表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
420/511

411 蜘蛛の糸

 クワイの行軍は順調に進んでいた。

 食料は乏しく、水も豊富にあるわけではない。しかし自分たちは神がお創りになられた道の上を歩んでいるという自負と安心感が彼女らの足取りを軽くしていた。

 だが……落とし穴は眼に見えにくいのだ。


 ある女性がわずかに歩みを止めた。

「ん、何かしら」

「どうかしたの?」

 周りの人々が心配そうに女性を見る。

「いや、足が……何かに引っかか――――」

 言葉が終わるよりも早く、すさまじい勢いで女性は森の暗がりへと連れ去られる。

 先ほどまで女性がいた空間にぱっかりとあいた穴を呆然と見ていたが、やがて誰かが叫んだ。

「魔物だ! 魔物に信徒が連れ去られたぞ! 追え! 追って信徒を取り戻せ!」

 その声に従い、一斉に連れ去られた女性を追う。

 幸い女性は激しく抵抗しており痕跡を探すのは難しくなく、追跡は容易だった。

 もっともたかが一人の兵隊が連れ去られただけである。軍隊としての冷酷な論理に従えば、軍全体の行進を止めるほどの犠牲ではない。

 しかし、この軍隊は素人の集団である。

 優秀な兵隊と素人の決定的な差は命令を待って動くか、それとも個々人の判断で動いてしまうかどうかなのだ。素人である彼女らは目前の出来事に反応してしまう。

 結果としてこの部隊の指揮官が事態の全容を掴むころには数百人が独断専行を行ってしまい、引き返せる状況ではなくなってしまった。


 連れ去られた女性を遮二無二追う。木々の硬い枝葉で服が、皮膚が裂け、小さい血の跡が点々と落ちていく。

 だが細かい傷も疲労も気に留めず……それゆえに森の奥深くへと進んでいることに誰も気づかなかった。

 そうして決死の追走を続ける集団は――――盛大にすっころんだ。

 一人が転べばその背後を走る誰かもドミノ倒しのように崩れ、それを見た誰かは慌てて立ち止まり、そのさらに後続の集団と押し合いになってしまい、たちまち混乱が訪れた。

 もちろん偶然ではない。木の間に数本の蜘蛛の糸が張られていたのだ。きわめて単純なブービートラップ。しかし追撃に夢中の彼女らには気付くことができなかった。

 そうして混乱するだけの集団はただの団子になった。その団子の上にクロスボウから放たれた矢が降り注ぐ。伏兵のクロスボウ部隊だ。

 それを見たセイノス教徒は、

「いたぞ! 穢れた蟻だ! 奴らを滅ぼせ!」

 勇ましい信徒の言葉に呼応して一斉に木々に潜む蟻へと殺到する。今まで取り戻そうとしていた女性など忘れてしまったかのようだが、これも素人であるが故の限界だ。誰かが後ろで命令を出さなければすぐに目標を変えてしまうのだ。

 軍隊の行動は明確な指針や目標がなければならない。それらがないまま軍を動かしても徒に兵を失うだけだ。そしてそれらの判断を行うのはなるべく命令系統の上位に当たる指揮官でなければならない。

 命令がなければ目の前の敵に攻撃してしまうのが生物としての習性だ。そんな基本を理解しないままでは地に足がついた戦い方はできない。

 もっとも今回の場合、物理的に地に足がつかなくなっているのだが。


「な、なんだこれは!?」

 彼女は首を上に向け、宙づりになっている仲間を見る。これもまた蜘蛛の糸による罠。上空につられた信徒は訳が分からずに暴れているのはまだ幸運で、焦って糸を切ってしまい地面に落下して重傷を負った味方もいる。

 転んだ挙句簀巻きにされて喚き散らす男性。

 目に絡んだ糸のせいで葉や土が食い込み同士討ちを始める女性。

 彼女らはいたって真面目に戦っているのだが、コメディのように滑稽でさえある光景だった。


 古典的な、それこそ蜘蛛が数万年以上前から続けている蜘蛛の巣という原始的な罠はこれでもかというほどに効果を発揮した。

 罠で身動きが取れなくなった信徒の矢が降り注ぎ、またしても緑の絨毯が朱に染まっていく。

 そんな光景を見た女性がぎりぎりと歯ぎしりしてから叫ぶ。

「卑怯だぞ貴様ら! 逃げるな! 姿を現せ臆病者! 正々堂々勝負しろ!」




「「――――は」」

 おなじみの罵倒を聞いてオレと千尋は冷笑する。

 姿を隠すのも、必要なら逃げるのも、飛び道具を使うのも戦争では当然の行為だ。

「飽きもせず毎度毎度同じ御託を述べるな」

「妾たちも同じ言葉しか返さぬよ」

「「この程度卑怯でも何でもない。卑怯でいけない理由はない」」

 千尋とオレの言葉が重なる。

 長年研究し続けてきた蜘蛛の罠と蟻の射撃。それらを活用したゲリラ戦は敵を面白いように翻弄していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
うちの猫は液体です 新作です。時間があれば読んでみてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ