470 変装物語
ファティが一度違和感に気付くと、それは消え去るどころかたびたび目にすることになった。何気ない周囲の態度。駕籠の取り扱い。
ファティはありとあらゆるものを優遇されており、それは教皇様でさえも足元に及ばなかった。ごく一般の民はどれほど困窮しているのか想像もできない。だから知る必要がある。
いままでは理由をつけられてなかなか自分の足で出回る機会はなかった。しかし、もう何も知らないでは済まされない。何故ならお飾りであるとはいえ自分はこの国の王なのだ。
だから駕籠をこっそりと抜け出す必要があった。しかしそれはあまりにも困難だ。ファティの駕籠は昼夜を問わず護衛がついており、容易に抜け出せない。ただ、それは護衛ではなく、監視ではないかという疑念がどうしても頭を離れなかった。だから護衛や侍女の中で自分のことを信じてくれそうな誰かを探す必要があった。
そこで思い浮かんだのはミーユイの顔だった。何故かあの子からは他とは違う雰囲気を感じていた。もしかしたら協力してくれるのではないか。だが同時にミーユイに迷惑が掛からないようにしなければならない。
名案は思い浮かばないが、ひとまず彼女と話すことに決めた。
駕籠の中に来たミーユイに対し、外に出て直にその目でみんなの様子を見てみたいと説明する。
「感激したしました聖女様。皆の暮らしを影から眺め、その心に平穏があるかを確かめたいのですね?」
「そ、そうです」
微妙に曲解されているが趣旨は間違えていないはずだった。
「こっそりと外出するには……護衛の方々をどうにかしないといけませんね」
それが難問だ。真面目に仕事している方々を非難するのははばかれるが、それでも障害になってしまっているのは事実だった。
「ミーユイ。何か妙案はありませんか」
しばし考えていたミーユイは顔を明るくして答えた。
「聖女様。変装するのはいかがですか?」
「変装ですか? 確かにそれなら外出できるかもしれません」
言われてみれば当たり前のことだった。ファティでなければ護衛は素通しするはずだ。問題はどうやって変装するかだが……。
「そうですね。聖女様は私に変装すればよろしいのではないでしょうか」
「つまり、ミーユイと入れ替わるのね?」
「恐れ多くもその通りでございます」
「そっか。それなら護衛の人も怪しみませんね」
ミーユイが駕籠に入ってから二人外に出ればすぐにおかしいとわかる。だが入れ替わりならミーユイの代わりにファティが外に出るだけで人数の変動は起こらない。
護衛はあまりファティに話しかけてこないので、通り抜けるときに注意さえすれば誤魔化せるはずだ。
「変装に必要な道具……服や小物、それと、御髪を隠すためのかつらなどは私が用意します」
「うん。何から何までお願いミーユイ」
ファティは心から、ミーユイに頼んでよかったと思っていた
もしもファティが真にセイノス教について知悉していればミーユイこと美月の言動がおかしいことに気付いただろう。
セイノス教徒にとってファティの銀髪は万人の命よりも尊い髪で、それを隠すなど口にしただけでも貴石を砕けと言い出しかねない蛮行だった。
だが結局のところ彼女はセイノス教徒にとってもっとも高貴で偉大な存在でありながらセイノス教を全く理解しておらず、それ以上に美月の内心を見抜けていなかった。
(ありがたい。こいつが外に出れば紫水の目論見はうまくいく。何とかしてこのことを伝えないと)
美月は表面上、忠実な付き人としてふるまいながら、ファティに対しては一片の敬意さえ抱いていなかった。
翌日。諸々の道具をそろえてやってきたミーユイに頭を下げようとするが、止められた。
「ファティ様は聖女にして国王陛下であらせられます。わたくしごときに頭を下げるなどもったいのうございます」
あくまでも恭しく、丁寧に謝辞するミーユイ。気を遣わせないために頭を下げるのではなく感謝を述べた。
「ありがとう。もしも私にできることがあったら何でも言ってね?」
「感謝いたします聖女様。その言葉だけで充分です。いつ気取られるとも限りません。お早く出立を」
「うん。本当にありがとう」
せわしく服をととのえ、かつらをかぶりミーユイに変装する。流石に顔の形まで変えられないが、顔見知りでなければ気付かれないはずだ。
「聖女様にそんなことをさせて申し訳ありませんが、護衛の方々には敬礼を行い、鑑札を見せてください。私はいつもそうしておりますので」
「わかりました。できるだけすぐに戻ってきます」
「はい。お気を付けて」
敬礼したままファティを駕籠の中から見送り、やがて足音さえも聞こえなくなる。
完全にいなくなったファティに対して美月はぽつりとこう言った。
「じゃあさっさと死んでよ」
もちろんそのつぶやきは誰にも聞こえなかった。




