43 一番長い日の始まり
「アグルさん。偵察部隊の準備は整いました」
「ああ。しかしいいのかみんな」
アグルが帰還した翌日のトゥーハ村では蟻討伐のための準備が進められていた。常ならば村人一人が死んだくらいではこうならない。だがトラムが修道士だったことと、銀髪の少女の養い親だったことが村人の怒りを燎原の火の如く燃え上がらせた。
特に偵察部隊に自ら志願したサリの心中は察するに余りある。
「はい。修道士を殺した魔物など放置できません」
実際にはトラムの仇を討ちたいだけだろうが、ここではそれに言及すまい。
「すまないが俺は都の騎士団と交渉しなければならない。お前たちにはついていけない」
嘘だ。交渉などは他人に任せることもできる。彼がこの偵察に参加しない理由はふたつ。
一つは単に蟻の巣が見つかるとは思えないこと。
もう一つは危険であること。あの蟻は巣移りを行っていたので、それなりの規模を持っているはずだ。今の血気盛んなサリを連れていけば巣を見つけた途端に突撃しかねない。十数名の偵察部隊では絶対に勝てない。馬鹿に巻き込まれて死ぬわけにはいかない。
(理想は全滅してくれることだ。そうすれば騎士団との交渉も上手くいく)
その場合手柄は全て騎士団の物になるが、今回は都の連中に銀髪をお披露目するだけだと思えばいい。
「ご安心を。全て私に任せてください」
「サリ。貴女に神の御加護を。そしてこれを持っていくといい」
白い弾力性のある小さな立方体を渡す。
「グモーヴですか? それも一番神聖な白色」
グモーヴとは邪と恐れを払い、神に近づくための食物であり、白、黒、黄色の順に神聖だが同時に高価でもある。それをあっさりと手渡されたサリは驚きを隠せないようだ。
「巡察使タミルから頂いたグモーヴだ。俺よりも貴方たちが持っていた方がいい」
手渡されたグモーヴを大事そうに皮袋にしまう。
「必ず、邪悪な蟻の根城を突き止めてみせます」
そう言って偵察部隊は森に足を踏み入れた。何が待ち受けているのか理解してはいなかった。
「おし。それじゃ全員休憩。干しリン一かけ食っていいぞ」
その言葉に全身で喜びをあらわにする蟻ども。農作業中でも合間に休憩は必要だ。今のところ差し迫った脅威はない。
そのため今は色々と使えそうなものを集めている。肥料用の貝殻とか、岩塩とか、作物に使えそうな野生の植物とか、鍛冶に使えそうな鉱石とか、塩とかもしあれば海藻も欲しいな。
貝とか海藻とか塩は海が近いと簡単に手に入るけど山奥ではそうもいかない。近くの川を調べるのが関の山だ。もうちょっと色々手に入りやすい場所に転生したかったな。贅沢言ってもしょうがないか。
時間がある今のうちにできることをしよう。
「紫水。人間に見つかった」
「あん? またかよ」
連絡がきた蟻の視界を覗くと視界がかなりぶれていた。
いったい何がどうなっている? やたら頭に血が上った連中がいきなり十人ほど襲いかかってきたらしく、辛生姜の世話をしている連中が襲われたため、ほとんど武装していなかったことも不運だった。
さらに香り袋の強化版のような煙玉まで使われて大混乱に陥ったらしい。なんて卑怯な奴らなんだ。俺にもそれくれ。
そしてどうも一人だけ蟻が捕らえられているらしい。連絡してきたのもこいつだ。人間の目的も見当がつく。
蛇と戦った時のオレの作戦と似ている。わざと生かしておいて巣に帰らせて、尾行してこちらの巣の位置を特定する。頭いいなこいつら。
「あーこいつらの目的オレだ。正確には昨日殺された兄貴の報復だな」
あの弟が、私がやりました、なんて正直に言うはずない。オレに罪を擦り付けたようだ。別に恨むつもりはない。誰だってそうする。オレもそうする。
クワイとかいう国の法律がどうなっているのかわからないが、殺人を合法化しているとは思えない。下手すれば死刑なら、他人を犯人に仕立て上げるのは妥当だろう。腹は立つが同時に感心する。上手いこと騙したもんだ。まあオレ本人の感情はどうあれ犯罪は犯罪だ。裁かれるべきなのは弟の方だ。
冤罪です。真犯人は別にいます。何て言っても信じないよな。死体はもう防腐処理済みだし。よく考えたら会話すら成り立つかどうか怪しいやつに証拠がどうこう言えるはずないじゃないか。やっぱあほだなーオレ。
で、こいつらどうしよう。もちろん弟と無関係の可能性もあるけど、たぶん騙されてここに来たはずだ。そんな奴らを殺すのはさすがに忍びない。情状酌量の余地はあるはずだ。
それにこいつらを殺したところでいずれ第二第三の討伐部隊が派遣されるのは目に見えている。単純な暴力が全てを解決するわけではないはずだ。
となると交渉か。いかにも頭の固そうな田舎者に話が通じるかなあ? 何はともあれテレパシーを……てあれ? こいつら何を話してるかわからないぞ?
あーこれあれだ。テレパシーを使ってないんだ。なるほどな。こっちのテレパシー能力を警戒して通常の発声のみで会話してるのか。これなら向こうの言葉がわからない限り傍受されない。そもそも小声で会話してるから何言ってるかすらわからない。確かにテレパシー以外の方法で会話するメリットはあるな。
ダメじゃん。
交渉のハードルがまた上がっちゃった。この状態でもこっちのテレパシーが届くならまだ何とかなるかもしれないけど、完全にテレパシーを使えないならまず向こうを会話する気にさせる必要がある。ボディランゲージとかで? ……めんどくせー。
人は自分に危害を加えられると怒る生き物である。しかし彼は自分たちに危害を加えられても怯えこそするが度を失う程怒ることはない。少なくともそれが自分にとって納得できる理由なら「まあしょうがないな」といって気にしないこともある。
ある意味では度量が大きいのかもしれない。
しかし、自分にとって理解も納得もできない理由で危害を加えてくる相手には一切容赦しない。
色々会話する方法をあーでもない、こーでもないと考えていたらヒトモドキが辛生姜を掘り始めた。いやそれオレが育てたから勝手に盗らないでほしいんだけど。手袋などで完全防備しているから辛生姜の危険性は理解しているらしい。
そして掘り出した辛生姜から宝石を取り出し、砕いた。
「はい?」
さらに――生姜畑に火を点けた。
「え」
燃え上がる炎。幸い周囲の植物はきちんと刈り取っていたため燃え移る心配はないがここの生姜は全滅するだろう。汚物でも捨てるように掘り出した辛生姜を火の中へと投げ入れた後、魔法を使って白い剣を作り出した。
「何しとんじゃてめえらー!?」
何故燃やす!? それを育てるのに何日かかったと思ってる!? 毎日水やって、土整えて、日光の当てすぎに注意して、ようやく大きくなり始めた所だったのに!
ヤシガニみたいに奪って食うのはいい。いや良くはないけど、理解はできる。食い物を求めるのは本能であり至極当然だ。
だがこいつらは食べずにただ燃やした。辛生姜は危険だから駆除したのか? それならわざわざ掘り返さなくてもいいはずだ。ましてや宝石を砕く必要などない。
辛生姜を燃やした後の所作は祈っているようにも見えた。そこから推測するとこいつらは魔物を殺すことを褒め称える宗教観を持っているらしい。そう考えるのが妥当だ。
お前らだって魔物だろうが。それとも何か? 自分たちだけは神様が救ってくださるとでも言うつもりか? ふざけんなよ。思い込みが激しいにも程があるだろう。
デウス・ウルトなんてふざけたことをほざいて、他所の土地を侵略する連中と何も変わりはしない。
「オレの嫌いなことを一つ教えてやる! わけのわからん理由で他人を害することだ!」
いいだろう。そっちがその気ならやってやる。
意思は決まった。先に引き金を引いたのはそちらだ。誤解されていようがもう関係ない。
誰がこの世界で最初に農業を始めたのか、誰が最初に奴隷を使役したのか、誰が最初に戦争を始めたのか!
「蟻を舐めるなよ、ヒトモドキ!」
オレの意を汲んだのか蟻達は不敵な笑みを浮かべた気がした。まるで何万年も前からそうしてきたかのように。
まあでも、この世界の生物の進化史が地球と同じとは限らないんだけどね。




