412 樹海の戦争
端的に言えばゲリラ戦とは弱者の戦法である。
少数で不意を突き、罠を仕掛け、攪乱する。敵よりも圧倒的に多い兵力があればそんなことをする必要はない。
事実として彼我の戦力差は現時点でさえ三倍以上。この先も考慮すればその差が数十倍に膨れ上がる危険も考慮しなければならない。
まともに戦えば粉微塵に粉砕されるだろう。しかしそれでも焦りはない。
この樹海各地には蟻の巣などの補給拠点がいくらでも設営してあるから長期戦にも対応できる。
まともな連絡手段がないせいで統率された軍事行動がとれない敵とは違ってテレパシーによる連絡網で極めて精密な作戦行動ができる。
そして何よりも千尋はこの時のために訓練を重ねてきた。
地道な見回りも、気分屋の蜘蛛にしては真面目な訓練もこの時の為に。もはや広大な樹海は蜘蛛たちにとって庭も同然だ。
さらに今回の戦いでは戦えば戦うほど食料が増えるメリットもある。
「戦果はどうだ?」
「四十匹ほどじゃのう。しばらくは食うに困らん」
簀巻きになり、息絶えたヒトモドキが転がる。
ここも地球の戦争とは違うけれど、オレたちは兵士の死体を食べられる。異種族であるがゆえに食べることに躊躇がない。まあ、蜘蛛の場合味方の死体も食うけどね。死んだ奴は食うのが蜘蛛の習わしらしいし、似たようなことは蟻もやる。
なんというかまあ、死体に対する扱いが地球とは違うのだ。丁寧に火葬や土葬することと同じように食べて弔う。そこに良いも悪いもない。ただ、そういう形があるというだけ。
ヒトモドキ連中がどう思うかなんざ知らんし興味もないが。
「じゃがすぐに自殺するから保存はきかんじゃろうな」
「ほんと、ちょっとしたことで自害するのは何なんだろうな」
ヒトモドキの中には無傷で捕縛した奴らもいるけどすでに全員死亡済み。どうにも蟻に捕らえられれば楽園にいけない、という噂が流れているらしい。
意図的に流したのかそれとも自然発生したのかまではわからんが、おかげで積極的に自害するからサリみたいな裏切りは期待できない。やっぱりサリはイレギュラーにイレギュラーが重なった偶然らしい。
まあつまり。
皆殺しにした方が手っ取り早いってことだ。
もちろんまだまだ罠はいくらでもある。この程度で終わりだと思うなよヒトモドキども。
混乱は激しかったが、いい意味でも悪い意味でも逃げるということをしないセイノス教徒の心意気がこの場合いい結果を生んだ。
後退しなかったため後続の進軍を必要以上に妨げず、指揮官がそれほど遅れずに到着することができた。
一度指揮系統が回復すると上位者に従順なセイノス教徒は落ち着きを取り戻し始めた。
「よいか! 悪魔の邪智奸計にかどわかされてはならん! 追撃は命令された場合のみ行え! では、進め!」
檄を飛ばし、命令を下す。更なる追撃を企図する。
幸いにも敵はまだ目視できる位置にいた。だがそれが見つけた、のではなく見つけさせられたのだということに気付けるほど鋭くはなかった。
ややバラバラな足並みで、しかし何とか集団としての体裁を保ったまま進む。
しかし上下左右、いったいどこから襲ってくるのかまるで見当のつかない敵を警戒することはとても神経を摩耗させる。
その摩耗した神経では警戒していない対象に対する注意が著しく下がっていることにさえ、気付くことができなかった。
ぐにゃりと柔らかい地面に足を取られる。
ぬかるんだ泥よりは固く、踏みしめるべき地面よりは柔らかい。明らかな異物感によって全身の毛が逆立つ。
それと同時に柔らかい地面から針山が飛び出る。
すぐに飛び去った信徒は重傷こそ負わなかったもののひどく狼狽した。
「な、なんなんだこれは!?」
はじめは足元をはい回るナメクジの群れのようだったが、それは森を飲み込むほど広大な悪意の塊のようだった。エミシにおいてはアメーバと呼ばれ、クワイにおいては――――。
「行けません! 沼の魔獣です! 皆さま下がってください!」
「魔物に背を向けられるか! まずは司祭様に連絡せねばならん!」
この場合先の宣告が彼女たちの行動を決定した。とにかく指示を仰ぐのである。
命令を聞くことに固執するあまり自分で行動するという意思がない。素人は極端な行動しかできないのだ。
棒立ちに近い状態のまま濁った泥のような沼の魔獣に触れ、針が飛び出し、負傷する。
それでも戦意は萎えず、衰えない。彼女らの信念はたかが負傷したくらいでは、仲間が息絶えるくらいでは折れない。
そして彼女らにとっての希望は直ちに現れた。この部隊の指揮官になった司祭が到着したのだ。
「うろたえるな! 沼の魔獣は清めの香で退散させられる! 誰か! 持っておらぬか!」
「こ、こちらに!」
清めの香とはセイノス教、特に教都チャンガン近辺に伝わる魔よけの道具である。
主に香草を煮詰めたり、乾燥させて粉末にするなどの製法があり、地域によって特色のある清めの香が作られるほど、クワイではポピュラーな香袋である。
そしてこの清めの香は実際に効果があるのだ。
セイノス教徒は理解していないが、香袋に含まれる成分には防虫効果のある香り成分が含まれており、それを沼の魔獣が嫌がるのだ。
この清めの香が産まれることになった原因はおよそ四百年前にさかのぼる。
当時のクワイは国土拡大の真っ最中であり、同時に魔物との激しい闘争が頻発していた。
その中で特に被害を与えた魔物が沼の魔獣である。
神秘の<光剣>も、<光弾>も通じず、有効な手段は火を放つことだけだった。そのため一度畑や村に沼の魔獣が現れればそれらを焼き払うことも少なくなかった。
しかしある人物が神の意思によってこの世に顕れた草花によって沼の魔獣が退散することを突き止めた。その神からの贈り物を余さず受け取るために清めの香が作られ、最終的にその人物は聖人に認められ、清めの香の製法は広く知られることになった。
これが清めの香の誕生秘話である。
迷信や伝承が必ずしも誤りでないことの証左である。
「よく狙え!」
司祭の号令によって清めの香が詰まった袋を信徒が振りかぶる。ただし彼女らにとって計算外だったことは、沼の魔獣ことアメーバの性質を彼女たち以上にエミシが知悉していたことである。
「投げろ」
司祭の命令によって空中に放り投げられた香袋にするりと糸がまきつく。そのまま地面に落ちることなく、その香りを沼の魔獣に届けるよりも先に森の暗がりに消えていく。
「え?」
一瞬の出来事に戸惑うしかない。
それと入れ替わりのように袋が投げ込まれる。
「え?」
袋が裂け、辺りに甘いにおいが立ち込める。するといきなり沼の魔獣は今までよりも激しく動き始めた。
「ぬ、沼の魔獣を攻撃せよ!」
慌てた司祭は意味のない命令を下し、またしても無意味な犠牲の山を積み上げることになった。




