90 天へと昇る
日に照らされた肌が汗をにじませる強さになりつつある今日このころ。トゥーハ村はまたしてもにわかに慌ただしくなりつつあった。
再び御子様がこの村に来るという便りが届いたからだ。
誰もが何故? そう思っていたが、アグルだけはその真意を見抜いていた。
「久しぶりだね。ファティさん。林さんの方がいいかな?」
「お久しぶりです。奈夕でいいですよ。藤本さん」
転生者であるタストとファティは個室で再会を果たしていた。二人とも日本語で会話をしている。当然ながらおつきの女官には渋い顔をされたが、もはや止めても無駄だと悟ったらしい。
「元気そうでよかったよ。魔物に襲われたと聞いたから心配してたんだ」
「皆さんのおかげで、大丈夫でした。藤本さんこそ大丈夫ですか?」
社交辞令のような会話だったが、その表情は字面ほど堅苦しくはない。特にタストは重石から解放されたような顔だった。
「貴族っていうのも意外と大変だからね。もうちょっと気楽に暮らしているものだと思ってたよ」
「お疲れみたいですね」
今世でも前世でもそこらの一般人であるファティには想像しかできないが、上流階級にはそれなりの苦労が伴うようだった。だからこそこんな田舎まで来たのはそれなりの事情があることを察することはできる。
「まあ、色々と大変だよ。この国はセイノス教が色んな意味ですべてだからね。……念のために言っておくけど僕らが転生者だってことは誰にも知られちゃいけないよ」
「やっぱりそうなんですよね」
誰しも自分が転生者だということを話すのは躊躇うだろうがタストは絶対に話してはならない理由をよく理解していた。クワイでは、より正確にはセイノス教徒なら、だ。
「セイノス教では、輪廻転生という概念がないからね。もしかしたら転生した、そう言い出しただけで異端扱いされるかもしれない」
そういうとファティは不思議そうな顔をした。
「でも……この国って転生者……少なくとも地球と関係がある国なんですよね?」
「そうだね。そこはほぼ間違いないと思う」
「だったら、どうして? 私たちは確かにこの世界に転生させてくれた神様に会いましたよね?」
「推測、ううんただの憶測だけど、この国で昔転生者が自分の能力を使って悪事を働いたんだと思う。そのせいで転生というもの自体を否定するようになったんじゃないかな」
「そんな人がいるなんて……私たちはせっかく凄い力を貰ったんだから人の為に役立てないといけないのに」
「そんな風に考えられる人ばっかりだったらいいんだけどね。何にせよセイノス教に反することはしない方がいいよ」
「セイノス教に、ですか。その……それは魔物を……」
そこで部屋の外からタストを呼ぶ声があった。タスト付きの女官の声である。
「ごめん。少し席を外すよ」
「あ、はい」
タストは女官と会話したが、すぐに戻ってきた。
「ごめん、大したことじゃなかったよ。それで、どうしたの? 魔物がどうとか」
「いえ、何でもないです……。えっと、今日は何か用があってここに来たんですよね?」
「そう? なら本題に入るけど、今日は君にリブスティに参加しないかどうか聞きに来たんだ」
「りぶすてぃ? 何ですかそれは?」
「5年に一回開催される祭りで、僕らでいうところのオリンピックみたいなものかな」
「なんだか凄そうですけど……私なんかが参加できるんですか?」
「貴族だと頭首の子供には参加する義務がある。ルファイ家の頭首の子供は僕しかいないからルファイ家の場合僕だ。ただし僕は参加できない」
参加しなければならないのに参加できないとはなぞなぞのような矛盾に満ちた説明だった。しかしこの世界で過ごした経験からおおよその事情は予測できた。
「男の人は参加できないんですか?」
「そうだね。リブスティは男子禁制の祭りだ。でも頭首の子供が男子だけだった場合代理が立てられる……いや立てなくちゃいけない」
このスーサンでは基本的に女性が外に出る役割を担っている。故に祭りの中心になるのが女性であるのは必然だろう。古代のオリンピックでは逆に女人禁制だったそうだが……世界が変わればルールも変わる。
「でも、どうして私に?」
「一つは単純に僕の母親の要望だ。……はっきり言うけど君の髪を宣伝に利用するつもりだと思う」
その言葉でおおよその彼の立場は察せるというものだ。母親の命令を撥ね退けるほどの力はない。
「けど君やこの村にも悪い話じゃないと思う。リブスティに出れば報奨金は出るし、色々な便宜も図ってもらえるはずだ。ただ、君が今のような穏やかな暮らしを望むのなら参加しないほうが……」
「いえ! 私参加したいです!」
「本当に? 無理しなくていいよ?」
「私たちの村はずいぶん復興したけどまだまとまったお金が必要みたいですから……その、少しでもみんなの役に立ちたいんです」
ぐっと小さな拳を握るけなげな姿は少女らしい幼さと聖女のような優しさがあった。
「わかった。ならそういうことで話を通すよ。僕個人としては気になることもあるからね」
「何ですかそれは?」
「リブスティはこの国の貴族が一挙に集まるお祭りだからね。もしかしたらその中に他の転生者もいるかもしれない」
ファティがタストの代理人としてリブスティに参加することはすぐさま村中に知れ渡り、驚愕と歓喜を以て迎え入れられた。その中でただ二人だけ驚くことも喜ぶこともなかった人物がいたが……誰一人として気付くことはなかった。
ずんずんと早足で歩いているにもかかわらず足音一つ立たないのは敷かれている絨毯が上質である証だろう。
そうして辿り着いた部屋の扉もまた、豪奢だった。扉は何の前触れもなくひとりでに開いた。
「ようこそいらっしゃいました。百舌鳥様」
丁寧な物腰で異世界転生管理局地球支部支部長百舌鳥を迎え入れたのはいかにも生真面目そうな若者だった。しわ一つないスーツに身を包んでいるが、一見しただけでは性別がわからない。
「そう堅苦しくならなくてもいい。私たちは同じく支部長なのだから。そうだろう鵲君」
「はい。そう言っていただけると私としても大変助かります」
百舌鳥に椅子を勧めると自身は紅茶を淹れ始めた。自分自身で雑務をこなすのは百舌鳥から二人きりで話がしたいという要望に応えたためだ。
「では百舌鳥さん。貴方が何故私の管理するツボルクに干渉したかお聞かせ願いますか?」
百舌鳥を問い詰める声にはやはり非難の色が混じっていた。基本的にお役所とはどこであっても他部署からの干渉を嫌う。
「まず誤解を解いておこう。私が貴方の管理する世界に干渉したわけではない。私の職員の一人、翡翠が全てを実行した」
「何ですって!? ただの職員がそんなことを!?」
「ええ。しかし私の管理能力が不足していたことも事実です。詫びとしてこれから貴方に最大限の助力を行うつもりです」
その言葉をきいてほんの一瞬だけ鵲の瞳に欲深い光がよぎったことを百舌鳥は見逃さなかった。
「しかし、いったいなぜそんなことを?」
まるで何かを誤魔化すように質問を繰り出す鵲。
「わからない。彼は未だに黙秘を続けている」
実際には黙秘ではなく冤罪を訴えているのだがそんなことを言うつもりはさらさらなかった。
「理由がわからないのであれば、対処ができませんね」
「その通りだ。だからツボルクに対して私が干渉することを許してはくれないか。私の方でも調べてみたい」
「いえ、それは……」
渋る鵲の前に百舌鳥はすっと一枚の紙を差し出した。
その紙に目を通した瞬間鵲は目の色を変え、唇をほんの少しだけ上げた。
「百舌鳥さんがそこまで言うのであれば私も協力しないわけにはいきません。そちらとの連携を密にしましょう」
「感謝しよう、鵲君」
熱い握手を交わす二人。その間には紛れもなく美しい友情が結ばれていた。
「欲の皮が突っ張った愚物が。この俺が取り立ててやった恩を忘れたのか?」
誰もいない廊下には陰口をたたく百舌鳥に対して鏡をみろなどと宣う愚者がいるはずもない。そんな職員は全て左遷……もとい自主的に別の部署へと移動していった。
「クズ蟻め。俺の差し向けた魔物を追い払っただと? どこまでも悪運の強い奴だ。……しかし今度こそ終わりだ。逃げ場はないぞ、クズ」
ぽつりと独り言を漏らす。
二年目の春が終わる。物語は再び動き始めようとしていた。
第二章前半はこの話で終了します。
後半部分も本編の合計は30話を予定しています。
しばしお待ちください。




