423 逆さの男女
巨人に対して攻撃の手は緩めなかった。一度は爆弾も試したけれど……まるで手ごたえがない。そうこうしているうちに四日が過ぎた。その間巨人はずっと現れたままだ。ただし、夜になると動かなくなるから銀髪が眠っている間は消えないけど動かせないと判断するべきだろう。
巨人に対しては有効打を与えられなかったけれど、そろそろペストの初期症状が出るはず。
そのまま何もせずに……いやむしろクワイらしい、祈るだの唄うなどの治療行為(笑)ならかえって感染が拡大するから願ったり叶ったりだ。
しかし予想に反して、奴らは適切な対処を行った。
そのころ、巨人に抱えられたゆりかごのような船団の内部では、迫る決戦を前にして高揚した信徒であふれていた。
しかし、彼女らの中に体調の不良を訴えるものが現れ始めた。これははなはだ不名誉であった。いと神聖なる巨人の腕に抱かれながらも病魔に侵されるなどあってはならないはずだ。
何故なら、敬虔なるセイノス教徒は病になどならないのだ。だから、病んだ信徒は信徒たる資格がない。恐ろしいことに病に倒れた当人たちでさえそんなことを考えていた。
ゆえに、彼女らの選択肢は一つだった。
巨人の背、その縁。
天井さえも網の目に覆われていたが、そこには人一人がようやく通れるほどの穴があった。
数十人の信徒が列をなし、それよりもはるかに多い信徒が遠巻きに祈り、見守っている。
最初の一人が、その穴の前に立つ。その体は遠めに見てわかるほどに弱弱しく、健康体でないのは明らかだった。
ゆっくりと後ろを振り返る。
微笑みさえ浮かべながら、最期の挨拶をした。
「では皆さま楽園でまたお会いしましょう」
そう言って穴から飛び降りる。
この高さから降りて無事で済むはずはない。初めから承知の上だ。落下している最中に自らの額に<光剣>を押し当て、落下死するよりも先に自害する。頭を下に、逆さまに地面に向かって一直線に落ちていく。
最初の一人と同じように続々と穴に身投げする。
その、すべてが病に侵された人々だった。
「タスト! いるか!?」
とある船室の一つ。ウェングは怒鳴るように乗り込んだ。どう考えても無礼だったがそんなことを気にしている余裕はなかった。
「ああ、いるよ」
狭い一室の中からかすれた返事が聞こえる。そこに目を向けると一瞬誰かわからなかった。
血色の悪い肌に落ちくぼんだ眼窩。憔悴しきった男がそこにいた。タスト……であるはずだ。
「どうかしたのかい?」
部屋に入ったまま動かないウェングにタストが続きを促した。口調はいつものままだったが、その声は数十年ほど老いているようだった。
その様子に若干気勢がそがれたが、それでも詰めより、問いを発する。
「どうしてここから飛び降りている奴がいるんだ?」
「ああそのことか」
「ああそのことか、じゃねえよ! どういうつもりだよ! 自殺を促すなんて!」
ウェングはここから飛び降り、楽園へ旅立つという一団を見て、止めようとしたのだ。しかし彼女らはこれも教皇様のご指示です、そう言って列に加わった。
「僕が指示を出したわけじゃない。教皇猊下に進言しただけだよ」
「同じだろ!」
「違う……実際に命令したのは……教皇だ……僕は……」
ようやくウェングはタストが心の限界に近いことを悟った。やりたくてやっているわけないのだ。
「……なあタスト。お前、それでいいのか?」
「しょうがないじゃないか。もしもここで感染症が広がれば、計画そのものが頓挫する。それなら……病人はいない方がいい」
「治療すれば治るかも……」
「この国の医術だよ? 一番いい治療方法は、司祭や司教による祈祷だよ? 治るわけないじゃないか」
自嘲気味に吐き捨てる。
病人を治せないなら排除する。それがタストの結論であり、その結論は遍く万民に受け入れられてしまった。
「ここまでしなきゃいけないのか……?」
「しょうがないんだ。ファティには上手く説明して、少しの間だけ通れる穴をあけるよう頼んだ。多分何も知らないはずだよ」
「……」
嘘を塗り固め、騙し、それでも戦いは終わらない。仮に勝利しても、救いが訪れなければこの戦いは無意味になる。
いっそ、必ず救われるのだと信じられれば幸福なのだろうが……それには地球人としての意識が邪魔をする。
「敵はとてつもなく強大だ。だから……犠牲が出るのはしょうがない……。この巨人はそう何日も出し続けられない。だから、いちいち立ち止まってられないんだ……」
タストのつぶやきにウェングは何も答えられない。そのまま独り言のような言葉だけがこぼれる。
「予想よりも水が足りてない。念のために水替えが必要だ。問題はないと思うけど、君も持ち場に戻ってくれないか?」
「……わかった」
タストが敵を強大だと認識しているのは一種の防衛本能だったのだろう。
敵が強大であると思い込むことで自分が非人道的な手段を行ったとしてもそれが必要なのだという言い訳がほしかったのだ。
いつの世も敵を知ることは戦いの第一歩であるが、それを成し遂げることは困難なのだ。




