45 獣
ほとんどの準備を終えて後は人間が待ち伏せ場所に来るのを待つだけになった。
一応敵戦力をおさらいしよう。
まず捕まっていた蟻を尾行している人間が二人。少し離れて十人ほどの人間が辺りを警戒している。ちなみに赤い髪の女は人数の多い側にいる。リーダーなら当然か。
人間の魔法はサイコキネシスみたいに、ものを動かして破壊するタイプの魔法だ。
剣に弾、そして防御用の盾を作る魔法もあるようだ。これは物質を止める働きをする。広義には運動エネルギーを操るサイコキネシスと言えるだろう。一番威力が高いのは剣かもしれない。
総括すると汎用性が高く、戦闘向きだ。名前は、そうだな<ウェポン>ってところか。<弾>、<剣>、<盾>の三つに分類できる。
だが今まで魔物と戦ってきた経験によると、汎用性が高い魔法は何らかの弱点があることが多い。詳しくさっき起こった戦闘の詳細を聞くと、魔法を連発することはできないようだ。もしかしたら連発できないのではなく、人間の魔法にはチャージ時間が必要なのかもしれない。
この推測が正しいなら、不意打ちには対応しづらいはず。
待ち伏せの地点に近づいてきた。なぜか背の高い木がなく、矢を遮るものがない。森を探索させているうちに見つけた場所だ。警戒心の高い狩人なら怪しむかもしれないが……。
げ。ちょっともめてる? 引き返されるなら今すぐにでも撃つべきだが……おや? 結局進むのか。
ヒャッホー。アホで助かった。
周囲への警戒は怠っていないようだけど、この森近辺で生まれ育ったからこそ蟻が飛び道具を使うという思考を持つことができないに違いない。今まで戦ってきた魔物たちは皆そうだった。
では思う存分奇襲開始だ。
「弓兵、撃て」
一斉に矢が人間たちの頭上に降り注いだ。その中には樹上から放たれたものもある。蟻が弓兵として優れている点は平衡感覚に優れていることだ。何しろ弓矢を構えていてもまだ足が4本余っている。だからこそ大した訓練もなく曲芸のように木の上から矢を放つことができる。
つまり森は蟻のフィールドってことだ。わかったかヒトモドキ!
矢は次々と人間に突き刺さり、森を紅く染め始める。地の利も数もこちらが優っている。これで負けたら質の悪いジョークだ。
一目散に逃げられるのが一番まずかったけど人間たちも徐々に統制を取り戻し、<盾>で弓を防ごうとしたり、<弾>によって反撃を試みている。
むしろそちらの方がありがたい。この森をバラバラに逃げられたら追うのはしんどい。固まっていればまとめて殺せる。
しかし予想以上にしぶとい。腹や足に矢が刺さってるのに平然と反撃してくる。オレだったら泣き叫ぶかショックで気絶しそう。もしかしたら魔物には痛覚を飛ばす能力があるのかもしれない。今まで戦った魔物もやたらしぶとかったし、負傷するとアドレナリンを大量に放出するのかな?
とはいえ限界はある。物理的に反撃不可能なほど負傷させればいいだけだ。そしてその限界は近い。
明らかに反撃の手が緩んできた。失血や各部の負傷、魔法の乱発で体力が低下したのだろう。ここが勝負どころだな。
「辛生姜矢と突撃の準備をしろ」
矢を射かけるだけでは手加減できないため、辛生姜で動きを鈍らせてから接近して捕らえる。こいつらに燃やされなければもっと生姜があったから余裕があったけど、まあお代は自分で払ってもらうとしよう。
「射撃開――?」
何か音が聞こえる。
樹木が倒れる音だろうか?バリバリと乾いた何かが裂ける音。そして重い地響き。強いて言うなら巨大な戦車が森を横断しているようだ。この世界にそんなものがあるはずはない。
何か来る。
途轍もなく巨大な――魔物が来る。
そしてそれは現れた。この世界に自らを脅かすものなど存在しないと確信しているに違いない、ゆったりとした足取りで。
周りに存在する樹木に迫る巨体。
背中から頭頂部にかけて白い毛で覆われているが、下から見れば夜のような黒。
悪魔のような顔と鋭い牙。
見ただけでわかる。考えるまでもない。こいつは――――危険すぎる。
「……く……ま……?」
一瞥すると熊のように見えなくもない。だが……これは違う。こいつは……何だ?
現場にいないオレはある意味現実逃避する余裕があったが今まさに敵と対峙している人間と蟻にそんな余裕はない。
その場にいる誰もがわかっていた。
こいつを殺さなければ生き残れない、と。
皮肉なことに、蟻と人の心は一つになった。
人間は持てる全ての力を尽くして弾を放つ。
弓兵はその弓を新たに現れた敵に向け、何も持っていなかった蟻はただ突撃した。
だが、
白い光の弾は泡のように弾けて消えた。
矢は空色の光に溶けて消えた。
突撃した蟻は――ただ足元に赤い染みを作っただけ。
「――――。――――――」
声が出ない。この場にあるすべての火力を集中させても傷一つつけられなかった。それはつまり、どうあがいても勝てないことが明らかになったということ。
前足を軽く振るう。ただそれだけで土の鎧は砂となり、白い盾は溶けさった。肉体は初めから何もなかったかのように消え、大木でさえその軽く払っただけの一撃を受け止めることができず、地面に横倒しになった。
そこらを散歩するような気軽さであっさりと獲物を狩っていく。次元が違う。人が空を飛べないように、海には潜れないように、こいつには勝てないことが予め決まっている。生物としてすでに勝敗は決まっている。それほどの差がある。
「「逃げろ――――!!!!」」
オレが叫ぶと同時に人間も何かを叫んだ。何を言っているのかは分からなかったが何を言いたいのかはわかる。
蟻も人も蜘蛛の子を散らすように、脱兎のごとく、狩られることを示す言葉を総動員しても追い付かないほど一斉に逃げ出した。
だがしかしそれでも逃げ切れないほど俊敏に獣は一人また一人と獲物を狩っていく。
そしてようやくオレもこいつの正体に思い至った。こいつは熊じゃない。こいつは、こいつは――――
ラーテルだ。
頭の縮尺が幾分小さくなっていたのと、あまりにも巨大すぎたために気付かなかった。けど白と黒の毛皮などからラーテルであると判断できる。
さらにあの規格外の防御力。ラーテルはだぶついた肉とゴワゴワした毛皮でライオンの牙さえ通さないという、その防御力が魔法になったものに違いない。
しかしあの大木さえあっさり破壊する攻撃力は一体なんだ? くそ、わかんねえ。
苛立ちのあまり壁を殴りつけるが当然傷一つつかない。頭がおかしくなりそうだ。
それでも考えるのをやめるわけにはいかない。
何が起こったかを改めて思い出そう。まず攻撃がラーテルに当たった時空色の光が発生した。つまり何かが触れた場合に魔法が発動するはずだ。さらに魔法が発動した場合触れたものが消えた。
どんなに硬くても攻撃が弾かれるだけで矢などが消えることはありえない。テレポートみたいな魔法はないな。血の跡が残っていたから何もかも消し飛ばしているわけではない。
痛っ。感覚を共有している奴がやられたみたいだ。だいぶ慣れてきたとはいえまだちょっと痛い。
最後の力を振り絞らせて周りを確認させる。何か少しでも情報を―――。
ぶつんと、感覚共有が途切れた。だけど気になったことがある。
奴の攻撃によって木が粉のようになったことだ。すり潰したように小さくする……
「まさか……物質の分解か?」
化学分解ではなく、物質の結合を切断するという意味合いでの分解だ。それならこちらの攻撃と防御の両方を無効化することもできるはずだ。もしもありとあらゆる物質の結合を高速で切断できる魔法を全身に張り巡らせるとしたら……?
「無敵じゃねえか……」
例えば矢が分解されれば刺さるはずはない。土の鎧も文字通り砂のように崩れ落ちる。つまり魔法を使っている最中は事実上ダメージを与えられないうえに防御することさえできない。そしてその巨体に見合うだけの怪力も、その巨体に見合わぬ俊敏さも今まで戦ってきた魔物とは桁が違う。更にラーテルの防御力も硬化能力によってパワーアップしているかもしれない。
控えめに言って今までで最強の敵だ。
そしてラーテルが何故ここに来たのかも理解できた。
「あの鳥だ。奴がラーテルならあの鳥はミツオシエだ! あいつが誘導したのか」
こんな単純なことに気付かなかった自分の迂闊さを呪う。
ミツオシエとはその名の通り、他の生物に蜂の巣の場所を教えて、食料にありつく鳥の名だ。ラーテルと共生関係を持つこともあるという。恐らくミツオシエは女王蟻のように探知と通信が得意な魔物なんだろう。
最悪なことに、あの鳥は巣にも近づいている。せめてラーテルに巣の位置が伝わっていないことを期待するしかない。
必死で逃げた甲斐があってかどうにか生き延びた蟻がいるようだ。
「とりあえずこっちに戻れ」
敵がこの巣にやって来るかはわからないが、戦力は多い方がいい。
だが蟻たちは微動だにしなかった。
「どうした?」
予想だにしない反応に戸惑う。こいつらがオレに逆らうなどありえないはずなんだけど。
「紫水。今巣に戻れば巣の場所がバレない?」
……確かにそうだ。人間は巣に戻る蟻を尾行することで巣の位置をあぶりだそうとしていた。ラーテルも同じことをしない保証はない。いやむしろ万が一に備えてその作戦を利用するべきだ。
覚悟を決めなくちゃいけない。
「3人でいい。1人はわざと殺されて残り2人は巣から逆の方向に逃げろ」
蟻は何一つ言わず、ただオレの命令を実行した。
部下を無駄死にさせるのは論外だけど、意味があるにしてももっと効率よく使うべきだろう。無能極まりない。この日何度行ったかわからない後悔の言葉を思い浮かべる。でも逆にオレが無能であることが明らかになるほど、部下たちが成長している気がする。それはきっと良い方向に向かっているはずだ。ここさえ乗り越えれば状況はよくなるに違いない。
賢者ならぬこの身ではただ今起こっている問題に対処し、よりよい未来を信じる。それ以外になかった。




