443 偶像より偉い人
全体としてろくな抵抗もできずに崩れていくクワイの中で、遊牧民たちは善戦していた。オレたちが本気で攻め込まなかったという事情はあるにせよ、ギリギリのところで踏みとどまっていた。他の連中と比べると負け慣れていたのが大きかったのかもしれない。
さらにその機動力を活かして多少なりとも他の集落などと連絡を取っていたのだ。だがそれだけに味方が窮状に陥っていることを察知してしまい、お優しいことにとんぼ返りしてきた敗残兵を受け入れてしまった。
その味方が毒薬であるとも知らずに。もうお分かりだろう。みんな大好きペストだ。
高原は気候的にネズミやノミが繁殖しにくい。しかもペスト菌を直接ばら撒いても風で拡散してしまい、なかなか流行しにくかった。
しかーし、肺ペストによる人から人への感染なら関係ない。というわけで、敗残兵に対して高原にはいる直前にペストに罹患させれば、遊牧民と合流するころには病人が山のように膨れ上がる。
そこで颯爽登場! 銀の聖女!
ま、変装させたサリなんだけどな。
要するに今回は遊牧民を詐欺に引っ掛けるつもりということ。準備も抜かりはない。
敗残兵に実は銀の聖女が高原に来ている、という情報を流して信じやすくしている。さらにそれは救いを求める敗残兵を高原に向かわせるのにも一役買っている。
ヴェールを被った銀の聖女の似顔絵もばら撒いている。
気がかりなのは遊牧民たちは銀髪の顔を割と知っているということ。ヴェールで誤魔化せればいいけど、そうでなければ計画全体が破綻するかもしれない。
そうでなくても遊牧民たちは今まで強敵だった。果たしてうまくいくのだろうか。
数日後。
「私こそが銀の聖女です! そして、真にこの世界に救いをもたらすために祈りを捧げましょう」
ヴェールの下に笑みを湛え、演説を声高らかに行うサリの姿が!
そしてそれに応える歓声! 祈りを捧げるヒトモドキ! むせび泣く遊牧民!
……ちょろいな! ちょろすぎか! 誰かヴェールの下は偽物だとか疑わないのか!?
「……今までの苦労は何だったのでしょうね」
思わず空も天を仰いでしまう。その気持ちは非常によくわかる。なんだかんだでしぶとく立ち回っていた遊牧民が愚にもつかない演技でころりと騙される様は爽快感よりもやるせなさが強い。
「紫水。少しよろしいですか?」
「久斗か。どうした?」
久斗は今サリのご機嫌取り兼監視役だ。美月がまだクワイで銀髪の内偵の任務についているのでその役目は久斗が適任だった。
「遊牧民の銀の聖女役に対して頭目である少女が面会を求めています」
役、という言葉を若干強調したような気がするがスルーしよう。
「本物と会ったことがあるかどうかわかるか?」
「会ったことがあるようです。ただし、サリに心酔しているようで騙せるかと」
きちんと事前調査を済ませているのか。優秀だねえ。
「わかった。小道具が必要なら準備させる。念のためもう二、三日様子を見てから面会させよう」
「はい。それと、サリのことで気になることが」
「どうかしたのか?」
「どうにも、少し増長しているように見えます」
はっきり言えば予想されていた事態である。小物というのはえてして図に乗りやすい生き物だ。少し褒めそやされただけで思い上がるかもしれない。
サリは自己顕示欲が強いからなおさらだ。
「今はまだあいつがいないと困る。ただ、替わりを作るにはもう少し時間が必要だ」
これも美月がいない悪影響の一つだ。予定では銀の聖女役は美月が担当し、サリはファイヤーする予定だった。そしてさらに去年こちら側に組み込んだヒトモドキの幼児たちをきちんと教育して銀の聖女を大量生産する……予定だった。
まあ去年生まれたヒトモドキの教育はうまくいっているのでそれも時間の問題だろう。
「わかりました。監視を継続します。万が一の場合は――――」
「お前が手を下す必要はないぞ。あいつはきちんとしかるべき手順で処理する」
「はい。ですが、どのような罪で裁くつもりですか?」
エミシは一応法治国家なので、ただ邪魔だから、とか、嫌いだから、なんて理由で排除するわけにはいかない。が、しかしそれは相手が国民であった場合。
「必要ないよ。サリは未だにクワイ国民として扱っている。つまり、敵だ。エミシの国民じゃない」
敵を殺してはいけない法律は作った覚えがない。もちろんサリが国民だといった覚えもないし、奴自身がそれを確認したこともない。
なんとまあ汚い大人のやり口だなあ。
「はい」
少しばかり久斗のトーンが下がった気配がする。ここはちょっとフォローするべきだろう。
「当然だけど、お前や美月はエミシの国民だ。今きちんと教育している子供たちもな。もし何か困ったことがあれば助けるよ。今は美月がいないから苦労をかけるかもしれないけど、我慢してくれ」
「皆さんにはよくしてもらっていますから。僕らも皆さんの期待に応えたいです」
ふんわりとした笑顔で可愛らしいことを言う。がっしりとした体つきとその言動はどこかちぐはぐだけど、久斗は不思議と違和感がない風貌をしていた。
なかなか素直に育ってくれたものだ。
ま、もう久斗も一児の父だからな。
「というわけで妊娠おめでとうエシャ」
「ありがとうございます。でも、まさか久斗さんとの間に子供ができるなんて……」
「いや、オレも驚いてるよ」
嘘ではない。驚いているのは嘘ではない。
ただし。
リザードマンとヒトモドキの間に子供ができる可能性は高いと思っていた。リザードマンは見た目こそ爬虫類のようだけど、れっきとした哺乳類……かどうかはわからんけど哺乳類っぽい魔物だ。
というか魔物の内臓なんかは哺乳類に近い。ぶっちゃけると生殖器もそうだ。この時点で交尾は子供ができるかどうかはともかくとして可能。
さらに以前とある試薬を作ったので、それを樹里が試した結果、ヒトモドキとリザードマンが交配できる可能性が高いと踏んだ。その予想は見事に当たった。
久斗の年齢と甲斐性があるのかどうか不安だったけど、そこはうまくやってくれたらしい。
……しかし一歳にもなってないのにもう一児の父か……よく考えたらオレ生後数か月で大量の子供産んでたな。
やめよ。なんか空しくなる。
何はともあれこれは実に重要な発見だ。
これは証明だ。リザードマンの中にはエルフの血が混じっているということの証明だ。
リザードマンには二つの種族がある。茶色で毛があまりない茶色種族。豊かな毛をもつ金色種族。
この二種はそれほど差がないものの、食性がやや異なる。ミキエリが草食より。ファイゼルが肉食よりだ。
その他微細な相違点はあるものの、生物学的には同種、ないしは近縁種だ。
ならば、その違いはどこから来たのか。そこにはつまり別の種族と交配した、あるいは突然変異が発生していなければならない。
そして、金色の髪の毛を持った生物……それがエルフだ。
「おや? それでは根拠が薄いのではないですか?」
この発見の立役者になった樹里が楽しそうに聞いてくる。やっぱりこいつもわからないこと明らかになることが好きなんだろうね。
「お前も言うようになったじゃないか。でもまだまだ証拠はあるぞ」
「ぜひお聞かせください」
「まず輝く槍。リザードマンの伝承にそういう武器があったらしい。恐らく金属の武器だろう。この大陸でかつて金属製品を加工する技術があったのはエルフだけだ。ここにも金属そのものがあればその技術が失われなかったかもしれないけど……ま、世の中そう上手くはいかない」
「技術が失われる……あまり想像したくありませんね」
「確かに。さらに言えばエルフが絶滅した原因はヒトモドキだけど、あいつらの『遺書』からは女性がいなくなった、そういう証言がある」
「そういうことですか。つまりエルフの女は皆リザードマンに組み込まれたということですね」
「だーいせーいかーい。無理矢理奪われたのかそれとも女がリザードマンに自分から従ったのか……その辺はもう闇の中だ」
エルフの手記には屈辱を受けて男だけになったなんて書かれてあったけど……そりゃ書けんわ。
まさか異種族に女を盗られたなんて屈辱的な事実を書けるはずがない。
どうもエルフは男性社会だったみたいだからな。屈辱もひとしおだ。
紆余曲折あって被支配層だった金色種族が支配階級になったようだけど……自分たちに別の種族が混じっていることに戸惑いがあったのだろう。
その事実を闇に葬った。
だがしかし。過去からは逃れられない。
久斗、つまりヒトモドキはエルフと遺伝的に近い。
そのヒトモドキとリザードマンの間に子供が生まれたと証明できてしまったので、リザードマンという種族が他の魔物と交配可能だと証明してしまった。
今はリザードマンと交渉する必要がないけれど、暇だったらどっかのヒトモドキにでも知らせるかな。
いっそこれから騙さなきゃならない遊牧民の連中にでも……ちょっと趣味が悪すぎるかな。




