82 貴女のためを
蟻がトカゲとの戦いに勝利したころ、トゥーハ村にはある災厄が訪れていた。奇しくもそれは彼が戦っていた魔物と同じ、トカゲだった。あるいは繁殖期であるトカゲは常よりも凶暴になっていたのかもしれない。それは何もたった一つの群れに限ったことではない。
「どこから侵入してきた!?」
「それよりも村長に連絡しろ!」
村人たちは否応なく混乱していたが、ただ一人真っ先にファティの元へ駆けつけたのはサリだった。
「聖女様! いらっしゃいますか!?」
「サリ! 何があったの!?」
「トカゲの群れです! 聖女様はここを動きませんように!」
「で、でもそれじゃあみんなが戦うことに……」
「アグルさんもティマチ村長もいらっしゃいます。何人か犠牲は出るかもしれませんが必ず撃退できるでしょう」
「駄目!」
あまりにも大きな声を出したファティに思わずサリは身を竦めてしまった。彼女がサリに反抗したことなどこれが初めてだ。それだけに驚きも並ならない。
「誰かが犠牲になるなんて絶対に駄目です!」
整った顔立ちは焦りと恐怖に彩られていた。サリもそれがわからないわけではないが、セイノスの信徒として絶対にファティを死なせるわけにはいかない。
「我々は貴女を守らなければなりません! そのためならいかなる犠牲も惜しみません!」
「私はそんなこと望んでない!」
その時サリの心に影が差した。しかしそれが何なのか彼女自身にさえはっきりとはわからないままファティを制止する。
「貴女は聖女とはいえまだ子供です! おとなしく守られていればいい!」
予想以上の強い口調に少女はおびえたように下を向いた。しかしすぐに歯を食いしばり、サリの顔をまっすぐに睨み返した。
「なら、子供でも私がみんなを守れるって証明します!」
その言葉と共に家を飛び出し、まっすぐに騒動の中心へと向かっていった。
「っ! 子供のくせに!」
しばし茫然としていたサリは悪態を吐き、ファティを追った。
ファティの足はまだ一歳、あくまでもこの世界での年齢でだが、にも満たないながらすさまじい速度で駆け抜けていた。恐らくは大の大人であっても追い付くことなどできなかっただろう。トカゲが今暴れている場所へと導かれるようにまっすぐ進んでいった。
トカゲの群れは数体の巨大な成体だった。
柵を挟んでトカゲへと<光弾>を撃っている人々に数匹の巨体が迫る。実はトカゲの<影縫い>は体を動かした状態では著しく精度が落ちるという弱点を持つ。しかしその弱点は仲間と協力することによって緩和される。しかし今はそんなことをする必要はない。すでにトカゲは敵の力量を看破している。全員で突っ込めば蹂躙できると確信していた。
例外さえいなければ。
銀の壁がトカゲと人とを隔てた! おお、あれぞまさに天に祝福されし聖人の輝き! あまりの貴さにひれ伏す村人も現れた。
しかし! 醜悪なる魔物はその輝きを前にしても首を垂れるどころか強引に突き破ろうとしている! 何たる愚かさか!
誰にも見えなかったが、少女の顔は恐怖に染まっていた。無理もない。彼女にとっては二度目の殺し合いなのだ。――――などということは一切なく彼女は勇猛果敢に戦っていた。少なくとも村人はそう思った。
しかしながらトカゲは一切引く気配がない。
銀色の壁は揺らぎさえしないがトカゲたちは突破できぬならと壁を回り込もうと移動し始めた。いかに彼女が強大といえどこの村の全てに壁を張り続けることなどできない。
聖女は壁の一部に穴を開けるとそこから巨大なトカゲたちに向けて銀色の剣を一閃した。トカゲには何が起こったかさえ理解できなかっただろう。
あふれだす血。だがそれ以上に村人の歓声があふれだした。
「聖女様。お怪我はありませんか」
「ありがとうございます。聖女様」
「聖女様。貴女のおかげで助かりました」
あっという間にファティの周りには人だかりができた。皆口々にファティを褒め称えている。
ふっ、とファティとサリの目が合ったが、サリはすぐに逸らした。
「トカゲはどうなった?」
応援の一団を連れてこの場に到着したのはアグルだ。
「ご安心下さい、アグル様。ファティ様が大トカゲを倒しました」
「……そうか」
アグルは速足でファティに近づき――彼女を素通りするとサリの頬を叩いた。
「サリ! お前は何をしていた! お前がついていながら聖女様を危険にさらしてどうする!」
サリは一瞬目を見開いたが、反論はしなかった。
「申し訳ありません。私の失態です」
「ち、違います! わた、私が無理矢理ここに来たんです! サリは必死で止めていました!」
慌ててサリを庇ったファティの言葉を聞き、アグルはサリをそれ以上咎めはしなかったが、皆に対して訴えた。
「皆も聖女様を称えるのは良い! しかし本来これは我々の力で解決しなければならない問題で、聖女様を危険にさらしていいはずはない!」
何という慈愛に満ちた言葉だろうか! アグルだけはこの村で最も貴いファティの身を第一に考えていたのだ。アグルに冷水を浴びせられた村人たちは己の浅ましさを恥じ入るばかりだった。
「その辺りにしておきましょう」
柔らかな声を響かせたのはティマチ村長だった。
「アグルさん。貴方の養い子を思う気持ちはよくわかりました。しかし他の方々も悪意があったわけではないのです」
ゆったりとファティに近づき、目線を合わせながら語り掛けた。
「聖女様。確かに貴女の御力は偉大な神の御業によるものです。ですが我々とて常に貴女の助けになりたいと思っています。時には貴女の御意思に反することもあるかもしれませんがそれは全て貴女のためを思ってのことです。それだけは理解してくださいね」
「はい……ごめんなさい」
謝罪するファティをわが子のように見つめてから号令を出した。
「さあ! 今から柵の修繕や被害の確認を行います! 焦らずに、しかし急いでください」
村長の指示のもと慌ただしく働き始めた。




