57 師は眠り子は走る
冬がくる。それを実感したオレはとにかく食料と燃料の確保に努めた。できる限りは今いる巣で作るつもりだったけど、足りないものは一番目の巣から持ってこざるをえなかった。
特に炭だ。冬がどの程度長いかはわからないけど、薪だけで暖をとれるかはわからない。長時間燃え続ける炭の方が効率はいいはずだ。今からは絶対作れない。同様に蜘蛛がいない現状では複合弓を作ることもできない。大切に使わなければ。
時折魔物が襲ってくることもあったけど、何とか乗り切った。ラーテルの影響なのか、冬が近いせいなのか、あまり強い魔物は襲ってこなかった。
「紫水。渋リンの手入れは続ける?」
蟻達からの通信にしばし頭を巡らせる。現状全く人手が足りていない。でも二番目の巣はある程度持ち直したとはいえかなり荒れている。来年ちゃんと渋リンが生育する保証はない。来年のことを考えるならここで手入れをやめるわけにはいかない。最低でも肥料を与えておかなければならない。
「まだきちんと樹を世話して維持しろ」
例え今年死ぬとしても、それでもリンゴの樹を植える。オレは生き抜いてみせる。なら未来を見据えないと。
ちなみに子育ての一部もオレが代行している。まさか異世界に転生してベビーシッターをやるはめになるとはな。
そして現在進行形でピンチは続いている。幼虫たちが明らかに衰弱している。やばいです。原因がわかりません。なんで?
世話といってもほとんどエサを与えたりグルーミングをするだけだ。最初は抵抗があったけどもうそんなことを言っていられる状況じゃない。
「やり方は間違ってないよな?」
蟻達にも原因はわからないらしく、困惑するばかりだ。栄養が足りていないのかと思い、渋リンを与えてみても変化はなかった。エサのやり方に問題があるのか? 別に口移しでなくても問題ないって蟻たちが言ってたぞ? 幼虫に肉を与えるのはよくないとも聞いたし、うーん? あと他にオレは何を食べたっけ?
オレが今まで食べたのは渋リン、酒、木の実、肉……そういえば土を食べたこともあったっけ? ミネラルを補給してたのかとも思ったが……?
よくよく考えれば蟻の体内にはアメシストが存在する。宝石もまた魔物の成長に合わせて大きくなるとすれば宝石を構成するための物質を食べる必要がある。要するに砂を食べなければならない。オレはエサをやる時無意識に砂を払っていた。人間であった頃の衛生観念がそうさせていた。それがダメだった。
土を意識的に食べさせると蟻たちは持ち直した。これはつまり体内の宝石が魔物の成長に重要な役割を持つことの証拠だ。一つだけ問題を解決できた。
しかしながら問題はいくらでも降って湧いてくる。――物理的にも精神的にも。
落ち葉がつもり、木がいよいよ冬に衣替えをする時期。いよいよ遠くに見える山の冠雪がくっきりと見え始めた。ここの緯度がどの程度かはわからないけど、雪が降らない地域であるという希望的観測がいよいよ非現実的になってきた。
しかし地球ではこの季節に見られない生き物が存在する。
葉が落ち始めた木に止まる一匹の鳥へと矢が突き刺さる。
飛んでいなければ探知能力が使えるため発見するのは難しくなかった。矢が突き刺さってもなお、もがいていたが、蟻が首筋に噛みつき、息の根を止めた。どうやら鳥類はあまり硬化能力が得意じゃないらしい。
「やっぱり燕だよな、こいつ」
青みがかった黒と白の体色、顔は赤色。日本でもよく見る燕だ。サイズはかなり大きいが日本でよく見かける鳥のトップテンには入る鳥を見間違いはしない。
日本では渡り鳥のイメージがある燕だがここでは渡らずに越冬するらしい。
これには魔物が持つある能力が関わっている。それは冬眠だ。多くの魔物には基礎代謝を下げ、長時間絶食する能力が備わっているらしい。
恐らくラーテルはこの能力が高く、季節に関係なく眠ることができるんだろう。だからこそ異常な強さを誇る魔物が長期間おとなしくしているはずだ。
このように魔物の能力を活用している場合、地球の生態とは大きく異なる習性をもつ魔物がいる。
その最たるものが青虫だ。この青虫なんと蝶にならない。……もはやそれ別の生物だよねとか言ってはいけない。
ほぼ憶測だけど、魔物の多くは地球に比べると巨大化している。当たり前だがでかいと飛ぶのは不利だ。ファンタジーのように巨大なドラゴンが宙を舞うのは難しい。鷲みたいに飛ぶことに有効な魔法を使っていればワンチャンあるはず。正直に言うとちょっと見てみたい。少年(そんな年でもないけど)のロマンだ。
まあそんなわけで蟻や青虫は飛行能力を捨て地面にへばりつきながら生きる道を選んだ。その結果あえて蝶にならず青虫のまま産卵し、一生を終える魔物が誕生したらしい。
もちろんこれは地球基準で普通の生物が魔物になったという仮説が正しい場合の仮説だ。仮説の上に仮説を重ねるのは優雅じゃないけど我慢しておこう。
そして問題なのはこの冬眠だ。実を言うと地球の蟻は冬眠しない。活動は乏しくなるけど偶にエサを食べるために活動するらしい。基本的にじっとしてるみたいではある。もちろん地域や気候などによって変わるはずだ。しかしここの蟻は本来なら冬眠するらしい。
「つまりお前たちは去年冬眠していないんだな?」
「うん。ずっと起きてた」
どうも冬眠能力は若い個体には備わっていないらしい。そしてオレは生まれるのが遅かった。つまりオレとオレが産んだ蟻の一部は冬眠できない。幸い二番目の巣にいた蟻は古参が多く、大部分は冬眠可能だ。それでも現在の備蓄ではどうなるかわからない。
前の巣なら食料も炭もたっぷりあるけど……ラーテルの姿を思い出せば足がすくむ。今度見つかれば間違いなく命はない。この巣はまだ見つかっていないはず。運に任せるしかなかった。
時はまさに師走というべき勢いで流れ、ほとんどの生物は少しだけ長い眠りに就いた。今起きているのは冬に備えられなかった愚か者だけ。それらのほとんどはもっと永い眠りに就くことになる。
冬が、来た。




