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黒き賢者の血脈  作者: うずめ
第四章 戦乱の大陸
101/129

国王陛下の御召し

仕事の合間にちょろちょろ書いていたこの物語もどうやら100話目を迎えたようです。


【作中の表記につきまして】


アラビア数字と漢数字の表記揺れについて……今後は可能な限りアラビア数字による表記を優先します。但し四字熟語等に含まれる漢数字表記についてはその限りではありません。


士官学校のパートでは、主人公の表記を変名「マルクス・ヘンリッシュ」で統一します。


物語の内容を把握しやすくお読み頂けますように以下の単位を現代日本社会で採用されているものに準拠させて頂きました。

・距離や長さの表現はメートル法

・重量はキログラム(メートル)法


また、時間の長さも現実世界のものとしております。

・60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日 


但し、作中の舞台となる惑星の公転は1年=360日という設定にさせて頂いておりますので、作中世界の暦は以下のようになります。

・6日=1旬 5旬=1ヶ月 12カ月=1年

・4年に1回、閏年として12月31日を導入


作中世界で出回っている貨幣は三種類で

・主要通貨は銀貨

・補助貨幣として金貨と銅貨が存在

・銅貨1000枚=銀貨10枚=金貨1枚


平均的な物価の指標としては

・一般的な労働者階級の日収が銀貨2枚程度。年収換算で金貨60枚前後。

・平均的な外食での一人前の価格が銅貨20枚。屋台の売り物が銅貨10枚前後。


以上となります。また追加の設定が入ったら適宜追加させて頂きますので宜しくお願いします。

 午前中の授業が終わり、一回生は()()()()と本校舎1階西端の大食堂に集まる。この構内食堂で学生や教職員に糧食を供しているのは王都防衛軍の補給・輜重部隊の者が交代で当たっている。この者達を指揮するのは栄養学を修めた士官で、彼等は軍務省の参謀本部に所属し、各方面軍各師団に派遣されている。


彼ら「栄養士官」によって将兵の栄養状態を重視した「軍隊飯」の献立が作られ、各地の戦場、駐屯地、そしてこの士官学校において給食が実施されているのだ。


 1年1組の生徒達がそれぞれ演習着から制服に着替え、漸くこの大食堂に辿り着くと……収容人数に余裕がある大食堂は実技授業が無く、着替えの必要も無かったクラスの生徒達や、一部の教職員によってかなり席は埋まっていたが、入口から部屋の奥側……東隣の警衛本部側の辺りには空席が目立つ。


昨年秋の新年度が始まって以来、この辺りの場所は1年1組の生徒が多く利用しており、他の組の者達もやはり別の場所に「この辺が2組」などという感じで「見えない縄張り」が何となく出来ている。最近の勉強会でリイナが知り合う機会を得た4組の女子など、クラスの枠を超えて親睦を深めるケースもあるが、やはり同じクラスの者達は一カ所に集まって食事を摂る傾向はあるようだ。


そこは毎日の厳しい訓練を経ることで、自然と各学年において1つのクラスが1つの「小隊」のように形成され、級友たちは男女隔て無く「戦友」のような面持ちになるのだろう。


 誰も居ない大食堂奥の警衛本部側……その窓側の席、つまり大食堂北東角の「指定席」には既にこの学校で知名度が抜群になってしまっている一回生首席生徒が、独りで黙々と食事を始めているのが目に入る。眼鏡を掛けた金髪で目を引く美貌を持つ首席生徒は、普段のその雰囲気から……彼を詳しく知らない者達には近寄り難いオーラを発しているのか、他のクラスの者で彼の席のそばに座る勇気を持つ者は居ない。


なので一見すると周囲の喧噪から仲間外れにされたような錯覚を起こしがちだが……実際は他のクラスの者達……特に女子生徒達は彼に近付いてみたいと思っていても、それを拒絶するかのような不思議な「空気」がどうしてもそれを阻むのである。


 そんなポツンと長椅子に座ってパンを齧っている首席生徒の机周辺に、着替えを終えて遅れるように食堂へ辿り着いた1年1組の生徒達が、どんどんと集まって来る。不思議な事に……このエリアに集まる1組の生徒達の間にも、入学以来4ヵ月程が経過すると「座る場所」もある程度固定されて来るようで、首席生徒の向かい側……つまり一番窓側にはケーナ・イクルが、その左隣にはリイナ・ロイツェル、ナラン・セリル、ニルダ・マオというような順に座って行く。そして首席生徒の隣には留学生のインダ・ホリバオが座り、その右側にアン・ポーラ、テルナ・ゴーシュという順番で座る。


時折、この1組の「縄張り」に同席を求めてタレン・マーズ三回生主任教官やイメル・シーガ一回生主任教官が訪れると、タレンはマルクスとインダの間に、シーガはリイナとナランの間に入れてもらう形になる。


大食堂の机は片側の長椅子に5人が座れ、それが向かい合わせ……つまり1卓に10人が座れる造りになっており、その大机が1列当たり3台置かれている。つまり大食堂の東側……警衛本部側の壁際の列には都合30人が座れるようになっており、この列を1組が占有……縄張りとしているのである。普段は10人座れる1卓を4人向かい合わせの8人で使うので、1人当たりの机の広さ(スペース)は意外に広い。


「さっきの主任教官殿との立ち合いは本当に凄かった。俺の国でもあれだけの大剣使いは居ないかもしれない」


 シチューにパンを漬しながらインダが午前最後の「大一番」についての感想を述べると、周りの生徒達もうんうんと頷く。

これまでの彼らは、戦技授業の中で何度か……首席生徒の常人離れした武術を目にしていたが、相手は武術経験者の生徒であったり、ドライト・ヨーグ教官やソリス・ヤード教官のような「本来の戦技授業」に理解を示す戦技教官や、年末のようなハウル・ショーツ教官が相手になっていたのだが……


時折この場所にやって来て自分達と昼食を共にする主任教官……タレン・マーズ少佐が王都の人々に初めて見せた「武術の腕前」は、武術経験者の生徒達……中には幼少から闘技大会の見物にも行っていたような者達から見ても桁外れのもので、彼が同じく常人離れした腕前を持つ首席生徒を一見して「追い詰めた」様子を思い出した一同は、普段見ている「温和な主任教官」とのギャップに驚愕したのだ。


「北の国境の師団にいらしたって聞いていたけど……やっぱり実戦経験者の戦い方は全く違うのね」


「俺はヘンリッシュ君が一対一であれだけ長時間打ち合いになるのを初めて見たよ。いつも一瞬で転ばされたりしてたからね……」


自らも「転ばされた」経験のあるインダが再び感想を漏らすと


「言っておくが、主任教官殿の実力に対してあれで半分程度だぞ。あの方は本来であれば騎兵指揮官なのだ。馬にも乗らずにあれだけ動き、本来使っている武器ではない得物(大木剣)であれだけの動きを見せたのは俺にも予想外だった」


当の立ち合いをした首席生徒が対戦相手に対して寸評を加えると、それを聞いた一同は更に驚く。


「えっ!?主任教官殿はあれで本気じゃなかったの?」


「本気……と言うよりも本来の実力を発揮出来る環境では無かったと言う事だ。主任教官殿が戦場で使われていらしたのは『長鞭』という長柄の打撃武器だそうだ。俺も『鞭』という武器自体は目にした事があるが……その柄の部分を延長したという物については見た事が無いな」


「鞭……それは所謂(いわゆる)『ムチ』とは違うのよね?」


武器について書物で多少知識を得ていたらしいリイナが質問してきた。貴族家出身である彼女の屋敷には乗馬に使ったり……子供達や使用人の「躾」に使うムチがあるのかもしれない。


「そうだな。お前の言う『(ムチ)』とは別のものだ。俺の知っている限りでは主任教官殿が本来使われていた『(ベン)』は元々、ロッカ大陸西部で発祥したものだと聞いている。但しそれでも長さは110センチ程度か。皆が知っている剣の柄を含めた長さに似ている。しかし剣のように刺したり斬ったりするようなものでは無く、突いたり叩いたりする打撃を主とした武器だ」


「俺の国で盛んにやってる『剣闘』でも見ない武器だね」


「そのようだな。棍棒とも違うから、まぁ……この大陸では特殊な存在ではあるな。その鞭の柄の長さを延長して、騎兵の武器として使用するというのは……うむ。俺の記憶や知識にも無いな」


「ヘンリッシュ君ですら知らない武器なのですか……」


実家が庶民の花屋であるケーナには、元から武器に関する知識すら薄い。鞭はどうやら、王国歴700年頃にロッカ大陸から伝わったとされている。それも最初はロッカ大陸を根拠地としていた海賊からの鹵獲品、没収品だったという説もある。ロッカは惑星ラー最大の大陸で、南西で幅数百キロの海峡である「死の海」を隔ててエスター大陸と対している。


 鞭はどうやらこの……死の海と接するロッカ大陸側の地方で発達したものらしい。今でも、死の海東沿岸で最も大きい都市「ファブル」にある冒険者ギルドに登録されている冒険者達の間で多く使用されている。平均すると長さ110センチから120センチ程度のものを両手に持つか、長さ100センチ前後で若干細身に造られた物を左右それぞれの手に持つ「二挺流」が主流だ。


稀に150センチを超える「長物」に属する物を愛用している者は居るには居るが……騎兵としてそれを使用するという者はどうやら世界的にも珍しいだろう……と、マルクスは考えている。


「とにかく……騎兵指揮官として戦場に立つマーズ主任教官殿の『本気』はあんなものではないと言う事だ。騎馬の機動力、突進力……そしてその馬上からの『高さ』を使われた場合……対応はかなり困難だろうな」


「そもそも……俺が知っている公爵家次男のタレン・ヴァルフェリウス……いや、マーズ殿か。彼はその個人的な武勇と戦闘指揮能力によって何百年も王国の懸案となっていた北方三叉境界地域の治安悪化を回復させたと言われているんだ。本来であれば、このような後方にある士官学校に赴任して来られるような方では無いんだ」


滅多に他人を評する事の無い首席生徒が珍しく特定の人物について高い評価を下し、周囲の級友がそれに驚いていると……噂をしていた当人が食堂の入口に現れた。


 そして彼に続き……なんと国王陛下が突然食堂に入って来たので、それに気付いた者は生徒、教職員関係無くビックリしながら慌てて立ち上がり、最敬礼する者……片膝を着く宮廷儀礼を取るもの……様々な反応で軽いパニックになった。


部屋の奥に陣取る1組の生徒達には、なぜ入口付近で騒ぎになっているのか判らなかったが……廊下側の机に座っていた、クラス一の長身であるロハン・ハルベルが、人垣の頭越しに状況を理解して驚愕し


「おっ、おいっ!こっ、こ、国王陛下がいらしたぞっ!」


それでも声を殺して周囲に伝えると、彼等も顔色が変わり……次々と窓際の同級生に向かって事態を通報する。それを聞いた者は慌てて立ち上がり敬礼する者、まずは状況を確認したいのか棒立ちのまま入口側に目を凝らす者と対応がまちまちになった。


食堂内の様子を俯瞰すると、平民階級出身の生徒や教職員は起立しての敬礼を実施し、貴族階級の者は片膝を床に着いた宮廷様式の儀礼動作を執っている。


 タレンは国王を先導するかのように配膳台を素通りし、そのまま部屋の奥……1年1組の生徒達が座っているエリアに近付いてくる。手前の席に居た者達は慌てて通路から離れ、1組の者から見ると人垣がサッと分かれたその向こうからタレンが国王を先導しながらこちらに向かって来るような絵になり、前の授業で臨席を賜ったとは言え……反対側の観覧席で遠目に見ていた1組の生徒達は、どうしたらいいのかお互いの顔を見合わせる。


国王一行を前にして、見苦しく右往左往するわけにもいかないし、あからさまにテーブルや長椅子から立ち退くような真似をするのも憚られるような雰囲気でその場に硬直する同級生の中で、窓際の首席生徒だけは固パンを飲み下してから、ゆっくりと立ち上がり……こちらに向かって来るタレンが先導する国王一行を迎えた。


タレンは奥のテーブルの前まで来ると


「食事中に済まんな。陛下が勿体なくも昼食をこちらでお召しになられると仰せになられた。そこの席を空けて貰えるかな」


マルクスとテーブルを共にしている者達に声を掛けた。言われた生徒達は慌てて食べ掛けの昼食の載った盆を持ち、その場を離れようとするが……周囲の席は埋まっているので移る場所が無くそのまま困惑の表情で立ち尽くす彼らに


「よいよい。そこの席を詰めてくれれば良いぞ。マーズ卿も席を共にせよ」


「はっ……では……。そこを詰めて貰えるかな」


生徒達は盆を机に戻し、タレンの指示に従って席を詰めた。マルクスとインダの間、そして向かい側はケーナとリイナの間にもう1人座れるだけのスペースが出来た。


 マルクスとインダの間にはタレンが座り、ケーナとリイナの間に……何と国王陛下が腰を下ろす。タレンはそれまでも何度かこの席で1組生徒と昼食を共にしており、その際に座る位置もマルクスの隣……つまりは今座った位置なので生徒達もそれ程違和感を感じないが……何しろその主任教官の向かい側に国王陛下が御着席になられ、その後ろに随行していた近衛大佐が立つ。


午前中の授業観覧で国王に随行していた学校長と教育部長はこの場に居ない。エイチ校長は自室に戻り、デヴォン教育部長も本省に戻ってしまった。教育部長は帰ってから「軍法会議への検察側証人としての出廷要請」を受け取って顔を青くすることだろう。


 国王陛下をよりによって挟むように座る形となってしまった……元より人見知りをする花屋の娘ケーナと、男爵家の末っ子リイナの2人は明らかに強張った表情で顔色も悪くさせながら俯いたままになっている。やがて陛下と主任教官の「軍隊飯」をそれぞれ盆に載せて現れた儀仗隊の2人がそれぞれを机に置いた後、姿勢を正して敬礼を行い、そのまま人混みの中に消えて行った。彼等はそのまま2ヵ所の食堂出入口で警衛に当たるのだろう。


「皆、余に遠慮せず食事を続けてくれ。時間に限りがあるのだろう?」


陛下の御言葉を受けたタレンが立ち上がって周囲の者に、畏まるのを止めて食事に戻るように声を張って指示した。それを聞いた者達もザワつきながら自分の席に座り、食事を再開した……が、皆一様に声を発せず、余計な物音を立てる事すら恐れるかのように……静かに軍隊飯を口に運んでいるようだ。


「君達も遠慮せずに食事を再開してくれ。よく噛んでな」


タレンは再び腰を下ろして、同じテーブルを囲んでいる生徒達に苦笑混じりに声を掛けた。このテーブルの席に座っているのは国王とタレンを除いて8人。本来10人座れるテーブルと長椅子(ベンチ)に余裕を持って座っていた事で、国王と主任教官の為に場所を空けても席からあぶれる者を出す事無く昼食を食べ続けられるのだ。


 陛下は早速、固いパンを千切ってスープに漬し、それを口にした。


「ふむ。以前も似たような献立を食したが、味は悪く無いな。まぁ、生徒達にしてみれば過酷な教練の中でこの食事だけが楽しみだろうしな。はっはっは」


上機嫌で軍隊飯の感想を口にする国王に


「はっ。左様にございますな……。小官も昨年、現職に赴任した際に同様の感想を持ちました。()()()()では、野営も多く……このように暖かい糧食すら支給されない事もございました」


「なるほどの……。北の戦地ではそのような事もあるであろうな」


「この士官学校の給食は随分と充実した献立によって生徒達の士気を保っているようです。栄養面での配慮もされておりまして、健康面においても安心して召し上がって頂けます」


「そうか……ふむ。おっ、そうであった」


タレンから給食についての説明を聞いていた国王は突然、何かを思い出したかのように


「マルクス・ヘンリッシュ。妃の不予に対して、手を尽くしてくれたそうだな。礼を言うぞ」


斜向かいに座る首席生徒に声を掛けた。マルクスは優雅に立ち上がり


「非才の我が身に御言葉を賜り、恐悦にございます」


と、右手を左胸に当てる宮廷式の略礼で頭を小さく下げた。


「まぁ、座ってくれ。先程は其の方の端倪すべからざる武芸の数々を目にさせて貰った。余はあのような立ち回りを初めて見たが……其の方にあの業を伝えたのはどのような者なのだ?」


国王からそのように問われたマルクスは……いつものように「架空の師」をでっち上げる事にしたが、ふと……別の事を思い付いて、いつもの「架空の師の像」に味付けをする事にした。


「我が師は既に故人となって久しいですが……若い頃には実際の戦場を経験したようでございました。陛下にお目に掛けました私の立ち回りは師より賜った『常に実戦を想定したもの』でございます」


「なるほど……そうか。では其の方が持つ『医の知識』はどうなのだ?王都の博士たるラウシルも、其の方が妃に施した処置に感心しておったぞ。あの短時間で不例の原因を診立てた知識はどこから得られたものなのだ?」


「人間としての身体構造を先程の亡師から併せて学びましたので……」


「ではその故人だと言う……其の方の師は医の知識にも長けていたと?」


「はい。その通りでございます。医薬の知識、他にも『文明人』としての社会通念や歴史認識なども幼少より師から与えられたものにございます。亡師は所謂『武芸』よりも、医薬の知識を根本としている者でした故……」


「ふむぅ……そのような出色の人材が野に在ったとはな。其の方の出身は西の方だと聞いているが」


「はい。西の山脈の向こう側にございます」


「なるほど。山の向こうは公爵領か。マーズ卿の実家であるな」


国王の指摘にタレンが苦笑いを浮かべながら


「はい……。彼の出身地であるダイレムは公爵領の南西にある港町でございます」


「そうか。公爵領の奥にそのような人物が野に埋もれていたとはな……。名は何というのだ?」


「故人たる我が師の名は……ローレンと申します。生前は薬の行商で生計を立てている者でした。私塾や道場を経営していたわけではございません」


マルクスは亡き祖父(ローレン)をモデルとした『新たな師匠像』を心に描きながら、実家の姓は明かす事無く国王へ言上した。


「ほぅ……道場を経営していたわけでは無いのか。行商……つまりは店舗を持たずに薬を贖う者であったのか?」


「はい。我が亡師ローレンはダイレムの町で低所得民が多く暮らす下町地域で薬を売り歩く者でして……私は幼少時に彼と出会い、色々と教えを受ける身となりました」


「ふむ……つまり其の方の業は道場では無く行商人であったという者から授けられたもの……という事か。」


「はい。私の実家は飲食店を営んでおり、両親はその経営に追われて私を相手にする時間がありませんでしたので、私は普段から師に付いて様々な知識や……自らの身体を制御する術を学んでおりました」


「ふむ。しかし……惜しい事ではあるな。其の方の亡師のような……あたら有為な人材が世に出る事も無く……唯々、其の方のような後継者を残しただけでも顕彰に値するな」


 架空にでっち上げた「今は亡き師」を絶賛する国王の言葉に内心大笑いしながら、マルクスは……さも残念そうな口振りで


「陛下からの勿体なくも誠に忝き御言葉ではございますが……亡き師が陛下の御前に侍る機会を得る事は難しかったと思われます」


この若者にしては珍しく感情を込めて慨嘆を口にした。この言葉を聞いた国王は訝みながら


「どういう事だ?何故其の方の師が余と(まみ)えるのが難しいと?」


そのような御下問に対してマルクスは無礼を承知で苦笑を交えながら


「恐縮の極みではございますが、これ以上……亡師について申し上げる事を控えさせて頂きます。陛下に対し、一介の士官学生という立場である私が、口にするのを憚る事柄でもあります故……」


苦笑を浮かべながら困惑した表情を作りつつ……まるで「奥歯にものの挟まった物言い」を殊更にしてみる。国王は益々不審の色を見せて


「何だと……?構わん。余が許す。其の方は遠慮せずに申せ」


マルクスは国王から「言質」を引き出したと判断し


「はっ。それでは申し上げます。我が亡き師は王国民では無く……エスター大陸からの移民でした。いや……移民と言うよりも難民……と呼称した方が適切でしたか」


「ほぅ……ローレン……だったか。其の方の師は隣の大陸の生まれであるのか。海を渡って来たのだな?」


国王の言い様を聞いたマルクスは心の底で確信した。


(やはり……この(国王)は戦時難民がどのように扱われてきたのか全く知らないようだな。この『腐った王国』の為政者からすれば当然の事か……)


 マルクス……ルゥテウスが10年の月日を共にした、戦乱の大陸から逃避して来た戦時難民達……。その出会いまで、3000年にも渡って王国民としての権利を与えられぬままに差別され、無視されてきた哀しき存在である彼等は、正業に就く事も出来ず、定住出来る場所も得る事が出来ないままに王国各地、主にアデン海に面した東部の都市に寄生するかのようにその底辺で這い蹲って暮らしてきた歴史の事実を……この「名君」と呼ばれる男は知らずに国の頂点に君臨し続けているのだ。


歴史を学ばない……まるでこれまで見て来た低劣無能な軍務官僚達と同じではないか……。


マルクスは国王に対して急速に湧いて来た軽蔑の感情を表に出す事無く、言葉を選んで口にした。


「隣の大陸から渡来した戦時難民であった師は……この国の民として認められる事も無く、そして王国民としての保護や権利を与えられる事も無く、東の地よりこの大陸を流離(さすら)い、そして西の果てであるダイレムに辿り着いたのだそうです」


「国籍を持たない……与えられない難民として、法によって家を持つ事も許されず……それでも自らの知識を元に医薬を商う行商人として暮らしを立てていた師と出会った私は、この国では得る事が出来ない数々の優れた知識と業を彼から学ぶ事が出来たのです。師に仕えた……そのようなものでは無く、難民である師と幸運にもこの国の民として生まれ付いた私個人が邂逅し、交流を持つ事を許された……そのような関係でしょうか」


「師は結局……王国民として遇される事も無く……私だけに看取られて人知れずこの世を去りました。この国に流れ着いたエスターからの難民は(すべか)らく……その優れた能力を発揮する事も出来ず、またその能力を次代に遺す事も出来ぬままに、異郷であるこの大陸の土へと変わっております。その点……持ち得た知識の一端でも私に教え継げた我が亡師は他の難民と比べて……どうだったのでしょうかね……」


「我が師が陛下の御前に参じる事が出来なかったであろう理由とは、そのような事情に起因しております。先程、陛下より過分なる評価を賜った亡師もまた……その日の暮らしにも苦労していた戦時難民であったからです」


普段感情を殆ど面に出さない首席生徒からの言葉を聞いた周囲の者達は、昼食を口に運ぶ事も忘れたかのように耳を傾けたまま沈黙していた。国王や、その背後を護る近衛士官……そして本来であれば彼の領主である公爵家の次男である主任教官も同様である。


 マルクスは普段通りに無表情であったが、その眼鏡越しに見える鳶色の瞳には……何かもの哀しく、それでいて何かに対して抗議するかのような感情が僅かに発せられているようで……ここで何か下手な言葉を掛ける事で彼の怒りを買ってしまう恐れがあるのではないか……この場に居た者は等しく感じて口を閉ざしたのだ。


やがてその沈黙を破ったのは、やはり斜向かいに座る国王であった。


「そうか……戦時難民……。余には初めて聞く言葉であるが……そのような者達がこの国には存在するのか。エスター大陸では今尚……その全土で戦乱が続いていると聞く。其の方の師も、その戦乱を体験した者であったのか」


「師が具体的に何時、どのような場所で『実戦』を経験したのかは聞かされておりません。しかし私自身が軍人士官を養成するこの学校にて受けております授業内容に、師から受けた教えとは大きく隔たりがある事は否めません。師の体験した実戦とは、この国のものでは無さそうです」


マルクスの言い様は、士官学校の教育水準を嘲っているとも取れる。しかし本人がこれまで示して来た圧倒的な能力故か、それを指摘するような厚顔さを持ち合わせた者はこの場には居らず、精々彼の隣に座る「実戦経験者」が僅かに苦笑を漏らす程度であった。


「私はこの学校に入った後に感じる事となった、亡師からの教えとの乖離を埋めるべく……様々な文献に目を通した結果、どうも建学以来の教育方針が現代の()()において変容しているのではないか……と思い至ったのでございます」


「なるほど。それが先程の剣術の授業か。其の方は今の授業に対して何やら異存があると聞いていた。事実……その後に見せられた『あの内容』は、余がこれまで見た事も無い『武術』とは違うものであったぞ」


 先程の戦技授業で目にした光景を思い出したのか……国王は興奮した様子となった。それを見たタレンも小さく笑い……逆に国王の背後に立つシュテーデル近衛大佐は困惑した様子で俯く。「王都の達人、シュテーデル男爵」が完膚なきまでに遅れを取った苦い記憶である。


「実に恐縮ではございますが……私は陛下の仰せになる『武術』というものを、この学校に入学するまで存じませんでした。軍士官を養成するこの士官学校において……『一対一』という想定でしか戦技授業が行われない事に却って驚きと不安を感じました」


マルクスが白々しく語ると、国王は大きく頷いて


「ふむ。余も今日まで、軍の訓練……そしてこの士官学校の戦技教育に対して全く疑問を感じなかったのだが……先程の授業で其の方とマーズ卿が見せた『あの戦い』を見て、これまでの考えを改めるに至ったぞ」


「そのような御言葉を賜り、光栄に存じます。私は所詮、この学校に席を頂く1人の学生に過ぎません。そのような身で教育方針に異議を唱えるつもりは毛頭ございません」


「陛下。言葉を差し挟むようで大変恐縮ではございますが……小官も僅かながらに実戦を体験した者として、現代の当校における戦技教育に疑問を持っております。本日……その一端とは言え、実戦に適う『本来の戦技授業』を御覧頂けた事は小官にとっても溜飲が下がる思いでありました」


タレンが慌てたように言い添える。それこそ「たかが一生徒」であるマルクスの発言が、国王に対して僭越過ぎるかもしれないという危惧があったからだ。叱責を受けるのであれば自分が……主任教官が咄嗟に見せた物言いに、国王は笑いながら


「エイチ提督も同じような事を申しておったの。確かに其の方達の申し様に今となっては誤謬があるとは思えんな。シュテーデルもそう思うであろう?」


国王は顔を半分だけ振り向かせて背後に立つ近衛大佐へ御下問遊ばした。


「はっ。小官も軍人としての知見が広がった思いであります」


大佐は小さく頭を下げた。「今日の屈辱」を糧として、彼は近衛師団の戦技訓練を変革させる事となる。結果的にそれは短い期間であったのだが……。


「うむ。短い時ではあったが……其の方とこうして言葉を交わせて良かったぞ。今年の観覧は近年……いや、余がこれを始めて以来、極めて有意義なものであった。マルクス・ヘンリッシュと申したな……其の方の将来に余は大いに期待する。まだ一回生か。来年また会おうぞ」


そう言って国王は席を立った。同席していた者、周囲のテーブルで昼食を摂っていた者達も慌てて起立する。長椅子を跨いでテーブルの反対側の通路に移ったタレンを先頭にして、国王一行は食堂の出口へと向かい、そして廊下に消えて行った。一同はその間ずっと敬礼の手を下げずに見送り、一行が姿を消すと各々大きく息を吐き出して再び椅子に腰を下ろした。


 国王と多くの言葉を交わした首席生徒だけは、いつも通りの態度を崩さずに食事を再開し、昼休みの時間が残り少なくなっている事に気付いているのか、さっさと残った軍隊飯を腹に詰め込んで食器を片付け始めた。


「ヘ……ヘンリッシュ君は……凄いよね。私はま、全くその……今の陛下とのお話しの内容が耳に入って来なかったです……」


陛下が隣に座る事になったケーナが声を震わせながら今起きていた出来事について感想を述べると、他の者達……隣に座っていたリイナまでもが大きく頷いた。彼女との間に空いたままとなっている、つい数分前まで国王陛下が座っていた場所へ再び詰めるような事もせずリイナも呆然としている。


「まぁ、所詮我々は社会の未熟者たる士官学生だ。陛下としても本気で御耳を傾けられていたわけでも無かろう」


マルクスは軽く笑いながら立ち上がり、自身の重ねた食器と机に残されていた国王陛下と主任教官が食べ残した食器も盆ごと一緒に持って返却口に歩いて行った。それを見た者達は、何か魔法が解けたかのように急に我に帰り、慌てて残りの食事を口に詰め込む作業を始めるのであった。


****


「妃の事もあるのでな。今日はこれで城に帰る」


食堂から出て本校舎1階の廊下を歩きながら国王陛下は王城への還御を口にした。


「はっ。承知致しました」


警護の儀仗士官を再び従えたシュテーデル近衛大佐が応答する。


「畏まりました。校長閣下には小官より報告させて頂きます」


 先導するタレンも同じ廊下沿いにある救護室を目指しながら応じた。

一行は警備室を挟んだ西側にある救護室に入り、国王は王妃が休んでいる寝台へと歩み寄った。王妃はすっかりと顔色も良くなっており、笑顔で夫を迎える。


「おかげ様をもちまして……随分と体が楽になりました」


「ふむ。そうか。件の学生……ヘンリッシュか。彼の処置が適切だったのであろうな」


「経過に異常は見られません。お脈も安定しております。このままご自身の足で御城まで歩かれても左程心配は無いかと思います」


侍医のバナザー博士が王妃の状態について太鼓判を押す。横に控えていた当番軍医のムント少佐が


「先程仰せになられましたヘンリッシュでしたか……。彼が申すには畏れながら……普段の食生活に何か問題があるのではと……」


そのように言い添えると、博士もそれに同調するかのように


「左様でございますな。私も軍医殿と同意見でございます。今後は陛下の栄養状態に特段の注意を払った上で、常の献立を……」


そのように申し立てると、王妃は困ったような顔で


「ただ……どうしても苦手なものには手が伸び辛くて……」


「妃よ。今後もこのような事があれば、そなた自身が楽しみにしていると申している……今回のような城の外へ出る行事への参加も侭ならなくなるのだぞ?そなたの身の上に何かあったらどうする?シーナも悲しむではないか」


「はい……申し訳ございません……」


国王に諭されて肩を落とした王妃だが、この時代……上流階級の女性で偏食になる者は多く、またどうしても過保護に育てられる余りに幼少期においても、その偏食に対して矯正を試みるような家も少ない。何しろ親の側にも偏食があるので実際に我が子に対して「不味くても我慢して食べなさい」とは言い難いのだ。中にはしっかりと栄養学を修めた厨房係などを雇い入れている家もあるが、それでも臣下の身で主に対して「たかが食生活」に対して強く言えない……という事情もある。


 裕福な商家で育ったマレーナ妃が、その食生活において幼少期から甘やかされてきた経緯もあって、なかなかに偏食を矯正するような動きは宮廷内で見られなかった。

また、筆頭侍医であるラウシル・バナザー博士以下、宮廷侍医を務める者達が全員……栄養学が専門外だった事も王妃の食生活改善が実施されなかった原因でもある。


結局、国王、王妃の両陛下は……午後の授業へは参観する事無く王城へと還御して行った。今年の観覧式は王妃陛下の不例に始まって、国王陛下の2度目となる食堂での昼食相伴と……色々な出来事があったが、最後は王妃陛下も健康を取り戻した上で御帰り頂き、士官学校の教職員は上から下まで胸を撫で下ろした。


両陛下が構内から去った事で学生達も過度の緊張から解放されたようで、却って午後の授業において身が入らない者が続出したが、それは教官側も同様であったので特に騒ぎになる事もなかったのである。


****


「よもや陛下が再び食堂まで足を御運びになられるなんて……」


 その日の夕刻。いつものようにフレッチャー元第一師団長の邸宅に集合した「戦技授業改革派」の会合で、イメル・シーガ主任教官が感想を口にすると、エイチ学校長も大きく頷いて同意した。

シーガ主任教官は、自身の雑務もあってか……本日は昼食を遅めに摂る事にしていたので食堂での国王訪問に遭遇する機会を逃していた。そしてエイチ校長は自室で食事を摂りながら、午前中の随行記録を纏めていたので食堂への随員から外れていたのである。


「まぁ、陛下の食堂訪問もそうじゃが……儂としてはマーズ主任が殊の外、陛下の覚え目出度い事に驚いたな」


「私も同感です……。よもや私の名を陛下が御存じでいらしたとは……」


タレンも思い出したかのように当時の感想を口にする。「ヴァルフェリウス公爵家の次男」という肩書を抜きにすれば、北部方面軍の一将校の名前を国王陛下(最高司令官)に評価されている事など、通常では想像し難い。


 前にも書いたが、タレン・マーズ自身は自らの異名である「北部軍の鬼公子」の知名度が、軍中央にまで伝わる程に高まっている事など知りようも無い。せいぜい第一師団内の下級兵曹の間で、その呼称が広まっている程度に考えていただけに……突然、近衛大佐の口から()()()が出て来るとは思いも寄らず、国王陛下からも賞賛を受けた時は血の気が引く程に驚いたのも頷ける。


「それに何と言っても、君とヘンリッシュ君の立ち合いだ。昨年末の授業を見た時も大きな衝撃を受けたが、本日のものは、あの時の比ではなかったぞ。陛下も完全に君達の戦いに夢中の御様子であらせられた」


「返す返す残念です……。私も是非その立ち合いを拝見させて頂きたかったですわ……」


シーガ主任の声には悔しさの成分がかなり含まれている。「北部軍の鬼公子」が国王陛下が観覧した戦技授業において、随行していた「王都の達人」エリオ・シュテーデル近衛大佐と共に噂の一回生首席生徒を包囲する「本来の戦技授業」に参加し、最後は壮絶な一騎討ちとなって陛下を驚嘆させたという話は、自身も包囲に参加したドライト・ヨーグ教官が職員室で吹聴しており……他の戦技教官だけでなく、座学の教官までもが「王都では見た事もなかった生命を懸けた戦い」の描写に目を輝かせていたと言う。


「マーズ主任の武勇はすっかり職員室の者達の話題になっておりまして……」


 シーガ主任の述回にタレンは苦笑しながら


「いやいや……それでも結局は5人で彼を囲みながら仕留める事が出来なかった。ヨーグ教官は兎も角、陛下随行の3人はかなりの遣い手だったが……それでも勝てなかったのだ。恐らくは現状で、この学校内の『武術家』の皆さんが何人で囲んでもヘンリッシュを捕えるのは不可能でしょうね」


「近衛大佐のシュテーデル男爵は……王都では5……いや3指に入る剣の達人と呼ばれていらっしゃる方です。そのような方でも及ばないのであれば……マーズ主任の仰る通りだと思いますわ」


「あぁ……あの近衛大佐殿は、そのような御方だったのか。確かに……剣を把っての立ち振る舞いは見事なものだったな」


「訓練が始まる前にヨーグ教官殿がご丁寧にも教えて頂いたところによれば、あの2人の儀仗兵の方々も剣の腕前で有名だったそうですよ」


その2人を一蹴した当人であるマルクスが、思い出したように付け加えた。


「まぁ……城外に出られる陛下に対して、あの少人数で随行するのじゃ。並の護衛であるはずが無いわな。確かに……陛下の御観覧中に見た彼等の身のこなしは只ならぬ雰囲気は感じたの」


学校長も納得の表情だ。


「ヘンリッシュ、あの3人は言うなれば『剣術を究めた』部類に入る人々だったと思うが、実際に立ち会ってみての印象はどうだったのだ?」


 タレンの問いに対して、マルクスは苦笑を浮かべながら


「どう……と言われましても……。私にはあまり申し上げる事はございませんね」


「戦場ではどうだ?戦場において『敵』として相対した……と仮定してだ」


「戦場ですか……?そうですな……まぁ、このように申し上げるのは些か心苦しいのですが」


多少、言葉を濁すような口ぶりで


「正直、脅威には感じません……かね……。一対一の戦いに拘られるようならば、それ程行動力を奪うのに苦労はしなさそうですし……。3人纏めて撃ち掛かって来られても、現状そのような技術をお持ちでは無さそうですし」


最後はアッサリと「大した事は無い」と言い捨てるかのように語った。通常であれば近衛師団が誇る「剣の達人」3人に対しての不遜な物言いに周囲の大人達は驚くのだろうが、本日の立ち合いを見た学校長……そして彼等と実際に組んでマルクスの包囲に参加したタレンは、この首席生徒に過去の立ち回りから更に一段上の強さを見せ付けられたので、「まぁ……そうだろうな」という風に納得してしまった。


「まぁ……私の事はどうでもいいのですが……」


 マルクスがいつものように自身の事についてはぐらかそうとしたところ


「あぁ……そうだ。昼食の席で君が話していた『君の師』についてだが……あれは本当の事なのかい?」


この場に居る大人の中で唯一……国王陛下との昼食の席に相伴を与ったタレンが、あの時にマルクスが語った「我が亡師」についての話を思い出し、話題を変えてきた。


「私の師……あぁ、あの話ですか。勿論本当の事です」


マルクスは昼食時に食堂で語った内容を思い出し、心中で笑いながらも面にはそれを出さずに応じた。


「まさか君の師が難民出身の方であったとはな……。つまり君の……君がその……学んだという『実戦観』というのは隣の……エスター大陸での話なのかい?」


 タレン以外にこの場に居る、学校長を始めとしてフレッチャー元師団長やシーガ主任教官、オーガス憲兵中尉も、目の前に居る首席生徒……自分達の経験を超越する能力を示し続けている若者を育てたとされる人物の話題が突然タレンから飛び出したので驚き、本人の口から何が語られるのか興味津々と言った様子になった。


「さあ……。私にも詳しい事は解りません。何しろ、私が『師』と出会ったのは彼が最晩年を迎えてからの事です。私は彼の最期の5年程を一緒に過ごしただけですので」


「しかし……あれだろ?その難民としてこの大陸に渡られていらした方から、君はあの戦闘術と医薬の知識を学んだのだろう?」


「ええ。まぁ……結果的にはそうなりますね」


「君の他に弟子は居なかったのかい……?その……君にとっては兄弟弟子とでも言うのか」


言葉を選びながら……と言った態で質問を口にするタレンに対し、マルクスは表情に感情を現す事無く


「亡師が隣の大陸からの難民であった事は事実です。昼食の席においては、国王陛下の御前でもあった手前、申し上げる事は差し控えましたが……彼等『戦時難民』と呼ばれる者達は、この国では最下層の……差別の対象とされております。主任教官殿は、そう言った彼等の境遇をご存知でしょうか?」


無表情であるはずのマルクスの目から異様な光を発している……ような気がしたタレンはやや怯みながら


「す、すまん……。私にはその……彼等難民の者達がどのような暮らしをしているのかまでは……」


「いやいや。別に主任教官殿を責めているわけではございません。しかし……この国は建国以来3000年に渡って戦時難民を保護するわけでも無く、国内で放置し……その結果として『王国民になれない』彼等は、人間としてまともな扱いを受ける事無く、この王国社会の最底辺で毎日を必死に生き抜いていたのです」


「私の師も同様です。いくら優れた資質、能力を持っていても難民出身である限り……この国ではまともな暮らしを送る事は出来ないのです。難民故に王国民としての身分を与えられず、その為に住居や店舗を構える事も許されず、いつも自前で素材を調達してはせっせと薬を作り……それを詰めた袋を背負ってダイレムの下町で売り歩いておられました。ダイレムは西海岸の港町です。この大陸の東に位置するエスター大陸から流れ着いて……ダイレムのような西の外れまで辿り着ける難民は、殆ど居ないでしょう。なので難民同胞も居ないあの町で、私と出会うまで、師は誰とも心を通わす事も無く『その日暮らし』の薬売りで生計を立てていらしたのでしょうなぁ」


 マルクスも言葉を選んでいた。今話している内容は、ともすれば「王国政府批判」に繋がる。難民問題を3000年間放置してきた王国政府に問題があるのだろうが、それを声高に主張するつもりは……彼には無かった。


それに、今更この件について王国を糾弾するまでも無く……難民の大半は故郷の大陸に新興した超先進国家に再収容され、逃避前や王国で這い蹲っていた頃と比べて格段に高い生活水準の下で幸福に暮らしている。かの国は周辺の蛮族国家を軒並み一掃した後に……他の大陸に、その存在を知らしめるだろう。その時、公式なルートで南北サラドス大陸の国家で不幸な境遇に陥っている同胞の返還を要求する行動を起こす……これがトーンズ首脳が目指す国家の未来像だ。


「その話が本当であれば……惜しいな……。私は一度君の師にお会いして、この身体を救ってくれた礼を……君を育てて頂いた礼を述べさせて頂きたかったよ……」


フレッチャー将軍が目を伏せながら率直な感想を口にすると


「小官もであります。ヘンリッシュ殿にこの脚を治して頂けた事で、どれ程希望を取り戻せた事か……」


ベルガも軽く涙ぐみながら俯き気味に話す。


「まぁ……我が亡師につきましては私自身も惜念の思いがございますが、今の世の中にはまだまだ野に埋もれたまま、この国の法によって浮かび上がれない有能の士は()()()と居るでしょうな」


その有能な者達も含め、この国で暮らしていた難民の大半は既に隣の大陸へ去っている……マルクスは心中でほくそ笑みながら殊更に残念そうな顔をしながら呟いた。今はこの連中に「難民という人種の存在」を仄めかすくらいにしておけばいい……。


 昼食時に垣間見た、国王の難民に対する意識の低さに一種の「失望感」を持ったマルクスは


(最早……この王国において戦時難民の境遇が改善される見込みなど望めまい。ならば将来的にトーンズの存在を王国内に知らしめて、故郷への帰還を促進させた方が余程有意義だろう)


君主を戴かない国……上古の時代に存在した前文明時代ではごくありふれた先進国家の姿を取り戻す存在と成り得る「難民の国家」を誕生させた賢者は今日また一つ……古い王国に対して見切りをつけたようであった。

【登場人物紹介】※作中で名前が判明している者のみ


ルゥテウス・ランド(マルクス・ヘンリッシュ)

主人公。15歳。黒き賢者の血脈を完全発現させた賢者。

王立士官学校入学に際し変名を使う。1年1組所属で一回生首席。

面倒な事が嫌いで、不本意ながらも「士官学校白兵戦技改革派」に力を貸す事となる。


タレン・マーズ

35歳。王立士官学校三回生主任教官。陸軍少佐。

ヴァルフェリウス家の次男。母はエルダ。士官学校卒業後、マーズ子爵家の一人娘と結婚して子爵家に婿入りし、家督を相続して子爵となる。

主人公によって「本来の白兵戦技」を知り、白兵戦技授業の改革に乗り出す。


ロデール・エイチ

61歳。前第四艦隊司令官。海軍大将。第534代王立士官学校長。勲爵士。

剛毅な性格として有名。タレンの戦技授業改革に賛同して協力者となる。


イメル・シーガ

31歳。陸軍大尉。王立士官学校一回生主任教官。担当科目は白兵戦技で専門は短剣術と格闘技。既婚。

猛獣のような目と短く刈り込まれた黒髪が特徴の、厳つい体格を持つ女性教官。

タレンが三回生主任教官へ昇格したのに伴い、後任の一回生主任教官に就任。

夫は財務省主計局司計部に勤務する財務官僚。


エイデル・フレッチャー

69歳。元王国陸軍第一師団長。退役陸軍中将。勲爵士。

リック・ブレアの前任師団長で、タレンが新任官した際には既に同職にいた。

定年引退後に大病を患い、生命を落としかけたが教会の治療に加えて主人公の投薬によって完治し、白兵戦技授業改革派に加わる。


ベルガ・オーガス

30歳。軍務省憲兵本部所属の王都第三憲兵隊長。陸軍中尉。独身。

タレンの元部下で北部方面軍第一師団第二騎兵大隊第一中隊第三小隊長を務めていたが戦闘中の事故で右足に重傷を負い憲兵隊に転属。

主人公によって右足を完治した後は士官学校常駐士官に就任。


ケーナ・イクル

15歳。女性。王立士官学校1年1組の生徒で主人公の同級生。一回生席次10位。

王都出身で実家は花屋。濃い茶色の短い髪にクリっとした目が特徴だが、ちょっと目立たない女子生徒。

主人公とは士官学校の入学考査の頃から何かと縁があり、クラスの中で最初に主人公に話し掛けた。


リイナ・ロイツェル

15歳。女性。王立士官学校1年1組の級長で主人公の同級生。一回生席次3位。

《賢者の黒》程ではないが黒髪を持つ女性。身長はやや低め。瞳の色は紫。

実家は王都在住の年金男爵家で四人兄妹の末娘。兄が三人居る。数学が苦手。


インダ・ホリバオ

15歳。男性。王立士官学校一年一組の生徒で主人公の同級生。一回生席次25位。

南サラドス大陸の大国、アコン王国からの留学生。士官学校構内の学生寮を利用している。実家はアコン王国の名家で、剣闘士風の剣術と狩猟で培った弓術を嗜む。


ロムロス・レイドス

47歳。第132代レインズ国王。(在位3025~)

名君の誉高い現国王。近代王室では珍しくの王立官僚学校を卒業しているせいか、軍部に対して疎遠であると言われている。


マレーナ・アガステロス・レイドス

47歳。レインズ王妃。国王が側妃を迎えていないので唯一の国王配偶者。実家は王都に本拠を構える中堅商会で、平民出身者。生まれつき体が弱く、また偏食気味のせいか最近はやや体調を崩しがち。


エリオ・シュテーデル

43歳。近衛師団国王親衛隊長。近衛大佐。男爵。

国王の身辺警護を務める親衛隊の隊長で随行責任者。国王の信頼篤く、剣術の腕前に関して全国区で名声を得ている。

新任官時当時の上官がジヨーム・ヴァルフェリウス公爵であった過去を持つ。


ラウシル・バナザー

60歳。宮廷筆頭侍医。医学博士。

王室構成員の侍医を務める王国医学界の権威。但し、栄養学は専門外であった為に王妃の食生活における健康面での管理が見落とされがちとなる。

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