課長による服務規定違反を裁く法廷で被告人の弁護官を務める。


アミ・トカラ

56歳。軍務省施設局施設整備部長。陸軍少将。法務官。女性。

王国陸海軍の中では最上位の女性軍人であり法務官。本職が激務である為に法務官としての公務機会が少ない。

北部方面軍の新任仕官であった次男を匪賊討伐の実戦で喪くしている。

情報課長による服務規定違反を裁く法廷では第三席の判事を務める。


カイル・ヘルナー

59歳。王国軍参謀総長。陸軍大将。勲爵士。

王国軍制服組のトップ。幼少時から体が弱く、士官学校時代も実技成績が振るわなかったが、座学の成績が極めて良好であった為に卒業後は参謀本部で頭角を現す。用兵家と言うよりも兵站家としての才能を評価されている。

情報課長による服務規定違反を裁く法廷では裁判長を務める。


イゴル・ナラ

51歳。軍務省情報局情報部情報課長。陸軍中佐。

アガサ教頭の後任を勤める軍務官僚。前職は情報課隷下にある捜査1係長。

アガサ教頭からの依頼で改革派メンバーの校内での動静を、上司のヘダレスに無断で調査するが主人公に看破されてしまい、苦情を受けたアラムによって憲兵本部に拘留されてしまう。


ハイネル・アガサ

55歳。陸軍大佐。王立士官学校教頭。前職は軍務省情報局情報課長。

軍務官僚出身であるせいか、非常に保守的な「事勿れ主義」の発言が目立つ。

タレンの白兵戦技授業改革に反対の意を示し、以後は白兵戦技改革派の監視を行う。

前職の後任者である現情報課長へ改革派の監視を依頼し、彼が服務規定違反で検束されると裁判において弁護側証人として召喚される。


ヨハン・シエルグ

65歳。第377代軍務卿(軍務卿就任に伴って侯爵叙任)。元陸軍大将。元王都防衛軍司令官。

軍務省の頂点に居る人物であるが、軍務省を動かしている軍官僚達を嫌悪している。

タレン一派の提唱する「白兵戦技授業改革」を耳にし、主人公の持つ技量を目にした事で「歪められてきた白兵戦技」の責任を教育族に取らす決意を固める。

若い頃に士官学校の白兵戦技(歩兵槍技)教官の経験があり、その頃から生徒に恐れられていた。

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