92 小さな大冒険
ごほん。ちょっと話題が逸れたけど授業を再開しよう。さっきまでのはオレにとっては未知の魔物という生物を取り扱った実験だったけど今からの授業は既知の、つまり地球で学んだ知識を教えるので割と楽だ。
「次は混作や輪作について説明しよう。前にマリーゴールドについてはちょっと説明したな?」
「センチュウの駆除や予防に向いている花だよね~」
「その通り」
マリーゴールドが見つかったのは全くの僥倖だった。何しろあれはほぼ全ての植物と相性がいいコンパニオンプランツというやつだ。
コンパニオンプランツとは共栄作物などと言い一緒に育てると良い植物をざっくりと指し示す言葉だ。もっともこの世界の植物と地球の植物ではかなり違うのでオレの知識と同じかどうかはもちろん、オレの記憶自身が間違っている可能性も十分ある。
「輪作や混作の基本はお互いを補完する組み合わせだ。例えば虫が好む植物の隣に虫が嫌う植物を植えたり、養分を大量に必要にする作物と少なくていい作物を育てたりとかだな」
オレたちは昆虫寄りの魔物が多いせいか植物に関する感覚が人間とは全然違う。香りなどが人間だったころよりも遥かに色鮮やかに感じられる……残念ながらその感覚を人間が発達させた文字という方法では伝えることができないけど。
だからこそこの辺りの虫の好みなんかは学ばなくてもおおよそわかる。
「後は根菜と葉野菜とかある程度違う部分を可食部とする作物なんかもいいらしいな。根が浅い植物と深い植物とかも同様だ」
同じような植物を育てると連作障害や栄養不足になったり、害虫が発生しやすくなる。大事なのは違うものを育てること。もちろん例外はあるけどね。ぶっちゃけ生物学や農学には例外がつきものだ。
当然相性が悪い作物も存在する。生姜とジャガイモがそうだ。
実際にジャガオを辛生姜の近くに植えると全く成長しなくなった。これも植物同士の相性が原因だ。
「お前らだって渋リンばっかりだと飽きるだろ? 植物も同じで違うものを食べたりした方がいいってこと」
「「「「なるほど」」」」
こういう時はやたら返事いいよね君ら! この食いしん坊どもめ!
「例を挙げていけばきりがないけど、まず有名なマメ科と一般的な野菜の組み合わせについて解説するか。マメ科が農業において重要なのはマメ科の持つ窒素固定細菌の働きが大きい。これで窒素化合物を作ってる」
窒素は空気中に大量に存在するけど純粋な窒素の状態では利用できない。そして空気中の窒素の化学式はN2。この窒素原子同士の結合がやっっっったら固い。
窒素原子同士の結合を切断してアンモニアなどの利用しやすい窒素化合物に変換してくれるのが窒素固定細菌だ。マメ科の多くは窒素固定細菌である根粒菌と共生し、植物の生育に必要な窒素が少ない荒れ地でも生育可能になっている。
「紫水。わかんない」
まあそうだよな。いきなり窒素固定なんて言われてもわからんか。
「要するに食べられない物を食べられるようにしてくれるんだよ」
「「「「わかった」」」」
仲いいね君たち!
「ただまあ、オレたちの場合あまり窒素固定については気にしなくていい。多分オレたちはすでに窒素固定ができているからな」
そう。
地球の農家さんの頭を散々悩ませてきたであろう土壌中の窒素不足についてはすでに、オレが来る以前から解決済みだ。
何故なら蟻にはハイパー肥料である蟻の幼虫の糞がある。
なんじゃそりゃと言いたくなる気持ちはわかる。何しろ糞だからな。しかし以前解説した通り糞は非常に重要な肥料だ。そして何よりオレたちには多分シロアリが混じっている。
実はシロアリの体内には窒素固定細菌が共生している。
窒素固定細菌と共生している動物なんてシロアリくらいしかいなかったはずだ。オレが知らないだけで他にもいるかもしれないけど。つまりそこら辺の枯れ葉やら土やらを幼虫が齧るだけで良質な窒素肥料の出来上がりになる。
というか多分それくらい幼虫の糞が肥料として優秀じゃなければここまでの農業はできないはずだ。
ちなみにシロアリの窒素固定細菌をはじめとした微生物は体内で複雑な共生関係を維持しており、現代科学でさえも培養は困難である。
つまり、ある意味では地球を超えている。
シロアリに悪いイメージを持っている人も多いだろうけど生態系の構築に大きく寄与している。一寸の虫にも五分の魂どころではない。一寸にも満たない虫が地球を支えている。だからと言ってゴキブリを擁護する必要はないけどな。奴らは見つけ次第殺していい。
「じゃあ何で説明したの?」
「これから説明することに必要だからな。それとここまでで質問はあるか」
「は~い」
「はい、千尋君」
聞けばちゃんと質問してくれるとは、なかなか積極的じゃないか。
「ちっそかごうぶつっていうのを直接畑にあげればいいんじゃないの?」
なるほど。確かにそれはその通りなんだけどな。
「窒素化合物にも種類があるからな。それこそ人体だって窒素化合物だけどただ死体やら糞を撒くだけじゃ植物にとっていい栄養にはならない。ちゃんと吸収しやすくないといけない。それこそ化学肥料でもあればこんな七面倒くさいことしなくていいんだけどな」
「かがくひりょう?」
「窒素肥料だと塩安とか硫安とか、ハーバーボッシュ法がないと難しいだろうな」
生徒たちの顔に?マークが大増殖する。無理もない。色々すっ飛ばし過ぎだ。
確かに化学肥料と農薬があれば農業生産能力が超アップ間違いなしだ。
混作とか輪作とか肥料の調達とかしなくていい。
いわゆる混作や輪作、今オレがやっている農業は自動的に有機農業になる。有機農業ってきくと安全だとか思うかもしれないけど、実際にはきちんとした知識や技術が必要でもしそれがなければ農業という態にさえならないかもしれない。
ゲームに例えて説明するとそうだな。
化学肥料で土壌を挙げて、農薬で病害虫の回復手段を整えて、農耕機械で収穫量を底上げしてから、全員ジョブを戦士にして物理で殴る方法だ。
対して有機農業は戦士や魔法使いなどのジョブをバランスよくそろえて時間をかけてレベルや装備、アイテムを整える。
ゲームとしてどっちが優秀なのかは考えるまでもないけどここは現実。例えば一度でもゲームオーバーになれば死ぬゲームなら誰だって前者を選ぶだろう。
だってそっちの方が楽だし確実だもん。いちいち魔法やらスキルの効果を覚えるより物理で殴るだけで終わるならそっちの方がいいに決まってる。
「それじゃあ次のステップだ。実際に輪作を行った農業を説明しよう。かなり有名な耕作方式、ノーフォーク農法だ」
イングランド発祥の大規模な農業方法であり、生産効率を飛躍的に向上させた農業でもある。
「基本は単純だ。冬穀である小麦、カブなどの根菜、夏穀である大麦、マメ科植物であるクローバーを順番に栽培していく。これにより家畜、牛や馬などの大型草食動物の飼料と穀物を一年中栽培できるようになった」
じっと周りを見渡す。問題なのはここからだ。
「ではこの農業方法はオレたちにも有効かどうか。各自理由を考えろ。三分間待ってやる」
蟻が石板に文字を刻むための魔法によって紫色の光が部屋で瞬く。
蟻以外は物を掴めるほど器用じゃない。蜘蛛は糸を操って指先以上に繊細な動作ができるが、流石に石を掘ったりはできない。そのため文字を刻む蟻を横に控えさせてそいつに文字を書かせるという形式だ。
部屋にはテストの時間特有の静かだけど張り詰めた空気が漂っている。教師ってこんな感じだったんだ。新発見だな。




