435 誰かにきらわれている
「ふん。攻城戦らしくなってきたな」
伐採した木や、船を解体して得られた材木を加工したと思われる粗末な梯子を壁にかけようとするヒトモドキに矢の雨を降らせる。
防衛線は、爆弾、大砲、クロスボウ、何でもありでしかも高所を取っている守備側が断然に有利だった。
「駕籠を守っている部隊は明らかに足が遅いようです」
「だな。移動しながら魔法を使うのは思ったよりも難しいのかもしれない」
銀髪は駕籠の周囲の兵、およそ一万弱ができるだけ詰めて隊列を組んでいる周囲を全て守っている。
周囲全てだ。
前後左右はもちろん、上、地面に至るまで、すべて。
前回地面からの奇襲によって侵入を果たしたのでその対策だろう。しかしそのおかげで敵の足が鈍っているのならやはり無駄ではなかったのだ。
銀髪の攻撃範囲はわかっている。だから、この調子なら銀髪の攻撃で壁が崩される前にかなりの敵を片付けることができるだろう。
そのはずだった。
しかし不意に銀の光が瞬くと、それらが戦場を縦断し、壁を切り裂いた。
壁だけじゃない。大砲、爆薬、兵。重要な物資でさえ銀髪の攻撃を逃れられなかった。
幸い誘爆こそしなかったけど、壁の攻撃力、防御力は大幅に低下した。
しかしそれよりも驚くべきなのは……。
「あの野郎……味方毎ぶった切りやがった!」
銀の斬撃線上には味方さえもいた。どう見ても確信犯の友軍誤射。友軍誤射ほど味方の士気を下げることはない。敵に撃たれる恐怖には耐えられても味方に攻撃される恐怖は耐え難い。
しかし――――ヒトモドキから聞こえるのは歓声だった
「ち、味方に味方が殺されて喜んでやがるのかイカレども」
「うむ。どうも奴らは死にたいようだのう」
「呆れる気持ちはわかるけどそれよりも――――」
「案ずるな。すでに大砲と爆薬はさがらせた。茜たちが元気に運搬してくれたとも」
流石千尋。オレよりも早く指示を出したらしい。
壁は真横に広がるだけでなく、奥に後退するスペースを確保してある。敵が近づいた今、壊されるとまずい爆薬などは敵に攻撃されにくい場所に後退するべきだろう。こういう時は茜率いる豚羊たちの馬力が頼りになる。
ぼやぼやしていると全部ぶっ壊されるから急がせようとしていたけど……二発目がまだ来ない。
「どうやら続けては攻撃できんようだのう」
「みたいだな」
たまにそういう魔法があるけど、エネルギーを溜めて性能を強化しているタイプのようだ。以前はそんなことをしていなかったから、巨人の魔法の副作用か何かだろうか?
詳細はわからないけどありがたい。あんなもんばかすか撃たれたら一瞬で壁が溶ける。
しかし連発できないと言ってもこちらの防衛網に穴があいたのは事実。銀髪の攻撃によって興奮の極みに達しているバーバリアンどもは穴に向かって殺到する。
今まで自分たちを散々阻んでいた壁がなくなったのだ。興奮もするだろう。しかし、すべての壁が消え失せたわけではない。まるで谷のように細長くくぼんだ地形になっている。
つまり、上から挟み込んで攻撃できるこちら側が圧倒的に有利。我先に殺到したせいで密集していたヒトモドキには矢を射かけるだけで狙うまでもなく命中してしまう。すぐに人造の谷は死体で埋め尽くされるだろう。
しかしそれでもいかんせん数が多い。百の敵を討っても千の敵が現れる。死体を盾に、命を足に、敵はじりじりと谷を進む。やがて――――。
「抜けたぞ!」
快哉を叫んだセイノス教徒はその勢いのまま走り出す。偶然にも街道に繋がっており、視界の彼方には立ち並ぶ街並みが見える。まともな神経をしていれば無機質ながらも整った町だと判断しただろう。しかしセイノス教徒にとっては邪悪の根源たる穢土に過ぎない。
「あの町を滅ぼすことこそ我らが本懐! 今こそ神と救世主に我らの信仰をお見せするのだ!」
自らの正しさを信じて疑わない信徒たちは意気軒昂として突進し――――、
横合いから矢が降り注ぎ、さらに獰猛な煌きが彼女たちを串刺しにし、血風が舞った。
「一兵たりとも通すな! 突撃を続けろ!」
空の指揮するラプトル騎兵が谷を通り抜けたヒトモドキたちを骸に変える。その地形ゆえに細長く伸び切った隊列になっており、前方に意識が向いていたヒトモドキたちは何が起こったかもわからなかっただろう。
さらに逆方向からも新手が押し寄せる。
「ヴェヴェヴェ! 脳天直撃頭突き!」
けたたましい叫びをあげながらカンガルーの摩耶が突撃する。摩耶が率いているのは銀髪に親族を殺された魔物によって構成される義勇兵。魔物の種類も統一されておらず数は少なかったが、士気の高さでは目を見張るものがあった。
その気迫はすさまじく、瞬く間に敵を殲滅していく。
わずかとはいえヒトモドキたちの足が止まった。
「よし今! 爆破して谷を閉じろ!」
銀髪が壁を破壊するのは想定済み。対策も、ある。
噴煙と轟音。それに続くように壁の一部が崩落し、通り道をふさぐ。そのついでにヒトモドキの何十人かは押しつぶされる。さらに蜘蛛がべたつく糸で通り抜けられないように妨害を重ねる。
これでそう簡単には通り抜けられないだろう。
とはいえ所詮応急処置だ。
どれだけ予備戦力があろうが、どれだけ迅速に穴をふさごうが、いずれ突破される。銀髪はあまりにも強すぎる。こんな自爆上等の戦術を行使してきている時点で奴が他人の命を何とも思っていないのは明白。いざとなれば身を守るためだけに力を集中させるだろう。そして本当に自分自身だけを守っている銀髪を倒すのは無理だ。
だから今できるのは時間を稼ぐだけ。破滅の時をほんの少しでも遅らせなければならない。
再び銀色が視界を埋め尽くす。
「二撃目! 補修急げ! 空! カバー!」
「は!」
ラプトルが迅速に穴の開いた場所に急行する。
いわゆる城塞や城壁は近代火器の発達とともに姿を消したが、まさに現状がそれ。相手の火力が一定以上ではちょっとやそっとの壁など意味を持たない。
それでも守る。
三度、銀の光が奔る。だんだん間隔が短くなっている。銀髪自身が近づいているからだろうか。
「茜! クマムシを突撃させろ!」
「はい! みなさーん! どいてください!」
魔法を無効化できるクマムシはヒトモドキにとって天敵。いっそ無視すればいいものを、真正面から向かってきた敵は迎撃してしまう。
奴らには一番上の指揮官はいるけど、兵たちを直接運用、指揮できる前線指揮官が足りていない。だからこそ単純な行動しかせず、まだこらえられているのだろう。
四度目の光。しかしそれさえも耐えしのぐ。
五度目。六度目。まだ堪える。
そしてついに、銀髪は壁の目と鼻の先にたどり着いた。ここまでくればエネルギーを溜める必要もない。適当に銀の剣を振り回すだけでいい。間を置かずに銀の剣が幾たびも振るわれる。
積み重ねられた岩を、弓を携えた蟻を、地上で武器の補充をしていたカッコウを、大砲を硬化していた青虫をぼろきれのように引き裂いていく。
しかし。
「どうして突破できないんだ……?」
小声で、しかし悲痛な響きで疑問を漏らすタスト。
彼の受け取った報告が事実なら壁は防衛拠点として、体をなしていない。もはや半死半生であるはずだ。
だがそれでも完全に突破できたという報告はない。
「早く……早く終わってくれ……」
あるいはタストはもっとも戦闘の終結を願っていたのかもしれない。
エミシがしていることは戦術的に見れば複雑ではない。
侵入してくる兵を追い払い、道をふさぐ。敵に応じて最適な戦力を運用する。それらを淡々と繰り返し、銀髪という強大な個と、クワイという膨大な集団の暴力をはねのけていた。
だが――――。
「っ! まずい! 抜かれてるぞ! 誰か――――」
空は……動けない。カッコウはすぐには飛べない。千尋も敵を食い止めるだけで精いっぱい。
完全に、戦力の限界まで酷使していたからだろうか。
それは唐突に、同時多発的に訪れた。塞ぎ損ねた穴からヒトモドキどもがわらわらと這い出る。一か所、二か所、まだ増える。
一度決壊した堤はもとには戻らないように、一度破れ切った袋は繕えないように、勢いは止まらない。
後続のヒトモドキたちは我先にと死体さえ踏み越えて進んでいく。わずか数分で十数万の兵が壁を越え、街道を、森を駆け、エミシの中枢へと向かっていく。
クワイ側の兵卒、将帥そのすべてに至るまで理解した。
勝ったと。
もはや敵に我らを阻むことなどできないと。清らかなる信仰心が邪悪な敵を打ち負かしたのだと。
その認識は――――正しかった。
「紫水」
千尋が疲労困憊の様子で名前を呼ぶ。戦闘を行っている時間そのものは長くなかったがその疲労は今までのどの戦いよりも激しいかもしれない。
「無理だな」
言葉を多く重ねる必要はない。兵も武器も、もう限界だ。もうオレたちに余力はない。エミシにクワイを止める力はない。
「オレたちだけならな」
エミシには、力はない。エミシには。
らんらんと目を輝かせ、先頭を走る数十人のセイノス教徒たちが突如として宙を舞う。あまりの勢いにひた走っていたセイノス教徒も棒立ちのまま静止する。
やがて上空に放り投げられた味方が物言わぬ死体となって落ちてくる。
そこまで時間が経過してようやく気付いた。
「敵の攻撃だ!」
「どこから!?」
「おい! あれを見ろ!」
教徒が指さした方向を見る。そこには――――巨大な魔物がいた。
灰色の体躯に小山ほどもある巨体。知識があるならばひと目でわかる。
「象!?」
「馬鹿な! 象は聖別を受けた魔物だぞ!?」
「何故穢れた蟻の味方をする!? それも、八体も!?」
混乱するセイノス教徒をよそに象はその巨体を遠目にはゆっくりと、実際にはすさまじい速度でセイノス教徒に向ける。
「く、来るぞ!?」
「あれも敵だ! なら、討つべし!」
「いや! 教皇様からのご命令だ! 敵に構わず前進せよ!」
その指示は至極まっとうだった。いかに象が強大であったとしても所詮は象。戦場の全てを制圧できるはずもない。だが、象の巨体から飛び降りる影がある。
「さ、砂漠トカゲ!? 馬鹿な! 何故こんな――――!?」
驚いた次の瞬間、砂漠トカゲことリザードマンの石槍が顔を串刺しにした。
さらに、未だ壁を超えていない部隊にも異変が起こっていた。
後方より、何かが来ていた。しかし、前進することに注力するあまり後方への警戒がおろそかになっていたセイノス教徒たちはバタバタと討たれ、最期にこう叫んだ。
「な、何故悪鬼がここにいる!?」
だぶついた皮膚と、巨大な牙を持った怪物に頭蓋を叩き割られた。
森をひた走るセイノス教徒たちは不可思議な事態に直面した。
「おい! どうした!?」
突如として倒れ、眠りにつく味方が現れた。
「くそ、どうなって……」
彼女もまた、ふらりと倒れ込む。その様子を眺めていたのはでっぷりとした狸だった。
混乱の極みに達したクワイ軍がふと上を見上げると巨大な影があった。そこにいたのは鷲。
空を裂いて鷲の族長の一人、ケーロイが舞う。その下には混沌とした魔獣の群れがある。
ライガー、ハリネズミ、ムカデ、フェネック、マーモット。
「臆するな! 今こそ――――」
高々と鬨の声をあげようとしたセイノス教徒が針に貫かれ絶命する。それを皮切りに高原の魔物との戦闘が始まった。
「何故だ! 何故こんなとこに、こんな、ここにいないはずの魔物がいる!」
タストは狼狽しているが、それでも最低限の声しか出さない。
「やはり……敵の転生者の能力は……僕たちの想像を超えている。こんな、こんな量の魔物を操るなんて……」
彼は蟻の王が魔物を操っているに違いないと確信する。
その確信はセイノス教徒にとっても同じようなものだろう。邪悪な力で神聖なる戦いを穢そうとしているように見える。
決して認められないのだ。ここに集った理由を。
「不思議そうだなヒトモドキども」
続々と集まる味方を、いや、対魔王同盟を見て凶暴な笑みを浮かべる。
「紫水……本当に来てくれたのだな」
「ああ。千尋。お前にはわかるだろ。あいつらがここに来た理由が」
「無論。我らの交渉や、これ以上奴らを放置しておけばいつか自分たちに災いを成すかもしれない……そういう危機感。それらもあるだろう。じゃが、本当は違う」
そう違うのだ。利益や打算。それらは欠かせない要素ではある。しかしオレたちが誘導したとはいえここまで来るのは本当に骨が折れるはずなのだ。そんな苦労を背負ってまで何故ここにいるのか。
「それはな、お前らが嫌われているからだよ」
単純なのだ。戦争が起きる理由など一言でまとめればそんなものだ。やりすぎたんだよ、奴らは。
クワイが、セイノス教が、銀髪がむかつく。許せない。それだけで戦争など起こってしまう。
奴らにとっては理解できないだろう。かわいそうな魔物を救ってあげているなどと間違った思い上がりを抱き続けている奴らには。




