440 天国へと至る階段
「よっ」
クワイとは対照的に。
「しゃあああああああ!!!!」
喜び、嬉しさ、高揚、そのすべてが詰まった叫びをあげたのは紫水だ。
「「「「おおおおおおお!!!!!!」」」」
エミシの国民、援軍、対魔王同盟、それらすべてがその叫びに続いたのは言うまでもない。彼らは勝ったのだ。
しかし浮かれるのも一瞬。
「この戦いは勝ちだ! でもこの勝ちから何を得られるのかは今から決まる! まずは負傷者の手当て! そして余力のある奴らは追撃! ただし敵が本気で反撃しない程度だ!」
敵が撤退してくれるのはこちらとしては大歓迎。もう二度とこないでもらいたい。心の底からそう思っている。
あの銀髪がこうもあっさり退くとはな。国王は一体どんな弱みを握っていたのやら。
「そうだ。和香。国王の――――」
「コッコー。すでに周辺を捜索中です」
「流石。最悪殺してもいいから先に見つけてくれ」
「コッコー? 捕獲しなくても?」
「いい。先に殺せば国王は行方不明扱いだろうからな。弱みを握っている奴がいないという事実が銀髪の足かせになるはずだ」
この場の、いやクワイ、エミシ、双方の誰も知らない事実だが、国王はすでに死亡している。
美月が負傷した爆発に巻き込まれ、国王ばかりか、一、つまり王族の中枢を担っていた者はもうこの世にない。
もしも国王が健在であれば、美月の言葉は信じられず、むしろ進軍することを主張していたかもしれない。望外の幸運というほかない偶然だったが、これも美月の奮闘のたまものだろう。
「次は……久斗」
「は、はい」
「美月は無事か?」
「血が出ていますけど……死んではいません」
「あいつらの医療技術で、生きながらえそうか? もしもダメそうなら全力を挙げて美月を奪還する。誰にも文句は言わせないし、言わないだろう」
「無論。妾はいつでもいけるぞ」
「王の命ずるままに」
「皆さん……!」
久斗は千尋、空の同意に目頭を熱くしているようだ。例え敵と同族だったとしても美月は仲間。それを証明する言葉だ。
オレとしてはむしろ当然の対応だろう。美月のやったことは百万の軍勢でさえ成しえなかった偉業だ。その美月を見捨てるという選択はありえない。
「いいえ。きっと大丈夫です。太い血管は傷ついてないようですし、内臓も問題ないでしょう」
「そうか。なら、美月はこのまま銀髪を監視してもらおう。久斗。お前は隙を見てこっちに戻ってこい。安心しろ。美月はきちんと計画をたててから帰ってこられるようにする」
「はい。姉ちゃんをよろしくお願いします」
これからの作戦行動は複雑だ。クワイの上層部の頭がまだ動いているなら、各方面の兵を撤退させようとするだろう。その指令をなるべく早く届くように誘導させ、全軍に撤退を促す。
ただしラオのように銀髪から離れている地域への撤退はさせない。
以前考案した一般国民を銀髪への人質のように扱う作戦を実行する。恐らく銀髪は王都か教都に撤退するはずだから、その付近のヒトモドキ以外は皆殺しにするつもりだ。
もっとも、奴らは帰り道のことについて考慮さえしていなかったから、放っておいても大部分がくたばるだろう。さらにヒトモドキたちが放棄した都市や村を占領すれば一石二鳥。
クワイの土地の大部分の乗っ取りは完了するはずだ。んで、さらに今回の戦いで援軍として来てくれた対魔王同盟の連中にもその辺の土地や食料をくれてやって……はあ。
「戦後処理って大変だなあ」
「文句を言うな。それとも負けた方がよかったか?」
「そんなわけないだろ千尋。この程度の苦労なら安いもんだ」
「そうだのう。懸念はまだあるが、ひとまずは我々の勝ちだ」
「だな」
確かに懸念はある。
例えば西藍。一度姿を見せて以降、不気味なほど沈黙を保っている。銀髪だってあのまま引き下がるとは思えない。転生管理局とやらの動向も気になる。
「しかし、お前は少し休め。いい加減疲れたであろう」
「そうだな。少し休んだら、楽しい楽しい戦後処理の始まりだ」
こうして戦争はひとまず終局を迎えた。
エミシの犠牲者は極力統計がとられていたが、それでも正確な死者数は定かではない。しかし少なくみても五十万人以上が死亡する大惨事ではあった。
対するクワイは犠牲者の詳細が一切ない。完全に将来の展望を見失っていたセイノス教徒は統計の類を放棄していたためであり、概数の把握さえ不可能だ。
ただ、今回の騒乱を生き抜いたのはおおよそ一千万匹だと推測されている。聖戦開始前の人口が三千万匹という推測に基づくならば、この時点でさえ二千万匹以上が犠牲者になっている。
ただし、エミシ側がペストなどの感染症による死亡を含まない、直接殺傷したとみている数は三百万匹を超えていない。さらに、来年の春までに総数が百万を下回ることから、クワイの衰退の原因は自滅であるという推論は可能である。
無論、エミシが存在しなければそもそも聖戦など起こらなかったという可能性はあるが、銀の聖女という至高の戦力を手に入れたクワイが、歯止めが効かずに地上から魔物を一掃するまで聖戦が終わらなかったという、もしも、が極めて高い可能性で発生した事象であることを考慮すればやはりクワイの滅亡は自業自得と言わざるを得ないかもしれない。
だがもちろん、クワイの民はそれを決して認めないだろう。
転生管理局支部長代理翡翠は苛立たし気に息をついた。
ここ最近の激務によるものだ。あの蟻を殺せなかったばかりか、転生者が大量に殺傷を行ってしまったために大量の人命を転生させなければならなかったのだ。
しかもアベル側から地球側だけでなく、地球側からアベル側への転生者も増えてしまっていた。
転生者が何かを殺せば転生させなければならないというシステムは、こういう面倒くささがある。だから、監理局はいつもこういう。世を乱してはならないと。何かすれば面倒だから何もしないでくれ、と。
そうして新たな転生者が目の前に現れる。
「ようこそ、私は――――」
言いかけた翡翠を遮るように目の前の転生者はぽつりとある名前を口にした。
「道光帝」
「――――は?」
翡翠はぽかんとする。それは久しく聞かなかった名前。自分の名前。かつて地上で人間として暮らしていたころの名前。
だが、そんなことは問題ではない。
自分の体が今にも崩れ、光となって解けることに比べれば、問題ではない。
「あ。あああああ!!??」
痛みはない。ただただ無くなっていく。消えていくという喪失感だけがあり、それがむしろ恐怖を煽っていた。
「な、何故だ! 何故私の名前を、知っている!? そもそもなぜ、我々が本来の名前を呼ばれれば消えることを知っている!? 我々がもともと地球人だと知っているはずが――――」
不意に転生者を見る。目の前にいるのは蟻。
そしてその奥には――――百舌鳥がいた。
「て、てめえ! 百舌鳥、もずうううう!!!!」
すべてを、自らが陥れられたことを悟った翡翠は全身に残る力と怒りのすべてを燃やして立ち上がり、ほくそ笑む百舌鳥の顔面に拳を叩きつけようとして……光の粒となって消えた。
翡翠の消滅を確認した百舌鳥はにやにやした顔のまま、小さな、小さな蟻に声をかける。
「ありがとう寧々君。君のおかげで不正は正された」
ここまで読んでいただいて誠にありがとうございます。
第五章が終了しました。
第六章は一週間後に投稿予定です。




