466 大移動
一度移動すると決めたクワイの行動は迅速だった。迅速だったのだが……いかんせん物資が少なかった。去年国の興亡をかけた……いや、国が亡びる前提の戦を実行したばかりだ。クワイの中心地でさえ今日明日の食料を確保することで精いっぱいなのだ。
クワイお得意の現地調達など実行してしまえば草も残らないだろう。しかしそれでも、このまま飼殺されるよりもましだと、現在クワイを動かしているもの――――その筆頭であるタストは考えていた。
クワイの延命の為に、この場にある草を食らいつくす。それこそイナゴやウィルスと何が違うのか――――そう独語した紫水の言葉は彼女たちには届かなかったのだろう。
数年前と比べて食料が足りない。数年前と比べて病気で亡くなる信徒が多い。その様々な苦難は全て蟻のせいにされた。
それを聞いた紫水はさらに冷笑し次に呆れたという。
そんな醜態をさらしながらもクワイがどうにか出立できた理由はいくつかある。
一つはタストやアグルが奮闘し、かろうじて残っていた食料をかき集めたこと。
二つ目はそもそも以前より人数が明らかに減っていたこと。人員の管理は少ない方が楽なのだ。
三つめはアベルの民だ。
彼、便宜上そう呼ぶが――――は積極的に他の魔物、特にクマムシを狩猟し、クワイの安全を確保するとともに食料を確保していた。その様子は誰にとっても予想外なほど甲斐甲斐しく、ひな鳥を守る親鳥のようだった。
これによる戦力の拡充は予想よりもはるかに大きい。今まで銀髪以外勝てるポイントがなかったけれど、アベルの民が来たことで、銀髪が守り、アベルの民が攻めるという戦法が確立されつつあった。
今までは銀髪という盾も矛も兼ねる武器が一つきりだったが、役割分担可能なアベルの民が増えただけで劇的に戦力の欠乏が解消された。
銀髪が黒い巨人無しでも軍勢を進めさせられるほどに余裕があった。
戦術的に現在のクワイは盤石であるのだから、もうしばらく様子を見ておきたかったけれどやはり戦争は思うようにはいかない。数日後に奴らと今年初めて戦端を開くことになるだろう。
一応この部隊の指揮権はオレにある。
とはいえ部下にもオレに意見を陳述する権利があるのは当然だろう。ただ多国籍かつ多種族の連合ともなると意見百出どころでは済まない。特に摩耶を始めとする銀髪から被害を受けた人員からかなり過激な意見が出てしまった。
それを代表して摩耶が述べた意見は次のようになった。
「ヴェ。我らは忍耐の末勝利しました」
腕を横に広げるカンガルーにとって悲しみを意味するポーズを取り続ける。
最近カンガルーの言葉を読み解くコツが掴めてきた。体を見るのではなく印象を感じるのだ。意味がわからない? うん。オレもよくわからないけどわかってしまう。順調に洗脳されてるなあ。
「ヴェーヴェ。我々が雪辱を果たし、あの魔王に痛撃を与える機会は未だ与えられていません」
ちなみに銀髪を飼殺す作戦は幹部連中にのみ伝えており、一般には公表していない。する意味もないしね。
摩耶にはきちんと説明しているけれど、あえて聞いていないふりをしているらしい。多分、自分の部下からちょっと突き上げを食らったのだろう。何故銀髪を殺しに行かないのかと。そういう不満がちらほら出始めているらしい。
基本的に上からの命令に従順な魔物だけれど、別種族ともなると軋轢も生じるようだ。
「つまり銀髪と戦う機会が欲しいのか?」
「ヴェ。勝てなくとも挑む機会が欲しいのです。我々はそう望んでいます」
私、ではなく我々、か。
ふむ。オレたちは去年戦略的には勝利した。しかしながら銀髪に戦術的に勝利したことは一度もない。
つまりどれだけ戦略的に優位になったとしても銀髪が弱くなったわけじゃない。依然として奴は地上最強の生命体であり続けている。
けれど戦略的に有利になってしまったからあたかも銀髪が最強の座から転がり落ちてしまったような錯覚に陥ってしまっているのかもしれない。
幹部連中はともかく一兵卒まで完全に戦略目標を浸透させるのは無理か。
上から押さえつけて戦わせないようにするのは簡単だけど、それでは下の不満がたまるばかりだ。
しかし銀髪と戦えば敗北は必定。今ではアベルの民までいるから、戦いにさえならないだろう。
なら――――一度戦い。負ける。そしてその負けを有効活用するのが最善、いや次善ではないだろうか。
「わかった。摩耶。お前が一軍を率いろ。ただし、こっちの作戦には従ってもらうぞ」
「ヴェ」
摩耶は生真面目そうにうなずいた。




