魔法少年、完成
四月の桜が舞う頃。
待ちに待った高校生活、楽しい毎日が過ごせることに心を躍らせている。
「真帆、学校楽しみ?」
着飾った母親が隣の少年――天野真帆に問いかける。
「うん、とっても」
特に特徴のない黒髪、水色の瞳に眼鏡、知的な印象だが弱々しい態度。
触れる必要もない、特徴のない少年だ。
「困ったことがあったら、すぐ先生かお母さんかお父さんに相談するのよ?」
「うん、分かってるよ」
「そう、なら平気ね」
そう言って、母親は真帆の頭を撫でた。
「行ってらっしゃい、お母さんは先に行ってるから」
「うん、行ってきますっ」
真帆は生徒用の昇降口に入って行った。
上履きに履き替え、指定された教室に向かう。
すると、そこにはガラの悪そうな生徒と、傍観者を続けている生徒の二つに分かれていた。
――こ、こわ……なに、あの人たち。
真帆は刺激しないよう、静かに自分の席に座った。
――いぃ……こっち見てる? でも、絶対振り返ったら絡まれるっ、それだけは絶対に嫌だぁ……ッ!
真帆は担任の先生が来ることを心の底から願っていた。
「――皆さん、初めまして」
十分後、ようやく現れた男の先生。
熱血系と捉えられる体格、年齢は五十代ぐらいとベテランな雰囲気を醸し出している。髪の毛はそこまでハゲていない。
「担任の先生、副担任の先生は後程紹介しますので、まず、皆さんは廊下に番号順に並んでください」
――やっと解放されるっ、あの重たい空気から……っ!
なるべく集団行動的に、そして早く教室から出る真帆。
しかし、安堵したのはつかの間。並び終えた瞬間、体が硬直した。
――な、なんであの厳つい、しかもリーダー格っぽい人がいるのっ!?
ガムを食べ、髪を金髪に染め、学生服を着崩し、ネックレスにピアスを何個も開け、ポケットに手を突っ込んでいるいかにもガラの悪そうなやつ。
それが今、真帆の目の前にいるのだ。
――こ、こんな人と隣になんてなりたくないよぉ……席が一番前だったせいで後ろの人の顔知らないしぃ……っ!
真帆は地震の臆病な性格を呪った。ついでにこの悪運も呪った。
息を止めるような表情で、できるだけ刺激しないように入学式の会場へ歩き始める。
道中、会話の内容すら頭に入ってこなかった。
入学式の最中もまともに話を聞かず、ただ刺激しないことを心がけていた。
そして、担任たちの紹介を終え、教室に戻ってきた真帆たち。
「はーい、それでは皆さんに、自己紹介をしてもらいまーす」
担任である女性、名前は確か栢木先生だったはず。
なかなかな体つきをしており、そのおっとりとした口調のおかげもあり男子生徒の人気は急上昇だろう。
「まずは一番の子から、どーぞ」
指名された生徒が立ち、簡単な自己紹介をしていく。
その後も順調に進み、悲しいことに真帆の順番が回って来てしまった。
「はい、それでは次の子」
「ひゃいっ!」
返事をする声が裏返り、真帆は顔を真っ赤にしたまま立ち上がった。
「あ、あの、えと、ぼ、僕の、名前は、そ、その、えと、あ、天野、真帆って、言います。えと、えと、その」
「天野君、落ち着いて落ち着いて、深呼吸だよー」
栢木先生が静かに指摘するが、真帆にはそんなことを気にする余裕もない。
「す、好きな、ものは、えぇと、えと、アニメ、で……と、特に、魔法少女が、好きです」
「――まほうしょうじょぉ?」
瞬間、真帆の背筋が凍った。
振り返ることができなかったが、その必要もなかった。
声の主であろう生徒が真帆の前に出てきた。
――こ、この人、僕の前にいた、あの……っ!
「てめぇ、なぁに子供みたいな趣味してんだよ? あぁ? 魔法少女だってよ! こいつ、かぁわいくてぇ、つよぉい、魔法少女が好きなんだとよぉ!!」
すると、教室内のガラの悪そうな生徒が一斉に笑い出した。
「こらこら! 人の好きなものを笑わないの!」
栢木先生が制止をかけるが、それでも止まることはない。
真帆は声が出なかった。いや、出せなかった。
「気持ちわりぃ趣味してんなぁ! あぁ? 女っ気のある奴と同じクラスだなんて思われたくねぇよなぁ? おめぇらもそうだろ?」
そーだそーだ、の大合唱。誰も止めてくれなかった。
真帆は自然と涙が零れた。
――どう、して……どうして、笑うの……?
疑問しか浮かばない。だって、今の今まで笑われることはなかった。なのに……――
クラスの中は真帆を嘲笑うような声で溢れ返っている。
そこで、真帆は気づいてしまう。
――僕、ずっと……笑われてたの?
趣味を楽しく話せていたあの友人は、影で真帆のことを笑っていたのだろうか。
魔法少女が好きな真帆のことを、気持ち悪いと。
アニメが好きな真帆のことを、友人と思いたくないと。
こんな真帆と――一緒になんていたくないと。
陰で、そう言っていたのだろうか。
崩れ落ちた真帆に、もう周りの音は聞こえていなかった。
ただ、教師たちに連れて行かれる彼らと、駆け寄ってくる栢木先生の姿だけは捕らえられた。
最悪なスタートを切った真帆の高校生活。
その日、真帆は家に帰って部屋に籠ってしまった。
両親は真帆に暴言を吐いた生徒とその保護者、教師を交えて話をするそうだ。もちろん、真帆はそんなことできる状態じゃなかった。
「……ルアナちゃん、僕、間違ってた?」
かろうじて出た掠れ声は、真帆の憧れである彼女に届けられていた。
長い青の髪をツインテールに結わえ、ピンク色のメッシュを入れている。ふわふわの衣装を身に纏い、目の前の敵を倒さんとステッキを構える魔法少女。
テレビの魔法少女はどんな時もとびっきりの笑顔だった。
「僕、気持ち悪いのかなぁ……」
伸ばした真帆の手は空を切り、また涙が零れた。
部屋に溢れ返る魔法少女、それはすべてルアナという魔法少女。そう、真帆が人生を救われ、人生をかけてきたその軌跡が、真帆の部屋には溢れている。
まだもの後頃が付きたてのこと、同い年の男子が好きだった戦隊ヒーローはどうしても真帆にとって怖いものだった。
両親、特に父親はそれを克服させようとしていたみたいだが、それでも真帆は怖がったらしい。
そこで母親が、別のチャンネルでやっていたこの魔法少女ルアナのアニメを見せたところ、怖がることがなかったそうだ。
これ以降、毎週の恒例としてルアナを応援するようになった真帆。
歳を重ねるたびにルアナへの思いは大きく肥大し、高校一年にしてここまで成長した。
だが、今の真帆は、それを見てもなんとも思わなかった。
馬鹿馬鹿しく、なぜこんなものを、と言えるほどの呆れさえも生まれている。
「嫌だよ……僕、君を嫌いになんて……僕は、君が――」
その先の言葉が、どうしても出なかった。
心に居座るこの黒い感情が、どうしてもそれを許さなかった。
溢れ返る涙が代弁するように、ぽたぽたと服を濡らした。
「ごめん、なさい……ごめんなさい……ごめんなさいっ……」
ただ空しく、真帆は涙を零し続けた。
「僕が、こんな僕が……君みたいな子を、応援して……ぅっ」
嗚咽が零れ始め、止めどなく溢れる感情があたり一面を黒く染めるようだ。
「僕が、いなければ……僕、なんか……っ」
瞬間、より一層黒い感情が溢れた感情もろとも喰らい尽くした。
「ルアナ、ちゃん……ごめん、な、さい……っ」
ただの憧れだったその少女に。
なりたいとすら思ってしまったその少女に。
真帆の人生を捧げた、可憐で強くて優しくてかっこいいルアナに。
真帆は生まれて初めて、目をそむけた。
「僕が、君を愛して――生きてて――ごめんなさい……ッ!!」
真帆は、人生で初めて――死にたいと願った。
――カラン、コロン。
音がした。
死を願う音がした。
――カラン、コロン。
絶望の音がした。
共有できない悲しみに、絶望する音がした。
――カラン、コロン、カラン、コロン、カラン、コロン――
鳴り続けるベルを止め、女性が本を閉じた。
「……可哀そうに」
伏せていた瞳を開き、女性は一枚の便せんを取り出す。
そこに、何やら文を書き、黒い封筒に入れ、封をした。
「さぁ、あの子のもとへお行きなさい」
女性が封筒に息を吹きかけると、それは風に乗って窓の外へと飛んで行く。
――チリィン……チリィン……
死の音色が静かに鳴っていた。
泣きつかれていたせいか、そのまま眠りについてしまった真帆。
翌朝、真帆が一番始めに目についたもの。それは、差出人不明の黒い封筒だった。
「これ、最近話題の……?」
巷で噂されていた、【黒い手紙の葬儀屋】。
なんとも、『死春期』というものに陥った人物だけが来店出来るらしい。
その証拠として、この黒い手紙が届くらしい。
「……偽物とかじゃ、ないよね?」
この手の悪戯はテレビでもニュースになるほど。
最近では中高生に大人気で、この手の商品が爆発的に売れているらしい。特に、悪戯用のものが。
「……開けてみよう、かな」
真帆は恐る恐る封を切り、中の手紙を手に取った。
【理解してもらえず、助けて欲しいと願うことすら許されなかった、可哀そうな魔法少年さん。私からあなたに、少しばかりの夢の力を授けます。あなたには、人を助ける資格があります。どうぞ、ご来店のほど、お待ちしております】
「……本物、だよね? 多分」
真帆は手紙を封筒に入れ直し、ベッドから降りた。
リビングに降りて行くと、両親の姿はなく、代わりに置手紙とお金があった。
「今日は学校を休みなさい、朝ご飯は冷蔵庫、お昼は好きなものを食べてください……か」
昨日の事件があり、真帆は昨晩から学校を休むようしつこく言われた。
――あんなことを言う人がいるところになんて、もう行かなくていいっ!
涙ながらに怒りを露わにした母親は、真帆を思いっきり抱きしめてそう言っていた。
まるで、先ほどのように思い出されたその言葉に、心が、チクリ、と痛んだ。
時計を見ると午前十時を過ぎていた。学校から連絡が来ないのは両親が学校に電話したからだろう。
「朝ごはん、これかな」
真帆は冷蔵庫から朝食を取り出し、レンジにかける。時間は適当だ。
「外出するのはどうかと思うけど……少しくらい、いいよね」
手にしていた黒い封筒を見つめる真帆。
どうやら中身は本物みたいだし、ご丁寧に場所を示した地図も入っている。
「家にいても、きっと辛いだけだろうし……」
思い浮かぶ真帆の部屋に溢れるあのまぶしい笑顔。
あの部屋に押し込まれていれば、きっと真帆の心が潰されてしまうだろう。
「うん、外に出よう」
真帆が外出を決めるのと同時に、レンジが軽快な音を鳴らした。
テーブルに急いで持っていき、ラップを外して一口。
租借しながら、もう一口、そしてもう一口。
一人で食べる朝食はいつにも増して味がしなかった。
時刻は十一時を指す手前頃。
身支度を済ませた真帆は人気の少ない路地裏を歩いていた。
「ここで、いいのかな」
黒い封筒に入っていた地図に従うまま、連れて来られたのがこの路地。
そこには、古ぼけたドアと『メモリアル』と書かれた看板が立っていた。
「…………」
少々凝視してしまった真帆は、はっ、として頭を振った。
――こ、こういう店だよね、きっと。
言い聞かせるように何度も頷く真帆。
「…………よし」
真帆は手の中の黒い封筒を握りしめ、そのドアを開けた。
――コロンッ、コロン。
ドアベルの音が店内に響き、人影がこちらを向く。
「おやおや、お客さんですか」
顔を黒いベールで覆い、表情を隠した女性の声が見ていた。
その手には一冊の黒い本が握られている。
「こ、こんにちわ」
恐る恐る挨拶を返す真帆。
「いらっしゃいませ、お客様」
女性はよくある文言を口にしながら、真帆の前にやって来る。
身長は真帆より数センチ小さいぐらい、よく見ると黒と白の長い髪をしている。顔はベールで見えないものの、不気味な笑みを浮かべていると雰囲気で察した。
服装は真帆の好きなルアナと似たような黒いドレス。俗に言うゴシックロリータだろうか、それよりは装飾がシンプルだ。
「……おやおや、どなたかと思えば先日の」
「え?」
クスクス、と女性が笑うが、真帆は見当もつかなかった。
――この人、どこかで会ったっけ?
しかし、いくら思い出そうとしてもこの服装と声に覚えはなく、首をひねる真帆。
覚えのない真帆をよそに、女性は手を差し出した。
「ご来店、ありがとうございます。招待券のご提示を、お願いいたします」
――招待券?
真帆の手持ちはバッグの中にある財布と携帯、交通費、あとは手に持っている黒い封筒ぐらい。その中で招待券っぽいものと言えば。
「招待券って……これ、かな?」
真帆は手に握りしめていた。黒い封筒を手渡した。
「……はい、ご承知いたしました」
すると、女性はカウンターの方へ戻って行った。
真帆は首を傾げながら、とりあえず店の商品を見てみることにした。
どれもこれも、真帆が見たことのないものばかりで、少し心が躍った。
――これ、どうやって作ってるのかな……あ、これ、アニメで見たことある。
視線をあっちこっち動かし、狭い店内を歩き回る真帆。
すると、足元に違和感を感じた。
視線を動かすと、生きているように動くぬいぐるみの姿があった。
「うわっ、ご、ごめんなさい」
しかし、真帆の言葉が理解できないのか、はたまた興味がなくなったのか、ぬいぐるみはどこかへと歩いて行った。
「なんなんだろう、あれ……」
「瓶に詰められた空。生きているぬいぐるみたち。流れ星の店内照明に、宝石を並べたシャンデリア。どれも私の手によって作ったものです」
「うわっ、いつの間に」
気づかぬうちに隣にいた女性が、青空の瓶を真帆の手に渡す。
「来店得点として、お一つどうぞ」
「え、でも……」
「またご来店していただけるように。それと、ズル休みの学生がそこらを適当に歩くのはいかがなものかと」
「はぁ……ん?」
真帆はふと、違和感を覚える。
――この人、どうして僕が学生って、それに休んでることも……。
年齢は教えてないはず。年齢が分からなければ学生と分からない、学生と分からなければ学校を休んだと言うことも推測できないはず。
大学生だとしても授業によって行く時間が変わるし、社会人である可能性だって捨てきれないはず。
――さっきから、この人、なんで僕のことを知ってるんだろう……?
真帆はこの女性に不信感を抱き始める。
すると、女性が真帆の目をじっと見つめて来た。
「…………」
「あ、あのぉ……なんでしょうか?」
「……可哀そうに」
真帆が眉をひそめると、女性は目元を撫でて来る。
「泣き腫らした跡があります。きっと、学校で悲しいことがあったんですね」
「――――っ!?」
真帆が二、三歩後ろに下がると、女性はまた不気味な笑みを浮かべる。
「ふふっ、そう構えなくてもご心配なさらずに、私はあなたに危害を加えるつもりはございませんので」
「危害って…………あ、あの」
真帆は改めて女性にこう聞いた。
「どうして、僕のことを知ってるんですか?」
すると、女性は「ふふふっ」と笑いながら背中を向けた。
――僕、変なこと聞いちゃったかな?
そう心配していると、女性は取ってきた筆先を真帆の目元に這わせる。
「へっ!?」
驚いた真帆の手首を優しく掴み、するり、と手を取った。
「あ、あの、僕、失礼なこと」
「……はい、これで少しは気になりません」
何のことやら、と首を傾げる真帆に女性は鏡を見せた。
そこには、顔色がよくなった真帆の顔が映っていた。どうやら、泣き跡を消してくれたらしい。
「それで、私がなぜあなたのことを知っているのか、でしたね?」
突然の話題の切り替えに真帆。
「え、は、はい……どうして、僕が休んだことや、僕のことを先日のって」
生憎、真帆には彼女を見た覚えはない。なら、彼女が一方的に見ていたことになるが。
「ええ、もちろん。私が見ていたからですよ」
案の定恐ろしい回答に真帆は身を縮める。
「見てたって、いつ?」
「もちろん、あなたがあなたでなくなった時から、ですよ」
真帆はその意味が分からず、首を傾げた。
「どう言う……」
「その内分かりますよ。それに、なんとなくご察ししているのでは?」
「それは……そうですけど」
この女性が黒い手紙の送り主だとすれば、きっと、学校での出来事を知っているはず。
何故そんな結果に至ったのかは真帆にも分からない。だけど、これが正解だと確信できる何かが、彼女から伝わって来るのだ。
――多分だけど、この人、きっと何度も誰かの死に際を見て来てると思う。
それを悟らせないために、目元を隠しているのかもしれないし。
「これが何だか分からない、私はそれでも正解だと思います。ですが、それを許さないのがお客様の住むご時世でございます。そんなあなた方に助言やら商品やらを提供するのが、私の使命でございます」
そう言うと、女性はベールの包まれたその顔を、ぐいっ、と真帆に寄せた。
「お客様が望むのであれば、私の体も心も捧げる意思にありますので」
「そ、そこまでしなくても」
弱々しく断ると、女性は近づけていた顔を下げた。
「ええ、承知の上です。あなたは心優しい方ですから」
満足したように、女性はカウンター奥に消えてしまった。
取り残された真帆は、女性が消えた先を見つめた。
「そう言えば、これってどういう商品なんだろう……」
渡された青空の瓶を見つめ、真帆は考える。
回転させたり、底を覗いたり、振ってみたりしたが、特に何も起こらなかった。
観賞用しか思い浮かばなかったので、好奇心で開けてみることにした。
「あ、あれ、これ固い……っ」
瓶の蓋を力いっぱい掴み、勢いよく引き抜く。
「うわっ!?」
思いのほか力任せに引っ張ったせいで蓋が飛んで行き、中身が宙を舞う。
すると、宙を舞った青空が制止し始め、まるで絵画のように漂っていた。
「……綺麗」
切り取った写真のようなリアリティと描いたような筆跡がなんとも不思議な光景で、思わず青空に目を奪われる真帆。
「――いかがでしょう、この商品は」
「ひゃ!? ま、またいつの間に」
今度は背後に立っていた女性に真帆。
「綺麗ですね、これ」
「そうですか、ではもう一ついかがでしょう? 一つ三百円です」
別の色の瓶を進めてくる女性。真帆はそっと押し返す。
「え、えと、考えて、置きます」
ぐいぐいと別の瓶を進められ、真帆はとりあえず保留の胸を伝えた。
「そうですか、それでは本題へ移りましょうか」
「ほんだい?」
「ええ、この黒い手紙の要件です」
と、先ほど渡した黒い手紙を見せてくる女性。
真帆は途端に恐ろしくなって全身が強張って行くのを感じた。
「私がこの手紙を送りつけた意味、お分かり頂けます?」
「えっと、それは……僕が、『死春期』だから、ですか?」
『死春期』。ここ数年に見つかった人間の新たな成長期らしい。
特に、真帆の年代くらいの少年少女がかかりやすく、人生に絶望したものが発症する一種の病気のようなものらしい。
対処法や直し方などは表沙汰にされておらず、とにかく気合と根性で治すのが世間のやり方だった。あとは、学校での対処や家庭での休養など、様々な処方がなされている程度。
「ええ、確かにあなたは死春期です。比べていいものかは判断しかねますが、低レベルの」
「て、ていれべる?」
案外軽そうな病状に少し安心する真帆。
「ええ、発症した例の中ではまだ初期段階の方です。今の状態でならば、治療すれば完治する確率が高いです」
「そ、それなら――」
しかし、女性は真帆のその先を指を当てて遮った。
「今の状態ならば、です。裏を返せば、非適切な処置を行えば悪化し、取り返しのつかないことになります」
「と、取り返しの、つかないこと?」
「簡単にすれば、膨大な罪を犯すのと同じようなものです」
「同じようなって、そ、そんな大変な状態に、僕が?」
真帆はあまり実感が沸かなかった。
こんな、どこにでもいそうな平凡男子高校生、世界中を探せばいくらでもいるだろう。
そんな中、この天野真帆が『死春期』を発症してしまった。
一体、どんな神様に見守らているのだろう。いや、この場合は見放されてだろうか。
自分の手を見ている真帆に、女性が続ける。
「言ってしまえば、あなたのような方が一番発症しやすいですよ」
「僕が、一番?」
「はい、今の今までいじめにも合わず、それなりの苦労、それなりの幸せを味わっていた人物が、突然の環境変化、周囲からの拒絶、その他もろもろ、多数の特定要因で引き起こします。それを数日で乗り切れる見込みがあるものには、この手紙は届きません」
「つまり、僕は心が弱いってことですか?」
「逆です」
真帆の言葉に間髪入れずに答える女性。
「心が弱い、と言うことは、嘘、偽りのない純粋な心、と言うことです。言ってしまえば、嘘をつけなければ渡って行けないこのご時世が悪いのです」
「でも……」
真帆が口をつぐみ、俯くと女性は、ふっ、と笑む。
「そんなあなたに救いの手を授けるのも、私の役目ですので」
そう言うと、女性は紙一枚とペンを真帆に差し出してくる。
「これは契約書です。内容をご確認のうえ、署名をお願いいたします」
女性はカウンターに戻り、再び本を読み始めた。
真帆は渡された契約書に目を通す。
「葬儀屋との契約、および願い請求?」
「あら、ご存じないですか?」
女性が本を読みながら答える。
「葬儀屋、死を操るこの世界の異端者。願いと引き換えに死を要求する。これが巷の評価だと思っていましたが、まさかご存じない方がいらっしゃるとは」
「ち、違うんですっ、ただ、こう言うものなんだなぁって、思って……」
「ふふっ、冗談です。ここにご来店くださった時点で、あなたが葬儀屋の存在を知っていることは承知していますので」
真帆はやっぱり、この女性は理解できないと思うのであった。
――ここに名前を書けば、願いを叶えてもらえる……。
噂では、どんな超常現象でさえも、死を代償とすれば叶えてくれる。それが葬儀屋だったはず。
――でも、その代わり、僕は死ななきゃいけない……。
確かに、叶えて欲しい願いなんていくつもある。だけど、それを叶えるために死ななきゃいけない。
願いと生が真帆の中の天秤にかけられる。
期待される未来、将来をまだ知らないこの体、もしかしたら、まだ生きて行けばもっと幸せな未来が舞っているかもしれない。
でも、もしここでこのチャンスを逃せば、明日死んでも願いが叶わない。どんな夢も今ならば契約を交わせば叶えてくれる。
激しく揺れる天秤は、一つの思いで一気に傾く。
――でも……僕は一度でも、夢を見てみたい。
ガンッ、と天秤が願いの方に傾く。
例え、死んだとしても、たった一度の夢があれば怖くはない、と思える。
――でも、僕が死んだら、お父さんとお母さんは、どう思うのかな。
ここまで育ててくれた両親、叔父に叔母、かかわってきた友達に供し、そして何より、ここまで懸命に支えてくれた、名前も呼んでくれないあの魔法少女、ルアナ。
徐々に傾いていた天秤が生の方へ傾き始める。
――…………悲しんで、くれるかな。
頑張ってルアナに会うんだ。そして、いつも応援してるよ、ありがとうって言うんだ。と、小さい頃から考えていた夢。
――…………ルアナちゃんに、会いたかったなぁ。
そんな心残りを胸に、真帆は契約書に名前を書いた。
取られたのは願いの方だった。
「ご署名、ありがとうございます」
女性は本を閉じ、契約書を瓶に詰めた。その瓶には真帆の名前が彫られていた。
「あの、この後、どうなるんですか?」
「あら、そんなに結果が気になりますか?」
なんとも悪戯っぽい表情を浮かべているようで、女性の声色が変わっている。
「そりゃぁ……そうですよ」
「そうですよね、そうですよね、人間の性によって気になりますものね。そうですよねっそうですよねっ」
先ほどまでの女性とは打って変わって積極的な態度。
「それではお見せいたしましょう! あなたが望んだ美しい死への第一歩を!」
瞬間、女性の顔を覆っていたベールが剥がされ、黄と青のオッドアイが姿を見せる。
「――――え?」
そして、真帆が目を奪われたのは彼女が持っているそれ。
巨大な宝石を、まるで死神が持つような鎌に形どったようなもの。光を反射して輝いている。
突如出現した鎌の詳細を聞くまでもなく、女性はそれを振った。
「それでは――最も美しい死を、ご提供いたします」
赤い薔薇の花弁が散らばり、真帆の意識はそこで途絶えた。
「――――真帆っ!」
突然、名前を呼ばれた真帆は意識を取り戻す。
「え、あれ?」
そこは、『メモリアル』ではなく見覚えのある街並み。
あの地図に従って通った街並みだ、と思い出す真帆。
「僕、一体何を……」
「油断しないで! まだ敵が襲ってくるかもしれないから!」
ふと、背中に人の気配を感じた真帆。
「え、敵? ていうかその声……ルアナちゃん!?」
背後からかかる声の主を確かめるため、真帆は振り返る。
そこには、テレビ越しにしか見れなかった青髪の魔法少女、ルアナの姿があった。
「何寝ぼけてるの、真帆っ。こんな状況で夢から覚めたみたいなこと言わないでっ」
「え、ぼ、僕、ルアナちゃん、え、なんか姿変わってるし!? ど、どういうこと!?」
「何言ってるのよ! 真帆、構えて!」
ルアナに言われるまま、いつの間にか握っていたステッキを構え、真帆は状況を理解できないまま戦うことになった。
「こ、これ、一体どういうことぉっ!?」
「――くふふっ、一時の夢を、お楽しみください」
静かに佇む、その黒い影を、真帆が知ることはないだろう。