89 見えない毒
最初に違和感を覚えたのは多分蜘蛛との戦いの最中だった。
<硬化解除>によって<糸操作>が全く使えなくなった現象だ。その他にも白鹿の魔法、<白角>がドードーの<オートカウンター>によって弾かれたことがあった。
そして極めつけは<石喰い>と<錬土>の相性の悪さ。単に魔法に込められたエネルギーだけの差じゃない気がする。
魔法にはどうもオレの知らない法則がまだ隠されていたようだ。
最初、火は水に弱いという相性みたいな法則があると思った。アリジゴクは蟻にとって確かに天敵だし、そういう関係が魔法に影響を与えるのかと思ったけど……ちょっと違うようだ。
この現象で共通するのは石だったり、糸だったり、物質を破壊するものだったりと様々だけど、魔法が効果を及ぼすものが同一であること。
つまり魔法には同じものに対して効果を発揮する場合優先順位が存在する。
試しに青虫の魔法<物質硬化>で硬化させた土を<錬土>で動かせないか試してみた所、全く動かせなかった。
これは<錬土>の優先順位が<物質硬化>より下だということを意味している。
前に魔法は汎用性が高いほど威力が下がったり、弱点ができたりするんじゃないかと考えたことがあったけどこれもそれと同じだ。
全体的に魔法が届く距離が短く、対象になる物が少ないほど優先順位が高くなる。例えばヤシガニの<プレスクロー>だとヒトモドキの<ウェポン>で防げるとは思えない。
<オートカウンター>や<硬化解除>の例を鑑みると自動発動型の魔法は優先順位が高くなりやすいのかもしれない。
<糸操作>と<硬化解除>は一見違う種類の魔法だと思うかもしれない。が、実は<糸操作>は生物の筋肉のように糸を伸縮させる魔法なので、物質の状態を操作する魔法だ。
<硬化解除>は魔物の硬化能力を解除……多分タンパク質を操作する魔法だ。つまり同じものに効果を発揮している。
反対に<物質硬化>と<硬化解除>は共存可能だ。つまり同じものを対象としてはいない。多分<物質硬化>は対象の分子結合を強固にする魔法だからだ。
ちょっとわかりにくいのでちゃんと説明しよう。
例えば目玉焼きと生卵ならどちらが固いのかは簡単だ。これは生卵が熱を加えられて物質の状態が変化したため固まった。<硬化解除>はその状態の変化を操作する魔法で、目玉焼きを一時的に生卵に戻しているようなもの。
<物質硬化>は分子結合、物質同士を引き寄せる力を強くする。まあ要するに磁石みたいな引き寄せる力を無理矢理強くする魔法で物質の状態そのものにはなんら影響を与えない。
そしてこの優先順位は意外と簡単に判断する方法がある。魔法を使う際に発生する光の大きさだ。この光が強いほど優先順位が低い。例えば蟻やヒトモドキの魔法だと結構よく発光しているけど、辛生姜やドードーだとほとんど発光しない。
もちろん体内のエネルギー……主には体のサイズが同じくらいだという前提があってのことだけど。
ひとまず魔法を使った時に出る光を魔光とでも呼ぶか。
魔光の明るさが違うのは多分効率の良さが原因だろう。
例えばLED照明と白熱電球ではエネルギーの変換効率はLEDの方がよい。これは光ではなくエネルギーの一部を熱などに変換してしまっているためだ。
同じように魔法の光は本来発生させるべきではない副産物だ。だからそんなものはない方がいいはずだけど、何らかの事情で光を発生させなければ魔法を、特に様々な効果を持った魔法を発動させることはできないに違いない。
一見地味な物の方が派手な物より優秀である。これもまた世の中の真理か。
基本的に発光は小さくなる方が強い魔法であるはずだけど……深海魚みたいに発光そのものを目的としたり、クジャクの羽根みたいな性淘汰が発生した場合あえて魔光が強い魔物が誕生することもあるかもな。
この辺の法則はドードーや白鹿、ヒトモドキみたいなサイコキネシスタイプだと一番わかりやすいのかもしれない。何しろ魔法同士が衝突すればその瞬間にどちらかが消えるから。
そしてこの法則は使える。上手く活用できればラーテル対策になるかもしれない。
詳しく検証するために白鹿に協力してもらいたかったけど……残念ながらそれは叶わない。
もうすでに白鹿の子供は全て死亡したためだ。
死因は餓死。
オレが与えたエサは一切食べなかった。親を殺されたせめてもの反抗かそれとも捕虜の身をよしとしなかったのか……いずれにせよはっきりしてるのは現状じゃ白鹿の家畜化は夢のまた夢ってことだけ。
オレからすると自分の命のためならプライドなんか捨てるし、たかが親を殺されたくらいで怒るなんて想像もしないけど、この世界の魔物にとってそれは少数派なのかな。
鹿の家畜化が難しい理由の一つとして鹿は群れるけどリーダーを作らないと聞いたことがある。エサを与えた人間になつかない。従順でない家畜は家畜とは呼べない。
言い換えれば群れのトップが明確なら――――。
「というわけでまずルールをひとつ決めよう。自分たちの群れに属する生物を無闇に傷つけない。同盟相手を攻撃しないことだ。施行は明日からな」
「おう! かまへんで! 戦いたないからな!」
アリジゴクとの戦いを終えたオレたちはまずリーダー同士での取り決めを定めることにした。やはりきちんとした形で同盟を結ばないといざという時に困る。色々あったせいで遅れたけどこれが法律の第一歩だ。
「石板に詳しく刻んだからな。小春に読んでもらってくれ」
「はーい」
オレの娘の女王蟻の名前は小春にした。
理由? 春に生まれたからですが何か? 安直? 喜んでるからいいんだよ! あっさり決まったことに対して蜘蛛が抗議の視線を向けた気がするけど気のせいだな!
もうすでに文字を読むことに何の不自由もない小春は流暢に条文を読んでいく。その名にふさわしからざる雨模様だったのはいただけないけど、逆にちょうどいい。
これを記念として味方蟻にプレゼントを贈ることにしたのでそれも小春が伝えている。
蟻達にも好評の施設、風呂だ。
地中に潜む蟻の巣はいつも暗く、清潔ですがやはり娯楽がありません。
そんな蟻に楽しんでもらうために作られたのが風呂です。
何ということでしょう。今まで実用一辺倒だった蟻の巣に娯楽施設が初めて作られた瞬間です。味方蟻さんは喜んでくれるでしょうか。
「あ~極楽じゃのう」
ごっつ喜んでます。
地下に造られた浴場は排水溝から雨水を集める仕組みになっており、わざわざ水を汲んでくる必要はない。一定以上貯めれば排水溝に蓋をする仕組みだ。
お湯は沸かすのは、最初は薪を使って後から炭に変える。江戸時代の将軍なんかは防火性や持続力などから燃料として炭が使われたらしい。それくらい燃料としては優秀なのだ。
炭を作るのはちょっと大変だからなかなか贅沢だけどこれからのことを考えるとその価値はある。
「ええのう、ええのう」
味方蟻は部下と一緒に入浴を楽しんでいる。するとそこで一人の蟻が小さな石板を取り出し、そしてそこに書かれていた指示を忠実に実行した。
つまり、すべての出入り口と通気口を封鎖した。そしてオレは全てのテレパシーを切断した。
一つ。また一つと探知できる魔物が消えていき、やがて誰もいなくなった。
火を初めて点けた時に煙が出たのを覚えているだろうか。もしもあのまま空気を通さなければオレたちは窒息して全滅しただろう。
言い換えれば煙があったからこそ迅速に対応できたと言える。
炭を用いるときに絶対に気をつけなければいけないのはきちんと換気することだ。地下で、ましてや通気口を閉じてはダメだ。炭を燃やした時に発生する一酸化炭素中毒によって死亡する。
一酸化炭素は無色無臭であるため危険に気づくことは難しい。というより気付いたころにはまず手遅れだ。
これを利用しているのが悪名高い練炭自殺だ。日本では社会問題になっていたこともある。
つまり、上手く利用すればほとんど気付かれずに対象を殺すことも可能だ。さらに風呂に入っていれば水中ではテレパシーを使えないので助けを呼ばれることもない。さらに万が一にもバレたとしても事故だと言い張ることもできる。
そう。これはれっきとした殺人だ。
味方蟻の命令権を奪ってオレの生存に役立てるために女王蟻を殺した。
徹頭徹尾計画に基づき、誰一人としてオレを疑わなかった結果実行可能になった殺人だ。
だけどこれは、ルールを破ってはいない。
さきほど同盟相手に攻撃をしてはいけない。そういうルールを定めた。ただし、同盟の締結日時は明日だ。つまり同盟相手にまだなっていない。
まさしく牽強付会。
初めからこの計画を実行するつもりで同盟の話を持ち掛けたし、しかもお互いが「不慮の事態」により死亡した場合、配下の蟻は全て生き残ったほうに従うという条文も明記してある。ちなみにこの条文の施行日時は今日。さらにそれを全ての蟻にテレパシーによって伝達してある。
まさしく詐欺。この件に関しては悪逆の誹りを免れることはできない。
一度襲われたとはいえ和解した群れを謀殺した。倫理的には間違いなくアウト。地球の法的にも完全アウト。
無駄ではないけど不必要だったかもしれない。もっといい方法が無いか考えたけど、結局思いつかなかった。オレにもっと交渉能力があればなあ。
こっちの指示を聞かないから殺す、実に短絡的かつ野蛮すぎる思考だ。情けない。
だからこそ新しく敵なら殺してもいいルールを作った。政治家や大企業の重役の汚職が無くならんわけだ。立場が上になればなるほど、ルールを変え、作ることさえできる。この万能性はどんな麻薬よりも人を狂わせるだろう。
ただ蟻という生物としては間違っていない。例えばサムライアリ。サムライアリは他の蟻から働き蟻を奪って奴隷にする。トゲアリは他の女王蟻を殺し、今までいた働き蟻に自分の子供を育てさせる。
これは蟻という生物がフェロモンを使って味方かどうかを判断していることに大きく起因する。実は蟻はあまり視力が良くない。そのため情報の多くを嗅覚に頼り、フェロモンで危険の有無や、敵味方を識別する。そのフェロモンを相手と同じにすることで、本来敵であるはずの相手から味方だと誤認させる。恐ろしいことにこんな蟻は地球ではごく普通に存在する。
つまり蟻としてはこの程度ごく普通の略奪だ。
ついでに言うと小春と味方蟻を交尾させたのは種の保存的な観点もあるし、子供がいれば、あるいは交尾した相手ならやくざ蟻も従順に従うかもしれないと思ったからだ。自分でもろくでもないことをしてる自覚はあるよ。
やはり罪悪感はある。できればこれきりにしたいけど……無理だろうな。
この作戦は有効すぎる。嘘を吐くのが苦手な魔物にとって騙されることへの耐性の低さは致命的な弱点だ。
文字を使って嘘を吐き、条文によって正当性を得る。舌先三寸ならぬ文字先三寸か。しかも蟻は例え味方さえも殺す作戦を実行したとしても文句ひとつ口にしない。
最初から女王蟻という生物自体が独裁政権なんだよな。
万が一オレが暴走した場合のストッパーが欲しい。自分だけは大丈夫という考え程怖いものもない。
でも小春はオレには必ず従うし、千尋だって何だかんだと言いつつオレをあがめているようなふしがある。何より相談相手になるには人生経験がなさすぎる。
どこかに絶対にオレを裏切らずなおかつ率直な意見を言えて政略の補佐もできて陣頭指揮を執れる人間はいないもんかな。
……いたら怖いぞそんな奴。
それじゃあ最後の仕上げに移ろう。
「小春。これ読んでくれ。ちゃんと全ての味方蟻に聞こえるようにな」
「はい。貴方たちの女王は含まれて不慮の事故により死亡しました。条約に基づき貴方たちは私たちの国民になります。繰り返します……」
言葉だけじゃなくきちんとあの女王蟻の死体も見せれば疑うやつはいなくなるだろう。
「これでやくざ蟻三百匹分の労働力が手に入る……メリットしかないのはわかってるけどな」
「紫水、終わったよ。それと質問だけど、やくざ蟻は匹で私たちは人なの?」
「へ? 数詞の話か?」
「うん」
「悪い、自分でも気づいてなかった」
今まで無意識的に蟻の数詞を匹から人に変えていた……のか? いつからだ?
どうも蜘蛛の数詞にも人を使うこともあったみたいだ。テレパシーによる会話は自分自身の意思を伝えるからこそ、自分が何を話したのか万全に把握していないことがたまにある。要は心の声が漏れる、という奴だ。
数詞が人だというのは……オレにとっての人間の定義は……生物学的な定義と、オレにとって味方である誰かである、そういうことを示しているのかもしれない。
確かにこいつらに死んでほしいとは思わない。だってこいつらがいなければ、オレが生き残るなんてとてもじゃないけど無理だからな。もちろん最悪の場合は特攻させることもやむなしだ。
非情だけどそれくらいが必要な世界だし、何よりこいつらはオレがそんなことを言わなくても、自分から率先してそうするだろう。
人間じゃあないよ。いい意味でも悪い意味でも。
彼は一つのルールを定めた。
自国の民を無闇に傷つけてはならない。
無闇。
つまりは許可さえあれば傷つけてもよいということ。つまり一部の魔物を捕食する国であるためにそんなルールを設けた。
捕食者と被食者の立場は変わらず、しかしそれでも全ての魔物を国民として認識されている。
歪んでいたとしても、彼の国はきっとここから始まった。




