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446 ただ彼に謝れ

「それと……これも悪いニュースになるけどな……トゥッチェのみんなと連絡がとれねえ」

 会話を続けるごとに、ただでさえ陰鬱な空気がさらに重くなっていることを実感しながら、ますます暗い気分に落ち込んでいく。

「今までも何度か同じようなことはあったはずだよね?」

 ウェングは騎兵を指揮して何とか連絡網を維持していた。しかし現在のクワイは過酷極まる環境で、伝令や飛脚が消え失せる事例は後を絶たない。だが。

「全く連絡が取れないなんて異常だ。……最悪の事態を考えていた方がいい」

 ウェングの脳裏に浮かぶのは義妹、サイシーの姿だ。ウェングにとって居心地がよくなかったトゥッチェにおいて唯一の癒しだった。

 彼女とは今年に入って一度も会えていないが、それでも連絡だけは届いていた。しかしそれが途切れたことでいやおうなく不安を感じている。せめて逃げ延びてくれていればいいのだが。


「もう、僕たちしか残っていないのか……?」

 あまりにも不吉な言葉だったが、それを咎めるほどの気迫は残っていない。かつて大陸のいたるところに居を構えていたクワイはもはや教都チャンガン、王都ハンシェンを残すばかりなのだろうか。

 この世界でただ一つしかない船に乗っているような孤独と、寂寥感だけが募っていく。

「そうかもしれないけど……あきらめるわけにはいかないだろ。何とかここを守り切らないと」

 励ましの言葉をかけたつもりだったが、ウェングは諦めのこもり、へつらうような笑顔を見せ、一枚の紙を差し出した。

 そこにかかれていたのは名前。連判状、あるいは数百人の署名のようにも見えた。じっくりと眺め、何の署名なのかを確認し、思わず奇妙な声を出してしまった。

「はあ!? あ、蟻の拠点へ再攻撃の署名!? しかも、こんなに!?」

 ここに署名した奴らの正気を心の底から疑う。領地の維持さえできていない現状で敵に侵攻するなど不可能だ。いや、仮に名前のない悪魔がいなかったとしても、前年よりもはるかに低下した戦力でどうやって勝つつもりなのか。


「本気だよ。彼女たちは本気で今年も攻めるつもりでいるんだ。今度こそ、勝てると確信している」

 もはや言葉を失うしかない。本当にセイノス教徒たちは命を失うことを気にしていない。去年何のために兵を引いたのか、全く理解していない。

「ど、どうするつもりだよ。まさか出兵するなんて言わないよな?」

「このままだとせざるを得ないだろうね。だから、もう僕も四の五の言わない。もっと根本的に解決する手段を選ぶよ」

「解決? 何する気だ?」

 疲れ切り、もはや歩くことに杖を必要とする老人のような顔で、それでも背筋を伸ばして言い切った。

「蟻の王と、転生者と話をする。そして、この攻撃をやめてもらうように頼む」






 教都チャンガンの豪奢な屋敷で、きびきびと美月は掃除を行っていた。美月は去年の戦争の結果、クワイ、ひいては銀髪に捕らえられてしまった。少なくとも彼女自身はそう認識していたが、思い直せばこれは銀髪を監視する絶好の機会でもあり、その旨を報告すると可能であれば諜報を続けろとの指示が下ったのでこの立場を表面上は受け入れていた。

 現在彼女はクワイからもっとも羨望を受ける身分である銀の聖女の付き人という立場だったが、彼女自身は極めて不快だった。

 まずクワイの連中はとにかく雑だ。

 掃除にせよ、料理にせよ、大雑把極まりない。ゴミをその場に放置したり、わけのわからない理由で食べられる部分を捨ててしまったり、彼女の生まれ育った環境とはあまりにも違いすぎた。

 だがそのくせ蟻は不浄である、魔物は穢れているというたわごとを抜かす。汚れているのはお前たちだと何度叫びたくなったことか。以前この害虫どもと同行した時は行軍の最中だったから、そんなものかと納得もできていたが、曲がりなりにも家屋に住んでいながらこの雑さは美月が許容できる限界を超えそうだったが、彼女自身の堪忍袋をぎりぎりまで広げることで対処していた。

 そして彼女の心を最もささくれ立たせたのは誰であろう、銀の聖女だった。


『あの時止めてくれてありがとうございました』

『もし、何か不自由なことがあれば言ってくださいね?』

『はい。私はみんなを助けたいと思っています』

 付き人として暮らすうちに会話する機会があり、銀の聖女の人となりを知った。周囲を気にかけ、その助けになろうとするが、どこかピントがずれている。

 つまり、銀髪は、ただのアホ――――もしくは周囲を欺く天才だ。それが、美月の心をいら立たせていた。




 屋敷の庭、以前は敷き詰められた石や池、穏やかな緑が風情を感じさせていたのだろう。だが今は見る影もなく、ただ寂莫とした地面に雑草が生い茂るだけだった。

 だからこそ密会には都合がよかった。

 人気がないことを慎重に確認し、口に布を押し当てもごもごと口の中だけで会話する。

 すると地面から一人の働き蟻が現れた。密かに美月がエミシとの連絡要員として招き入れ、匿っていたのだ。


『よう美月。定時連絡だ』

 そこから聞こえてきた声にわず顔をほころばせる。彼女にとっての王は断じて銀髪などではなく、この声、正確にはテレパシーによって遥か彼方にいる女王蟻の声の主、紫水だった。


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うちの猫は液体です 新作です。時間があれば読んでみてください。
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