419 ダミーガール
話は遡り、銀の聖女一行が王宮を出立する前日。
タストはファティや国王に教皇、アグルたちを交えて樹海に侵攻する計画を説明していた。この計画はかなり遠回りすることになるのであらかじめ説明し、承諾を得なければならない。もしもそれに失敗すれば……また一からやり直しになる。
事前に用意した資料と共にまず教皇がタストを紹介した。
「国王陛下。これは私の息子でタストと申します。男児ですが頭の出来がよく、巡察使を務めており、今回の作戦を考えたのもこ奴です」
「承知しました。では、タスト君に説明していただけるのですね?」
「は」
教皇、タストの母親は懇切丁寧に国王に接する。実権を握っているのは教皇だが、その教皇でさえ国王に逆らおうという発想はない。恐らくは銀の聖女に対してもそうだ。セイノス教徒は上位存在には決して逆らわない。あれだけ絶対的に見えた教皇でさえ、そうなのだ。
「タスト。説明を始めなさい」
もしもタストが本当の意味でのセイノス教徒なら、国王と教皇、そして銀の聖女を前に発言を許されたことに滂沱するだろうが、今は何の感慨もない。
「地図をご覧ください。我々は現在王都にいますが、ここから敵の本拠地までは東に相当な距離を歩かなければなりません。急がなければ冬が来ますのであまり時間はかけられません。ですが、私は南に迂回する作戦を提案したします」
「ふむ。南を選ぶ理由は?」
「南側が侵攻に適しているからです。草原を超えれば後は小山があるだけです。東に直進すれば森を長期間突っ切らなければならないので余計に時間がかかります」
実を言うとそれは説得のための詭弁だ。地形を完全に無視して進軍する方法は考えてある。タストが警戒しているのは別のこと。つまり敵に自分たちの位置が知られているのではないかという疑念である。ファティにはなるべく敵に気付かれず、かつ安全に本拠地にたどり着いてもらわなければならないので、敵の情報収集能力は最大限警戒するべきだった。
蟻の首魁が魔物を操れるとするなら、いくらでも方法はあるだろう。もっとも危険なのは人間が操られ、スパイに仕立て上げられている危険性だ。
だが、それを口に出すことはできない。
スパイを恐れて疑心暗鬼になってしまうことを恐れる……というより疑わしきを粛正し、味方が誰もいなくなってしまう事態を避けたいのだ。冗談のように聞こえるかもしれないが、教皇や国王ならそのくらいやってのけるだろう。下手をすると国王や教皇に疑われただけで自害する信徒が出かねない。
そうなると戦力が落ちる。正確にはファティの盾が減る。敵の能力が未知数なのだから盾は多い方がいい。
「しかし、結局南に迂回すれば時間はかかるのでは?」
「ご安心ください。すでに移動するための足は用意させてあります」
「おや。一体それは何ですか?」
「船を使います」
「船……それでは海を行くのですか? 海には巨大な魔物がいるはずでは?」
国王の驚きは至極当然だった。最初に教皇やアグルに説明した時もとても驚かれた。
クワイにとって海とは穢らわしい魔物が跋扈する魔境であり、人が足を踏み入れてよい場所ではない。
「問題ありません。我々には銀の聖女様がおられます」
魔物は問題にならない。むしろ問題はきちんと操船できるのか、航路を確保できるのか、ということだ。
前者はともかくとして、後者については何も心配していない。航路はあの神から託宣があったときに記憶に刻まれている。神とやらは海路をあらかじめ想定していたようである。
ただ、それを理解できた人は少ないだろう。クワイは船で旅をする文化が存在しない。だから、理解できたのは転生者である数人だけだった。さらにタストは授けられた能力によって完全な記憶能力を得ている。道筋はもはやそらんじれる。
「ええ確かに。聖女様がおられれば魔物など恐れるに足りません」
国王はタストの心配をよそに温和な笑みを浮かべる。それがいっそ不気味だったが、ともかく作戦を変更する必要がなさそうなことに安堵していた。
「それは、他の騎士団や大司教には伝えてあるのですか?」
「いいえ。他の方々はすでに各々の道を歩まれております。わずかばかり助言を送るだけでよいかと」
言外に囮に使うとほのめかしたが、少なくともファティは理解していないようだった。実際にもうすでに教皇によって密命を受けた信徒が指令を与えるはずだ。
教皇は気付いているだろうが……国王はどうにも真意が見えない。
「そうですか。他に何か言うことは?」
「いいえ。雑事は我々にお任せください」
「では、旅立ちましょうか。聖女様。どうかこの世をお救いくださいませ」
「は、はい」
今まで蚊帳の外だったファティは唐突に話を振られたことに驚きつつも事務的な返事をした。
ひとまず会議を終えたタストは王宮の庭でファティに声をかけられた。
「あの……タストさん」
「ん……なんだい?」
「その……えっと……大丈夫ですか?
「大丈夫って……何が?」
「タストさん、すごく疲れた顔してますよ?」
そう言われて思わず頬をなでると、肉が削れたようにざらざらと細った顔があった。自分の顔だとはとても思わない。それどころか本当に人の顔なのだろうか。
どうやら自分は疲労していることに気付いていなかったらしい。
「今みんなが大変な時期だからね。僕が休むわけにはいかないよ」
「そうですよね……」
ふっと会話がとぎれる以前にもこんなことがあった気がするが、この沈黙は意味が違う。冷たい亀裂ができているようだった。いや、むしろ自分から亀裂を広げているのだろうか。
その沈黙に耐えられなかったのか、彼女は無理矢理に話題を切り出した。
「タストさん……この戦いが終われば、平和になりますよね……?」
縋るような口調。
ああやっぱりだ。彼女はセイノス教を理解していない。あるいは理解しないようにしているのか。
平和というものを望む日本人としてはごく当然の思考をしているうちはセイノス教など理解しない方がいい。
セイノス教が求めているのは平和ではなく救いなのだ。魔物を一匹残らず殺し、救うこと。
蟻を殺せばそれが成されるから、蟻を殺す。そうすればこの世界に用はない。わざわざ平和な世の中を作る必要なんかない。
でもその事実を伝えることはできない。
だから嘘をつく。せめて敵が悪い奴だと信じていられるように。
「ああ。きっと平和な世の中が来るよ」
もしも鏡があるのなら、真っ黒に染まった自分の顔が見えただろう。
彼女の顔は見えなかった。何と返事をしたのかもわからなかったけれど、軽い足取りで立ち去ったのだから、自分は何も間違えていなかったのだろう。
お願いだ蟻の王。
君が悪くないのはわかっている。君だって何とか世の中を良くしようともがいているのかもしれない。
君が神に命を狙われている理由は不当なのかもしれない。
でも、この世界は君を認められない。君がいてはこの世界は立ち行かない。
お願いだから――――死んでくれ。




