75 情けは法の為に
動物の解体シーンがあります。苦手な人は注意してください。
白鹿との戦闘は快勝だった。ただしこれは運によるところが大きい。
たまたま小鹿が怪我をしていて、こちらの戦力もそれなりに整っていたからこそあっさり被害なしで勝利できた。そして蟻たちの思考様式も改めて理解できた。
基本的に蟻は問題に直面すると最善の選択肢しかとらない。逃げるなら逃げる。戦うなら徹底的に戦う。それも最も被害が少なく利益の出る方法、つまり効率がいい方法で戦う。
それなら何も問題ないように思えるけど、現実はそう簡単じゃない。戦いは様々な要素が複雑に絡み合っているから最善手=正解じゃない。オレだって戦闘のプロじゃないけどそれぐらいわかる。
要するに頭が固いってこと。
これは種族的な特徴みたいだから問題が理解できても解決できるかどうかわからない。それでも例を示しながらなら教えることはできるはず。
学校の問題点はあくまでも机の上でしかないことかな。もうちょっと実践的なやり方の方がいいか? 現代人にとっては勉強=机に向かうという図式が成り立つけどここではそもそも勉強という概念そのものが存在しない。
勉強すればきちんとした利益につながる。そういうことをまず教えないといけないな。反省点が多いな。
そういう意味では音楽教室は間違いじゃないのかもしれないな。
……それにしても何だってオレがそんなことまでしなきゃならないんだ。もちろん明日の利益のためだけどさあ、こっちは教師なんてしたことないんだよ! 畜生! 幕末のヨッシーとかギリシャのプラちゃんとかどっかにいねえかなあ。いるわけねえよなあ。
小鹿たちは動かなくなった親鹿にまとわりついている。こいつらも殺すか?
いやいやそれは早計だ。
蜘蛛や青虫みたいに捕らえて家畜にできれば一番いい。それに白鹿は恐らくかなり強い。今回は完全に動けなかったけど、こいつの本来の戦闘スタイルは魔法で前面をガードしつつ目の前にいる敵に突進し、粉砕する戦い方であるはずだ。
つまり、もしもこいつらの家畜化に成功すれば、騎兵ができる!
やっぱりファンタジーや中世の花形は騎兵だろ! 一列に並んだ白鹿に乗った蟻たちが矢の雨をものともせず突撃する! ……いいね、めっちゃロマンだ。やば、よだれ出そう。
問題は鹿が群れを作らない動物だから家畜にするのが難しいらしいってことだ。蜘蛛やドードーは固まって行動する習性があるから管理しやすい。けど鹿は多分家族単位で行動する魔物だからこっちの指示に従わないかもしれない。
ただでさえ恨まれてるだろうしな。
おや? 一匹の小鹿がドードーに突撃しているぞ? 頭付近がわずかに白く光っている。角がなければ魔法が全く使えないわけでもないらしい。まずいな。ドードーと小鹿にそれほど体格差はない。最悪の場合相打ちで死ぬかも。かと言って撃ち殺すわけにもいかないな。
何か対策を取る間もなく二匹は体をぶつけ――小鹿だけが一方的に弾き飛ばされた。
でーんと仁王立ちするドードーと地に伏せる小鹿。絵面だけを見るとドードーの強者感が半端ない。予想外の結果だ。まだ子供だから上手く魔法を使えなかったのかな?
「でも今が奴を生け捕るチャンスだ! 者ども! ひっ捕らえい!」
抵抗虚しく蟻の魔法で手足を固められる小鹿たち。何度か話しかけてみたけど、威嚇されただけだった。
ひとまず捕獲成功。こいつらは巣にお持ち帰りするとして、親鹿はどうしよう? 流石にでかすぎて持って帰れない。
蜘蛛や蟻達を呼んでここで食わせるか。
特に何事もなく蟻とドードーは帰還した。思いがけない収穫を拾ったので久しぶりに料理開始だ。
メインディッシュはもちろん小鹿だ。とりあえず怪我をしている奴を食うか。
多分こいつは長くない。治療すれば元気になるかもしれないけど、確証はないし、そんな義理もない。助けを求められたならともかく、こっちが話しかけても何ひとつ反応はないし。
でもこうしてみると小鹿ってかわいいな。愛玩用としても……あ、それあかん奴や。最終的に親鹿みたいにでかくなる。ペットを捨てるコース真っ逆さま。きちんと飼えないならそもそも飼ってはいけない。
オレは無責任な飼い主にはならない。責任で思い出したけど人質って人間的にありなのかな? 法律的にはダメだけど……相手が人間じゃないならOKかなあ。うーんでも戦国時代じゃあるまいし蜘蛛とかにはそういうのにはやっちゃダメかなあ。わからんな。
正直明言はしていないけどそれに近いことはやってるからな。ドードーの放牧とか。
ひとまず鹿を調理しよう。まずは血抜きからだな。今回は練習も兼ねてちゃんと血抜きをしよう。
頭を下にして吊り下げてから喉の動脈を切る。本当は恐怖を与えないために気絶させなきゃいけないけど漫画みたいに手刀で動物を気絶させるのは簡単じゃない。なのでできるだけ手早く済ませよう。
小鹿は吊り下げられてからもじたばたと暴れていたけど喉を切ると大人しく……ならないな。喉を切ってからもしばらくの間小鹿はもがいていた。ちょっとゾンビみたいで怖い。
中世の話だけどギロチンで首を斬られた後でも意識があったという俗説があるんだっけ。うへえ。
「紫水。どうして苦しめたらだめなの?」
おや女王蟻からの質問か。
「は~い。それ私も気になる~」
蜘蛛からもか。鹿食ったからかご機嫌だな。
確かに効率を考えるなら無駄なことだからな。疑問に思うのは当然か。ちゃんと説明するべきか。何しろ命に関わることだ。まじめに考えて損であるはずはない。
「基本的には道徳的な観点から苦しませてはいけないってことだ。もっとも法的にも適切な方法で殺すことは定められているけどな」
「法律って何」
「道徳ってな~に~?」
「……あ――――」
よく考えなくてもそりゃそうだ。こいつらには法律や道徳がない。そもそもそんなものがあるはずはない。原始人一歩手前の文明でしかないからな。
「法律ってのは破った場合罰されるもの。道徳ってのは本人の心の中で守るべきものかな」
「それってどう違うの~」
蜘蛛には違いが判らないらしい。正直言ってオレにも上手く説明できる自信がない。だって専門外だもん! その辺の分野は!
「法律は明文化されているというか、道徳は教育の過程で培われるというか……」
まだ蜘蛛は首を傾げている……蜘蛛に首は……あるのか?
どうも蜘蛛はそういった破っては困るものを宗教的な説話などで教えており、それに反した者は語り部が自分自身の良識によって判断して裁くらしい。
そのような思想を何と呼ぶか。
徳治主義だ。少なくともそれに近い。
おおよそ人間が社会的な暮らしを営むためには違反者を罰し、人を治める制度が不可欠だ。徳治主義はそれを人に委ね、法治主義はそれを法に委ねる……それであってるよな?
集団の人数が少なければ徳治主義でもなんとかなるかもしれないけど、オレの目指すところは思想や民族どころか根本的な生物が異なる社会だ。
徳治主義なんかで治められるわけがない。オレ自身もそんなあやふやな制度は好きじゃないし正しいとも思えない。
べ、別にオレ自身のカリスマに自信がないわけじゃないんだからね! ……なに馬鹿なこと考えてんだオレは。
まあ要するに、法律はなるべく早く整える必要がある。勘弁してくれ。絶対また石板仕事増えるだろそれ。
それはそうときちんと説明しなくては。
こいつらが道徳心を養ってくれるともしかしたら味方を襲わなくなるかもしれないし。敵も攻撃しなくなったら困るけど、その時はその時だ。
「お前らだって痛いのは嫌だろ? だから他人にも極力そういう行為はするなってこと」
「紫水は小鹿に痛い思いをしてほしくないってこと~?」
「ん? いや全然そんなことないぞ?」
そこは勘違いしてもらうと困るところなのでちゃんと教えようか。
「法律とか道徳ってのは個人の感情とは無関係だ。あくまでも守るべき規範であって自分が何をしたいかとは別の問題だ」
だって人間ってしたいことをすれば大体法や道徳に違反するものだ。なのでどうしても法律や道徳で縛る必要が出てくる。ふむ。やはりオレは性悪説支持者なのかな?
「とはいえ主観的な感情や思考を完全に無視したルールというのも間違っているとは思うけどな。何事もバランスが大事ってことだ」
「……それは私たちにも言えることなの~?」
「まあな。オレがお前たちを助けたのは道徳的な行為、つまり人間として正しい行為だと判断したからだ」
もちろん、色々な打算もあるけどそれは黙っておこう。
蜘蛛の糸が欲しかったとか戦力として優秀そうだとか。
「道徳や法律っていうのは誰かを助けるための物なの~?」
「基本的にはな。場合によっては助けるべき奴と助けなくていい奴を分けるための制度だとも思ってもいいぞ」
この場合、鹿は殺してもいいが鹿の苦しみを軽減しなくてはならない。そういうルールだ。
蜘蛛は頭を悩ませていたけどそのうち納得したのか……それとも腹が減ってどうでもよくなったのかそれきり話しかけなくなった。
「ねえねえ」
ん? これは女王蟻の声か。テレパシーの練習も兼ねてオレに話しかけているようだ。
「何だ?」
「法律や道徳を学ぶために学校があるの?」
「ま、そういうことだな。だから今お前は学ぶことに集中しろ」
「わかった―」
素直だな。跡目争いをするよりはよっぽどいいけどこいつも他の蟻と同じく頭が固そうなんだよな。オレの片腕になってくれるかどうかは……オレの教育次第かなあ。念の為に他にも何人か女王蟻を産んでおこう。




