67 親は無くとも子は育つ
この回は接ぎ木の解説がメインです。
わかりやすいかと思ってイラストを載せてみましたが余計わかりにくくなったかもしれません。
申し訳ありません。
春の穏やかな日差しが果樹園に咲いた白い花を柔らかに包む。ほっと一息つくことができただろう。地球なら。
「オッケー。受粉作業はほぼ終わったな?」
「終わった」
「剪定と枝の低下作業は?」
「現在50%終了」
この季節は忙しい。
地球の農家さんもきっとそう思っていることだろう。しかも渋リンは成長速度が途轍もなく速いせいで世話をするのも余計大変だ。大半の渋リンがきちんと成長してくれたのは朗報だったがその分さらに忙しくなってしまった。
現在オレは書類というか石板と格闘中。厄介なのはいま行っている実験と枝の低下作業だ。
枝の低下作業は渋リンを収穫しやすくするための作業だ。リンゴの樹は放っておけばどんどん上に伸びるので、枝を上ではなく横に伸ばすことによって地面に近くする。オレたちの場合歩道橋があるので、歩道橋から収穫しやすくする。
この作業には枝をしならせるために錘をつけたりするのでどうしても不安定な作業になるため怪我をする奴が後を絶たない。それに合わせて予定を組みなおしたり、これから先の為に必要そうなものを採取させたりとにかく忙しい。
この手の事務作業の経験に乏しいことも忙しさに拍車をかけている。翼はいらないから秘書か事務員をくれ!
畜生! 一段落したら文字を教えて事務能力の高い蟻を育てるんだ!
でも受粉作業はしなくてもいいはずだったんだ。というのも蜂を飼うつもりだったからだ。
この世界でもミツバチのような昆虫は存在しており、恐らく地球の蜂とそれほど変わりはない。そして地球において蜂は極めて優秀なポリネーターだ。
ポリネーターとは植物の受粉を助ける存在で、鳥や昆虫などに多い。どうもこの巣には前の巣よりもそう言った生き物の数が少ない気がする。
そのため木箱を作って蜂が住みやすい環境を整えたつもりだったんだが……全くの空振り。
何がいけなかったんだろうか? 箱? 水が汚れていたとか? 周辺に天敵でもいたのか?
……そこらへんをうろついているのは蟻だけだ。嫌な予感がしたので聞いてみる。
「お前ら蜂を食うか?」
「食べる」
思わず涎でも垂らしそうな顔で答える顔にはこう書いてある。蜂は美味い、と。
「そういうことは先に言え――――! ハチミツ食い損ねたじゃねえか!」
食い意地が張ってるのなんのって! もっとワビサビ覚えろ!
とりあえずドードーやオレたちの巣から離れた場所に木箱を設置した。蜂がきてくれるといいな。
そして少し前に作ったコンポストはどうも上手くいっていないようだ。無理もない。あれから一月も経たずにコンポストができるはずはない。
普通なら。
というのも今回は普通ではない方法を試してみたからだ。
そもそもコンポストとは生ごみや枯れ木などを微生物に分解させることで良質な肥料を得る方法だ。つまり何らかの方法で微生物の活動を促進できれば極めて迅速にコンポストを生産可能だ。
もうお分かりだろう。以前シードル造りで確認された酵母菌の成長加速と同じ現象が確認されるかの実験だ。
だが実験は失敗だった。魔物の体の一部、例えば蟻の皮膚や干しリンなどを入れてみたが効果は確認できない。コンポストは血や果汁などの水分を含むものを入れると上手くいかなくなるらしいのでそういったものを入れることができなかったのが良くなかったのか?
だが、オレは魔物の成長加速能力を検証するもっと良い方法を思いついた! その方法とは――――
接ぎ木だ。
まず接ぎ木とは何か?
植物と植物をつなぎ合わせる農業あるいは園芸の手法の一つ。この説明なら三十点ってところだな。
あまり詳しく説明すると本が一冊書ける文字数になってしまうのでできるだけざっくり説明しよう。
幸運なことにリンゴの接ぎ木やとり木などの園芸手法はそれなりに知識がある。というのもリンゴはこれらの技術や知識の基本を学ぶのにうってつけの作物で、リンゴという果物がメジャーなことも手伝って、講義等で学ぶ機会が多かったためだ。
もちろんあくまでも知識だけだから不安要素も多いけど……いやそれでも知っていることは大事だ。同学年にいた実家の農家を継ぐつもりだった学生だって、あえて農業学校に入らずに研究よりのオレの学部に来たって言ってたし。
やっぱり目的があってちゃんと努力してる人って好感が持てるよな。……また脱線した。
まず根を張って地面に植え付けてある樹を台木と呼ぶ。
そしてその植物に接合させる実際に果実を成らせる樹を穂木と呼ぶ。正確には穂木とは殖やしたい植物全般を指す。
これらの遺伝的に異なる二つの植物を接合させて、有利な形質を導く。厳密には異なるけど、一種のキメラのようなものだ。
では接ぎ木を行うメリットは何か? 主に五つある。
1 作業しやすくする。例えば樹の大きさを低くしたり、果実が成る部分を手が届くところに成りやすくする。わい性台木などに接ぎ木するとこれが可能になる。
2 果実を早く成らせる。成長の早い台木に接ぎ木することで可能になる。
3 環境への抵抗力を上昇させる。耐寒性や乾燥に強い台木を用いる。
4 品質などを良くする。樹によっては日光などが全体に当たりにくい種類があるけどこれを改善することができるらしい。
5 遺伝的に全く同じ植物を作成できる。リンゴなどの果樹は基本的に種まきを行わない。というのも果樹にできた種は遺伝的に異なるため、農学的には異なる品種として扱われる。基本的に農業は遺伝的に同じ作物を育てることによって安定性を増加させているので、果樹で効率よく農業を行うには接ぎ木や挿し木などの手法を用いなければならない。
接ぎ木は例えるならキマイラだとか鵺だとか、自然には基本的に存在しない生物を手っ取り早く増やす方法だと思えばいい。挿し木はクローンを作る技術だ。
クローンやキメラなんて言葉はいかにも最先端科学技術の結晶のように感じるかもしれないけど、それは動物での話。植物ならそんなものは二千年以上前から極々当然のように存在する。
ではオレが接ぎ木を行うことでこれらのメリットを活かすことができるか。
……無理だ。少なくとも地球の基準では。
長々と説明してきて申し訳ないけどこれらの接ぎ木によるメリットはない。いやホントごめん。
だってさあ、そもそも渋リンは品種になってないもん。
さっきも言ったけど品種とは遺伝的に同一の個体だ。この渋リンは恐らく遺伝的に異なる個体だ。何故かって?
この渋リンはきちんと実が成っているからだ。
少なくとも地球のリンゴには自家不和合成という同じ個体では受粉できず果実が結実しない性質を持っている。要は近親相姦を防ぐ仕組みだ。
……まあ自分自身と交尾できるわけわかめ生物が存在するくらいだから断言はできないけど。
結局のところ接ぎ木を活かせる農業レベルになっていない。レベル20のキャラがレベル80で使えるスキルは使えないってこと。
じゃあ何で接ぎ木をするかって? それはもちろん魔物の成長加速能力を確かめるためだ。ようやく当初の目的を説明できた。纏めるのが下手で申し訳ない。
コンポストの実験では魔物の一部を放り込んでも影響がなかった。なら体を全部くっつければいい。動物では難しいけど植物なら比較的簡単だし観察も容易だ。
もしもこれが上手くいけば魔物ではない植物を魔物と同等の速さで栽培可能になる。もちろん種類が大きく異なれば接ぎ木できないけど、今後魔物の種類が増えれば様々な植物が素早く栽培可能になるかもしれない。
説明を終えて実践に移ろう。
まず穂木はどうするか。これはもうすでにある。
冬に入る前に食料として渋リンの枝を採っておいたが結局食べなかった。いくつか穂木として使えそうな枝があったのでそれを使う。穂木に使う枝は休眠中の枝を発芽しないように保存しておくのがいいらしく、偶然にも食料として保存しておいた枝はそれなりに好条件だ。
台木は……地球ではリンゴと同じバラ科のマルバカイドウが良く使われているらしいけど……残念ながら見つからなかったのでとにかく適当に試すしかない。
それなりの大きさに育った樹を集めて巣の中もしくは巣の近くに植えてから切った樹に穂木をグサッと挿す。地球なら挿した部分をビニールテープなどで固定するけどそんなもんは無いので蟻の魔法で土を固めて接着剤代わりにする。
こう考えるとビニールってちょっとしたチート物質だよな。軽いしそこそこ丈夫だし何より腐ったりしない。文明の利器がほしい。また脱線しちゃった。
ちなみにこれは切り接ぎと呼ばれる手法だ。接ぎ木の中では一般的な方かな。
正直上手くいく可能性は高くない。何しろ台木が準備不足過ぎる。渋リンとの相性がさっぱりわからない。
本来なら改良された品種を挿し木で増やしてから行うべき作業で、突貫工事もいいところだ。
もう一つ行う接ぎ木は高接ぎだ。
こっちは切り接ぎと基本は一緒だけど高いところで接合させるから高接ぎだ。
まじです。
冗談に聞こえるけど実際そうだからなあ。
成木になった樹の枝を切り落としてそこに接合させる。基本的にはそれだけだ。高所で作業することを除けば切り接ぎと作業自体はそう変わらない。台木はそこら辺にある樹を選んだ。できるだけ違う種類の樹を選んで相性などを試す。
今度は台木を渋リンにして普通の樹を穂木にすることも試す。
こちらも同様に切り接ぎと高接ぎを行う。他にも色々考えたけど、とりあえず基本的な手法を試してから難しい方法を試そう。
そしてこれらの作業で最も重要なのはきちんと記録を取ること。毎日は無理かもしれないけど、最悪三日に一回くらいは見守りたい。
このおかげで物差しが必要になってしまった。
実を言うとこのせいで書類仕事ならぬ石板仕事の量が激増してしまっているがやむを得ない。統計とは実験の根幹であり、ないがしろにするべきではない。
というか統計をとれないなら実験なんかするべきじゃない。
どこぞの白衣の天使が記録と統計の重要性を証明してからずっと続く科学の基本だ。
それにオレは――――どうもワクワクしているらしい。
断言してもいいけどこの実験は地球上の誰も行ったことがない実験だ。誰もしていないことを自分ができることは子供っぽい優越感みたいなものを感じてしまう。
もちろん生き延びるっていう目的を忘れはしないけど、こういう楽しみを無くしていいものじゃないはずだ。




