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461 さらば故郷よ

 アベルの民の衝撃的な提案に真っ向から反対したのはやはり教皇だった。

「この地を離れよと言うのですか!? この聖なる土地を! 祖先が命がけで名前を読んではならぬ魔物から守り抜いた土地を!」

 吼え猛る教皇。この日一番の大声だったが、やはりアベルの民は動じない。

『先ほどの繰り返しになりますが、土地を守らねばならないという戒律はありますか?』

「……いえ、それは……」

 教皇が言いよどむのも無理はない。聖典の文言を一字一句暗記している教皇でさえ、この土地に住まなければならないという戒律を思い浮かべることはできない。

 例えばトゥッチェのように魔物に奪われた(と思っている)土地を取り戻すために戦い続けることはある。

 しかしそれはあくまでも言い伝えがそのまま目標となってしまったに過ぎない。手段の目的化の一種であろう。

『あなた方の真の大願は世に救いをもたらすことであるはず。今この場に留まる理由はあるでしょうか?』

 聖典には魔物と戦い、世に救いをもたらす。そう書かれてはいる。土地の権利にかかわる諸々の戒律はあるにはあるのだが、それらは国民同士の権利の問題であり、別に魔物に土地をくれてやったところで問題があるわけではない。最終的に魔物を一匹残らず討伐し、救うことはすでに定まっているのだから。

 あるいは、普段の国力が弱る以前のクワイであれば、教皇も一笑に付すくだらない提案だっただろう。だが教皇は現実を冷静に眺められる程度には賢明だった。現状ではこの国を守り切るのは極めて困難であるとは理解していた。

 だが。

 あまりにも指摘が正確すぎる。

 戒律の穴をつくように言葉を重ねるアベルの民に言い知れぬ不気味さを感じ取っていたのは教皇だけではなかった。

 結局、一時議論は保留し、日を改めることになった。




 戦いがあったわけではないのだが、どっと疲れた体を休めるように椅子にもたれかかるウェングとタスト。

「大変なことになったな」

 奇妙な怪物が現れたかと思えば助けの手を差し伸べ、さらにはどこかに国を移すという提案までされたのだ。驚くなという方が無理だろう。

 信用できるかどうかはわからないが……それでもどこか風穴があいた空気を感じる。この、窒息しそうな袋小路に陥った日常を吹き飛ばしてくれそうな風を感じる。

 ただし、それが彼らの敵にとって歓迎するべき事態ではないだろうが。


「……僕はあのアベルの民を信用できない。何とかして、あれを排除するように働くつもりだ」

「確かに信用できないかもしれないけどな……」

 言いかけたウェングを遮るように、一枚の紙を差し出す。

 そこには日本語で、盗聴されている、そう書かれていた。

 口元をおさえてウェングは黙る。

「他の人たちとも連携しよう。あんな化け物の思い通りにはさせない」

「……わかった」

 そのまま立ち去るタスト。その手には盗聴器だと言って渡された勾玉のようなものが握られている。

(これがあるうちは僕のことを監視できていると思うはず。軽々しく壊すよりも、渡せる情報をコントロールできるって考えるべきだ。……彼にもっと奥の手がない限り)

 タストは先ほどの会話を心の中で反芻していた。


 ファティがアベルの民との会合を終えて少し後。

 タストはアベルの民と会話する機会があった。

『感謝します』

「……? 僕は何もしていませんよ」

『いいえ。あなたは我々と銀の聖女様との会話をとり持ってくれました』

「――――」

 それは事実だ。一応場が破綻しないように慎重に言葉を選んだつもりだ。

『それに以前からあなたはこの国を守るために奮戦していました。我々はそれを観察していました。その努力に敬意を表します。今度は我々に直に協力させてください』

 タストは何も言えなかった。言葉がなくなるとはこのことだろう。

 彼は人生で初めて深い幸福のただなかにあった。

 つまり。

 生まれて初めて他人から褒められたのだ。そう感じた。少なくとも自らの実力と努力を公正に評価されたのは彼にとって初めての経験だった。

 母からも。部下からも。同じ転生者でさえも。こんなことはなかった。たったそれだけ。それだけのことで。

 彼は余人には想像できないほど心が震えた。


 少しばかり希望が見えただけであっさり河岸を変えるなど、尻軽と罵られてもしょうがない。

 しかし、かすかに、また光が灯ってしまった。国民も、蟻の王も、すべてを出し抜いてこの国を存続させる。

 こんな国が存続する意味があるのかどうかはわからない。自分にそんな資格があるのかもわからない。だが、少しでも希望が残っているのなら抗わずにはいられない。

 その理由が、ただ単に今までの惰性だったとしても別に構わない。この国を少しでも存続させる。それがきっと自分の使命だ。

 だから、彼自身がぽつりと漏らした次の言葉は聞こえていないふりをした。

「僕は役立たずなんかじゃない。僕だって国を救えるんだ。彼よりも上手くできる。そうだ。優秀な部下や、話の分かってくれる上司さえいれば……今度こそうまくやれる」

 醜い妬心を戸棚にしまい込み、彼は、彼のできる範囲で連絡を取りつつ、アベルの民に表向きは反対し、裏では協力する芝居をうちはじめた。




 そして、そんなタストの動きは――――すでに察知されていた。

「持つべきものは優秀なスパイだな。タストも随分移り気が早いようで」

 敵の動きが手に取るように分かる。ただ、これからはスパイとの連絡方法も少しばかり注意しなければならない。

 アベルの民との会話はオレたちにも聞こえていた。つまり奴らも女王蟻や海老女王のような強力なテレパシー能力を持っているということ。

 なら、オレたちがやったようにテレパシーを盗聴することもできるかもしれない。

「連絡方法を考えないとな。暗号とか、テレパシー以外のやり方を今のうちに作っておくか」

 そしてやはりクワイの連中に西に向かわれるのはまずい。時間をかけて再起されるかもしれないし、アベルの民と本格的な同盟を築くこともありうる。……ま、その可能性は低そうだけどな。

 とはいえ何の対策もしないわけにはいかない。久しぶりに会議にするか。


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うちの猫は液体です 新作です。時間があれば読んでみてください。
― 新着の感想 ―
紫水の頼もしさが半端じゃない。よく分からん敵の正体も突き止めてくれる核心と信頼がある
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